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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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東洋と西洋---比較哲学
   2016/1/5 (火) 05:21 by Sakana No.20160105052106

01月05日

「東洋にも古代哲学がありました。サンスク
リット哲学やウパニシャッド哲学、それに釈
迦の仏教、孔子の儒教、老荘思想も哲学でし
ょう」
「中世の日本で広まった禅も哲学だ」
「でも只管打坐で悟りを目指すのは科学では
ないですね。近代哲学とはいえない」
「漱石は参禅し、公案を与えられたことがあ
る」
「その経験は、『門』で宗助の経験として描
かれていますが、文芸上の真を発揮する材料
として使われているだけです」
「科学でも哲学でも文学の材料としては使え
るが、文学作品そのものは科学でも哲学でも
ない」
「そのことについては『文学評論』でも論じ
られています」
「要するに、『文学論』は文学作品そのもの
ではなく、文学作品を材料して科学的に論じ
たもの──両者を混同してはいけないという
ことだろう」
「日本人が東洋哲学にひかれると、両者を混
同しがちになります。文学者の漱石先生は、
漢学に所謂文学は英語に所謂文学とは到底同
定義の下に一括し得べからざる異種類のもの
たらざるべからずと、そのことに気がついて
おられました。哲学者で似たようなことを指
摘している人にはたとえば、井筒俊彦がいま
す」
「漱石の『文学論』は立派に建設されないう
ちに地震で倒された未成市街の廃墟のような
未定稿、井筒俊彦の『意識と本質』は現代に
生きる日本人が東洋哲学的主題を取り上げて、
それを現代的意識の地平において考究した小
さな試作品の一つにすぎない。そんなものし
かないのが日本の現実だが、少なくとも内発
的開化をした二人の知的努力の成果は貴重な
文化遺産として継承する価値はある」
「それにしても、『文学論』も『意識の本質』
も難解ですね。東洋と西洋の比較哲学を未定
稿や試作品から自己本位で理解するのはたい
へんです」

 科学技術に基づく西洋的文化パラダイムが、
事実上、人類文化の共通パラダイムになり、
好むと好まざるとにかかわらず、その基礎の
上に、人類が地球社会化への方向を目指して
滔々と流れつつある現在、徒らに西洋を無視
して東洋だけを孤立させて論じることは無意
味だし、また実際上そんなことは不可能に近
い。世界に向って開けた視野において、もの
を考えようとするするかぎり、人類の現在的
状況では、東洋哲学といっても、どうしても
西洋哲学が深く関わってくる。
 そればかりではない。特に明治以来、一途
に欧化の道を驀進してきた我々日本人の場合、
その意識──少なくとも意識表層──は、も
はや後にはひけないほど西洋化しているのだ。
ほとんどそれと自覚することなしに、我々は
西洋的思考で物事を考える習慣を身につけて
しまっている。つまり、ごく普通の状態にお
いて、現代の日本人のものの考え方は、いち
じるしく欧文脈化しているし、まして哲学と
もなれば、既に受けた西洋的学問の薫陶が、
それを別に意図しなくとも、我々の知性の働
きを根本的に色付ける。(中略)
 東と西との哲学的関わりというこの問題に
ついて、私自身、かつては比較哲学の可能性
を探ろうとしたこともあった。だが、実はこ
とさら東と西とを比較しなくても、現代に生
きる日本人が、東洋哲学的主題を取り上げて、
それを現代的意識の地平において考究しさえ
すれば、もうそれだけで既に東西思想の出逢
いが実存的体験の場で生起し、東西的視点の
交錯、つまりは一種の東西比較哲学がひとり
でに成立してしまうのだ。『意識と本質』」
は、この意味でもまた、一つの小さな試作で
ある」    (井筒俊彦『意識と本質』)


