則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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   2017/12/11 (月) 07:45 by Sakana No.20171211074543

12月11日

飛びついて手を握りたい人ばかり 剣花坊

 握手、つまり、手を握るという行為には、相手
にたいして好意を示すという意味合いがあるが、
古い日本人は握手などしなかったという気がする。
手を握るよりも頭を下げるほうが日本人の礼儀作
法だ。たとえば、正岡子規と夏目漱石は親友だっ
たが、子規と漱石が握手する光景は私には想像し
にくい。
 ところが、子規が「日本新聞社」に俳句を載せ
て俳句の革新運動をはじめたのは明治二十六年だ
が、井上剣花坊が同じく「日本新聞」で川柳の革
新運動をはじめたのはその十年後の明治三十六年
である。
 明治の日本人でも「飛びついて手を握りたい人
ばかり」とは微笑ましいが、あるいは俳句と川柳
の形式の違いを示しているのかもしれない。



   2017/12/4 (月) 06:52 by Sakana No.20171204065218

12月04日

手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ     虚子

 寒い日に、手で顔を撫でてみれば、なるほど、
鼻は冷たさを感じる。突起しているので、冷たい
空気に敏感になるからだろう。耳も冷たいが、耳
の冷たさは手で顔を撫でなくてもわかる。
 昭和24年の作。ということは、第二芸術論争
はなやかなりし頃である。桑原武夫に見せれば、
こんな馬鹿馬鹿しい句をぬけぬけと発表するのは
俳句が第二芸術の証拠だと言うだろう。
 しかし、第一芸術の小説にも第二芸術の俳句に
も希有の才能を発揮した芥川龍之介は昭和2年に
自殺する前、「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」とい
う辞世の句を詠んでいる。
 龍之介は虚子の主宰する「ホトトギス」にも投
句していた。虚子は、龍之介の句を思い出しなが
ら鼻の冷たさを撫でたのだろうと推察する。



   2017/11/27 (月) 06:23 by Sakana No.20171127062332

11月27日

日のあたる石にさはればつめたさよ   子規

 日陰の石はともかく、日のあたる石ならすこし
はぬくもりがあるだろうと思うが、さわればやは
りひんやりとつめたい。このつめたさはどこから
くるか。おそらく、つめたさは石の本質なのだ。
 それにたいして人間の身体はあたたかい。血液
が全身くまなくゆきわたっているからだ。しかし、
死ぬと血液の流れはとまり、屍体は死後約十時間
でつめたくなる。つまり人間は死ねば石になる。
 もっとも、死後十時間前後からはただの石では
なく、腐臭を発する。数日か数ヶ月か数年を経て
腐臭がなくなると、白骨になる。その状態になっ
たときが、真の意味において、石になったといえ
る。屍体は火葬場で焼却すれば、たちまち白骨に
なるが、自然の状態で放置しておけば、三年位は
かかるかもしれない。石になるも三年。



   2017/11/20 (月) 06:10 by Sakana No.20171120061016

11月20日

心からしなのの雪に降られけり 一茶

 雪の触覚ないし触感が伝わってくる句。頭や
顔や手足だけでなく、心にも心臓にも脳にも雪
がしみこむようにふれてくる。その雪は信濃の
雪である。
 一茶は信濃北部の柏原宿で生まれた。継母と
の折り合いが悪く、出奔して江戸に出て俳諧師
になったが、39歳のとき、帰省して父の死を
みとり、以後12年間、遺産相続で継母と争い、
文化5年(1808年)末に、ようやく遺産の半分を
貰うことができた。取り分は田4〜6反、畑3反歩、
山林3ヵ所、他に家屋敷半分、世帯道具一式。
 たいした財産ではないが、しがない俳諧師の
暮らしよりはまし。江戸の雪よりも信濃の雪の
ほうが肌にあったのか、「これがまあ終(つひ)
の栖(すみか)か雪五尺」の地で生涯を終えた。



   2017/11/13 (月) 07:23 by Sakana No.20171113072321

11月13日

やれ打つな蠅が手を摺り足を摺る    一茶

  うるさい蠅を叩こうとすると、蠅は手をすり、
 足をすっている。まるで、命だけはお助けくだ
 さいと、哀願しているように見える。可愛そう
 だから、叩くのをやめようという句意だろう。
  一茶には蠅だけでなく、蛙や雀のような小動
 物を詠んだ句が多い。弱者の命にを思いやる、
やさしい性格だったかもしれないが、自分自身
を小動物に投影した感情移入の句ともとれる。
  そのように解釈すると、手をすり足をすって
 いる蠅は一茶である。手足の触覚を感じながら、
 懸命の身振りで「命だけは助けてください」と
哀願しているのだ。おかげで72歳まで長生き
 ができた。もっとも、蠅には褥盤という味を感
じる器官があるという。「手をすり足をする」
 行為は触覚ではなく、味覚のためかもしれない。



