夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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生きたい生きたいと云う下司な念
   2015/4/4 (土) 08:59 by Sakana No.20150404085926

04月04日

「我々は生きたい生きたいと云う下司な念を
本来持っております」
「漱石は、死の直前、胸をあけて、ここへ水
をかけてくれ、死ぬと困るから、と言ったそ
うだ」
「この下司な了見(りょうけん)からして、
物我の区別を立てます。そうしていかなる意
識の連続を得んかという選択の念を生じ、こ
の選択の範囲が広まるに従って一種の理想を
生じ、その理想が分岐して、哲学者(または
科学者)となり、文芸家となり実行家となり、
その文芸家がまた四種の理想を作り、かつこ
れを分岐せしめて、各自に各自の欲する意識
の連続を実現しつつあるのであります」
「ナール(註:<ほど>を省略)」
「要するに皆いかにして存在せんかの生活問
題から割り出したものに過ぎません。だから
して何をやろうとけっして実際的の利害を外
(はず)れたことは一つもないのであります」
「それが文芸の哲学的基礎というものか」
「世の中では芸術家とか文学家とか云うもの
を閑人(ひまじん)と号して、何かいらざる
事でもしているもののように考えています。
実を云うと芸術家よりも文学家よりもいらぬ
事をしている人間はいくらでもあるのです。
朝から晩まで車を飛ばせて馳(か)け廻って
いる連中のうちで、文学者や芸術家よりもい
らざる事をしている連中がいくらあるか知れ
ません。自分だけが国家有用の材だなどと己
惚(うぬぼ)れて急がしげに生存上十人前く
らいの権利があるかのごとくふるまってもと
うてい駄目(だめ)なのです。彼らの有用と
か無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云
うのですから駄目であります」
「見解の相違だと国家有用の政財界の諸氏は
いうだろう」
「怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っ
ても駄目であります。怒るのは理窟(りくつ)
が分らんから怒るのです」
「怒ったのは苦沙弥先生のほうではないか」

 最後に一言を加えます。我々は生きたい生きたいと云う下司(げす)
な念を本来持っております。この下司な了見(りょうけん)からして、
物我の区別を立てます。そうしていかなる意識の連続を得んかという
選択の念を生じ、この選択の範囲が広まるに従って一種の理想を生じ、
その理想が分岐して、哲学者(または科学者)となり、文芸家となり実
行家となり、その文芸家がまた四種の理想を作り、かつこれを分岐せし
めて、各自に各自の欲する意識の連続を実現しつつあるのであります。
要するに皆いかにして存在せんかの生活問題から割り出したものに過ぎ
ません。だからして何をやろうとけっして実際的の利害を外(はず)れ
たことは一つもないのであります。世の中では芸術家とか文学家とか云
うものを閑人(ひまじん)と号して、何かいらざる事でもしているもの
のように考えています。実を云うと芸術家よりも文学家よりもいらぬ事
をしている人間はいくらでもあるのです。朝から晩まで車を飛ばせて馳
(か)け廻っている連中のうちで、文学者や芸術家よりもいらざる事を
している連中がいくらあるか知れません。自分だけが国家有用の材だな
どと己惚(うぬぼ)れて急がしげに生存上十人前くらいの権利があるか
のごとくふるまってもとうてい駄目(だめ)なのです。彼らの有用とか
無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云うのですから駄目であります。
怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っても駄目であります。怒るの
は理窟(りくつ)が分らんから怒るのです。怒るよりも頭を下げてその
訳でも聞きに来たらよかろうと思います。恐れ入って聞きにくればいつ
でも教えてやってよろしい。


昼寝をしても閑人じゃない
   2015/4/4 (土) 09:43 by Sakana No.20150404094340

04月07日

「苦沙弥先生は縁側に昼寝をしますが、けっ
して閑人ではありません」
「東大、一高、明治をかけもちで講義をして
いたが、学校はやめて、朝日新聞に入社し、
月給二百円に盆暮れの賞与という高級取りに
なった。それで昼寝ができる身分なら、結構
毛だらけ猫灰だらけの閑人のように見うけら
れるが」
「閑人と思うのは、思う方が閑人である、で
なければ愚人である。苦沙弥先生は昼寝をし
ながら、えらい理想を実現する方法を考えた
のです」
「愚美人草などという愚かな女を主人公にし
た小説のどこに理想があるというのか」
「わかる人にはわかります。わからぬ人には
生存の意義を教えてもわからない。誰が何と
言おうと、苦沙弥先生はいくら縁側に昼寝を
しても閑人ではありません」

