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在家勤行次第
   2014/4/2 (水) 18:02 by 北松拓也 No.20140402180226

 私も家の宗旨が真言宗で、家族の法事はすべて高野山真言宗
に属するお寺さんに執り行っていただいておりますので、高野
山真言宗の在家信者ということになります。

 華の熟年さんは、高野山真言宗の正式な在家勤行次第に基づ
いて勤行されていますね。私の場合、少しアレンジした内容に
しておりまして、四弘誓願や観世音菩薩普門品偈なども唱えて
おります。時間的にはやはり20分ぐらいです。


私は、高野山真言宗の在家信者です。
   2014/3/31 (月) 13:58 by 華の熟年 No.20140331135825

毎朝在家勤行次第を( お茶、御飯、ローソク、お線香を御供えして)
唱えています。

合唱礼拝、懺悔、三帰×3回、三竟×3回

十善戒( 不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、
        不慳貪、不瞋恚、不邪見 )×3回

発菩提心×3回、三魔耶戒×3回

開経偈、般若心経( 密教や禅宗の重要な経典 )

十三仏真言( 不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、
            弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、
            阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩 ) 

光明真言×7回

御宝号( 南無大師遍照金剛 )×7回、

祈願文、回向、

これを約20分くらいで唱えます。終れば、昨日に御供えし硬くなった
御飯を紙に包んで公園で施餓鬼をしています。

物心つく頃から祖母が毎朝仏壇に向って唱えていたのを真似しています。
現役で仕事をしていた時はしませんでしたが、隠居してから始めました。

   華の熟年



ご精読いただき恐縮です
   2014/3/30 (日) 11:40 by 北松拓也 No.20140330114041

 華の熟年さん、iPadから無常観についてのご感想をお書きくださり、
どうもありがとうございます。「般若心経」について、お大師さまは
「長い真言」というふうにおっしゃり、とても重視されていましたね。
それで、現在も真言宗では「般若心経」は在家信者も含めて勤行のと
きに必ず読誦する経典となっていますね。
                             拓也


私の無常観を読ませて頂いております。
   2014/3/29 (土) 21:30 by No.20140329213059

奥の深い素晴らしい投稿文ですね。

無常について深く知ったのは、高校の時に教科書で、小林秀雄の ''無常という事''からです。
非常に難解で当時は良く理解出来ませんでした。生と死をテーマにしています。
般若心経の意味も難解ですが、年齢を重ねるに従い少しづつ理解出来るようになって来ました。

華の熟年より( iPadから)







モノローグ「私の無常観」(10)
   2013/4/14 (日) 17:08 by 北松拓也 No.20130414170850

10. 発菩提心(ほつぼだいしん)

 最近の日本社会では、「プラス思考」とか「ポジティブ・シンキング」とい
った明るい人生への姿勢ばかりがもてはやされているように見受けられます。
その一方で、「無常」という考え方は、何となく暗くて後ろ向きのマイナス思
考ということで敬遠されるか無視されるものとなり、日本人の意識の中でひっ
そりと片隅に追いやられているような気がします。

 そうした中で、昨年こそ3万人を下回ったものの、それまでは十数年も連続
して3万人を超す日本人の自殺者数を記録しています。これは、2011年3月11
日に起きた東日本大震災による犠牲者数と比べてみても、驚くべき数に上って
いることが分かります。また、学校での「いじめ」による生徒の自殺も後を絶
たず、事態は深刻化しています。さらには、電子機器によって管理され、様々
な局面でプレッシャーをかけられ、すぐに結果を求められる高ストレス社会の
中で、日本の鬱病患者は年々増加しています。

 そういった現状に目をつぶって、「プラス思考」あるいは「ポジティブ・シ
ンキング」で生きなさいと言い続けても、口先だけの空疎な言葉として上滑り
するだけではないかと思われます。

 このような時代だからこそ、人間社会の真実の姿を改めて見つめ直し、本当
に人々が生きていくための力となる根本的な考え方は何なのかということを見
定める必要があると考えています。

