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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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文学的内容の分類(人事F)
   2015/8/8 (土) 07:47 by Sakana No.20150808074730

8月8日

「次は人事F──文学的内容の主流は何とい
っても感覚Fと人事Fです」
「たしかに、超自然的Fと知的Fは影が薄い。
ホラー小説や哲学小説では文学的内容の主流
にはなり得ない」
「天璋院の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの
御っかさんの甥の娘──というのはわかりに
くい人事ですが、そう云われてみると、わけ
がわからないままに、なんとなくおかしいで
すね」
「天璋院篤姫の秘書の妹の嫁入り先の姑の甥
の娘なんぞ人事的に面白くもなんともない」
「たしかにそのこと自体は面白くないですね。
それにひきかえ、『坊っちゃん』が紹介して
くれる中学校の先生方の描写は面白い。あだ
名のつけ方が実にうまいと感心しました」
「狸と赤シャツはわかるが、うらなりは説明
しないとわからない」
「大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてる
もんだがこの男は蒼くふくれている。(中略)。
蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄
子を食った酬(むく)いだと思う。この英語
の教師もうらなりばかり食っているに違いな
い」
「山嵐は?」
「これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐ
りぼうず)で、叡山(えいざん)の悪僧(あ
くそう)と云うべき面構(つらがまえ)であ
る。人が叮寧(ていねい)に辞令を見せたら
見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊
びに来給(きたま)えアハハハと云った。何
がアハハハだ。そんな礼儀(れいぎ)を心得
ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこ
の時からこの坊主に山嵐という渾名(あだな)
をつけてやった
「それに、野だいこ?」
「画学の教師は全く芸人風だ。べらべらし
た透綾(すきや)の羽織を着て、扇子(せん
す)をぱちつかせて、お国はどちらでげす、
え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来
て……私(わたし)もこれで江戸っ子ですと
云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生
れたくないもんだと心中に考えた」

「御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だ
わね」六十二で生きているくらいだから丈夫
と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事
をした。少し間(ま)が抜けたようだが別に
名答も出て来なかったから仕方がない。「あ
れでも、もとは身分が大変好かったんだって。
いつでもそうおっしゃるの」
「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院
(てんしょういん)様の御祐筆(ごゆうひつ)
の妹の御嫁に行った先(さ)きの御(お)っ
かさんの甥(おい)の娘なんだって」「何で
すって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御
嫁にいった……」「なるほど。少し待って下
さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あら
そうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の…
…」「よろしい分りました天璋院様のでしょ
う」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」
「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」
「そうそう間違った。妹の御嫁に入(い)っ
た先きの」
「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っ
かさんの甥の娘なんですか」「ええ。分った
でしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を
得ないですよ。詰(つま)るところ天璋院様
の何になるんですか」「あなたもよっぽど分
らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の
御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なん
だって、先(さ)っきっから言ってるんじゃ
ありませんか」「それはすっかり分っている
んですがね」「それが分りさえすればいいん
でしょう」「ええ」と仕方がないから降参を
した。吾々は時とすると理詰の虚言(うそ)
を吐(つ)かねばならぬ事がある。(『猫』二)

 今日学校へ行ってみんなにあだなをつけ
てやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英
語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学は
野だいこ。(『坊っちゃん』)



文学的内容の分類(感覚F)
   2015/8/5 (水) 08:37 by Sakana No.20150805083721

8月5日

「それでは文学的内容の分類のうち、まず感
覚Fの文例を漱石作品から拾ってみましょう」
「文学作品でもっとも感覚的なのは詩歌だと
いうが、行水の女に惚れる鴉かな という虚
子のデカダン俳句も詩歌のうちか」
「そうでしょうね。舞台の真中へ大きな柳を
一本植え付けて、その柳の幹から一本の枝を
右へスッと出させて、その枝へ烏(カラス)
を一羽とまらせる。その下へ行水の盥を出し
て、裸の美人が横向きになって手拭を使って
いる──今や美人が盥で行水する時代ではあ
りませんが、想像するだけで、私の感覚には
訴えてきます」
「明治大正時代の古めかしいレトロ感覚だ」
「紫の女はどうですか」
「『虞美人草』か。藤尾という女にそんな同
情をもってはいけないと漱石は云っている。
あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。
徳義心が欠如した女である。あいつを仕舞に
殺すのが一遍の主意である。うまく殺せなけ
れば助けてやる。しかし助かればなおなお藤
尾なる人間は駄目な人間になる。あれは厭な
女だ」
「朝日新聞に連載がはじまると、三越が虞美
人草浴衣を売り出し、飛ぶように売れるほど
の評判になりました。そして、藤尾が死ぬと、
抗議の手紙が朝日新聞に殺到したそうです」
「作者の感覚と読者の感覚にずれがある例だ
ともいえよう」