――私なども学校をやめて、縁側(えんがわ)にごろごろ昼寝(ひるね)
をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実
は羨(うらや)ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。
昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝(よいね)も致します。しかし寝なが
らにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ば
して電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はた
だ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。
不幸にしてまだ考えつかないだけである。なかなかもって閑人ではない。
諸君も閑人ではない。閑人と思うのは、思う方が閑人である、でなけれ
ば愚人である。文芸家は閑が必要かも知れませんが、閑人じゃありませ
ん。ひま人と云うのは世の中に貢献する事のできない人を云うのです。
いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、平民に生存の意義を教える
事のできない人を云うのです。こう云う人は肩で呼吸(いき)をして働
いていたって閑人です。文芸家はいくら縁側に昼寝をしていたって閑人
じゃない。文芸家のひまとのらくら華族や、ずぼら金持のひまといっし
ょにされちゃ大変だ。だから芸術家が自分を閑人と考えるようじゃ、自
分で自分の天職を抛(なげう)つようなもので、御天道様(おてんとう
さま)にすまない事になります。芸術家はどこまでも閑人じゃないとき
めなくっちゃいけない。いくら縁側に昼寝をしても閑人じゃないときめ
なくっちゃいけない。


下司の理想
   2015/4/10 (金) 08:50 by Sakana No.20150410085039

04月10日

「私たちは生きたい生きたいと云う下司な念を
本来持っております。この下司の了見からして、
我と物の区別を立てているうちに、いかなる意
識の連続を得んかという選択の念を生じ、この
選択の範囲が広まるに従って一種の理想が生れ
ます」
「下司の理想か」
「その理想を主張するためには、主張するだけ
の確信がなければなりません。誰が何と言おう
と、自分の理想の方がずっと高いというゆるが
ぬ確信です」
「主張するのは勝手だが、下司の主張など他者
は承認しない」
「それでも超然と構えていられるだけの腹をす
えて、自分の理想を確信しているのです」
「下司の理想──傍からみたら滑稽なのではな
いか」
「私の柄に合った消極的な理想です。柄に合わ
ない事はやりません。笑いたければ笑ってくだ
さい」
「アハハ」

しかしこれだけ大胆にひま人じゃないと主張するためには、主張するだ
けの確信がなければなりません。言葉を換(か)えて云うといかにして
活きべきかの問題を解釈して、誰が何と云っても、自分の理想の方が、
ずっと高いから、ちっとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想
もわからぬくせに、生意気を云うなと超然と構えるだけに腹ができてい
なければなりません。これだけにできていなければ、いくら技巧があっ
ても、書いたものに品位がない。ないはずである。こう書いたら笑われ
るだろう、ああ云ったら叱(しか)られるだろうと、びくびくして筆を
執(と)るから、あの男は腹の中がかたまっておらん、理想が生煮(な
まにえ)だ、という弱点が書物の上に見え透(す)くように写っている、
したがっていかにも意気地(いくじ)がない。いくら技巧があったって、
これじゃ人を引きつけることもできん、いわんや感化をやであります。
またいわんや還元的感化をやであります。こんな文芸家を称して閑人と
云うのであります。正木君の云われた市気匠気と云うのは、かかる閑人
の文芸家に着いて廻るのであります。要するに我々に必要なのは理想で
ある。理想は文に存するものでもない、絵に存するものでもない、理想
を有している人間に着いているものである。だからして技巧の力を藉(か)
りて理想を実現するのは人格の一部を実現するのである。人格にない事
を、ただ句を綴(つづ)り章を繋(つな)いで、上滑りのするようにか
きこなしたって、閑人に過ぎません。俗にこれを柄(がら)にないと申
します。柄にない事は、やっても閑人でやらなくても閑人だから、やら
ない方が手数が省けるだけ得になります。ただ新しい理想か、深い理想
か、広い理想があって、これを世の中に実現しようと思っても、世の中
が馬鹿でこれを実現させない時に、技巧は始めてこの人のため至大な用
をなすのであります。一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、
自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらわるるほかに路がな
いのであります。そうして百人に一人でも、千人に一人でも、この作物
に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、一歩進
んで全然その作物の奥より閃(ひら)めき出ずる真と善と美と壮に合し
て、未来の生活上に消えがたき痕跡(こんせき)を残すならば、なお進
んで還元的感化の妙境に達し得るならば、文芸家の精神気魄(きはく)
は無形の伝染により、社会の大意識に影響するが故に、永久の生命を人
類内面の歴史中に得て、ここに自己の使命を完(まっと)うしたるもの
であります。
                    ――明治四十年四月東京美術学校において述――


文芸の哲学的基礎
   2015/4/13 (月) 06:41 by Sakana No.20150413064101

04月13日

「『文芸の哲学的基礎』──やっと読了して一
息ついているところです」
「読みはじめたのが昨年の7月4日だから九ヶ
月以上もかけるとは、ずいぶんスローペースだ
ね。頭がわるいのではないか」
「私の頭がわるいのではなく、漱石先生の頭が
よすぎるのです。でも、おかげさまで、『文学
論』の哲学的基礎を理解するヒントがつかめた
ような気がします」
「では、要約してくれ」
「すでにご紹介済ですが、念のため、もう一度、
繰り返しておきましょう」
「『文学論』第四編第八章では、<文学の大目
的は暫く措(お)く。その大目的を生ずるに必
要なる第二の目的は幻惑の二字に帰着す>と云
って結論を保留しているが、文学の大目的は何
だろう?」
「生命あるいは理想ではないでしょうか」

