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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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情緒fそのものの性質
   2015/9/7 (月) 05:58 by Sakana No.20150907055836

9月07日

「これまでのところは、情緒fについて漠然
と論じただけで、情緒fそのものの性質の細
目にわたっては論及していません」
「遠慮せず、論及してくれ」
「たとえば、私たちが人事界または天然界に
あって直接経験をする時の情緒fは、読書で
間接経験をする時の情緒fとは性質が違いま
す」
「どこがどう違うんだ」
「直接経験の情緒fは忘れてしまえば、それ
っきりですが、記憶に残っていれば、何かの
きっかけでよみがえります。間接経験により
記憶想像のFに伴ってfが生ずることもあれ
ば、記憶叙景の詩文に対してfを起すことも
ある──これは興味深い問題ですので、数言
をついやしてみなさまの参考に資すよう弁じ
たいとと思います」
「みなさまの参考になるかどうかはわからな
いが、数言でも数百言でもついやしてくれ」
「直接経験より生ずるfと間接経験より生ず
るfとはその強弱及び性質において異なるこ
とはもちろんですが、このような差異がある
ために、普通の人事界や天然界では不快に感
じるようなことが間接経験になると一回転し
て快感を生ずることがあります。黒が白にな
り、円が三角になってしまうのです」
「そんなことがあるものか」
「よくありがちなことです」
「もしそうだとすれば、文学亡国論や文学無
用論につながりかねない」
「これほどの相違をもたらす原因はどこにあ
ると思いますか」
「知らん」
「作者の表出法と読者の幻惑──原因はこの
二通りです。実は私もこの問題についてこれ
まではきちんと理解していなかったのですが」
「表出とか幻惑とか、まぎらわしい用語だ。
作者の幻惑と読者の幻惑のように並べて比較
すれば、もっとわかりやすい。きみがきちん
と理解できなかったのは、漱石がまぎらわし
い用語を使ったからだろう」
「漱石先生が悪いのではありません。私が馬
鹿だったからです。次回からは頭をすっきり
させて、この二通りについて論じることにし
ましょう」

 さて邸(やしき)へは忍び込んだもののこ
れから先どうして善(い)いか分らない。そ
のうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、
雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予
(ゆうよ)が出来なくなった。仕方がないか
らとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあ
るいて行く。今から考えるとその時はすでに
家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩は
彼(か)の書生以外の人間を再び見るべき機
会に遭遇(そうぐう)したのである。第一に
逢ったのがおさんである。これは前の書生よ
り一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり
頸筋(くびすじ)をつかんで表へ抛(ほう)
り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼
をねぶって運を天に任せていた。しかしひも
じいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。
吾輩は再びおさんの隙(すき)を見て台所へ
這(は)い上(あが)った。すると間もなく
また投げ出された。吾輩は投げ出されては這
い上り、這い上っては投げ出され、何でも同
じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。
その時におさんと云う者はつくづくいやにな
った。この間おさんの三馬(さんま)を偸
(ぬす)んでこの返報をしてやってから、や
っと胸の痞(つかえ)が下りた。(『猫』一)


感情の固執
   2015/9/4 (金) 07:06 by Sakana No.20150904070645

9月04日

「親兄弟に見離され、あかの他人の傾城に、
可愛がらりょう筈がない、という苦沙弥先生
の感情の固執について考えてみましょう。傾
城(けいせい)とは、美人、遊女という意味
です」
「非論理的な文章だ。親兄弟に見離されるこ
ととあかの他人の傾城に可愛がられることと
の間には論理的な関連がない」
「これは俗に角兵衛と呼ばれる常磐津・長唄
掛合いの曲中で歌われる投節の文句──江戸
っ子の情緒に訴える文句ですよ」
「そうか、なるほど。いずれにしても、苦沙
弥は不惑の年になってもなお、親兄弟に見離
されたという感情に固執している。また、女
にもてたいという願望はあるものの、もてる
はずがないという諦念に固執しているのか」
「金まわりのいい実業家を嫌うという感情、
それに、教師を続けても月給がたいしてあが
らないという不満にも固執しています」
「苦沙弥はそのまま不遇をかこちそうだが、
漱石は苦沙弥ではない。朝日新聞からの誘い
を受け、月給二百円プラス盆暮の賞与という
好条件で入社した後は、そんな感情に固執し
なくなった」
「もう一つ感情の固執の例をあげると、『そ
れから』の長井得は、廃藩置県で藩がなくな
った後も、藩主から貰った誠者天道也(まこ
とはてんのみちなり)という額を麗々と掛け、
封建的な忠君思想に固執しています」
「息子の代助はそのような感情の固執に反発
し、人の道にあらず、と云った。固執するの
がよいか、しないのがよいか──これは現代
の家族のトラブルにも通じる問題だ」

