ことば・翻訳・そして文化
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日本語の起源はラテン語?
   2007/7/2 (月) 07:47 by 道草 No.20070702074754

「伝統的な日本語の単語の多くがラテン語を起源としている」と主張する、
与謝野達氏の「新説」が話題を呼んでいる。

http://facta.co.jp/article/200707053.html


民主主義について
   2007/6/17 (日) 03:54 by 司馬拓也 No.20070617035420

 前回の「植民地について」のメッセージの中で、「自由と民主主義の思想」と西
洋キリスト教文明と結びつける形で、思うところを書きました。確かに、近代日本
に民主主義の思想が入って来たのは、西洋キリスト教文明圏からであり、またそれ
は西洋における近代市民革命により一般化したものではありました。しかし、その
起源をたどれば、民主主義の思想は周知のように古代ギリシャの都市国家に発した
ものです。それは、「民主主義」を意味する「democracy」の語源がギリシャ語の
「demokratia(デモクラツィア)」であって、これが demos (人民)と kratia (権
力)とを結合した単語であることからも明らかです。

 ギリシャの都市国家の中でも民主主義のいちばんの代表的な例はアテネです。そ
の時代のアテネでは、アクロポリスに立つパルテノン神殿で古代アテネの守護神ア
テナ・パルテノスを祀り、信仰していましたので、もともとキリスト教文明が「民
主主義の思想」を生み出したわけではありません。

 古代ギリシャの都市国家アテネが、ギリシャ文化の中心地として最も輝きを放っ
たのは、紀元前460年から紀元前430年までの30年間わたる「ペリクレス時
代」と言われています。ペリクレスは、都市国家アテネの最高執行機関を構成する
ストラテゴ(国家政戦略担当官)の筆頭である議長つまり最高指導者として、アテ
ネの民主政体を運営しました。同時代の歴史家ツキディデスは、アテネの民主政に
ついてペリクレスが語った言葉を書き残していますが、これが実に立派なもので、
アテネ市民の自主・自律の精神のすばらしさやペリクレス自身の溌剌とした矜持が
うかがわれます。


植民地について
   2007/6/14 (木) 15:01 by 司馬拓也 No.20070614150119

 考えてみますと、古代ヨーロッパにおいても、ギリシャの植民都市が地中海沿岸
の各地、たとえばイタリア半島の南部につくられていましたが、それは大航海時代
以後にヨーロッパの各国によって作られた植民地とは大きく違うことが分かります。
大航海時代以後の植民地、とくに南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸では、原
住民に対する大量の殺戮や広大な土地の掠奪が伴ったということがあります。また、
大航海時代以後の植民地政策では、ダニエル・デフォー作『ロビンソン・クルーソ
ー』にも書かれているように、アフリカ人に対する大規模な拉致による奴隷貿易が
大々的に行われていました。この点については、昨年「BBC NEWS」のホームページ
で、ブラジルの歴史や文化についての紹介記事を読んで驚きました。ブラジルへの
ポルトガル人の侵入後、そこにいた原住民の数は途方もなく激減し、今もなおその
数は、奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々の数よりも遙かに少ないのです
ね。

 高度な航海術を心得ていながらも中国人やアラブ人は、大航海時代のヨーロッパ
人のような形の植民地獲得になぜ乗り出さなかったのか、彼らの間の違いは何だっ
たのかと考えますと、大きな一つの要素として浮かび上がってくるのは、中国人は
儒教徒、アラブ人はイスラム教徒であったのに対して、ヨーロッパ人はキリスト教
徒であったということです。日本人は、戦国時代にやってきたヨーロッパのキリス
ト教徒を最初は受け入れながらも、後には拒絶して、幕末までオランダとの間でわ
ずかに通商を営むにとどまりました。これを鎖国と呼んでいますが、当時の彼らの
本国による植民地支配の世界戦略や奴隷貿易に日本が巻き込まれないためには、こ
れは適切な選択だったといえるような気がします。仏教と儒教、あるいは「名こそ
惜しけれ」という思いをモラルの中心としていた日本は幕末に西洋列強の武力によ
って開国を余儀なくされ、明治維新後、西洋列強の真似をして植民地獲得に乗り出
しましたが、結局それは苦い歴史の経験となって、今なお内外に深い傷跡を残して
います。

