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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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投出語法
   2017/2/28 (火) 08:30 by Sakana No.20170228083014

02月28日

「原作では第四編のトップバッターの投出語
法(Projection)が本稿の都合で最後になっ
てしまいました」
「大勢には影響ないが、後回しにしたおかげ
で、眺望はよくなったかもしれない」
「文例は『吾輩は猫である』から『明暗』に
至るまでの各作品から、もれなく収集してい
ますから、投出語法がいかなるものかはおわ
かりのことと思います」
「擬人法( (Personification or Prosopopeia)
は投出語法にふくまれということだな」
「ええ、猫には作者である夏目金之助の自己
が投出(project)されています」
「なぜそう思うのか」
「正岡子規宛の手紙『倫敦消息』では漱石は
自分のことを我輩と称していますが、『吾輩
は猫である』の主人公は吾輩。我輩と吾輩は
同じでしょう。<漱石が『猫』にそそぎ込ん
だたぎる情熱とはそもそも何であろうか?
それは、自己超出のや むにやまれぬ欲望であ
る、と私は思う>と吉田六郎は論じています
(吉田六郎『吾輩は猫である』論)」
「自己投出と自己超出は同じなのだろうか」
「同じようなものだと思います」

  吾輩は猫である。名前はまだ無い。
  どこで生まれたか頓と見当がつかない。
 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣
いていた事だけは記憶している。吾輩はここで
始めて人間というものを見た。(『猫』一)

  我輩も時には禅坊主見た様な変哲学者の様な
悟り済した事も云って見るが矢張り大体の処が
御存じの如き俗物だからこんな窮屈な生活をし
て回や其の楽(たのしみ)をあらためず賢なる
かなと褒められる権利は毛頭ないのだよ。
                       (『倫敦消息』)


投入語法
   2017/2/25 (土) 06:42 by Sakana No.20170225064218

02月25日

「次は投入語法(Introjection)です」
「投出(Projection)か、投入(Introjection)
か、それが問題だといいたいのだろうが、ど
ちらも調和法的連想法だから、たいして違い
はない」
「違いますよ。投入語法(Introjection)は、
もっぱら暗喩、隠喩(Metaphor)や直喩、明
喩(Simile)を用います」
「どうせ僕なんか行徳の俎なんだからなあと、
迷亭がいうとき、行徳の俎が迷亭に投入され
ているんだな」
「そうだと思います」
「では、行徳の俎とはどんなまないただ?」
「さあ、それはわかりません。苦沙弥先生は
知らなくても、笑って誤魔化しています」
「すると、わけのわからんものが迷亭に投入
されたことになる。それは、むしろ滑稽的連
想ではないか」
「そうかもしれません」
「けっきょく、『吾輩は猫である』において
は投出語法や投入語法のような調和法的連想
も対置法的滑稽的連想のように思えてくる。
漱石は分類魔だから、こまく分類しているが、
重箱の隅をつついてこも仕方がない。要する
に連想法と写実法の違いだけ理解しておけば
よいと思う」

  迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕
などは行徳の俎(まないた)という格だから
 なあ」と笑う。「まずそんなところだろう」
と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人
は解さないのであるが、さすが永年教師をし
 て誤魔化しつけているものだから、こんな時
には教場の経験を社交上にも応用するのであ
 る。             (『猫』)


自己と隔離せる連想
   2017/2/22 (水) 07:47 by Sakana No.20170222074700

02月22日

「文芸上の真を伝える対置法的連想法には滑
稽的連想(Comic Association)がありますが、
一方、調和法的連想法には投出語法(Projection)、
投入語法(Introjection)、自己と隔離せる
連想(Dissociation)の三種があります」
「逆順に考えるなら、調和法的連想法三種は
まず、自己と隔離せる連想(Dissociation)
だが、これはなかなかわかりにくい」
「私が『吾輩は猫である』の中から見つけた
自己と隔離せる連想(Dissociation)の応用
例を付記しておきます。これを手がかりにし
て考えてください」
「書生の顔は薬罐と似ている。顔が薬罐に似
ているという直喩(Simile)の連想は投入語
法(Introjection)ではないか。
「猫には作者の自己が投出されていますが、
猫は書生の顔と隔離されているし、薬罐とも
隔離されている、したがってこれは自己と隔
離せる連想(Dissociation)と愚考しました」
「その解釈でいいかどうか、念のため、皆さ
んの意見も聞いてみなさい」

 掌の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのが
所謂人間というものの見始であろう。この時妙
なものだと思った感じが今でも残ってい る。
第一毛を以て装飾されべき筈の顔がつるつるし
てまるで薬罐だ。その後猫にも大分逢ったが、
こんな片輪には一度も出会(でくわ)した事が
ない。 (『吾輩は猫である』一)
 