「先ず道具立てから話すが、これも極簡単な
のがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え
付けてね。それからその柳の幹から一本の枝
を右の方へスッと出させて、その枝へ烏(カ
ラス)を一羽とまらせる」「烏がじっとして
いればいいが」と主人が独り言のように心配
した。「何わけは有りません。烏の足を糸で
枝へ縛り付けて置くんです。でその下へ行水
盥を出しましたね。美人が横向きになって手
拭を使っているんです」「そいつは少しデカ
ダンだね。第一誰がその女になるんだい」と
迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術
学校のモデルを雇って来るんです」「そりゃ
警視庁がやかましく云いそうだな」と主人は
心配している。(行水の女に惚れる烏かな 
虚子)(『猫』六)

 紅(くれない)を弥生(やよい)に包む昼
酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んず
る紫(むらさき)の濃き一点を、天地(あめ
つち)の眠れるなかに、鮮(あざ)やかに滴
(した)たらしたるがごとき女である。夢の
世を夢よりも艶(あでやか)に眺(なが)め
しむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢(びん)
の上には、玉虫貝(たまむしかい)を冴々
(さえさえ)と菫(すみれ)に刻んで、細き
金脚(きんあし)にはっしと打ち込んでいる。
静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとす
るを、黒き眸(ひとみ)のさと動けば、見る
人は、あなやと我に帰る。半滴(はんてき)
のひろがりに、一瞬の短かきを偸(ぬす)ん
で、疾風の威(い)を作(な)すは、春にい
て春を制する深き眼(まなこ)である。この
瞳(ひとみ)を遡(さかのぼ)って、魔力の
境(きょう)を窮(きわ)むるとき、桃源
(とうげん)に骨を白うして、再び塵寰(じ
んかん)に帰るを得ず。ただの夢ではない。
糢糊(もこ)たる夢の大いなるうちに、燦
(さん)たる一点の妖星(ようせい)が、
死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉(まゆ)
近く逼(せま)るのである。女は紫色の着
物を着ている。(『虞美人草』)


文学作品の分類
   2015/8/2 (日) 05:19 by Sakana No.20150802051902

8月02日

「文学的内容(Lierary Substance)の分類と
いうのは漱石先生独特の創見によるものです
が、私のような凡庸な読者にとっては単純に
文学作品(Literary works)の分類について考
えたほうがわかりやすいと思います」
「凡庸な頭でも理解できるのはどんな分類だ
ろう」
「伊藤整『文学入門』によれば、文学作品は
記録文学、物語文学、詩歌の三つに分けられ
ています。もっとも感覚的なものは詩歌、も
っとも現実そのものに近いのが記録文学です」
「物語文学は?」
「竹取物語、源氏物語のような空想の世界を
描いたもので、その起こりは多く宗教と関係
があるようです」
「小説と詩に分けたり、あるいは叙事詩、抒
情詩、小説、戯曲と分ける。さらに小説を長
編小説、中編小説、短編小説に分けたり、詩
を散文詩や抒情詩や叙事詩や劇詩に分けたり
することもできる」
「でも、そのような一般的な区別の仕方には
あまり意味がないですね。やはり文学作品を
伊藤整のように記録文学、物語文学、詩歌に
分けるか、文学的内容を漱石先生のように、
感覚F、人事F、超自然F、知的Fに分けて
考えるのが、まっとうな文学者のやることだ
と思います」


