ほくしん文芸クラブ
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神聖なる狂気
   2016/2/25 (木) 09:57 by Sakana No.20160225095754

02月25日

「詩人には逆上が必要だそうですが」
「汽船に石炭が欠く可からざるようなものだ」
「先生のお言葉ですが、石油や原子力でも汽
船は動くからその比喩はどうかと思います。
帆船に風が欠く可からざるようなものだとい
うべきでしょう」
「要するに、詩人には逆上が必要ということ
を言いたいのだ。ただし、逆上は気違の異名
で、世間体が悪いから、詩人たちの仲間では
逆上をインスピレーションと呼んでいる」
「インスピレーションは日本語ではふつう、
霊感とかひらめきという意味に訳されていま
すね」
「詩人は天から霊感やひらめきを受けて詩を
つくるはずだが、苦沙弥は落雲館の生徒たち
と喧嘩して逆上しただけだ。詩なんかつくっ
ていない」
「ステッキを持って裸足で外へ飛び出したと
ころは詩人らしいですね」
「プレートー(プラトン)はこの種の逆上を
神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂
気では人が相手にしない」

 詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠
く可からざる様な者で、この供給が一度でも
途切れると彼れ等は手を拱(こまね)いて飯
を食うより外に何等の能もない凡人になって
しまう。尤も逆上は気違の異名で、気違にな
らないと家業が立ち行かんとあつては世間体
が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆
上の名を以てしない。申し合わせてインスピ
レーション、インスピレーションとさも勿体
そうに称えている。これは彼等が世間を瞞着
する為に製造した名でその実は正に逆上であ
る。プレートー(プラトン)は彼等の肩を持
って、この種の逆上を神聖なる狂気と号した、
いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。
                   (『猫』八 )



自殺学
   2016/2/22 (月) 12:00 by Sakana No.20160222120010

02月22日

「俺は生きているのはいやだ」
「遠慮はいらないから死ぬさ」
「死ぬのは猶いやだ」
「生きるのはいや、死ぬのもいや、それが問
題だ。しかし、安心するがいい。自然のまま
に放擲して置けば、そのうち世間がいじめ殺
してくれるだろう」
「老人ホームで介護職員にいじめ殺されるの
はいやだ」
「では子供たちに厄介者扱いされ、たらいま
わしにされたあげく、救急車の中で死ね」
「もっとはなやかで、独創的な死に方はない
ものでしょうか」
「トルストイのように山の神をおそれて家出
し、田舎の停車場で息をひきとるというのは
どうだ」
「山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を
抜け出て、孤往独遇の旅に出て、ついに野垂
れ死にした径路を日記で熟読すると、悲愴で
もあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡にかけ
てみるごとくである。ああ、我らが敬愛する
トルストイ翁!などと正宗白鳥輩に揶揄され
ますよ」
「それもいやなら、とりあえず、生きたいと
いう念々に支配せられて生き続けるしかない」

「とにかくこの勢で文明が進んでいった日に
ゃ俺は生きているのはいやだ」と主人がいい
出した。
「遠慮はいらないから死ぬさ」と迷亭が言下
(ごんか)に道破する。
「死ぬのは猶いやだ」と主人がわからん強情
を張る。         (『猫』十一)

「死ぬ事は苦しい。然し死ぬ事が出来なけれ
ば猶苦しい。神経衰弱の国民には生きている
事が甚しき苦痛である。従って死を苦にする。
死ぬのが厭だから苦にするのではない。どう
して死ぬのが一番よかろうと心配するのであ
る。只大抵のものは智慧が足りないから自然
のままに放擲して置くうちに、世間がいじめ
殺してくれる。然し一と癖あるものは世間か
らなし崩しにいじめ殺されて満足するもので
はない。必ずや死に付いて種々考究の結果、
斬新な名案を呈出するに違ない。だからして
世界向後の趨勢は自殺者が増加して、その自
殺者が皆独創的な方法を以てこの世を去るに
違ない」
「大分物騒な事になりますね」
             (『猫』十一)