   2017/11/6 (月) 06:43 by Sakana No.20171106064337

11月06日

我骨の蒲団にさはる霜夜哉  蕪村

  寒さが骨身にしみるような霜夜を経験したこ
とは私にもあるが、骨が蒲団にさわったことは
一度もない。人間の骨は皮膚につつまれている
ので、たとえ骨皮筋右衛門のようにガリガリに
痩せても、骨が直接、蒲団にさわることはあり
えない。
 したがって、蕪村がこの句であたかも触覚で
あるかのように表現たのは俳諧的誇張である。
客観写生の句ではない。
 とはいえ、触覚が文学的内容の基本成分にな
っているとはいえる。現実にさわらないにして
も、骨が直接、蒲団にさわると言い切ることに
よって霜夜の寒さを誇張して表現しているので
ある。蕪村が単なる客観写生の詩人や郷愁の詩
人ではないことはこの句からもうかがえる。


琵琶
   2017/10/30 (月) 06:29 by Sakana No.20171030062946

10月30日

行く春や重たき琵琶の抱きごヾろ       蕪村

 私は平家琵琶を聴いたことがある。したがっ
て、琵琶がどのような楽器かはわかっているが、
さわったことはなく、弾いたこともない。どん
な抱きごヾろかと問われてもわからないが、ギ
ターのようなものかもしれない。行く春や重た
きギターの抱きごヾろ。
 ギターには軽いものもあれば、重いものもあ
る。重量が同じギターでも、季節によっては軽
く感じたり、重く感じたりする。春も過ぎ行こ
うとする頃は、心理的に物憂い気分になり、ギ
ターを重く感じるかもしれない。
 琵琶は座って弾くのがふつうだと思うが、ギ
ターは立って弾くことが多い。重いギターを抱
き、立ったまま弾き続けると、肩がこる。琵琶
もギターも弾き心あれば抱きごヾろ。


掌に虱這はする
   2017/10/23 (月) 07:54 by Sakana No.20171023075434

10月23日

手のひらに虱這はする花のかげ  芭蕉

 「虱這はする」というと、わざわざ虱を這
わせてやっているという余裕を観じる。しか
も、「花のかげ」とくれば風流だ。花が散っ
て、葉桜の候になれば、「毛虫這はする」に
なるかもしれない。
 しかし、たとえ風流にしても、虱や毛虫を
手のひらに這わせて、その触覚を楽しむとい
う趣味は私にはない。『猿蓑』「市中は」名
残の裏六句を味読することにとどめよう。
 さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
  浮世の果は皆小町なり     芭蕉
 なに故ぞ粥すゝるにも涙ぐみ   去来
   御留守となれば廣き板敷    凡兆
 手のひらに虱這はする花のかげ  芭蕉
  かすみうごかぬ昼のねむたさ  去来


紅の花
   2017/10/16 (月) 06:46 by Sakana No.20171016064603

10月16日

行く末は誰が肌ふれむ紅の花    芭蕉

 「紅の花」は「紅花」、「おくのほそ道」
では陸奥から出羽の国に入った芭蕉が尾花沢
あたりで「まゆはきを俤にして紅粉の花」と
いう句を詠んでいる。当時、最上川流域は紅
花の産地で、主に染料や化粧品の原料として
京都や大坂で珍重されていた。
 まゆはき(眉掃き)は白粉(おしろい)を
付けた後、眉を払う刷毛(はけ)。そのまゆ
はけをおもかげにしているようだ、かの美し
く咲いている紅の花は、という眼前嘱目の句
意だろう。
 それに対して「行く末は誰が肌ふれむ紅の
花」は、いずれ誰かの肌にふれるだろうが、
それは誰か。美人だろうか不美人だろうかな
どと空想、妄想をたくましくさせてくれる。


巨燵
   2017/10/9 (月) 07:25 by Sakana No.20171009072511

10月09日

  慎めや巨燵にて手のさはること  青木春澄

  感覚Fのうち触覚を詠んだ句である。巨燵
 (こたつ)の中で誰かの手をさわるのは慎み
 なさいという句意はよくわかるが、こんな月
 並な教訓じみた作品は駄句にきまっている。
  作者も平凡な俳諧師にちがいない。『俳家
 奇人談』には、「青木春澄は初め重頼の門に
 して、後貞恕の弟子となる」と紹介されてい
 る。「あるひはいふ、頼の門徒に重栄、重方、
 重好、重貞あり。これを四重といふ。その長
たり。澄その列に入らん事を欲す。頼ゆるさ
 ず。澄これを強ふ。ゆゑに破門して貞恕に属
せりと」。
  松江重房は『犬子集』『毛吹草』の著者と
 して知られているが、貞恕の名前は『俳家奇
 人伝』にも見当たらない。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe 2017