則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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大仏
   2017/9/24 (日) 10:31 by Sakana No.20170924103150

8月26日

・大仏が立つと五畿内一と目なり 井上剣花坊

 奈良の大仏は中学生の頃、はじめて見た。
座像だが、非常に大きく見えた。立つと、五
畿内が一と目なり、と言われても信じたにち
がいない。もっとも、当時の私には五畿内と
いう地名がどこかがわからなかった。
 五畿内とは、山城国(京都市以南)、大和
国(奈良県)、河内国(大阪府東部)、和泉
国(大阪府南西部)、摂津国(大阪府北中部
および兵庫県神戸市須磨区)だそうだ。
 大仏の座高は約15メートル、立ってもせ
いぜい30メートルだろう。その程度で五畿
内が一と目で見渡せるかどうか。
 作者の剣花坊は、もしかすると、明治45
年に完成した通天閣を大仏の立った姿と見立
てたのかもしれない。現在の通天閣は二代目
だが、高さは100メートル以上で、展望台
から五畿内が一と目で見渡せるかもしれない。


枯野
   2017/9/24 (日) 10:29 by Sakana No.20170924102904

8月23日

・遠山に日の当たりたる枯野かな 虚子

 遠景と近景を対照させて詠んだ客観写生の
秀句として名高い。眼前に広がるのは枯野、
遠くに見えるのは山。その山にだけ日が当た
っているので、枯野は寒々として見える。
 「自句自解」によれば「静寂枯淡の心境を
詠ったものである」という。客観写生を唱道
しながら日本人の伝統的な美意識につながる
主観を詠んでいるのだ。
 ところが、結城昌治『俳句は下手でかまわ
ない』によれば、「私は不勉強なものですか
ら、最近気がついたのですが、蕪村に似たよ
うな句があるんです」という。「遠山に夕日
一すじ時雨哉」だ。「類句といえば類句です
けれども、こういうことは免れないんで・・
・」ともいう。類句は俳諧狂句の宿命らしい。


鶏頭
   2017/8/20 (日) 07:40 by Sakana No.20170820074015

8月20日

・鶏頭の十四五本もありぬべし 子規

 写生句のようで、写生句ではない。病牀六
尺で寝たきりの作者が、庭には鶏頭が十四五
本もあるだろうと想像している。縁に出て庭
を眺めれば何本あるか確認できるのだが、寝
たきりの病人ではそれもままならない。
 「病牀六尺、これがわが世界である。しか
もこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。
僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、
蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事
も出来ない。甚しい時は極端の苦痛に苦しめ
られて五分も一寸も体の動けない事がある」。
 それでも、病牀の外の空間である庭に鶏頭
が十四五本あったという記憶が残っている。
今ごろは鶏頭の赤い花が咲いていることだろ
うと想像を広げてみる。


雪五尺
   2017/8/17 (木) 07:25 by Sakana No.20170817072509

8月17日

・是がまあ終(つひ)の住み処(か)か雪五尺 一茶

 雪が五尺(約2メートル)も積もる豪雪地
帯、信濃北部の北国街道柏原宿は、一茶生
誕の地であり、終の住み処でもあった。
 「是がまあ終の住み処か」とは、どんな感
慨だろう。まあ何と狭い、小さい住み処であ
ることよと慨嘆しているのか、それとも、ま
あなんとかこれだけの住み処を自分のものす
ることができたことよと満足しているのか。
 一茶の生涯をふりかえると、継母との折合
いが悪く、14歳のとき、江戸へ奉公に出て、
苦労を重ねたが、俳諧狂句の世界で名をあげ
た。遺産相続では12年間継母と争った結果、
家屋敷半分と田4〜6反、畑3反歩、山林3ヵ所
を確保し、嫁も貰った。可もなし、不可もな
し、「めでたさもちう位なりおらが春」か。


部屋の広さ
   2017/8/14 (月) 07:13 by Sakana No.20170814071317

8月14日

・起きて見つ寝て見つ部屋の広さかな 千代女(?)

 部屋の広さを詠んだ句として私の記憶の奥
底に残っている。千代女は加賀の国松任の表具
屋の娘。表具屋とはいえ、さすがは加賀百万石
の領内では表具屋の部屋も広いんだろうなと思
っていた。
 ところが、清水昭三『花の俳人 加賀千代
女』を読んでも、なぜかこの句が見当たらな
い。どうやら千代女の作品ではないらしい。
一説によれば、浮橋という遊女の句で、しか
も「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」と
いうのが正しい表記だという。
 仕方がないので、千代女作で空間を詠んだ
句を探し、「蝶はゆめの名残わけ入る花野か
な」を見つけた。蚊帳を詠んだ句なら「責め
る蚊をつかみ喰いたき侘寝かな」。


