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『文学論』──自己本位の読み方のまとめ
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投出語法──倫敦塔
   2016/4/4 (月) 05:25 by Sakana No.20160404052558

04月04日

「『倫敦塔』は留学中に一度だけ見物し、歴
史上の悲劇的人物をしのびながら空想をまじ
えて描いた作品です」
「英国史を知らない読者が読んでもさっぱり
理解できない」
「ですから、投出語法の応用はここにはない
という気がしていたのですが、よく読んでみ
るとそれらしき文章が見つかりました」
「意識の内容に変化のない程の苦しみはない
と書いている。しかし、投獄された経験もな
い漱石はそんな苦しみは味わっていないはず
だ。自分が経験していない情緒fを空想して
表現するのも投出語法といえるだろうか」
「『倫敦塔』が発表されたのは『帝国文学』
明治三十八年一月号──『ホトトギス』へ
の『猫』の連載がはじまったのとほぼ同時期
であり、『文学論』は執筆中でした」
「つまり、漱石の意識の内容は囚人とちがっ
て、変化があったことになる」
「しかし、教師の仕事にいやけがさしており、
ある意味では囚人に似たようなものだと思っ
ていたかもしれません」
「そうかな」
「いずれにしても、引用した箇所は『文学論』
と関連づけて読んだほうがよいと思います」

 こんなものを書く人の心の中(うち)はど
の様であったろうと想像して見る。凡そ世の
中に何が苦しいと云って所在のない程の苦し
みはない。意識の内容に変化のない程の苦し
みはない。使える身体(からだ)は目に見え
ぬ縄で縛られて動きのとれぬ程の苦しみはな
い。生きるというは活動して居るという事で
あるに、生きながらこの活動を抑えらるるの
は生という奪われたると同じ事で、その奪わ
れたるを自覚する事が死よりも一層の苦痛で
ある。          (『倫敦塔』)


投出語法---自転車日記
   2016/4/1 (金) 05:39 by Sakana No.20160401053945

04月01日

「『猫』に先行して『ホトトギス』に掲載さ
れたエッセイには『倫敦消息』のほかに『自
転車日記』がありますが、これも『猫』の文
体に似ています」
「『自転車日記』の主人公は自分のことを余
としている。我輩でも吾輩でもない」
「初期作品における語り手の第一人称は次の
通り変化していますが、いずれにしても語り
手の意識の波の頂点(F)や情緒(f)には
作者自身が投出されているとみてよいのでは
ないでしょうか」

 『倫敦消息』         我輩
 『自転車日記』『倫敦塔』   余
 『吾輩は猫である』      吾輩
 『坊っちゃん』        おれ
 『草枕』           予

「『自転車日記』は下宿の二婆さんから自転
車に乗ることをすすめられたが、うまく乗り
こなすことができなかったという話ですが、
自分の心の中にある猜疑心とか継子根性とか、
ふつうの人間なら隠したがるネガチブな心理
をあえて表現しています」
「おやじはちっともおれを可愛がってくれな
かった。母は兄ばかり贔屓(ひいき)にして
いたという坊っちゃんや、親兄弟に見離され、
あかの他人の傾城に、可愛がらりょう筈がな
いという苦沙弥のひがみ根性と同じだ」
「夏目金之助は生まれてまもなく古道具の売
買を渡世にしていた貧しい夫婦ものの養子に
もらわれ、小さい笊(ざる)の中に入れられ
て、毎晩四谷の大通りの夜店に曝(さら)さ
れていたそうです。そこへ通りかかった姉が
可哀想だといって連れて帰ったけれどもすぐ
にまた塩原家の養子にされてしまいます。こ
れではひがみ根性が出るのは当然でしょう」
「その経験が『猫』や『道草』ととして結実
したのだから、文学にとっては慶ばしいこと
だ」

 此二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜
疑心は益(ますます)深くなり、余が継子根
性は日に(日に)増長し、遂には明け放しの
門戸を閉鎖して我黄色な顔を愈(いよいよ)
黄色にするの已を得ざるに至れり。
           (『自転車日記』)



投出語法ーー倫敦消息
   2016/3/29 (火) 10:14 by Sakana No.20160329101431

03月29日

「『猫』に先行する作品として、『倫敦消息』
にも注目しておきたいと思います」
「それはイギリスに留学していた漱石が親友の
正岡子規の病気を慰めんが為に書き送った日記
形式の手紙だ」
「子規は喜んで、この手紙に『倫敦消息』とい
うタイトルをつけて、『ホトトギス』に載せま
した」
「筆者は自分のことを我輩と称している」
「『猫』は吾輩です」
「我輩も吾輩も同じようなもので、夏目金之助
と猫も我輩であり、吾輩でもある」
「禅坊主見た様な哲学者の様な悟り済ました事
も云って見るが、矢張り大体の処が俗物という
のは八木独仙のことだが、苦沙弥や迷亭も同じ
穴のムジナ、要するに大平の逸民だ」
「というわけで、『猫』には苦沙弥、迷亭、独
仙などには夏目金之助=夏目漱石の情緒fが投
出されており、さらに先行する『倫敦消息』に
も夏目金之助=夏目漱石の情緒fが投出されて
いることをあらためて確認しました」