文学的内容の分類
   2015/7/30 (木) 05:29 by Sakana No.20150730052930

7月30日

「漱石先生は文学的内容(Literary Substance)
の基本成分(The Constituent Elements of Literature)
を列挙した後に、文学的内容を次の4種に分類
しておられます。
  感覚的F (sensation F)
  人事的F (personification F)
  超自然的F (metaphisicial F)
  知的F (intellectual F)
この分類についてどう考えますか」
「せっかく苦労してまとめあげた分類だが、残
念ながらわが国の文壇では貴重な文学的遺産と
しては認知されていない。漱石の『文学論』は
ムダな空鉄砲だったのではないか」
「貴重な文学的遺産を生かし切れなかったのは
漱石先生の責任ではなく、後世の読者の責任だ
と思います」
「そもそも文学的内容(Literary Substance)と
やらのそんな分類に何の意味があるのか」
「それは『文学論』を熟読すればよくわかるは
ずです」
「文学論読みの文学論知らず。熟読してもきみ
のようにあまりピンときていないような間抜け
顔の奴がいる」
「(めげずに)知識はすべて内容と形式から成
り立っています。凡そ文学的内容の形式は(F+f)
なることを要す(One can perhaps approach the 
form of literary substance with the expression 
of (F + f)」---translation by Joseph A. Murphy)



概括的真理
   2015/7/27 (月) 07:23 by Sakana No.20150727072331

7月27日

「文学的内容の基本成分に関連してもう一つ
興味深い話題は、俚諺、格言で表現される概
括的心理です」
「たとえば?」
「『ドン・キホーテ』第三十三章の"Honesty 
is the best policy.(正直は最良の策)は、
抽象的な一種の概念ですが、サンチョ・パン
サがいうと、情緒をともなって読者に訴える
力が強いと思います」
「浪漫的な夢想に生きているドン・キホーテ
に対して、サンチョ・パンサは常識的な世界
観によって生活している」
「風よりも軽いものは女である、というミュ
ッセのセリフはどうでしょう」
「それは格言、俚諺というより皮肉だろう」
「可哀想だた惚れたって事よ、は?」
「愚劣の極だ」
「作家なら、智(ち)に働けば角(かど)が
立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流さ
れる。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうく
つ)だ、のように口調がよく、なるほどその
通りと読者を納得させる新しい俚諺、格言を
創るのが望まれますね」

「本当にそうだ。せんだってミュッセ(フラ
ンスの詩人・小説家・劇作家)の脚本を読ん
だらそのうちの人物が羅馬(ローマ)の詩人
を引用してこんな事を云っていた。――羽よ
り軽い者は塵(ちり)である。塵より軽いも
のは風である。風より軽い者は女である。女
より軽いものは無(む)である。――よく穿
(うが)ってるだろう。女なんか仕方がない」
         (『猫』六)

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じ
ょう)に棹(さお)させば流される。意地を
通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とか
くに人の世は住みにくい。(『草枕』)

先生が、ある脚本のなかにある句を有名だと
いって紹介する。「Pity is akin to 1ove. 
という句だ」。それを何と訳すか、四人で試
みる。与次郎が「これは俗謡でいかなければ
駅目」といって、「可哀想だた惚れたって事
よ」というと先生は「下劣の極だ」と苦い顔
をする。    (『三四郎』)


文学亡国論
   2015/7/24 (金) 08:36 by Sakana No.20150724083657

7月24日

「文学的内容の基本成分については、もうこ
の辺でおしまいにしたいと思いますが、文学
亡国論という面白い話題が出てきていますの
で、その文例も拾ってみました」
「英文学で亡国の作品をつくったのは誰だ」
「帝国の滅亡よりも恋の成就をさらに熱心に
考えなければならないと歌うキーツの詩『エ
ンディミオン』です」
「『文学論』によれば、古今の文学、ことに
西洋の文学の九分は恋の情緒をふくむという
から、まさに恋こそ亡国の根源ともいえる」
「恋だけじゃないですね。上田敏の説によれ
ば、俳味とか滑稽とか云ったものは消極的で、
亡国の音(いん)がするそうですから」
「自虐史観の『三四郎』も亡国の作品だね。
漱石は集団的自衛権の必要性を何と心得てい
たのだろうか」
「軍人は文学など歯牙にもかけていません。
いざとなれば、一億総動員法で文学報国会を
つくらせ、協力させればよいと考えています」
「やれやれ。そんなことなら、実験室で珠を
磨いていたほうがいい」