神経衰弱
   2016/2/19 (金) 06:10 by Sakana No.20160219061059

02月19日

「私はのんきな御隠居さんに見えても神経は
意外に繊細なところがあります。床にはいっ
てから、あれこれとよしなしごとを考えてい
るうちに眠れなくなってしまう」
「それは大脳の前頭葉で考える知識人の病気
で、漱石もかかった神経衰弱、今でいうノイ
ローゼだ」。
「どうしたらよいでしょう」
「睡眠薬か向精神薬を飲めばよい」
「薬は副作用があるのでなるべく飲まないよ
うにしています。私は科学上の真よりも文芸
上の真で問題を解決したいのです」
「前頭葉で『文学論』を読みといてもダメ。
大脳中枢の無意識の発動にまかせたときに得
られる身体的思考法によって行動するべきだ」
「具体的にどうするのですか」
「禅寺にこもって只管打坐するがよい」
「面壁九年は勘弁してください」
「それなら、農民や職人のように体を動かす
ことだ」
「私は高等遊民の暮らしが向いていると思う
のですが」
「高等遊民に徹するつもりなら、神経衰弱を
おそれてはいけない。迷亭や独仙を見ならえ」
「鉄牛面に鉄牛心、牛鉄面の牛鉄心、ですか」
「彼らの神経は図太い。どこから見ても神経
衰弱以前の民だね」

「借りた金を返す事を考えないものは幸福で
あるが如く、死ぬ事を苦にせんものは幸福さ」
と独仙君は超然として出世間的である。
「君の様に云うとつまり図太いのが悟ったの
だね」
「そうさ。禅語に鉄牛面に鉄牛心、牛鉄面の
牛鉄心と云うのがある」
「そうして君がその標本と云う訳かね」
「そうでもない。然し死ぬのを苦にする様に
なったのは神経衰弱と云う病気が発明された
以後の事だよ」
「成程君などはどこから見ても神経衰弱以前
の民だよ」        (『猫』十一)


資本(三角術)
   2016/2/16 (火) 06:21 by Sakana No.20160216062116

02月16日

「金を作るにも三角術使わなくちゃいけない
──義理をかく、人情をかく、恥をかくこれ
で三角になるそうだ」
「私が会社に就職して、まず教育されたのは
汗かく、です。汗をかいて仕事をせよ、仕事
をとってこいと」
「すると、四角術になる」
「義理をかくと恥をかくも教わったことがあ
りますが、人情をかくはなかったような気が
します」
「そうか。きみが入社したのは高度経済成長
がはじまった昭和三十年代──当時の日本人
の間では人情はまだすたれていなかったのか
な」
「義理がすたればこの世は闇だという村田英
雄『人生劇場』の演歌がヒットしたのは昭和
四十六年です」
「義理がすたれば人情もすたれる。三角術が
ますます幅をきかす時代になった」
「しかし、それも行き詰まり、今や世界同時
不況、資本主義の終焉がささやかれておりま
す。どうすればよいでしょう」
「義理を知る、人情を知る、恥を知る──三
知るを復活させるしかない」

「僕は実業家は学校時代から大嫌だ。金さえ取
れれば何でもする。昔で云えば素町人だからな」
と実業家を前に控えて太平楽を並べる。
「まさか──そうとばかりも云えんがね、少し
は下品なところもあるのさ。とにかく金と情死
(しんじゅう)する覚悟でなければ遣り通せな
いから。──ところがその金という奴が曲者で
──今もある実業家の所へ行って聞いて来たん
だが、金を作るにも三角術使わなくちゃいけな
いと云うのさ──義理をかく、人情をかく、恥
をかくこれで三角になるそうだ。面白いじゃな
いかアハハハハ」
「誰だそんな馬鹿は」
「馬鹿じじゃない。中々利口な男なんだよ。実
業界で一寸有名だがね。君知らんかしら、つい
この先の横丁にいるんだが」
「金田か? 何だあんな奴」
               (『猫』五)



