心のともしび
 
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脱ガソリン車の時代へ
   2017/8/3 (木) 19:56 by 北松拓也 No.20170803195628

 マスコミの報道によると、イギリス政府とフランス政府は先月、2040年まで
にガソリンなどで走る内燃機関の車の販売を禁止するという方針を発表したと
のことです。

 かつて電車が登場したことにより、それまで鉄道の主役として活躍していた
蒸気機関車が少しずつ使われなくなり姿を消していきました。それと同じよう
に、電気自動車(EV)が急速に台頭して来た今、地球温暖化や大気汚染の原因と
なる排気ガスを放出するガソリン車やディーゼル車などは次第に疎まれるよう
になり、その結果いよいよ消えゆく運命にさしかかったということなのでしょ
う。時代の移り変わりをひしひしと感じます。

 これまで長年に渡って血と汗のにじむ努力によって優れた内燃機関の研究開
発や製造に携わってきた人々にとって、この報道は他国のことながらもガソリ
ン車の輸出に直接影響することなので、少なからず寂しく悲しい知らせとして
心に響いたのではないかと想像します。

 英仏両国では、たとえ20年以上先のことではあっても、やがては内燃機関の
熟練エンジニアも整備士も社会から必要とされなくなり、職を失う日がやって
来ます。そして、そう遠くない未来には日本政府もこうした脱ガソリン車を目
指す国々の動きに追随することが予想されます。世の中の進歩と言われるもの
の陰には、こうした盛衰のドラマがあります。

 考えてみれば、ガソリンを生産するための石油資源の埋蔵量にも限りがあり
ます。それがあとどれくらいなのか見当がつきませんが、石油が枯渇する前に
長い年月をかけて計画的に内燃機関の車の製造・販売を停止する方向に持って
行くことは、内燃機関の車の終焉の形としてはソフト・ランディングになるは
ずです。しかも、それは長期的な環境負荷の軽減という利点がありますので、
多くの人々に受け入れられる合理性があると言えそうです。
                               北松拓也


前人未到の大記録(2)大相撲の横綱白鵬関
   2017/7/26 (水) 18:34 by 北松拓也 No.20170726183424

 今月行われた大相撲名古屋場所(7月場所)では、横綱白鵬が14勝1敗の好成
績で、2場所連続となる通算39回目の幕内優勝を果たしました。これは横綱大鵬
の現役時代の32回という優勝回数を7回も上回る幕内最多優勝記録です。

 また、この名古屋場所は、白鵬関が通算勝ち星数で歴代2位の横綱千代の富士
の1045勝、さらには歴代1位の大関魁皇の1047勝の記録に挑戦する場所でもあり、
それが大相撲ファンの大きな関心の的になっていました。32歳の白鵬関はその
どちらの通算勝利記録も更新し、13日目には歴代1位となる前人未到の1048勝を
達成しました。そして、14日目も勝ち、千秋楽では横綱日馬富士を破って、通
算勝利数を1050勝に伸ばしました。

 これらが遠い未来にも色褪(いろあ)せることのない実に輝かしい業績であ
るのはもちろんですが、白鵬関が今後もこれらの自らの記録を更新し続けるで
あろうことを誰もが疑わずに期待し、楽しみにしているところが、この大横綱
の持つ限りない潜在力の素晴らしいところです。
                               北松拓也


前人未到の大記録(1)テニスのフェデラー選手
   2017/7/26 (水) 18:28 by 北松拓也 No.20170726182847

 今月イギリスで行われたテニスの四大大会(グランドスラム)の一つ、ウイ
ンブルドン選手権(全英オープンテニス)の男子シングルスで「芝の帝王」こ
とロジャー・フェデラー選手が、通算8回目の優勝を果たし、前人未到のウイン
ブルドン最多優勝記録を打ち立てました。

 ゲルマン系のスイス人らしさがあらわれたフェデラー選手の精悍な風貌の奥
には、揺るぎのない強靱な闘魂(ファイティングスピリット)が秘められてい
るのが感じられます。その冷静沈着にして精密で安定感のあるプレーは、試合
会場で観戦する人々の心を魅了すばかりでなく、テレビ中継で見守る人々の目
も釘付けにさせずにはおかないパワーがあります。

