ほくしん文芸クラブ
|||||||||||||||||| フォーラム ||||||||||||||||||

『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
 ID


全241件 <更新> ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 終了]

PAGE 24 (231〜240)


視覚──耀 
   2015/6/9 (火) 05:51 by Sakana No.20150609055134

06月09日

「視覚はさらに、耀、形、運動、色へと細分
されています。まずは耀(かがやき)から」
「文学論では<苔むした石のかたわらの菫/
人目からなかば隠れて!/──ただ一つ空に
輝く/星のように美しく>というワーズワース
の詩などの文例が紹介されている」
「『猫』では、車屋の黒の眼が琥珀よりも美
しく輝いていたとなっています」
「黒は近辺で知らぬ者なき乱暴猫だ。車屋だ
けに強いばかりでちっとも教育がないから誰
もあまり交際しない」
「それでも琥珀よりも美しく輝く眼を持って
います」
「近辺で嫌われ者の猫の眼が苔むした石のか
たわらの菫と同じように美しく輝くというの
だから大自然の懐の深さがわかる」
「『それから』の高等遊民の代助は最後に、
世の中が真っ赤になりました」
「それは耀きとはちがうだろう。高等遊民も
錯乱すると、頭の中が真っ白になるか、視覚
に写るものがみんな真っ赤になる。きみも気
をつけなさい」

 彼は猫中の大王とも云うべき程の偉大なる
体格を有している。吾輩の倍は慥かにある。
吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて
彼の前に佇立して余念もなく眺めていると、
静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧
桐の枝を軽く誘ってぱらぱらと二、三枚の葉
が枯菊の茂みに落ちた。大王はくわっとその
真丸の眼を開いた。今でも記憶している。そ
の眼は人間の珍重する琥珀というものよりも
遙かに美しく輝いていた。
      (『猫』一)

 煙草屋の暖簾が赤かった。売り出しの旗も
赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板
がそれからそれへと続いた。仕舞には世の中
が真っ赤になった。(『それから』)


聴覚
   2015/6/6 (土) 07:25 by Sakana No.20150606072555

06月06日

「聴覚も文学的内容の基本成分の一つです」
「なんだと」
「耳が遠くなりましたね。雲雀の声が聞こ
えますか」
「声はすれども姿は見えずだが、聞こえる
よ」
「では、昨夜、床の中で花が落ちる音を聞
きましたか」
「そんな音は聞いていない」
「枕元を見て下さい。八重の椿が一輪畳の
上に落ちているでしょう。代助はたしかに
この花が落ちる音を聞いたのです」
「赤い椿白い椿と落ちにけり。河東碧梧桐
も聞いたらしいが、椿が散るときはほんと
うに音がするのか?」
「散るときは音がしませんが、落ちるとき
は音が聞こえます」
「聴覚は微妙なものだな」
「もっと微妙なのは吾妻橋の上で寒月さん
の名を呼ぶ声が聞こえたというのですが、
信じられますか」
「幻聴か、作り話だ。そのネタ元は落語に
あるらしい」

「私は又水を見る。すると遙かの川上の方で
私の名を呼ぶ声が聞えるのです。果てな今時
分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水の前
をすかして見ましたが暗くて何も分りません。
気のせいに違いない早々帰ろうと思って一足
二足あるき出すと、又幽かな声で遠くから私
の名を呼ぶのです。私は又立ち止って耳を立
てて聞きました」(『猫』二)

 忽ち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見
下ろしたが、どこで鳴いているか影も形も見
えぬ。只声だけが明らかに聞える。(『草枕』)

 枕元(まくらもと)を見ると、八重の椿
(つばき)が一輪畳の上に落ちている。代助
は昨夕(ゆうべ)床の中で慥(たし)かにこ
の花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それ
が護謨毬(ゴムまり)を天井裏から投げ付け
た程に響いた。夜が更(ふ)けて、四隣(あ
たり)が静かな所為(せい)かとも思ったが、
念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋
(あばら)のはずれに正しく中(あた)る血
の音を確かめながら眠(ねむり)に就いた。
    (『それから』)