 人間も返事がうるさくなる位無精になると、
どことなく趨があるが、こんな人に限って女
に好かれた試しがない。現在連れ添う細君です
ら、あまり珍重しておらん様だから、その他は
推して知るべしと云っても大した間違はなかろ
う。親兄弟に見離され、あかの他人の傾城に、
可愛がらりょう筈がない、とある以上は、細君
にさえ持てない主人が、世間一般の淑女に気に
入る筈がない。(『猫』十)

「先生教師などしておったちゃ到底あかんで
すばい。ちょっと泥棒に逢っても、すぐ困る
──一丁今から考えを換えて実業家にでもな
んなさらんか」
「先生は実業家は嫌だから、そんな事を言っ
たって駄目よ」
「と細君が傍から多々良君に返事をする。細
君は無論実業家になって貰いたいのである。
「先生学校を卒業して何年になんなさるか」
「今年で九年目でしょう」と細君は主人を顧
みる。主人はそうだとも、そうで無いとも云
わない。
「九年立っても月給は上がらず、いくら勉強
しても人は褒めちゃくれず、郎君独寂寞です
たい」と中学時代で覚えた詩の句を細君のた
めに朗吟すると、細君は一寸分りかねたもの
だから返事をしない。(『猫』五)

  その昔し藩の財政が疲弊して、始末が付か
なくなった際、整理の任に当つた長井は、藩
侯に縁のある町人を二三人呼び集めて、刀を
抜いてその前に頭を下げ、彼等に一時の融通
を頼んだ事がある。固(もと)より返せるか、
返せないか、分らなかったんだから、分らな
いと真直に自白して、それがためにその時成
功した。その因縁でこの額を藩主に書いて貰
ったんである。爾来長井は何時でも、これを
自分の居間に掛けて朝夕眺めている。代助は
この額の由来を何遍聞かされたか知れない。
            (『それから』)



感情の拡大
   2015/9/1 (火) 05:48 by Sakana No.20150901054812

9月01日

「感情の転置の次に、感情の拡大という心理
作用について考えてみたいと思います」
「よかろう」
「『猫』で中学二年生の古井武右衛門君が、
退校になるおそれがので、なんとか退校にな
らないようにしてくださいと苦沙弥先生に相
談にやってきました」
「いったい何をやらかしたんだ」
「金田家令嬢をからかってやろうという悪友
の誘いに乗って、悪友が艶書を書き、武右衛
門君の名前で投函してしまったのです」
「今どきそんなことで退校になる心配はない」
「明治三十九年の頃は、それだけで退校にな
るおそれがあったのです」
「だからといって、苦沙弥のような先生に相
談したってどうにもならない」
「そうですね。武右衛門君は悄然として薩摩
下駄を引きずって門を出た。打ちゃって置く
と巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むか
も知れない──と、これは武右衛門君の感情
の拡大を察しているが、だからといって、先
生の知ったことではないというのが、その時
の苦沙弥の心理作用でしょう」
「苦沙弥=漱石=金之助には苦い思い出があ
る。巌頭の吟を書き遺して、華厳滝から飛び
込んだ藤村操は漱石の教え子で、不勉強を叱
責した直後に自殺されてしまった。その教訓
が武右衛門君に生かされていない」        
「漱石の文学論竟に何等のオーソリチィーを
價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして
悉す、曰く、「不可解」」

 この様子ではいつまで嘆願をしていても、
到底見込がないと思い切った武右衛門君は突
然彼(か)の偉大なる頭蓋骨を畳の上に圧
(お)しつけて、無言の裡(うち)に暗に訣
別の意を表した。主人は「帰るかい」と云っ
た。武右衛門君は悄然として薩摩下駄を引き
ずって門を出た。可哀想に。打ちゃって置く
と巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むか
も知れない。        (『猫』十)

  悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の
小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショ
の哲學竟に何等のオーソリチィーを價するも
のぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰
く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終
に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及ん
で、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
              (藤村操『巌頭の感』)


感情転置法
   2015/8/29 (土) 06:57 by Sakana No.20150829065721

8月29日

「情緒的要素fが転置する例ですが、行水の
女に惚れる烏かな、という俳句をとりあげて
みましょう」
「これは理学士寒月さんの云う通りだ。烏が
人間の女に惚れるはずがない」
「すると、俳人虚子が美しい女の行水をして
いるところを見て、はっと思う途端に惚れ込
んだ。つまり作者が自分の感情を烏に転置し
たという解釈になりますね」
「俳人虚子は久米仙人の子孫にちがいない」
「『草枕』では画工が温泉の風呂場につかっ
ているときに出戻り娘の那美さんが裸で入っ
てきます。その輪郭が次第に白く浮きあがり、
俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、
波を切る霊亀の尾の如くに風を起こして、ホ
ホホホと鋭く笑いながら、白い姿が階段を飛
び上がって消えたとか」
「ところが、別れた夫の汽車が日露戦争に出
征するのを茫然として見送る那美さんに<憐
れ>が一面に浮いているのを見て、それだ! 
それが出ると画になりますよと画工は云った」
「湯の中に浮かぶ美しい裸体ではなく、茫然
として汽車を見送る那美さんの表情に浮かぶ
<憐れ>が画になると云った──そうして、
『草枕』がエロ小説に堕することなく、芸術
に昇華したのも感情の転置といえるでしょう」
「俳句も小説も芸術だと思い込むのも一種の
感情の転置かもしれない」

「虚子がですね。虚子先生が(行水の)女に
惚れる烏かなと烏を捕えて女に惚れさしたと
ころが大に積極的だろうと思います」「こり
ゃ新説だね。是非御講釈を伺いましょう」
「理学士として考えてみると烏が女に惚れる
などと云うのは不合理でしょう」「御尤も」
「その不合理な事を無雑作に言い放って少し
も無理に聞こえません」「そうかしら」と主
人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓
着しない。「何故無理に聞こえないかと云う
と、これは心理的に説明するとよく分ります。
実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは
俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙
汰であります。然るところあの烏は惚れてる
なと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと
云う訳じゃない、必竟(ひっきょう)自分が
惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の
行水しているところを見てはっと思う途端に
ずっと惚れ込んだに相違ないです」
              (『猫』六)

 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏
み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、
あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑
の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごと
くに風を起して、莽(ぼう)と靡(なび)い
た。渦捲く煙りを劈(つんざ)いて、白い姿
は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う
女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を
次第に向(むこう)へ遠退(とおの)く。余
はがぶりと湯を呑んだまま槽(ふね)の中に
突立(つった)つ。驚いた波が、胸へあたる。
縁(ふち)を越す湯泉(ゆ)の音がさあさあ
と鳴る。               (『草枕』)

  茶色のはげた中折帽の下から、髭だらけの
野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、
那美さんと野武士は思わず顔を見合わせた。
鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔
はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く
汽車を見送る。その茫然のうちには不思議に
も今までかつて見た事のない「憐れ」が一面
に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画にな
りますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら
小声に云った。余が胸中の画面は、この瞬間
に成就したのである。    (『草枕』)