科学と哲学
   2016/1/2 (土) 07:56 by Sakana No.20160102075616

01月02日

「漱石『文学論』では、科学者は哲学者をも含
むとなっていますが、やはり納得がいかないの
で、参考のため、ホワイトヘッド『科学と近代
世界』を読んでみました」
「ホワイトヘッドの哲学は難解と言われている。
バカの壁につきあたっているきみの白頭で理解
できるとは思えない」
「バカの壁の内側でもいいから、なんとか理解
しておきたいと思ったのです、第九章「科学と
哲学」でこんな風に書かれています、<近代哲
学は科学の起源と相似た状況の下に成立し、両
者は同時代に端を発する。近代哲学発展の全般
的傾向は、ひとつには科学的諸原理を樹立した
のとほぼ同じ人びとの手によって、十七世紀に
決定された>」
「近代哲学の起原と科学の起原はほぼ同時期と
いうことなら、科学者に哲学者をふくめるとい
う分類は納得できる。デカルトは科学者であり、
哲学者でもあった。すると、哲学と科学が分岐
したのはいつ頃だろう」
「ホワイトヘッドによれば、ドイツ観念論運動
の発祥の源をなしたカント以降です」
「すると、カント以後のヘーゲルやマルクスや
サルトルなどの哲学者は科学者とはいえない」
「でも、ホワイトヘッドは科学者(数学者)で
した。ケンブリッジ大学やロンドン大学で数学
を教えています。哲学者としての業績は63歳
でハーバード大学に招聘されてからのものです
が」
「複雑怪奇だね。そうなると、漱石の言う通り、
やはり哲学者は科学者に含まれるのかな」

 本章におけるわたくしの目的は、われわれが
問題にしている近代数世紀間の哲学思想の流れ
に及ぼした科学の影響を考察するにある。わた
くしは決して近代哲学の歴史をただ一章の範囲
内に押しこめるつもりはない。ただ科学と哲学
の接触を、本書が展開しようと目指している思
想図式内に入るかぎりにおいて考察しようと思
う。この理由から、偉大なドイツ観念論の運動
は、科学と哲学が相互に概念を修正し合うこと
に関するかぎり、その時代の科学と有効な接触
をしなかったものとして、除外されるであろう。
この運動の発祥の源をなしたカントは、ニュー
トン物理学、およびニュートンの思想を発展さ
せたフランスのすぐれた物理学者たち──例え
ば、クレーローのような──の思想を充分吸収
していた。しかし、カント派の思想を展開し、
あるいはこれをヘーゲル主義に転じた哲学者た
ちは、カントが持っていた科学知識の背景を欠
いているか、それとも、もし哲学に大部分の勢
力を奪われなかったならばおそらく偉大な物理
学者になれたかもしれないカントのような潜在
能力を欠いているか、いずれかであった」
 (ホワイトヘッド『科学と近代世界 第九章
  科学と哲学』 上田泰治、村上至孝訳)


文学者対科学者
   2015/12/30 (水) 05:58 by Sakana No.20151230055801

12月30日

「文学者対科学者を歴史的人物のイメージで比
較してみようと思いつきました。小説『猫』で
とりあげられている人物の中からそれぞれ二十
人づつ適当に選んでみます」
「ソクラチスが科学者なのにたいして、孔子は
文学者となっている。おかしいとは思わないか」
「人生の教師ですね、お二人とも」
「ソクラチスは科学の教師、孔子は文学の教師
と考えればよいのかな。それにしても、科学者
に東洋人が一人もいないのもおかしい。羅針盤、
火薬、紙、印刷などを発明したのは誰だ?」
「中国人の四大発明と言われていますが、発明
者の名前は伝わっていません」
「ソクラチスや孔子の同時代の日本人は?」
「縄文時代の日本人は文字を知りませんから、
科学や文学の発達を期待してもは無理ですよ」
「縄文人は古代ギリシア人や古代中国人に比べ
て頭がわるかったのだろうか」
「日本人も最近は物理学や化学の分野でノーベ
ル賞を受賞する人が出ていますから、先天的に
頭がわるいとはいえません」
「アーキミジスの定理を知っているか?」
「流体中の物体は、その物体が押しのけている
流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮
力を受ける」
「ピサゴラスの定理は?」
「直角三角形の斜辺の長さの二乗は他の二辺
の長さの二乗の和に等しい」
「そんなことを丸暗記するだけでは頭がよいと
はいえない」


