則天去私の文学論 『米国篇:多元的宇宙』

長谷部さかな 著

【本文中の記号について】
◇ 漱石文からの転記。
☆ ジェームズ文、吉田夏彦訳からの転記。
◆ ジェームズ文からの転記。     
★ 補足的事実、研究者の論文からの転記、その他。
◎ 本稿筆者の感想。

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主知主義に対するベルグソンの批判(6)
   2017/6/26 (月) 05:02 by Sakana No.20170626050231

06月26日

◆ If anything can make hard things to follow,
it is a style like Bergson's. A 'straightforward'
style, an american reviewer lately called it;
failing to see that such straightforwardness means 
a flexibility of verbal resource that follows the 
thought without a crease or winkle, as elastic
silk underclothing follows the movements of one's
body. The lucidity of Bergson's way of putting 
things is what all readers are first struck by. 
It seduces you and bribes you in advance to 
become his deciple. It is a miracle, and he is a 
real magician. (W. James)

☆むずかしいものをやさしいものにしてくれ
るものがあるとすれば、それはベルクソンの
文体のようなものをいうのであろう。最近あ
るアメリカの批評家は、これを「まっすぐな」
文体とよんだ。彼は、このようなまっすさこ
そが、体の運動にしたがう弾力的な絹の下着
のように、少しのたるみもなく思想にしたが
っていく言語の流動性を意味していることを、
みぬけなかったのである。すべての読者はベ
ルグソンがものごとをのべる際の透明さにま
ず強い印象を受ける。これは諸君を誘惑し、
はじめから彼の弟子になってしまえと、諸君
を買収する。それは一つの奇跡であり、彼は
まことに魔法使いである。(吉田夏彦訳)

◎「むずかしいものをやさしいものにしてく
れる文体があるとすれば、ベルクソンの文体
であるとジェームズはいう。たしかにカント
やヘーゲルの文体にくらべれば、ベルクソン
の文体はむずかしいものをやさしくしてくれ
る文体だろうが、やさしいとは私は思わない。


まっすぐな文体(a 'straightforward' style)
   2017/6/29 (木) 06:20 by Sakana No.20170629062050

06月29日

◎ベルクソンがフランス語で書いた文体は、ま
っすぐな文体(a 'straightforward' style)
とジェームズは英語でいう。どのような文体だ
ろうか?と私は日本語で考える。

◎文は人なり(Style is the man.)という。
おそらく、まっすぐな文体の書き手はまっすぐ
な気性の人だろう。

◎まっすぐさとは、体の運動にしたがう弾力的
な絹の下着のように、少しのたるみもなく思想
にしたがっていく言語の流動性を意味している
という。

◎ベルクソンはまっすぐな気性のフランス人で、。
ジェームズはまっすぐな気性のアメリカ人であ
る。そして、夏目漱石はまっすぐな気性の日本
人である。

◎「あなたは真っ直ぐでよい御気性だ」と坊ち
ゃんは下女の清に言われた。坊ちゃんは漱石で
はないが、坊っちゃんのような真っ直ぐな気性
の人物を描いて、読者を納得させる文体の持ち
主はやはり真っ直ぐな気性の人物だと思う。



『多元的宇宙』まとめ 2017年6月
   2017/6/29 (木) 08:23 by Sakana No.20170629082330

2017年6月

・論理は正しい尺度か
・主知主義に対するベルグソンの批判(2)
・特異な、ものの見方
・主知主義に対するベルグソンの批判(3)
・人間のオリジナリティ
・主知主義に対するベルグソンの批判(4)
・豊かな独創性
・主知主義に対するベルグソンの批判(5)
・主知主義に対するベルグソンの批判(6)
・まっすぐな文体

