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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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序(再考)
   2016/10/1 (土) 07:18 by Sakana No.20161001071820

10月01日

「『文学論』のまとめに残された時間はもう
六カ月しかありません。どうすればよいでし
ょう」
「時間は感性の形式にすぎない」
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの
水にあらずと、詠嘆していればよいのでしょ
うか」
「蓋(な)んぞ亦其の本(もと)に反らざる」
「末を棄て本に復するのですね。では、もう
一度、序にもどって、この書『文学論』が如
何なる動機のもとに萌芽し、如何なる機縁の
もとに講義となり、今また如何なる事故のた
めに出版せらるるなるかを考えることにしま
す」
「講義や出版のいきさつは聞きあきた。そも
そもの動機は何かだけを思い出っしてくれれ
ばよい」
「漢学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底
同定義の下に一括し得べからざる意種類のも
のたらざるべからずことに気がつき、根本的
に文学とは如何なるものぞ、という問題を解
釈せんと決心したのです」
「その言やよし。それでその問題の答はわか
ったのか?」
「わかりません」
「なんだ、それでは貴重な感性の形式を使っ
て、『文学論』を読む価値はない」
「問題への答につながるヒントは『文学論』
の随所にあります」
「たとえば、どんなヒントだ?」
「不対法とか仮対法とか」
「そんな枝葉の末のような事柄を学んでも、
世の中で生きていくのに何の役にもたたない。
根本的に文学とは如何なるものぞ」


老子の哲学
   2016/9/28 (水) 10:05 by Sakana No.20160928100555

09月28日

「漱石先生は文科大学英文科ニ年の時、『老
子の哲学』という論文を書いておられます」
「英文学を学びながら老子の哲学を論じるゆ
とりがあった」
「おそらく、ロック、バークレー、ヒューム
という十ハ世紀英国の哲学者の思想と比較し
ながら孔孟思想や老荘思想を研究するという
気宇壮大な志を抱いておられたのでしょう」
「それならヒュームの相対主義的懐疑論より
もカントの道徳哲学をもっと研究してほしか
った」
「人間の理性には限界があります。本論の第
一篇「総論」では、偖(さて)老子の主義は如
何に、儒教より一層高遠にして一層迂闊(う
かつ)なりとは如何なる故ぞという問いを発
しておられます。カントの思想はヒュームの
思想より一層高遠にして一層迂闊なりとはい
えませんか」
「そんなことはない。せっかく英国に留学し
たのだから、漱石には東洋と西洋の比較文学
のみならず、比較哲学をもっと研究してほし
かった」
「そんなことは後世の者が研究すればよいの
です」
「無為自然」
「蓋(な)んぞ亦(また)其の本に反らざる」
「老子は嬰児たらんとす」
「然らば老子は嬰児に復帰して如何なる境界
に居らんとするか」
「足ることを知るなり。禍(わざわい)は足
るを知らざるより大なるはなく、咎(とが)
は得んと欲するより大なるはなし」


中味と形式
   2016/9/28 (水) 10:04 by Sakana No.20160928100410

09月25日

 「空間や時間がわれわれの認識における感性の
形式だとカントに言われても、私の感性はピン
 ときません」
 「形式ということばに違和感を覚えるのだろ
 う」
 「ええ、まあ、そうです」
 「『文学論』は『英文学形式論』『文学評論』
とともに三部作を構成している。『英文学形
 式論』が三部作に含まれていることからも漱
 石が形式を重視していることは見逃せない」
 「『文学論』の冒頭の<凡そ文学的内容の形
 式は(F+f)なることを要す>という法則
ないし準則についても承知しておりますが、
そもそも漱石先生のように、内容に対して形
 式を位置させて考える思考法は日本人の伝統
にはなじまないという気がします」
 「英文学の形式は、古代ギリシアの哲学者ア
 リストテレスの哲学で、「質料」(ヒュレー)
と「形相」(エイドス)を対置して、内容、
 素材とそれを用いてつくられたかたちという
対の概念として用いる考え方にさかのぼる。
 「アリストテレスの哲学? もう勘弁してく
 ださい」
 「プラトンとアリストテレスの哲学は欧米の
学生にとっては必須の教養だ」
 「私の若い頃はそのように聞いていましたが、
 現在でもそうなんでしょうか?」
 「哲学は古典だ。軽佻浮薄な流行ではない」
 「そういえば、漱石先生の講演に『中味と形
 式』があることを思い出しました。明治四十
 四年に堺で行った講演です。これも参考資料
にあげておきましょう」
 「その講演で漱石は何と言っている?」
 「子供や門外漢は、内容に余り合わない形式
をこしらえてただ表面上のまとまりで満足し
 ている事が往々にしてあると。この指摘には
思わずギクリとしました」
 「『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
 をするつもりなら、表面上のまとまりで満足
しないようにせいぜい気をつけるんだな」