  我輩も時には禅坊主見た様な変哲学者の様な
悟り済した事も云って見るが矢張り大体の処が
御存じの如き俗物だからこんな窮屈な生活をし
て回や其の楽(たのしみ)をあらためず賢なる
かなと褒められる権利は毛頭ないのだよ。
                       (『倫敦消息』)


投出語法
   2016/3/26 (土) 18:42 by Sakana No.20160326184255

03月26日

「連想法の一番手は投出語法(projection)で
す。自己の情緒を投出(project)して外界を説
明する手段となす」
「投出の英語がプロジェクト(project)と言わ
れてもなあ。ますますわかりにくい」
「訳者のマーフィーによれば、第四編 文学的
内容の相互関係(Inter-relations Between 
Literary Substances)は、『文学論』のなかで
もおそらく、これまでもっとも評価されていな
い論点だそうです」
「では、もっと評価されるように説明してくれ」
「この投出語法への着目は作家夏目漱石の誕生
への大きな布石になったにちがいないと私は思
います」
「投出語法の理論を応用した文学作品が『猫』
だというのか」
「そうですね。吉田六郎は、自己超出という言
葉を使っていますが、猫の実体は夏目漱石と名
乗る夏目金之助なのです」
「投出と超出とでは意味が違う」
「当たらずと雖(いえど)も遠からず、でしょ
う」

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生まれたか頓と見当がつかない。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣
いていた事だけは記憶している。吾輩はここで
始めて人間というものを見た。(『猫』一)

 漱石が『猫』にそそぎ込んだたぎる情熱とは、
そもそも何であろうか?それは、自己超出のや
むにやまれぬ欲望である、と私は思う。
     (吉田六郎『吾輩は猫である』論)


連想法と写実法
   2016/3/23 (水) 07:11 by Sakana No.20160323071152

03月23日

「文学的内容の相互関係のリストをぼんやり
眺めているうちに、文芸上の真を伝える手段
は、大きく分けて、連想法と写実法になると
私には思えてきました」
「それは文学界の共通認識にはなっていない」
「伊藤整『文学入門』の分類によれば、連想
法は物語文学、写実法は記録文学に相当する
──と考えれば、ほぼ共通認識に近くなりま
す」
「なるほど、写実法は、アリストテレスの模
写説、沙翁の思想(演技とは自然を鏡に写し
出すこと──『ハムレット』第二幕第三場)、
坪内逍遙の小説神髄、正岡子規の写生文のす
すめなどに反映されている記録文学であり、
一方、連想法は『竹取物語』から現代の恋愛
小説や推理小説などに連なる物語文学と考え
ればよいのか」
「もちろん、文学作品の中で連想法と写実法
が白と黒のようにはっきりと区別されている
わけではなく、両者が混在している場合も多
いようです。まあ、一応の目安ということに
しておきましょう」

 文学芸術の中心に物語文学をおいて考えれ
ば、もっとも感覚的なものとして詩歌がある。
それからもっとも現実そのものに近い形のも
のには記録文学がある。記録文学、物語文学、
詩歌というこの三つに主点を置いて文学作品
の類を考えることができる。
 ふつうの文学史の種別の仕方は、小説と詩
に分けたり、あるいは叙事詩、抒情詩、小説、
戯曲と分ける。さらに長編小説と短編小説と
に分けたり、詩を散文詩や抒情詩や叙事詩や
劇詩に分けたりする。このような一般的な区
別の仕方には大して意味がない。
      (伊藤整『文学入門』第十章) 