大河
   2017/8/11 (金) 07:56 by Sakana No.20170811075649

8月11日

・五月雨や大河を前に家二軒      蕪村

 孔子川上にありて曰く、「逝(ゆ)く者は
斯(か)くの如きか。昼夜を舎(お)かず」。
鴨長明曰く、「行く川のながれは絶えずして、
しかも本の水にあらず」。いずれも大河を前
にして、此の世の無常迅速を嘆じている。
 先人にうながされて、おくの細道の旅に出
かけた芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上
川」と詠んだ。
 蕪村には無常迅速の観念はとぼしい。五月
雨が降っていて、大河を前に家二軒があると
いう景色をそのまま詠んでいるだけだ。大河
が氾濫して家二軒は流失してしまうかもしれ
ないのに、何の心配もせず、何の対策もとら
ない無能の画家である。ひたすら絵筆をとっ
て、大河の前の家二軒を写生するのみ。


菜の花
   2017/8/8 (火) 08:22 by Sakana No.20170808082234

8月08日

・菜の花や月は東に日は西に     蕪村

 菜の花を眺める。一息ついて、天を仰ぐと、
東の空から月が昇り、西の空に太陽が沈みか
けている。大地の菜の花は動かない。眺めて
いる人間も動かない。空間は<天地人>が位
置を定め、時間は<永遠の今>でとまる。
 作者の蕪村はこの句を詠んだとき、柿本人
麻呂の古歌を念頭に置いていたかもしれない。
「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立
つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」。
 しかし、「月傾きぬ」という表現には動き
がある。月は沈みかけているのだ。一方、
「炎(かぎろひの立つ)」は、日が昇りかけ
ていることを示す。すると、蕪村の句も月が
沈み、日が昇りかけているのだろうか。動い
ていないように見えて動いている。


いらご崎
   2017/8/5 (土) 05:43 by Sakana No.20170805054305

8月05日

・鷹一つ見付けてうれしいらご崎   芭蕉

 「かれ狂句を好むこと久し。終(つい)に生
涯のはかりごととなす」という芭蕉は貞享4
 (1687) 年 10月、「笈の小文」の旅に出た。
  西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の画、利休
の茶と貫道する風雅をきわめる旅だが、愛す
る杜国 (とこく)との男色の道をきわめるた
めの旅でもあったともいわれる。伊良子岬で
見付けた鷹とは杜国のこと。杜国は米穀商だ
ったが、空米売買の罪で両国追放の身となっ
ていた。そんな罪の鷹を見付けてうれしとい
うのはかなり危ない句ともいえる。
 その200年後、島崎藤村が伊良子岬で
「流れ寄る椰子の実一つ」という流離の詩を
つくった。藤村自身が椰子の実を拾ったわけ
ではなく、友人の柳田国男からきいた話を詩
にしたのだといわれる。


天の河
   2017/8/2 (水) 07:14 by Sakana No.20170802071434

8月02日

・荒海や佐渡に横たふ天の河  芭蕉

 海と島と空、荒海と佐渡島と天の河、とい
う雄大な空間を一望のうちにとらえた旅人の
感動を十七音の言葉で表現した名句といわれ
ているが、異論も多い。
 その時期(7月4日夕刻)、新潟の出雲崎
から佐渡島の方向を眺めても天の河は見えな
いという人がいる。「曽良日記」には「夜中、
雨強降」とあるので、空を仰いでも天の河は
見えなかったはずという人もいる。そもそも
天の河が佐渡島に横たうことは物理的にあり
得ないという人もいる。
 しかし、発句を狂句と考えれば、謎は消え
る。狂句はリアリズムではない。写実とみせ
かけて虚構、虚構とみせかけて実は秘密の通
信だった、ということもあり得る。


『俳諧狂句』第三類 感覚F(時間) 
   2017/7/31 (月) 10:02 by Sakana No.20170731100204

『俳諧狂句』第二類 感覚F(時間)2017年7月 

松も時なり竹も時なり             道元
ときは今天が下しる五月哉      光秀
五月雨をあつめて早し最上川      芭蕉、
春の海ひねもすのたりのたりかな    蕪村
白髪同士春を惜しむもばからしや      一茶
ほととぎすほととぎすとて明けにけり 千代女
光陰の一幕過ぎてほととぎす         机鳥評宝十三812・拾一15
流れゆく大根の葉の早さかな        虚子
一日は長し一年すぐにたち         渓々
いつも鳴らない目覚まし時計        千田佳代

  夏目漱石『文学論』は文学的内容を感覚F、
人事F,超自然F、知識Fの4種に分類してい
る。感覚Fのうち時間の感覚らしきものを表現
したと思われる十句を並べてみた。時は金なり、
というが、松も時なり竹も時なりともいう。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe 2017