文芸の哲学的基礎
   2016/9/22 (木) 07:19 by Sakana No.20160922071902

09月22日

「『文芸の哲学的基礎』は、明治40年に東
京美術学校文学会の開会式で行った講演の速
記に基づいていますが、大幅に手が加えられ
て朝日新聞に掲載されました」
「漱石文学の哲学的基礎を知るためにも注目
に値する論文だ」
「余の文芸に関する所信の大要を述べて、余
の立脚地と抱負とを明かにするは、社員たる
余の天下公衆に対する義務だろうと信ずると
述べておられます」
「『文学論』完成直後だけに、文学論と哲学
的基礎との間には何らかの間連がありそうだ」
「<もっともこの空間論も大分難物のようで、
ニュートンと云う人は空間は客観的に存在し
ていると主張したそうですし、カントは直覚
だとか云ったそ うですから、私の云う事は、
あまり当(あて)にはなりません>と述べて
おられます。ニュートンの科学もカントの哲
学もちゃんと読んで、理解しておられたよう
ですね」
「ちゃんと読んでいたかどうかわからないが、
カントはたしかに、空間や時間や因果律がわ
れわれの認識における感性の形式だとは言っ
ている」
「<空間というものも時間というものも因果
の法則というものも皆便宜上(べんぎじょう)
の仮定であって、真実に存在しているもので
はない>と漱石先生も言っておられますが、
ここのところはカントの影響があるかもしれ
ません」


十八世紀に於ける英国の哲学
   2016/9/19 (月) 07:30 by Sakana No.20160919073016

09月19日

「『文学評論』のうち「十ハ世紀に於ける英
国の哲学」を読みました」
「それはロック、バークレー、ヒュームとい
う英国の経験論哲学者たちの思想についての
ほんの概略にすぎない」
「私は特にヒュームの哲学が『文学論』に反
映されていると思いました」
「どんな点について?」
「心などというものは、実体として存在する
ものではなく、幻影のようなものだ。それは
印象と観念の連続にすぎないというのがヒュ
ームの考えですが、漱石先生の言われる文学
的内容の形式(F+f)のF(焦点的印象又
は観念)はその考えに由来しているような気
がします」
「印象と観念が連続しているにせよ、判断に
至るまでには悟性(知性)や理性が働くはず
だ。カントなら、悟性(知性)による概念的
判断の能力や判断された諸対象から、推論に
よって世界の全体像に迫ろうとする理性とい
う能力への言及がぬけているというだろう」
「ヒュームは懐疑派です。神とか魂の不滅と
か人間が経験的に与えられる以外のことを推
論しようとはしません」
「カントはそんなヒュームの懐疑論を否定し
た」
「はたして否定し去ることができたのでしょ
うか」
「哲学史を読むと、デカルトの哲学をロック
が否定し、ロックの哲学をバークレーが否定
し、バークレーの哲学をヒュームが否定し、
ヒュームの哲学をカントが否定し、カントの
哲学をヘーゲルが否定し、ヘーゲルの哲学を
マルクスの哲学が否定したことになっている。
「いったい誰の哲学が真理を語っているのか
と読者をまどわせています。新しくあらわれ
た哲学は必ずしも真理ではないということだ
けはわかりましたが」
「みんな眉に唾をつけて読み流すのだ。けっ
きょく、自分の頭で、自己中心的に考えるし
かない」
「私の感性的直観によれば、漱石先生の考え
はカントよりもヒュームに近いように思われ
ます」


