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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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喜劇に対する場合
   2016/12/30 (金) 08:49 by Sakana No.20161230084956

12月30日

「『文学論』第二編 文学的内容の数量的変
化はこれで終わりです」
「ちょっと待て。『文学論』で悲劇に対する
場合を論じるなら喜劇に対する場合について
も論じなければバランスがとれない」
「アリストテレスの『詩劇』でも喜劇はとり
あげられていないはずです」
「悲劇は喜劇より偉大であると片付けてしま
って、それでいいのか」
「『文学論』第二編では、喜劇については、
不道徳文学の滑稽のところで論じているし、
『猫』や『坊ちゃん』はどうみても喜劇です
からそれで十分でしょう」
「なぜ読者が喜劇を歓迎し、『猫』や『坊ち
ゃん』のような作品に幻惑されるのか。その
理由を解説してほしい」
「読者が喜劇を歓迎するのはホッブスが言っ
たように、誰かを笑うことが自分の優越感に
つながるからではないでしょうか」
「他人の不幸は蜜の味か。ドン・キホーテや
フーテンの寅さんを笑って、優越感を抱いて
もしようがない」
「民主主義の社会では、総理大臣でも警視総
監でも、金持や資産家だって笑いの標的にな
ります。偉い人の足をひっぱり、価値観をひ
っくりかえして、憂さ晴らしをするのです」
「しかし、呑気と見える人々も、心の底を叩
いてみるとどこか悲しい音がする、というと、
喜劇と悲劇が近づいてくる」

「笑いはいわばピストル、近いところでは強
烈、的確に威力を発揮するが、遠くへは届か
ない。悲劇はそれに比べると、大砲の弾丸の
ようなもので、近くよりも遠いところで力を
出す」(ジョージ・メレディス)



悲劇に対する場合
   2016/12/27 (火) 08:25 by Sakana No.20161227082508

12月27日

「『文学論』第二編 文学的内容の数量的変
化は、最後に、悲劇に伴う情緒fについての
解説となっています」
「かつて我が国においては劇といえば必ず悲
劇を意味した。人々は『平家物語』『忠臣蔵』
『金色夜叉』『婦系図』などの登場人物の運
命に紅涙を流した。『虞美人草』の甲野君は、
悲劇は喜劇よりも偉大である、と言っている」
「読者や観客は実生活ではできるかぎり苦痛
を避けようとしています。それなのに、書物
の上、舞台の上に移して面白しと興じるのは
不思議です」
「アリストテレスは『詩学』中の悲劇論にお
いて、悲劇の効用としてカタルシス論を展開
した。<排泄>という意味だが、<浄化>
という意味もある。つまり、悲劇を読む読者
や悲劇を観る観客はいわば情緒的な下痢を起
こし、魂を浄化させる」
「排泄の後のすっきり感という説のようです
ね。『文学論』ではアリストテレスのカタル
シス論にはふれていません。その代わり、余
の考えによれば、苦痛は吾人の尤も忌む所な
るが故に尤も存在の自覚を強ふすといふパラ
ドックスより来るに似たりとあります」
「余の考えとは漱石の考えか」
「アリストテレスの糟粕をなめた考えではあ
りません。悲劇の関する所は死生の大問題な
り。死生の大問題は吾人の実在を尤も強烈な
る程度において、吾人の脳裏に反射し来る。
而して死生の大問題は皆苦痛ならざるはなし。
ただその苦痛は仮の苦痛なり。仮装なるが故
に一大安心あり。仮装なるが故に吾人の存在
をさかんならしむ。これ吾人が好んで悲劇に
赴くの第一の理由ならざるか」
「日本人には他人の悲しみに共感する能力が
あり、他人の悲しみを他人事とは思わないと
ころがある。それが悲劇的な結末を好む傾向
とつながっているのかもしれない」
「しかし、一般的にいって悲劇は流行らなく
なりましたね。他人の悲しみに共感し自己犠
牲を払ってみせて感動させるお人好しの日本
人が少なくなってきたようです」