 一方では、自由と民主主義の思想を生み出し、人権という考え方を確立した西洋
キリスト教文明に対して敬意を持ち、他方では、植民地支配、奴隷貿易、大量破壊
兵器製造、環境汚染、地球温暖化、資源枯渇などの様々な災いをもたらした西洋キ
リスト教文明に対しては深い疑念を持つという絶対矛盾が自己統一をはかれないま
ま、長年にわたり私の胸のうちでわだかまっています。日本人は前の敗戦により、
仏教や儒教の伝統を急速に薄め、また「恥の文化」を支えていた健全な「世間」も
社会の都市化によって失いつつありながら、大多数の日本人は、自由、民主主義、
人権思想の歴史的基盤となったキリスト教の倫理観を持っているわけでもありませ
ん。日本社会の要職にある人々や社保庁などの公的組織のモラル・ハザード、教育
現場が抱える深刻な問題、振り込め詐欺や悪徳商法などの悪質な犯罪の増加、毎年
3万人を超す自殺者の深刻な件数などを前にして、かつて世界一安全な国といわれ
人々の善意と勤勉さをごく当たり前のこととして成り立っていた日本社会の美徳は、
もろくも崩れ去ろうとしています。日本の行く末を深く憂慮する所以はここにあり
ます。

 けだし、このような話題は「みんなの辻説法」の掲示板の方に書くべきだったか
もしれません。


Re: ベネチアの商人
   2007/5/31 (木) 02:49 by 司馬拓也 No.20070531024953

 ベネチアの商人は主に地中海での中継貿易によって富を蓄えましたが、その
際の取扱商品としては、アジアから来る香辛料と絹が非常に大きな位置を占め
ていたようです。これらはヨーロッパでかなりの高値で売れたのですね。そし
て、ヨーロッパからアジアへ運ぶ商品としては、金属製品や毛織物などが多か
ったかと思います。

 ところが、お書きのように、大航海時代の始まった15世紀にポルトガルの
バスコ-ダ-ガマが、アフリカ大陸南端の喜望峰を回り、大陸東岸を経てインド
の西岸カリカットに到達したことで、インド航路が開拓されました。そのため、
アジアの香辛料も絹も従来のように陸路と海路を何度も変えながらヨーロッパ
に運ばなくても、海路で直接ヨーロッパに運べるようになり、ベネチアの中継
貿易に頼る必要がなくなりました。これがベネチアの経済にとって大きな打撃
となったようです。

 その後、ベネチアが生き残るためにとった政策は、自らの手で生産したもの
を外国に売ることでした。そうした中で、ベネチア・ガラスの生産が盛んにな
り、その精緻な造型の美しさが世界的に有名なったのですね。

 植民地政策については、たとえば、イベリア半島はイスラム教徒に侵略され
支配されていた時期がありました。それは、レコンキスタ(国土回復運動)に
よってキリスト教徒が巻き返しをはかり、1492年にイサベル女王がイベリア半
島におけるイスラム教徒の最後の拠点であるグラナダを陥落させるまで続きま
した。この時期のイベリア半島はイスラム教徒の植民地とは呼べないとしても、
彼らはそういう形での領土獲得やイスラム教の拡大の方に関心があったのかな
と想像されます。他方、中国には昔から中華思想がありますので、周辺の国々
を属国にして自らは宗主国として君臨すれば、それで満足というところが多分
にあったのではないでしょうか。


ベネチアの商人
   2007/5/29 (火) 08:54 by 道草 No.20070529085416

ベネチアの商人はなにで儲けていたのでしょう。
アラブの商人が運んできた、インド、中国の産物を仲介してのかなと
想像していてみました。アラブの商人は、ダウ船をつかい、中国では
サンパンでいわゆる海のシルクロードをつくっていたわけでしょうが、
中国では、鄭和の大船団で、アフリカ沿岸まで航海していたのですが、
中国は、このプロジェクトを中止する。やがて、大航海時代で、
西欧の植民地政策がはじまりますが、これて゛ベネチア商人は、
意味をうしなっていったのでしょうか。
アラブ、中国は植民地政策をとらなかったのに、西欧は植民地政策
をとった。銃砲の圧倒的な武力の優位があったのからなのでしょうか。



地中海の女王
   2007/5/27 (日) 16:40 by 司馬拓也 No.20070527164026

今年の1月上旬にビデオに録画しておいた「探検ロマン世界遺産スペシャル」を一
昨日ようやく見ました。この番組は、イタリア・ベネチアの歴史と町の様子を紹介
する内容でした。

