ほくしん文芸クラブ
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冷暖自知
   2016/1/26 (火) 05:51 by Sakana No.20160126055156

01月26日

「猫の足はあれども無きがごとし。どこを歩
いても不器用な音のした試しがない」
「抜き足、差し足、忍び足」
「空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水
中で磬を打つがごとく、洞の中で瑟を鼓する
がごとく、醍醐の妙味をなめて言詮のほかに
冷暖を自知するがごとし」
「猫に学ぶところがあるとすれば、そこです
ね。私も猫が冷暖を自知するが如く、人の助
けを借りず、みずから悟りたいと思います」
「凡愚の身でそうたやすく悟れるわけがない」
「『門』の野中宗助、『彼岸過迄』の須永市
藏、『こころ』の先生、『行人』の長野一郎
──みんな三更月下入無我の悟りからはほど
遠いようです」
「みんな冷暖自知できないおまえさんの同類
だよ」
「みんなで渡ればこわくない。これらの作品
を読んで、どうしても悟れないのは自分一人
ではない、仲間がいるということがわかるこ
とはせめてもの慰めです」

  猫の足はあれども無きがごとし。どこを歩
いても不器用な音のした試しがない。空を踏
むがごとく、雲を行くがごとく、水中で磬
(けい/打楽器の一種)を打つがごとく、洞
の中で瑟(しつ/琴の一種)を鼓(こ)する
がごとく、※醍醐(だいご/仏の悟りや教え
のたとえ)の妙味をなめて言詮(ごんせん)
のほかに冷暖(れいだん)を自知するがごと
し。(『猫』三)
 
 「苦沙弥君の説明はよく我意(わがい)を
得ている。昔しの人は己を忘れろと教えたも
のだ。今の人は己を忘れるなと教えるからま
るで違う。二六時中己れという意識を以て充
満している。それだから二六時中太平の時は
ない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が楽だ
と云って己を忘れるより楽な事はない。三更
月下入無我とはこの至境を詠じたものさ」
             (『猫』十一)


無常迅速
   2016/1/23 (土) 08:21 by Sakana No.20160123082147

01月23日

「生死事大、無常迅速。あきらめるさ」
「アーメン」
「キリシタンでもないきみに、アーメンの意
味がわかっているのか」
「然り、まことにそうです、という意味でし
ょう」
「では、あきらめているのか」
「アーメン」
「しつこい奴だ」
「『文学論』を読みはじめて、そろそろ十年
目になりますが、まさに無常迅速ですね」
「母は、金之助(=漱石)を分娩したときは
すでに四十歳を過ぎていた。その母の背景に
ある一間の襖には生死事大無常迅速云々と書
いた石摺(いしずり)などがあったという」
「子供の頃から、漱石の頭には生死事大無常
迅速がすり込まれていました」
「漱石没後百年飛去」

「君は最初から負けても構わない流じゃない
か」
「僕は負けても構わないが、君には勝たせた
くない」
「飛んだ悟道だ。相変らず春風影裏に電光を
きってるね」
「春風影裏ではない。電光影裏だよ。君のは
逆だ」
「ハハハハもう大抵逆かになっていっていい
時分だと思ったら、やはり慥かなところがあ
るね。それじゃ仕方がないあきらめるかな」
「生死事大、無常迅速。あきらめるさ」
「アーメン」と迷亭先生今度はまるで関係な
い方面へぴしゃりと一石を下した。、
             (『猫』十一)

  私の知っている母は、常に大きな眼鏡を掛
けて裁縫(しごと)をしていた。その眼鏡は
鉄縁の古風なもので、珠の大きさが直径(さ
しわたし)二寸以上もあったように思われる。
母はそれを掛けたまま、すこし顎を襟元へ引
き付けながら、私を凝っと見る事が屡(しば
しば)あったが、老眼の性質を知らないその
頃の私には、それがただ彼女の癖とのみ考え
られた。私はこの眼鏡と共に母の背景になっ
ていた一間の襖を思い出す。古びた張交(は
りまぜ)の中に、生死事大無常迅速云々と書
いた石摺(いしずり)なども鮮やかに眼に浮
かんで来る。     (『硝子戸の中』