(一)吾々は生きたい、生きたいと云う下司の
念々(ねんねん)に支配せられております。意
識の方から云うと、意識には連続的傾向がある。
(二)この傾向が選択(せんたく)を生ずる。
(三)選択が理想を孕(はら)む。
(四)次にこの理想を実現して意識が特殊なる
連続的方向を取る。
(五)その結果として意識が分化する、明暸
(めいりょう)になる、統一せられる。
(六)一定の関係を統一して時間に客観的存在
を与える。
(七)一定の関係を統一して空間に客観的存在
を与える。
(八)時間、空間を有意義ならしむるために数
を抽象してこれを使用する。(九)時間内に起
る一定の連続を統一して因果(いんが)の名を
附して、因果の法則を抽象する。


イズムの功過
   2015/4/16 (木) 07:21 by Sakana No.20150416072142

04月16日

「明治四三年七月二三日付の『東京朝日新聞』
に掲載された『イズムの功過』は"The Merits 
and Flaws of -isms"として英訳されています」
「イズムというのは当時、勢いがよかった自然主
義文学を指している」
「そうですね。<自然主義なるものが起(おこ)
って既に五、六年になる。これを口にする人は皆
それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限り
においては、またわが了解し得たる限りにおいて
は(了解し得ざる論議は暫(しばら)く措(お)
いて)必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれ
ども自然主義もまた一つのイズムである>と云っ
ています」
「日本の自然主義文学はもっぱらフランスのモー
パッサンとゾラの影響を受けた」
「モーパッサンやゾラの作風だけが自然主義文学
ではありません。イズムを狭い意味でとらえて、
主張するとおかしなことになります。フランスだ
けでなく、イギリスにも自然主義文学者はいまし
た。明治二十六年に『哲学雑誌』に発表された漱
石先生の『英国詩人の天地山川に対する観念』に
よれば、クーパー、ゴールドスミス、バーンス、
ウォーズウォースなども自然主義(ナチュラリズ
ム)の文学者です。<クーパーの自然主義は濁世
に身を処し難きが為に起り、ゴールドスミスの自
然主義は賦性の恬淡なるに基づき、バーンスの自
然主義は天稟の至情に根(ねざ)し、ウォーズウ
ォースの自然主義は一隻の哲理的眼孔を具したる
に因る>」
「広い意味では、自然主義の範囲は広そうだ」
「明治二十六年の時点での漱石先生の考えによる
と、大きく分けると、人間の本性に従う自然主義
と山川の自然に帰する自然主義との二つに区別で
きます」



私の個人主義
   2015/4/19 (日) 07:21 by Sakana No.20150419072119

04月19日

「『私の個人主義』も英訳されています。訳者は
Jay Rubin」
「大正四年に学習院での講演だ。『文学論』を研
究したプロセスや動機にもふれている」
「そうですね。私はこの世に生れた以上、何かし
なければならん。といって何をして好いか少しも
見当が付かない。大学を卒業して、教師になり、
いくら書物を読んでも何のために読むのか意味が
わからなくなった。この時、私は始めて文学とは
どんなものであるか、その概念を根本的に自分で
作り上げるより外に、私を救う途(みち)はない
と悟った、というのです」
「救われたのか」
「救われたかどうかはわかりませんが、私はこの
自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変
強くなりました。今まで茫然と自失していた私に。
此処に立って、この道からこう行かなければなら
ないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位
の四字なのであります」
「英訳ではどうなっている?」
「Once I had grasped the idea of self-centered
ness, it became for me an enormmous amount of
strength, even defiance. Who did these Westerners
think they were anyway? I had been feeling lost,
in a daze, when the idea of ego-centeredness
(jiga-hon'i) told me where to stand and showed me
the road I must take.」
「self-centerednessとego-centerednessが同じ意味
で使われている」
「原文が<自己本位>と<自我本位>です」