情緒的要素の除去
   2016/12/24 (土) 07:55 by Sakana No.20161224075530

12月24日

「読者が文学賞翫という間接経験に際して自
らを幻惑する際に一部抽出、除去する情緒的
要素をあらためてざっとまとめておきます」
  1)自己関係
  2)善悪
    A)非人情
    B)不道徳文学
       崇高
     、 滑稽
       純美感
    C)君主の道徳と奴隷の道徳
    D)芸術のための芸術
  3)知的分子の除去」
「自己関係というのは、作中人物の行動に対
して読者は関係ないということか」
「ええ、責任を負わなくてすむので気が楽で
す」
「少々のことならいいが、善悪の道徳観念を
抽出して無責任というのは問題がある」
「君主の道徳と奴隷の道徳はちがいます。教
育者と芸術のための芸術家の道徳観念もちが
います」
「知的分子の除去とは?」
「人間には、わけのわからん難解な文章をあ
りがたがる傾向があります」
「わからぬが故に文学的価値ありか。なるほ
ど、わかったようなわけがわからんのような
説明だ」


情緒の再発(復起)
   2016/12/21 (水) 08:28 by Sakana No.20161221082850

12月21日

「作者が表出した作品を読んだ読者の中で幻
惑を受けるのは、情緒を再発(復起)させる
人にかぎられます」
「読解力があり、しかも感受性の強い読者だ
ろう」
「由来この情緒の復起なき人は文学に縁のな
き人々にして、世の中にはかくの如き人すこ
ぶる多し」
「しかし、文章のうまい人が情緒を復起させ
すぎるとアブナイ。たとえば、芥川龍之介、
太宰治、川端康成、三島由紀夫」
「彼らは作家として成功したからそれでいい
のです。問題は情緒を復起しすぎる読者でし
ょう」、
「そんな読者に文学の読書をすすめてはいけ
ない」
「真に文学を楽しむ資格を持っているのは、
文学書中にある焦点的印象又は観念Fより己
の情緒fを部分的に復起する人々で、この部
分的に復起することが、ちょうど適度に文学
を味わい得る程度です。つまり、直接経験と
間接経験との差異はそのfの強弱に存します
が、間接経験がその強さにおいて直接経験に
劣るというところに文学をして永く世界に跡
をたたしめざる一原因なるべしだそうです」
「そういう漱石だって情緒の復起過剰気味で
かなりアブナかった」
「漱石先生は漢学の素養と文学論の研究によ
って、危機を乗りこえました」


諺言(分子の除去)
   2016/12/18 (日) 12:05 by Sakana No.20161218120552

12月18日

「作者の表出による幻惑の手口としては省略
や誇張などがありますが、そのうち省略は、
焦点的印象又は観念Fや情緒fの一部の分子
を除去することです」
「そんな難しい理屈をこねくりまわさないで、
もっとわかりやすく説明せよ」
「では、諺言(げんげん)、つまり、諺(こ
とわざ)で説明しましょう」
「諺は処世の知恵ではあるが、文学ではない」
「五七五にすれば俳句か川柳になります」
「俳句と川柳の違いがわかっているのか」
「わかっていますが、今、ここでは同じよう
なもので、しかも諺に近い片言ということに
しておきましょう」
「俳人や川柳人が怒るぞ」
「彼らが風雅だとか、花鳥諷詠だとか、うが
ちだとか、風刺だとかいったって、要するに
一部の分子を除去した勝手な概括の試みにす
ぎません」
「概括ではない。表出だ」
「言葉はちがっても、中身は同じようなもの
です。諺を例にとると、去るものは日々に疎
し(Out of sight, out of mind.)と、不在が
愛(いと)しさをつならせる(Absence makes 
the heart grow fonder.)とでは、反対の意味
になりますが、両者とも無理ならぬこととし
て私たちは納得しています。状況によって都
合よき場合のみを概括することによって矛盾
が生じるのです」
「矛盾は生じても、時と場合によってはどち
らも真実の表現だ」
「このような分子の除去が、作者の幻惑、即
ち表出の腕の見せどころになっています」


