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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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郭然無聖
   2016/2/4 (木) 07:53 by Sakana No.20160204075359

02月04日

「達磨さんは面壁九年、足が腐るほど座禅
をしたそうです。私も『文学論』を読み続
けて九年になります」
「何の功徳(くどく)があったのか」
「功徳なし」
「如何が是れ聖諦の第一義なるや」
「廓然(がらんとして)無聖なり」
「聖諦とは四諦(したい)、または四聖諦
(ししょうたい)という聖なる・真理(諦))
で、釈迦が悟りに至る道筋を説明するため
に、現実の様相とそれを解決する方法論を
まとめた4つの真理である<苦・集・滅・
道>のことだが、それがないとはどういう
ことか」
「ないものはない」

 達磨と云う坊さんは足の腐るまで座禅をし
て澄ましていたと云うが、仮令(たとい)壁
の隙(すき)から蔦が這い込んで大師の眼口
を塞ぐまで動かないにしろ、寝ているんでも
死んでいるのでもない。頭の中は常に活動し
て郭象無聖(かくねんむしょう)などと乙な
理屈を考え込んでいる。儒家にも静坐の工夫
と云うのがあるそうだ。これだって一室の中
に闍盾オて安閑と躄(いざり)の修行をする
のではない。脳中の活力は人一倍熾(さかん)
に燃えている。只外見上は至極沈静端粛の態
であるから、天下の凡眼はこれ等の知識巨匠
を以て昏睡仮死の庸人と見倣して無用の長物
とか穀潰しとか入らざる誹謗の声を立てるの
である。          (『猫』五)


見性成仏
   2016/2/2 (火) 12:51 by Sakana No.20160202125144

02月01日

「見性(けんしょう)とは?」
「人間に本来そなわっている本性を知ること
です」
「汝自らを知れというのはデルフォイの神託
で、ソクラテスの教えでもある」
「『門』の宗助は父母未生以前本来面目とい
う公案を解くことができませんでしたが、円
覚寺の若僧宜道は、見性した日に、嬉しさの
余り、裏の山へ馳け上って、草木国土悉皆成
仏と大きな声を出して叫んだそうです」
「草木国土悉皆成仏は、いわゆる天台本覚思
想だ」
「梅原猛の『人類哲学序説』によれば、「草
も木も、国土もすべて仏になれる、という思
想は、縄文時代以来の日本文化の特徴を示す
文化ではないかということです。一切衆生悉
有佛性とも山川草木悉皆成仏ともいわれます」
「山川草木がみんなそのままで成仏するなら
修行も善行もいらない」
「やはり、一日一善を心がけたり、滝に打た
れたり、面壁九年の修行を積む必要があるの
でしょうか」

 若し善意を以て蒟蒻問答的に解釈してやれ
ば主人は見性自覚の方便として斯様に鏡を相
手に色々な仕草を演じているのかも知れない。
凡て人間の研究と云うものは自己を研究する
のである。天地と云い山川と云い日月と云い
星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ。自己を
措いて他に研究すべき事項は誰人にも見出し
得ぬ訳だ。若し人間が自己以外に飛び出す事
が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなっ
てしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰
もしてくれる者はいない。いくら仕てやりた
くても、貰いたくても、出来ない相談である。
           (『猫』九)

「探偵と云えば二十世紀の人間は大抵探偵の
様になる傾向があるが、どういう訳だろう」
と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係の
ない超然たる質問を呈出した。
「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答え
る。
「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風
君が答える。
「人間に文明の角(つの)が生えて、金平糖
の様にいらいらするからさ」と迷亭君が答え
る。
 今度は主人の番である。主人は勿体ぶった
口調で、こんな議論は始めた。
「それは僕が大分考えた事だ。僕の解釈によ
ると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心
の強過ぎるのが原因になっている。僕の自覚
心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成
仏とか、自己は天地と同一体だとか云う悟道
の類ではない・・・・・・」
「おや大分むずかしくなって来た様だ。苦沙
弥君、君にしてそんな大議論を舌頭に弄する
以上は、かく申す迷亭も憚りながら御あとで
現代の文明に対する不平を堂々と云うよ」
「勝手に云うがいい。云う事もない癖に」
             (『猫』十一)

