みんなの辻説法
こころのオアシスへ ようこそ

|||||||||||||||||| フォーラム ||||||||||||||||||

 ID


全300件 <更新> ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 30 終了]

PAGE 28 (271〜280)


RE: 華厳唯心偈のひらがな版を見つけました
   2014/8/4 (月) 19:23 by 北松拓也 No.20140804192359

 日の出獅子さん、はじめまして。北松拓也と申します。どうぞよろしくお願
いいたします。

 このたびは「華厳唯心偈」の貴重なひらがな版をご紹介いただいて、どうも
ありがとうございます。実際に読誦するときの声の出し方は分からなくても、
こうしてそれぞれの漢字の読み方を示していただくだけでも、一気にこのお経
が身近に感じられます。

 調べてみましたところ、東大寺では「華厳唯心偈」を「百字心経」とも呼び、
このお経と「般若心経」の2種類の写経を実施していることが、東大寺のホー
ムページに記載されていました。また、東大寺で筒井寛昭上院院主の講話をお
聴きになった方のレポートによりますと、東大寺では「華厳唯心偈」をよく唱
えているとの解説があったそうです。そういうことならば、東大寺の法会や行
事に参加すれば、「華厳唯心偈」の読経に接する機会を得ることができるかも
しれませんね。

 お大師さま(弘法大師空海)の主著『十住心論』では、ご存じのように華厳
の境地は第九住心(極無自性心)とされ、大乗仏教を顕教(けんぎょう)と密教
に分けた場合の顕教の中の最高の境地ですが、密教の境地である第十住心(秘
密荘厳心)から見れば一つ手前の段階ということになりますね。ただ、『十住
心論』は、今の私にはまだ難しすぎてそれぞれの住心を明確に分けて考えられ
るには至っておりません。
                               北松拓也


般若理趣経百字偈(読経用)
   2014/8/4 (月) 05:15 by No.20140804051549

日の出獅子です。
今回は自分が出会った中で最高のお経かと思いますが、
実際に唱えられるものを紹介させていただきます。
既出かもしれませんが載せておきますね。


理趣経百字の偈 (りしゅきょうひゃくじのげ)


ひゃくじのげー
百字偈

ほーさーしょうけいしゃー だいしーしんせいしー
菩薩勝慧者       乃至尽生死  

こうさくしゅうせいりー   じーふーしゅーでッぱん
恒作衆生利       而不趣涅槃

ふぁんじゃーきゅーほうべん ちーとーしッかーちー
般若及方便       智度悉加持

しょーほうきゅうしょーうー いッせいかいせいせい
諸法及諸有       一切皆清浄 

よくとうちょうせーかん   れいとくせいちょーこー
欲等調世間       令得浄除故 

ゆうていきゅーあくしゅー ちょうふくしんしょーゆー
有頂及悪趣       調伏尽諸有

じょーれんていほんぜん ふーいーこーそーぜん
如蓮体本染       不為故所染 

しょーよくせいえきぜん  ふーぜんりーきんせい
諸欲性亦然       不染利群生 

たいよくとくせいせい    たいあんらくふーじょう
大欲得清浄       大安楽富饒

さんがいとくしーさい    のうさーけんこーりー
三界得自在       能作堅固利



*************************************************************

菩薩(ぼさつ)は勝(すぐ)れし知慧(ちえ)を持ち、
なべて生死(しょうじ)の尽きるまで                                      

恒(つね)に 衆生(しゅじょう)の利をはかり、
たえてねはんに趣(おもむ)かず。

世にあるもの[=方便(ほうべん)]も、
その性(さが)[=般若(はんにゃ)]も、
智慧(ちえ)の及ばぬものはなし。

もののすがた[=有(う)]も、そのもの[=法(ほう)]も、
一切のものは皆清浄(きよ)し。

欲が世間をととのえて、よく浄らかになすゆえに、
有頂天(すぐれしもの) もまた悪も、
みなことごとくうちなびく。
                                   
蓮( はちす )は 泥に咲きいでて、
花は垢(よごれ)に 染(けが)されず。

すべての欲もまたおなじ。
そのままにして人を利す。

大(だい)なる欲は清浄(きよき)なり、
大なる楽(らく)に富み饒(さか)う。

三界(このよ)の 自由身につきて、
固くゆるがぬ利を得たり。


(翻訳文:金岡秀友先生 東京美術「理趣経」)