嗅覚 
   2015/6/3 (水) 06:05 by Sakana No.20150603060552

06月03日

「嗅覚も文学的内容の基本成分の一つです」
「要するに動物的本能の一つ」
「幸か不孝か、いたちの臭い屁と百合の甘い
香をかぎわける能力は私にもそなわっている
ようです」
「しかし、いたちの臭い屁のあとで、百合の
甘い香をかがされると、恋の情緒にひたる気
分にはなれない」
「それは、たまたま嗅覚の例として、二つの
文例をならべただけで、現実の作品を読むと
ときは別々のコンテキスト(前後関係)です。
『猫』を読めば笑えるし、『それから』を読
めば恋の情緒にひたることができるようにな
っています」
「そんな風に、作者の意のままに幻惑されて
いたのかと思うと、腹が立つ」
「いやな臭いや好い香を追体験させてくれた
作者の手際に拍手すればよいのです」
「追体験といっても、それは実体験ではない。
現実には読書からは本の匂いがするだけだ」
「そういえば、昔は本を手にするといい匂い
がしたような記憶がありますが、最近はあま
り感じません」
「それは印刷される本の資質も変わっている
かもしれないが、たぶんきみの嗅覚が衰えて
いるせいだよ」
 
「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえ
のものだ。こん畜生って気で追っかけてとう
とう泥溝(ドブ)の中へ追い込んだと思いね
え」「うまく遣ったね」と喝采してやる。
「ところが御めえいざってえ段になると奴め
最後っ屁をこきやがった。臭えの臭くねえの
ってそれからってえものはいたちを見ると胸
が悪くならあ」(『猫』一)
 
 先刻(さっき)三千代が提げて入って来た
百合の花が、依然として洋卓(テーブル)の
上に載っている。甘たるい強い香が二人の間
に立ちつつあった。代助はこの重苦しい刺激
を鼻の先に置くに堪えなかった。けれども無
断で、取り除ける程、三千代に対して思い切
った振舞が出来なかった。
「この花はどうしたんです。買て来たんです
か」と聞いた。三千代は黙って首肯(うなず)
いた。そうして、
「好い香(におい)でしょう」と云って、自
分の鼻を、弁(はなびら)の傍まで持って来
て、ふんと嗅いで見せた。(『それから』)


味覚
   2015/5/31 (日) 06:52 by Sakana No.20150531065234

05月31日

「次は味覚です。清が笹ぐるみ、むしゃむし
ゃ食べている──そんな夢を坊っちゃんが見
ていますね」
「清はパンダかよ」
「苦沙弥先生はジャムを嘗めるのが好きでし
た」
「ジャムとか藤村の羊羹とか、甘いものを食
べ過ぎて胃潰瘍になった」
「先生は甘党ですね」
「酒も飲めないわけではない」
「大町桂月が飲めというので四杯も酒を飲ん
で、顔が赤くなり、焼火箸のようになったこ
とがあります」
「その辺が限界だろう」

 うとうとしたら清(きよ)の夢(ゆめ)を
見た。清が越後(えちご)の笹飴(ささあめ)
を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は
毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこ
の笹がお薬でございますと云(い)って旨そ
うに食っている。(『坊っちゃん』)

「近頃はどうです、少しは胃の加減が能いん
ですか」「能いか悪いか頓と分かりません。
いくら甘木さんにかかったって、あんなにジ
ャムばかり嘗めては胃病の直る訳がないと思
います」と細君は先刻の不満を暗に迷亭に洩
らす。「そんなにジャムを嘗めるんですかま
るで小供のようですね」(『猫』三)

「いやー珍客だね。僕のような狎客(こうかく)
になると苦沙弥(くしゃみ)はとかく粗略に
したがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは
十年に一遍くらいくるに限る。この菓子はい
つもより上等じゃないか」と藤村(ふじむら)
の羊羹(ようかん)を無雑作(むぞうさ)に
頬張(ほおば)る。(『猫』四)