 すでに35歳という年齢になり、体力的には衰えを感じ始めているはずのフェ
デラー選手ですが、今回のウインブルドン選手権では、決勝戦も含めて1セッ
トも落とすことなく全試合ストレート勝ちの末に優勝のトロフィーを手にする
という偉業を成し遂げました。まさに超人的な活躍です。
                               北松拓也


アメリカの分断社会とは?
   2017/7/21 (金) 18:34 by 北松拓也 No.20170721183448

 アメリカのトランプ大統領が昨日(7月20日)大統領就任6ヶ月の節目を迎え、
そのトランプ大統領をどう評価するかというニュース番組がいくつかのテレビ
局により放送されました。その中で特に印象に残ったのは、NHK総合テレビ
の「ニュースウォッチ9」の中で、インタビューを受けた中国系の女性研究者
の言葉でした。その研究者は、これまでのトランプ大統領の仕事ぶりについて
「70点」と比較的高く評価し、次のような意味のことを述べていました。「反
トランプ派の人たちは、トランプ大統領がアメリカ社会を分断していると言う
けれども、それは違う。アメリカ社会がすでに分断されていたという事実があ
ったからこそ、トランプ氏が大統領に選ばれたのである。反トランプ派の人た
ちはそのアメリカ社会の時代の変化を認めたうえで問題に向き合わなければな
らない」。

 この言葉を聞いて、なるほど一理ある見方だと思いました。それと同時に、
かつてカール・マルクスがヘーゲルの弁証法的歴史観に対して「望遠鏡を逆さ
まにして覗いているようなものだ」と批判したのを思い出しました。マルクス
は社会の下部構造の変化が上部構造を規定すると考えたわけですが、上記の研
究者の見解は、まさにアメリカ社会の既存の分断という下部構造が規定因子と
なって上部構造としてのトランプ大統領を生み出したという論法になるでしょ
う。したがって、この研究者の洞察が正しければ、アメリカ社会における既存
の分断状態という下部構造の問題を解決しない限り、上部構造においては今後
も必然的に第2、第3のトランプ大統領が出現することになります。

 さて、アメリカ社会における既存の分断状態とは何かと言えば、それはやは
り中間所得層がますます薄くなり、富める人々と貧しい人々との間の格差拡大
に歯止めがかからないということではないかと思います。そうしたなかで、社
会から見捨てられている、あるいは取り残されていると感じる人々、特に「ラ
スト・ベルト」に暮らす白人労働者の人たちの生活の困窮と不満の高まりが、
アメリカ社会の非常に大きな不安定要因になっていると言えるでしょう。格差
是正という言葉を口に出すのは簡単ですが、それを実現するための決定的な方
法論はまだ暗中模索の状態ではないでしょうか。

 トランプ大統領の支持率は今も40パーセント前後を維持しているようで、依
然としてトランプ大統領の手腕に将来の望みを託している大勢のアメリカ市民
が根強くいることを物語っています。そうした人々の生活者としての切実な思
いと、自由・平等・人権などの民主主義の理想を高く掲げる反トランプ派の人
々による人間としての尊厳をかけた異議申し立ての叫びが、アメリカ全土でせ
めぎ合っているのがアメリカ社会の現状であろうと思います。

 これからのアメリカがどうなっていくのか。それは目下のところ私には予測
不可能です。しかし、せめて世界的な喫緊の課題になっている気候変動への取
り組みについては、アメリカも積極的に協力する姿勢を示してほしいと願って
います。
                               北松拓也


ヒアリの日本上陸
   2017/7/18 (火) 18:11 by 北松拓也 No.20170718181122

 外来危険生物として日本に最も侵入してほしくないものの一つと言われてい
たのが、ヒアリです。そのヒアリが先日、日本国内にある港のコンテナヤード
で初めて見つかると、あれよあれよという間に日本各地の港やそれ以外の場所
でも発見されるようになり、人々の間に衝撃が走りました。

 マスコミのニュースで目にする「ヒアリ」は、昆虫の「アリ」であることは
言うまでもありません。しかし、カタカナで表記される「ヒアリ」という文字
だけでは、この「ヒ」の部分が何を意味しているのか、明確に知ることは難し
いでしょう。このアリが赤みがかった色をしているから緋色の緋(ひ)なのか
と思われる人がいるかもしれません。ところが、それを英語で書いたのを見れ
ば一目瞭然です。つまり、英語では fire ant ですから、直訳すれば「火蟻」
=「ヒアリ」ということになります。

