夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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人間を識別する能力
   2014/10/5 (日) 08:36 by Sakana No.20141005083613

10月05日

「例えば、昔の竹取物語では、いろいろな人
間が出てくるが、みんな同じ人間のようであ
ります」
「かぐや姫への求婚者として最後に残った色
好みの公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣
阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻
呂──この五人はみんな同じ人間のようだと
いうのか」
「さあ、私は読んでいないのでわかりません。
大納言と中納言では身分は違うと思いますが、
宮仕えの公達ですから性格は部長と課長のよ
うに似たようなものかもしれませんね。時代
は下がって、西鶴などに至ってもやはりそう
であります」
「好色五人女はお夏、おせん、おさん、お七、
おまん──たとえば、おさんとお七とでも、
性格が違うと思うが」
「おさんは女房、お七は少女という違いはあ
りますね」
「性格も違うよ」
「それは見方の違いです。漱石先生は同じよ
うな人間のようだと言っておられます。そし
て文学者は、人間を識別する能力が発達した
人でなくてはならん、同性質、同傾向、同境
遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を
認め得るくらいな眼光がないといけないと」
「たしかに、『明暗』のお延、お秀、清子、
吉川夫人などの女性の性格は描きわけられて
いる」
「津田と小林の性格も違います」

例えば昔の竹取物語とか、太平記とかを見ると、いろいろ
な人間が出て来るがみんな同じ人間のようであります。西
鶴などに至ってもやはりそうであります。つまりああいう
著者には人間がたいてい同様にぼうっと見えたのでありま
しょう。分化作用の発展した今日になると人間観がそう鷹
揚(おうよう)ではいけない。彼らの精神作用について微
妙な細(こまか)い割り方をして、しかもその割った部分
を明細に描写する手際(てぎわ)がなければ時勢に釣り合
わない。これだけの眼識のないものが人間を写そうと企て
るのは、あたかも色盲が絵をかこうと発心するようなもの
でとうてい成功はしないのであります。画を専門になさる、
あなた方(がた)の方から云うと、同じ白色を出すのに白
紙の白さと、食卓布の白さを区別するくらいな視覚力がな
いと視覚の発達した今日において充分理想通りの色を表現
する事ができないと同様の意義で、――文学者の方でも同
性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な
区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達
した今日においては、性格を描写したとは申されないので
あります。したがって人間をかく文学者は、単に文学者で
はならん、要するに人間を識別する能力が発達した人でな
くてはならんのです。進んだる世の中に、もっとも進んだ
る眼識を具(そな)えた男――特に文学者としてではない、
一般人間としてこの方面に立派な腕前のある男――でなけ
れば手は出せぬはずであります。


小説家の功力
   2014/10/8 (水) 07:40 by Sakana No.20141008074001

10月08日

「世の中の人々は、小説家よりも大学の先生
のほうが遙かにえらいと思っています」
「三文文士よりも文学博士のほうがえらいに
きまっている」
「それでは夏目漱石よりも江藤淳のほうがえ
らいことになってしまいます」
「漱石のどこがえらい?」
「人間と云うものは、こんなものであるとい
云う真実を、たとえば、猫の視点から教えら
れました」
「猫の視点では人間のリアリズムを描いたこ
とにはならない」
「面白いじゃないですか。人間なんてたいし
たものではないという事実を認識させてもら
ったということは、開化の進路にあたる一叢
(ひとむら)の荊棘(いばら)を切り開いて
貰ったと云わねばならんだろうと思います」
「小説家の功力(くりき)はその一点に限る
のか」
「そうではありません。その一点にを挙(あ)
げて考えても小説家は局長さんや博士さんに
劣るものでないと云うのであります」
「漱石は別格として、青色LEDの開発に匹
敵するような功力を発揮した小説家は現今日
本に一人もいないではないか」
「お互様です」