文学的内容の相互関係
   2016/3/20 (日) 06:09 by Sakana No.20160320060942

03月20日

「それでは第四編 文学的内容の相互関係に
進みます」
「第三編 文学的内容の特質 とのつながり
を説明してくれ」
「科学上の真に対して文芸上の真を表出する
のが文学的内容の特質ですが、第四編の文学
的内容の相互関係では、この文芸上の真を伝
える手段を説かれています」
「つまり、作者の立場からみて、読者を幻惑
する手段だ」
「そのような手段としてあげられているのは
次の8項目です。
 (1)投出語法 (Associative type 1(projection)
 (2)投入語法 (Associative type 2(interjection)
 (3)自己と隔離せる語法(Associative type 3(dissociation)
 (4)滑稽的連想(Associative type 4(comic association)
 (5)調和法 (type 5 (harmonizing)
 (6)対置法 (typo 6 counterposition)
                   (a) 緩勢法 (a) method of emphasis
                    (b) 強勢法 (b) method of emphasis
                      仮対法 
                    (c) 不対法 (c) method of non-opposition
 (7)写実法
 (8)間隔論」
「わけのわからん言葉がごちゃごちゃ並んでい
てよく理解できない」
「(1)から(6)までは観念の連想法として
一括できるので、実質的には連想法と写実法、
それに補足として間隔論と理解しておけばよい
かと思います」

 既に文芸上の真を論じたる余は勢(いきおい)
この真を伝ふる手段を説かざるべからず。由来
この手段を講ずるに所謂修辞学なるものあり。
されども坊間に行はれる通俗の修辞学は徒(い
たずら)に専断的の分類に力を用ゐ、その根本
の主意を等閑視する傾向あればその効著(いち
じるし)からず。
 余の説を以てすれば、凡そ文芸上の真を発揮
する幾多の手段の大部分は一種の「観念の連想」
を利用したるものに過ぎず。以下説くところ
(第一、二、三、四、五、六章)の如き全くこ
の主張を本として組み立てたる結果に外ならず。
           (『文学論』第四編)


知よりも情
   2016/3/17 (木) 06:51 by Sakana No.20160317065149

03月17日

「科学上の真ではなく、文芸上の真を表現する
には知よりも情です」
「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される
というではないか。流されるぞ」
「自分はなるべく流されないようにして読者を
幻惑するのが文学者です」
「哲学者なら情も知で説明できるのではないか」
「参考になるかどうかわかりませんが、ショー
ペンハウアーの哲学から引用しておきます」
「宗教的感情も情だとすると、キリスト教徒、
イスラム教徒、仏教徒、ヒンズー教徒らはみん
な文学のお客さまということになる。道徳的感
情は聖書、コーラン、仏典、四書五経などで対
応できる」
「肉慾の感情はどうしましょう」
「表現の自由を認めて、エロ文学放置しておけ
ばよい」
「しかし、宗教的感情、道徳的感情、肉慾の感
情だけに限定して考えても、これらの相互の間
には、ただ抽象的な理性認識ではないというネ
ガティブな共通点がある以外にはなにひとつ共
通するところはありません」
「抽象的な理性認識は情には通用しない。故に、
哲学は科学にして、文学にあらず」

 知とほんとうに対立しているものは情である。
 情ということばが示す概念は、どこまでもネ
ガティブな内容のみをおびている。意識の中に
ありありと浮かんでいるものが概念ではないこ
と、理性の抽象的認識ではないこと、といった
(・・・・・・でない、というネガティブな内
容のみをおびている。すなわち抽象的な理性認
識に入らないものなら何であろうと、情という
概念に入ってくるといっていい。
 なぜなら、いろいろ相違なった要素や、たが
いに敵対あう要素までもが、情という概念のな
かに安んじて並んでいるからである。例えば、
宗教的感情、肉慾の感情、道徳的な感情、触覚・
苦痛・色彩感覚・音響感覚ならびに音の調和や
不調和の感覚といった肉体的な感情、憎悪・嫌
悪・自己満足・名誉・恥辱・正義・不正義の感
情、真理の感情、美的な感情、力・弱さ・健康・
友情・愛の感情等々。これらの相互の間には、
ただ抽象的な理性認識ではないというネガティ
ブな共通点がある以外にはなにひとつ共通する
ところはないのである。
(ショーペンハウアー著西尾幹二訳『意志と表
象としての世界』)


