ほくしん文芸クラブ
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倦厭
   2017/3/21 (火) 08:42 by Sakana No.20170321084232

03月21日

「意識推移の原則というが、そもそもなぜ意
識は推移してしてしまうのだろう」
「意識の特徴は移り気で、飽きっぽいことで
す。わんぱくな子どもの言動を観察すれば、
そのことがよくわかります」
「なるほど飽きっぽいのか。だから、風の中
の羽のようにFからF’へ、F’からF’’
へコロコロ変わっていく」
「文学論の研究者はそれを前向きに考えるこ
とにしましょう。漱石先生は作風をどんどん
変えていきました。俳人芭蕉もそうです」
「芭蕉は何と言っている?」
「上手になる道筋たしかにあり。師によらず、
弟子によらず、流によらず、器によらず、畢
竟句数多く吐き出したるものの、昨日の我に
飽きける人こそ上手なり(『篇突』許六)」
「昨日の我に飽きるべしなどと言われたって
今まで真面目に師の話を聞いていた弟子たち
は困ってしまう」
「師にならって飽きればいいでしょう」
「そうはいかない。芭蕉や漱石のような飽き
っぽい天才にはとてもついていけない」
「不易流行という俳諧理念やそれまでの蕉門
句風を全否定する<かるみ>の理念がおわか
りになりませんか」
「そんなことはわかっているが、もう聞き飽
きた」


暗示
   2017/3/18 (土) 08:43 by Sakana No.20170318084301

03月18日

「意識の推移がやむをえないものであること、
及び、推移の事実において真であることはお
わかりいただいたことと思います」
「おわかりいただいたかどうかわからない」
「そこで私たちは二個の命題を得ます。一に
曰く、暗示は必要なり。暗示なきは推移する
能わず。推移する事能わざれば苦痛なればな
り」
「暗示なんかいらない。わしは先験的純粋理
性で直感的に考え、判断を下した上で、行動
するかしないかを決めることにしている」
「私たちは新聞雑誌テレビ、友人知人有識者、
近所の噂などあらゆる方面から暗示を与えら
れ、影響を受けます。自分自身の純粋なF
(焦点的印象又は観念)はほとんどありませ
ん」
「頑迷固陋の老人に暗示をかけようとしたっ
てムダだ」
「そうですね。昭和20年代に少年時代を送っ
た老人のほとんどは、日本国憲法に不都合な
条項はない、特に戦争放棄と言論の自由の条
項は正しいと思いこんでいます。ところが、
2017年になると、国民の選良である国会議員
の3分2以上が憲法改正に賛成の立場という事
実があきらかになりました。世論調査でも今
や改憲派が護憲派を圧倒しそうな勢いです」
「つまり、改憲派は誰かからの暗示に影響さ
れているといいたいのか」
「暗示おそるべし、ということをいいたいの
です」


意識推移の原則
   2017/3/15 (水) 08:30 by Sakana No.20170315083011

03月15日

「一時代の集合意識は如何なる方向に変化し
て如何なる法則に支配されるか。この壮大か
つ深遠なる問題について論じるのが意識推移
の原則の目的です」
「以前にきみがその議論の要点をまとめてい
たな」
「再掲します。
 (一)吾人意識の推移は暗示法に因つて支
        配せらる。
  (二)吾人意識の推移は普通の場合におい
        て数多の<F>の競争を経、ある時
        はFとF’の両者間にも競争あるべ
        し。
  (三)この競争は自然なり。また必要なり。
  (四)この競争的暗示なき時は吾人は習慣
        的にまた約束的に意識の内容と順序
        を繰り返すに過ぎず。
  (五)推移は順次にして急劇ならざるを便
        宜とす。(反動は表面上急劇にして
        実は順次なるものなり)。
  (六)推移の急劇なる場合は前後両状態の
        間に対照あるを可とす。(対照以外
        にこれと同等なるまたは同等以上の
        刺激あるときはこの限りにあらず」
「要するに人間の意識は暗示にかかりやすい
ということか」
「そんなことは言っていません。意識の推移
が暗示法に因って支配されていると言ってい
るだけです」
「きみは暗示にかかりたがっていた。そこへ
漱石の意識が侵入してきてきみに暗示をかけ、
わけのわからない『文学論』を読むようにし
むけたのだ」
「その暗示を無視することもできたのですが、
何の因果か十年間もつきあってしまいました」
「それでよい。推移は順次にして急劇ならざ
るを便宜とす」