感性、悟性(知性)、理性
   2016/9/16 (金) 08:50 by Sakana No.20160916085032

09月16日

「内容のない思考は空虚であり、概念のない
直観は空虚である、とカントは言っている」
「どういう意味ですか?」
「感性なしでは対象が考えられないし、知性
なしでは対象を思考することができない」
「それがどうしたというのですか?」
「漱石の法則と称する形式があったな」
「ええ、凡そ文学的内容の形式は(F+f)
なることを要す。Fは焦点的印象または観念
を意味し、fはこれに附着する情緒を意味し
ます」
「それは法則にはなっていない。せいぜいの
ところ準則だ」
「そうかもしれません。実は、その法則ない
し準則は経験論哲学者ロックやヒュームの哲
学に依存していることに気がつきました。と
ころが、経験論哲学者の使用する術語はカン
ト哲学の術語と一致しません。まず術語の整
理整頓をしておかないと頭が混乱します」
「たとえば?」
「イギリス経験論の哲学者がいう印象(=知
覚)はカントの哲学では直観(→感性)に相
当し、経験論哲学者がいう観念はカントの哲
学では概念(→知性)に相当するのではない
かと愚考します」
「観念と概念はちがうよ」
「そういわれると、ぐらつきます。ややこし
いですね」
「入門解説書ではどう説明されている?」
「感性は、人間が自分の感官を通して事物対
象を表象し、悟性(知性)は、感性的直観に
よる表象を統合して、判断にもたらす能力
(概念的判断の能力)、理性は、推論の能力。
判断された諸対象から、推論によって世界の
全体像に迫ろうとする能力となっています
(竹田青嗣『はじめてのカント「純粋理性批
判」』


汝の意志の格律
   2016/9/13 (火) 09:07 by Sakana No.20160913090701

09月13日

「汝の意志の格律が、常に同時に普遍律法に
妥当するよう行為せよというカントの有名な
定言命法がある」
「格律とはどういう意味ですか?」
「行動基準というような意味だろう」
「道という意味に近いかもしれませんね。
<子曰く朝(あした)に道を聞けば、夕べに死
すとも可なり>」
「ちょっとちがうかな。カントの格律は現在
すでにできあがっている。孔子や漱石の道は
未来において目指しているもので、現在はま
だたどりついていない」
「私は五十になって始めて道に志ざす事に気
のついた愚物です。道がいつ手に入るだろう
と考へると大変な距離があるやうに思はれて
吃驚してゐますと、晩年の漱石先生は言って
おられますね(大正五年十一月十五日、禅僧
富沢敬道宛書簡)」
「カントはいう。わが頭上の星辰をちりばめ
た天空と、わが内なる道徳法則の二つは、考
察を重ねるほどに、ますます新たな讃嘆と畏
敬の念が心を満たすと。漱石はイギリスでは
なく、ドイツに留学して、カントの哲学を学
ぶべきだった」
「しかし、カントは、道徳哲学の考察からす
すめて、神の存在や霊魂の不滅を要請してい
ます。子、怪力乱神を語らずという儒学の教
えが身にしみついている漱石先生としてはそ
こまで要請するカントの道徳哲学を学ぶ気に
はなれなかったのではないでしょうか」
「漱石の意志の格律がカントの意志の格律に
妥当しなかったのは残念なことだ」