無名
   2016/1/20 (水) 06:58 by Sakana No.20160120065803

01月20日

「名前はまだないという猫は、水桶に落ちて
死ぬまで名前がありませんでした」
「それでも漱石がホトトギスに連載して、有
名になった」
「夏目漱石は有名になりましたが、猫は無名
のままです」
「一樹の蔭を恵んでもらったのだから、それ
でいいじゃないか」
「そうですね。白とか黒とかいう名前をつけ
られても嬉しくない」
「無名は天地の始めなり」
「戸籍謄本や住民票に名前がないと、生きて
いくのに不利、不便ではあります」
「道は永遠に無名である。手が加えられてい
ない素材(伐りたての原木)のようなものだ。
名もない素材は小さいけれど、誰もそれを支
配することは出来ない」
「無名であろうとなかろうと、天に軌道のあ
る如く、猫それぞれに運命というものがあり
ます」

 吾輩は猫である。名前はまだない。
 どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
              (『猫』一)

 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以
外のものには甚だ不人望であった。どこへ行
っても跳ね付けられて相手にしてくれ手がな
かった。如何に珍重されなかったかは、今日
に至るまで名前さえつけてくれないのでもわ
かる。           (『猫』一)

 吾輩は御馳走も食わないから別段肥りもし
ないが、先々(まずまず)健康で跛(びっこ)
 にもならずにその日を暮している。鼠は決
して取らない。おさんは未だに嫌いである。
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても
際限がないから生涯この教師の家で無名の猫
で終る積りだ。       (『猫』一)


喪家の犬
   2016/1/17 (日) 07:29 by Sakana No.20160117072932

01月17日

「宿のない猫はホームレスですから可哀想で
す。累々として喪家の犬の如し──つらいで
しょうね」
「樹下石上を宿とすとか、応無所住而生其心
とかいうありがたい言葉を知らないのか。ま
さに住む所を無くして其心を生ぜよ。何に執
着もない状態で清浄心を生ぜしめよ」」
「私はとてもそんな風に高く悟った心境には
なれそうもありません」
「西行や芭蕉を見ならえ」
「西行の歌は、風になびく富士のけぶりの空
に消えて行方も知らぬわが思ひかな、芭蕉の
句は、野ざらしの心に風のしむ身かな、など
を知識としては記憶していますが。現実にそ
んな心境になれと言われても、ムリです」
「では累々とするしかない」
「そうでしょうか。リストラの憂き目にあっ
た勤め人や就職口のきまらない学生が、喪家
の犬の如く歩いているのを見ると気の毒にな
ります」
「それにひきかえ、苦沙弥の家に転がり込ん
だ猫は運がよかった」

「古人も待つ身につらき置炬燵と云われた事
があるからね。又待たるる身より待つ身はつ
らいともあって軒に釣られたヴァイオリンも
つらかったろうが、あてのない探偵の様にう
ろうろ、まごついている君は猶更つらいだろ
う。累々として喪家の犬の如し。いや宿のな
い犬程気の毒なものは実際ないよ」
「犬は残酷ですね。犬に比較された事はこれ
でもまだありませんよ」
「僕は何だか君の話をきくと、昔しの芸術家
の伝を読むような気持がして同情の念に堪え
ない。犬に比較したのは先生の冗談だから気
に掛けずに話を進行したまえ」と東風君は慰
謝した。慰謝されなくても寒月君は無論話を
続ける積もりである。(『猫』十一)

 織るがごとき街ちまたの中に喪家の犬のご
とく歩む二人は、免職になりたての属官と、
堕落した青書生と見えるだろう。 見えても
仕方がない。          (『野分』)