----------------------------------------------------
意訳:

密教の行者は、生きている限りは、

常に他者の利益を考えて、

苦しんでいる人たちを

先に悟りの世界に届けて、

自分は最後まで赴かない。。

智恵と働きかけとをもって、

現実に存在する一切のもの、

および一切の生きとし生きるものを

みな清浄にする。

大欲で以ってみんなを教え導き、

清らかにしていく。

天界のてっぺんから、

地獄界の一番下に至るまで、

生きとし生きるものたちを

すべて救い尽くす。

蓮華は泥中より生じるが、

その泥には染まらない

美しい華を咲かせるように、

欲もまた同じこと。

密教行者は、世俗のドロドロとした

欲の中から生まれて、

美しい悟りの華を咲かせる。

一切衆生を救いたいという欲は

「大欲」であって、

本来清浄なものであり、

あらゆる世界において自由自在に働き、

生きとし生きるものたちのために、

大きな利益をなすことができる。

(了)


華厳唯心偈のひらがな版を見つけました
   2014/8/4 (月) 05:12 by No.20140804051214

はじめまして。日の出獅子と言います。

華厳唯心偈の読経がしたくて、
探し回ってひらがな版を見つけました。

ただ、お経のあの独特の抑揚のある実際の
読み方がわかりませんでした。

何か資料になる音源などがあればここで紹介できるのですが
自分が調べた限りでは今のところは無いようでした。

お坊さんがご覧になれば簡単にわかることかも
しれませんので全文を載せておきます。


華厳唯心偈
けごんゆいしんげ

しんにょこうがし
がしゅじゅごおん

いっさいせかいじゅう
むほうにふぞう

にょしんぶつやくに
にょうぶつしゅじょうねん

しんぶつぎつしゅうじょう
ぜさんむしゃべつ

しょぶつしつりょうち
いっさいじゅうしんでん

にゃくのうにょうぜげ
ひにんけんしんぶつ

しんにゃくひぜしん
しんにゃくひぜしん

さいっさいぶつじ
じざいみぞう

にゃくにんよくりょうち
さんぜいいっさいぶつ

おうとうにょぜかん
しんぞうしょにょらい

ちなみにネットでは初出かと思います。
ご紹介させていただくことができただけでも
ありがたいことでした。

それでは失礼いたします。


華厳唯心偈(けごんゆいしんげ) [補遺]
   2014/8/1 (金) 19:03 by 北松拓也 No.20140801190304

1.無限につながる縁起
 NHKテレビのハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅 第2集」に
は、印象深い言葉がたくさんありましたが、その中でもひときわ心に響いたも
のの一つが次のようなナレーションです。

------------------------------------------
「華厳経」は説きます。
一粒の米の中にも宇宙があると。
そこには太陽の光があれば、水の流れもある。
作る人がいて、売る人がいて、運ぶ人もいる。
無限につながる縁起を知ることが大切だと。
------------------------------------------

 こうして文字に起こしてみると、特に際立った名文というものでもなく、実
にシンプルです。

 しかし、ひっそりとしたお寺の食堂で五木寛之氏が金属の食器を使って食事
をしているシーンの中で、これが高橋美鈴アナウンサーの優しく胸に染み入る
ような声で語られたとき、そこに森羅万象の言霊が宿っているかのように感じ
られました。