 ヒアリは強い毒をもったアリで、これに刺されると「火」に触れたような激
しい痛みがあることから、fire ant と呼ばれるようになったようです。ちな
みに、「強い毒をもった」は、英語で highly poisonous と表現しますので、
「強い毒をもったヒアリたち」は、highly poisonous fire ants となります。

 7月14日付の NHK world news では、Fire ants found at Yokohama Port(横
浜港でヒアリ発見)と題するニュースが報じられました。その前に、すでに東
京でもヒアリが見つかっていますので、首都圏で暮らす人々はこの新たな脅威
に対処しなければなりません。

 私たちの現在の生活は海外との自由で活発な貿易よって支えられています。
それは同時に、海外から運ばれてくる膨大な量の物資のコンテナに乗って招か
れざる危険生物も侵入してくる時代でもあるのです。日本が国是としている自
由貿易はすばらしいけれども、多くの便利さの享受の陰には何らかの危険性が
潜んでいるように、これもまたグローバル化が進む世界の「諸刃の剣」(英語
では double-edged sword)であると言えるでしょう。
                               北松拓也


日本人にとっての基本の色
   2017/7/10 (月) 19:17 by 北松拓也 No.20170710191717

 日本人の名字には色の名前のつくものが結構あります。先月下旬に放映され
たNHK総合テレビ、木曜日の夜の番組「日本人のおなまえっ!」の調査によ
れば、その中でも圧倒的多数を占めるのは、「青、赤、白、黒」の4色だそうで
す。確かに、青木さん、青山さん、赤井さん、赤塚さん、白石さん、白川さん、
黒田さん、黒岩さんなどといった名字は、ごく普通に見たり聞いたりします。

 同番組の話の中で興味を惹かれたことの一つは、『古事記』や『万葉集』に
用いられている色彩名のほどんどが、この4色であるという点です。要するに、
8世紀までの日本では、人々は身の回りの色彩を表現するのにこの4色でほぼ間
に合わせていたということかもしれません。もしそうだとすれば、白黒に青と
赤のたった2色を加えただけという、実に素朴すぎるほどの色彩語でよく日常の
用を済ませることができたものだと不思議にさえ感じられます。

 ちなみに、陶磁器の世界では「中国は形(form)、朝鮮半島は線(line)、日本
は色(color)」がすばらしいと言われていると、だいぶ昔に見たNHKのテレビ
英会話の番組で語られていたのを思い出します。そんな日本であっても奈良時
代のころには、わずか4種類の色彩語以外にはほとんど頼らずに私たちの祖先は
色を識別して暮らしていたのでしょうか。それならば、その後の日本人は色彩
の認識や取り扱いの上で一大飛躍をしたことになります。

 特に平安時代になると、それ以前のように身分を表すのに装身具を用いるこ
とがほとんどなくなり、その代わりに衣服の色で身分の上下を表すようになっ
たと言われています。「襲(かさね)の色目」が発達したのもその頃でしょう。
その意味で、平安時代は日本人の生活が一気に色彩あふれるようになった時期
だと言えるのかもしれません。

 それでも上代の日本人の4色の原風景は、現代の日本語の中にも残っている
のを見ることができます。例えば、現代の日常語では、今の日本人の感覚では
緑であるはずなのに、「青葉、青汁、青のり、青竹、青信号」などと言ったり、
厳密には赤には分類されないはずなのに、「赤土、赤みそ、赤さび」といった
言葉が使われたりします。

 また、大相撲の土俵に関して使われる「〜房下」という言い方があります。
テレビやラジオの大相撲放送で、アナウンサーが「青房下、赤房下、黒房下、
白房下」と審判席を区別して呼んでいるのをよく聞きます。ただし、この場合
の4色は、中国の古代思想にある「四神(しじん)」、つまり「天の四方の方角
をつかさどる神=東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武」や「四季をつか
さどる神=春の句芒、夏の祝融、秋の蓐収、冬の玄冥」の影響を受けたものか
もしれません。(注:青は春、赤は夏、白は秋、黒は冬を表す)