世の中はそう思っておりません。何(なん)の小説家が
と、小説家をもってあたかも指物師(さしものし)とか
経師屋(きょうじや)のごとく単に筆を舐(ねぶ)って
衣食する人のように考えている。小説家よりも大学の先
生の方が遥(はるか)にえらいと考えている。内務省の
地方局長の方がなお遥にえらいと思っている。大臣や金
持や華族様はなおなお遥にえらいと思っている。妙な事
であります。もし我々が小説家から、人間と云うものは、
こんなものであると云う新事実を教えられたならば、我
々は我々の分化作用の径路において、この小説家のため
に一歩の発展を促(うなが)されて、開化の進路にあた
る一叢(ひとむら)の荊棘(いばら)を切り開いて貰っ
たと云わねばならんだろうと思います。(小説家の功力
(くりき)はこの一点に限ると云う意味ではない。この
一点を挙(あ)げて考えても局長さんや博士さんに劣る
ものでないと云うのであります)もし諸君がそんな小説
家は現今日本に一人もないではないかと云われるならば、
私はこう答える。それは小説家の罪ではない。現今日本
の小説家(私もその一人と御認めになってよろしい)の
罪である。局長にでもがあるごとく、博士にでもがある
ごとく、小説家にでもがあるのも御互様と申さねばなら
ぬのであります。――また泥溝(どぶ)の中へ落ちました。



人間とはこんなものである新事実
   2014/10/11 (土) 07:46 by Sakana No.20141011074632

10月11日

「『吾輩は猫である』のほかに、漱石の小説
から、人間とはこんなものである新事実を教
えられたことがあるかい」
「そうですね。『坊っちゃん』からは<あな
たは真っ直ぐでよい御気性です>といわれる
ような人間が世の中にいるものだという新事
実を教わりました」
「呵々大笑。きみは誰からもそう云われたこ
とがないとみえる」
「『草枕』からは、那美さんのような女でも
汽車を見送る茫然のうちにかつて見たことも
ない<憐れ>を一面に浮かべることがあると
教わりました」
「可哀想だた惚れたってことよ( Pity is akin 
to love.)」
「『こころ』からは<人間はいざという間際
には誰でも悪人になる>という新事実を教わ
りました」
「『こころ』を読むまでそんなことも知らな
かったとは阿呆だ」
「『道草』からは<みんな金が欲しいのだ。
そうして金より外には何も欲しくないのだ>
という新事実を教わりました」
「それはきみのような阿呆でも知っていただ
ろう」
「ええ、赤信号みんなで渡ればこわくない」
「漱石は、田山花袋の『蒲団』や島崎藤村の
『新生』のような愛欲煩悩の新事実を描いて
いないね」
「そんなことは自然主義や私小説の作家にま
かせておけばよいことです」


文学者の眼識
   2014/10/14 (火) 07:26 by Sakana No.20141014072645

10月14日

「文学者の使命は、人間とはこんなものであ
るという新事実を読者に教えることにあると
理解してよいのだな」
「いや、実はそれだけでは文学者の使命の全
般をつくしたとはいえません。もちろん、人
間とはこんなものであるという新事実を教え
ることも文学者の使命の一端ではありますが、
漱石先生が分化作用について述べる際に、つ
い口が滑って文学者の眼識に論及してしまっ
たのです」
「脇道にばかりそれて、聴衆をまどわせない
ようにしてほしい」
「これから文学全体にわたってお話しすると
きには今少し概括的に出て来なければならぬ。
これから追々そこまで漕ぎつけて行きますと
先生は仰っていますので、大船に乗ったつも
りで安心してください」

 実はまだ文学の御話をするほどに講演の歩を進めておらんのであり
ます。分化作用を述べる際につい口が滑(すべ)って文学者ことに小
説家の眼識に論及してしまったのであります。だからこれをもって彼
らの使命の全般をつくしたとは申されない。前にも云う通りついでだ
から分化作用に即(そく)して彼らの使命の一端を挙(あ)げたのに
過ぎんのである。したがって文学全体に渉(わた)っての御話をする
ときには今少し概括的(がいかつてき)に出て来なければならぬ訳で
す。これから追々そこまで漕ぎつけて行きます。



我と物──知情意の三作用
   2014/10/17 (金) 08:32 by Sakana No.20141017083245

10月17日

「分化作用を次の通り整理しておきます。

  我 A)知(物に向って知を働かす人)・・・哲学者、科学者)
    B)情(物に向って情を働かす人)・・・文学者、芸術家)
    C)意(物に向って意を働かす人)・・・軍人、政治家、豆腐屋、大工
  物 A)自然
    B)人間(物として観たる人間)
    C)神(我を離れて神の存在を認める場合)」
「なんだこれは?」
「眼光紙背に徹してください。だんだんわか
ります」
「わからないよ」
「では、英訳もご紹介しておきましょう」

  Self     A) Intellect (there are people who exercise their intellect
                on objects.---philosopher or scientists.)
             B) Emotion (there are people who exercise their emotions
                on objects.---writers or artists.)
             C) Will (there are people who exercise their will on objects.
                ---soldiers, politicians, tofu makers, or carpenters.) 
   