  もっとも今夜に限って酒を無暗(むやみ)
にのむ。平生なら猪口(ちょこ)に二杯とき
めているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随
分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼
火箸(やけひばし)のようにほてって、さも
苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう
一杯」と出す。細君はあまりの事に
「もう御よしになったら、いいでしょう。苦
しいばかりですわ」と苦々(にがにが)しい
顔をする。
「なに苦しくってもこれから少し稽古するん
だ。大町桂月(おおまちけいげつ)が飲めと
云った」
「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢
っては一文(いちもん)の価値もない。
「桂月は現今一流の批評家だ。それが飲めと
云うのだからいいに極(きま)っているさ」
「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だっ
て、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な
事ですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をし
て、旅行をしろといった」
「なおわるいじゃありませんか。そんな人が
第一流の批評家なの。まああきれた。妻子の
あるものに道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さ
えあればやるかも知れない」
「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始
められちゃあ大変ですよ」
「大変だと云うならよしてやるから、その代
りもう少し夫(おっと)を大事にして、そう
して晩に、もっと御馳走を食わせろ」
「これが精一杯のところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が
這入(はい)り次第やる事にして、今夜はこ
れでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬
を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜(よ)
豚肉三片(みきれ)と塩焼の頭を頂戴した。
           (『猫』七)




温度
   2015/5/28 (木) 06:30 by Sakana No.20150528063053

05月28日

「温度が文学的内容として存在し得る一例とし
て文学論では、キーツの詩『聖アグネスの宵祭』
から引用されています。Ah, bitter chill it was!
(ああ、肌さす寒さ!)
「そんな詩を読んでも、こちらは今、五月、早
くも熱中症でダウンしてしまった。寒くはない」
「単に寒冷の感覚が直ちに(F+f)となって
入り込むにはあらざれども、その感覚を喚起せ
んがために特にこれら諸種の句を陳列せるなり」
「詩を読んだだけでは肌寒くならない」
「では、猫になったと想像して、ひもじさと寒
さを感じてください」
「猫に読み書きができるものか」
「牡猫ムルができるなら日本の猫だって読み書
きくらいはできるし、寒さを感じることもあり
ます」
「暑さ寒さも彼岸まで、というが」
「『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』というのは
元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単
にそう名づけたまでに過ぎない。実は空(むな)
しい標題(みだし)である」

 然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢
が出来ん。吾輩は再びおさんの隙を見て台所に
這い上った。すると間もなく又投げ出された。
(『猫』一)

  事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃
すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだっ
たのである。ところが余り暑い盛りに大患後の
身体(からだ)をぶっ通(とお)しに使うのは
どんなものだろうという親切な心配をしてくれ
る人が出て来たので、それを好(い)い機会
(しお)に、なお二箇月の暇を貪(むさぼ)る
ことにとりきめて貰ったのが原(もと)で、と
うとうその二箇月が過去った十月にも筆を執
(と)らず、十一十二もつい紙上へは杳(よう)
たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべ
き仕事が、こういう風に、崩(くず)れた波の
崩れながら伝わって行くような具合で、ただだ
らしなく延びるのはけっして心持の好いもので
はない(『彼岸過迄』)


触覚
   2015/5/25 (月) 06:21 by Sakana No.20150525062126

05月25日

「文学的内容の基本成分として感覚的要素から
まず触覚にふれることにしましょう。タッチ」
「色即是空。感覚は欺きやすい」
「文学論では沙翁の『オセロー』から美しい妻
デスデモーナの雪よりも白い肌、雪花石膏のよ
うに滑らかな肌、それからテニソンの詩『砕け
よ、砕けよ、砕けよ』から<消えうせた手の触
感>の描写が引用されています」
「五蘊皆空。受想行識亦復如是」
「日本文学から文例をさがすと、猫が書生の掌
(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられ
た時何だかフワフワした感じがあった、という
のがありました」
「フワフワした感じというのは触覚とはすこし
ちがうのではないか」
「では、『道草』からの文例はどうでしょう。
この寒天のようにぷりぷりした触覚を経験した
ことがありますか」
「なんだ、そのある物とは?」
「生まれたばかりの赤ん坊です。産婆がやって
くるのが遅れたので、やむをえず夫が産婆の代
わりに赤ん坊をとりあげた場面です」
「そんな経験をしたことがないからピンとこな
いが、寒天のようにぷりぷりという表現は面白
い」

 吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で
一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。
この書生というのは時々我々を捕(つかま)え
て煮(に)て食うという話である。しかしその
当時は何という考もなかったから別段恐しいと
も思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載
せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフ
ワした感じがあったばかりである。(『猫』一)