 ついでながら、上記の「青房」は、大相撲中継のテレビ画面で見る限り、明
確な緑色です。
                               北松拓也


良きことはカタツムリのように
   2017/6/17 (土) 18:48 by 北松拓也 No.20170617184820

 インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディーの言葉の中に、「良きこと
はカタツムリのようにゆっくり進む」というものがあります。しかし西洋の近
代は、生産の効率を高め、スピードを上げることを要求します。

 イギリス帝国によるインド支配からの脱却を目指したガンディーは、スワデ
ーシー(swadeshi とは、「swa 自らの」+「deshi 国、土地」=「母国」が原
義で、「国産品愛用」と訳されます)をスローガンの一つに掲げ、機械で綿糸
を紡(つむ)ぐのが当たり前だった当時において、自分の手で糸車を回して綿
糸を紡ぐ運動を始めました。

 機械で糸を紡ぐのと比べたら、このような手回しの糸紡ぎは、文字通り「カ
タツムリのようにゆっくり」だったに違いありません。ですから、ガンディー
のこうした運動は単にイギリスの支配に対するだけではなく、西洋の近代とい
うものに対する抵抗運動でもあったと言われています。

 ことろで、現在の日本社会、特に都会生活の中では、経済効率がモノを言い、
スピードを上げることを互いに競い合っています。企業も個人も、他者よりも
万事速く出来ることが高く評価されます。そのため、皆が時間に追われる生活
をしているので、それが半ば当たり前のようになっています。しかし、そうい
う生活の中で精神的に次第にすり切れていくのを自覚している人たちも少なく
ないと思います。

 何事につけ速さを要求される日々の生活に翻弄され疲弊した人たちが、休暇
の旅先で感じるようなゆっくりと進む時間の流れは、少なくとも本人にとって
「良きこと」に違いありません。それでもなかなか近代の呪縛から逃れられな
いのが、現代人の実相です。
                               北松拓也


断捨離と消費生活
   2017/6/17 (土) 18:19 by 北松拓也 No.20170617181900

 近年、「断捨離(だんしゃり)」という言葉がよく使われるようになってい
ます。また、それを実践しようという人々も次第に増えているようです。そも
そも、断捨離(だんしゃり)というのは、ヨガの「断行(だんぎょう)」、
「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という三つの行(ぎょう)か
ら来ているようです。ヨガの行が具体的にどんなものかほとんど知りませんが、
私の解釈では、物への執着を断ち、不要な物を捨てて、物質的な欲望から離れ
るというのが断捨離だと思っています。

 ところが、今の日本政府はそれとは逆行するように、デフレからの脱却のた
めに国民の消費を拡大することに全力を挙げて取り組んでいます。個人消費を
喚起するための「プレミアムフライデー」の実施を推奨するのも、その一つで
しょう。

 現代の日本社会では、すでにモノがあふれかえって、多くの商品が飽和状態
に達していますから、これ以上消費を増やそうとすれば、さしあたり生活に不
要のものでも何でもとにかくどうやって人々にたくさん買わせるか、しかもで
きるだけ高価なものを買わせるか、ということに力を入れざるを得ません。要
するに人々の物欲をかき立て、消費意欲を強める方策が必要になります。

 一方、人々の消費が増えれば増えるほど、当然のことながらエネルギーの消
費量も増えるし、廃棄物もたくさん出るようになるので、地球温暖化の問題や
海洋汚染なども含めて、環境への負荷がますます大きくなっていきます。

 こうした絶対矛盾が、断捨離と消費生活との間に横たわっていることを認識
しないわけにはいきません。断捨離の実践と消費の拡大は、互いに相矛盾する
関係にあります。
                               北松拓也


「振り漢字」という発想
   2017/6/13 (火) 22:35 by 北松拓也 No.20170613223508

 しばらく前のことです。確かNHK総合テレビで毎週木曜日の夜7時半から放送
されている「日本人のおなまえっ!」という番組だったと思いますが、番組ス
タッフの取材を受けた国語学者の金田一秀穂氏が「振り仮名ではなく、振り漢
字なんです」とテレビ画面の中で語っているのを聞いて、まさしく「目から鱗
(うろこ)が落ちる」思いがしました。