「水の都」として世界的に知られるベネチアについては、今からおよそ12年ほど
前に読んだ塩野七生さんの歴史小説『海の都の物語』(中公文庫、上・下巻)で詳
しく知り、中世の地中海交易で花開いたベネチア(ヴェネツィア)という共和国の
あり方のすばらしさに深い感動を覚えました。それは、ベネチア人のものの考え方
や勇気、人間性といったものへの感動が大半でしたが、今回「探検ロマン世界遺産
スペシャル」で紹介されたベネチアを見て、さらにその感動と同時に、湿地帯にあ
のように壮麗な都市を建設した人間の力というものの偉大さを感じずにはいられま
せんでした。

ベネチアの町は、アドリア海の最も奥にある「ラグーン」と呼ばれる海の浅瀬に築
かれたもので、そこは潮の干満で無数の島が現れたり沈んだりする場所です。ベネ
チアの歴史の始まりは、イタリア北東部に居住していた人々が、西ゴート族、フン
族、東ゴート族、ランゴバルト族などの侵攻を受け、「ラグーン」の小さな島々に
移り住んだことですが、当初はそこでとれた魚や塩を売って生活をしていたといい
ます。やがて、地中海を舞台に交易をはじめ、富を蓄え、都市を建設したわけです
が、湿地帯に建物をつくるためには、建物が沈みこまないように長大な杭を地中深
く多数打ち込んだ上に土台を築かなければならなかったとのことですから、その杭
の数と労力は途方もないものだったでしょう。建設機械のない時代によくもそんな
ことができたものです。

こうした都市建設とともに、政治、経済、外交、軍事などの諸方面で、ベネチアが
生き残るために全力で振り絞ったあらゆる知恵、工夫、努力の数々は、頑張れば人
間は何でもできるのではないかと思わせるような栄光に満ちているように見えます。
言葉を換えれば、人為万能ということになるかもしれませんが、それは自然が規則
通りに運行し、物事を割りに計算どおりに進められる地中海という世界だからこそ
可能だったかとも思います。

「ラグーン」は交易船の自由な航行にとって座礁の原因となる点で不都合なもので
したが、それをうまく利用することで、逆に外敵の侵入に対する防御の仕掛けとし
て非常に役に立ちました。彼らのまわりの自然環境は、人間の創意工夫次第で、短
所であるものが長所に変ずるという点で、地震や津波や台風などといった計算外の
自然の猛威にさらされてきたわが日本の自然環境とは違います。ベネチアの町は、
毎年10月ごろに「アクアアルタ(高い水)」と呼ばれる高潮に見舞われることや
地盤沈下の問題を抱えていますが、それはふつう計算外なほどひどいものではあり
ません。

人間の知恵と工夫と努力によって環境を変えられる、あるいは自然を制御できると
いう観念が、湿地帯に壮大な都市を築いて中世の地中海で繁栄を極めた「地中海の
女王」であるベネチアの人々の心の中に(無意識的にせよ)あったならば、おそら
くその延長線上に近代西洋の科学技術文明が展開しているのだと思います。歴史も
自然環境も彼らとは異なるところにいるわれわれ日本人も、百数十年前に実行した
「文明開化」という名の欧化政策を機に、近代西洋の科学技術文明の仲間入りをし
ました。そして、われわれ日本人も人間の知恵と工夫と努力によって環境も自然も
意のままにできるという信念のもとに都市を築き、経済の工業化を進めてきました。

しかし、そうした近代西洋の科学技術文明を支えてきた観念は、地球温暖化、環境
汚染、資源枯渇などの問題に人類全体が直面して、いま明らかに行き詰っています。

地中海の女王ベネチアに対する感動と憧憬は、私の胸のうちで、西洋文明の黄昏の
予感とともに複雑に陰影が交錯しています。


気になる読点の使い方
   2007/5/17 (木) 22:27 by 司馬拓也 No.20070517222716

 何年か前に技術文書の校正をしていたときに目にした読点の使い方が、その後も
気になっています。

 たとえば、「移行方法などを検討するために確認する、項目を以下に示します」
といったような文の中での読点の使い方です。この文の「確認する」という動詞の
連体形は、直後の「項目」という名詞を直接修飾していますが、その間に区切りの
読点が置かれているとその修飾関係が分断されているように感じられ、読者の思考
の流れがそこで一時停止してしまうような不自然さがあると思います。この文を音
読する場合でも、その読点の位置で息継ぎをすると、「確認する」でいったん文が
終わっているような印象になり、違和感があります。もし息継ぎをするならば、普
通は「項目を」の後でしょう。