「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上
田敏君の説によると俳味とか滑稽とか云った
ものは消極的で亡国の音(いん)だそうだが、
敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんな
つまらない物をやって見給え。それこそ敏君
から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか
何だかあまり消極的で分らないじゃないか。
失礼だが、寒月君はやはり実験室で珠を磨い
てるほうがいい。俳劇なんぞ百作ったって、
二百作ったって、亡国の音じゃ駄目だ。
              (『猫』六)

三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに
気がついて、さっそく首を引き込めて、着座
した。男もつづいて席に返った。そうして、
「どうも西洋人は美しいですね」と言った。
 三四郎はべつだんの答も出ないのでただは
あと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こ
んな顔をして、こんなに弱っていては、いく
ら日露戦争に勝って、一等国になってもだめ
ですね。もっとも建物を見ても、庭園を見て
も、いずれも顔相応のところだが、――あな
たは東京がはじめてなら、まだ富士山を見た
ことがないでしょう。今に見えるから御覧な
さい。あれが日本一(にほんいち)の名物だ。
あれよりほかに自慢するものは何もない。と
ころがその富士山は天然自然に昔からあった
ものなんだからしかたがない。我々がこしら
えたものじゃない」と言ってまたにやにや笑
っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間
に出会うとは思いもよらなかった。どうも日
本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展する
でしょう」と弁護した。すると、かの男は、
すましたもので、「滅びるね」と言った。


ドウンス先生
   2015/7/21 (火) 05:41 by Sakana No.20150721054155

7月21日

「文学的内容の基本成分として感覚と心理
作用を区別立てし、漱石作品からの文例を集
めてみましたが、きりがありません。この辺
でやめておきましょう」
「あまりに微細な区別立てをする思考法は愚
かしい、そんな思考をする奴は間抜けだと、
チャールズ・ラムは『エリア随筆』「萬愚説」
で言っている」
「すると、漱石先生は間抜けですか」
「スコラ哲学者のジョン・ドウンス・スコト
ゥスを知っているかい?」
「ええ、名前だけは」
「中世においては偉大なスコラ哲学者として
尊敬されていたが、ルネサンス期になると、
その名前<ドウンス>が間抜け(dunce)とい
う意味で使われるようになったそうだ」
「その点、死後百年の今でも一目置かれ、間
抜けと呼ばれないのは流石漱石です」
「苦沙弥先生、坊っちゃん、三四郎など間抜
けを主人公にした小説を書いて間抜けの仲間
のような顔をしている」

Duns, spare your definitions. I must fine you 
a bumper, or a paradox. We will have nothing 
said or done syllogistically this day. Remove
those logical forms, waiter, that no gentleman
break the tender shins of his apprehension 
stumbling across them.
(Charles Lamb "The Essay of ELIA"---"All Fools' Day" 
ドウンスさん、定義を下すのはお控えください。さ
もないと罰杯を課すか、逆説をひとつこしらえてい
ただかねばなりません。今日の良き日に三段論法で
何かを言ったり、したりすのはよしましょう。給仕
君、そこにある論理形式の長椅子をどけてくれ。誰
方(どなた)か紳士が蹴つまずいて、理解力の細い脛を
挫いたりするといけないから。
      (チャールス・ラム『エリア随筆』「萬愚節」