 紹介状を貰うときに東京で聞いたところに
よると、この宜道という坊さんは、大変性質
(たち)のいい男で、今では修業もだいぶで
き上がっていると云う話だったが、会って見
ると、まるで一丁字(いっていじ)もない小
廝(こもの)のように丁寧であった。こうし
て襷掛(たすきがけ)で働いているところを
見ると、どうしても一個の独立した庵(あん)
の主人らしくはなかった。納所(なっしょ)
とも小坊主とも云えた。
 この矮小(わいしょう)な若僧(じゃくそ
う)は、まだ出家をしない前、ただの俗人と
してここへ修業に来た時、七日の間結跏(け
っか)したぎり少しも動かなかったのである。
しまいには足が痛んで腰が立たなくなって、
厠(かわや)へ上る折などは、やっとの事壁
伝いに身体を運んだのである。その時分の彼
は彫刻家であった。見性(けんしょう)した
日に、嬉しさの余り、裏の山へ馳け上って、
草木国土(そうもくこくど)悉皆成仏(しっ
かいじょうぶつ)と大きな声を出して叫んだ。
そうしてついに頭を剃(そ)ってしまった。
               (『門』)


父母未生以前本来面目
   2016/1/29 (金) 09:15 by Sakana No.20160129091517

01月29日

「如何が是れ父母未生以前本来面目」
「物を離れて心なく心を離れて物なし。他に
云ふべきことあるを見ず」
「もっと、ぎろりとした所を持って来い、そ
の位な事は少し学問をしたものなら誰でも云
える」
「根本的に文学とは如何なるものぞ」
「その答は『文学論』にあるはず」
「見つからないのです」
「では、あきらめるさ」
「待ってください。『文学論』が刊行された
のは明治四十年(1907)──私の父母未生以前
の出来事です。それからすでに百年以上過ぎ
ていますが、今だに文学とは如何なるものぞ
という問の答が見つかりません」
「三回、通読したそうじゃないか」
「それでもまだわかりません」
「四読、五読・・・・・・百読ととわかるま
で読み続ければよい。そのうち豁然として悟
るかもしれない」
「悟らなかったらどうします?」
「三更月下入無我──あきらめるさ」

「苦沙弥君の説明はよく我意(わがい)を
得ている。昔しの人は己を忘れろと教えたも
のだ。今の人は己を忘れるなと教えるからま
るで違う。二六時中己れという意識を以て充
満している。それだから二六時中太平の時は
ない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が楽だ
と云って己を忘れるより楽な事はない。三更
月下入無我とはこの至境を詠じたものさ。
             (『猫』十一)

 老師というのは五十格好(がっこう)に見
えた。赭黒(あかぐろ)い光沢(つや)のあ
る顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごと
く緊(しま)って、どこにも怠(おこたり)
のないところが、銅像のもたらす印象を、宗
助の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚過ぎ
るので、そこに幾分の弛みが見えた。その代
り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべ
からざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始め
てその視線に接した時は、暗中に卒然として
白刃を見る思があった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師
は宗助に向って云った。「父母未生(ふぼみ
しょう)以前本来の面目は何だか、それを一
つ考えて見たら善かろう」
 宗助には父母未生以前という意味がよく分
らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟
(ひっきょう)何物だか、その本体を捕(つ
ら)まえて見ろと云う意味だろうと判断した。
それより以上口を利(き)くには、余り禅と
いうものの知識に乏しかったので、黙ってま
た宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。
               (『門』)


冷暖自知
   2016/1/26 (火) 05:51 by Sakana No.20160126055156

01月26日

「猫の足はあれども無きがごとし。どこを歩
いても不器用な音のした試しがない」
「抜き足、差し足、忍び足」
「空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水
中で磬を打つがごとく、洞の中で瑟を鼓する
がごとく、醍醐の妙味をなめて言詮のほかに
冷暖を自知するがごとし」
「猫に学ぶところがあるとすれば、そこです
ね。私も猫が冷暖を自知するが如く、人の助
けを借りず、みずから悟りたいと思います」
「凡愚の身でそうたやすく悟れるわけがない」
「『門』の野中宗助、『彼岸過迄』の須永市
藏、『こころ』の先生、『行人』の長野一郎
──みんな三更月下入無我の悟りからはほど
遠いようです」
「みんな冷暖自知できないおまえさんの同類
だよ」
「みんなで渡ればこわくない。これらの作品
を読んで、どうしても悟れないのは自分一人
ではない、仲間がいるということがわかるこ
とはせめてもの慰めです」