◎第六講 「主知主義に対するベルグソンの
批判」を読みはじめたが、私の知性のレベル
から判断すれば、ベルクソンの批判は主知主
義的な批判以外の何者でもない。

◎ベルクソンは独創的で、特異な考えをする。
彼の考えにはオリジナリティがある。そのよ
うな独創的な考えは、「まっすぐな文体」で
表現されているので、ジェームズのように高
いレベルの知性の持ち主には理解できるが、
知性のないぼんくら頭が理解するのは難しい。


主知主義に対するベルグソンの批判(7)
   2017/7/2 (日) 07:20 by Sakana No.20170702072029

07月02日

◆M. Bergson, if I am rightly informed, came
into philosophy through the gateway of mathematics,
The old antinomies of the infinite were, I
imagine, the irritant that first woke his
faculties from their dogmatic slumber. You
will remember Zeno's famous paradox, or
sophism, as many of our logic books call it,
of Achilles and the tortise. Give that reptile
over so small an advance and the swift runnner 
Achilles can never overtake him, much less get
ahead of him; for if space and time are infinitely
divisible (as our intellects tell us they must be),
by the time Achilles reaches the tortoise's
starting-point, the tortise has already got ahead 
of the starting-point, and so on ad infinitum, the 
interval between the pursuer and the pursued 
growing endlessly minutely, but never becoming 
wholly obliterated,

☆もし私の知識が正しいなら、ベルグソン氏は、
数学の門を通って哲学にきたのである。私の認
識するところでは、無限に関するあの古いアン
チモニーが、彼の諸能力をその独断的な眠りか
らよびおこした最初のものであった。諸君はみ
な、ゼノンの有名なパラドックス、現代の論理
学の本の多くのよび名にしたがえば、アキレス
と亀との詭弁をおぼえているだろう。亀をほん
の少しでも先に出発させれば、アキレスは決し
て亀においつけないし、いわんや亀をおいこす
ことはできない。何故なら、もし(我々の知性
が教えるように)時間と空間とが無限に分割可
能であるならば、アキレスが亀の出発点に到達
する時までには、亀はすでにその出発点の先に
でているし、かくして無限にいたるからである。
               (吉田夏彦訳)

◎ベルグソン氏は数学の門を通って哲学にきた
というが、デカルト、カント、ライプニッツな
ど哲学者の多くは数学者でもある。数学に弱い
文系の頭脳が哲学を理解するのは難しい。


アキレスと亀
   2017/7/5 (水) 07:33 by Sakana No.20170705073310

07月05日

◎アキレスと亀の話は、イソップ寓話のウサギ
とカメの話に似ているが、こちらは「油断大敵」
(Overconfidence is the greatest enemy.)と
いう教訓としてよく知られている。足の速いウ
サギがあゆみののろいカメには絶対に勝てると
思って居眠りをしているうちに、カメが着実な
歩みを進め、向こうのお山のふもとにあるゴー
ルに先着したという。

◎教訓なら頭にはいりやすいが、論理学の詭弁
はわかりにくい。凡人の脳は論理的な思考に耐
えられない。

◎アキレスは亀をおいこすことはできない、な
ぜなら、アキレスが亀に出発点に到達する時ま
でには、亀はすでにその出発点の先にでている
からというゼノンの詭弁は、「油断大敵」だか
らではない。あくまでも論理の詭弁である。

◎その論理は時間と空間とが無限に分割可能と
いう知性の教えを前提としている。その前提が
まちがっているのかもしれない。そもそも知性
と論理それ自体がまちがっているのではないか。


主知主義に対するベルグソンの批判(8)
   2017/7/8 (土) 07:28 by Sakana No.20170708072814

7月08日

Bergson and His Critique of Intellectualism (8)

◆The common way of showing up the sophism 
here is by pointing out the ambiguity of the
expression 'never can overtake.' What the word
'never' falsely suggests, it is said, is an
infinite duration of time; what it really means
is the inexhaustible number of the steps of which 
the overtaking must consist. But if these steps 
are infinitely short, a finite time will suffice 
them; and in point of fact they do rapidly converge,
whatever be the original interval or the contrasted 
speeds toward infinitesimal shortness. This propor-
tionality of the shortness of the times to that of
the spaces required frees us, it is claimed, from the 
sophism which the word 'never' suggests, 

