ことば・翻訳・そして文化
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21世紀の実相
   2016/10/10 (月) 23:09 by 北松拓也 No.20161010230923

 私が最近読んだ本の中に、高橋和夫『中東から世界が崩れる イランの復活、
サウジアラビアの変貌』(NHK出版新書)、池上彰、佐藤優『大世界史 現代
を生きぬく最強の教科書』(文春新書)、佐伯啓思『さらば、資本主義』(新
潮新書)などがあります。これらを通して、現在の世界の情勢が想像以上に厳
しさを増しているありさまを強く印象づけられました。

 そんなときにドイツのメディアのホームページを眺めていたら、次のような
記事が目に入り、私たちの住む世界が極めて困難な時代にあることを改めて自
覚せざるを得ませんでした。

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Dalai Lama blickt pessimistisch in die Zukunft 
   Im Europarat blickt der Dalai Lama mit Pessimismus auf das 21. 
Jahrhundert. "Ich bin jetzt 81 Jahre alt, ich erwarte keine 
glücklichere Menschheit mehr in meiner Lebenszeit", sagt das 
Oberhaupt der Tibeter.

【試訳】ダライ・ラマ法王、未来に対して悲観的見解
 欧州評議会において、ダライ・ラマ法王は21世紀について悲観的な見方を述
べた。「私は現在81歳ですが、私が生きている間に人類が今よりも幸せになる
とはもはや期待していません」と、チベットの人々の指導者ダライ・ラマ法王
は語った。
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                                 拓也


突然の秋
   2016/10/10 (月) 22:11 by 北松拓也 No.20161010221121

 ほんの数日前には32度だった最高気温が、今日は20度に急降下。日中でもワ
イシャツ1枚では肌寒く感じられるほどで、一気に秋の空気に入れ替わったの
を実感します。長く続いた厳しい暑さが去ってほっとした気分ではあるものの、
涼しい風の到来に一抹の寂しさを禁じ得ないのも、この時期ならではの情感と
言えるでしょう。
                                 拓也


「いっぴ」という言い方
   2016/8/2 (火) 18:42 by 北松拓也 No.20160802184246

 昨日は八月一日でした。さて、この「一日」は何と読むでしょうか。

 こんな質問をすると、たいていの人からは間髪を入れず、「“ついたち”に
決まっているじゃないか」と言われそうですが、実は必ずしもそうとは限りま
せん。

 今から20年ぐらい前のことになりますが、、役所関係の人たちが好んで用い
る言い方として、この「一日」を「いっぴ」と言っておられることに気づきま
した。その後も、この傾向は変わっていないように見受けられます。例えば、
民間企業の人たちを集めた研修会などで、「四月一日から実施します」と説明
をするときに、「しがついっぴから実施します」という言い方をする役所関係
の人たちが結構おられるのです。

 この「いっぴ(一日)」は、『大辞林』で引くと項目として載っていて「つ
いたち」という簡素な語釈も書かれていますが、他方、『広辞苑』(第六版)
ではそもそも項目立てがなされていません。おそらく『広辞苑』では、この
「いっぴ」という言い方を日常の言葉として日本語の中にしっかりと定着する
までには至っていないと認識している──ということかと思われます。

 実際に、普通の人が日常の話し言葉で「八月一日」と言う場合には、「はち
がつついたち」であり、またNHKや民放のアナウンサーの方々もみな同じで
あって、「はちがついっぴ」という言い方はほとんどしないはずです。とすれ
ば、「いっぴ」というのは一種の業界用語あるいは職業用語に限りなく近い言
い方なのかもしれません。

 それでは、なぜ役所関係の人たちが「いっぴ」を好んで用いるのかと考えて
みると、その言い方の持つ語感にあるのではないかという気がします。つまり、
「ついたち」」と言うよりも「いっぴ」と言った方が、ピシッと引き締まって
キレがある、俊敏な感じがする、勢いや弾みがあってカッコいい、月の初めだ
サアやるぞと仕事に気合いが入りそう、といったような言葉の手触りが得られ
ることを無意識のうちに快く感じているのではないかと推察されます。
                                 拓也


「ポケモンGO」のダウンロード回数
   2016/7/27 (水) 19:36 by 北松拓也 No.20160727193603

 昨夜、久しぶりに "Deutsche Welle"(ドイツの国際放送「ドイチェ・ヴェ
レ」)のホームページを見ていたら、次のような「ポケモンGO」に関する記事
が目にとまりました。