  猫の足はあれども無きがごとし。どこを歩
いても不器用な音のした試しがない。空を踏
むがごとく、雲を行くがごとく、水中で磬
(けい/打楽器の一種)を打つがごとく、洞
の中で瑟(しつ/琴の一種)を鼓(こ)する
がごとく、※醍醐(だいご/仏の悟りや教え
のたとえ)の妙味をなめて言詮(ごんせん)
のほかに冷暖(れいだん)を自知するがごと
し。(『猫』三)
 
 「苦沙弥君の説明はよく我意(わがい)を
得ている。昔しの人は己を忘れろと教えたも
のだ。今の人は己を忘れるなと教えるからま
るで違う。二六時中己れという意識を以て充
満している。それだから二六時中太平の時は
ない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が楽だ
と云って己を忘れるより楽な事はない。三更
月下入無我とはこの至境を詠じたものさ」
             (『猫』十一)


無常迅速
   2016/1/23 (土) 08:21 by Sakana No.20160123082147

01月23日

「生死事大、無常迅速。あきらめるさ」
「アーメン」
「キリシタンでもないきみに、アーメンの意
味がわかっているのか」
「然り、まことにそうです、という意味でし
ょう」
「では、あきらめているのか」
「アーメン」
「しつこい奴だ」
「『文学論』を読みはじめて、そろそろ十年
目になりますが、まさに無常迅速ですね」
「母は、金之助(=漱石)を分娩したときは
すでに四十歳を過ぎていた。その母の背景に
ある一間の襖には生死事大無常迅速云々と書
いた石摺(いしずり)などがあったという」
「子供の頃から、漱石の頭には生死事大無常
迅速がすり込まれていました」
「漱石没後百年飛去」

「君は最初から負けても構わない流じゃない
か」
「僕は負けても構わないが、君には勝たせた
くない」
「飛んだ悟道だ。相変らず春風影裏に電光を
きってるね」
「春風影裏ではない。電光影裏だよ。君のは
逆だ」
「ハハハハもう大抵逆かになっていっていい
時分だと思ったら、やはり慥かなところがあ
るね。それじゃ仕方がないあきらめるかな」
「生死事大、無常迅速。あきらめるさ」
「アーメン」と迷亭先生今度はまるで関係な
い方面へぴしゃりと一石を下した。、
             (『猫』十一)

  私の知っている母は、常に大きな眼鏡を掛
けて裁縫(しごと)をしていた。その眼鏡は
鉄縁の古風なもので、珠の大きさが直径(さ
しわたし)二寸以上もあったように思われる。
母はそれを掛けたまま、すこし顎を襟元へ引
き付けながら、私を凝っと見る事が屡(しば
しば)あったが、老眼の性質を知らないその
頃の私には、それがただ彼女の癖とのみ考え
られた。私はこの眼鏡と共に母の背景になっ
ていた一間の襖を思い出す。古びた張交(は
りまぜ)の中に、生死事大無常迅速云々と書
いた石摺(いしずり)なども鮮やかに眼に浮
かんで来る。     (『硝子戸の中』


無名
   2016/1/20 (水) 06:58 by Sakana No.20160120065803

01月20日

「名前はまだないという猫は、水桶に落ちて
死ぬまで名前がありませんでした」
「それでも漱石がホトトギスに連載して、有
名になった」
「夏目漱石は有名になりましたが、猫は無名
のままです」
「一樹の蔭を恵んでもらったのだから、それ
でいいじゃないか」
「そうですね。白とか黒とかいう名前をつけ
られても嬉しくない」
「無名は天地の始めなり」
「戸籍謄本や住民票に名前がないと、生きて
いくのに不利、不便ではあります」
「道は永遠に無名である。手が加えられてい
ない素材(伐りたての原木)のようなものだ。
名もない素材は小さいけれど、誰もそれを支
配することは出来ない」
「無名であろうとなかろうと、天に軌道のあ
る如く、猫それぞれに運命というものがあり
ます」