 さて、円福寺(えんぷくじ)の故・藤本幸邦老師が、生前にお寺のある長野県
の篠ノ井から定期的に上京して法話をされていた時期に、私は聴衆の一人とし
て椅子に腰掛けていました。あるときそこで老師の口から語られたのが、「観
無常心は発菩提心なり」という言葉でした。これは、日本曹洞宗の開祖である
道元禅師の言葉です。

 この稿を書くに当たって「観無常心」についていろいろと調べてみたところ、
どうやら「道元禅師からのメッセージ」という題名の印刷物が英語の対訳付き
で一般向けに配布されていて、そこに「観無常心」について次のように書かれ
ているようです。

 「生まれたものは死に、会ったものは別れ 、持ったものは失い、作ったも
 のはこわれます。時は矢のように去っていきます。すべてが無常です。この
 世において無常ならざるものはあるでしょうか」

 もちろん言うまでもなく「この世において無常ならざるもの」は何もないの
がこの世の実相です。それを心の目でありのままに「観る」ことが「観無常心」
と言っていいでしょう。

 一方、 「菩提心」というのは、『岩波仏教辞典』によれば、「悟り(菩提)
を求める心、悟りを得たいと願う心などの意味」です。また、三省堂の『大辞
林』には「最高の悟りである仏としての悟りを願いもとめる心。大乗仏教の実
践の基盤となる心。菩薩の仏道に進む心」と書かれています。このような「菩
提心」を「発(おこ)す」ことが、すなわち「発菩提心」です。

 遠い昔に、お釈迦様が釈迦族の王子として何不自由のない暮らしをしていな
がらも、29歳の時に出家したのは、そこに「発菩提心」があったからですが、
その「発菩提心」のもとになったものは、他ならぬ「観無常心」でした。それ
は「四門出遊(しもんしゅつゆう)」と呼ばれる説話として今日に伝えられてい
ます。

 どういう説話かというと、ある日のこと、お釈迦様はお城の外へ遊びに出か
けました。まずはじめに東の城門を馬車に乗って出たとき、痩せ衰えて身動き
もままならない皺(しわ)だらけの老人に出会いました。それからしばらくして、
南の城門を出ると、道端に倒れ自分の汚物の中で転がって苦しむ病人の姿を見
ました。それからまたしばらくして、西の城門を出たお釈迦様は、人々が嘆き
悲しみながら死人を運んで火葬場に向かう葬列に遭遇しました。

 このようにお釈迦様は、老いること、病気になること、死ぬことの苦しみを
目の当たりにし、人が生きていく上でやがて老・病・死という苦しみがあるこ
とを知り、考え悩みました。

 そして、 最後に北の城門を出たときに、すべてを放棄してあらゆる現世の
欲望を離れた出家者の心穏やかな顔を見ました。その出家者がひたすら心の平
静を求め修行している姿に感動し、お釈迦様は自らも出家をしようと決意した
というのです。

 要するに、誰の身にもやがて訪れる「老・病・死」という苦しみを心の奥底
からしっかりと見つめたことが「観無常心」であり、それがあってこそ悟りへ
の憧れをもって出家の意思を固めるに至ったというわけで、これが「発菩提心」
ということになります。

 もしも、もっと多くの日本人が「観無常心」に目覚め、無常なるこの世でお
互いに背負っている「苦」を理解し、できるかぎり助け合うことができるなら
ば、それこそが皆が心穏やかに暮らせる社会づくりへの出発点になるものと思
います。そうした社会をつくりたいと願う心も「発菩提心」であり、「菩薩道」
の一つの実践につながっていくことでしょう。

 家族であれ、友人であれ、同窓生であれ、仕事仲間であれ、趣味の仲間であ
れ、とにかく果てしない無限の宇宙の時間の中でこの同じ時代に他の動物では
なく人間として生まれ出て、広大無辺の宇宙に浮かぶ無数の天体のうちの地球
の上で思いがけなくも出会い、その人たちと何らかのつながりができていると
いうことは、確率的にはまさしく奇跡的なことで、二度と同じことは起こらな
いと言っていいでしょう。

