則天去私の文学論 『米国篇:多元的宇宙』

長谷部さかな 著

【本文中の記号について】
◇ 漱石文からの転記。
☆ ジェームズ文、吉田夏彦訳からの転記。
◆ ジェームズ文からの転記。     
★ 補足的事実、研究者の論文からの転記、その他。
◎ 本稿筆者の感想。

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はじめに
   2017/5/1 (月) 07:35 by Sakana No.20170501073507

05月01日 

 『文学論』を自己本位で三読、四読した結
果、夏目漱石幻の論文『則天去私の文学論』
の内容を推理するには二人のウィリアムに注
目する必要があるという認識にたどりつきま
した。沙翁ウィリアム・シェイクスピアと哲
学者ウィリアム・ジェイムズです。
 そのうち、米国篇ではウィリアム・ジェー
ムズ『多元的宇宙』をよく読み、内容をよく
理解することを目標にします。
 実は私の卒論のテーマは『プラグマティズ
ムの哲学』でしたが、なぜか『多元的宇宙』
(A Pluralistic Universe)は未読です。
 プラグマティズムの哲学を卒論のテーマに
選んだと広言するにしては、不勉強のそしり
を受けかねません。「ジェームズ教授(の文
章)は読みやすくて明快。約半分ほど残って
いたのを、三日ばかりで面白く読みおわった」
と病床の漱石は記しています。
 ところが、私の英文読解力では読みやすく
て明快とはいえないのです。漱石と私とのこ
のような知的格差を解消するために、おそま
きながら、この機会(ラストチャンス?)に
原文を読んで、ジェームズ教授の思想を理解
し、漱石の文学論への影響を推理したいと思
っていますので、ご指導ご鞭撻よろしくお願
いします。
 邦訳は吉田夏彦訳(日本教文社)を参考に
させていただきました。 (2017.05.01)


『思い出す事など』メモ(1)
   2017/5/4 (木) 09:36 by Sakana No.20170504093619

05月03日

◇ジェームズ教授の訃(ふ)に接したのは長
与院長の死を耳にした明日(あくるひ)の朝
である。

◇新着の外国雑誌を手にして、五、六頁繰っ
て行くうちに、ふと教授の名前が眼に留(と
ま)ったので、また新しい著書でも公(おお
やけ)にしたのか知らんと思いながら読んで
見ると、意外にもそれが永眠の報道であった。

◇その雑誌は九月初めのもので、項中には去
る日曜日に六十九歳を以て逝(ゆ)かるとあ
るから、指を折って勘定して見ると、丁度院
長の容体が次第に悪い方へ傾いて、傍(はた)
のものが昼夜眉を顰めている頃である。また
余が多量の血を一度に失って、死生の境に彷
徨していた頃である。

★今年の夏とは明治四十三年(1910)八月。ジ
ェームズ(1842-1910)の死は1910年8月26日。
六十九歳。長与稱吉の死は9月5日、四十四歳。

◎漱石が生死の間をさまよった頃、ジェーム
ズと長与院長が死んだのは偶然か、必然か?


『思い出す事など』メモ(2)
   2017/5/6 (土) 06:37 by Sakana No.20170506063722

05月06日

◇思うに教授の呼吸(いき)を引き取ったの
は、恐らく余の命が、痩せこけた手頸(てく
び)に、あるともないとも片付かない脉(み
ゃく)を打たして、看護の人をはらはらさせ
ていた日であろう。

◇教授の最後の著書『多元的宇宙』(1908)
を読み出したのは今年の夏の事である。

◇修善寺へ立つとき、向こうへ持って行って
読み残した分を片付けようと思って、それを
五、六巻の書物とともに鞄の中に入れた。

◇ところが着いた明日(あくるひ)から心持
が悪くて、出歩く事もならない始末になった。

◇けれども宿の二階に寝転びながら、一日二
日は少しずつでも前の続きを読むことが出来
た。無論病勢の募(つの)るに伴(つ)れて
読書は全く廃(よ)さなければならなくなっ
たので、教授の死ぬ日まで教授の書を再び手
に取る機会はなかった。