 吾輩は猫である。名前はまだない。
 どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
              (『猫』一)

 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以
外のものには甚だ不人望であった。どこへ行
っても跳ね付けられて相手にしてくれ手がな
かった。如何に珍重されなかったかは、今日
に至るまで名前さえつけてくれないのでもわ
かる。           (『猫』一)

 吾輩は御馳走も食わないから別段肥りもし
ないが、先々(まずまず)健康で跛(びっこ)
 にもならずにその日を暮している。鼠は決
して取らない。おさんは未だに嫌いである。
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても
際限がないから生涯この教師の家で無名の猫
で終る積りだ。       (『猫』一)


喪家の犬
   2016/1/17 (日) 07:29 by Sakana No.20160117072932

01月17日

「宿のない猫はホームレスですから可哀想で
す。累々として喪家の犬の如し──つらいで
しょうね」
「樹下石上を宿とすとか、応無所住而生其心
とかいうありがたい言葉を知らないのか。ま
さに住む所を無くして其心を生ぜよ。何に執
着もない状態で清浄心を生ぜしめよ」」
「私はとてもそんな風に高く悟った心境には
なれそうもありません」
「西行や芭蕉を見ならえ」
「西行の歌は、風になびく富士のけぶりの空
に消えて行方も知らぬわが思ひかな、芭蕉の
句は、野ざらしの心に風のしむ身かな、など
を知識としては記憶していますが。現実にそ
んな心境になれと言われても、ムリです」
「では累々とするしかない」
「そうでしょうか。リストラの憂き目にあっ
た勤め人や就職口のきまらない学生が、喪家
の犬の如く歩いているのを見ると気の毒にな
ります」
「それにひきかえ、苦沙弥の家に転がり込ん
だ猫は運がよかった」

「古人も待つ身につらき置炬燵と云われた事
があるからね。又待たるる身より待つ身はつ
らいともあって軒に釣られたヴァイオリンも
つらかったろうが、あてのない探偵の様にう
ろうろ、まごついている君は猶更つらいだろ
う。累々として喪家の犬の如し。いや宿のな
い犬程気の毒なものは実際ないよ」
「犬は残酷ですね。犬に比較された事はこれ
でもまだありませんよ」
「僕は何だか君の話をきくと、昔しの芸術家
の伝を読むような気持がして同情の念に堪え
ない。犬に比較したのは先生の冗談だから気
に掛けずに話を進行したまえ」と東風君は慰
謝した。慰謝されなくても寒月君は無論話を
続ける積もりである。(『猫』十一)

 織るがごとき街ちまたの中に喪家の犬のご
とく歩む二人は、免職になりたての属官と、
堕落した青書生と見えるだろう。 見えても
仕方がない。          (『野分』)



一樹の蔭
   2016/1/14 (木) 18:17 by Sakana No.20160114181740

01月14日

「猫は竹垣の崩れた穴から苦沙弥の邸内にも
ぐり込み、路傍に餓死する運命をまぬがれま
した」
「一樹の蔭一河の流れも他生の縁。すべての
出来事は前世からの因縁だよ」
「猫と苦沙弥の前世には何があったのでしょ
うか」
「たぶん猫が苦沙弥で、苦沙弥が猫だったの
ではないか。苦沙弥は前世で拾ってもらった
恩義を忘れていなかったのだ」
「主人は鼻の下の黒い毛を撚(ひね)りなが
ら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やが
てそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ
這入ってしまったと猫は言っていますね」
「顔をしばらく眺めているうちに、昔の恩義
を思いだしたのだろう」
「前世とか来世とかいいますが、ほんとうに
輪廻転生なんてあるのでしょうか」
「輪廻転生説は科学上の真ではない。しかし、
一樹の蔭を得て、これも前世からの因縁のお
かげと考えるのはよい心がけだ。そのような
殊勝な心がけでいることは、現世や来世によ
い結果をもたらす因縁にはなるかもしれない」