科学者二十人(哲学者を含む)

ピサゴラス(ピタゴラス)                    B.C.582-496
ソクラチス(ソクラテス)              B.C.469-399
プラトー(プラトン)                 B.C.427-347
ダイオジニス(ディオゲネス)                B.C,412?-323
アリストートル(アリストテレス)          B.C.384-322            
デモスセニス(デモステネス)                B.C.384-322
アーキミジス(アルキメデス)                B.C.287-212
クリシッパス(クリュシッポス)              B.C,280-207
セネカ                                      A.D.  1- 65
エピクテタス(エピクテトス)                     50-135
マーカス・オーレリアス(マルクス・アウレリウス)121-180
パラセルラス(パラケルスス)                   1493-1541
ベーコン                                       1561-1626
デカルト                                       1596-1650
パスカル                                       1623-1662
ニュートン                                     1642-1727
ライプニッツ                                   1646-1716
カント                                         1724-1804
ぜームス(ウイリアム・ジェームズ)             1842-1910
ニーチェ                                       1844-1900


文学者二十人

ホーマー(ホメロス)            紀元前8世紀末
孔子                                        B.C,552-479
老子                                        紀元前6世紀?
達磨                                        5世紀後半-6世紀前半
ソフォクリス(ソフォクレス)                B.C.496-406
ヘロドタス(ヘロドトス)                    B.C.485-420
孟子                    B.C.372?-289
屈原                    B.C.343-278
柳宗元                                          773^819
白楽天(白居易)                                772-846
韓退之                                          769-824
弘法大師(空海)                                724-835
六祖慧能                                        638-713
セクスピア(シェイクスピア、沙翁)             1564-1616
ゲーテ                                         1749-1832
ホフマン                                       1776-1822
カーライル                                     1795-1881
バルザック                                    1799-1850
ユーゴー                                       1802-1885
ゾラ                                           1840-1902



文芸上の真と科学上の真
   2015/12/27 (日) 06:06 by Sakana No.20151227060659

12月27日

「文学者は文芸上の真に達することを目指す
べきであって、そのために科学上の真は犠牲
にしてもかわまないという主張ですが、ご異
存はありませんか」
「文学者としてはそのように主張せざるをえ
ないだろうが、『文学論』は科学上の真の追
求を意図したものだ。文学者の分際で、科学
上の真を追求するのは身のほどをわきまえて
いない。猫が人間の生活を批評するようなも
のではないか」
「ええ、ですから、『文学論』は『猫』と併
読する必要があるのです。併読しないと、十
分な理解が得られないとさえ云えると思いま
す」
「執筆時期もほぼ重なっている。完成すると
漱石は大学講師を辞めて、朝日新聞に入社し、
作家専業となった」
「科学上の真を追求するのが阿呆らしくなっ
て、もっぱら文芸上の真を追求することにし
たのでしょう」
「気持はわかるが、せっかくの『文学論』が
地震で倒れた未成市街の廃墟と化すことにな
ってしまった」
「でも、廃墟の瓦礫の中には明治時代に内発
的開化をした天才による貴重な発見が転がっ
ているはずです」

