則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』

長谷部さかな 著

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   2017/11/6 (月) 06:43 by Sakana No.20171106064337

11月06日

我骨の蒲団にさはる霜夜哉  蕪村

  寒さが骨身にしみるような霜夜を経験したこ
とは私にもあるが、骨が蒲団にさわったことは
一度もない。人間の骨は皮膚につつまれている
ので、たとえ骨皮筋右衛門のようにガリガリに
痩せても、骨が直接、蒲団にさわることはあり
えない。
 したがって、蕪村がこの句であたかも触覚で
あるかのように表現たのは俳諧的誇張である。
客観写生の句ではない。
 とはいえ、触覚が文学的内容の基本成分にな
っているとはいえる。現実にさわらないにして
も、骨が直接、蒲団にさわると言い切ることに
よって霜夜の寒さを誇張して表現しているので
ある。蕪村が単なる客観写生の詩人や郷愁の詩
人ではないことはこの句からもうかがえる。



   2017/11/13 (月) 07:23 by Sakana No.20171113072321

11月13日

やれ打つな蠅が手を摺り足を摺る    一茶

  うるさい蠅を叩こうとすると、蠅は手をすり、
 足をすっている。まるで、命だけはお助けくだ
 さいと、哀願しているように見える。可愛そう
 だから、叩くのをやめようという句意だろう。
  一茶には蠅だけでなく、蛙や雀のような小動
 物を詠んだ句が多い。弱者の命にを思いやる、
やさしい性格だったかもしれないが、自分自身
を小動物に投影した感情移入の句ともとれる。
  そのように解釈すると、手をすり足をすって
 いる蠅は一茶である。手足の触覚を感じながら、
 懸命の身振りで「命だけは助けてください」と
哀願しているのだ。おかげで72歳まで長生き
 ができた。もっとも、蠅には褥盤という味を感
じる器官があるという。「手をすり足をする」
 行為は触覚ではなく、味覚のためかもしれない。



   2017/11/20 (月) 06:10 by Sakana No.20171120061016

11月20日

心からしなのの雪に降られけり 一茶

 雪の触覚ないし触感が伝わってくる句。頭や
顔や手足だけでなく、心にも心臓にも脳にも雪
がしみこむようにふれてくる。その雪は信濃の
雪である。
 一茶は信濃北部の柏原宿で生まれた。継母と
の折り合いが悪く、出奔して江戸に出て俳諧師
になったが、39歳のとき、帰省して父の死を
みとり、以後12年間、遺産相続で継母と争い、
文化5年(1808年)末に、ようやく遺産の半分を
貰うことができた。取り分は田4〜6反、畑3反歩、
山林3ヵ所、他に家屋敷半分、世帯道具一式。
 たいした財産ではないが、しがない俳諧師の
暮らしよりはまし。江戸の雪よりも信濃の雪の
ほうが肌にあったのか、「これがまあ終(つひ)
の栖(すみか)か雪五尺」の地で生涯を終えた。



   2017/11/27 (月) 06:23 by Sakana No.20171127062332

11月27日

日のあたる石にさはればつめたさよ   子規

 日陰の石はともかく、日のあたる石ならすこし
はぬくもりがあるだろうと思うが、さわればやは
りひんやりとつめたい。このつめたさはどこから
くるか。おそらく、つめたさは石の本質なのだ。
 それにたいして人間の身体はあたたかい。血液
が全身くまなくゆきわたっているからだ。しかし、
死ぬと血液の流れはとまり、屍体は死後約十時間
でつめたくなる。つまり人間は死ねば石になる。
 もっとも、死後十時間前後からはただの石では
なく、腐臭を発する。数日か数ヶ月か数年を経て
腐臭がなくなると、白骨になる。その状態になっ
たときが、真の意味において、石になったといえ
る。屍体は火葬場で焼却すれば、たちまち白骨に
なるが、自然の状態で放置しておけば、三年位は
かかるかもしれない。石になるも三年。



   2017/12/4 (月) 06:52 by Sakana No.20171204065218

12月04日

手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ     虚子

 寒い日に、手で顔を撫でてみれば、なるほど、
鼻は冷たさを感じる。突起しているので、冷たい
空気に敏感になるからだろう。耳も冷たいが、耳
の冷たさは手で顔を撫でなくてもわかる。
 昭和24年の作。ということは、第二芸術論争
はなやかなりし頃である。桑原武夫に見せれば、
こんな馬鹿馬鹿しい句をぬけぬけと発表するのは
俳句が第二芸術の証拠だと言うだろう。
 しかし、第一芸術の小説にも第二芸術の俳句に
も希有の才能を発揮した芥川龍之介は昭和2年に
自殺する前、「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」とい
う辞世の句を詠んでいる。
 龍之介は虚子の主宰する「ホトトギス」にも投
句していた。虚子は、龍之介の句を思い出しなが
ら鼻の冷たさを撫でたのだろうと推察する。



   2017/12/11 (月) 07:45 by Sakana No.20171211074543

12月11日

飛びついて手を握りたい人ばかり 剣花坊

 握手、つまり、手を握るという行為には、相手
にたいして好意を示すという意味合いがあるが、
古い日本人は握手などしなかったという気がする。
手を握るよりも頭を下げるほうが日本人の礼儀作
法だ。たとえば、正岡子規と夏目漱石は親友だっ
たが、子規と漱石が握手する光景は私には想像し
にくい。
 ところが、子規が「日本新聞社」に俳句を載せ
て俳句の革新運動をはじめたのは明治二十六年だ
が、井上剣花坊が同じく「日本新聞」で川柳の革
新運動をはじめたのはその十年後の明治三十六年
である。
 明治の日本人でも「飛びついて手を握りたい人
ばかり」とは微笑ましいが、あるいは俳句と川柳
の形式の違いを示しているのかもしれない。