情緒fの数量的変化
   2015/8/26 (水) 05:01 by Sakana No.20150826050121

8月26日

「焦点的印象または観念の二方面のうち認識
的要素(F)だけでなく、情緒的要素(f)
も増減──増えたり、減ったりします」
「Fが増加すれば、これに伴うfも増加する
というリクツならわかる」
「感覚的材料で、子どもの頃は、夏草の緑も
常磐木の緑も同じに見え、緑に二種あるいは
それ以上あるとは思わないかもしれませんが、
注意力が鋭くなれば、夏草の緑と常磐木の緑
は違うことがわかるようになり、それにとも
なう情緒も違ってきます。若者の感性は短期
間に鋭くなります」
「老人に禄なものが居ない、と猫は云ってい
るが、感動する心を失った老人は表情がとぼ
しい。どうすればよいのか」
「則天去私の境地に向かっていると思えば何
の心配もありません。日向ぼこをしていれば
よいでしょう」
「近頃は猫でさえ日向ぼこもせず、忙しそう
に出歩いている」
「猫は金田邸へ二度、三度忍び込み、三度以
上繰り返すと習慣になると云っています」
「習慣の動物だ。人間も猫も」
「『虞美人草』では京都へ遊びに行った甲野
と宗近が、宿屋の隣家で琴を弾く小夜子とい
う美人を見かけ、二度目は嵐山で再会し、三
度目は東海道線の車中で逢い、さらに東京の
博覧会で四度目に逢います。いくら小説の都
合とはいえ、四度も偶然の出会いをするのは
話の作り過ぎではないでしょうか」
「偶然の出会いは何かの因縁というものだよ」
「作者の都合としか思えませんが、このよう
な偶然の出会いの繰り返しで、因縁がからま
ってくると、読者のfが増加することは認め
ざるをえません」
「fの増加ないし減少に法則のようなものが
あるのだろうか」
「余案ずるにfの増加は三つの法則に支配せ
らるるものの如し。即ち(一)感情転置法、
(二)感情の拡大、(三)感情の固執これな
り」

  例によって金田邸へ忍び込む。
 例によってとは今更(いまさら)解釈する
必要もない。しばしばを自乗(じじょう)し
たほどの度合を示す語(ことば)である。一
度やった事は二度やりたいもので、二度試み
た事は三度試みたいのは人間にのみ限らるる
好奇心ではない、猫といえどもこの心理的特
権を有してこの世界に生れ出でたものと認定
していただかねばならぬ。三度以上繰返す時
始めて習慣なる語を冠せられて、この行為が
生活上の必要と進化するのもまた人間と相違
はない。(『猫』四)

「えらいもんだ。時に糸公面白い話を聞かせ
ようか」
「なに」
「京都の宿屋の隣に琴をひく別嬪が居てね」
「端書に書いてあったんでしょう」
「ああ」
「あれなら知っててよ」
「それがさ。世の中には不思議な事があるも
んだね。兄さんと甲野さんと嵐山へ御花見に
行ったら、その女に逢ったのさ。逢ったばか
りならいいが、甲野さんがその女に見惚れて
茶碗を落してしまってね」
「あら、本当? まあ」
「驚ろいたろう。それから急行の夜汽車で帰
る時に、又その女と乗り合わせてね」
「嘘よ」
「ハハハハとうとう東京まで一所に来た」
「だって京都の人がそう無暗に東京へ来る訳
がないじゃありませんか」
「それが何かの因縁だよ」
「人を・・・・・・」
「まあ御聞きよ。甲野が汽車の中であの女は
嫁に行くんだろうか、どうだろうかって、頻
(しき)りに心配して・・・・・・」
「もう沢山」
「沢山なら廃(よ)そう」
             (『虞美人草』)


文学的内容の数量的変化
   2015/8/23 (日) 05:30 by Sakana No.20150823053009

8月23日

「『文学論』第一編は、文学的内容の分類 
でした。第二編は、文学的内容の数量的変化
です」
「第一編のねらいは、わからぬこともないが、
第二編の数量的変化は何がねらいなのか。理
数を苦手とする文学青年や文学老人にはわか
りにくい」
「焦点的印象または観念の二方面、即ち認識
的要素(F)と情緒的要素(f)が増減する
ことはおわかりでしょう」
「む・・・・・・」
「今一個人の生涯を通じて観察すると、赤ん
坊、幼年、少年、成年時代を通じて認識力が
変化しており、二様の特性がみとめられます。
第一に識別力の発達、第二に識別すべき事物
の増加です」
「Fが時とともに増加するものであることは
わかる。だが、数量的に如何なる原則の下に
推移しつつあるかがわかったところで、文学
的内容を理解するのに何の役にもたたない」
「そんなことはありません」
「では、たとえば幸福は数量化できるのか」
「功利主義者ベンサムは最大多数の最大幸福
(the greatest happiness of the greatest 
number)をもって道徳の原理としました」
「そんなもの、あてになるか。文学的内容の
基本成分の一つで、古今の文学、ことに西洋
の文学の90パーセントは恋の情緒をふくんで
いると漱石はいうが、恋が数量化できるはず
がない」
「百年の恋もさめる──恋が増減することは
間違いありません。『文学論』第二編の着眼
点の一つはそこにあります」