   2015/7/19 (日) 11:44 by Sakana No.20150719114453

7月18日

「次は涙です。猫の白君は書生が玉のような
四匹の子猫を裏の池へ持って行って棄てて来
たたと涙を流してその一部始終を語ります」
「そもそも猫が涙を流すだろうか。見たこと
もない」
「人間の一面には涙もろいところがあります
が、なかには俳人のように涙をこぼすと、そ
れを十七字の俳句にして、うれしくなるとい
う変わり者もいます」
「行春や鳥啼魚の目は泪──魚も泪をうかべ
ることがあるらしい」
「漱石作品では『明暗』の小林が涙を卓布
(テーブルクロス)にこぼすシーンが印象的
です」
「ドストエヴスキの小説では下劣で無教育な
人物が至純至情の涙をこぼして、読者を感動
させるシーンがある。小林もそんな下劣な男
の一人だが、小林の先生はさすがにありゃ嘘
の涙と見抜いていた」
「先生にはドストエヴスキが解らないと小林
は云っていますよ」
「それは先生の見方のほうが正しいと思う。
ドストエヴスキ派の下劣な奴の涙にだまされ
てはいけない」

吾輩の尊敬する筋向(すじむこう)の白君な
どは逢(あ)う度毎(たびごと)に人間ほど
不人情なものはないと言っておらるる。白君
は先日玉のような子猫を四疋産(う)まれた
のである。ところがそこの家(うち)の書生
が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四
疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流し
てその一部始終を話した上、どうしても我等
猫族(ねこぞく)が親子の愛を完(まった)
くして美しい家族的生活をするには人間と戦
ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬと
いわれた。一々もっともの議論と思う。
              (『猫』一)

  まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立
ったところをすぐ十七字にする。十七字にす
るときは自分の腹立ちがすでに他人に変じて
いる。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう
一人が同時に働けるものではない。ちょっと
涙をこぼす。こう涙を十七字にする。するや
否やうれしくなる。涙を十七字に縮めたとき
には、苦しみの涙を自分から遊離して、おれ
は泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自
分になる。
       (『草枕』)

「露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小
説を読んだものは必ず知っているはずだ。い
かに人間が下賤であろうと、またいかに無教
育であろうとも、時としてその人の口から、
涙がこぼれるほどありがたい、そうして少し
も取り繕わない、至純至情の感情が、泉のよ
うに流れ出して来る事を誰でも知っているは
ずだ。君はあれを虚偽だと思うか」
「僕はドストエヴスキを読んだ事がないから
知らない」
「先生に訊くと、先生はありゃ嘘だと云うん
で、あんな高尚な情操をわざと下劣な器に盛
って、感傷的な読者を刺激する策略に過ぎな
い。つまりドストエヴスキがあたったために
多くの模倣者が続出して、むやみに安っぽく
してしまった一種の芸術的技巧に過ぎないと
いうんだ。しかし、僕はそうは思わない。先
生からそんな事を聞くと腹が立つ。先生にド
ストエヴスキは解らない。いくら年齢(とし)
を取ったって、先生は書物の上で年齢を取っ
ただけだ。いくら若かろうが僕は・・・・・」
 小林の言葉はだんだん逼(せま(って来た。
しまいに彼は感慨に堪えんという顔をして、
涙を卓布(テーブルクロス)に落した。
              (『明暗』)



   2015/7/14 (火) 09:10 by Sakana No.20150714091028

7月15日

「『文学論』でRibot『情緒の心理』からとり
あげられている人類の内部心理作用の項目には
笑はありません。漱石作の小説でも後期の作品
では笑が影をひそめていますが、前期の作品に
は笑の要素がたっぷりあって、読者を楽しませ
てくれます。文例をすこしだけ拾ってみました」
「笑には爆笑、哄笑、失笑、嘲笑、冷笑、憫
笑、苦笑、微笑、嬌笑、艶笑、愛想笑い、大
笑い、ばか笑い、せせら笑い、薄笑い、泣き
笑い、作り笑い、忍び笑い、思い出し笑い、
ほくそ笑みといろいろある」
「苦沙弥先生が後架で<これは平の宗盛で候>
と謡いをはじめると、みんながそら宗盛だと
吹き出す。こういう笑は爆笑か嘲笑なんでし
ょうね」
「微笑や愛想笑いでないことはたしかだ」
「赤シャツのホホホという笑いをどう思いま
すか」
「坊っちゃんが単純なのを笑ったのだ。これ
も嘲笑の類だ」
「清はこんな時に決して笑った事はない。大
に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツ
よりよっぽど上等だとありますね。教養では
赤シャツ文学士のほうが上ですが、人間とし
ては下女の清のほうが上等だという価値観の
顛倒がみられます」
「『草枕』で那美さんのホホホホという鋭く
笑う声は?」
「風呂場における裸体美人の鋭笑か──不気
味だね」