平等(人間は平等を嫌う)
   2016/2/14 (日) 09:36 by Sakana No.20160214093648

02月13日

「全ての人間は生まれながらに尊厳と権利に
おいて自由にして平等である」
「誰だ、そんなデタラメをいうな」
「『世界人権宣言』第1条です」
「そんなことを真に受けたらヒドイ目にあう
ぞ。自然は真空を忌むが如く、人間は平等を
嫌う」
「そうでしょうか」
「猫が大衆浴場で観察したところによれば、
平等はいくらはだかになったって得られるも
のではない。裸でいるうちは平等だが、衣服
をつけまとうことによって他人と差がつく。
人間の歴史は衣服の歴史なのだ」」
「車夫による猿股の発明をデカルトの法則に
匹敵するというようなことを言っていますね。
我猿股をはく故に我あり」。
「衣服だけではない。人間は家や車や貴金属
でも差をつけたがる」
「能力、容貌、性格などは生まれつきそなわ
ったもので、平等というわけにはいきません」
「不平等の最たるものは権力だ。フランス革
命でもソ連や中国の共産主義革命でも人間が
権力の平等を嫌うことが証明された」
「勝ち組と負け組がはっきりする格差社会は
なんとかならないものでしょうか」

  して見るとこの心理からして一大発見が出
来る。それは外でもない。自然は真空を忌む
が如く、人間は平等を嫌うと云う事だ。既に
平等を嫌って己を得ず衣服を骨肉が如く斯様
につけ纏う今日に於て、この本質の一部分た
る、これ等を打ち遣って、元の杢阿弥の公平
時代に帰るのは狂人の沙汰である。
         (『猫』七)


自由(心を自由にする修行)
   2016/2/10 (水) 06:14 by Sakana No.20160210061402

02月10日

「自由はよいことですか、悪いことですか」
「自分に自由があるのはよいが、他人が自由
に振る舞うのは面白くない」
「では、『文学論』を自分が自己本位の読み
方をするのはよいが、他人が自己本位の読み
方をするのはけしからんということになりま
すね」
「『文学論』に関しては誰もが自己本位の読
み方をしてもよい。漱石も文句を言うどころ
か、むしろ歓迎するだろう」
「言論の自由は憲法第21条で保障されてい
ますからね」
「今は保障されていても、そのうちに独裁者
があらわれて、憲法解釈によって反対の意味
に変えてしまうこともあり得るので油断はで
きない」
「どうすればよいでしょう」
「世の中には自分が自由にできることと自由
にできないことがある。自由にできないこと
はそのままにしておいて、自由にできること
だけやればよい」
「ずいぶん消極的ですね」
「東洋の文明は西洋の文明とは違う、日本人
は東洋の文明にしたがって、心を自由にする
修行をすればよいと八木独仙は苦沙弥に忠告
している」
「それは如意不如意説といって、西洋でもエ
ピクテタスなどのストア哲学者が説いている
ことです。苦沙弥先生はエピクテタスを読ん
でいたから、独仙に言われなくても、そんな
ことは百も承知だったはずですが」

 西洋の文明は積極的、進取的かも知れない
がつまり不満足で一生をくらす人のつくった
文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化
させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に
違うところは、根本的に周囲の境遇は動かす
べからざるものでと云う一大仮定の下に発達
しているのだ。親子の関係が面白くないと云
って欧州人の様にこの関係を改良して落ち付
きをとろうとするのではない。親子の関係は
在来のままで到底動かす事が出来んものとし
て、その関係の下に安心を求むる手段を講ず
るにある。夫婦君臣の間柄もその通り。武士
町人の区別もその通り。   (『猫』八)

 いくら自分がえらくても世の中は到底意の
如くなるものではない。落日を回(めぐ)ら
す事も、加茂川を逆(さか)に流す事も出来
ない。只出来るものは自分の心だけだからね。
心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生
徒がいくら騒いでも平気なものではないか。
              (『猫』八)


理性(余は思考す故に余は存在す)
   2016/2/7 (日) 07:17 by Sakana No.20160207071716

02月07日

「余は思考す故に余は存在す、とデカルトは
言いました。これは三つ子でも分る様な真理
です」
「九十歳の梅原猛が『人類哲学序説』で異論
をとなえている」
「梅原猛はすぐれた文学者ですが、哲学者と
しては落ちこぼれです。デカルトの真理は動
かないと思います」
「デカルトのいう余には、場所の規定がない、
肉体の規定もないと梅原はいう。肉体がない
余とは、いったいどういう存在か。デカルト
はそれを精神であり、理性とも言うが、その
精神は肉体なき理性であり、肉体なき精神で
はないか」、
「肉体と精神の二元論──そのおかげで科学
技術文明が発達しました」
「その科学技術文明が行き詰まっている。デ
カルトの二元論は問い直さなければならない。
「そもそも理性とは何でしょう」
「カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』
を読めばわかる」
「なんどか読もうとしましたが、その都度はじ
きとばされました」
「世の中には読んで理解できた人が何人かはい
るはずだ」