★漱石の修善寺温泉菊屋宿泊は八月六日から。


『思い出す事など』メモ(3)
   2017/5/10 (水) 07:06 by Sakana No.20170510070606

05月09日

◇病牀にありながら、三たび教授の『多元的
宇宙』を取り上げたのは、教授が死んでから
幾日目になるだろう。

◇今から顧みると、当時の余は恐ろしく衰弱
していた。仰向けに寝て、両方の肘を蒲団に
支えて、あの位の本を持ち応えているのに随
分と骨が折れた。五分と経たないうちに、貧
血の結果手が麻痺(しび)れるので、持ち直
して見たり、甲を撫でて見たりした。

◇けれども頭は比較的疲れていなかったと見
えて、書いてある事は苦もなく会得が出来た。
頭だけはもう使えるなという自信の出たのは
大吐血以来この時が始(はじめ)てであった。

★漱石が吐血したのは八月十七日、「三十分
間の死」を体験したのは八月二十四日。

◎漱石はロンドン留学中にジェームズの『心
理学大綱』と『宗教的経験の諸相』を読み、
文学的回心を体験した上で、『文学論』に着
手したのではないか?  修善寺の宿の病床で
読んだ『多元的宇宙』との因果関係は如何?


『思い出す事など』メモ(4)
   2017/5/12 (金) 06:43 by Sakana No.20170512064331

05月12日

◇『多元的宇宙』は約半分残っていたのを、
三日ばかりで面白く読みおわった。ことに文
学者たる自分の立場から見て、教授が何事に
よらず具体的の事実を土台として、類推(ア
ナロジー)で哲学の領分に切り込んで行く所
を面白く読みおわった。

◇余はあながちに弁証法(ダイアレクチック)
を嫌うものではない。また妄(みだ)りに理
知主義(インテレクチュアリズム)を厭いも
しない。ただ自分の平生文学上に抱いている
意見と、教授の哲学について主張する所の考
えとが、親しい気脉を通じて彼此相よるよう
な心持がしたのを愉快に思ったのである。

◇ことに教授が仏蘭西の学者ベルグソンの説
を紹介する辺りを、坂に車を転がすような勢
いで駆け抜けたのは、まだ血液の充分に通い
もせぬ余の頭に取って、どの位嬉しかったか
わからない。余が教授の文章にいたく推服し
たのはこの時である。

◎坂に車を転がすような勢で駆ける文とは?


『思い出す事など』メモ(5)
   2017/5/15 (月) 07:10 by Sakana No.20170515071003

05月15日

◇今でも覚えている、一間(ひとま)置いて
隣にいる東君をわざわざ枕元へ呼んで、ジェ
ームズは実に能文家だといって聞かせた。

◇その時東君は別にこれという明瞭な答をし
なかったので、余は、君、西洋人の書物を読
んで、この人のは流暢だとか、彼人(あのひ
と)のは細緻だとか、凡て特色のある所がそ
の書きぶりで、読みながら解るかいと失敬な
事を問い糺(ただ)した。

◇教授の兄弟にあたるヘンリーは、有名な小
説家で、非常に難渋な文章を書く男である。
ヘンリーは哲学のような小説を書き、ウィリ
アムは小説のような哲学を書く、と世間でい
われている位ヘンリーは読みづらく、またそ
の位教授は読みやすく明快なのである。

◎ヘンリーは、心理主義の作家として知られ
ている。彼の哲学のような小説はたしかに読
みづらいが、それに対してウィリアムの文章
が読みやすく明快であると思うためには漱石
並の英文読解力が求められる。


『思い出す事など』メモ(6)
   2017/5/18 (木) 07:37 by Sakana No.20170518073757

05月18日

◇ーー病中の日記を検(しら)べて見ると九
月二十二日の部に、「午前ジェームスを読み
終わる。好い本を読んだと思う」と覚束ない
文字で認(したた)めてある。名前や標題に
欺されて下らない本を読んだ時ほど残念な事
はない。この日記は正にこの裏をいったもの
である。

