則天去私の文学論 『米国篇:多元的宇宙』

長谷部さかな 著

【本文中の記号について】
◇ 漱石文からの転記。
☆ ジェームズ文、吉田夏彦訳からの転記。
◆ ジェームズ文からの転記。     
★ 補足的事実、研究者の論文からの転記、その他。
◎ 本稿筆者の感想。

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主知主義に対するベルグソンの批判(11)
   2017/7/26 (水) 07:34 by Sakana No.20170726073443

7月26日

◆And it gives trouble then only if the 
succession of steps of change be infinitely
divisible. If a bottle had to be emptied 
by an infinite number of successive decrements,
it is mathematically impossible that the emptying 
should ever positively terminate, In point of
fact, however, bottles and coffee-pots empty 
themselves by a finite number of decrements,
each of definite amount. Either a whole drop
emerges or nothing emerges from the spout. If
all change went thus dropwise, so to speak, 
if real time spouted or grew by units of duration
of determinate amount, just as our perceptions
of it grow by pulses, therw would be no zenonian
paradoxes or kantian antinomies to trouble us.

☆もし一つの瓶をあけるのに、中の液体の相次
ぐ減少の無限個が必要ならば、瓶が空になり終
ることは、数学的に不可能である。しかし実際
には瓶やコーヒーポットは、有限回の減少によ
って空になる。雨どいからは、一滴の雨滴全体
がしたたりおちるか、何もおちないかのどちら
かである。もしすべての変化がこのように、い
わばしずくのかたちでおこなわれるなら、もし
真の時間が、丁度我々の時間知覚が脉をきざん
でふえていくように、一定量の持続単位のつみ
かさねよってふえていくものならば、我々はゼ
ノンのパラドックスやカントのアンチモニーに
なやむことはないだろう。

◎ゼノンのパラドックス(逆説)に手をやいて
いるところへ、カントのアンチモニー(二律背
反)という手強い難問が新たにあらわれた。
zenonian(ゼノニアン)やkantian(カンティア
ン)は屁理屈をこねるソフィストの徒輩らしい。
こんな徒輩の屁理屈を理解しなければならない
哲学という学問は困ったものだ。


自然は卵をいかにしてつくるか
   2017/7/23 (日) 07:52 by Sakana No.20170723075256

7月23日

◎収束級数("the convergent series")と
いう数学用語が使われているので、愚者の脳
はとまどうが、その極限の数は一である。こ
の極限は、まさに極限であるが故に級数の外
に立ち、級数はいくらでもこの極限に近づく
けれども、決してそれに達することはできな
い。アキレスが亀に追いつけないというゼノ
ンの主張の根拠はその屁理屈だ。

◎しかし自然は卵をつくる際、まず卵の半分
をつくり、それから1/4をつくり、それから1/8
をつくり、等々のことをして、それらをよせ
あつめるのではない。自然は卵全体を一ぺん
につくるか、それとも何もつくらないかであ
り、ほかの自然単位についても同様である。

◎ゼノンのパラドックスによって困難が生じ
るのは、事物の一つの相がまず生じつぎに他
の相がこれにつけ加わるというかたちで、変
化がおこなわれる領域においてのみである。
しかもその際困難が生じるのは、変化の段階
のつみ重ねが無限に分割可能の場合だけだ。


主知主義に対するベルグソンの批判(10)
   2017/7/20 (木) 07:40 by Sakana No.20170720074006

7月20日

Bergson and His Critique of Intellectualism (10)

◆Expressed in bare numbers, it is like the convergent
series 1/2 plus 1/4 plus 1/8..., of which the
limit is one. But this limit, because it is a 
limit, stands outside the series, the value of
which approacges it indefinitely but never touches
it. If in the natural world there were no other way of 
getting things save by such successive addition of 
their logically involved fractions, no complete units
or whole things would ever come into being, for the
fractions' sum would always leave a remainder. But
in point of fact nature does'nt make eggs by making 
first half an egg, then a quarter, then an eighth, etc., 
and adding them together. She either makes a whole egg 
at once, then none at all, and so of all her other 
units. It is only in the spere of change, then, where 
one phase of a thing must needs come into being before 
another phase can come that Zeno's paradox gives trouble.