 凡そ文学者の重(おもん)ずべきは文芸上
の真にして科学上の真にあらず。かるが故に
必要の場合に臨みて文学者が科学上の真に背
馳(はいち)するは毫(ごう)も怪むに足ら
ざるなり。而して文芸上の真とは描写せられ
たる事物の感が真たらざるを得ざるが如く直
接に喚起さるる場合をいふに過ぎず。一代の
天才Millet(ミレー)の作品中に農夫が草を
刈るの図あり。ある農夫これを見てこの腰付
にては草刈る事覚束(おぼつか)なしと評せ
りと聞く。なるほど事実よりいへば無理なる
骨格なるやも知れず。されども無理なる骨格
を描きながら、毫も不自然の痕跡なく草を刈
りつつあるとより外に感じ得ぬ時に画家の技
は芸術的真を描き得たりといふべし。芸術的
真を描き得たりとせば科学上の真を発揮し得
たりや否やの問題は遂に読者を煩はすに足ら
ざるべし。今世の画家頻(しき)りに人体の
組織を研究して日もまた及ばざるが如し。彼
らの作物をして一寸たりとも科学上の真に近
づかしめんとするの点において誠に嘉(よみ)
すべき志を抱けるを疑はず。しかも一意にこ
の方面に馳(は)せて遂に芸術上の真を学ぶ
事なくば、その作品は遂に失敗なるを免れ能
はざるべし。文芸上の真と科学上の真とその
間に微妙の関係あるは勿論なれど、文芸の作
家は文芸上の真をその第一義とすべく、場合
によりてはこの文芸上の真に達し得んがため
に甘んじて科学上の真を犠牲とするも不可な
きにちかし。    (『文学論』第三編)


組合わせ
   2015/12/24 (木) 06:04 by Sakana No.20151224060416

12月24日

組合わせ

「文芸上の真にして科学上の真に背くもう一
つの例として組み合わせがあります」
「取り合わせ?」
「詩人や画家が現実の世より蒐(あつ)める
ことができた材料を綜合してこの世に存在し
ないものを提出する手際(てぎわ)を称した
ものです」
「たとえば、どんなものがあるか、あげてく
れ」
「ミルトン『失楽園』のサタン、スウィフト
『ガリヴァー旅行記』のヤフー、沙翁『真夏
の夜の夢』のオベロン、漱石『吾輩は猫であ
る』のトチメンボーなどです」
「トチメンボーは詩的想像力の産物にしては
お粗末だ」
「俳人橡面坊の俳号を西洋料理のメンチボー
の名に似せてつくった洒落ですよ」
「メンチボー?」
「ミートボール、つまり肉団子のことです。
いかにも俳諧らしい趨きがあって面白いでは
ないですか」
「阿呆らしい、悪趣味」

「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっ
ても食えやしないから、まあトチメンボーく
らいなところで負けとく事にしようじゃない
か君と御相談なさるものですから、私はつい
何の気なしに、それがいいでしょう、といっ
てしまったので」「へー、とちめんぼうは妙
ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があ
まり真面目だものですから、つい気がつきま
せんでした」とあたかも主人に向って麁忽
(そこつ)を詫(わ)びているように見える。
「それからどうしました」と主人は無頓着に
聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。
「それからボイにおいトチメンボーを二人前
持って来いというと、ボイがメンチボーです
かと聞き直しましたが、先生はますます真面
目な貌(かお)でメンチボーじゃないトチメ
ンボーだと訂正されました」「なある。その
トチメンボーという料理は一体あるんですか」
「さあ私も少しおかしいとは思いましたがい
かにも先生が沈着であるし、その上あの通り
の西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は
洋行なすったものと信じ切っていたものです
から、私も口を添えてトチメンボーだトチメ
ンボーだとボイに教えてやりました」「ボイ
はどうしました」「ボイがね、今考えると実
に滑稽(こっけい)なんですがね、しばらく
思案していましてね、はなはだ御気の毒様で
すが今日はトチメンボーは御生憎様でメンチ
ボーなら御二人前すぐに出来ますと云うと、
先生は非常に残念な様子で、それじゃせっか
くここまで来た甲斐がない。どうかトチメン
ボーを都合して食わせてもらう訳には行くま
いかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボ
イはそれではともかくも料理番と相談して参
りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチ
メンボーが食いたかったと見えますね」
              (『猫』二)