  彼の右手はたちまち一種異様な触覚をもって、
今まで経験したことのないある物に触れた。そ
のある物は寒天のようにぷりぷりしていた。
                (『道草』)


文学的内容の基本成分
   2015/5/22 (金) 08:24 by Sakana No.20150522082456

05月22日

「文学的内容の基本成分について考えましょ
う。基本成分に分解して、本質ないし実体を
理解した上で、総合するのです」
「それはデカルトが『方法序説』でうちたて
た学問の方法だ。科学技術の研究ならともか
く、わざわざ文学的内容を基本成分に分解し
て考えた上で、おもむろに創作に着手する作
家がいるとは思えない」
「少なくとも『文学論』の著者はその方法で
創作したのです。基本成分ごとに英文学から
の文例が引用されていますが、英文学は今や
故郷と同じく遠きにありて思うものです。こ
こではもっと身近な漱石作品から文例を引用
して考えることにしたいと思います」
「漱石作品だって百年前の日本から材料をと
っているから今や身近とはいえない」
「たしかにかびは生えていますが、それでも
現在の日本人の人情や風俗習慣とつながって
います」
「つらぬく棒のようなもの、というわけか」
「まず、<感覚的要素>と<内部心理作用>
に大別し、次のような基本成分がピックアッ
プされています。

(A)簡単な感覚的要素(Groos『人の戯』)
 触覚、温度、味覚、嗅覚、聴覚、視覚(耀、
形、運動、色)、その他
(B)人類の内部心理作用(Ribot『情緒の心理』)
 恐怖、怒、同感、恋、嫉妬、忠誠心、複雑情緒、
 その他

「笑と涙は、文学作品の読者の内部心理作用に
訴える文学的内容の重要な基本成分だと思うが、
リストから抜けているのはなぜだ?」
「漱石先生ではなく、GrosやRibotの責任です」
「GrosとかRibotとか聞いたこともない心理学者
の説を鵜呑みにしているようだが、大丈夫か?。
「とりあえず、こんな基本成分がありますという
ことを示すために借用しただけでしょう」
「元素周期表には118個の元素が表示されいる。
文学的内容の基本成分は何個あるのか?」
「それは宿題ということにして、中学生に最新の
リストを作成させましょう」


個人的一生涯におけるF
   2015/5/19 (火) 08:45 by Sakana No.20150519084505

05月19日

「『文学論』では、広義において意識の波の焦
点F(印象または観念)は三通りに分類をする
ことができるとなっております。
 (一)一刻の意識におけるF
 (二)個人的一世の一時期におけるF
 (三)社会進化の一時期におけるF(時代思
    潮)」
「それはわかっている」
「もう一つ、私は個人的一生涯におけるFとい
うものを考えたいのですが」
「どういうFだ?」
「高浜虚子に<去年今年貫く棒のようなもの>
という俳句があります。この棒のようなものは
(二)個人的一世におけるF、あるいは(三)
社会進化の一時期におけるF、に相当するもの
だと思いますが、さらに個人的一生涯における
Fを考えることもできるのではないでしょうか」
「?」
「諺に三つ児の魂百まで、というのがあります。
そのように人間が生れてから死ぬまでの生涯を
通じて一貫する意識を考えたいのです」
「仮に魂が存在するとしても、ふだんは意識の
底にひそんでいるはずだ。意識の波の頂点Fに
上ってくることはめったにない」
「吉田松陰の生涯をどう思います?かくすれば 
かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大
和魂/身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め
置かまし 大和魂」

 「大和魂! と叫んで日本人が肺病病みの咳をした」
 「起こし得て突几ですね」と寒月君がほめる。
 「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸が云う。
 大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をす
 る。独逸で大和魂の芝居をする」
 「成程こりゃ天然居士以上の傑作だ」と今度は迷亭先生が
 そり返ってみせる。
 「東郷大将が大和魂を有(も)っている。肴屋の銀さんも
 大和魂を有っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を
 有っている」
 「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」
 「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行
 き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
 「その一句は大出来だ。君は中々文才があるね。それから
 次の句は」
 「三角なものが大和魂。四角なものが大和魂か。大和魂は
 名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらし
 ている」
「先生大分面白う御座いますが、ちと大和魂が多過ぎはし
 ませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは
 無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞
 いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂は
 それ天狗の類か」(『猫』六)