◇余の病気について治療上色々好意を表して
くれた長与病院長は、余の知らない間にいつ
か死んでいた。余の病中に、空漠なる余の頭
に陸離の光彩を抛(な)げ込んでくれたジェ
ームス教授も余の知らない間にいつか死んで
いた。二人に謝すべき余はただ一人生き残っ
ている。

◎「好い本」という『多元的宇宙』はどこが
どんな風に好いか?「菊の雨われに閑ある病
哉」という俳句からも漱石は病気のおかげで
「好い本」を読む機会に恵まれたことがわか
り、読者の私も苦労してでも読む価値のある
本だろうということも想像はできる。



『思い出す事など』メモ(7)
   2017/5/21 (日) 07:16 by Sakana No.20170521071603

05月21日

◇ジェームズ教授の哲学思想が、文学の方面
より見て、どう面白いかここに詳述する余地
がないのは余の遺憾とする所である。

◇また教授の深く推賞したベルグソンの著書
のうち第一巻は昨今漸く英訳になってゾンネ
ンシャインから出版された。その標題はTime 
and Free Will(時と自由意思)と名づけてあ
る。著者の立場は無論故教授と同じく反理知
派である。

◎ジェームズの哲学思想が、文学の方面より
見て、どう面白いかを漱石が詳述してくれな
かったのは、読者としても遺憾とする所だが、
なんとかして読み、類推するしか道はない。

◎ジェームズやベルクソンは反理知派といっ
ても、反理知的な人物(非インテリ)ではな
い。宗教や迷信や笑いのような反理知的な現
象も含めて理知的に考察することをいとわな
い理知的なインテリ哲学者である。ベルクソ
ンの著書は『時間と自由』のほかに『笑い』
『物質と記憶』『道徳と宗教の二源泉』など。


主知主義に対するベルグソンの批判
   2017/5/24 (水) 08:37 by Sakana No.20170524083718

05月24日

Lecture VI: Bergson and His Critique of Intellectualism, 
A Pluralistic Universe

◆"I gave you a very stiff lecture last time, 
and I fear that this one can be little less 
so. The best way of entering into it will 
be to begin immediately with Bergson's 
philosophy, since I told you that that was 
what had led me personally to renounce the 
intellecualistic method and the current 
notion that logic is an adequate measure of 
what can or cannot be." 

◎この英文ではじまる文章を読んで、病み
上がりの漱石は「読みやすく明快である」
というが、私にとっては読みやすくはない
し、明快でもない。これこそ、多元的宇宙
を象徴する現象ではなかろうか?つまり、
多元的宇宙における知的格差という現象だ。

◎しかし、読書百遍義自ら通ず("Read a hundred
times over, and the meaning will become 
clear of itself.")という。なんとかなる。


主知主義に対するベルグソンの批判(邦訳)
   2017/5/27 (土) 06:02 by Sakana No.20170527060203

05月27日

☆前回の講義は大変固苦しいものであった
が、今回の講義もそうなりはしないかと心
配である。講義をはじめる一番いいやり方
は、ベルクソン哲学にただちに入ることで
あろう。というのも前にもはなした通り、
この哲学のおかげで私は、主知主義的な方
法や、論理はありうるものとありえないも
のとの正しい尺度であるという現代流行の
考え方をすてることができたからである
            (吉田夏彦訳)

◎訳文のおかげで原文の理解がいくらか進
んだが、「読みやすく明快である」とまで
はいかない。特に「主知主義的な方法」や
「論理はありうるものとありえないものと
の正しい尺度であるという現代流行の考え
方」とはどういう意味かと考えさせられた。

◎主知主義的な方法とは?論理はありうる
ものとありえないものとの正しい尺度とは?


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則天去私の文学論 『米国篇:多元的宇宙』 長谷部さかな 著
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