作者の表出と読者の幻惑
   2016/12/18 (日) 12:01 by Sakana No.20161218120134

12月15日

「読書は間接体験ですから、実生活におけ
る直接体験とはずれが生じます」
「そのずれを漱石は数量変化というか」
「ええ、ずれをきたす原因は二つあります。
一つは与えられた材料に対して作者が表出
する態度、もう一つはそのように表出され
た作品に対する読者の態度です」
「要するに作者の技巧と読者の鑑賞力だ」
「技巧というのは、醜いものを連想の作用
によって美となすような表出の方法であり、
一方、読者は一般的に作者の表出方法に同
意し、嬉々として幻惑されます」
「この世の中はそんな単純素朴な読者ばか
りではない。高度な鑑賞力を自負する目利
きの評論家もいる」
「評論家の言うことも間接体験に基づいて
いますから、信用できません」
「作者がいくら巧みに表出の方法を工夫し
ても、八十歳の老婆を十八歳の乙女よりも
美しく描くのは無理だろう」
「それはそうですが、善を悪とし、悪を善
として描くことはできます」
「作者が表出を工夫することによって読者
を幻惑する余地があるということは、ぶっ
ちゃけていうと、その幻惑への対価を得る
ことによって、作家という職業が成立する」
「そういうことはいえます」
「漱石は成功者だが、あくまでそれは文学
の第二の目的に関していえることだ」



fにともなう幻惑
   2016/12/12 (月) 07:39 by Sakana No.20161212073953

12月12日

 「ここで情緒fの変化にともなう幻惑という
現象に注目しておきます」
 「文学の第二の目的だと漱石がいう幻惑だな」
 「幻惑が生じる原因は大きく分けて二つあり
 ます。作者の表出による幻惑と読者が勝手に
抱く幻惑です」
 「作者は表出を工夫することによって読者を
幻惑しようとし、一方、読者は幻惑されたが
 っている。そこに需要と供給の市場経済が成
 立する」
 「そんな市場経済にまで『文学論』は踏み込
んでいません。幻惑どまりですが、文学作品
を読書する場合、実生活における価値判断が
幻惑によって変わってしまうことがあります」
 「つまり、実生活の直接体験における価値判
 断が読書の間接体験ではずれてしまう。普通
の人事界や天然界では不快に感じるようなこ
 とが間接経験になると一回転して快感を生ず
 る」
 「その通りです。価値判断がずれるというこ
 とは、いわば、人格が変わってしまうことで
 す。学校の先生はむやみやたらに子供たちに
読書をすすめますが、それでいいのでしょう
 か」
 「人生は文学にあらず、ということさえわか
 っていればよい」
 「それでは何のために文学を研究するのです
 か」
 「漱石に聞いてくれ」
 「その答えも『文学論』には見当たりません」


fの変化
   2016/12/9 (金) 09:06 by Sakana No.20161209090623

12月9日 

「焦点的印象又は観念Fの変化にともない情
緒fも変化します」
「漱石のように感情の起伏のはげしい人はつ
くあいにくい」
「漱石先生は文学論の研究によってfの変化
をコントロールし、狂気と神経衰弱を克服さ
れました」
「胃潰瘍は克服できなかった」
「fの増加は三つの法則によって支配されま
す。即ち、(一)感情の転置、(二)感情の
拡大、(三)感情の固執」
「その三つの法則が『猫』に応用されている
という指摘は記憶に残っている」
「そんなこともありましたね。感情の転置は、
俳人高浜虚子の行水の女に惚れる烏かな、と
いう俳句を例にとりました。
「烏が人間の女に惚れるはずがない」
 「ですから、俳人虚子が美しい女の行水をし
て いるところを見て、はっと思う途端に惚れ
込んだ。つまり作者が自分の感情を烏に転置
したという解釈になります。次に感情の拡大
は中学二年生の古井武右衛門君が巌頭の吟で
も書いて華厳滝から飛び込みそうな風情で悄
然として門を出る姿が例にあげられています」
「作者の立場から見れば、誇張法だね」
「感情の固執は、親兄弟に見離され、あかの
他人の傾城に、可愛がらりょう筈がない、と
いう苦沙弥先生のひがみ根性を例にとって説
明しましたので、記憶に強く残ったのだろう
と思います」