☆ここで詭弁を示す普通のやり方は、「決し
て追いつけない」という表現のあいまいさを
指摘することである、「決して」ということ
ばは、時間が無限につづくような印象を与え
るが、これはまちがっているというのである。
このことばが本当に意味するところのものは、
追いつきをなりたたしめている無数の段階で
ある。もしこれらの段階が無限に短いものな
らば、有限の時間だけでたりることになろう。
じじつ、最初の間隔や速度の比率いかんにか
かわらず、これらの段階は、無限小に向かっ
てすみやかに収束する。このように時間の短
かさを空間の短さにつりあわせれば、「決し
て」ということばが暗示する詭弁からは解放
されることができる、といわれるのである。

◎詭弁とはクロをシロと言いくるめることだ。
発言者には相手をあざむく動機がある。その
動機を直感で見抜いても、論理で詭弁を論破
できず、無理が通れば道理引っ込む。"When 
force has its way, reason withdraws." 


詭弁の論破
   2017/7/11 (火) 05:08 by Sakana No.20170711050819

7月11日

◎「アキレスは決して亀を追いこすことはで
きない。なぜなら、アキレスが亀に出発点に
到達する時までには、亀はすでにその出発点
にでている」というゼノンの詭弁を論破する
には、「決して追いつけない」という表現の
あいまいさを指摘するのが普通のやり方の由。

◎「決して〜ない("never")」ということば
は、時間が無限につづくような印象を与える
が、実はアキレスが亀に追いつくために要す
る時間は無限ではないという。

◎主知主義の論理によれば、時間は無限に分
割可能だが、現実には時間を無限に小さく分
割して短くすることはできないし、空間も無
限に小さく分割して短くすることはできない。

◎このように空間の分割可能性と時間の分割
可能性をつりあわせることによって、ゼノン
の詭弁を論破できるというのが、主知主義の
論理によるふつうのやり方だが、そのような
論理はゼノンの論点をとらえそこなってい
ると、ベルクソンはいう。


主知主義に対するベルグソンの批判(9)
   2017/7/14 (金) 07:13 by Sakana No.20170714071310

7月14日

Bergson and His Critique of Intellectualism (9)

◆But this criticism misses Zeno's point
entirely. Zeno would have been perfectly
willing to grant that if the tortise can
be overtaken in (say) twenty seconds, but
he would still have insisted that he can't
be overtaken at all. Leave Achileles and
the tortise out of the account altogether
---they complicate the case unnecessarily.
Take any single process of change whatever,
take the twenty seconds themselves elapsing.
If time be infinitely divisible, and it 
must be so on intellecual principles, they
simply cannot elapse, their end cannot be
reached; for no matter how much of them has
already elapsed, before the remainder, however
minute, can have wholly elapsed, the earlier
half of it must have elapsed. And this ever 
re-arising need of making the earlier half
elapse first leaves time with always something
to do before the last thing is done, so that
the last thing never gets done.

☆しかしこの批判は、ゼノンの論点を完全に
とらえそこなっている。ゼノンは、もし亀が
追いつかれるものならば、亀はたとえば二十
秒間で追いつかれうる、ということをよろこ
んでみとめたであろう。それでもなお、アキ
レスは亀に決して追いつけない、と主張した
であろう。彼は多分、つぎのようにいったで
あろう。アキレスや亀のことは話からはずし
てしまおう。それらは話を不必要にこみいら
せるだけだ。何でもいいから変化の過程を一
つ、たとえば経過する二○秒間それ自身をと
ってみよう。もし時間が無限に分割可能なら、
そうして主知主義的原則によってそうでなく
てはならないなら、二○秒間決して経過する
ことができず、その終わりに達することはで
きない。何故ならば、二○秒間のうちどれだ
け多くの時間がすでに経過しているにせよ、
のこりの時間が完全に経過する前には、まず
その前半が経過しなくてはならない。そうし
てまず前半が経過しなくてはならないという
必要はいつまでたってもくりかえしあらわれ
てくるので、時間はその最後の仕事を果たす
前に、いつも何か別のことを果たさなくては
ならないという状態にあり、だから最後の仕
事は決して果たすことができないのである。
             (吉田夏彦訳)