滑稽的連想の厭味
   2017/2/19 (日) 08:13 by Sakana No.20170219081300

02月19日

「滑稽的連想法を応用して『吾輩を猫である』
を執筆して成功した漱石先生の非凡なところ
は滑稽的連想の厭味に気がついて、それ以後
は、作風を写実法のほうに変えたことです」
「二匹目の猫や三匹目の猫を期待していた読
者はがっかりしただろう」
「渋川玄耳『東京見物』や米窪太刀雄『海の
ロマンス』のように猫の文体を真似た作品が
それなりの評判を呼びましたが、滑稽的連想
の厭味に鈍感な二番煎じ、三番煎じの作品と
なると、厭味を通り越して、鼻持ちならない
もので、漱石先生をうんざりさせたのです」
「きみも気をつけたほうがよい」
「はい、気をつけて、風雅の誠をせめる作風
や客観写生をこころがけたいと思います」
「松尾芭蕉や正岡子規だけではない。坂井久
良岐や井上剣花坊は川柳も詩であるとして、
近代川柳の革新をめざした」
「最近のサラリーマン川柳やシルバー川柳を
どうお考えですか」
「大衆が滑稽風刺や穿ちや駄洒落による笑い
をもとめているのはたしかだが、限界もある」
「ストレスの多い日常生活では笑いによるガ
ス抜きも必要ですね」
「だからといって駄洒落ばかり連発しても馬
鹿にされるだけだ」


滑稽的連想
   2017/2/17 (金) 07:39 by Sakana No.20170217073923

02月16日

「連想法六種あるいは四種のなかで、文学者
漱石が読者を幻惑する手段として最初に『吾
輩は猫である』で応用し、成功したのは四番
目の滑稽的連想です」
「つまり、文学の第二の目的である読者の幻
惑により商業的成功をおさめた手段が滑稽的
連想だ」
「商業的成功などという言い方をしたら身も
蓋もありません。文学的成功です」
「自然主義の作家たちは『吾輩や猫である』
を文学的成功作と認めていない。それより
『道草』を高く評価している」
「一般読者からみれば『吾輩は猫である』の
ほうが面白い小説です」
「しかし、猫伝の語り口はいかにも通俗的だ」
「そう考えるのは写実法を重んじる自然主義
の立場からです。『吾輩は猫である』のよう
な作品を評価するときは、滑稽的連想法の視
点から評価するべきです」
「滑稽的連想は調和法ではなく、対置法だっ
たな」
「ええ、オタンチン・パレオロガスのように
意表外な共通性により突飛なる綜合を生じた
る時始めてその特性を発揮するものです
「駄洒落のようなものだ」
 「いわゆる口合(pun)ですね。それに対し
て頓才(wit)は論理的知力の作用を待って滑
稽的興味を喚起するもので、たとえば、カー
ライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカー
ライルにはなれないさ、などという言い方が
その例です」


調和法と対置法
   2017/2/13 (月) 06:54 by Sakana No.20170213065400

02月13日

「連想法は大きく分けると調和法(Harmonization 
technique)と対置法(Contrast、Counterposition)
に二分されます」
「さらにこまかく分けると?」
「調和法には投出語法による連想、投入語法
による連想、自己と隔離せる連想があり、対
置法には滑稽的連想、緩勢法による連想、強
勢法による連想、不対法による連想がありま
す」
「あいわかった」
「不対法(Method of nonopposition)による
連想は対置法にふくまれますが、仮対法
(Pseudo-opposition、Quasi-contrast)によ
る連想はふくまれないので気をつけてくださ
い」
「ああ、大丈夫だ」
「ほんとうに大丈夫かどうか、心配になって
きました」
「余計な心配はしなくてもよい」
「もう一つだけ注意しておきますと、文芸上
の真を伝える文章で、自然の因果を用いると
調和法になりますが、人工的因果では調和法
になりません」
「人工的因果とはなんだ?」
「無理矢理不自然な因果づけをすることです。
<故に>とか<従って>とか因果に関する接
続詞を使うことはなるべく避けてください」
「小手先の文章表現テクニックだな」


連想法
   2017/2/10 (金) 08:24 by Sakana No.20170210082435

02月10日

「写実法はずばり一種だけで、まぎれがあり
ませんが、連想法は大きく分けて六種ありま
す」
「調和法と対置法の二種だけではないのか」
「分類の仕方にもよりますね」
「類似をあらわすために二個の分子を結合し
て連想するのが調和法、類似の連鎖を通じて
非類似のものを連想するのが対置法だろう」
「その通りです。迷亭が金魚麩なら鈴木藤三
郎は藁で括った蒟蒻だね、というのは類似の
分子を結合して連想するから調和法、蒲焼に
対する漬物の如し、と類似していない二個の
分子を対置させるのが対置法のうちの緩勢法
です」
「対置法にはたしか緩勢法の他に強勢法と不
対法があったな」
「ええ、たとえば、誰も口にせぬ者はないが、
誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、
誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天
狗の類か、というのが強勢法で、この気候の
逆戻りするところはまるでハ―キュリースの
牛、というのが不対法です」
「わけがわからんことばかりいっている」
「不対法は仮対法とはちがいますから、気を
つけてください」
「それもわけがわからん。どうでもいいこと
のようだ」


