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RE: 18歳選挙権…
   2015/10/28 (水) 23:42 by 北松拓也 No.20151028234242

 日本で18歳選挙権が実施されるに至った経緯については詳しくは知りませんが、
西洋の先進国における一般的な選挙権年齢に合わせるということとともに、少子高
齢化社会でより多くの若者に選挙に参加してもらうことで投票者全体の世代間のバ
ランスをとるということが重視された結果ではないかと推察しています。

 世の中はだんだんと変わって来ていますので、これも時代の流れなのでしょうね。
ただ、人間社会というのはいろいろなしがらみや因縁が複雑に絡み合い相互に作用
しながら成り立っていますので、18歳選挙権の実現によってすぐに日本社会が変化
するわけではないとは思います。それでも、たとえば18歳でプロ野球に入って一軍
で活躍しているような選手を見れば、18歳ならば十分に大人だということができる
のではないかと考えています。

 ともかく早くから選挙に参加することで、社会の仕組みや各種の制度について当
事者意識で問題意識をもって学び、事柄を改善するための方法を考え、何らかの行
動に結び付けていくという習慣を身に着けることができれば、それはたいへんよい
ことですね。

 来年夏に実施される予定の参議院選挙の時点で、新しく選挙権を行使できる人た
ちは、小学校の国語の教科書で司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」を読
んだ人たちでしょうか。もしそうだとするならば、その文章に込められた司馬遼太
郎の想いを改めて振り返り、選挙というものも自己の確立のための一つの機会とと
らえていただければと思います。真夏の太陽のように輝く未来の社会をあなたがた
自身の手でつくるために……。
                                   拓也


18歳選挙権…
   2015/10/27 (火) 00:07 by イーハトーブ No.20151027000744

 選挙権が、18歳から認められるようになりましたね。高校の先生がそれを
教育的側面から、授業で教えることになっているようですが、私は、それは
かなり泥縄的な制度のように感じています。(政治的悪意も感じる)

 単に制度の説明にしても、やるなら小学校から始めるべきで、いきなり目
前の選挙に際して、その権利の行使を担わされる18歳の有権者にとっては、
「驚きと戸惑い」しかないのかな?と私は思います。

 私は、18歳選挙権に反対しているわけではありません。むしろ、正当な制
度だと認識しています。しかし、選挙権の行使の意味を、18歳の人たちに十
分に理解させることができる大人が、現代の日本には少なすぎる!と、私は
思います。

 人類の歴史上、民主主義的な普通選挙制度が確立されるまでに、どれほど多
くの命が犠牲にされてきたのか? その意義がどれほど大きなものかを、ちゃ
んと理解し、説明できる人が、日本人に何人いるのかな?

 18歳選挙権に関する説明を、高校の先生に押し付けるのは、私は間違って
いると思います。やるなら、地元の地域社会に生きる人間が、自らの責任にお
いて、行うべきだと、私は思います。…つまり、制度だけ変えたって何も変わ
りはしない。「仏作って魂入れず」…まぁそんな感じですね。

                     以上  イーハトーブ


日本の農業
   2015/9/29 (火) 18:43 by 北松拓也 No.20150929184305

 2日前の日曜日に、NHK総合テレビで「NHKアーカイブス」が放送されていた
のを一部分だけ見ました。かつてNHKで放送された昔のテレビ番組を掘り起こ
して再放送するのが「NHKアーカイブス」ですが、私が見たのは何十年か前に
放送された日本の農業に関する番組でした。

 二人の農業従事者の往復書簡を軸にして、そこに映し出されたのは減反政策
や農産物の輸入自由化のために疲弊し崩壊していく日本の農家の姿でした。田
畑が荒れ、耕作放棄地が次第に増えていくのを止めることができず、深い失望
の中で離農していく人々。遠い先祖から何世代にも渡って開墾し守り続けてき
た美しい棚田を放棄しなけければならなくなった農家の人の苦悩。「耕作をや
めるのには勇気がいります」と沈痛な面持ちで語っていた何十年か前の農家の
人。多くの先祖の人たちが子孫のためを思って、ものすごく苦労をしながら魂
を込めて築いてきた先祖伝来の農地を荒らしてしまうことは、断腸の思いだっ
たことでしょう。

 「田畑が荒れることは、そこにいる人間の心が荒れることです」とも番組の
中で語られていました。いったんは実家の農業を継ぐために都会から地方に戻
ってきた若い人たちも、じり貧になっていくしかない農業の現実に直面し、農
業を続けることを諦め、再び都会に出て行ってしまうという状況は、寒々とし
たものでした。

 それから何十年か後の今日、日本政府は「地方創生」という理念のもとに、
「ふるさと納税」など地方経済活性化のための施策を取り始めていますが、効
果のほどはどうでしょうか。

 大型スーパーで売られている農産品を見ると、昨年あたりから米の価格が下
落傾向にあることが伺われます。このままでは現在進行中のTPP交渉の結果
によって、ますます日本の農業が追い詰められていくことが懸念されます。

 炎のような野心にあふれ様々な新規のアイディアを次々と打ち出すエリート
農業経営者たちは、日本の農業が生き残る道はいくらでもあると言っているよ
うですが、大多数の農家の人たちは特別な才能に恵まれているわけでもなく、
それでも先祖から受け継いだ田畑を守るため地道にこつこつとひたすら汗を流
し努力を続けている人たちだと思います。そういう普通の平凡な農家の人たち
のまじめな努力や苦労が報われるのでなければ、公正な農業政策とは言えない
のではないかと思います。もしも、勝ち誇るエリート農業経営者のためだけの
農業になったならば、それは弱肉強食の世界であって、日本人の心は荒廃して
いくでしょう。

 TPPをはじめとするグローバリゼーションの動きの中で押しつぶされてい
く普通に暮らす人々の心の風景──と言ったら、少し大げさに聞こえるかもし
れません。ただ、地方の小さな商店街の多くが寂れてシャッター通りと化して
いっている現状も含めて言えば、たとえこのグローバリゼーションの大河の激
流に日本も流されていくしかないとしても、私はそこに大きな疑問符を掲げて
立っていたい気持ちです。
                                 拓也


「我思う、故に我あり」と無我
   2015/9/29 (火) 18:37 by 北松拓也 No.20150929183717

 ライルの「範疇誤謬」の問題はひとまず置いておいて、大乗仏教の空の思想
で「我思う、故に我あり」を分析すれば、次のようになると思います。

 「我あり」というときの「我という存在」を意識させるのは、「般若心経」
では「色・受・想・行・識」という5つの作用によるものだ。しかし、「色に
我はあるか?」「否」、では「受に我はあるか?」「否」、「想に我はあるか?
」「否」、「行に我はあるか?」「否」、「識に我はあるか?」「否」と、こ
とごとく否定され、我がいくら思っても、我という存在はそこにはない。した
がって、「我思う、故に我あり」は、真の命題として成立しない。

 それはあたかも、「大学思う、故に大学あり」と考えるのと同じようなもの
かもしれない。すなわち、「大学あり」と思ってみても、実際にそこにあるの
は「学部や図書館、運動場、博物館、研究所、管理棟」といった具体的な構成
要素の集まりであって、その各々の中に大学があるわけではなく、あくまでも
「図書館」は「図書館」であり、「管理棟」は「管理棟」であり、そのなかに
大学という存在を見つけることはできない。そのため、「学部や図書館、運動
場、博物館、研究所、管理棟」を案内された人は、不審に思って「いったいど
こに大学があるのですか?」と疑問を投げかけることになる。

 その意味では、我々が「大学」という概念で考えているものも、無我であり、
空である──と、ここまで言ってしまうと、少々現実離れした感が無きにしも
非ずですが……。
                                 拓也


『般若心経の秘密』についての感想(余談)
   2015/9/28 (月) 18:11 by 北松拓也 No.20150928181129

 以下は、この本の根幹にかかわることではなく、枝葉末節にすぎませんので、
書くべきかどうかと迷いましたが、蛇足ながら目に留まったこことして書いて
おくことにしました。

 まず、「五取蘊」のうちの「受」に対応する語釈についてですが、p.63 で
は「知覚」、p.110 や p.126 では「感受」、p.154 では間接的ながら「感覚」
というように、3種類が見られました。これらのいずれも正しいと思いますが、
仏教の入門者が読まれた場合、語釈が3種類あると迷われるかもしれませんし、
また記憶に残りにくくなるおそれもあるかと思われますので、ここは1つの語
釈に絞られた方がよいのではないかと考えました。

 また、「五取蘊」のうちの「想」に対応する語釈は、「表象」で一貫してい
ますが、この「表象」という語は、一般読者にとっては日常生活の中で馴染み
が薄いかもしれません。西洋哲学に親しんでいる人ならば、例えば、ショーペ
ンハウアーの主著『意志と表象としての世界』のタイトルにある「表象」つま
り Vorstellung(フォアシュテルング)の意味と理解できると思いますが、こ
うした用語に日ごろ触れていない人にとっては、すんなりと頭に入らないので
はないかと思われました。ただ、他の「般若心経」の解説書でも「想」に対し
て「表象」と書かれていますので、これは「定訳」なのかとも考えました。あ
るいは、「心の中でイメージすること」といったような補足説明があれば、一
般読者にとっては理解の助けになるかもしれません。

 それから、「執着」という語に対して1か所だけ「しゅうぢゃく」というル
ビが振られていましたが、新仮名遣いでは「しゅうじゃく」ですので、この点
はどうなのかなと思いました。

 以上、ご精読いただきまして、どうもありがとうございました。
                                 拓也


RE: 難民・移民 雑感・・・
   2015/9/27 (日) 23:34 by 北松拓也 No.20150927233403

 イーハトーブさん、これはなかなか難しい問題ですね。昔読んだ犬養道子著
『人間の大地』という本に、難民とはどういうものかということが詳しく書か
れていたことを思い出します。難民の多くはパスポートを持たず、もちろんビ
ザなど取得していません。それで、例えばボートピープルのように粗末な船に
乗って海を渡って国境を越えて入ってくれば、それは不法入国者です。そこが、
正式な滞在許可証を取得して日本に居住している220万人以上の外国籍の人々
とは根本的に違っているところです。

 しばらく前に、テレビのニュース番組で聞いたところによれば、確か昨年難
民申請をした人の数は2000人を超えていたのに、難民と認定されて日本国に居
住を許されたのは、わずかに5名ほどだったと記憶しています。したがって、
それ以外の難民申請者はみな国外退去を命じられたのだろうと思います。

 昔、ベトナム難民やカンボジア難民やミャンマー難民などが日本に大勢やっ
てきたと思いますが、結局日本ではそのように難民として受け入れてもらうこ
とが極めて困難なため、ほとんどの人たちはアメリカやその他の国に受け入れ
先を求めて出ていくしかなかったようですね。

 今回のシリアからの難民の問題については、国連がアジア諸国にも難民を受
け入れてくれるようにと要請していますが、もしも日本が彼らを受け入れると
しても、数としてはごく少数にとどまることになることが予想されます。間違
っても、ドイツ、フランス、オーストラリア、アメリカのように万単位の受け
入れ数になることはありえないでしょう。

 話はそれますが、2011年の大震災の後、被災地域ではたくさんの瓦礫が出ま
した。それを早く片付けるために、被災地以外の他県に瓦礫の受け入れを要請
したことがありました。しかし、それを断った自治体がかなり多かったようで
すね。「困ったときはお互いさま」で助け合うのが日本人の良さであるはずで
すが、地域住民のエゴというか、自分らの地域の生活の安寧が第一だという本
音の部分が、そういう差し迫った状況では現れてしまうようです。日本が大好
きと言って震災後の日本に永住することを決心して日本に来られた日本文学研
究者のドナルド・キーン先生は、そのような実態をご覧になって、がっかりさ
れたようです。

 ところで、上記の『人間の大地』の著者、犬養道子氏はカトリック教会の信
者ですが、この本の中には「世界のすべての人々が救われなければ、この私も
救われない」という大乗仏教の言葉が引用されていました。ご存知のように、
この言葉は、宮沢賢治の心でもあります。
                                 拓也


難民・移民 雑感・・・
   2015/9/27 (日) 17:40 by イーハトーブ No.20150927174026

 拓也さんが書かれるように、己の安寧を第一義とする日本人が少なからず
存在していることは、私も知っています。
 でも、それが日本人の考え方の主流ではないとも、思っています。

 以前にも書きましたが、一般財団法人 自治体国際化協会 という組織が
活動しています。その組織の活動の一例ですが、イギリス人の男性が、日本
の、廃れつつある日本酒の或る蔵元に、杜氏として採用され、現在でも地方
色豊かな日本酒製造に携わっているそうです。(現在でもオンリーワン的に
経営は順調のようです。)

 杜氏となった彼は、上述の組織が運営している国際交流事業で、英語教育
の補助講師として、日本に2年間、赴任しました。その間に、日本酒の魅力
を知ることとなり、いろいろ経緯はありますが、結果的に日本酒の杜氏にな
ることを決意したそうです。

 私が思うには、EU各国に向かう移民たちは、日本のことなど何も知らない
し、とりあえず住みやすい国に向かっているように思われます。

 ヨーロッパ・アフリカ・アラブ地域は、数限りない戦乱の歴史を経て、多民
族国家となっています……と言うよりも、そうなってしまった。と言う方が
適切かもしれません。
 対して、日本人は、アジア大陸でも同じような戦乱の歴史を経て、戦争に負
けたか、戦争を嫌ったのかは、分かりませんが、結果としてアジアの辺境の地
に、貧しく弱小な国家を興すことになってしまった。言語体系もインド・ヨー
ロッパ語ではなく、ウラル・アルタイ語系です。

 東日本大震災に際して、被災地の人たちが採った行動を、移民たちが知って
いたとしたなら、文化的な違和感を抱いても、不思議ではないと思います。

 何だか、思いつくままに書いてしまって、何のまとまりもありませんが、私
は、日本政府は別として、日本人一人一人は、移民に対して必ずしも拒絶して
はいないと思います。日本には現在、220万人以上の外国籍の住民が、正式に
認められて居住しているそうですね。

                         以上 イーハトーブ


難民問題をめぐるEUの理想と現実
   2015/9/27 (日) 11:58 by 北松拓也 No.20150927115802

 もう何ヵ月もの間、ドイツの主要なメディアのホームページ上のニュース記
事に、Flüchtlinge(フリュヒトリンゲ=「難民」の複数形)という語が書か
れない日はありませんでした。日本では、安全保障関連法案の賛否をめぐって、
国論を二分するような大きな議論が沸き起こっていた間に、EU(欧州連合)
では、北アフリカや中東から豊かで安全なヨーロッパを目指して次から次へと
命がけでやってくる難民や移民のあまりにも多いことが大問題となっていまし
た。

 最近のシリアからの難民の多くは、EUの中で最も繁栄し社会保障が充実し
ているドイツに行くことを希望し、ドイツのメルケル首相は、そういう彼らを
できる限り受け入れる意向を表明しています。しかし、ドイツ南部のバイエル
ン州の首相は、難民受け入れに強く反対し、ドイツ国内全体でも反対意見を述
べる声が少なくありません。また、多すぎる難民について、EU全体で、加盟
各国の経済規模や人口に応じて受け入れ数を割り当てようという提案に対して
も、ドイツやフランスがそれに積極的に賛成しているのに対して、ハンガリー
やポーランドなどの東欧諸国はみな非常に難色を示し、EU内部に亀裂が走っ
ているのが現状です。

 それでも、ドイツのメルケル首相は、難民を受け入れることがヨーロッパの
夢であり理想であると訴えて、反対者を説得しようとしています。確かに、ヨ
ーロッパには古代ギリシャ・ローマ時代から、亡命者などに与える「庇護(ひ
ご)」の権利というものがあり、それをドイツ語では Asyl(アズュール)、
英語では asylum(アサイラム)と言います。そういう伝統と、人道的な見地
から、メルケル首相は強い信念をもって難民受け入れに賛同してもらえるよう
に訴えておられるのだろうと思います。

 しかし、経済的に余裕がなかったり、あるいはたくさんの異教徒の受け入れ
の経験があまりなかったりするような東欧諸国の人々は不安を募らせ、日常生
活の安寧や保身の方を何よりも大事にしたいと考えて、難民受け入れの提案に
激しく反発しているのでしょう。また、よそ者に対する差別意識もないとは言
えないでしょう。

 ちなみに、ドイツは4万人、フランスは3万人、オーストラリアは1万2千
人、アメリカは1万人以上の難民受け入れをすでに表明しています。

 さて、それでは日本はどうかというと、言うまでもなく、日本は世界的に知
られた、ほとんど難民を受け入れない国です。その是非はともかくとして、日
本人は普遍的な価値としての人道よりも、自らの生活の安寧や保身を旨とした
国民性をもっていることは疑う余地がないでしょう。
                                 拓也


『般若心経の秘密』についての感想(補遺)
   2015/9/26 (土) 17:54 by 北松拓也 No.20150926175442

 「我思う、故に我あり」の範疇誤謬に関する解説(pp.142-143)についてで
す。「我思う、故に我あり」については、近代西洋哲学の創始者で二元論の元
祖であるデカルトの有名な言葉(Cogito ergo sum)であることは知っていまし
たが、この範疇誤謬の話は初めて目にしました。それで、そのライルの話と、
「我思う、故に我あり」との具体的な対応関係がイマイチよく分かりませんで
したので、もう少し説明があればと思いました。

 おそらく、「我思う」というのは「我という存在」の働きの一部であって、
それはあたかも「大学という存在」の中の「学部や図書館、運動場、博物館、
研究所、管理棟」といった構成要素のどれか一つにすぎず、したがって、例え
ば「図書館」イコール「大学」ではないのと同じように、「我思う」イコール
「我という存在」ではない、つまりそれは「図書館」と「大学」とは範疇が異
なるからであり、「我思う」イコール「我という存在」とみなすのも範疇誤謬
である、ということではないかと解釈しました。

 私の推測では、本書の紙面構成の都合上、ここは見開き2ページに収める必
要から、字数の制約のためあまり立ち入った説明文にはできなかったのではな
いかと考えられます。特にこの「我思う、故に我あり」の解説は、見開き2ペ
ージ目の最後の文字スペースのところで文がピタリと終わっています。

 それから、p.36の「業(行為)」についての解説のところでは、三つの「身
業」、四つの「語業」、そして三つの「意業」をすべて合わせて「十善戒」と
言われる、というような説明があってもよかったかなという感じがしました。

 ところで、p.80からp.87までの玄奘三蔵に関するお話は、たいへん興味深く
思いました。唯識を学びに行くためのインドへの旅は、危険に満ちた心細い旅
というイメージとはだいぶ違うものだったことが分かりました。
                                 拓也


『般若心経の秘密』についての感想
   2015/9/25 (金) 18:15 by 北松拓也 No.20150925181529

 世に出ている「般若心経」の解説書のほとんどが漢訳の「般若心経」の解説
にとどまっているのに対して、『般若心経の秘密──スピリチュアル・ケアの
経典』では、単に漢訳「般若心経」の解釈や解説をするのではなく、その原典、
すなわちサンスクリット語(梵語)で書かれた梵文「般若心経」を漢訳「般若
心経」と比べながら、漢訳だけでは十分に理解できないような諸々の点につい
ての分かりやすい説明がなされているのが、大きな特徴の一つといえると思い
ます。

 私が以前に目にしたことのある何種類かの「般若心経」の解説書では、「般
若心経」の中心的な概念である「空」について、たいていは「実体がないこと」
と説明されていました。そして、この「実体がない」という解釈では、明確に
理解できたという気があまりしませんでした。そこへきて、最近では「100分
de名著」というテレビ番組で、「空」とは「人間には知ることのできない隠さ
れた宇宙の法則である」などという、思いもよらない解説を聞いたものですか
ら、「空」についてのイメージが私の頭の中で混乱していました。

 それが、この本に書かれている梵文に基づいた「空」の説明を読み、「空性」
こそが実体(サブスタンス)であるという解釈に触れて、今までの疑問が氷解
したように思いました。

 いわゆる「四苦八苦」の八番目の苦である「五取蘊苦(ごしゅうんく)」に
ついても同様です。「五取蘊苦」は、昔の解説書では「五蘊盛苦(ごうんじょ
うく)」と書かれていたことが多かったと思います。そして、その「五蘊盛苦」
は何かといえば、「心身の苦しみ」とか「人間生存自身の苦」というように書
かれていて、意味の範囲が茫洋としている感じがあり、あまり分かったような
気がしませんでした。また、中には、「五蘊盛苦」とは、力が有り余ってエネ
ルギーを持て余している状態の苦だというような解説をしている本もあり、ま
すます分かりづらくなったと思いました。

 ところが、『般若心経の秘密』では、八苦のうちの「生・老・病・死」を含
む前の七つの苦を総合したものが八番目の「五取蘊苦」であり、それは「自己
執着の五つの枝(五取蘊)の塊が苦であるということ」と明確に解説されてい
ます。この場合の「取」というのは梵語で「執着」という意味の語であると説
明されているので、このことから「五蘊盛苦」という昔の解説書の用語では
「取」すなわち「執着」という概念が抜けているために、「五蘊」がそのまま
「苦」であるという印象を受けていたけれども、そうではなくて「五蘊」に
「執着する」ことが「苦」なのだという意味であることがよく分かりました。

 この本を読んでほんとうによかったと思うことは書ききれないほどたくさん
ありますが、そのうちの一つは、十二支縁起(じゅうにしえんぎ)の解説のと
ころで、六識(ろくしき)、六境(ろっきょう)、六根(ろっこん)という十
八界の相互関係が体系的に示されていて、とても理解しやすくなっていること
でした。この十八界と、先の五取蘊(つまり、色・受・想・行・識)のどれに
ついても、空性(くうしょう)においては自我が無い、と「般若心経」に書か
れていることが、はっきりと把握できました。

 真言密教の「阿字観(あじかん)」という瞑想法は、私は体験したことがあ
りませんが、以前から興味のあることでした。この本には、その「阿字観」の
次第(手順書)が囲み記事で詳しく記載されています。実際にこれを行うには
正式な指導者につく必要があると思いますが、そのための予備知識として、
「阿字観」の次第は参考になります。

 この本の「第4章 弘法大師空海の般若心経秘鍵」の「3.般若心経の五分
釈」のところは、弘法大師空海の著書『秘密曼荼羅十住心論』や『秘蔵宝鑰
(ひぞうほうやく)』 に馴染みのない方々には、少し難しいかもしれません
が、ここには「インドラの網(帝網)」についての解説もあり、弘法大師空海
の仏教観の全体像が垣間見られるような概説になっていて、著者が書かれてい
るように、他の「般若心経」の解説書にはない独自の「五分釈」の解説として
付け加えられています。

 弘法大師空海は、『般若心経』を「長い真言」と表現されて、たいへん重視
されたと言われています。遠い昔のことになりますが、私自身の仏教入門は、
「般若心経」の解説書を買って読んだことから始まりました。そして、釣り人
が「鮒釣りから始まり鮒釣りに終わる」と言うように、私の仏道の旅も「般若
心経」から始まり、「般若心経」に終わると思っています。なぜなら、「般若
心経」には仏道の基本と真髄のすべてが凝縮されて詰まっていると思われるか
らです。そういう私にとって、これまでに出会った「般若心経」に関する本の
中で、この『般若心経の秘密──スピリチュアル・ケアの経典』は、間違いな
く最良の「般若心経」解説書だと確信しました。
                                 拓也


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