 此処へ這入ったら、どうにかなると思って
竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込
んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が
崩れていなかったなら、吾輩は遂に路傍に餓
死したかも知れんのである。一樹の蔭とはよ
く云ったものだ。      (『猫』一)


薔薇の水
   2016/1/11 (月) 06:19 by Sakana No.20160111061955

01月11日

「では、『猫』から見た哲学上の真の断面二
十選を順次とりあげていくことにしましょう。
まず、一番目として薔薇の水、を」
「そんな水がどこにある?」
「柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水
で手を清めたそうです。『猫』の書く文章に
たいしても同じように礼をつくさなければい
けないのでしょうか」
「敬服する師にたいして、そういう気持を抱
いたら、具体的な態度で礼をつくせばよい」
「大平の逸民たちの会話が面白いので、時々
クスリと笑いながら、寝ころがって読んでい
ましたが、猫先生に対して無礼な態度だった
かもしれません」
「そう思うなら態度をあらためればよいが、
名なしの猫の文章を読むのにわざわざ薔薇の
水で手を清めなくてもよい」
「でも、もしかしたら一字一句の裏(うち)
に宇宙の一大哲理を包含する容易ならざる法
語かもしれない、読みっぱなしでそのまま忘
れてしまうのはもったいないという気がして
くる断面もあります」
「ハハア、化け猫の文学に幻惑されたな」

 凡て吾輩のかく事は、口から出任せのいい
加減と思う読者もあるかもしれないが決して
そんな軽率な猫ではない。一字一句の裏(う
ち)に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、
その一字一句が層々連続すると首尾相応じ前
後相照らして、瑣談繊話(さだんせんわ)と
思ってうっかりと読んでいたものが忽然豹変
して容易ならざる法語となるんだから、決し
て寝ころんだり、足を出して五行ごと一度に
読むのだと云う無礼を演じてはいけない。柳
宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手
を清めたと云う位だから、吾輩の文に対して
もせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御
余りを借りて間に合わすと云う不始末だけは
ない事に致したい。(『猫』七)



文芸上の真の断面二十選
   2016/1/8 (金) 06:38 by Sakana No.20160108063850

01月08日 

「凡そ文学者の重(おもん)ずべきは文芸上
の真にして科学上の真にあらず」
「何度も繰り返してくどいね。わかったよ」
「同じく物の全局を写さんとする場合におい
ても、科学者は概念を伝へんとし、文学者は
画を描かんとす」
「それはどうかな?」
「一時的に消えやすき現象を捉へて快味を感
ずる人は文学者にありても彫刻家、画家に近
きものなり。吾が邦(くに)の和歌、俳句も
しくは漢詩の大部分は皆この断面的文学に外
ならず」
「具体的な例で示してくれ」
「『猫』は名前のない猫が生まれて死ぬまで
の生涯を綴った長編小説としても読めます。
これらの断面を織りなした文字の織物から文
芸上の真と思われる二十断面を選んでみまし
た。再読しているうちに私の情緒fが再発し、
あらためて深く考えさせられた断面ばかりで
す」
「これらの断面は言語を用いて哲学上の真を
伝えようとしているとでもいいたいのか」
「哲学は真善美を追求する学問ですから、文
芸上の真に哲学上の真が反映さるのは当然の
ことです」
「しかし、哲学者は科学者に含まれると漱石
はいう。矛盾ではないか」
「絶対矛盾の自己同一です」
「それは哲学者の西田幾多郎が使った言葉だ
が、科学的な表現ではない」
「では科学的用語で、不確定性原理といって
おきましょう」

   一)薔薇の水 
   二)一樹の蔭 
     三)喪家の犬
   四)無名
     五)無常迅速
   六)冷暖自知
   七)父母未生前本来面目
    八)見性成仏 
   九)郭象無聖 
   十)理性(余は思考す故に余は存在す)
    十一)自由 (心を自由にする修業
    十二)平等(自然は真空を忌むが如く人間は平等を嫌う)
  十三)資本(三角術)
    十四)神経衰弱
    十五)自殺学
  十六)神聖なる狂気
    十七)人間万事塞翁の馬
    十八)無為にして化す
  十九)悲しい音
  二十)南無阿弥陀仏


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