時間は無限に分割可能か
   2017/7/17 (月) 06:11 by Sakana No.20170717061136

7月17日

◎主知主義的な原則や論理により時間は、た
とえば一分を六十秒間に分割することができ
る。そして、たとえば、アキレスが二十秒間
で亀に追いつくことができると予想すること
はできる、とゼノンに言ったとしよう。

◎それでもゼノンはアキレスが亀に追いつく
ことはできないというだろう。何故ならば、
二○秒間のうちどれだけ多くの時間がすでに
経過しているにせよ、のこりの時間が完全に
経過する前には、まずその前半が経過しなく
てはならない。

◎そうしてまず前半が経過しなくてはならな
いという必要はいつまでたってもくりかえし
あらわれてくるので、時間はその最後の仕事
を果たす前に、いつも何か別のことを果たさ
なくてはならないという状態にあり、だから
最後の仕事は決して果たすことができない。

◎最後の仕事とは、アキレスが亀に追いつく
ことである。その最後の仕事は決して果たす
ことができないとゼノンは言い張る。


主知主義に対するベルグソンの批判(10)
   2017/7/20 (木) 07:40 by Sakana No.20170720074006

7月20日

Bergson and His Critique of Intellectualism (10)

◆Expressed in bare numbers, it is like the convergent
series 1/2 plus 1/4 plus 1/8..., of which the
limit is one. But this limit, because it is a 
limit, stands outside the series, the value of
which approacges it indefinitely but never touches
it. If in the natural world there were no other way of 
getting things save by such successive addition of 
their logically involved fractions, no complete units
or whole things would ever come into being, for the
fractions' sum would always leave a remainder. But
in point of fact nature does'nt make eggs by making 
first half an egg, then a quarter, then an eighth, etc., 
and adding them together. She either makes a whole egg 
at once, then none at all, and so of all her other 
units. It is only in the spere of change, then, where 
one phase of a thing must needs come into being before 
another phase can come that Zeno's paradox gives trouble.

☆数であらわすと、これは1/2プラス1/4プラ
ス1/8・・・・・・という収束級数のような
ものであって、その極限は一である。しかし
この極限は、まさに極限であるが故に級数の
外に立ち、級数はいくらでもこの極限に近づ
くけれども、決してそれに達することはでき
ない。もし自然の世界においてこのように論
理的な部分をつぎつぎにつけ加えていくこと
のほかには、事物をつくりだすことができな
いのだとすれば、完全な単位とか、事物全体
とかいうものは、決して生じなかったであろ
う。何故なら部分をいくら足しても常に残り
があるだろうから。しかし実際には自然は、
卵をつくる際、まず卵の半分をつくり、それ
から1/4をつくり、それから1/8をつくり、等
々のことをして、それらをよせあつめるので
はない。自然は卵全体を一ぺんにつくるか、
それとも何もつくらないかであり、ほかの自
然単位についても同様である。したがってゼ
ノンのパラドックスによって困難が生じるの
は、事物の一つの相がまず生じつぎに他の相
がこれにつけ加わるというかたちで、変化が
おこなわれる領域においてのみである。しか
もその際困難が生じるのは、変化の段階がつ
み重ねが無限に分割可能の場合だけである。
             (吉田夏彦訳)


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則天去私の文学論 『米国篇:多元的宇宙』 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe 2017