写実法
   2017/2/7 (火) 07:28 by Sakana No.20170207072843

02月07日

「第四編 文芸的内容の相互関係 のおさら
いは、逆の順番からすすめて、間隔論の次は
写実論、最後に連想論という順序にしたいと
思います」
「『文学論』の刊行は明治四十年五月。わが
国自然主義の代表的作品とされる島崎藤村の
『破戒』や田山花袋の『蒲団』が発表された
のとほぼ同じ時期だ。したがって、写実論は
当然、自然主義を意識していただろう」
「そうですね。明治四十三年、朝日新聞に掲
載した小論『イズムの功過』では、<自然主
義もまた一つのイズムである>として、これ
を永久の真理の如くにいいなして吾人生活の
全面に渉わたって強いんとするべきではない
という意味のことを論じています」
「漱石は自然主義作家たちからは一大敵国の
ドン(首領)と目された」
「しかし、日本の自然主義作家はフランスの
ルソーの『告白』をお手本にし、モーパサン
やゾラの説を鵜呑みにしてわめいているだけ
で、理論的には独自のものがありません」
「『蒲団』や『新生』が代表作なら煩悩即菩
提といえなくもないが」
「人間の内面にひそむ醜いエゴをえぐりだし
た告白小説がずいぶん流行しましたね。でも
それだけが文芸上の真ではありません。間隔
論や連想法も視野に入れて全体的に考える必
要があります」


間隔論
   2017/2/4 (土) 09:12 by Sakana No.20170204091246

02月04日

「間隔論でとりあげられている間隔には次のよ
うなものがあります。
  時間の間隔(→短縮)
  空間の間隔(→短縮)」
  作者と読者との間隔(→伸縮自在)
  読者と作中人物との間隔(→伸縮自在)
  作者と作中人物との間隔(→伸縮自在」)
「文学における時間の間隔とは?」
「吾輩は猫である、というのはいわゆる歴史的
現在です。百年前の過去の出来事であっても、
それがあたかも目の前で起こっているかのよう
な気がします」
「空間の間隔も一気に短縮される。『文学論』
を読む島国日本の読者はあたかもロンドンで神
経衰弱になったような気分になる」
「それは作者と読者との間隔でもありますが、
私は本書を読むことによって漱石先生との距離
が一気に縮まりました」
「こんど岩波書店からまた夏目漱石全集の配本
がはじまったが、きみの全集が発行される気配
はない。きみと漱石との間隔はひろがるばかり
だ」
「漱石全集第一回配本は『吾輩は猫である』で
すね。わが家でも猫を飼っていますが、その猫
は私と作中人物との間隔がせばまったのは欣快
の至りだという顔をしています」
「慚愧の至りだろう」
「この猫の尻尾をさわると、アーラ不思議、苦
沙弥先生や迷亭との間隔がなくなります」



文学的内容の相互関係
   2017/2/1 (水) 06:39 by Sakana No.20170201063937

02月01日

「第四編 文芸的内容の相互関係 にすすみ
ます」
「そんな文芸的内容の相互関係なんか一般読
者にとってはどうでもいいことだ」
「作家志望者には参考になると思います。
第一章 投入語法、第二章 投出語法からは
じまって、第三章 自己と隔離せる連想、第
四章 滑稽的連想、第五章 調和法、第六章
対置法、といくつかの連想法が続き、第七章 
写実法、第八章 間隔論、で終わるという構
成になっており、創作の方法を考えるうえで
有益です」
「第一章から第六章までは連想法、それに写
実法と間隔論か」
「要するに三本立ての構成ですが、読む順番
は第八章 間隔論、を先にし、次に写実法、
最期に連想法と逆にしたほうが頭にはいりや
すいと思います」
「間隔論では文学の大目的への言及がある」
「ええ。文学の大目的の奈辺に存するかは暫
く措く。その目的を生ずるに必要なる第二の
目的は幻惑の二字に帰着す」
「けっきょく、文学の大目的は『文学論』で
は説明がない。幻惑論で終わっているのは困
ったものだ」
「でも、その大目的は読者のひとりひとりが
それぞれに考えることです。漱石先生が後世
の読者にたいして与えてくださった宿題と考
えるべきだと私は思います」


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