省略
   2015/12/21 (月) 15:46 by Sakana No.20151221154621

12月21日

「猫の尻尾には神祇釈教恋無常は勿論の事、
満天下の人間を馬鹿にする一家相伝の妙薬が
詰め込んであるそうです」
「いくら文学者は文芸上の真を第一義にする
べきだといったって、こんな文章は省略過剰
で、意味不明。読者に対して不親切だ」
「神祇釈教恋無常は俳諧の連歌(連句)の式
目で使われる用語です。季節を示す言葉では
ないので、神祇釈教恋無常をふくむが、季語
のないものは雑の句として扱われています」
「そんなことは連句に関心のない読者にはな
んのことやらわからない。そもそも正岡子規
は連句は文学ではないと俳句から切り離した
はずだ」
「ところが、子規の没後、高浜虚子が連句の
復興運動をはじめ、漱石がそれに協力して、
『ホトトギス』に俳体詩という新詩体の試作
品を発表したことがあります」
「何だい俳体詩というのは」
「俳体詩を知らないのですか。随分時勢に暗
いですね」
「そんな明治三十八年(1905)頃の時勢に暗い
のはあたりまえだ。今年が西暦何年か知って
いるのか」

 蟇(がま)の額には夜光の明珠があると云
うが、吾輩の尻尾には神祇釈教恋無常は勿論
の事、満天下の人間を馬鹿にする一家相伝の
妙薬が詰め込んである。(『猫』三)

「三角術は冗談でもいいが、あすこの女房の
鼻はなんだ。君行ったんなら見て来たろう、
あの鼻を」
「細君か、細君はなかなかさばけた人だ」
「鼻だよ、大きな鼻の事を云ってるんだ。せ
んだって僕はあの鼻について俳体詩を作った
がね」
「何だい俳体詩と云うのは」
「俳体詩を知らないのか、君も随分時勢に暗
いな」
「ああ僕のように忙がしいと文学などは到底
駄目さ。それに以前からあまり数奇(すき)
でない方だから」        (『猫』四)


誇大法
   2015/12/18 (金) 05:39 by Sakana No.20151218053943

12月18日

「文芸の作家は文芸上の真をその第一義とす
るべきです」
「いうまでもないことだ」
「文芸上の真にして科学上の真に背くことが
あります。そのような例を、
 1)誇大法
 2)省略
 3)組み合わせ
の三方面から観察しておきましょう。まず誇
大法から」
「呑舟の魚とは、ヨナを呑み込んだ鯨のよう
な魚という意味だろうか」
「鯨は哺乳類に分類されています。魚ではあ
りません。いずれにしても、ヨナだけではな
く舟も呑み込む魚というのですから、誇大法
です」
「白髪三千丈の類で、中国の古典文学ではよ
く使われる」
「西洋文学にも似たような誇大法は見られま
す」
「例をあげて示してくれ」
「『文学論』にも引用されていますが、沙翁
の『ヘンリー四世』で、太っちょの不徳義漢
フォールスタッフが<おい、罪深い大陸を抱
えた地球め>と呼びかけられ、<どんな生活
をお前はしているんだ!>とからかわれると
ころなどは誇大法の例として面白いと思いま
す」

  然し主人の論理には大(おおい)なる穴が
ある。この垣よりも大なる穴がある。呑舟の
魚をも洩らすべき大穴がある。
          (『猫』八)

"Why, thou globe of sinful continents, 
what a life dost thou lead!"
  (2 Henry IV. Act. II sc.iv 309-10)
(おい、罪深い大陸を抱えた地球め、どんな
生活をお前はしているんだ!」
(『ヘンリー四世』第二部第二幕第四部)

  これは皇太子HarryがFallstaffに対する言葉
なるが、その奇抜にしてFallstaffの腹の便々と
丸きを形容して妙ならずとせず。誇大の連想に思
はず笑いを催さしむ。(『文学論』第四編)