 昨年は、この種の読点の使い方がいっそう顕著に見られる文書に出会いました。
それは、数百ページに及ぶ映像作品の解説文の校正をしているときだったのですが、
直したらきりがないほどそのような句読点の使い方があまりにも多く、また「校正
の最終段階のため明らかな誤り以外は修正しなくてよい」という性質のものだった
ので、そうした読点についてはあえて手をつけませんでした。しかし、あとになっ
てもそのことがどうもスッキリしない記憶となって残っています。

 一般に、修飾する側の動詞と修飾される側の名詞の間に読点を打つ場合というの
は、次の例文のように、その動詞と名詞の間に別の修飾語が挿入されるときでしょ
う。

  窓辺には白い鉢に植えられた、北米原産の清楚な草花が置かれていた。

 この文の読点は別になくても差し支えないものですが、「植えられた」が直後の
「北米」を修飾しているのではないことを示すために用いられているものと理解で
きます。他方、

  来月封切りになる、映画を見に行くつもりです。

といったような文では、「封切りになる」は直後の「映画」を修飾しているので、
これらを読点で分離するのは何のためなのかと引っ掛かりを覚えます。

 最近目にした塩野七生さんの文章にも、そのような例がいくつか見られました。
たとえば、次の文の「誇っていた、スパルタ」という部分です。

  ミレトス人は、まず軍事力ではギリシアのポリス中で最高の力を誇って
  いた、スパルタに援軍を求める。
  (塩野七生著『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず[上]』
   新潮文庫、p.179 より)

 このような読点の使い方は、昔はほとんどなかったような気がしますが、近年注
意して見ていると、養老孟司氏の著書などにも僅かながら散見されます。そうして
みると、これは一種の流行なのかとも思えてきますが、私にはやはり少し違和感が
あります。


バスの車内で見た敬語の誤用例
   2007/5/12 (土) 03:27 by 司馬拓也 No.20070512032707

 ある路線バスに乗ったときのことです。最前列の座席に腰掛け、目の前の仕切り
板を見ると、そこに貼られたステッカーに大きな文字で次のような注意書きが記さ
れていました。

   -----------------------------------------------------
   危険!停車するまでお待ちください。
   転倒され、ケガをするおそれがあります。
   この席をご利用される際は、足元に十分ご注意ください。
   -----------------------------------------------------

 一読して「おやおや」と思いました。まず、2行目の文です。この文の意味内容
から察すると、ここで省略されている主語は「あなたは」という2人称のはずです
から、「転倒され」は受け身の表現ではなく、敬語表現と考えられます。しかし、
その後に続く「ケガをする」が敬語になっていません。もし「転倒され」と釣り合
う敬語にするなら、「ケガをされる」と書かなければならないでしょう。要するに、
この文では1つの主語に対して敬語とそうでない表現を混ぜて使っているため、ち
ぐはぐな言い方になっています。なお、この文では敬語を用いずに「転倒し、ケガ
をするおそれがあります」とするほうがスッキリすると思います。

 さて、もうひとつの問題点が3行目にあります。「ご利用される」という敬語の
部分です。「ご利用」という言い方をするならば、その後ろに来るべきものは「さ
れる」ではなく「になる」です。つまり、「ご利用になる」とするのが適切です。
一方、「〜される」という形の敬語を使いたいならば、「ご利用」の「ご」を取り
去って「利用される」と言うべきところです。


気象庁の「予報用語」改訂について
   2007/5/10 (木) 04:51 by 司馬拓也 No.20070510045156

 1ヶ月あまり前の話題になりますが、気象庁が天気予報などに用いる予報用語を
改訂することを発表しました。今年秋ごろから切り替えになるとされている予報用
語の中で、とくに注目を集め反対意見の多かったのは、「宵のうち」が消えて、か
わりに「夜のはじめごろ」という表現を用いるということでした。

 私のように教養の乏しい者は、「宵のうち」が具体的に何時から何時までの時間
帯を指す言葉なのか、普段はぼんやりとしたイメージしか持ち合わせてなくて、こ
ういう話題が出てきて初めて辞書的な定義を知るわけですが、これは予報用語では
「午後6時から9時」を指す言葉とのことです。