 デカルトは「余は思考す故に余は存在す」
という三つ子にでも分る様な真理を考え出す
のに十何年か懸つたそうだ。凡て考え出す時
には骨の折れるものであるから猿股の発明に
十年を費やしたって車夫の智慧には出来過ぎ
ると云わねばならない。   (『猫』七)


郭然無聖
   2016/2/4 (木) 07:53 by Sakana No.20160204075359

02月04日

「達磨さんは面壁九年、足が腐るほど座禅
をしたそうです。私も『文学論』を読み続
けて九年になります」
「何の功徳(くどく)があったのか」
「功徳なし」
「如何が是れ聖諦の第一義なるや」
「廓然(がらんとして)無聖なり」
「聖諦とは四諦(したい)、または四聖諦
(ししょうたい)という聖なる・真理(諦))
で、釈迦が悟りに至る道筋を説明するため
に、現実の様相とそれを解決する方法論を
まとめた4つの真理である<苦・集・滅・
道>のことだが、それがないとはどういう
ことか」
「ないものはない」

 達磨と云う坊さんは足の腐るまで座禅をし
て澄ましていたと云うが、仮令(たとい)壁
の隙(すき)から蔦が這い込んで大師の眼口
を塞ぐまで動かないにしろ、寝ているんでも
死んでいるのでもない。頭の中は常に活動し
て郭象無聖(かくねんむしょう)などと乙な
理屈を考え込んでいる。儒家にも静坐の工夫
と云うのがあるそうだ。これだって一室の中
に闍盾オて安閑と躄(いざり)の修行をする
のではない。脳中の活力は人一倍熾(さかん)
に燃えている。只外見上は至極沈静端粛の態
であるから、天下の凡眼はこれ等の知識巨匠
を以て昏睡仮死の庸人と見倣して無用の長物
とか穀潰しとか入らざる誹謗の声を立てるの
である。          (『猫』五)


見性成仏
   2016/2/2 (火) 12:51 by Sakana No.20160202125144

02月01日

「見性(けんしょう)とは?」
「人間に本来そなわっている本性を知ること
です」
「汝自らを知れというのはデルフォイの神託
で、ソクラテスの教えでもある」
「『門』の宗助は父母未生以前本来面目とい
う公案を解くことができませんでしたが、円
覚寺の若僧宜道は、見性した日に、嬉しさの
余り、裏の山へ馳け上って、草木国土悉皆成
仏と大きな声を出して叫んだそうです」
「草木国土悉皆成仏は、いわゆる天台本覚思
想だ」
「梅原猛の『人類哲学序説』によれば、「草
も木も、国土もすべて仏になれる、という思
想は、縄文時代以来の日本文化の特徴を示す
文化ではないかということです。一切衆生悉
有佛性とも山川草木悉皆成仏ともいわれます」
「山川草木がみんなそのままで成仏するなら
修行も善行もいらない」
「やはり、一日一善を心がけたり、滝に打た
れたり、面壁九年の修行を積む必要があるの
でしょうか」

 若し善意を以て蒟蒻問答的に解釈してやれ
ば主人は見性自覚の方便として斯様に鏡を相
手に色々な仕草を演じているのかも知れない。
凡て人間の研究と云うものは自己を研究する
のである。天地と云い山川と云い日月と云い
星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ。自己を
措いて他に研究すべき事項は誰人にも見出し
得ぬ訳だ。若し人間が自己以外に飛び出す事
が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなっ
てしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰
もしてくれる者はいない。いくら仕てやりた
くても、貰いたくても、出来ない相談である。
           (『猫』九)