哲学小説か滑稽小説か
   2016/3/14 (月) 06:50 by Sakana No.20160314065024

03月14日

「文芸上の真の断面としてきみがとりあげた
中には理性とか自由とか平等のような哲学の
概念が含まれているが、『猫』は哲学小説な
のだろうか」
「哲学用語や諺言を素材として使ったからと
いって、哲学ではないし、哲学小説にもなり
ません。『文学論』によれば、哲学者は科学
者に含まれています。そして、文学が追求す
るのは科学上の真や哲学上の真ではなく、文
芸上の真です」
「すると、『猫』は作者である漱石の情緒f
を付着させた情緒小説もしくは感情小説とい
うことになるのか」
「そうもいえますが、私はやはり滑稽小説だ
と思います」
「滑稽小説というと、式亭三馬の『浮世風呂』
『浮世床』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』
の類か」
「そういうのは滑稽本で、滑稽小説とはいい
ませんが、読者の笑いを誘う会話文が主体と
いうところは似ていいるので、滑稽本の系統
をつぐ滑稽小説とはいえるかもしれません。
しかし、なにしろ隠し味としてこの難解な
『文学論』がありますから、読者は知的、哲
学的に幻惑されがちです」
「スウィフトの『ガリバー旅行記』のような
風刺小説あるいは厭世小説の類かもしれない」
「スターン『トリストラム・シャンディ』や
ホフマン『雄猫ムルの人生観』の類だという
人もいます。要するに、和漢東西思想五目飯
のように混沌としたわけのわからない小説で
す」
「神聖なる狂気が生んだ不可解小説だね。萬
有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不
可解」」


文芸上の真の二十断面再見
   2016/3/11 (金) 08:32 by Sakana No.20160311083232

03月11日

「第三編 文学的内容の特質 では、科学上
の真に対して文芸上の真が強調されています
ので、その趣旨にそって、断面的文学の名作
『猫』の中文芸上の真と思われる二十断面を
もう一度再掲しておきます」
「これらの二十断面は漱石自身ではなく、読
者のきみが恣意的に選んだものにすぎない」
「言語は恣意的な差異の体系です。『文学論』
──自己本位の読み方のまとめとわざわざ断
っているのですから、私にだってこれこそ文
芸上の真と思われる断面を恣意的に選ぶ権利
はあると思います」
「なるほどね。こうしてみると、猫の一生に
おけるF(焦点的印象又は観念)を断続的に
つなげたような感じもある」
「猫だけではなく、作者漱石のFにもこれら
の断面は去来しました。そして読者の私のF
にも去来すると、文学の影響力が私にも及ん
だということになります」
「それできみの人生にどのような益があった
のか」
「口ではいいあらわせんが、たいへん有益で
した。これから薔薇の水で手を清めたいと思
います」

   一)薔薇の水 
   二)一樹の蔭 
     三)喪家の犬
   四)無名
     五)無常迅速
   六)冷暖自知
   七)父母未生前本来面目
    八)見性成仏 
   九)郭象無聖 
   十)理性(余は思考す故に余は存在す)
    十一)自由 (心を自由にする修業
    十二)平等(自然は真空を忌むが如く人間は平等を嫌う)
  十三)資本(三角術)
    十四)神経衰弱
    十五)自殺学
  十六)神聖なる狂気
    十七)人間万事塞翁の馬
    十八)無為にして化す
  十九)悲しい音
  二十)南無阿弥陀仏


南無阿弥陀仏
   2016/3/8 (火) 06:54 by Sakana No.20160308065425

03月08日

「猫の最後はビールを飲んで酔っぱらい、水
桶に落ちて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難
有い難有いと言って死にます」
「ハッピーエンド、終わりよければすべてよ
し──理想的な死に方だね」
「あの世で三毛子と一緒になれるでしょうか」
「三毛子は猫誉信女という立派な戒名をつけ
てもらったが、この世で名前もつけてもらえ
なかった猫には戒名もない。あの世で三毛子
と夫婦になるのはムリだろう」
「でも、死亡通知のはがきを出してもらって
います。十三回忌には鏡子夫人に九重の石塔
もつくってもらいました。墓の裏には、<此
下に 稲妻起る 宵あらん>という句がした
ためられています。無名の猫にしては手厚く
葬られているといってよいでしょう。以て瞑
すべし」

 次第に楽になってくる。苦しいのだか難有
いのだか見当がつかない。水の中に居るのだ
か、座敷の上に居るのだか、判然しない。ど
こにどうしていても差支はない。只楽である。
否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り
落し、天地を紛韲(ふんせい)して不可思議
の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平
を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無
阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。
             (『猫』十一)

 三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子
が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫
誉信女(なむみょうよしんにょ)、南無阿弥
陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏と御師
匠さんの声がする。
「御前も回向(えこう)をしておやりなさい」
 チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥
陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動
悸(どうき)がして来た。座蒲団の上に立っ
たまま、木彫(きぼり)の猫のように眼も動
かさない。
「ほんとに残念な事を致しましたね。始めは
ちょいと風邪(かぜ)を引いたんでございま
しょうがねえ」       (『猫』二)

 辱知猫義久々病氣の處療養不相叶昨夜いつ
の間にかうらの物置のヘツツイの上にて逝去
致候 埋葬の義は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭
先にて執行仕候。但主人「三四郎」執筆中に
つき御會葬には及び不申候 以上
(猫の死亡通知 明治四十一年)九月十四日)  
  「此下に 稲妻起る 宵あらん」


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