一樹の蔭
   2016/1/14 (木) 18:17 by Sakana No.20160114181740

01月14日

「猫は竹垣の崩れた穴から苦沙弥の邸内にも
ぐり込み、路傍に餓死する運命をまぬがれま
した」
「一樹の蔭一河の流れも他生の縁。すべての
出来事は前世からの因縁だよ」
「猫と苦沙弥の前世には何があったのでしょ
うか」
「たぶん猫が苦沙弥で、苦沙弥が猫だったの
ではないか。苦沙弥は前世で拾ってもらった
恩義を忘れていなかったのだ」
「主人は鼻の下の黒い毛を撚(ひね)りなが
ら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やが
てそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ
這入ってしまったと猫は言っていますね」
「顔をしばらく眺めているうちに、昔の恩義
を思いだしたのだろう」
「前世とか来世とかいいますが、ほんとうに
輪廻転生なんてあるのでしょうか」
「輪廻転生説は科学上の真ではない。しかし、
一樹の蔭を得て、これも前世からの因縁のお
かげと考えるのはよい心がけだ。そのような
殊勝な心がけでいることは、現世や来世によ
い結果をもたらす因縁にはなるかもしれない」

 此処へ這入ったら、どうにかなると思って
竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込
んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が
崩れていなかったなら、吾輩は遂に路傍に餓
死したかも知れんのである。一樹の蔭とはよ
く云ったものだ。      (『猫』一)


薔薇の水
   2016/1/11 (月) 06:19 by Sakana No.20160111061955

01月11日

「では、『猫』から見た哲学上の真の断面二
十選を順次とりあげていくことにしましょう。
まず、一番目として薔薇の水、を」
「そんな水がどこにある?」
「柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水
で手を清めたそうです。『猫』の書く文章に
たいしても同じように礼をつくさなければい
けないのでしょうか」
「敬服する師にたいして、そういう気持を抱
いたら、具体的な態度で礼をつくせばよい」
「大平の逸民たちの会話が面白いので、時々
クスリと笑いながら、寝ころがって読んでい
ましたが、猫先生に対して無礼な態度だった
かもしれません」
「そう思うなら態度をあらためればよいが、
名なしの猫の文章を読むのにわざわざ薔薇の
水で手を清めなくてもよい」
「でも、もしかしたら一字一句の裏(うち)
に宇宙の一大哲理を包含する容易ならざる法
語かもしれない、読みっぱなしでそのまま忘
れてしまうのはもったいないという気がして
くる断面もあります」
「ハハア、化け猫の文学に幻惑されたな」

 凡て吾輩のかく事は、口から出任せのいい
加減と思う読者もあるかもしれないが決して
そんな軽率な猫ではない。一字一句の裏(う
ち)に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、
その一字一句が層々連続すると首尾相応じ前
後相照らして、瑣談繊話(さだんせんわ)と
思ってうっかりと読んでいたものが忽然豹変
して容易ならざる法語となるんだから、決し
て寝ころんだり、足を出して五行ごと一度に
読むのだと云う無礼を演じてはいけない。柳
宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手
を清めたと云う位だから、吾輩の文に対して
もせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御
余りを借りて間に合わすと云う不始末だけは
ない事に致したい。(『猫』七)