 しかし、宮沢賢治の詩「永訣の朝」にもあるように、私たちはどんなに大切
に思っている家族であってもいつかは別れなければならない日がきます。親し
い友人や知人、あるいはお世話になった恩人とも必ず別れる時がやってきます。
そういう別離に際して感じる苦しみを仏教では「愛別離苦(あいべつりく)」と
いいます。これは「四苦八苦」という場合の「八苦」のうちの一つです。

 だからこそ、今ある人と人との縁を大切にし、お互いに敬意を持って一瞬一
瞬を無駄にすることなく過ごせることを願っています。

 今は、あらゆることがデータ化され、ビジュアル化されて、価値判断が下さ
れている時代です。しかし、私が最も好きな本の一つ、サン=テグジュペリの
『星の王子さま』には、こう書かれています。

  On ne voit bien qu'avec le cœur.
  L'essentiel est invisible pour les yeux. 
  (心でしかよく見えない。大切なことは目には見えない)
                                (了)


モノローグ「私の無常観」(9)
   2013/4/13 (土) 18:33 by 北松拓也 No.20130413183333

9. 色は匂へど

 「いろは歌」といえば、日本人のほとんどが少なくとも一度は見聞きしたこ
とがあるでしょう。ただ、その歌の全体の内容や意味については、あまり詳し
く知らない人が意外に多いかもしれません。

 文字を習得するための手習いの歌として知られている「いろは歌」は、「ん」
以外の音(おん)の異なるすべての仮名47字を重複させずに使って作られたも
ので、七五調四句からなる今様(いまよう)の形式の歌です。そのため、今様が
盛んだった平安中期以降の作と見られています。

 その内容は次の通りです。

  いろはにほへと ちりぬるを
  わかよたれそ つねならむ
  うゐのおくやま けふこえて
  あさきゆめみし ゑひもせす

 この歌を分かりやすくするために、必要な箇所に濁点をつけて漢字仮名交じ
りで書くと次のようになります。

  色は匂へど 散りぬるを
  我が世誰ぞ 常ならむ
  有為の奥山 今日越えて
  浅き夢見じ 酔ひもせず

 この中の「有為(うい)」とは、「因(原因)と縁(条件)によって生じ、永
続しないすべての物事や現象」のこと、すなわち「この世、この世の現象」を
意味しています。

 この歌は、仏教経典の「涅槃経(ねはんぎょう)」に書かれている「諸行無常、
是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」を日本語に意訳したものといわれ、意味はお
よそ次のようになると思います。

 「匂い立つような美しい色の花もやがては散ってしまう。この世で誰が永遠
 に変わらずにいられるだろうか。現世の険しい山道を今日もまた一つ越えて、
 儚い夢など見るまい、酔いもせずに」

 このような現世の無常をうたった「いろは歌」が、歴史的に長い間、手習い
の手本として用いられていたことは、日本人に特有の伝統的な人生観や世界観
の形成に少なからず影響を及ぼしたのではないかと考えられます。私自身は五
十音図で平仮名や片仮名を習いましたが、それでも「いろは歌」が描き出す人
生の風景には共感を覚えます。

 ところで、「色は匂へど」で思い出すのが、『百人一首』の9番にも採用さ
れている小野小町(おののこまち)の次の歌です。

  花の色はうつりにけりないたづらに
     わが身世にふるながめせしまに
           小野小町『古今和歌集』巻二・春歌下(一一三)

 小野小町は平安前期の歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人であり、真実かど
うかは別にして、クレオパトラ、楊貴妃と並んで世界の三大美女の一人と称え
られている伝説の人。その小野小町が、「ふる」と「ながめ」という掛詞(か
けことば)を巧みに織り込みながら、自らの美貌の衰えを、桜の花がむなしく
色あせていくのにたとえてこの歌を詠んでいます。

 絶世の美女でも移り変わる時の流れに抗する術がないことを、おごりの春に
生きている人はあまり考えたくないかもしれません。しかし、日本人はこうし
た歌を通じて、はるか昔から無常なるこの世への様々な思いを共有してきたの
だと思います。
                              (つづく)