 元来この主人は何といって人に勝(すぐ)れ
て出来る事もないが、何にでもよく手を出した
がる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、
新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文
をかいたり、時によると弓に凝(こ)ったり、
謡(うたい)を習ったり、またあるときはヴァ
イオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気
の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後
架(こうか)の中で謡をうたって、近所で後架
先生(こうかせんせい)と渾名(あだな)をつ
けられているにも関せず一向(いっこう)平気
なもので、やはりこれは平(たいら)の宗盛
(むねもり)にて候(そうろう)を繰返してい
る。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいであ
る。 (『猫』一)

 赤シャツはホホホと笑った。別段おれは笑わ
れるような事をいった覚えはない。今日ただ今
に至るで、これでいいと硬く信じている。考え
てみると世間の大部分の人はわるくなることを
奨励しているように思う。悪くならなれければ
社会に成功はしないものと信じているらしい。
たまに正直な純粋な人をみると、坊っちゃんだ
の小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ
小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろを倫
理の先生が教えないほうがいい。いっそ思い切
って、学校で嘘をつく法とか、ひとを信じない
術とか、ひとを乗せる策を教授する方が、世の
ためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツ
がホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑っ
たのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ、仕
様がない。清はこんな時に決して笑った事はな
い。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シ
ャツよりよっぽど上等だ。 (『坊っちゃん』)

輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出
せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、
俗界に堕落するよと思う刹那(せつな)に、緑
の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとく
に風を起して、莽(ぼう)と靡(なび)いた。
渦捲(うずま)く煙りを劈(つんざ)いて、白
い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑
う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を
次第に向(むこう)へ遠退(とおの)く。余は
がぶりと湯を呑(の)んだまま槽(ふね)の中
に突立(つった)つ。驚いた波が、胸へあたる。
縁(ふち)を越す湯泉(ゆ)の音がさあさあと
鳴る。(『草枕』)


自己の情(ego)
   2015/7/12 (日) 05:42 by Sakana No.20150712054250

7月12日

「次に自己の情、即ちegoについての感慨の文例
をさがしてみました」
「それは漱石文学の根幹をなす重要なテーマ。自
己の心を捕えんと欲する人々は、『こころ』を読
めというのが漱石自身の推奨の弁だ」
「人間は誰でもいざという間際には悪人になる。
他人も信じられないし、自分も信じられないとい
うおそろしい真実について考えさせられます」
「そんな消極的なメーセージの作品を推奨して
ほしくない」
「自己の情には積極、消極の二種があります。
積極とは意気、慢心、高振、押強等、消極とは
謙譲、小心、控え目等をふくみます」
「猫の観察によれば、元来人間というものは自
己の力量に慢じてみなんな増長している。『虞
美人草』の藤尾や小野さんがその例だ」
「増長と成長はちがいます。漱石先生は小心で
控え目という消極的な自己の情の持ち主だった
のですが、ロンドンで自己本位という言葉を自
分の手に持ってから大変強くなり、成長しまし
た。『文学論』は積極的な自己の情の産物です」


「元来人間というものは自己の力量に慢じてみ
んな増長している。少し人間より強いものが出
て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこ
まで増長するか分らない」(『猫』一)

 自己をまのあたりに物色した時、小野さんは
自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に
釣りこまれそうな際どいところで急に忘れ物を
したような気分になる。先生には無論分らぬ。
            (『虞美人草』)

自己の心を捕えんと欲する人々に、人間の心を
捕え得たる此作物を奨む。
(『心』広告文(「時事新報」大正3年9月26日)

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に持
ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと
気概が出ました。今まで茫然と自失していた私
に、此所に立って、この道からこう行かなけれ
ばならないと指図をしてくれるものは実にこの
自我本位の四字なのであります。
           (『私の個人主義』)


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