第六類 感覚F(温度)
   2017/12/18 (月) 05:52 by Sakana No.20171218055216

12月18日

 第五類感覚F(触覚)に続いて第六類感覚F(温度)
の十句を鑑賞する。文学的内容の基本成分で感覚的要素
というなら、触覚の次は、味覚、嗅覚、聴覚、視覚のい
ずれかのはず。なぜ温度なのかーーと言われても私には
わからない。漱石が『文学論』で「かのGros氏が『人に
戯』中に配列したる小児娯楽の項目の順を追ふて例証せ
んとす」と述べているので、私はその順にしたがってい
るだけだ。

暑き日を海にいれたり最上川          芭蕉
涼しさやほの三日月の羽黒山          芭蕉
梅一輪一輪ほどの暖かさ              嵐雪
巫女(かんなぎ)に狐恋する夜寒かな              蕪村
立涼み寝涼みさても涼しさよ                    一茶      
厳寒に酒あたためて紅葉鍋           柳多留百二十八編
五右衛門はなまにえの時一首よみ        古川柳
毎年よ彼岸の入に寒いのは           子規
大寒の埃の如く人死ぬる                    虚子
心中を思ひとまると寒くなり          剣花坊

 ところで、「日のあたる石にさはればつめたさよ 子
規」や「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ 虚子」は、第
五類感覚F(触覚)にも第六類 感覚F(温度)にも該
当することに気がついた。温度という項目を立てると、
線引きが難しくなる。
 『文学論』ではキーツの「聖アグネスの宵祭」の一節
を漱石は感覚F(温度)の例に引用している。

 "St. Agnes' Eve -- Ah, bitter chill it was!
   the owl for all his feathers, was a-cold;
   The hare limp'd trembling through the frozen grass,
   And silent was the flock in woolly fold;"
                           --Keats, The Eve of St. Agnes
  (聖アグネスの宵祭ーーああ、肌刺す寒さ!/梟は羽毛
  にくるまれていても凍え/野兔は凍てついた草原をふ
  るえながらとぼとぼ歩み、/そして羊の群は暖かい毛
  だらけの囲いの中で静まり返る。
           ーーキーツ「聖アグネスの宵祭」 


暑き日
   2017/12/25 (月) 07:03 by Sakana No.20171225070308

12月25日

暑き日を海にいれたり最上川     芭蕉

  「五月雨をあつめて早し最上川」の最上川は山形県酒
田市で日本海に注ぐ。『おくのほそ道』によれば、芭蕉
と曽良は、「川舟に乗りて、酒田の港に下る。譚庵不玉
と云ふ医師の許を宿とす」という。
 そこで詠んだのがこの句だが、「暑き日を海に入れた
り」というのはどういう意味だろう。おそらく「暑き日」
とは太陽のことで、太陽が日本海に沈んだ情景だろうと
思うが、では誰が太陽を海に入れたのか、その結果、温
度が下がって、急に涼しくなったのだろうか、などと読
者の想像はひろがる。
 『継尾集』によれば、「涼しさや海に入れたる最上川」
という別バージョンの句もあるそうだから、太陽を海に
入れたのは最上川であり、その結果涼しくなったと解釈
することができる。最上川が太陽を海に入れるわけがな
いが、その発想は面白い。


涼しさや
   2018/1/1 (月) 05:18 by Sakana No.20180101051848

2018年01月01日

涼しさやほの三日月の羽黒山     芭蕉

  芭蕉は、「おくのほそ道」で出羽三山について次のよ
うに書き残している。

  六月三日、羽黒山に登る。
  八日、月山にのぼる。
  日出て、雲消えれば、湯殿に下る。

 湯殿山に登ったという記述はない。念のため、標高を
チェックしてみたら、羽黒山の標高は418m、月山は1500m、
それに対して湯殿山は1954mである。健脚の芭蕉でも湯殿
山に登るのは遠慮したのかもしれない。
 
  有難や雪をかほらす南谷
  雲の峰幾つ崩れて月の山
  語られぬ湯殿にぬらす袂かな
  湯殿山銭ふむ道の泪かな   曽良


暖かさ      
   2018/1/8 (月) 07:11 by Sakana No.20180108071141

01月08日

梅一輪一輪ほどの暖かさ         嵐雪

  この句、小学生か中学生だった頃、国語の
教科書に載っていたように記憶がある。それ
以来ずっと記憶の奥にあるほどの句あるが、
あらためて考えてみると、なぜ梅一輪ほどの
暖かさなのかがわからない。なぜ桃一輪、桜
一輪、あるいは薔薇一輪ではいけないのか。
 その暖かさは、温度計で、たとえば摂氏十
七度と表示できるものではない。数字は単な
る目安であって、感覚の実体を伝えるもので
はないだろう。
 冬の寒さがすこしやわらいだ初春の頃、肌
に感じる感覚ーーだとすれば、やはり梅一輪
ほどの暖かさかもしれない。二輪、三輪、あ
るいは十輪、百輪ではいけない。梅一輪の温
度は数字ではなく、質感である。


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則天去私の文学論 『日本篇:俳諧狂句』 長谷部さかな 著
 Copyright (C) Sakana Hasebe 2017