則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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夜寒
   2018/1/15 (月) 07:13 by Sakana No.20180115071331

01月15日

巫女(かんなぎ)に狐恋する夜寒かな    蕪村

 人間にとって夜寒は恋をする気分になれそ
うもないが、狐なら夜寒でも恋をするかもし
れない。その恋の相手は人間の巫女(かんなぎ)
という想像の句である。狐に恋された巫女は
嬉しいだろうか。
 狐が鳥羽上皇に仕える美しい女官に化け、
上皇の寵愛を受けたと伝えられるのは玉藻前
である。上皇は体調をくずし、病に伏せった。
医師たちにはその原因がわからなかったが、
陰陽師の安倍泰成が玉藻前の仕業と見抜いた。
陰陽師が真言をとなえると、玉藻前は正体を
あらわし、九尾の狐の姿になって、行方をく
らます。その後、狐は那須野で毒石に変化し、
旅人を悩ませたという。芭蕉の「おくのほそ
道にいう。「殺生石は温泉に出る山陰にあり」。


涼しさ
   2018/1/24 (水) 07:53 by Sakana No.20180124075305

01月22日

立涼み寝涼みさても涼しさよ  一茶 

  立っても涼しいし、寝ても涼しい。何とい
う涼しさだろう、というだけの句だと思う。
加賀千代女の作と誤り伝えられている「起き
て見つねて見つ蚊帳の広さかな」と似たよう
な単純な反復(リフレイン)だが、「蚊帳の
広さ」は空間であり、「涼しさ」は温度。
 温度は涼しければよいというものでもない。
やはり一茶に「大の字に寝て涼しさよ淋しさ
よ」という句がある。涼しさがきわまれば淋
しくなるのかもしれない。
  「起きて見つねて見つ蚊帳の広さかな」と
いう句は、「起きて見つ寝て見つ部屋の広さ
かな」というかたちで、後世に伝わっている
が、作者は千代女ではなく、遊女浮橋らしい。
(『俳諧狂句』2017年8月14日参照)。


酒あたためて
   2018/1/29 (月) 07:06 by Sakana No.20180129070643

01月29日

厳寒に酒あたためて紅葉鍋 柳多留百二十八編

 牡丹鍋はイノシシの肉、紅葉鍋シカの肉の
鍋のことである。厳寒に酒をあたためて、イ
ノシシやシカの肉を食べると、ご馳走である
上に、精力がつくことを江戸時代の人々は知
っていた。病人が喰うのを「薬喰い」と言っ
て、俳諧のことばにもなっていたらしい(林
富士馬『川柳のたのしみ』)。

 薬喰ひ隣の亭主箸持参  蕪村
 相伴に猫も並ぶや薬喰い 一茶

 肉食は穢れ(神道)、殺生戒(仏教)とし
て江戸時代の人々のタブーとされ、牛肉や豚
肉は口にしなかったが、馬肉は桜鍋と称して
庶民の腹をあたためるご馳走とみなされてい
た。吉原や深川の馬肉料理店はけとばし屋と
いって、繁盛していたという。


はなまにえの時
   2018/2/5 (月) 08:21 by Sakana No.20180205082103

02月05日

五右衛門はなまにえの時一首よみ 古川柳

 天下の大盗石川五右衛門は、太閤豊臣秀吉秘蔵
の香炉に手をつけて捕らわれ、京都三条河原で釜
ゆでの刑に処せられた。
 
 石川の浜の真砂はつきるとも世に盗人のたねはつきまじ

 というのがその時の辞世だそうだ。その辞
世もよい、と林富士馬はいう(『川柳のたの
しみ』)。たしかに五右衛門の時代から二十
一世紀の現在に至るまで世に盗人のたねはつ
きていない。不滅の真理だが、その一首がで
きたのは、釜の湯が熱くなりすぎる直前のな
まにえの時たったのだろうか。
 林富士馬は、川柳の独自な文学領域に当代
の風俗世態、人情の穿ちとともに詠史がある
と指摘し、「川柳の詠史は、川柳でしか表現
し得ないものを射あてている」ともいう。


彼岸の入に寒いのは   
   2018/2/12 (月) 06:43 by Sakana No.20180212064338

02月12日

毎年よ彼岸の入に寒いのは   子規

 明治二十六年(1893)、正岡子規二十五歳
のときの作。前書に「母上の詞自ら句になり
て」とある。子規の母親八重がつぶやいた日
常のことばが、そのままのかたちで俳句にな
っている。

 いわゆる口語体俳句のはしり、なんだ、俳
句とはそんな日常的で、簡単に表現できるも
のだったのかというのが新しい発見ーーーそ
のことをあらためて読者に気づかせてくれた
のが子規の功績とされている。 

 「師の風雅に万代不易あり。一時の変化あ
り。この二つ究り、其の本は一つなり(服部
土芳「三冊子」)。「風雅の誠」にかなって
いるかどうかはわからないが、芭蕉晩年の
「軽み」にの主張はかなっていると思う。


大寒の埃
   2018/2/19 (月) 06:51 by Sakana No.20180219065107

02月19日

大寒の埃の如く人死ぬる   虚子

  昭和16年1月の作。その前年の3月に詠んだ
「大寒や見舞に行けば死んでをり」に通じる
主観的な句のような印象を受けるが、虚子に
自句鑑賞させれば、人間を客観写生した句で
あり、いわば、花鳥諷詠のようなものだとい
うかもしれない。
 昭和16年といえば、日中戦争がどこまで続
く泥濘の状態で動きがとれなくなっていた上
に、年末近くになって日本が鬼畜**国に対
して宣戦布告をした年である。それから昭和
20年8月までに日本人だけでも約240万人が大
寒の埃の如く死んだ。、
 そう考えると、虚子のこの句は客観写生の
句であり、人間の運命を客観視した虚無的な
匂いのする句といえないこともない。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
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