一代における三種の集合的F
   2017/3/12 (日) 05:47 by Sakana No.20170312054711

03月12日

「一時代における集合的Fは大別すると、模
擬的F、能才的F、天才的Fの三種になりま
す」
「模擬的意識、能才的意識、天才的意識の三
種の人間が世の中にはいることはわかった。
その中で漱石は自分が天才だと思っていたの
だろうか」
「ある時期にはそうでしょうね」
「その時期とは?」
「ロンドン留学中、精神衰弱と狂気を疑われ
た時期です。天才に狂気はつきものですから」
「『吾輩は猫である』では逆上のことを神聖
なる狂気と称し、また、インスピレーション
とさも勿体そうに称えている」
「そうですね。『吾輩は猫である』や『漾虚
集』(『倫敦塔』『幻影の盾』など)はまさ
に狂気の産物です」
「『吾輩は猫である』の文体は戯作や俳諧や
落語の滑稽的連想を活用した漱石の創意によ
るものだが、渋川玄耳『東京見物』や米窪太
刀雄『海のロマンス』のように猫の文体を真
似た作品は、それなりに好評を博したとはい
え、滑稽的連想の厭味が鼻をつき、今や忘れ
られてしまった」
「渋川玄耳や米窪太刀雄は能才的Fの持主で
したね」
「そして、きみは模擬的Fの持主だ」
「『文学論』を一度だけ読んだときの私はた
しかに模擬的Fの持ち主でした。でも三度通
読して、自己本位の読み方を覚えた今はかな
り天才的Fのレベルに近づきつつあるような
気がします」
「きみの天才ぶり発揮など誰も期待していな
い。それより狂気と神経衰弱で家族を困らせ
ないようにしてくれ」

 詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠
く可からざる様な者で、この供給が一度でも
途切れると彼れ等は手を拱(こまね)いて飯
を食うより外に何等の能もない凡人になって
しまう。尤も逆上は気違の異名で、気違にな
らないと家業が立ち行かんとあつては世間体
が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆
上の名を以てしない。申し合わせてインスピ
レーション、インスピレーションとさも勿体
そうに称えている。これは彼等が世間を瞞着
する為に製造した名でその実は正に逆上であ
る。プレートー(プラトン)は彼等の肩を持
って、この種の逆上を神聖なる狂気と号した、
いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。
                   (『猫』八 )


社会進化論
   2017/3/9 (木) 07:26 by Sakana No.20170309072626

03月09日

「『文学論』は十年計画にて企てられたる大
事で、主に心理学社会学の方面より根本的に
文学の活動力を論じたものだそうですから、
第五編 集合的Fはそのハイライトでしょう」
「心理学社会学のうち、心理学はウィリアム・
ジェームズの影響が大きい」
「その他に、T・A・リボー(仏)、ロイド・
モーガン(英)、E・W・スクリプチュア
(米)、カール・グロスという心理学者の論
文も引用されています」
「社会学は、やはりダーウィンか」
「もちろんダーウィンの進化論は無視できま
せんが、ノルダウの退化論も視野におさめま
しょう。しかし、集合的Fの理論にはそれよ
りもハーバート・スペンサーを代表とする進
化論的社会学の影響のほうが大きいのではな
いでしょうか」
「スペンサーの社会進化論とはいかなるもの
か」
「さあ、私は読んだことがないので、よくわ
かりません」
「しっかり読んで、三日後にレポートを提出
せよ」
「私の脳の容量は限界に近づいています。勘
弁してください」