 金田一氏のこの「振り漢字」という捉え方は、まるで幾何学で使われる一本
の補助線のように、日本語表記についてぼんやりと持っていた私の疑問に対し
てピタリと明快な解決の助けとなる概念を与えてくれました

 たとえば、星野哲郎が作詞した歌謡曲の題名に、「函館の女(はこだてのひ
と)」というのがあります。この中で「女」という漢字に「ひと」という平仮
名が振られているのを見ると、これは「女」という字がもとにあって、それを
「おんな」という通常の読みではなく「ひと」と変則的に読ませるために、わ
ざわざ振り仮名が付けられているのだと思いがちです。ところが、実際にはそ
うではなく、「ひと」という大和言葉が先にあり、それにどういう漢字を当て
たらいいかと考えて、「女」という漢字を「ひと」という平仮名に対して振っ
たというわけです。それが「振り漢字」の発想です。

 表記の上では「女」が主体で「ひと」は小さな文字で添えられているために、
実際の主客関係とは逆に見てしまっているけれども、本来の発想ではあくまで
も「ひと」が主体で、「女」はそのイメージを視覚的に示すための添え物とい
うことになります。
                               北松拓也


無駄か、それとも無駄ではないか
   2017/6/13 (火) 22:29 by 北松拓也 No.20170613222915

 先日、NHKのEテレで放映された「SWITCHインタビュー 達人達」という番組
で、音楽家の坂本龍一氏が語っていたある言葉が、私にとっては非常に啓発的
でした。それは、音楽の創作を山登りにたとえた話の中で、「一つの山を登る
と、次に登るべき山が見えてくる。山に登ってみなければ、それが見えない」
といった主旨の言葉でした。

 この言葉を聞いた瞬間に「その通りにちがいない」と思いましたが、さらに
あとで振り返ってみて思ったのは、これはおよそ2500年前の釈尊の成道への過
程にも当てはまるのではないかということでした。

 釈尊は29歳の時に出家して、6年に及ぶ苦行生活を送りました。しかし、この
まま苦行を続けていても悟りには至らない、無駄なことだと見極め、長い間苦
行生活を共にしていた修行仲間とも別れて、ひとりで菩提樹の下に座り瞑想に
入りました。この場所で悟りをひらくまでは決して動かないぞという覚悟のも
とに臨んだその瞑想修行によって、ついに釈尊は悟りを得たと伝えられていま
す。

 それでは、釈尊が痩せこけて骨と皮ばかりになるほど懸命に取り組んだ6年間
の苦行生活は、いったい何だったのでしょうか。確かに、それ以上の苦行生活
は無駄だったのでしょう。しかし、その6年間の苦行生活の中で、さまざまな厳
しい修行を試み、それらを体験し尽くしたからこそ、それが悟りのためには無
駄だということが分かり、次に進むべき道が見えてきたのだろうと思います。

 その意味で、苦行そのものは無駄であっても、それがあったればこそ苦行が
無駄であるという認識にたどり着き、「次に登るべき山 = 菩提樹下の瞑想修
行」が見えるようになったという点において、釈尊の苦行体験はまったくの無
駄ではなかったはずです。

「無駄か、それとも無駄ではないか」ということは、実際に自分でやってみな
ければ分からない部分があります。そして、身をもって体験してみたことが、
たとえ成果の得られない無駄な努力に終わったとしても、次に進むべき方向性
を見定めるためには「必要な無駄」であることが少なからずあるのではないか
と考えられます。このことは、「無駄は無駄であっても無駄ではない」という
禅問答のような気づきをもたらしてくれます。

 私自身、なるべく無駄なことはやりたくないというところがあります。です
から、今までに無駄だと思ってやらなかったことのために、惜しくも見逃して
しまった「次に登るべき山」が数多くあったかもしれません。

 そう考えてみると、無駄か否かの先入観にとらわれず、柔軟な姿勢で物事に
対処して、常に「次に登るべき山」を見渡せる位置に立てるよう努めることが
肝要なのでしょう。
                               北松拓也


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「心のともしび」 文/北松 拓也
 Copyright © Takuya Kitamatsu 2017