 一つのものの中にすべてのものがあり、すべてのものは一つのものによって
代表され、一瞬のうちに永遠があり、永遠は一瞬のうちにあり、すべては無限
につながる縁起(えんぎ)によって成り立っている。「華厳経」の教えが開示す
るこのような壮大な世界観の中に、私は生きとし生けるものの究極の救いを見
る思いがします。

2.インドラの網
 「インドラの網」は、すべての網の結び目のところに玉があり、その一つひ
とつがまわりのあらゆる玉を鏡のように映して輝いている、と本文中に書きま
した。このことから、これは「宝珠の網」とも呼ばれます。

3.漢訳の「華厳唯心偈」
「華厳唯心偈」は「華厳経」の教えの真髄を百字に凝縮したものと本文中に紹
介しましたが、次の漢訳文がその百字の「華厳唯心偈」です。これは、前述の
ハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅 第2集」の中でも字幕で表
示され、ご覧のように旧字体で書かれていました。

---------------------
「華厳唯心偈」
心如工畫師 畫種種五陰
一切世界中 無法而不造
如心佛亦爾 如佛衆生然
心佛及衆生 是三無差別
諸佛悉了知 一切從心轉
若能如是解 彼人見眞佛
心亦非是身 身亦非是心
作一切佛事 自在未曾有
若人欲了知 三世一切佛
應當如是觀 心造諸如來
---------------------

 以上、ご精読いただき、どうもありがとうございました。 合掌
                               北松拓也


華厳唯心偈(けごんゆいしんげ) その8
   2014/7/29 (火) 23:59 by 北松拓也 No.20140729235955

「華厳経」には60巻本と80巻本がありますが、その教えの真髄を百字に凝縮し
たものが「華厳唯心偈」であると言われています。

 2007年に放送されたNHKテレビのハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教
への旅 第2集」の中で、作家の五木寛之氏が清らかな水が勢いよく流れる川の
ほとりの大きな石の上に腰かけて、奈良の東大寺からいただいたという写経のパ
ンフレットを開き、「華厳唯心偈」と書かれたところを読み上げられました。

 テレビの画面には、その風景とともに、五木寛之氏の朗読に合わせて下記の
ような字幕が映し出されました。なお、字幕ではルビが振られていなかったと
ころにも、ここでは読みやすさを考慮していくつかルビを補いました。

--------------------------------------------
「華厳唯心偈」

心は工(たくみ)なる画師(がし)の如く
種種(しゅじゅ)の五陰(ごおん)を画(えが)き
一切世界の中に
法(もの)として造らざる無し

心の如く仏も亦(また)爾(しか)り
仏の如く衆生(しゅじょう)も然(しか)り
心と仏と及び衆生とは
是(こ)の三(さん)差別(しゃべつ)無し

諸仏は悉(ことごと)く
一切は心より転ずと了知したまう
若(も)し能(よ)く是(かく)の如く解(さと)らば
彼(か)の人は真(まこと)の仏を見たてまつらん

心も亦(また)是(こ)の身に非ず
身も亦(また)是(こ)の心に非ずして
一切の仏事を作(な)し
自在なること未だ曾(かつ)て有らず

若(も)し人もとめて
三世一切(さんぜいっさい)の仏を知らんと欲せば
応当(まさ)に是(かく)の如く観(かん)ずべし
心は諸(もろもろ)の如来を造ると
--------------------------------------------

 この朗読の後、自然の風景を画面に映しながら、アナウンサーによる「華厳
唯心偈」の現代日本語訳のナレーションが流れました。それは、次のような内
容のものでした。

--------------------------------------------
巧みな画家がさまざまなものを描き出すように
心もまたこの世のあらゆるものを作り出す
地獄という苦の世界を作り出すのも心なら
極楽という楽しい境地に住むのも心