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Schon 75 Millionen Mal Pokémon Go 
Das Smartphone-Spiel Pokémon Go wurde innerhalb von 19 Tagen mehr als 
75 Millionen Mal auf iOS- und Android-Geräten weltweit runtergeladen 
- ein enormer Erfolg.
----------------------------------------------------------------------
【拓也訳】すでに7千500万回のポケモンGO
スマホゲームのポケモンGOは、iOS端末及びアンドロイド端末により、19日間
で7千500万回以上、世界中でダウンロードされた。これはとてつもない大ヒッ
トだ。
----------------------------------------------------------------------

 世界中のゲームファンの間で早くも熱狂の渦を巻き起こしているスマホゲー
ムの「ポケモンGO」。日本でも 7月22日に配信が開始されましたが、その少し
前から大きな話題としてテレビのニュース番組などで取り上げられ、日本より
先に配信されていたアメリカでの大人気ぶりが映像として流されていました。

 この「ポケモンGO」ブームは当分続きそうな気配ですが、このゲームに起因
する事故やトラブルがすでに数多くマスコミで報じられ、一般社会の新たな不
安材料の一つになりつつあります。こうしたことを踏まえて、「ポケモンGO」
の運営者側も利用者側も、そのような事故やトラブルが起きないように極力注
意を払い、しっかりとした安全対策を講じることが求められるところです。
                                 拓也


RE: 言語の古層(?)
   2016/7/26 (火) 18:52 by 北松拓也 No.20160726185206

 TAKINさん、ご無沙汰しております。まさに空谷の跫音を聞くような楽しい
心持ちで、たいへん興味深いお話を拝見しました。

 そのようなご説明からしますと、確かにヨーロッパの言語では「良い」とい
う形容詞の比較変化が不規則というのは、かなり古い時代にその源を遡れそう
ですね。もしもそうした不規則な比較変化が、古代ペルシャ語やサンスクリッ
ト語やパーリ語にまで痕跡をたどれるとしたら、これはインド・ヨーロッパ語
族全体の共通点ということになりますね。
                                 拓也


「真逆」という語について
   2016/7/26 (火) 18:49 by 北松拓也 No.20160726184951

 近年気になっている言葉に一つに「真逆(まぎゃく)」があります。これは
少なくとも30年くらい前まではほとんど使われていなかった言葉だと思います。
また、この言葉が『広辞苑』(第六版)に項目として載っていないことから見
ても、比較的新しい言葉であることが伺われます。

 つい先日、この言葉が或る印刷物に書かれているのを目にして、それがくだ
けた内容の文章ではなかったので、この新参の口語的な言葉にやや違和感を覚
えました。昔ならば「真逆」ではなく「正反対」という言葉が用いられたはず
の文脈でした。

 ところで、「真逆」という言葉の出自について考えてみると、その漢字の並
び方から「真っ逆さま」という言葉が思い起こされます。「真っ逆さま」はず
いぶん古くから用いられている言葉ではないかと思われます。昔流行った歌謡
曲の歌詞の中にも「まっさかさまに堕ちて desire 炎のように燃えて desire」
という一節がありました。

 この「真っ逆さま」という言葉からは、上下が完全に反対で、上から下への
急激な動作というイメージが思い浮かぶのではないでしょうか。

 一方、「真逆」という言葉においては、逆であるのは必ずしも「上下」とは
限らず、また「上から下への急激な動作」をイメージさせるニュアンスも含ま
れているようには思われません。

 しかし、「真逆」という言葉を使うことにより「真っ逆さま」という言葉へ
の連想が働いて、そこに「真っ逆さま」の持つダイナミックな語感が伴い、新
鮮さとインパクトの強さが感じられるということはありそうです。そのことが、
特に口語においては「正反対」という言葉よりも「真逆」が好まれて使われる
ようになってきている理由なのかもしれません。
                                 拓也


言語の古層(?)
   2016/7/23 (土) 01:50 by TAKIN No.20160723015007

ご無沙汰しています。実は ID を記録しておいたファイルが暫く行方不明で(変なディレ
クトリに入れてしまっただけですが)書き込みができませんでした。

「縄文人の言語」については考えたことがありませんが、これがきっかけで以前から気
になっていたことを思い出しました。それはヨーロッパの言語で「良い」という形容詞
の比較変化が(私の知る限り)すべて不規則であることです。すなわち英語 good − 
better、フランス語 bon − meilleur(ラテン語 bonus − melior)、ギリシャ語 
agathos − beltion、ロシア語 dobryi − luchshe です(入力が面倒なのでラテン文字
化しました)。

語形そのものは同系とは思えませんが、「良い」と「より良い」には別語を使う、とい
うパターンだけは共通しているわけで、このパターンは個々の語の語源とは別に、もっ
と古い時代の言語習慣を表しているのではないかと思われます。