黄金律
   2015/12/15 (火) 12:00 by Sakana No.20151215120029

12月15日 

 「フェヒナーの黄金律(golden cut)をご存知
ですか」
 「漱石も筆の誤り。フェヒナーではなく、ツ
 アイシングの黄金律だ。二本の線分の長さの
比で、もっとも美しいとされている一種の審
 美的切断法のことをいう」
 「科学者でもないのによくご存知ですね」
 「文学者でもそれ位のことは知っている。人
 体、高等動物の形状、植物の構造、結晶体の
形、星界の配列、建築、彫刻、絵画の傑作に
 あらわれた比例、音楽上最巧の調和、更に大
にしては宇宙を総括する自然界の比較科学の
組織の如きもすべてこの切断法に適合する」
 「フェヒナーのいふところに拠れば、この比
 例はその価値重きを置くにたらず、その比、
 時により適中するが如き観あれども、これを
以て充分の証拠となすこと難しと、漱石先生
は批判的です」
 「しかし、美の黄金律はともかく、善の黄金
 律は人間がまじめに考えるべき問題だ」
 「道徳の問題ですね。論語に曰く、おのれの
慾せざるところ、他人に施すなかれ。福音書
のマタイ伝に曰く、おのれの慾するように、
 他人にも施せ」
 「それは黄金律とはいえない仮言命法だ」
 「仮言命法とはまた難しい言葉ですね」
 「みせかけの条件つきの道徳を説く仮言命法
ではなく、無条件の厳格な定言命法(Categorical
 Imperative)をカントは主張している」
 「ここで論じているのはカントではなく、フ
 ェヒナー、いやツアイシングの黄金律ですよ」
 「フェヒナーとか、ツアイシングとか、誰で
 もよいが、人名は間違わないようにしてほし
 い」

  或はFechnerの'golden cut'(黄金律)と
称する一種の審美的切断法の価値を実験の結
 果として発見せるが如き、また科学者の業と
 して文学者は敢えて顧みざるを常とす。
           (『文学論』第三編)

  元来美の形式を統(す)ぶる法則につきて
 は既にプラトン、ピタゴラスの昔時より異説
 紛々学者の常に意をそそぐところにして或人
は「量を以て表現し得べき数理原則に基づ
 くもの」ともいひ或人は所謂「黄金切断法
(golden cut)」を以て美の比例なりと主張せ
 り。golden cutとは、一個のものを二分した
 る時、その短き部分が長き部分における比、
その長き部分が全部における比と同じきを名
 (なづ)けたたるにて論者は「人体、高等動
 物の形状、植物の構造、結晶体の形、星界の
配列、建築、彫刻、絵画の傑作あらはれたる
比例、音楽上最巧の調和、更に大にしては宇
 宙を総括する自然界の比較科学の組織の如き
 も全てこの切断法に適合するものなり」と主
 張す。(フェヒナーのいふところに拠ればこ
 の比例はその価値重きを置くにたらず、その
比、時により適中するが如き観あれども、こ
 れを以て充分の証拠となすこと難しと)。
                  (『文学論』第一編)

 「私の証拠立てようとするのは、この鼻とこ
 の顔は到底調和しない。ツァイシングの黄金
 律を失していると云う事なんで、それを厳格
に力学上の公式から演繹(えんえき)して御
 覧に入れようと云うのであります。まずHを
鼻の高さとします。αは鼻と顔の平面の交叉
より生ずる角度であります。Wは無論鼻の重
 量と御承知下さい。どうです大抵お分りにな
 りましたか。……」「分るものか」と主人が
云う。「寒月君はどうだい」「私にもちと分
りかねますな」「そりゃ困ったな。苦沙弥
 (くしゃみ)はとにかく、君は理学士だから
分るだろうと思ったのに。この式が演説の首
 脳なんだからこれを略しては今までやった甲
 斐がないのだが――まあ仕方がない。公式は
略して結論だけ話そう」「結論があるか」と
主人が不思議そうに聞く。「当り前さ結論の
 ない演舌は、デザートのない西洋料理のよう
 なものだ、――いいか両君能(よ)く聞き給
え、これからが結論だぜ」
               (『猫』三)