文芸上の真の断面二十選
   2016/1/8 (金) 06:38 by Sakana No.20160108063850

01月08日 

「凡そ文学者の重(おもん)ずべきは文芸上
の真にして科学上の真にあらず」
「何度も繰り返してくどいね。わかったよ」
「同じく物の全局を写さんとする場合におい
ても、科学者は概念を伝へんとし、文学者は
画を描かんとす」
「それはどうかな?」
「一時的に消えやすき現象を捉へて快味を感
ずる人は文学者にありても彫刻家、画家に近
きものなり。吾が邦(くに)の和歌、俳句も
しくは漢詩の大部分は皆この断面的文学に外
ならず」
「具体的な例で示してくれ」
「『猫』は名前のない猫が生まれて死ぬまで
の生涯を綴った長編小説としても読めます。
これらの断面を織りなした文字の織物から文
芸上の真と思われる二十断面を選んでみまし
た。再読しているうちに私の情緒fが再発し、
あらためて深く考えさせられた断面ばかりで
す」
「これらの断面は言語を用いて哲学上の真を
伝えようとしているとでもいいたいのか」
「哲学は真善美を追求する学問ですから、文
芸上の真に哲学上の真が反映さるのは当然の
ことです」
「しかし、哲学者は科学者に含まれると漱石
はいう。矛盾ではないか」
「絶対矛盾の自己同一です」
「それは哲学者の西田幾多郎が使った言葉だ
が、科学的な表現ではない」
「では科学的用語で、不確定性原理といって
おきましょう」

   一)薔薇の水 
   二)一樹の蔭 
     三)喪家の犬
   四)無名
     五)無常迅速
   六)冷暖自知
   七)父母未生前本来面目
    八)見性成仏 
   九)郭象無聖 
   十)理性(余は思考す故に余は存在す)
    十一)自由 (心を自由にする修業
    十二)平等(自然は真空を忌むが如く人間は平等を嫌う)
  十三)資本(三角術)
    十四)神経衰弱
    十五)自殺学
  十六)神聖なる狂気
    十七)人間万事塞翁の馬
    十八)無為にして化す
  十九)悲しい音
  二十)南無阿弥陀仏


東洋と西洋---比較哲学
   2016/1/5 (火) 05:21 by Sakana No.20160105052106

01月05日

「東洋にも古代哲学がありました。サンスク
リット哲学やウパニシャッド哲学、それに釈
迦の仏教、孔子の儒教、老荘思想も哲学でし
ょう」
「中世の日本で広まった禅も哲学だ」
「でも只管打坐で悟りを目指すのは科学では
ないですね。近代哲学とはいえない」
「漱石は参禅し、公案を与えられたことがあ
る」
「その経験は、『門』で宗助の経験として描
かれていますが、文芸上の真を発揮する材料
として使われているだけです」
「科学でも哲学でも文学の材料としては使え
るが、文学作品そのものは科学でも哲学でも
ない」
「そのことについては『文学評論』でも論じ
られています」
「要するに、『文学論』は文学作品そのもの
ではなく、文学作品を材料して科学的に論じ
たもの──両者を混同してはいけないという
ことだろう」
「日本人が東洋哲学にひかれると、両者を混
同しがちになります。文学者の漱石先生は、
漢学に所謂文学は英語に所謂文学とは到底同
定義の下に一括し得べからざる異種類のもの
たらざるべからずと、そのことに気がついて
おられました。哲学者で似たようなことを指
摘している人にはたとえば、井筒俊彦がいま
す」
「漱石の『文学論』は立派に建設されないう
ちに地震で倒された未成市街の廃墟のような
未定稿、井筒俊彦の『意識と本質』は現代に
生きる日本人が東洋哲学的主題を取り上げて、
それを現代的意識の地平において考究した小
さな試作品の一つにすぎない。そんなものし
かないのが日本の現実だが、少なくとも内発
的開化をした二人の知的努力の成果は貴重な
文化遺産として継承する価値はある」
「それにしても、『文学論』も『意識の本質』
も難解ですね。東洋と西洋の比較哲学を未定
稿や試作品から自己本位で理解するのはたい
へんです」