☆数であらわすと、これは1/2プラス1/4プラ
ス1/8・・・・・・という収束級数のような
ものであって、その極限は一である。しかし
この極限は、まさに極限であるが故に級数の
外に立ち、級数はいくらでもこの極限に近づ
くけれども、決してそれに達することはでき
ない。もし自然の世界においてこのように論
理的な部分をつぎつぎにつけ加えていくこと
のほかには、事物をつくりだすことができな
いのだとすれば、完全な単位とか、事物全体
とかいうものは、決して生じなかったであろ
う。何故なら部分をいくら足しても常に残り
があるだろうから。しかし実際には自然は、
卵をつくる際、まず卵の半分をつくり、それ
から1/4をつくり、それから1/8をつくり、等
々のことをして、それらをよせあつめるので
はない。自然は卵全体を一ぺんにつくるか、
それとも何もつくらないかであり、ほかの自
然単位についても同様である。したがってゼ
ノンのパラドックスによって困難が生じるの
は、事物の一つの相がまず生じつぎに他の相
がこれにつけ加わるというかたちで、変化が
おこなわれる領域においてのみである。しか
もその際困難が生じるのは、変化の段階がつ
み重ねが無限に分割可能の場合だけである。
             (吉田夏彦訳)


時間は無限に分割可能か
   2017/7/17 (月) 06:11 by Sakana No.20170717061136

7月17日

◎主知主義的な原則や論理により時間は、た
とえば一分を六十秒間に分割することができ
る。そして、たとえば、アキレスが二十秒間
で亀に追いつくことができると予想すること
はできる、とゼノンに言ったとしよう。

◎それでもゼノンはアキレスが亀に追いつく
ことはできないというだろう。何故ならば、
二○秒間のうちどれだけ多くの時間がすでに
経過しているにせよ、のこりの時間が完全に
経過する前には、まずその前半が経過しなく
てはならない。

◎そうしてまず前半が経過しなくてはならな
いという必要はいつまでたってもくりかえし
あらわれてくるので、時間はその最後の仕事
を果たす前に、いつも何か別のことを果たさ
なくてはならないという状態にあり、だから
最後の仕事は決して果たすことができない。

◎最後の仕事とは、アキレスが亀に追いつく
ことである。その最後の仕事は決して果たす
ことができないとゼノンは言い張る。


主知主義に対するベルグソンの批判(9)
   2017/7/14 (金) 07:13 by Sakana No.20170714071310

7月14日

Bergson and His Critique of Intellectualism (9)

◆But this criticism misses Zeno's point
entirely. Zeno would have been perfectly
willing to grant that if the tortise can
be overtaken in (say) twenty seconds, but
he would still have insisted that he can't
be overtaken at all. Leave Achileles and
the tortise out of the account altogether
---they complicate the case unnecessarily.
Take any single process of change whatever,
take the twenty seconds themselves elapsing.
If time be infinitely divisible, and it 
must be so on intellecual principles, they
simply cannot elapse, their end cannot be
reached; for no matter how much of them has
already elapsed, before the remainder, however
minute, can have wholly elapsed, the earlier
half of it must have elapsed. And this ever 
re-arising need of making the earlier half
elapse first leaves time with always something
to do before the last thing is done, so that
the last thing never gets done.