因果の法則
   2015/12/12 (土) 06:26 by Sakana No.20151212062627

12月12日

「Windows Vistaのデスクトップパソコンが
起動しなくなり、全データが消失しました」
「アーメン。ナムアミダブツ」
「せめてWindows Vistaのサポート期限がきれ
るまで、あと一年半はもちこたえてほしかっ
たのですが」
「もちこたえたとして、どうなる?」
「『文学論』のまとめが予定通り終了します」
「すると、未完のまま投げ出すつもりか?」
「とりあえず、代替機のノートパソコンを使
用しますが、これはWindows 8で、使いにくい
ですね」
「今やWindows 10が標準。バージョンアップ
しなさい」
「無理ですよ、そんなこと。何の因果でこう
なったのでしょう」
「時間や空間や数が存在しないように、因果
も存在しないと漱石は云っている」
「なぜ人間は存在しないものを存在しているか
のようにみなすのでしょう?」
「そのほうが生きていくために便利だからだ
ろう。愛を信じている人は愛が存在すると考
え、神を信じる人は神の実在を信じる。信じ
る者は幸いなり」
「では因果の法則を信じましょう」
「苦沙弥は信じない。熊本の女はみんな色が
黒いのを因果だねと迷亭が云うと、黒い方が
いいだろうと苦沙弥は因果を問題にしない。
なまじ白いと鏡を見るたんびに己惚(おのぼ
れ)が出ていけないなどという」
「明治時代ならいいけど、現代では女性蔑視
ともとれる問題発言ですね」
「そして、女と云うものは始末におえない物
件だからなあと慨嘆する」
「苦沙弥先生の細君と比較すると、『明暗』
で一種の関係に因果づけられた三人のうちお
延とお秀は物件のようではありません。自分
の意見というものを持っていて、云いたいこ
とを云う現代の女性のように描かれています」
「津田由雄はお延の夫であり、お秀の兄だが、
どちらかといえば影の薄い男で、むしろこち
らのほうが物件に近い」
「漱石先生の小説の主人公には作者の人格ら
しきものの反映が見られますが、津田由雄に
からはほとんど感じられませんね」
「なぜだろう?」
「『明暗』が則天去私の境地、つまり作者の
私を去って、描かれているからではないでし
ょうか」

「君の国の書生と来たら、本当に話せないね。
元来何だって、紺の無地の袴なんぞ穿(は)
くんだい。第一あれからして乙(おつ)だね。
そうして塩風に吹かれつけているせいか、ど
うも、色が黒いね。男だからあれで済むが女
があれじゃさぞかし困るだろう」と迷亭君が
一人這入ると肝心の話はどっかへ飛んで行っ
てしまう。 
「女もあの通り黒いのです」
 「それでよく貰い手があるね」
 「だって一国中ことごとく黒いのだから仕
方がありません」
「因果(いんが)だね。ねえ苦沙弥君」
「黒い方がいいだろう。生(なま)じ白いと
鏡を見るたんびに己惚(おのぼれ)が出てい
けない。女と云うものは始末におえない物件
だからなあ」と主人は喟然(きぜん)として
大息を洩らした。      (『猫』十一)

 三人は妙な羽目に陥った。行掛かり上一種
の関係で因果づけられた彼等は次第に話を余
所(よそ)へ持って行く事が困難になった。
席を外すことは無論出来なくなった。彼等は
其処へ坐ったなり、どうでもこうでも、この
問題を解決しなければならなくなった。
 しかも傍(はた)から見たその問題は決し
て重要なものとは云えなかった。遠くから冷
静に彼等の身分と境遇を眺める事の出来る地
位に立つ誰の眼にも、小さく映らなければな
らない程度のもに過ぎなかった。彼等は他
(ひと)から注意を受けるまでもなく能くそ
れを心得ていた。けれでも彼等は争わなけれ
ばならなかった。彼等の背後(せなか)に背
負っている因縁は、他人にわからない過去か
ら複雑な手を延ばして、自由に彼等を操った。
              (『明暗』)