素人の思いつきにすぎませんが、たまには枯れ木も山の何とやら…と思い書き込ませて
頂きました。


縄文人の言葉
   2016/7/22 (金) 18:40 by 北松拓也 No.20160722184014

 明治時代に「和魂漢才」をもじって作られた言葉として「和魂洋才」という
のがあります。「和魂洋才」とは、日本人としての精神を堅持しつつ、西洋の
学問・知識を学び取ることですが、これは特に説明の必要がないでしょう。

 さて、哲学者の梅原猛氏は、さらにこれらをもじって「縄魂弥才(じょうこ
んやさい)」という言葉を提示されました。この言葉の中の「縄魂」の「縄」
は「縄文」の意味で、「弥才」の「弥」は「弥生」の意味で使われています。
要するに「縄魂弥才」とは、「縄文人としての精神を堅持しつつ、弥生人の学
問・知識を学び取ること」ということになります。

 ただ、私は梅原猛氏の「縄魂弥才」論については、縄文人が自分たちの本来
の精神を保ちながら、後から日本列島にやってきた弥生人の稲作農業や金属器
製作などに関連した先進的な技術・知識を吸収しようとしたのではないかとい
う推量以外には、その中身についてあまり詳しく知りません。

 ところで、ここで問題なのが「縄文人としての精神」とは何かということで
す。縄文人の精神を探る上で手がかりになるものとして今日残されているもの
は、考古学的な発掘物だけでしょう。例えば、石器、土器、貝塚、土偶、集落
跡といったようなものです。このような物的証拠から、縄文人が主に狩猟・採
集生活を送り、宗教的にはアニミズム(精霊崇拝)であったらしいということ
などが分かるようですが、縄文人の考え方や感じ方、あるいは人生観、世界観
といったものを詳しく知るためには、それだけでは十分とは言えないと思いま
す。

「縄文人としての精神」を解明する上で最も重要なのは、何と言っても縄文人
の言葉について知ることだと思います。しかし、彼らは文字を持たず、従って
彼ら自身の記録が残されていませんので、縄文人の言葉は知るよしもありませ
ん。

 大昔の日本語はどんなものだったかを探る上でのよすがとして、大野晋『日
本語の起源』(岩波新書)をはじめとする数々の日本語起源論の本が今までに
出版されています。しかし、それらのほとんどは、特に日本語の基礎語彙につ
いての起源を解き明かすことができていないと思います。なぜなら、日本語以
外の言語の中に、日本語の基礎語彙と同様の、あるいは類似の基礎語彙を用い
ている人々を明確に見つけることができないからです。

 過去には、日本語レプチャ語起源説とか、日本語タミル語起源説など、様々
な起源説が提示されたものの、学術的に定説となったものはありません。

 とは言っても、まったく縄文人の言葉は不明かと言えば、そうではないでし
ょう。現在の私たちの日本語の中に、縄文人の言葉が生き残っていると考えら
れるからです。

 つまり、日本列島の周辺に、日本語の基礎語彙と同様の、あるいは類似の基
礎語彙を用いている人々が見当たらないということは、縄文人が住んでいた日
本列島の中に、弥生人が日本列島の外の世界から持ち込んできた弥生人自身の
言語の基礎語彙が、現代の日本人の基礎語彙になっているのではなく、縄文人
自身の基礎語彙が弥生時代以降も生き残り続けて、現代の日本人の基礎語彙に
なっていると考えるのが自然でしょう。もちろん、長い歴史の間に少しずつ音
韻変化をしてはいても、その祖形は縄文人の基礎語彙にあるものと推察されま
す。

 言い換えれば、私たち日本人は2000年以上前の縄文人の基礎語彙を受け継い
でいると考えられるのです。したがって、その基礎語彙に宿っている縄文人の
精神も、心の遺伝子として私たちは相続し、守り続けていると言えるのではな
いでしょうか。

 ちなみに、興味深いものとして、日本語の数詞があります。本来の和語では、
一から十までを「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、ここ、
とー」と数えることは、私たちの誰もがよく知っていることです。

 この「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、ここ、とー」と
同じような発音の数詞を使っている言語は、日本の近隣諸国には見当たらない
そうです。それだけではありません。この数詞は、1と3と4の倍数が、それ
ぞれ同じ子音で始まり、異なる母音を従えているという極めて特異な構造を持
っていると言われています。図示すると、次のような構造です。

 ひー(hi =上代語では pi)の倍数、ふー(fu- =上代語では pu)
 みー(mi)の倍数、むー(mu)
 よー(yo)の倍数、やー(ya)