モノローグ「私の無常観」(8)
   2013/4/7 (日) 12:20 by 北松拓也 No.20130407122021

8. 夏草や

 今から何十年も昔のことですが、NHK総合テレビで毎週水曜日の夜に「連
想ゲーム」という名の言葉当てクイズ番組が放送されていました。番組の出演
者は、男性チームと女性チームに分かれて、それぞれのチームのキャプテンが
ヒントとして発する単語をもとに、そこから連想される答えの言葉をチームの
メンバーが当てることを競い合います。変化に富んだ出題内容で、ヒントを出
す側と答える側との間では声の調子や顔の表情もからめた絶妙のやりとりがあ
り、そこでパッと閃く出演者たちの知性の片鱗が結構面白くて、毎回楽しみに
見ていた時期がありました。その頃の番組の司会者は、まだ若々しかった松平
定知アナウンサーで、男性チームのキャプテンは、ちょび髭を生やした漫画家
の故・加藤芳郎さんが務めていました。

 その番組の中であるとき、「草いきれ」を正解とする問題が出されましたが、
恥ずかしながら私はそれまでその言葉を知りませんでした。俳優の大和田獏さ
んがその答えを見事に当てるのを見て、私とあまり変わらない年齢のように思
われるのに何とよく言葉を知っているのだろうと非常に感心したのを今でも鮮
明に覚えています。

 ちなみに、岩波書店の『広辞苑』(第六版)を引くと、「草いきれ」という
語は、「夏、日光に強く照らされた草の茂みから起る、むっとする熱気。くさ
いきり。<季・夏>」と定義されています。それまで「草いきれ」という語自
体は知らなかった私でも、それが意味するところのものは、自らの体験の中に
ありました。山や原っぱを駆け回っていた子ども時代、夏の日の草むらや大地
から立ちのぼる熱気と独特の匂いは、生命の息吹を感じさせてくれる身近なも
のでした。それは私にとっての原風景の一部として鮮烈に記憶に残っています。

 松尾芭蕉は『おくのほそ道 』に、

   夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

 という有名な句を詠んでいます。奥州平泉はかつて藤原氏三代が栄華を誇っ
た場所であり、また源義経主従が奮戦した古戦場でもあります。しかし、戦っ
た兵たちの燃えるような功名心も立身出世の野心も果たされることなく歴史の
闇の中へ夢のように消え去り、今は人影もなく、ただまばゆい夏の日差しを浴
びて草が一面に青々と茂っているばかりとなっている──そういう風景が、こ
の句を詠んだときの芭蕉の目の前に広がっていたのだろうと思います。

 夏の青空の下で生き生きと輝く草むらの力強い生命感は、昔その場所で束の
間のシャボン玉のように消えた兵たちの夢の儚さや哀れさをいっそう際立たせ
るもので、芭蕉は往時を偲ぶよすがも見当たらないないまま、深々と「草いき
れ」に身を包まれて佇んでいたことと想像されます。
                              (つづく)


モノローグ「私の無常観」(7)
   2013/4/6 (土) 18:27 by 北松拓也 No.20130406182710

7. 夢のまた夢

 私の母方の祖父は先祖が徳川方でしたが、そういうことにかかわりなく祖父
は豊臣秀吉がたいへん好きだったようです。とくに、秀吉が日吉丸と呼ばれて
いた幼少期にいかに機転の利く利発な子であったかという話を、よく自分の子
どもたちに語って聞かせていたといいます。おそらく数種の『太閤記』に書か
れているような、秀吉が大活躍する話に自分の小さな子どもたちも胸躍らせて
将来の道を賢く、力強く切り開いて成長して欲しいという願いが、祖父にはあ
ったのだろうと思います。

 そのような例が示すように、検証可能な歴史的実話に加えて『太閤記』のお
かげもあって、日本の戦国時代を語る上で豊臣秀吉の人気は本拠地の大阪(大
坂)や出身地の名古屋(尾張)ばかりでなく全国的なものとなっています。

 次の和歌は、その豊臣秀吉が詠んだ辞世として伝えられているものです。

   露と落ち露と消えにし我が身かな
       浪速(なにわ)のことは夢のまた夢

 これが詠まれた時期については、必ずしも人生の終焉を迎えるに当たっての
ものではなく、まだ健康であったときのものであるという説がありますが、い
ずれにしても、秀吉の人生観をこの辞世に見て取ることができるでしょう。