 科学技術に基づく西洋的文化パラダイムが、
事実上、人類文化の共通パラダイムになり、
好むと好まざるとにかかわらず、その基礎の
上に、人類が地球社会化への方向を目指して
滔々と流れつつある現在、徒らに西洋を無視
して東洋だけを孤立させて論じることは無意
味だし、また実際上そんなことは不可能に近
い。世界に向って開けた視野において、もの
を考えようとするするかぎり、人類の現在的
状況では、東洋哲学といっても、どうしても
西洋哲学が深く関わってくる。
 そればかりではない。特に明治以来、一途
に欧化の道を驀進してきた我々日本人の場合、
その意識──少なくとも意識表層──は、も
はや後にはひけないほど西洋化しているのだ。
ほとんどそれと自覚することなしに、我々は
西洋的思考で物事を考える習慣を身につけて
しまっている。つまり、ごく普通の状態にお
いて、現代の日本人のものの考え方は、いち
じるしく欧文脈化しているし、まして哲学と
もなれば、既に受けた西洋的学問の薫陶が、
それを別に意図しなくとも、我々の知性の働
きを根本的に色付ける。(中略)
 東と西との哲学的関わりというこの問題に
ついて、私自身、かつては比較哲学の可能性
を探ろうとしたこともあった。だが、実はこ
とさら東と西とを比較しなくても、現代に生
きる日本人が、東洋哲学的主題を取り上げて、
それを現代的意識の地平において考究しさえ
すれば、もうそれだけで既に東西思想の出逢
いが実存的体験の場で生起し、東西的視点の
交錯、つまりは一種の東西比較哲学がひとり
でに成立してしまうのだ。『意識と本質』」
は、この意味でもまた、一つの小さな試作で
ある」    (井筒俊彦『意識と本質』)


科学と哲学
   2016/1/2 (土) 07:56 by Sakana No.20160102075616

01月02日

「漱石『文学論』では、科学者は哲学者をも含
むとなっていますが、やはり納得がいかないの
で、参考のため、ホワイトヘッド『科学と近代
世界』を読んでみました」
「ホワイトヘッドの哲学は難解と言われている。
バカの壁につきあたっているきみの白頭で理解
できるとは思えない」
「バカの壁の内側でもいいから、なんとか理解
しておきたいと思ったのです、第九章「科学と
哲学」でこんな風に書かれています、<近代哲
学は科学の起源と相似た状況の下に成立し、両
者は同時代に端を発する。近代哲学発展の全般
的傾向は、ひとつには科学的諸原理を樹立した
のとほぼ同じ人びとの手によって、十七世紀に
決定された>」
「近代哲学の起原と科学の起原はほぼ同時期と
いうことなら、科学者に哲学者をふくめるとい
う分類は納得できる。デカルトは科学者であり、
哲学者でもあった。すると、哲学と科学が分岐
したのはいつ頃だろう」
「ホワイトヘッドによれば、ドイツ観念論運動
の発祥の源をなしたカント以降です」
「すると、カント以後のヘーゲルやマルクスや
サルトルなどの哲学者は科学者とはいえない」
「でも、ホワイトヘッドは科学者(数学者)で
した。ケンブリッジ大学やロンドン大学で数学
を教えています。哲学者としての業績は63歳
でハーバード大学に招聘されてからのものです
が」
「複雑怪奇だね。そうなると、漱石の言う通り、
やはり哲学者は科学者に含まれるのかな」

 本章におけるわたくしの目的は、われわれが
問題にしている近代数世紀間の哲学思想の流れ
に及ぼした科学の影響を考察するにある。わた
くしは決して近代哲学の歴史をただ一章の範囲
内に押しこめるつもりはない。ただ科学と哲学
の接触を、本書が展開しようと目指している思
想図式内に入るかぎりにおいて考察しようと思
う。この理由から、偉大なドイツ観念論の運動
は、科学と哲学が相互に概念を修正し合うこと
に関するかぎり、その時代の科学と有効な接触
をしなかったものとして、除外されるであろう。
この運動の発祥の源をなしたカントは、ニュー
トン物理学、およびニュートンの思想を発展さ
せたフランスのすぐれた物理学者たち──例え
ば、クレーローのような──の思想を充分吸収
していた。しかし、カント派の思想を展開し、
あるいはこれをヘーゲル主義に転じた哲学者た
ちは、カントが持っていた科学知識の背景を欠
いているか、それとも、もし哲学に大部分の勢
力を奪われなかったならばおそらく偉大な物理
学者になれたかもしれないカントのような潜在
能力を欠いているか、いずれかであった」
 (ホワイトヘッド『科学と近代世界 第九章
  科学と哲学』 上田泰治、村上至孝訳)