 気象庁は「宵のうち」を「夜のはじめごろ」に変更する理由について、「宵のう
ちなどの表現は、人によって時間帯のとらえ方が異なるため」と説明しているそう
ですが、なるほどそれはあるでしょう。しかし、だからといってこれを「夜のはじ
めごろ」と言い換えたら、それによって皆の時間帯のとらえ方が同じになるかとい
うと、必ずしもそうとは思えません。やはり、それでも時間帯のとらえ方にばらつ
きはあるでしょう。「夜のはじめごろ」にすることによって、そのばらつき方が少
なくなる可能性はあるかもしれませんが、それは保証の限りではないと思います。
そうだとすれば、「宵のうち」を「夜のはじめごろ」に置き換えるメリットはなく
なってしまいます。

 残念なことに、「夜のはじめごろ」という言い方は、いかにもこなれた日本語に
なりきっていない下手な翻訳調の表現という感じがします。別の言い方をすれば、
なかば借り物の言葉という響きがあります。これは美しい日本語とは感じられませ
ん。むしろ無味乾燥な事務処理のための記号にすぎない感じといったら言いすぎで
しょうか。この用語の改訂に違和感を覚える人が多いというのは、十分にうなずけ
ることです。


「なので」という接続詞
   2007/5/9 (水) 04:21 by 司馬拓也 No.20070509042138

 昨今、日本語現象の一つとして気になることは、「なので」を接続詞に使ってい
るのを耳にすることが多くなったことです。たとえば、「昨日は休日でした。なの
で映画を見に行きました」とか「地球環境が心配です。なので省エネを心がけてい
ます」といったような言い方です。今から5年くらい前だったら、このように「な
ので」が接続詞として用いられることは、ほとんどなかったのではないかと思われ
ます。

 従来のごく普通の言い方としては、このような場合、「なので」ではなく「だか
ら」「ですから」「ですので」を使うところでしょう。また、国会答弁のような形
式ばった場面では、文語調の「それゆえ」「ゆえに」を用いることもあるでしょう。

 三省堂の『大辞林』によれば、「なので」は、[助動詞「だ」の連体形または形
容動詞の連体形語尾「な」に,原因・理由を表す接続助詞「ので」の付いたもの]
と解説され、連語として扱われています。つまり、『大辞林』ではこれは独立した
品詞としての接続詞としては記載されていません。そこに用例として書かれている
のは、「雨なので中止にした」「静かなので読書に適している」のように、文頭で
はなく文中で用いられる「なので」のみです。

 それではなぜ、「なので」が独立した接続詞として用いられるようになったので
しょうか。ソシュールの言語学によらずとも、ある語が存在するということは、そ
こには他の語では置き換えることができない独自の意味合いやニュアンスがあるか
らだということは、私たちが日常生活で経験的に感じていることだと思います。言
い換えれば、あるシニフィアンが存在するということは、それに対応するかけがえ
のないシニフィエが存在するからだということでしょう。

 したがって、「なので」が接続詞として用いられるとき、そこには類語の「だか
ら」「ですから」「ですので」「それゆえ」「ゆえに」では置き換えることのでき
ない意味合いやニュアンスといったものが内包されていて、それが接続詞の「なの
で」の存在理由となっているものと考えられます。

 では、「なので」と「だから」「ですから」「ですので」「それゆえ」「ゆえに」
との間の違いは何でしょうか? もちろん、「それゆえ」「ゆえに」はあまりにも
堅苦しい言い方であって、日常会話で用いるのには違和感がありますから、これは
それなりの場面でなければ普通は使わないものです。他方、「だから」「ですから」
「ですので」は、日常会話で用いるのにふさわしい言い方ですが、「だから」は、
目上の人との会話で使うのには、ややぶっきらぼうな感じで丁寧さが足りないよう
な印象があります。それに比べて、「ですから」「ですので」は丁寧な言い方です
が、その丁寧さなればこそ、会話の相手との間に距離を作り、親近感がやや薄くな
ります。

 そこで使われ始めたのが、「なので……」という言い方なのではないかと思いま
す。つまり、「なので」はほどよく丁寧な感じを保ちつつ、「ですから」「ですの
で」よりも相手との距離を縮めて親近感をもたせる言い方という気がします。

 ただ、「なので」は可愛らしい感じの言い方に聞こえるため、みずからの狭い料
簡と独断と偏見で言わせていただければ、なんとなく少女趣味的な言葉遣いという
印象があって、私自身はたぶん今後もこの接続詞を用いることはないものと予測さ
れます。


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