☆しかしこの批判は、ゼノンの論点を完全に
とらえそこなっている。ゼノンは、もし亀が
追いつかれるものならば、亀はたとえば二十
秒間で追いつかれうる、ということをよろこ
んでみとめたであろう。それでもなお、アキ
レスは亀に決して追いつけない、と主張した
であろう。彼は多分、つぎのようにいったで
あろう。アキレスや亀のことは話からはずし
てしまおう。それらは話を不必要にこみいら
せるだけだ。何でもいいから変化の過程を一
つ、たとえば経過する二○秒間それ自身をと
ってみよう。もし時間が無限に分割可能なら、
そうして主知主義的原則によってそうでなく
てはならないなら、二○秒間決して経過する
ことができず、その終わりに達することはで
きない。何故ならば、二○秒間のうちどれだ
け多くの時間がすでに経過しているにせよ、
のこりの時間が完全に経過する前には、まず
その前半が経過しなくてはならない。そうし
てまず前半が経過しなくてはならないという
必要はいつまでたってもくりかえしあらわれ
てくるので、時間はその最後の仕事を果たす
前に、いつも何か別のことを果たさなくては
ならないという状態にあり、だから最後の仕
事は決して果たすことができないのである。
             (吉田夏彦訳)


詭弁の論破
   2017/7/11 (火) 05:08 by Sakana No.20170711050819

7月11日

◎「アキレスは決して亀を追いこすことはで
きない。なぜなら、アキレスが亀に出発点に
到達する時までには、亀はすでにその出発点
にでている」というゼノンの詭弁を論破する
には、「決して追いつけない」という表現の
あいまいさを指摘するのが普通のやり方の由。

◎「決して〜ない("never")」ということば
は、時間が無限につづくような印象を与える
が、実はアキレスが亀に追いつくために要す
る時間は無限ではないという。

◎主知主義の論理によれば、時間は無限に分
割可能だが、現実には時間を無限に小さく分
割して短くすることはできないし、空間も無
限に小さく分割して短くすることはできない。

◎このように空間の分割可能性と時間の分割
可能性をつりあわせることによって、ゼノン
の詭弁を論破できるというのが、主知主義の
論理によるふつうのやり方だが、そのような
論理はゼノンの論点をとらえそこなってい
ると、ベルクソンはいう。


主知主義に対するベルグソンの批判(8)
   2017/7/8 (土) 07:28 by Sakana No.20170708072814

7月08日

Bergson and His Critique of Intellectualism (8)

◆The common way of showing up the sophism 
here is by pointing out the ambiguity of the
expression 'never can overtake.' What the word
'never' falsely suggests, it is said, is an
infinite duration of time; what it really means
is the inexhaustible number of the steps of which 
the overtaking must consist. But if these steps 
are infinitely short, a finite time will suffice 
them; and in point of fact they do rapidly converge,
whatever be the original interval or the contrasted 
speeds toward infinitesimal shortness. This propor-
tionality of the shortness of the times to that of
the spaces required frees us, it is claimed, from the 
sophism which the word 'never' suggests, 

☆ここで詭弁を示す普通のやり方は、「決し
て追いつけない」という表現のあいまいさを
指摘することである、「決して」ということ
ばは、時間が無限につづくような印象を与え
るが、これはまちがっているというのである。
このことばが本当に意味するところのものは、
追いつきをなりたたしめている無数の段階で
ある。もしこれらの段階が無限に短いものな
らば、有限の時間だけでたりることになろう。
じじつ、最初の間隔や速度の比率いかんにか
かわらず、これらの段階は、無限小に向かっ
てすみやかに収束する。このように時間の短
かさを空間の短さにつりあわせれば、「決し
て」ということばが暗示する詭弁からは解放
されることができる、といわれるのである。

◎詭弁とはクロをシロと言いくるめることだ。
発言者には相手をあざむく動機がある。その
動機を直感で見抜いても、論理で詭弁を論破
できず、無理が通れば道理引っ込む。"When 
force has its way, reason withdraws." 