集合的Fの変遷
   2017/3/6 (月) 12:21 by Sakana No.20170306122121

03月06日

「亀井俊介の『文学論』解説によれば、漱石
は人間の集合意識の心理的・社会的展開を、
原点あるいは原則から説く姿勢を貫いている
ことで、文学史的叙述をしているという」
「大きな視野から集合的Fを考えられておら
れますね。黒船来航以来の日本史をふりかえ
ってみてもわかる通り、日本人の集合的Fは
まさかと思われるほど大きくぶれながら変遷
しています」
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの
水にあらず。淀みに浮かぶ うたかたは、かつ
消えかつ結びて、久しくとどまりたるためし
なし」
「日本人の集団的Fがどのように変遷してき
たかを簡単に四文字熟語でまとめてみます」

 1853-1868 尊皇攘夷
 1868-1941 富国強兵
 1941-1945 鬼畜米英
 1945-2000 平和憲法(戦争放棄)
 1953-2000 世界平和(安保反対)
 2000-2017 憲法改正(集団自衛権の強化)」

「漱石は尊皇攘夷と富国強兵の時代しか知ら
ないが、やはり当時の集団的Fの影響をまぬ
がれていない。<僕は一面に於て俳諧的文学
に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きる
か、命のやりとりをする樣な維新の志士の如
き烈しい精神で文学をやつて見たい。それで
ないと何だか難をすてゝ易につき劇を厭ふて
閑に走る所謂腰拔文学者の樣な氣がしてなら
ん>と言っている」(明治三十九年十月二十
六日付鈴木三重吉宛書簡)」


集合的F
   2017/3/3 (金) 08:21 by Sakana No.20170303082153

03月03日

「第五編 集合的Fは、亀井俊介の解説によ
れば、文学的材料のFを集合的に見た場合、
時勢とか社会状況の推移に応じて、文学意識
も作品の傾向も変遷するという観察を深化、
発展させた議論です」
「何度も繰り返し読み続けたのに、今だに亀
井俊介の解説にたよっているようでは心もと
ない」
「そのほうが無難だと思います。実はこの第
五編は何度読んでも私にはピンとこないので
す」
「『文学論』の講義は自分が最も嘱望してい
る学生の中川芳太郎に、講義草稿など<一切
の整理>をゆだねた。ところが、最後の三分
の一(第四編第六章のなかば以降)は、中川
原稿が気にいらず、漱石自身が、全面的な書
き直しをするまでになった。それは逆にいえ
ば、『文学論』は読み進むに従って読みやす
くなると、亀井俊介は言っている」
「とんでもない。ふつうの書物は半分ほど読
みすすめると、後は楽に読めるのですが、
『文学論』だけは読み進むに従って読みにく
くなります」
「馬鹿は死ななきゃなおらない」


投出語法
   2017/2/28 (火) 08:30 by Sakana No.20170228083014

02月28日

「原作では第四編のトップバッターの投出語
法(Projection)が本稿の都合で最後になっ
てしまいました」
「大勢には影響ないが、後回しにしたおかげ
で、眺望はよくなったかもしれない」
「文例は『吾輩は猫である』から『明暗』に
至るまでの各作品から、もれなく収集してい
ますから、投出語法がいかなるものかはおわ
かりのことと思います」
「擬人法( (Personification or Prosopopeia)
は投出語法にふくまれということだな」
「ええ、猫には作者である夏目金之助の自己
が投出(project)されています」
「なぜそう思うのか」
「正岡子規宛の手紙『倫敦消息』では漱石は
自分のことを我輩と称していますが、『吾輩
は猫である』の主人公は吾輩。我輩と吾輩は
同じでしょう。<漱石が『猫』にそそぎ込ん
だたぎる情熱とはそもそも何であろうか?
それは、自己超出のや むにやまれぬ欲望であ
る、と私は思う>と吉田六郎は論じています
(吉田六郎『吾輩は猫である』論)」
「自己投出と自己超出は同じなのだろうか」
「同じようなものだと思います」