象徴
   2015/12/9 (水) 11:47 by Sakana No.20151209114723

12月09日

「ついでに象徴について考えたいと思います。
何か御意見は?」
「日本国憲法第1条によれば、天皇は日本国
の象徴であり、日本国民統合の象徴である。
文句あるか?」
「憲法論議は物騒ですから文学論にしぼりま
しょう。科学者が世の中に存在しない数字を
使用して説明するのに対し、文学者は捕らえ
がたき<恋>を表出するのにmyrtle(ミルテ)
を用いたり、見るべからざる<望>に
hawthorne(サンザシ)を使ったりします。
いわゆる象徴的な技法です」
「日本の文学史でも蒲原有明や薄田泣菫らが
象徴詩を流行らせたことがある」
「越智東風君も苦沙弥先生に霊妙な象徴詩を
披露しましたが、理解されなかったようです」
「どれどれ。これは浪漫的な新体詩ではない
のか」
「いや、象徴詩です」
「猫に小判、烏に象徴詩か。まったくわけが
わからん」
「余自身の嗜好を明らさまに述ぶれば余は象
徴なることを好むるにあらず。されど世の文
学にこの主義が一種の勢力として存在し得る
の有理なるを認む」

 主人は少々談話の局面を展開して見たくな
ったと見えて、「どうです、東風さん、近頃
は傑作もありませんか」と聞くと東風君は
「いえ、別段これと云って御目にかけるほど
のものも出来ませんが、近日詩集を出して見
ようと思いまして――稿本を幸い持って参り
ましたから御批評を願いましょう」と懐から
紫の袱紗包(ふくさづつみ)を出して、その
中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出
して、主人の前に置く。主人はもっともらし
い顔をして拝見と云って見ると第一頁に

 世の人に似ずあえかに見え給う
    富子嬢に捧ぐ

と二行にかいてある。主人はちょっと神秘的
な顔をしてしばらく一頁を無言のまま眺めて
いるので、迷亭は横合から「何だい新体詩か
ね」と云いながら覗き込んで「やあ、捧げた
ね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのは
えらい」としきりに賞める。主人はなお不思
議そうに「東風さん、この富子と云うのは本
当に存在している婦人なのですか」と聞く。
 (中略)
 主人は無言のまま漸く一頁をはぐって、愈
(いよいよ)巻頭第一章を読み出す。

  倦んじて薫ずる香裏(こうり)に君の
  霊か相思の煙のたなびき
  おお我、ああ我、辛きこの世にあまく
  得てしか熱き口づけ。 

「これは少々僕には解しかねる」
と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。
「これは少々振い過ぎてる」
と迷亭は寒月に渡す。寒月は
「なああるほど」
と云って東風君に返す。 
「先生御分りにならんのはごもっともで、十
年前の詩界と今日(こんにち)の詩界とは見
違えるほど発達しておりますから。この頃の
詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではと
うてい分りようがないので、作った本人です
ら質問を受けると返答に窮する事がよくあり
ます。全くインスピレーションで書くので詩
人はその他には何等の責任もないのです。註
釈や訓義(くんぎ)は学究のやる事で私共の
方では頓と構いません。      (『猫』六)
              
 これはしくじったと垣根の下から見上げる
と、三羽共元の所にとまって上から嘴を揃え
て吾輩の顔を見下ろしている。図太い奴だ。
睨めつけてやったが一向利かない。背を丸く
して、少々唸ったが、益駄目だ。俗人に霊妙
な象徴詩がわからぬ如く、吾輩が彼等に向っ
て示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。
考えてみると無理のないところだ。吾輩は今
まで彼等を猫として取り扱っていた。それが
悪い。猫ならばこれ位やれば慥に応えるのだ
が生憎相手は烏だ。烏の勘公とあっては致し
方ない。      (『猫』七)



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