心を自由にする修行の形式
   2015/5/17 (日) 10:06 by Sakana No.20150517100639

05月16日

「凡そ文学的内容の形式は(F+f)なるこ
とを要す──この漱石の法則(Soseki's Law
on Form of Literary Substance)は、人間的
内容の形式(Form of Human Substance)、つ
まりいかに生きるべきかという文学的主題の
形式にも応用できるのではないでしょうか」
「漱石がそういっているのか?」
「私の模倣的な頭にひらめいただけですが、
『吾輩は猫である』にもそれらしき表現があ
ります」
「どの辺に?
「『猫』第八で、苦沙弥先生が八木独仙に相
談すると、独仙は<心さへ自由にする修行を
したら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気
なものではないか>と言います。あ、そうか、
と苦沙弥先生は頓悟した。そして、(F+f)
の法則を応用して癇癪を抑えることができた
ようです。さらに、作者はそんな文章を書く
とによって神経衰弱と狂気を克服できたので
はないか──とこれはまあ、私の想像ですが」
「人間の心がそう簡単に自由になるものだろ
うか」
「F(意識の波の頂点)に何を置くか、そし
て、どのようなf(情緒)をそれに附着させ
るかを考えた上で実行する自由はあると思い
ます。結果は修行次第です」
「人間の自由とは、所詮その程度のものか」
「その程度のことでも、ほんとうにわかって
いる人は少ないと思いますよ」


情緒とは何ぞや 
   2015/5/13 (水) 07:12 by Sakana No.20150513071203

05月13日

「f(情緒的要素)は文学の欠くべからざる
ものです」
「feeling(感情)の頭文字。英語ではemotion
も情緒という意味だが、feelingもemotionも同
じような意味か」
「fだけではただの情緒、感情でしかありませ
んが、F(意識の波の頂点)に附着すると、文
学的内容の形式(F+f)になります」
「作者が(F+f)で言いあらわしても、読者
が(F+f)として受容しなければ、文学的内
容の形式として成立しない」
「そこが文士渡世のつらいところです。深沢七
郎という作家をご存じですか」
「『楢山節考』の作者だ。<人生永遠の書>と
正宗白鳥が激賞した」
「白鳥という読者にとって、『楢山節考』は
(F+f)という文学的内容の形式は成立して
います。ところが、深沢七郎は人間滅亡教の教
祖で、読書など一つもしたことがないような顔
をしていました。それでも、夏目漱石くらいは
読むのだろうと、ある人(秋山駿)が聞くと、
<夏目漱石は二、三枚読んで、この人はにせ者
じゃないかなという気がしてやめちゃったです>
と答えたとか」
「ハハァ、すると、にせ者の文学論を苦労して
読んでいるきみはなに者だ?」
「(めげずに)漱石の法則(F+f)について
補足しておきますと、三つの場合が考えられます。
 (一)F+fとなって現れる場合
 (二)作者がfを表現し、読者がFを補足する
 (三)作者がFを表現し、読者がfを引受ける」
「具体的な例を示してくれ」
「『文学論』に載っている次の例でいうと、憂心
殷々、已焉哉、謂之何哉の三句は、詩人の感情f
であり、出自北門、終窶且貧、莫知我艱、天實爲
之の四句はFです」

 出自北門、憂心殷々、終窶且貧、莫知我艱、 
  已焉哉、天實爲之、謂之何哉、
 (北の門より出でゆけば/憂いの心は殷殷(いん
 いん)たり、終(あ)くまでも窶(やつ)れて
 且つ貧しきも/我が艱(なや)みを知るもの莫
 (な)し/已(や)んぬる哉/天実(じつ)に之
 (これ)を為せり/之を何んとか謂(い)わんや)


ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 終了] <照会>
  • 投稿したい方は登録が必要です.
  • ログインしている状態で投稿が可能です.
  • 同じログインIDで投稿した記事の削除が可能です.
  • ログインIDはパスワードと同じで、誰にも教えてはいけません.
  • 公序良俗に反する内容の投稿は固くお断りします.