さとって仏となるのも心
迷って衆生にとどまるのも心
すべては心が作り出すものならば
心と仏と衆生とは一つのものにほかならない

もろもろの仏は
一切の存在を作り出すものは心にほかならないと
説いている
もしそのことを理解できたのなら
まことの仏を見ることができるだろう

心と体は一つではない
その二つが深くかかわり合うことによって
真の自由を手に入れることができるであろう

もし人が過去・現在・未来
三世すべてにわたって仏を求め続けるならば
このようにして
やがて自らの心に宿る仏性(ぶっしょう)を
見出すことができるであろう
--------------------------------------------

 よくたとえ話として聞くことですが、コップに水が半分入っているのを見て、
「もう半分しか残っていない」と悲しく思うのと、「まだ半分も残っているぞ」
と嬉しく思うのとでは、同じ境遇にあっても受け取り方がまったく違うわけで
す。そのように受け取り方が違えば、おのずから見える世界も違ってきます。
心がどのように目の前の出来事や自らの境遇を受け止めるかによって、生き方
も変わってくることでしょう。

 そうすると人生を大きく左右するものは、出来事や境遇を受け止める自らの
心であると見定めることができます。心を整え、生きとし生けるものと自分と
のかかわりを大切にし、互いに支え合い、助け合う関係にあることを自覚する
ことができれば、より良い人生、より良い社会を築いていけるものと考えます。
                                (了)

                               北松拓也


華厳唯心偈(けごんゆいしんげ) その7
   2014/7/29 (火) 23:52 by 北松拓也 No.20140729235212

「華厳」という名称は「雑華厳浄(ざっけごんじょう)」という言葉を略したも
のといいます。

「雑華厳浄」とは、「雑(さまざま)な華(はな)で荘厳し清浄にする」という意
味です。この短い言葉に込められているのは、さまざまな花、いろいろな生き
物、それぞれに個性や能力の異なる人々、それらが無数に関連し、影響し合い、
働きかけ合いながら、仏の世界を美しく飾り浄めていこうという教えです。

 童謡詩人・金子みすゞの詩に次のような「私と小鳥と鈴と」という題名の作
品があります。

------------------------------
「私と小鳥と鈴と」 金子みすゞ

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
--------------------------------

 ここに書かれている「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんな
いい」という考え方は、「雑華厳浄」に通じるものと言っていいでしょう。
                              (つづく)

                               北松拓也


華厳唯心偈(けごんゆいしんげ) その6
   2014/7/27 (日) 11:19 by 北松拓也 No.20140727111951

「華厳経」は、今ではほとんど人口に膾炙していると言ってもいい「般若心経」
や「観音経」に比べれば、その経典名すら広くは知られていないと思われます。
しかし、「華厳経」はとても重要な大乗仏教の経典の一つです。

「華厳経」の教説に基づいて中国唐代に立宗されたのが華厳宗です。これが736
年に日本に伝えられ、奈良時代の国家公認の六つの仏教宗派、すなわち南都六
宗の一つになりました。ちなみに、日本史の学習で「南都六宗奈良仏教」とし
て覚えた方も多いと思いますが、具体的には、三論宗(さんろんしゅう)・法相
宗(ほっそうしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・律宗(りつしゅう)・成実宗(じょ
うじつしゅう)・倶舎宗(くしゃしゅう)という六つの宗派です。

 現在、華厳宗の総本山は東大寺です。日本人の誰もが知っている東大寺の大
仏は、「華厳経」の教主である毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)をあらわしたもの
で、743年(天平15年)に聖武天皇(しょうむてんのう)が総国分寺(そうこくぶん
じ)である東大寺の本尊として発願(ほつがん)したことにより造立され、752年
(天平勝宝4年)4月9日にインドの婆羅門僧正菩提僊那(ぼだいせんな)を開眼師と
して開眼供養(かいげんくよう)が行われました。