 三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。
吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心
得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、御
三の剣突を食って気分が勝れん時は必ずこの
異性の朋友の許(もと)を訪問して色々な話
をする。すると、いつの間にか心が晴々して
今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ
変った様な気持になる。(『猫』一)

  三毛子は、どうかしたのかな。何だか様子
が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫
信女誉、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と御師匠
さんの声がする。
「御前も回向をして御遣りなさい」
 チーン南無猫信女誉南無阿弥陀仏南無阿弥
陀仏と御師匠と今度は下女の声がする。吾輩
は急に動悸がしてきた。座布団の上に立った
まま、木彫の猫の様に眼も動かさない。
           (『猫』二)

 しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋(う)めて下さい。大きな真
珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来
る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に
置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて
下さい。また逢(あ)いに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでし
ょう。それからまた出るでしょう、そうして
また沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、
東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、
待っていられますか」
 自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静
かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で
云った。
「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待って
いて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、
黒い眸(ひとみ)のなかに鮮(あざやか)に
見えた自分の姿が、ぼうっと崩(くず)れて
来た。静かな水が動いて写る影を乱したよう
に、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちり
と閉じた。長い睫(まつげ)の間から涙が頬
へ垂れた。――もう死んでいた。 
         (『夢十夜』第一夜)


直接経験と間接経験
   2015/8/20 (木) 05:10 by Sakana No.20150820051037

8月20日

「人生は文学にあらず。私たちが文学に期待
する要素は理性よりもむしろ感情ですが、人
生そのものは必ずしも情緒fを主とするもの
ではありません。人生における直接経験のf
と読書や観劇による間接経験のfとの間には
ずれがあります」
「それがどうした」
「『文学論』第二編 文学的内容の数量的変
化 に進む前に、よく理解しておいたほうが
よいと思ったものですから」
「そんなことは云われなくてもわかっている」
「猫が雑煮を食べて、苦しまぎれに踊ってい
るのを子どもたちが見て笑う場面があります。
おそらく読者の多くはここで笑うでしょう。
そんな読者は同情心がないと思いますか」
「猫の身になって考えれば、人間は同情の乏
しい動物だ」
「猫が子どもに笑われることは猫にとっては
直接体験ですが、小説の読者がその場面を読
んで、笑ったり、あるいは同情したりするの
は間接体験です」
「なるほど。坊っちゃんは田舎の中学の教師
になって同僚の野だに玉子を八つも投げつけ、
相手が尻持をついたのをみて、成功したなど
と言う。現実にこんな暴力教師が息子の中学
の担任なら、問題になりそうだね」、
「小説を読むという間接体験であれば、読者
は何の疑問も抱かず、痛快痛快と坊っちゃん
に拍手を送る──これも文学的内容の数量的
変化の一例といえるでしょう」

 とうとう小供に見付けられた。「あら猫が
御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声
をする。この声を第一に聞きつけたのが御三
である。羽根も羽子板も打ち遣(や)って勝
手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は
縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」
と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て
「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと
云うのは小供ばかりである。そうしてみんな
申し合せたようにげらげら笑っている。腹は
立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、
弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、
五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」
といったので狂瀾(きょうらん)を既倒(き
とう)に何とかするという勢でまた大変笑わ
れた。人間の同情に乏しい実行も大分(だい
ぶ)見聞(けんもん)したが、この時ほど恨
(うら)めしく感じた事はなかった。
              (『猫』二)

 おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二
つ取り出して、やっと云いながら、野だの面
(つら)へ擲(たた)き付けた。卵子がぐち
ゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れ
出した。野だは余っ程仰天したものと見えて、
わっと言いながら、尻持をついて、助けてく
れと云った。おれは食う為に玉子は買ったが、
打(ぶ)つける為めに袂へ入れてる訳ではな
い。然し野だが尻持を突いたところを見て始
めて、おれの成功した事に気がついたから、
此畜生、此畜生と云いながら残る六つを無茶
苦茶に擲(たた)き付けたら、野だは顔中黄
色になった。(『坊っちゃん』)


