則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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   2017/5/4 (木) 11:17 by Sakana No.20170504111755

05月04日

・古池や蛙飛び込む水のをと  松尾芭蕉 

  貞享三年(1686)作で、正風開眼の句と
されている。各務支考の『俳諧十論』によ
れば、芭蕉が始めて幽玄の體に眼を開き、
「是より俳諧の一道は弘まりけるとぞ」。
 古今随一という評価は動きそうもないが、
私は単純素朴な疑問にとりつかれた。この
句は芭蕉が狂歌師竹斎のふりをやめ、狂句
を超越した句といえるだろうか、それとも、
やはり狂句の類そのものなのだろうか?
 その二年前、貞享元年(1684)の十月か
ら十一月にかけて、名古屋に滞在した芭蕉
は、「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」
という発句を詠んだ。これに地元の俳人野
水が、「たそやとばしるかさの山茶花」と
七七の脇を付け、以下、五人の俳人により
三十六句の歌仙一巻を完成させている。


はじめに
   2017/5/1 (月) 07:41 by Sakana No.20170501074126

05月01日 

  夏目漱石の幻の論文『則天去私の文学論』
の内容を推理するための資料として、『英国
篇:薔薇戦争』『米国篇:多元的宇宙』のほ
かに『日本篇:俳諧狂句』のペーパーを追加
します。
 『文学論』序には、「漢学に所謂文学と英
語に所謂文学とは到底同定義の下に一括し得
べからず異種類のものたらざるべからず」と
ありますが、異種類のものもサンプルを出し
て比較研究しなければ、「根本的に文学とは
如何なるものぞ」という問いへの答が見つか
りそうもありません。
 「漢学に所謂文学」なら左国史漢を学べば
よいのですが、それには子供の頃から四書五
経の素読からはじめる必要があります。残念
ながら現代日本人にはその習慣はすたれてい
ます。
 一方、『文学論』には断面的文学への言及
があります。曰く、「吾が邦の和歌、俳句も
しくは漢詩の大部分の如きは皆この断面的文
学に外ならず。故に、その簡単にして、実質
少なき故を以てその文学的価値を云々するは
早計なりといふべし」。
 幸いにして俳句や川柳は現代日本において
もすたれていません。漱石も俳句や漢詩を詠
んでいます。『吾輩は猫である』や『草枕』
には俳句や漢詩が引用されているところをみ
ると、断面的文学が漱石の小説の基本成分に
なっていることはまちがいありません。文学
的内容の種類や基本成分については『文学論』
第一編で詳述されています。
 そこで、私は滑稽的連想という文芸上の真
を伝える手段を武器とする俳諧(狂句、俳句、
川柳)に注目し、自己本位の分類と鑑賞を試
みてみようと思いつきました。
 文学的内容の種類と基本成分を収集分類す
る資料としては、『文学論』のほか『犬筑波
集』『芭蕉七部集』『おくのほそ道』『武玉
川』『柳多留』、潁原退蔵『俳諧名作集』、
東野大八『川柳の群像ー明治・大正・昭和の
川柳作家100人』などを参考にさせていた
だきます。
              (2017.5.01)


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
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