 ついでながら、毘盧遮那仏の「毘盧遮那」はサンスクリット語の Vairocana
(ヴァイローチャナ)を音写したもので、「輝きわたるもの」という意味です。
これは太陽の象徴であり、「光明遍照(こうみょうへんじょう)」とも訳されま
す。また、真言密教では、毘盧遮那仏は大日如来と同じとされています。

 東大寺の大仏の造営にあたっては、諸国をめぐり歩いて橋や堤などをつくる
社会事業を行って民衆を教化していた僧行基(ぎょうき)が、聖武天皇の帰依を
受け、大仏造営の勧進に起用されました。当時の民衆から絶大な信頼を寄せら
れていた行基が大仏をつくることに尽力したことは計り知れない影響力になっ
たものと思われます。おかげで、非常に多くの名もなき民衆が大仏づくりに協
力し、困難な作業を乗り越えて大仏を完成させることができました。

 どのように数えたのかは分かりませんが、このとき大仏建立に携わった人の
数は延べ260万人とされています。これは当時の人口のおよそ半分に当たるそう
です。人々は貧しく、たいした交通手段も発達していない時代であったことを
思えば、この参加人数はとてつもないものです。

 大仏造営に参加した民衆のほとんどは、おそらく文字を読むことさえできな
かったでしょう。ましてや難解な「華厳経」や華厳宗の教学を体系的に理解す
ることなどできなかっただろうと思われます。そういった民衆に行基がどうい
った言葉で語りかけ、大仏づくりの意義を説いたのかわかりませんが、大仏を
つくることに加われば大きな功徳を積むことができるといったようなことは話
したかもしれません。ただ、民衆の側としてはそれよりも行基への信頼や崇敬
の念がまさっていて、行基が勧めることならば喜んで参加しようという気持ち
がつよかったのだろうと推察されます。

 さらには、奈良時代の民衆が、この世に生きる上での多くの不安や悩みを抱
えていたことは想像に難くありません。さまざまな天変地異、火災、疫病、飢
餓、貧困、戦乱など、日々の暮らしのなかでの不安材料は枚挙に暇(いとま)が
ないほどだったはずです。何とか無事に生き延びて家族ともども少しでも幸せ
に穏やかな生活を送りたいと切実に願う民衆の心は、御仏の大いなる慈悲や救
済を求めて大仏づくりに向かう大きな原動力となったことでしょう。

 当時の民衆の願いや将来の望みといったものは、目には見えないものですが、
彼らの魂の奥底から湧き出る熱い想いと、大仏造営といういわば一大国家プロ
ジェクトに携わるのだという熱気は、1250年以上の時を経た今も東大寺の大仏
の中に静かに息づいているような気がします。         (つづく)

                               北松拓也


華厳唯心偈(けごんゆいしんげ) その5
   2014/7/23 (水) 18:45 by 北松拓也 No.20140723184523

 この地球上には一体どれくらい多くの生き物が暮らしているでしょうか。微
生物まで含めれば膨大な数にのぼり、到底数えきれるものではありませんね。

 それらの生き物たちがそれぞれの地域に適した様々な生態系をつくって生活
しているのが、生命あふれる現在の地球の姿です。

 しかし、宇宙のはじまりである138億年前のビッグバンから46億年前の地球
誕生に至るまで、今の私たち人間や他の生き物たちを形づくっている物質は、
宇宙空間をあてどなく漂っている塵にすぎませんでした。それが何かの縁があ
って銀河系の中の太陽系のこの地球に集まり、太陽の恵みを受けつつ気の遠く
なるほどの歳月をかけて生命をはぐくみました。

 やがて、その生命が長い進化の過程を経て、私たちが今日目にするような多
種多様な動植物を生み出したわけですが、皆もとをたどれば宇宙のどこからか
やってきたもので、その意味ですべての生き物は宇宙とつながっているといえ
ます。

 地球上の多様な生き物は互いに影響を及ぼし関連し合いながら命のリレーが
持続可能なように、生息数や生息地域などの面で絶妙のバランスを維持してい
ます。そうした生命のネットワークは大自然の神秘のなさる業(わざ)のよう
に思われますが、それも見えざる「インドラの網」の力なのでしょう。