人生は文学にあらず
   2015/8/18 (火) 08:34 by Sakana No.20150818083435

8月17日

「文学的内容の基本成分を一瞥し、文学的内
容を4種、即ち感覚F、人事F、超自然F、
知的Fに分類する方法を教わりました。何か
ご質問はありますか」
「そんな文学的内容の基本成分やら文学的内
容の分類に意味があるのか」
「あると思えばあります。ないと思えばない」
「では、そもそも文学は人生に必要なのか」
「文学は人生にあらず。ですが、人生に必要
と思えば必要です」
「ならば、知的fは何処にありや?」
「知的fは喚起し得る情緒が少なく、文学的
内容としての位置が弱いのです」
「それにしても、読心術を心得た猫という趣
向の小説だが、猫はにゃーにやーというだけ
で、人間の言葉は話せない。猫の心を読んで
筆記している者がいるはずだが。その筆記者
は、苦沙弥か漱石か金之助か」
「そんなことはどうでもよいでしょう。それ
より、『猫』は知的Fの小説として成功して
いるかに見えますが、超自然的Fの小説かも
しれません。そして、情緒的要素fがたっぷ
りふくまれています」
「文学が人生に必要だと思うのは知的Fのは
たらきか」
「そうとは限りません。文学的内容は情緒f
を主とす」
「『坑夫』の回想記は『猫』ほど面白くない」
「それは知的な趣向が素人の読者の情緒fに
伝わりにくいからです。船乗りになって堕落
した記憶がある私には『坑夫』の面白さがす
こしわかるるような気がします」

 吾輩は猫である。猫の癖にどうして人の心
中をかく精密に記述し得るかと疑ふものがあ
るかも知れんが、此位(このくらい)な事は
猫にとって何でもない。吾輩は是で読心術を
心得て居る。いつ心得たなんて、そんな余計
な事は聞かんでもいゝ。ともかく心得て居る。
人間の膝の上へ乗って眠ってゐるうちに、吾
輩は吾輩の柔らかな毛衣(けごろも)をそっ
と人間にこすり付ける。すると一道の電気が
起って彼の腹の中の行きさつが手にとる様に
吾輩の心眼に映ずる。(『猫』九)

  よく小説家がこんな小説を書くの、あんな
性格をこしらえるのと云って得意がっている。
読者もあの性格がこうだの、ああだなと分っ
たような事を云っているが、ありゃ、みんな
嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがっ
ているるんだろう。本当のことは小説家など
に書けるものじゃないし、書いたって小説に
なる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に
纏めにくいもので、神様でも手古ずるくらい
纏まらない物体だ。(『坑夫』)


文学的内容の分類(知的F)
   2015/8/14 (金) 07:22 by Sakana No.20150814072218

8月14日

「知的Fの文例をご紹介します。猫と『明暗』
の津田とどちらが知的か。比較しながら読んで
ください」
「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろ
う、などと考える津田より、老人に禄なものが
居ない、という猫のほうが知的だろうね」
「津田はまだ三十歳、老人ではありません。そ
れに、ポアンカレを知っているインテリです」
「ポアンカレというのは誰だ?」
「位相幾何学の定理などを考えた偉大な数学者
です」
「しかし、津田はポアンカレではない。新婚の
妻がいるのに、あすこへ嫁に行った女に逢いに
ふらふらと湯河原の湯治場へ行くようなおろか
な男だ」
「世に住めば事を知る。事を知るのは年を取る
の罪ですぞ。津田の行為の明暗を批判する資格
は老人にはありません」

 世に住めば事を知る。事を知るは嬉しいが日
に日に危険が多くて、日に日に油断がならなく
なる。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚
合わせの護身服を着けるのも皆事を知るの結果
であって、事を知るのは年を取るの罪である。
老人に碌なものが居ないのはこの理だな。吾輩
なども或は今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱
と共に成仏する方が得策かも知れん。
               (『猫』五)

 彼は二三日(にさんち)前ある友達から聞い
たポアンカレーの話を思い出した。彼のために
「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼
に向ってこう云った。「だから君、普通世間で
偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事と
いうのは、ポアンカレーの説によると、原因が
あまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時
に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或
特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その
必要な配合が出来得るためには、またどんな条
件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど
想像がつかないだろう」
 彼は友達の言葉を、単に与えられた新らしい
知識の断片として聞き流す訳に行かなかった。
彼はそれをぴたりと自分の身の上に当(あ)て
篏(は)めて考えた。すると暗い不可思議な力
が右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進
むべき彼を後(うし)ろに引き戻したりするよ
うに思えた。しかも彼はついぞ今まで自分の行
動について他(ひと)から牽制(けんせい)を
受けた覚(おぼえ)がなかった。する事はみん
な自分の力でし、言う事はことごとく自分の力
で言ったに相違なかった。「どうしてあの女は
あすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行
こうと思ったから行ったに違ない。しかしどう
してもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。
そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚
したのだろう。それもおれが貰(もら)おうと
思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しか
しおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っ
ていなかったのに。偶然? ポアンカレーのい
わゆる複雑の極致? 何だか解らない」
 彼は電車を降りて考えながら宅(うち)の方
へ歩いて行った。(『明暗』)


