則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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時計
   2017/7/30 (日) 07:20 by Sakana No.20170730072039

07月30日

・いつも鳴らない目覚まし時計  千田佳代

 私は目覚まし時計を持っていない。懐中
時計も柱時計もこわれたままで動かない。
頼りになるのは体内時計だけ。
 林富士馬『川柳のたのしみ』で掲句の解
説を読むと、こんなことが書かれている。
 「周知の如く「川柳」は前句付けから独
立して、その卑俗で独自な文学を築いたの
であった。私にとっては「川柳」もまた、
芭蕉の偉大さ、なつかしさを知れば、それ
でよいのである」
 よくわからないが、芭蕉が目覚まし時計
や懐中時計を持って、旅をしていたとは思
えない。芭蕉の偉大さ、なつかしさを知る
ためには、私も体内時計だけあればよいと
言い聞かせている。



一日と一年
   2017/7/27 (木) 07:26 by Sakana No.20170727072647

07月27日

・一日は長し一年すぐにたち     渓々

 一日は二十四時間、一年は三百六十五日。
したがって、「一年は長し、一日すぐにた
ち」というのが常識的物理的な時間感覚だ
が、心理的な時間感覚では、「一日は長し、
一年すぐにたち」である。
 この句は、林富士馬『川柳のたのしみ』
に載っているが、作者の渓々の経歴がよく
わからない。「近代文学と違って私は川柳
の特徴を無名性としてきた」と林富士馬は
いう。そういえば、『柳多留』の名句の多
くは作者の名前がわからない。それに比べ
れば、渓々は名前が伝わっているだけでも
ましなほうかもしれない。
 ヒポクラテス曰く、芸術は長く、人生は
短し。(Ars longa, vita brevis.)


大根の葉
   2017/7/24 (月) 07:47 by Sakana No.20170724074713

07月24日


・流れゆく大根の葉の早さかな    虚子

 最上川でもないし、保津川の急流でもない。
九品仏の浄真寺で句会を行ったあと、寺から
多摩川の方向に散策に出かけ、九品仏川を流
れてゆく大根の葉の早さに目をつけて詠んだ
と伝えられている。無常迅速の世の中を流れ
る作者の心が大根の葉に投影されているのか
もしれない。
 しかし、大根の葉に身をたくさなくても、
人生は無常迅速である。一寸の光陰軽んじる
べからず。思い立ったが吉日。時は金なり。
善は急げ。
 とはいうもの、急がば回れ、ともいう。短気
は損気。急いては事を仕損じる。果報は寝て
待て。慌てる乞食はもらいが少ない、待てば
海路の日和あり。


ほととぎす(2)
   2017/7/21 (金) 07:14 by Sakana No.20170721071448

07月21日

・光陰の一幕過ぎてほととぎす 机鳥評宝十三812・拾一15

 宝暦十三年(1763)の作。「光陰の一幕」
とは、千代女が「ほととぎすほととぎすとて
明けにけり」の句を得た一夜のことを指して
いると思うが、千代女がその句を詠んだ享保
二年(1717)からみると、46年の光陰が過ぎ
ている。
 机鳥は柄井川柳と同様、前句付の点者の一
人であり、作者ではない。前句は「つきぬ事
かなつきぬ事かな」。
 理屈をいえば、光陰の一幕が過ぎたという
ことは一件落着であり、「つきた」ことであ
るから、「つきぬ事かな」ではない。
  また、千代女の没年は安永4年(1774)だか
ら、光陰の一幕過ぎてから77年後、机鳥評か
ら11年後という計算になる。


ほととぎす
   2017/7/18 (火) 04:54 by Sakana No.20170718045441

07月18日

・ほととぎすほととぎすとて明けにけり 千代女 

 千代女は、元禄十六年(1703)に加賀国松任
町(現在の石川県白山市)に生まれた。享保
二年(1717)の夏頃、美濃派各務支考の門人
仙石盧元坊という俳人がひよっこり松任にあ
らわれた。当時十四歳の千代女が盧元坊の宿
を訪れ、弟子入りを志願したところ、「ほと
とぎす」という夏の季題の句をつくって見せ
るようにと言われた。
 夜になり、盧元坊は寝てしまったが、千代
女は一睡もせず、句作りに熱中し、白山連峰
が白みはじめる頃、一句ひらめいた。その句
をみて、盧元坊は喜んで千代女を弟子にする
ことにした。支考に次いで美濃派の指導者に
なった盧元坊は、美濃派に天下の女俳諧師あ
りと千代女を大いに吹聴したという。