 地球上の生命のネットワークの中で、私たち人間は食物連鎖の最高峰に立っ
ている言われています。言い換えれば、私たち人間は地球上で最強の生物です。
その私たちの開発等の恣意的な経済活動により、いま世界中で生態系が乱され、
生物の多様性が失われつつあるのが実態です。すでに絶滅した種、あるいは絶
滅に瀕している種が急速に増えつつあります。

 生命のネットワークに深刻なダメージを与えるようなことをすれば、それに
「インドラの網」でつながっている私たち人間にも、必ず将来その影響が跳ね
返ってくることでしょう。

 地球にやさしい生活のし方を模索することは、とりもなおさず私たち人間の
ためになることにちがいありません。             (つづく)

                               北松拓也


華厳唯心偈(けごんゆいしんげ) その4
   2014/7/21 (月) 22:47 by 北松拓也 No.20140721224712

 現代の世界を眺めてみると、ありとあらゆるものが「インドラの網」で結び
ついて互いに助け合い、支え合いながら人々が暮らしている様子がよくわかり
ます。

 日々の生活の中で食べるものも、飲むものも、着るものも、電気製品も、そ
の他の生活必需品も、どこかの誰かが生産してくれるものに依存していて、し
かもそれらは国内だけでなく、活発な貿易を通じて広く海外からも、ますます
たくさんもたらされるようになっています。

 世界のどこかの誰かが原材料を生産し、それらをいろいろな地域から集めて
どこかの誰かが加工して、どこかの誰かが商品になるように組み合わせたり、
包装したりして、さらにどこかの誰かが流通経路に乗せて遠くから運んでくる、
というのが現代社会の商品経済の現実です。

 ただ、私たちはそのことを普段頭の中であまりイメージしないで商品化さた
ものを購入して消費していますが、そうした商品になるまでの間に世界のどれ
だけ広範囲の地域がかかわり、どれほど多くの人手がかけられているのかと考
えれば、奇跡的なほどの複雑で重層的な人々の連携によって私たちの暮らしが
成り立っていることを実感させられます。

 人はこの世に生まれてからさまざまな人たちや生き物たちの手助けによって
成長し、人生を歩んでいるわけであって、当たり前のことながら、生来まった
く孤立して暮らしているなどという人はひとりもいません。

 私たちの目には「インドラの網」は見えなくても、まさにそのように数知れ
ない人々とのつながりの「おかげさま」で生きています。    (つづく)

                               北松拓也


RE: 雑談・ベネッセの情報漏洩
   2014/7/20 (日) 18:52 by 北松拓也 No.20140720185224

 「IT技術は、 基本的に、セキュリティを維持するためには、日常的にその
業務を積極的に担う人材を、育成・維持する努力をしなければならない」およ
び「システムエンジニアを、使い捨て扱いでは、情報漏洩は絶対に防げない」
というイーハトーブさんのご指摘、ごもっともと思います。

 この件は、軍隊にたとえていえば、あたかも忠誠心の定かでない傭兵に機密
情報の取り扱いを任せていたようなもので、これではセキュリティが非常に危
ういのは明らかですね。

 近年の日本社会では、人材を育成するという姿勢が希薄になり、即戦力を求
めつつ人材を使い捨てにする傾向がますます強くなっているように思われます。
人間を簡単に使い捨てにするような非情さの先に日本の未来はないと考えてい
ます。
                               北松拓也


ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 30 終了] <照会>
  • 投稿したい方は登録が必要です.
  • ログインしている状態で投稿が可能です.
  • 同じログインIDで投稿した記事の削除が可能です.
  • ログインIDはパスワードと同じで、誰にも教えてはいけません.
  • 公序良俗に反する内容の投稿は固くお断りします.