アキレスと亀
   2017/7/5 (水) 07:33 by Sakana No.20170705073310

07月05日

◎アキレスと亀の話は、イソップ寓話のウサギ
とカメの話に似ているが、こちらは「油断大敵」
(Overconfidence is the greatest enemy.)と
いう教訓としてよく知られている。足の速いウ
サギがあゆみののろいカメには絶対に勝てると
思って居眠りをしているうちに、カメが着実な
歩みを進め、向こうのお山のふもとにあるゴー
ルに先着したという。

◎教訓なら頭にはいりやすいが、論理学の詭弁
はわかりにくい。凡人の脳は論理的な思考に耐
えられない。

◎アキレスは亀をおいこすことはできない、な
ぜなら、アキレスが亀に出発点に到達する時ま
でには、亀はすでにその出発点の先にでている
からというゼノンの詭弁は、「油断大敵」だか
らではない。あくまでも論理の詭弁である。

◎その論理は時間と空間とが無限に分割可能と
いう知性の教えを前提としている。その前提が
まちがっているのかもしれない。そもそも知性
と論理それ自体がまちがっているのではないか。


主知主義に対するベルグソンの批判(7)
   2017/7/2 (日) 07:20 by Sakana No.20170702072029

07月02日

◆M. Bergson, if I am rightly informed, came
into philosophy through the gateway of mathematics,
The old antinomies of the infinite were, I
imagine, the irritant that first woke his
faculties from their dogmatic slumber. You
will remember Zeno's famous paradox, or
sophism, as many of our logic books call it,
of Achilles and the tortise. Give that reptile
over so small an advance and the swift runnner 
Achilles can never overtake him, much less get
ahead of him; for if space and time are infinitely
divisible (as our intellects tell us they must be),
by the time Achilles reaches the tortoise's
starting-point, the tortise has already got ahead 
of the starting-point, and so on ad infinitum, the 
interval between the pursuer and the pursued 
growing endlessly minutely, but never becoming 
wholly obliterated,

☆もし私の知識が正しいなら、ベルグソン氏は、
数学の門を通って哲学にきたのである。私の認
識するところでは、無限に関するあの古いアン
チモニーが、彼の諸能力をその独断的な眠りか
らよびおこした最初のものであった。諸君はみ
な、ゼノンの有名なパラドックス、現代の論理
学の本の多くのよび名にしたがえば、アキレス
と亀との詭弁をおぼえているだろう。亀をほん
の少しでも先に出発させれば、アキレスは決し
て亀においつけないし、いわんや亀をおいこす
ことはできない。何故なら、もし(我々の知性
が教えるように)時間と空間とが無限に分割可
能であるならば、アキレスが亀の出発点に到達
する時までには、亀はすでにその出発点の先に
でているし、かくして無限にいたるからである。
               (吉田夏彦訳)

◎ベルグソン氏は数学の門を通って哲学にきた
というが、デカルト、カント、ライプニッツな
ど哲学者の多くは数学者でもある。数学に弱い
文系の頭脳が哲学を理解するのは難しい。


『多元的宇宙』まとめ 2017年6月
   2017/6/29 (木) 08:23 by Sakana No.20170629082330

2017年6月

・論理は正しい尺度か
・主知主義に対するベルグソンの批判(2)
・特異な、ものの見方
・主知主義に対するベルグソンの批判(3)
・人間のオリジナリティ
・主知主義に対するベルグソンの批判(4)
・豊かな独創性
・主知主義に対するベルグソンの批判(5)
・主知主義に対するベルグソンの批判(6)
・まっすぐな文体

◎第六講 「主知主義に対するベルグソンの
批判」を読みはじめたが、私の知性のレベル
から判断すれば、ベルクソンの批判は主知主
義的な批判以外の何者でもない。

◎ベルクソンは独創的で、特異な考えをする。
彼の考えにはオリジナリティがある。そのよ
うな独創的な考えは、「まっすぐな文体」で
表現されているので、ジェームズのように高
いレベルの知性の持ち主には理解できるが、
知性のないぼんくら頭が理解するのは難しい。


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則天去私の文学論 『米国篇:多元的宇宙』 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe 2017