「探偵と云えば二十世紀の人間は大抵探偵の
様になる傾向があるが、どういう訳だろう」
と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係の
ない超然たる質問を呈出した。
「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答え
る。
「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風
君が答える。
「人間に文明の角(つの)が生えて、金平糖
の様にいらいらするからさ」と迷亭君が答え
る。
 今度は主人の番である。主人は勿体ぶった
口調で、こんな議論は始めた。
「それは僕が大分考えた事だ。僕の解釈によ
ると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心
の強過ぎるのが原因になっている。僕の自覚
心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成
仏とか、自己は天地と同一体だとか云う悟道
の類ではない・・・・・・」
「おや大分むずかしくなって来た様だ。苦沙
弥君、君にしてそんな大議論を舌頭に弄する
以上は、かく申す迷亭も憚りながら御あとで
現代の文明に対する不平を堂々と云うよ」
「勝手に云うがいい。云う事もない癖に」
             (『猫』十一)

 紹介状を貰うときに東京で聞いたところに
よると、この宜道という坊さんは、大変性質
(たち)のいい男で、今では修業もだいぶで
き上がっていると云う話だったが、会って見
ると、まるで一丁字(いっていじ)もない小
廝(こもの)のように丁寧であった。こうし
て襷掛(たすきがけ)で働いているところを
見ると、どうしても一個の独立した庵(あん)
の主人らしくはなかった。納所(なっしょ)
とも小坊主とも云えた。
 この矮小(わいしょう)な若僧(じゃくそ
う)は、まだ出家をしない前、ただの俗人と
してここへ修業に来た時、七日の間結跏(け
っか)したぎり少しも動かなかったのである。
しまいには足が痛んで腰が立たなくなって、
厠(かわや)へ上る折などは、やっとの事壁
伝いに身体を運んだのである。その時分の彼
は彫刻家であった。見性(けんしょう)した
日に、嬉しさの余り、裏の山へ馳け上って、
草木国土(そうもくこくど)悉皆成仏(しっ
かいじょうぶつ)と大きな声を出して叫んだ。
そうしてついに頭を剃(そ)ってしまった。
               (『門』)


父母未生以前本来面目
   2016/1/29 (金) 09:15 by Sakana No.20160129091517

01月29日

「如何が是れ父母未生以前本来面目」
「物を離れて心なく心を離れて物なし。他に
云ふべきことあるを見ず」
「もっと、ぎろりとした所を持って来い、そ
の位な事は少し学問をしたものなら誰でも云
える」
「根本的に文学とは如何なるものぞ」
「その答は『文学論』にあるはず」
「見つからないのです」
「では、あきらめるさ」
「待ってください。『文学論』が刊行された
のは明治四十年(1907)──私の父母未生以前
の出来事です。それからすでに百年以上過ぎ
ていますが、今だに文学とは如何なるものぞ
という問の答が見つかりません」
「三回、通読したそうじゃないか」
「それでもまだわかりません」
「四読、五読・・・・・・百読ととわかるま
で読み続ければよい。そのうち豁然として悟
るかもしれない」
「悟らなかったらどうします?」
「三更月下入無我──あきらめるさ」

「苦沙弥君の説明はよく我意(わがい)を
得ている。昔しの人は己を忘れろと教えたも
のだ。今の人は己を忘れるなと教えるからま
るで違う。二六時中己れという意識を以て充
満している。それだから二六時中太平の時は
ない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が楽だ
と云って己を忘れるより楽な事はない。三更
月下入無我とはこの至境を詠じたものさ。
             (『猫』十一)

 老師というのは五十格好(がっこう)に見
えた。赭黒(あかぐろ)い光沢(つや)のあ
る顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごと
く緊(しま)って、どこにも怠(おこたり)
のないところが、銅像のもたらす印象を、宗
助の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚過ぎ
るので、そこに幾分の弛みが見えた。その代
り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべ
からざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始め
てその視線に接した時は、暗中に卒然として
白刃を見る思があった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師
は宗助に向って云った。「父母未生(ふぼみ
しょう)以前本来の面目は何だか、それを一
つ考えて見たら善かろう」
 宗助には父母未生以前という意味がよく分
らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟
(ひっきょう)何物だか、その本体を捕(つ
ら)まえて見ろと云う意味だろうと判断した。
それより以上口を利(き)くには、余り禅と
いうものの知識に乏しかったので、黙ってま
た宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。
               (『門』)


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