  吾輩は猫である。名前はまだ無い。
  どこで生まれたか頓と見当がつかない。
 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣
いていた事だけは記憶している。吾輩はここで
始めて人間というものを見た。(『猫』一)

  我輩も時には禅坊主見た様な変哲学者の様な
悟り済した事も云って見るが矢張り大体の処が
御存じの如き俗物だからこんな窮屈な生活をし
て回や其の楽(たのしみ)をあらためず賢なる
かなと褒められる権利は毛頭ないのだよ。
                       (『倫敦消息』)


投入語法
   2017/2/25 (土) 06:42 by Sakana No.20170225064218

02月25日

「次は投入語法(Introjection)です」
「投出(Projection)か、投入(Introjection)
か、それが問題だといいたいのだろうが、ど
ちらも調和法的連想法だから、たいして違い
はない」
「違いますよ。投入語法(Introjection)は、
もっぱら暗喩、隠喩(Metaphor)や直喩、明
喩(Simile)を用います」
「どうせ僕なんか行徳の俎なんだからなあと、
迷亭がいうとき、行徳の俎が迷亭に投入され
ているんだな」
「そうだと思います」
「では、行徳の俎とはどんなまないただ?」
「さあ、それはわかりません。苦沙弥先生は
知らなくても、笑って誤魔化しています」
「すると、わけのわからんものが迷亭に投入
されたことになる。それは、むしろ滑稽的連
想ではないか」
「そうかもしれません」
「けっきょく、『吾輩は猫である』において
は投出語法や投入語法のような調和法的連想
も対置法的滑稽的連想のように思えてくる。
漱石は分類魔だから、こまく分類しているが、
重箱の隅をつついてこも仕方がない。要する
に連想法と写実法の違いだけ理解しておけば
よいと思う」

  迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕
などは行徳の俎(まないた)という格だから
 なあ」と笑う。「まずそんなところだろう」
と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人
は解さないのであるが、さすが永年教師をし
 て誤魔化しつけているものだから、こんな時
には教場の経験を社交上にも応用するのであ
 る。             (『猫』)


自己と隔離せる連想
   2017/2/22 (水) 07:47 by Sakana No.20170222074700

02月22日

「文芸上の真を伝える対置法的連想法には滑
稽的連想(Comic Association)がありますが、
一方、調和法的連想法には投出語法(Projection)、
投入語法(Introjection)、自己と隔離せる
連想(Dissociation)の三種があります」
「逆順に考えるなら、調和法的連想法三種は
まず、自己と隔離せる連想(Dissociation)
だが、これはなかなかわかりにくい」
「私が『吾輩は猫である』の中から見つけた
自己と隔離せる連想(Dissociation)の応用
例を付記しておきます。これを手がかりにし
て考えてください」
「書生の顔は薬罐と似ている。顔が薬罐に似
ているという直喩(Simile)の連想は投入語
法(Introjection)ではないか。
「猫には作者の自己が投出されていますが、
猫は書生の顔と隔離されているし、薬罐とも
隔離されている、したがってこれは自己と隔
離せる連想(Dissociation)と愚考しました」
「その解釈でいいかどうか、念のため、皆さ
んの意見も聞いてみなさい」

 掌の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのが
所謂人間というものの見始であろう。この時妙
なものだと思った感じが今でも残ってい る。
第一毛を以て装飾されべき筈の顔がつるつるし
てまるで薬罐だ。その後猫にも大分逢ったが、
こんな片輪には一度も出会(でくわ)した事が
ない。 (『吾輩は猫である』一)
 


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