 秀吉は尾張中村に名もない貧しい農民の子として生まれながらも、幸運に恵
まれ、また奮闘努力の甲斐あって、やがて天下人となり、「太閤様」とか「関
白様」と呼ばれるようになりました。つまり、波瀾万丈の末に権力の絶頂の座
に上り詰めた人です。そして、前代未聞の立身出世の鑑(かがみ)として、多
くの人々の心を惹きつけ、秀吉の上昇志向の人生にあやかりたいと思う人々か
ら憧れの眼差しを向けられました。

 その秀吉が、辞世の中で「露と落ち露と消えにし我が身かな」という人生の
儚さへの寂しい思いを吐露し、さらには、栄華を極めた自分が権力の中心地で
ある浪速で行った様々なことは「夢のまた夢」であるという感懐を最後に述べ
ています。

 秀吉のように天下を自在に動かすことのできる巨大な権力を手に入れ、大坂
城内に黄金の茶室をしつらえるほどの絢爛豪華な人生を送っても、所詮その身
はこの世に落ちては消えていく露のように儚く、一生は実感の乏しい夢のよう
に瞬く間に過ぎ去る、ということを秀吉の辞世は表しています。
                              (つづく)


モノローグ「私の無常観」(6)
   2013/4/6 (土) 01:37 by 北松拓也 No.20130406013722

6. 日々に疎し

 以前は頻繁にテレビに出ていた芸能人が、どういうわけか近頃とんと見かけ
なくなったということはよくあることです。あの俳優は、あのタレントは、あ
の歌手は、今頃一体どうしているのだろう……と、多くの人が何かの拍子にふ
と気にかけてくれるうちはまだいいのですが、やがてはすっかり忘れ去られて
しまうことも珍しいことではありません。「去る者は日々に疎し」とはよく言
ったものです。

 作家にしても同じようなことが言えるでしょう。何か大きな文学賞を受賞し
て「時の人」として衆目を集めた作家でも、その後しばらくヒット作が出ない
と、一般の人々の間では、その名は忘却の彼方に追いやられて存在感が失われ
てしまいます。また、生前は次々にベストセラーを世に送り出し大衆の間で大
いに名声を高めた作家でも、この世を去って何年か経つうちに、ほとんど顧慮
されなくなって、結局は文学史に名をとどめるほどの優れた作品はなかったと
いうことで、記憶の霧の奥へと霞んでしまう場合もあります。

 「去る者は日々に疎し」を英語で言うと、そのものズバリ Out of sight, 
out of mind.(目を離れるものは忘れられる)となり単純明快です。
                              (つづく)


モノローグ「私の無常観」(5)
   2013/4/6 (土) 01:37 by 北松拓也 No.20130406013702

5. 時の翼

 17世紀のフランスの詩人、ラ・フォンテーヌ(Jean de La Fontaine, 
1621-1695)が『寓話詩(Fables)』に書いた次の言葉は、簡潔にして正鵠を射た
巧みな比喩表現で、一度目にしたら忘れられません。

 「時の翼に乗って悲しみは飛び去る」
 (Sur les ailes du Temps, la tristesse s'envole.)

 人は誰しも長い人生行路の中で幾多の困難な状況に直面し、その中にはひど
く悲しむべき出来事も少なからずあるはずです。いつ果てるとも知れない深い
悲しみに打ちひしがれて、それがあまりにも大きな悲しみであるために未来永
劫ずっと続くように感じられることもあるでしょう。しかし、この世に永遠不
変のものなど何一つないように、その悲しみも時の経過とともに、たとえわず
かずつであっても次第に和らいでいくものです。誰からの慰めの言葉も効き目
のないような途方もない悲しみを背負った人にとっては、過ぎてゆく「時」こ
そが、何よりも心を癒してくれる妙薬となるのではないでしょうか。

 ただ、一昨年の3月11日に起きた東日本大震災では、地震と津波と原発事故
によって想像を絶するほどの大きな悲しみが被災地の方々の上にもたらされま
した。「時」がどんなに癒しの力のある翼を広げても、よほど長大な翼でなけ
れば、その悲しみを乗せて飛び去ることは容易ではないでしょう。
                              (つづく)


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