自己本位の人格
   2015/4/22 (水) 07:48 by Sakana No.20150422074838

04月22日

「自己本位という言葉を自分の手に握ってから漱
石が大変強くなったのは結構だが、みんなが自己
本位で勝手に行動したら世の中はどうなるだろう」
「何らかのブレーキをかけなければなりません。
漱石先生は人格がブレーキになると考えて、貴方
がたはどうしても人格のある立派な人間になって
置かなくてはいけないと学習院の学生たちに諭し
ました」
「そもそも人格のある立派な人間とは誰だろう」
「学習院出身では、武者小路実篤、志賀直哉、有
島武郎、里見クなど白樺派の作家、ずっと後の世
代では三島由紀夫が活躍していますね」
「彼等は自己本位で個性的な作家にはちがいない
が、はたして人格のある立派な人間になって漱石
の期待に応えたのだろうか」
「英訳ではupstanding men of characterです」
「人格という日本語がキャラクター(character)
という英語と一致するのかどうか疑問だ」
「最近は<ゆるキャラ>などという言葉が流行し
ていますが、<ゆる人格>とはいいませんね」
「おまえさんも、自己本位で、立派な<ゆる人格>
とはいえるかもしれない」

 これを外(ほか)の言葉で言い直すと、いやしくも
倫理的にある程度の修養を積んだ人でなければ、個性
を発達させる価値もなし、権力を使う価値もなし、ま
た金力を使う価値もないという事になるのです。それ
をもう一遍いい換えると、この三者を自由に享(う)
け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき
人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。
もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとす
ると、他(ひと)を妨害する、権力を用いようとする
と、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐
敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。
そうしてこの三つのものは、貴方がたが将来において
最も接近しやすいものであるから、貴方がたはどうし
ても人格のある立派な人間になって置かなくては不可
ないだろうと思います。
  (夏目漱石『私の個人主義』)
To put this another way, unless a man has attained
some degree of ethical culture, there is no value in
his developing his individuality, no value in his
using his power or wealth. Or, yet again, in order for
him to enjoy these three privileges, he must submit to 
the control imposed by the character that should accompany
such privileges. When a man is devoid of character, everything
he does poses a threat. When he seeks to develop his individuality
without restraint, he obstructs others. When he attempts to use
power, he merely abuses it. When he tries to use money, he
corrupts society. Someday you will be in a position where you
can do all of these things quite easily. That is why you must
not fail to become upstanding men of character.
  (Jay Rubin訳)


文学評論序言 
   2015/4/25 (土) 08:31 by Sakana No.20150425083152

04月25日

「『文学評論』は序言だけが英訳されています」
「本論は英訳されていないのか?」
「『文学論』に比べると、『文学評論』は読みや
すいので、わざわざ英訳まで読む必要はないでし
ょう」
「序言に書かれていることは?」
「まず文学と科学の違いです。これは『文学論』
でも言及されていることですが、科学は如何にし
てということ即ちHowという事を研究するもので、
何故という事即ちWhyということの質問には応じか
ねるそうです」
「Why?」
「科学はある現象が如何にして生じたかを解明でき
ればそれでよいのです」
「1個の精子と1個の卵子が結合して十月十日後に
赤ん坊が生まれるような現象を研究するのが科学だ
が、金之助のように望まれてもいない赤ん坊がなぜ
この世に生れるのかは科学では解明できない」
「しかし、文学作品の批評や十八世紀の英文学のよ
うな文学史を論じる場合は、科学的アプローチがも
とめられます」
「文学作品の批評は、要するに面白いか面白くない
か、好きか嫌いかに尽きる。科学的なアプローチに
よる批評は面白くない」
「文学作品の構造、組織、形状等を客観的にみて批
評することも必要です。面白いか面白くないかとい
う鑑賞的(appreciative)批評に対して、非鑑賞的
(non-appreciative)批評があります。さらに重要な
批評は両者を統合した批評鑑賞的(critico-appreciative)
態度による批評です」
「漱石の文学評論は批評鑑賞的(critico-appreciative)
態度の批評というわけだ」
「ええ、最初は面白かったという感情から出立するが、
一旦出立した後は分解するのです。分解は単なる好き
嫌いではなく、批評的な態度でしかできません」


二回目の『文学論』読了
   2015/4/28 (火) 07:08 by Sakana No.20150428070833

04月28日

「以上をもって『文学論』講読は二度目の読了
をしたことなります」
「おつかれさま」
「今回は、「『文学』2012年5・6月号の
「特集=漱石『文学論』、2009年刊の"Theory of 
Literature and Other Critical Writings
 (Weatherhead Books on Asia)"Natsume Soseki
などを参考にし、さらに『文芸の哲学的基礎』
などの英訳も読みました」
「なんらかの成果は?」
「依然として茫漠とはしていますが、おかげさ
まで、いくらか視界が開けたような気もしてお
ります」
「性懲りもなくまだやるつもりか」
「一応、十年計画ですから、あと二年かけて、
もう一度『文学論』を最初から読み直します」
「三度目の正直か。参考資料は?」
「古本で村岡勇編『漱石資料ー文学論ノート』
を入手しました。漱石先生がロンドン留学中に
蒐めて、蠅頭の細字にて五、六寸の高さに達し
たり、という貴重なノートを編集印刷したもの
です」



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe