浮世のともしび
北松拓也
 
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良きことはカタツムリのように
   2017/6/17 (土) 18:48 by 北松拓也 No.20170617184820

 インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディーの言葉の中に、「良きこと
はカタツムリのようにゆっくり進む」というものがあります。しかし西洋の近
代は、生産の効率を高め、スピードを上げることを要求します。

 イギリス帝国によるインド支配からの脱却を目指したガンディーは、スワデ
ーシー(swadeshi とは、「swa 自らの」+「deshi 国、土地」=「母国」が原
義で、「国産品愛用」と訳されます)をスローガンの一つに掲げ、機械で綿糸
を紡(つむ)ぐのが当たり前だった当時において、自分の手で糸車を回して綿
糸を紡ぐ運動を始めました。

 機械で糸を紡ぐのと比べたら、このような手回しの糸紡ぎは、文字通り「カ
タツムリのようにゆっくり」だったに違いありません。ですから、ガンディー
のこうした運動は単にイギリスの支配に対するだけではなく、西洋の近代とい
うものに対する抵抗運動でもあったと言われています。

 ことろで、現在の日本社会、特に都会生活の中では、経済効率がモノを言い、
スピードを上げることを互いに競い合っています。企業も個人も、他者よりも
万事速く出来ることが高く評価されます。そのため、皆が時間に追われる生活
をしているので、それが半ば当たり前のようになっています。しかし、そうい
う生活の中で精神的に次第にすり切れていくのを自覚している人たちも少なく
ないと思います。

 何事につけ速さを要求される日々の生活に翻弄され疲弊した人たちが、休暇
の旅先で感じるようなゆっくりと進む時間の流れは、少なくとも本人にとって
「良きこと」に違いありません。それでもなかなか近代の呪縛から逃れられな
いのが、現代人の実相です。


断捨離と消費生活
   2017/6/17 (土) 18:19 by 北松拓也 No.20170617181900

 近年、「断捨離(だんしゃり)」という言葉がよく使われるようになってい
ます。また、それを実践しようという人々も次第に増えているようです。そも
そも、断捨離(だんしゃり)というのは、ヨガの「断行(だんぎょう)」、
「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という三つの行(ぎょう)か
ら来ているようです。ヨガの行が具体的にどんなものかほとんど知りませんが、
私の解釈では、物への執着を断ち、不要な物を捨てて、物質的な欲望から離れ
るというのが断捨離だと思っています。

 ところが、今の日本政府はそれとは逆行するように、デフレからの脱却のた
めに国民の消費を拡大することに全力を挙げて取り組んでいます。個人消費を
喚起するための「プレミアムフライデー」の実施を推奨するのも、その一つで
しょう。

 現代の日本社会では、すでにモノがあふれかえって、多くの商品が飽和状態
に達していますから、これ以上消費を増やそうとすれば、さしあたり生活に不
要のものでも何でもとにかくどうやって人々にたくさん買わせるか、しかもで
きるだけ高価なものを買わせるか、ということに力を入れざるを得ません。要
するに人々の物欲をかき立て、消費意欲を強める方策が必要になります。

 一方、人々の消費が増えれば増えるほど、当然のことながらエネルギーの消
費量も増えるし、廃棄物もたくさん出るようになるので、地球温暖化の問題や
海洋汚染なども含めて、環境への負荷がますます大きくなっていきます。

 こうした絶対矛盾が、断捨離と消費生活との間に横たわっていることを認識
しないわけにはいきません。断捨離の実践と消費の拡大は、互いに相矛盾する
関係にあります。


「振り漢字」という発想
   2017/6/13 (火) 22:35 by 北松拓也 No.20170613223508

 しばらく前のことです。確かNHK総合テレビで毎週木曜日の夜7時半から放送
されている「日本人のおなまえっ!」という番組だったと思いますが、番組ス
タッフの取材を受けた国語学者の金田一秀穂氏が「振り仮名ではなく、振り漢
字なんです」とテレビ画面の中で語っているのを聞いて、まさしく「目から鱗
(うろこ)が落ちる」思いがしました。

 金田一氏のこの「振り漢字」という捉え方は、まるで幾何学で使われる一本
の補助線のように、日本語表記についてぼんやりと持っていた私の疑問に対し
てピタリと明快な解決の助けとなる概念を与えてくれました

 たとえば、星野哲郎が作詞した歌謡曲の題名に、「函館の女(はこだてのひ
と)」というのがあります。この中で「女」という漢字に「ひと」という平仮
名が振られているのを見ると、これは「女」という字がもとにあって、それを
「おんな」という通常の読みではなく「ひと」と変則的に読ませるために、わ
ざわざ振り仮名が付けられているのだと思いがちです。ところが、実際にはそ
うではなく、「ひと」という大和言葉が先にあり、それにどういう漢字を当て
たらいいかと考えて、「女」という漢字を「ひと」という平仮名に対して振っ
たというわけです。それが「振り漢字」の発想です。

 表記の上では「女」が主体で「ひと」は小さな文字で添えられているために、
実際の主客関係とは逆に見てしまっているけれども、本来の発想ではあくまで
も「ひと」が主体で、「女」はそのイメージを視覚的に示すための添え物とい
うことになります。


無駄か、それとも無駄ではないか
   2017/6/13 (火) 22:29 by 北松拓也 No.20170613222915

 先日、NHKのEテレで放映された「SWITCHインタビュー 達人達」という番組
で、音楽家の坂本龍一氏が語っていたある言葉が、私にとっては非常に啓発的
でした。それは、音楽の創作を山登りにたとえた話の中で、「一つの山を登る
と、次に登るべき山が見えてくる。山に登ってみなければ、それが見えない」
といった主旨の言葉でした。

 この言葉を聞いた瞬間に「その通りにちがいない」と思いましたが、さらに
あとで振り返ってみて思ったのは、これはおよそ2500年前の釈尊の成道への過
程にも当てはまるのではないかということでした。

 釈尊は29歳の時に出家して、6年に及ぶ苦行生活を送りました。しかし、この
まま苦行を続けていても悟りには至らない、無駄なことだと見極め、長い間苦
行生活を共にしていた修行仲間とも別れて、ひとりで菩提樹の下に座り瞑想に
入りました。この場所で悟りをひらくまでは決して動かないぞという覚悟のも
とに臨んだその瞑想修行によって、ついに釈尊は悟りを得たと伝えられていま
す。

 それでは、釈尊が痩せこけて骨と皮ばかりになるほど懸命に取り組んだ6年間
の苦行生活は、いったい何だったのでしょうか。確かに、それ以上の苦行生活
は無駄だったのでしょう。しかし、その6年間の苦行生活の中で、さまざまな厳
しい修行を試み、それらを体験し尽くしたからこそ、それが悟りのためには無
駄だということが分かり、次に進むべき道が見えてきたのだろうと思います。

 その意味で、苦行そのものは無駄であっても、それがあったればこそ苦行が
無駄であるという認識にたどり着き、「次に登るべき山 = 菩提樹下の瞑想修
行」が見えるようになったという点において、釈尊の苦行体験はまったくの無
駄ではなかったはずです。

「無駄か、それとも無駄ではないか」ということは、実際に自分でやってみな
ければ分からない部分があります。そして、身をもって体験してみたことが、
たとえ成果の得られない無駄な努力に終わったとしても、次に進むべき方向性
を見定めるためには「必要な無駄」であることが少なからずあるのではないか
と考えられます。このことは、「無駄は無駄であっても無駄ではない」という
禅問答のような気づきをもたらしてくれます。

 私自身、なるべく無駄なことはやりたくないというところがあります。です
から、今までに無駄だと思ってやらなかったことのために、惜しくも見逃して
しまった「次に登るべき山」が数多くあったかもしれません。

 そう考えてみると、無駄か否かの先入観にとらわれず、柔軟な姿勢で物事に
対処して、常に「次に登るべき山」を見渡せる位置に立てるよう努めることが
肝要なのでしょう。


ドイツのメディアが伝えたイギリス議会選挙
   2017/6/13 (火) 18:31 by 北松拓也 No.20170613183141

 ドイツの有力誌「シュピーゲル」のサイトで、6月8日に行われたイギリス議
会選挙(Parlamentswahl in Großbritannien)の開票状況を伝えるニュースを
見ました。6月9日付で May nach Unterhauswahl - Die eiernde Lady(下院選
挙後のメイ首相 ─ よろよろ歩きのご婦人)という見出しの記事が載っていま
した。これはかなり辛辣です。

 この時点で、全下院650議席のうちすでに646議席が確定していて、二大政党
の獲得議席数は保守党が315で、労働党が261となっていました。これによって、
メイ首相の与党・保守党は過半数の326議席を確保できないことが明らかになり
ました。その後、保守党の議席数は3議席増え、最終的には318議席を得ました
が、選挙前の330議席に及ばないどころか、まさかの過半数割れです。

 上記の見出しがついた記事のリードの部分に目を通すと、Großbritanniens 
Premierministerin Theresa May hat hoch gepokert - und fast alles 
verloren.(イギリスのメイ首相は大きな賭に出た。──そして、ほとんどす
べてを失った)とメイ首相の思惑が外れた保守党の敗北を述べたのに続いて、
Nach einer denkwürdigen Nacht ist das Land politisch gelähmt. Und es 
ist völlig unklar, wie es weitergeht. (記念すべき一夜が明け、イギリス
の政治は麻痺した。そして、先行きはまったく不透明である)と、今回の議会
選挙がもたらしたイギリス政治の深刻な様子を伝えていました。

 この選挙後、メイ首相は議会内で多数派を維持するため、10議席を獲得した
北アイルランドの保守政党「民主統一党(Democratic Unionist Party、略称:
DUP)」と閣外協力をすることで合意したようです。しかし、選挙前よりも政権
基盤が弱くなったことから、今後予定されているEU(欧州連合)離脱に向けて
の交渉が難航することが予想されます。


「忖度」の文化論
   2017/6/12 (月) 18:53 by 北松拓也 No.20170612185336

 今年の通常国会では、学校の新設認可の行政手続きを巡って、その決定過程
において「忖度(そんたく)」があったのではないかとの疑問が野党側から投
げかけられ、議論が白熱しました。

『広辞苑』に書かれているように「他人の心中をおしはかること」が「忖度」
ですが、考えてみれば、そういう対人姿勢を尊ぶ文化が日本には古くからあり
ました。「禅」の教えを伝える方法である「以心伝心」も、「他人の心中をお
しはかること」がなければ成り立ちません。

 時代劇などでは、悪代官が自分の心中を察して利益になることをしてくれれ
ば、お返しに相手に得をさせて上げようとほのめかすときに用いる常套句とし
て「魚心あれば水心」という言い回しがあります。

 国会の議論で「忖度」という言葉によって問われたのは、行政手続関係者側
である「魚」が権力者側の「水」の心を推し量って便宜を図った事実があった
のかどうか、ということでした。

 いずれにしても、「忖度」という言葉はマスコミでずいぶん取り上げられ、
人々の耳目を集める大きな話題になりましたので、今年の「新語流行語大賞」
の候補に挙げられる可能性が十分にありそうです。


ジャーナリズムと波風の関係
   2017/6/11 (日) 23:53 by 北松拓也 No.20170611235301

 だいぶ以前の話ですが、2020年のオリンピック開催地を目指して東京が立候
補し、宣伝活動に励んでいた時期のことです。ドイツの有力紙「Frankfurter 
Algemeine Zeitung(フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング)」の
ホームページに掲載されていたある論説が目に留まりました。そこには、「日
本が東日本大震災に見舞われたからといって、次のオリンピック開催地につい
ては、東京に同情票を入れるべきではない」といった内容の意見が書かれてい
ました。私はそれを見て、わざわざそんなことを言うとは、そもそも日本に対
してどういう考えや感情を持っているのかと、大いに違和感を覚えました。

 その後、どれくらいの月日が過ぎた頃だったか記憶が定かではありませんが、
NHKの語学番組「テレビでドイツ語」を見ていたとき、番組内のインタビューの
コーナーに上記の「Frankfurter Algemeine Zeitung」の東京支局長がゲストと
して出演しました。どんな話をするのかと興味を持って聞いていると、「われ
われジャーナリズムの仕事は、人々の間に混乱を巻き起こすことだと考えてい
ます」という発言がありました。私の頭の中では上記の論説の件が影を落とし
ていたので、「何ということか。社会の安寧を乱すのがジャーナリズムの仕事
だと考えているのだろうのか」と、疑問がますます深まり、割り切れない思い
が残りました。

 ところが、6月10日(土)の午後10時からEテレで放映された番組「SWITCHイ
ンタビュー 達人達」の中で、出演者の田原総一朗氏が「ジャーナリズムの仕事
は、波風を起こすことなんです。波風を起こさなければ、ジャーナリズムじゃ
ない」と強い口調で言い切ったのを聞いて、「なるほど」という気になりまし
た。その言葉には、30年あまりにわたって民放の番組「朝まで生テレビ」で迫
力ある司会を務め、多くの討論者からホンネを鋭く引き出してきた田原氏なら
ではの確信に満ちたものがあり、強烈な説得力を感じざるを得ませんでした。

 今にして思えば、あのドイツの新聞社の東京支局長が言ったことは、この田
原氏の見解とほぼ符合している点において、必ずしも間違いではなかったわけ
です。


NHKのEテレで「唯識」を学ぶ
   2017/6/11 (日) 19:24 by 北松拓也 No.20170611192408

 今年の4月からEテレで放映が始まった「こころの時代〜宗教・人生〜 シリ
ーズ 唯識に生きる」という番組があります。全6回シリーズで、毎月第3日曜
日の午前5時から6時まで放映され、再放送がその次の土曜日の午後1時から2時
までとなっています。番組のリポーターを小野文恵アナウンサーが務め、「唯
識」の教えに基づく呼吸法や瞑想(めいそう)などの実践を通して、その体験
の前と後の変化について語っています。

 仏教の根本にある「唯識(ゆいしき)」の思想は、「この世の存在はすべて
自分の心が作り出したもの」と捉えて、心のありようを深層意識から変える実
践を説いています。5月21日(日)に放映されたこのシリーズの第2回のテーマ
は「自分とは何者か」でした。

 この「自分とは何者か」という根源的な問いに結びついているのが、唯識思
想で説かれる「八識」の中の第七識にあたる「末那識(まなしき)」です。

「末那識」は、現代の言葉で言えば「自我意識」です。大勢の人前でスピーチ
や演奏などをするときに、心ならずも緊張してあがったり、恥ずかしくて顔が
赤くなったりするのは、「自我意識」のためです。このような「自我意識」は
「自我執着心」、つまり自分というものに執着する心(=煩悩の一つ)にほか
なりません。

 唯識思想の実践としての瞑想によって、自己の内面に集中し、心の奥深くに
潜むその「自我執着心」を観察します。そうすることで、深層心のくもりを取
り除いていけば、今まで自分だと思っていたものが本来は「無我」であること
に気づき、「自我執着心」が生み出す自縄自縛の苦しみや、他者との対立の悩
みから解放されるということです。そのとき「自分とは何者か」という問いに
対する答えは自ずから明らかになるというのが、番組の第2回の放映内容のポイ
ントだったと思います。


時代の変わり目
   2017/5/25 (木) 18:56 by 北松拓也 No.20170525185640

 数日前に或るニュースサイトに書かれていた記事が衝撃的でした。世界ランク
1位の中国の囲碁棋士が、Google のAI(人工知能)ソフト「アルファ碁」に
敗れたというのです。昨年、「アルファ碁」が韓国のトップレベルのプロ棋士に
圧勝したことが大きな話題になりましたが、今回の「アルファ碁」は、その中身
がさらに進化しているそうで、ついに世界一のプロ棋士をも打ち破るだけの実力
を備えたわけです。

 囲碁はボードゲームの中で最も複雑とされています。ですから、常識的に考え
れば、プロ棋士に勝つ囲碁のAIソフトを作るのは将棋の場合よりもずっと難し
いはずです。ところが、今回の「アルファ碁」と世界ランク1位の囲碁棋士の対
局結果により、もはやそのような先入観は意味を失いました。かつては夢のよう
な話と思われていた、最高レベルのプロ棋士を上回る囲碁のAIソフトが、すで
に実現してしまっているのです。しかも、このAIソフトの技術は他の分野にも
広く応用が可能だと言います。

 近年、このAIをはじめ、自動運転やドローン、さらにIoT(Internet of 
Things)などのテクノロジーが急速に進歩して、私たちの生活を大きく変えよう
としています。これらの活用により、私たちの暮らしはさらに便利になるとは思
います。しかし、それが幸か不幸かという点については別問題です。次第に人間
不要の世の中になってしまうのではないかという不安もあり、先行きは混沌とし
ています。

 怒涛のように押し寄せる新しい科学技術の群れに、私たちは日々接しています。
こういう時代こそ、人が生きる上で本当に必要なものは何かという原点に立ち返
って自らを見つめ直すことが大切ではないかと考えます。そうでないと、時代の
流れにただ押し流されるばかりで、自己の本来性を喪失してしまうのではないか
と懸念されます。


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「浮世のともしび」 文/北松拓也
 Copyright © Takuya Kitamatsu 2017