 このように、1−2、3−6、4−8のそれぞれの子音が p - p 、m - m、
y - y という対応関係になっていて、母音だけが異なり、数詞を構成している
わけです。このような構造を持った数詞は、日本語の他には、あるアメリカイ
ンディアンの部族が用いている数詞に見られるぐらいのものだと言います。

 このことから、「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、ここ、
とー」という日本語本来の数詞は、縄文人の言葉にまで起源を遡れるのではな
いかと、私は推測しています。
                                 拓也


follow suit と傾城の美女
   2016/7/9 (土) 12:19 by 北松拓也 No.20160709121923

 ある事案について、アメリカが自国と同じ行動を取るように日本に求めてき
たことを伝える英語のニュース記事があり、そこに follow suit という熟語
が用いられていました。

 この熟語は、「(トランプで)先に出された札と同じ組の札を出す」という
のが元の意味ですが、そこから転じて「(前の)人のまねをする、先例になら
う」という意味にも使われています。上記のニュース記事では、後者の意味に
使われていました。

 ところで、話が飛びますが、この熟語を見て思い出したのが「顰(ひそ)み
に倣(なら)う」という表現です。これをもっと詳しく言えば、「西施(せい
し)の顰みに倣う」という言い方になります。

 これは、西施という名の美貌の人が心臓の病のために苦しげに眉をひそめた
のを醜女(しこめ)が見て、そのようにすれば美しく見えるのだと思い、その
まねをしたという中国の故事に由来する表現です。今日の日本語では、人に倣
って同じようなことをすることを謙遜していう言葉として、単に「顰みに倣う」
と言うことが多いでしょう。

 西施は「傾国の美女」あるいは「傾城(けいせい)の美女」とも言われ、中
国四大美女の一人に数えられる紀元前5世紀の越(えつ)の人でした。このこ
とを知っていた江戸時代の松尾芭蕉は、頭に思い描いた西施のイメージを目の
前の風景に重ね合わせて、『奥の細道』に次のような句を詠んでいます。

 象潟や雨に西施がねぶの花   松尾芭蕉

 象潟(きさかた)は、秋田県南西部の海岸にあった潟湖(せきこ)で、九十
九島・八十八潟の景勝はかつて松島と並び称されたといいますが、残念ながら
1804(文化1)年の大地震で隆起して消失してしまい、今は見ることができま
せん。
                                 拓也


諏訪(すわ)の御柱(おんばしら)祭りと縄文文化
   2016/7/9 (土) 11:02 by 北松拓也 No.20160709110224

 先日、NHK総合テレビの「NHKスペシャル」で、諏訪の御柱祭りが取り上げら
れていました。

 御柱祭りには縄文人の信仰の風習が受け継がれているということ、そしてま
た縄文人と弥生人の融和の中から諏訪大社の御柱祭りが生まれたということ、
これらのことをこの番組を見て知り、新しい歴史観、新しい日本文化観を得る
ことができたような気がして、非常に感動しました。

 この番組を見るまでは、弥生人が日本列島に持ち込んだ稲作農業は、西日本
から東日本へと順次広まっていったものと漠然と考えていました。しかし実際
はそうではなかったのです。

 信濃の諏訪地方から東方面の関東地方を含む広い地域では、稲作農業を容易
に受け入れなかったといいます。そのため、この地域を飛び越えて、先に東北
地方へと稲作農業が伝播していったと、番組の中で解説されていました。

 本州の中で、最後まで稲作農業の受容に抵抗していた諏訪地方の縄文人は、
稲作に頼らなくても十分に安定した食料を確保できるだけの豊かな自然環境に
恵まれ、高い文化生活を送っていたものと推測されます。

 ところが、そこへやってきたのが、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)
の息子、タケミナカタ(建御名方)でした。タケミナカタは、大国主命に国譲
りを要請した天つ神に追われて、出雲から逃げてきたのです。そして、そこで
諏訪の豪族モリヤ(守矢)氏と戦い、勝利しましたが、モリヤ一族を滅亡させ
ることはしませんでした。それどころか、タケミナカタは自身を祀る神社の祭
祀を司る職にモリヤ氏を就け、重用したのです。

 こうして、まっすぐに伸びた樹齢200年ほどの大木を山から切り出し、平地
の聖域まで運んで地面に立てるという諏訪の縄文人の信仰の風習が、諏訪大社
の御柱祭りの中に残り、今日も生き続けています。これは、戦いの後の縄文人
と弥生人の融和がなかったならば実現しなかったに違いありません。現在の日
本人や日本文化の成り立ちの原点がそこにあったと考えていいのだろうと思い
ます。
                                 拓也


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