カント哲学三部作
   2016/9/10 (土) 10:18 by Sakana No.20160910101824

09月10日

「哲学といえば、形而上学(第一哲学)をは
じめ、神学、自然学、論理学、倫理学、心理
学、社会学、美学などがありますが、そのう
ち漱石先生が関心を寄せられたのはもっぱら
心理学、社会学、美学、それに倫理学です。
倫理学はいわゆる道徳哲学にあてはまります」
「道徳哲学といえば、カントだ。『純粋理性
批判』『実践理性批判』『判断力批判』がな
つかしい」
「さすが旧制高校卒、デカンショ節を歌った
世代の先輩はちがいます。私も『純粋理性批
判』に挑戦したことがありますが、あれは
『文学論』以上に難解な書です。途中であえ
なくギブアップしました」
「若いころ、読もうとしただけでも見所があ
る。たとえそのときは挫折しても、高齢者に
なってから、その挫折体験をバネにしてら読
むことができるだろう」
「でも、高齢者になってから理性の研究して
も遅すぎるのではないでしょうか」
「そんなことはない。理性なき高齢者ばかり
が八十年も百年も長生きすればひどい世の中
になる」
「しかし、『文学論』を読みとこうとするだ
けで私の脳はもうくたくたに疲れはてました」
「発想を変えて、カントが理性を批判するよ
うな姿勢で『文学論』を批判すればよい。
かたや壮大なる哲学の体系、こちらは堂々た
る文学の体系。相手にとって不足はない」
「どちらも今や読者に見捨てられた廃墟にす
ぎません」
「ボランティアの精神で廃墟の瓦礫撤去を手
伝いたいときみは言ったではないか」
「わかりました。それでは文学論三部作の参
考資料としてカントの哲学三部作を加えるこ
とにします」


文芸と道徳
   2016/9/7 (水) 07:03 by Sakana No.20160907070352

09月07日

「漱石先生の講演は明治四十四年に大阪で行
った『文芸と道徳』もはずせません」
「『文学論』の補遺でも「文学と道徳」につ
いて道徳と文学は没交渉なりやという問いを
発している。漱石が文学の道徳、倫理に強い
関心を抱いていたことはたしかだ。大阪での
講演では何と言っている?」
「明治以前の道徳はロマンチックな道徳と呼
び、明治以後の道徳をナチュラリスティック
な道徳と名付け、そんな道徳の観点から、浪
漫派の文学と自然主義派の文学を比較対照さ
せておられます」
「自然主義派は道徳に関心があるとはいえな
いだろう」
「自然主義派は、道徳的か不道徳的かにかか
わらず、ありのままの本当をありのままに書
く正直という美徳を持っています。その美徳
があれば、それが自然と芸術的になり、その
芸術的の筆がまた自然善い感化を人に与える
というのが漱石先生の見方です」
「しかし、自然主義の道徳というものは、人
間の自由を重んじ過ぎて好きな真似をさせる
というおそれがある」
「理性で自由に歯止めをかけるべきだとか、
いや何でもありにしておいたほうがいいとい
う議論も出てきそうですね」
「道徳に関連して自由という問題を漱石はど
う考えていたのだろう」
「『文学論』では自由とか理性とか意志につ
いてのまともな議論はありません」
「その点はいささかものたりないね」


三部作プラスα
   2016/9/4 (日) 07:06 by Sakana No.20160904070631

09月04日

「『文学論』は『英文学形式論』及び『文学
評論』とともに三部作の構成となっています」
「『文芸の哲学的基礎』は?」
「それは明治40年4月20日 漱石が東京美
術学校で行なった講演の演題で、後に東京朝
日新聞に掲載されたものです」
「文学論という建築物には哲学的基礎が重要
ということは漱石にはわかっていたことを証
明している」
「それでは、三部作の関連資料ということで
『文芸の哲学的基礎』を入れておきましょう」
「もしかしたら漱石は哲学をもてあましてい
たのではないだろうか。『文学論』では哲学
への言及をなるべく避けようとした気配がう
かがえる」
「文芸上の真と科学上の真を対立させていま
すが、哲学上の真については無視し、哲学者
は科学者に含めていますね」
「その点が『文学論』の弱点の一つだな。漢
学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底同定
義の下に一括し得べからざる異種類のものた
らざるべからずという問題意識を抱いていた
のなら、当然、文学の哲学的基礎である東洋
哲学と西洋哲学とを比較考察しなければなら
ない」
「『文学評論』には「十ハ世紀に於ける英国
の哲学」という一章があります」
「東洋哲学も研究していたはずだ」
「漢学の家で生まれ、二松学舎で学んでいま
すから四書五経から左国史漢はもちろんのこ
と。それに『老子の哲学』という論文も書い
ています」
「哲学者を科学者に含めると、老子も科学者
になってしまうが、せっかくだから『老子の
哲学』も参考資料に加えたらどうか」
「了解しました。文学論三部作の哲学関連補
足資料として特に以下の論文に注目しておき
ます」

 老子の哲学
 文学評論のうち十ハ世紀に於ける英国の哲学
 文芸の哲学的基礎
  


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