Fの変化
   2016/12/6 (火) 07:41 by Sakana No.20161206074156

12月6日 

「Fは如何に変化するか。一個人の生涯を通
じて観察すると面白いですね」
「面白いとか、面白くないとかの問題ではな
い」
「赤ん坊の頃より、幼年、少年、青年、成年、
老年とFは変化します。その間に識別力が発
達するとともに、識別すべき事物が増加しま
す」
「天才の意識は特別ではなかろうか。三島由
紀夫は生まれたとき、産湯の盥のふちに日の
光が射していたことを覚えていたという。生
まれた瞬間からすでに識別力がすでに発達し
ていたのだ」
「それは小説『仮面の告白』に書かれていま
すが、私には信じられません」
「三島由紀夫が天才だったということは認め
るだろう」
「東京大学の銀時計組で、大蔵省に入省した
という事実だけでも頭が並外れてよかったこ
とは認めますが、赤ん坊の記憶に関してはど
んなものでしょう。私は脳ミソをいくら刺激
しても三歳以前の記憶にはさかのぼることが
できません。そんな私でも三歳の記憶が今も
なお残っていることは不思議です。いったい
三歳の私は現在の私と同一人物なのでしょう
か」
「三つ子の魂百までという。きみの身体はあ
きらかに三歳の頃のきみの身体ではないが、
魂は同じかもしれない」
「そうなると、天才か凡才かとはかかわりな
く、また、文学の技法ともかかわりなく、意
識の流れという現象そのものが私には非常に
興味深いものに思われます」
「意識は毎夜、睡眠中に中断されている」
「睡眠中は夢でつながっているようです。朝、
目覚めると、また意識の流れが戻っています。
こんな不思議な現象が他にあるでしょうか」


文学的内容の数量変化
   2016/12/3 (土) 08:27 by Sakana No.20161203082742

12月03日

「第二編 文学的内容の数量変化にすすみま
す」
「文学的内容の数量変化とはとんでもない発
想だ。漱石の頭がおかしいという噂がたった
のも無理はない」
「しかし、ウィリアム・ジェームズの『心理
学』に触発されて、意識の流れに着目し、情
緒は文学の試金石にして、始にして終なりと
すという考えがひらめいたことから(F+f)
の法則を打ち立てとすると、数量変化の発想
もわかるような気がします」
「そのような気がする理由は?」
「漱石先生の意識の流れを想像してください。
ロンドン留学中、根本的に文学とは如何なる
ものぞという疑問が湧いた。これは知的Fで
すが、倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉
快の二年なりなどという情緒fがくっついて
います。そして、(F+f)が変化していっ
て、文学脳が異常発達し、帰国後は英文学者
のFが実作者の(F+f)になったのです」
「第二編では、Fの変化とfの変化を論じ、
さらにfに伴う幻惑についても論じている」
「その幻惑も『文学論』の重要な着眼点です。
第二編では文学の目的については言及されて
いませんが、第四編 文学的内容の相互関係 
第八章 間隔論では、文学の大目的について
はふれず、文学の第二の目的が幻惑なりとな
っています」
「とすると、漱石の『文学論』は実は『幻惑
論』だ」
「そう云われないように、幻惑はあくまでも
文学の第二の目的ということになっています。
そして、その幻惑を説明する伏線として、第
二編では文学的内容の数量変化が論じられて
いるのです」
「文学の第一の大目的とは関係がないんだな」
「それはまったく別物です」


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