春おしむ
   2017/7/15 (土) 06:55 by Sakana No.20170715065510

07月15日

・白髪同士春を惜しむもばからしや    一茶

 今は次の瞬間には今ではない。過去になっ
てしまう。時よとまれと言っても、止まって
はくれない。「月日は百代の過客にして、行
きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ
馬の口をとらえて老をむかふる者は、日々旅
にして、旅を栖とす」と、奥の細道の旅に出
かけた芭蕉は「行春や鳥啼魚の目は涙」から
「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」までの時を
詠み込んだ。それ以前にも、「行く春を近江
の人とおしみける」と詠んでもいる。
 ところが、一茶は、白髪の老人たちが集ま
って「白髪同士春を惜しむもばからしや」と
いう。芭蕉翁の風雅を皮肉っているのか、そ
れとも老残の境遇にあるわが身を自嘲してい
るのか。


春の海
   2017/7/12 (水) 07:50 by Sakana No.20170712075022

07月12日

・春の海ひねもすのたりのたりかな  蕪村

  芭蕉の時間は早く、蕪村の時間は遅く流れ
 る。その理由の一つは芭蕉が旅人だったのに
 たいして、蕪村がひきこもりがちの定住民だ
 ったからではなかろうか。「のたりのたり」
という擬音が定住民の時間の感覚を表現する
 のに絶妙の効果をあげていると思う。
  この句は、丹後与謝の海を詠んだといわれ
 ている。京都には海がないと思っていたが、
 丹後与謝の海は京都の内だ。やはり定住民タ
イプの私は見たことがないが、日本三景の一
つ、天橋立のあたりの海らしい。
  もしかしたら、「思ふことなくてや見まし
 よさの海の天の橋立都なりせば」という赤染
 衛門(千載集)の古歌をふまえているのかも
 しれない。



五月雨
   2017/7/9 (日) 04:55 by Sakana No.20170709045556

07月09日

・五月雨をあつめて早し最上川   芭蕉、

 最上川は、みちのくより出て、山形を水上
とす。その川の流れが五月雨をあつめて早い
というのである。この世はまさに最上川の如
し。ドナルド・キーンの英訳を拝借して、英
語で表現された無常迅速を味わってみよう。
       Gathering seawards
    The summer rains, how swift it is!
          Mogami River.
 夏の雨を集めて、海へ向かい、なんと早く
流れることよ、最上川。
 ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。
板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。・・
・・・・左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。
白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に
臨て立。水みなぎって舟あやうし。


ときは今
   2017/7/6 (木) 08:57 by Sakana No.20170706085753

07月06日

・ときは今天が下しる五月哉  光秀

  敵は本能寺にありと、本能寺に泊まってい
た織田信長を急襲して主殺しを果たした明智
光秀がその9日前に連歌師・里村紹巴を招い
て京都・愛宕神社で光秀が設けた連歌(愛宕
百韻といわれる)の発句である。
 愛宕百韻を巻き終えたのは、天正10年
(1582)5月24日 辰の刻 午前八時だが、
光秀は戦国大名土岐氏の一族だったので、織
田氏に代わって土岐氏が天下を治める時がい
たという意味がこめられていたともいわれる。
後者の意味の場合は、謀反の決意表明ともと
れるので、連歌師紹巴も謀反への関与を疑わ
れた。光秀の発句には威徳院行祐の「水上ま
さる庭の夏山」が続き、第三に紹巴が「花落
つる池の流をせきとめて」と詠んでいる。



   2017/7/3 (月) 07:37 by Sakana No.20170703073744

07月03日

・松も時なり竹も時なり  道元

 『正法眼蔵』第二十 有時に、「松も時な
り、竹も時なり。時は飛去するとのみ解會す
べからず」という句がある。道元は俳諧狂句
を詠んだつもりはなかっただろうが、形式は
七七、内容は感覚F(時間)篇にふさわしい
ので、借用した。許されよ、道元禅師。
 松も植物、竹も植物にはちがいないが、物
質に時があるように、動物にも植物にも時が
ある。その時は飛去(ひえ)するとのみ解會
(げえ)するべからずーー飛び去るものとの
み理解してはいけない。光陰矢の如し、過ぎ
去ったものは取り返しがつかないと、と嘆い
てばかりは愚の極み。一切世界のすべてが自
己のうちにあり、一切世界の事事物物が、み
な時であることを自覚せよ。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
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