文学者対科学者
   2015/12/30 (水) 05:58 by Sakana No.20151230055801

12月30日

「文学者対科学者を歴史的人物のイメージで比
較してみようと思いつきました。小説『猫』で
とりあげられている人物の中からそれぞれ二十
人づつ適当に選んでみます」
「ソクラチスが科学者なのにたいして、孔子は
文学者となっている。おかしいとは思わないか」
「人生の教師ですね、お二人とも」
「ソクラチスは科学の教師、孔子は文学の教師
と考えればよいのかな。それにしても、科学者
に東洋人が一人もいないのもおかしい。羅針盤、
火薬、紙、印刷などを発明したのは誰だ?」
「中国人の四大発明と言われていますが、発明
者の名前は伝わっていません」
「ソクラチスや孔子の同時代の日本人は?」
「縄文時代の日本人は文字を知りませんから、
科学や文学の発達を期待してもは無理ですよ」
「縄文人は古代ギリシア人や古代中国人に比べ
て頭がわるかったのだろうか」
「日本人も最近は物理学や化学の分野でノーベ
ル賞を受賞する人が出ていますから、先天的に
頭がわるいとはいえません」
「アーキミジスの定理を知っているか?」
「流体中の物体は、その物体が押しのけている
流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮
力を受ける」
「ピサゴラスの定理は?」
「直角三角形の斜辺の長さの二乗は他の二辺
の長さの二乗の和に等しい」
「そんなことを丸暗記するだけでは頭がよいと
はいえない」


科学者二十人(哲学者を含む)

ピサゴラス(ピタゴラス)                    B.C.582-496
ソクラチス(ソクラテス)              B.C.469-399
プラトー(プラトン)                 B.C.427-347
ダイオジニス(ディオゲネス)                B.C,412?-323
アリストートル(アリストテレス)          B.C.384-322            
デモスセニス(デモステネス)                B.C.384-322
アーキミジス(アルキメデス)                B.C.287-212
クリシッパス(クリュシッポス)              B.C,280-207
セネカ                                      A.D.  1- 65
エピクテタス(エピクテトス)                     50-135
マーカス・オーレリアス(マルクス・アウレリウス)121-180
パラセルラス(パラケルスス)                   1493-1541
ベーコン                                       1561-1626
デカルト                                       1596-1650
パスカル                                       1623-1662
ニュートン                                     1642-1727
ライプニッツ                                   1646-1716
カント                                         1724-1804
ぜームス(ウイリアム・ジェームズ)             1842-1910
ニーチェ                                       1844-1900


文学者二十人

ホーマー(ホメロス)            紀元前8世紀末
孔子                                        B.C,552-479
老子                                        紀元前6世紀?
達磨                                        5世紀後半-6世紀前半
ソフォクリス(ソフォクレス)                B.C.496-406
ヘロドタス(ヘロドトス)                    B.C.485-420
孟子                    B.C.372?-289
屈原                    B.C.343-278
柳宗元                                          773^819
白楽天(白居易)                                772-846
韓退之                                          769-824
弘法大師(空海)                                724-835
六祖慧能                                        638-713
セクスピア(シェイクスピア、沙翁)             1564-1616
ゲーテ                                         1749-1832
ホフマン                                       1776-1822
カーライル                                     1795-1881
バルザック                                    1799-1850
ユーゴー                                       1802-1885
ゾラ                                           1840-1902



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