文学的内容の分類(超自然F)
   2015/8/11 (火) 05:56 by Sakana No.20150811055611

8月11日

「こんどは超自然F(metaphysical F)の文例
を拾ってみました」
「metaphysicalを辞書でひくと、形而上学の、
哲学的な、きわめて抽象的な、難解なという
意味になる。超自然というのとすこしニュア
ンスが違うのではないか」
「supernatural とするとオカルトっぽくな
りますね。翻訳者のJoseph A. Murphyが頭を
ひねったところでしょう」
「<天地万有は神が作ったそうな>というの
は超自然的な神を信じている信者ではなく、
懐疑的な知識人の発言のように聞こえる。超
自然的Fというより知的Fの文例だろう」
「まあ、metaphysical Fならそれでいいので
す。それはともかく、自分が前世で人殺しだ
ったことを背中の子から告げられるというの
は超自然的に不気味だと思いませんか」
「たしかに超自然的な話だが、夢ならDNAに組
み込まれた前世の記憶がよみがえることもあ
るかもしれない」
「記憶というのは、ふだんは忘れていて、あ
るきっかけでふっと思い出すものです。『明
暗』で津田が<ああ、世の中にはこんなもの
が存在していたのだっけ。どうして今までそ
れを忘れていたのだろう>という場面があり
ます」
「忘れていたことを思い出すのも超自然Fな
ら、高齢者の日常は超自然的Fだらけだ」

 天地万有は神が作ったそうな、して見れば人
間も神の御制作であろう。現に聖書とか云うも
のにはその通りと明記してあるそうだ。さてこ
の人間に就いて、人間自身が数千年来の観察を
積んで、大(おおい)に玄妙不思議がると同時
に、益々神の全智全能を承認する様に傾いた事
実がある。それは外でもない。人間も斯様(か
よう)にうじゃうじゃ居るが同じ顔をしている
者は世界中に一人も居ない。顔の道具は無論極
っている。大きさも大概似たり寄ったりである。
換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられ
ている。同じ材料で出来ているにも関わらず一
人も同じ結果に出来上っておらん。よくもまあ
あれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思
い就いた者だと思うと、製造家の伎倆に感服せ
ざるを得ない。(『猫』五)

 雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚え
ず留った。いつしか森の中へ這入(はい)って
いた。一間(いっけん)ばかり先にある黒いも
のはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。
「御父(おとっ)さん、その杉の根の処だった
ね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年(たつどし)だろう」
 なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年
前だね」
 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前
文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根
で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然
(こつぜん)として頭の中に起った。おれは人
殺(ひとごろし)であったんだなと始めて気が
ついた途端(とたん)に、背中の子が急に石地
蔵のように重くなった。(『夢十夜』第三夜)

 馬車はやがて黒い大きな岩のようなものに突
き当ろうとして、その裾(すそ)をぐるりと廻
り込んだ。見ると反対の側(がわ)にも同じ岩
の破片とも云うべきものが不行儀に路傍(みち
ばた)を塞(ふさ)いでいた。台上(だいうえ)
から飛び下りた御者(ぎょしゃ)はすぐ馬の口
を取った。
 一方には空を凌(しの)ぐほどの高い樹(き)
が聳(そび)えていた。星月夜(ほしづきよ)
の光に映る物凄(ものすご)い影から判断する
と古松(こしょう)らしいその木と、突然一方
に聞こえ出した奔湍(ほんたん)の音とが、久
しく都会の中を出なかった津田の心に不時(ふ
じ)の一転化を与えた。彼は忘れた記憶を思い
出したような気分になった。「ああ、世の中に
はこんなものが存在していたのだっけ。どうし
て今までそれを忘れていたのだろう」
              (『明暗』)


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