   Objects A) Natural Things
             B) People (other people viewed as objects)
             C) Supersensible Divinities (insofar as we acknowledge
                the objective existence of devine beings)

 かく分化作用で、吾々は物と我とを分ち、物を分って自然と人間
(物として観たる人間)と超感覚的な神(我を離れて神の存在を認
める場合に云うのであります)とし、我を分って知、情、意の三と
します。この我なる三作用と我以外の物とを結びつけると、明かに
三の場合が成立します。すなわち物に向って知を働かす人と、物に
向って情を働かす人と、それから物に向って意を働かす人でありま
す。無論この三作用は元来独立しておらんのだから、ここで知を働
かし、情を働かし、意を働かすと云うのは重に働かすと云う意味で、
全然他の作用を除却して、それのみを働かすと云うつもりではあり
ません。そこでこのうちで知を働かす人は、物の関係を明(あきら)
める人で俗にこれを哲学者もしくは科学者と云います。情を働かす
人は、物の関係を味わう人で俗にこれを文学者もしくは芸術家と称
(とな)えます。最後に意を働かす人は、物の関係を改造する人で
俗にこれを軍人とか、政治家とか、豆腐屋(とうふや)とか、大工
とか号しております。



意識内容→職業の選択
   2014/10/20 (月) 07:49 by Sakana No.20141020074910

10月20日

「意識の内容が分化して来ると、内容の連続
も多種多様になりますから、いかなる意識の
連続をもって自己の生命を構成しようかと云
う選択の区域も大分自由になってきます」
「選択の幅がひろがり、理想の実現をめざし
て行動しやすくなる」
「比較的知の作用のみを働かす意識を得て生
存せんとする者は学者になります」
「学者といっても、苦沙弥先生、迷亭、寒月
など太平の逸民もいる」
「比較的情を働かす意識の連続をもって生活
の内容としたいと云う理想を持つ者は文士と
か、画家とか、音楽家になってしまいます」
「学者の苦沙弥先生は知の人よりも情の人た
らんとして、小説家の漱石先生になった」
「一方、意志を多く働かし得る意識の連続を
希望する人々もいます。百姓、車引、軍人、
冒険家、革命家などです」
「実業家の金田とか車屋の黒とか」

 かように意識の内容が分化して来ると、内容の連続も多種多様に
なるから、前に申した理想、すなわちいかなる意識の連続をもって
自己の生命を構成しようかと云う選択の区域も大分自由になります。
ある人は比較的知の作用のみを働かす意識の連続を得て生存せんと
冀(こいねが)い、ついに学者になります。またある人は比較的情
を働かす意識の連続をもって生活の内容としたいと云う理想からと
うとう文士とか、画家とか、音楽家になってしまいます。またある
人は意志を多く働かし得る意識の連続を希望する結果百姓になった
り、車引になったり――これはたんとないかも知れぬが、軍(いく
さ)をしたり、冒険に出たり、革命を企てたりするのは大分あるで
しょう。


情を理想とする
   2014/10/23 (木) 07:31 by Sakana No.20141023073129

10月23日

「人間は知情意の三つのうちのどれを重視し
て理想となし、その意識の連続をもって自己
の生命を構成しようとしているのでしょうか」
「それは人によってちがう。それによって個
性があきらかになり、職業の選択につながる、
というのが前回の説明だった」
「講演者の漱石先生はご自身も講演を聴いて
いる聴衆も<情が理想>であることは云うま
でもないと断言しておられます」
「漱石は誰がみても知の人だ」
「でも、この講演をした時の漱石先生は学者
ではなく、小説家になっていたのです」
「学者から小説家になるという決断を下した
ところをみると、意の人ともいえる」
「ですから、知意を働かせたくないと云うの
ではないが、情を離れて活(い)きていたく
ないと云うのが我々の理想だと先生は云って
おられます」
「どうも合点(がてん)が行かない」
「合点が行くよう、もうすこしこまかく割っ
て御話ししましょう」

 かく人間の理想を三大別したところで、我々、すなわち今日この
席で講演の栄誉を有している私と、その講演を御聴き下さる諸君の
理想は何であるかと云うと、云うまでもなく第二に属するものであ
ります。情を働かして生活したい、知意を働かせたくないと云うの
ではないが、情を離れて活(い)きていたくないと云うのが我々の
理想であります。しかしただ「情が理想」では合点(がてん)が行
かない。御互になるほどと合点が参るためには、今少し詳細に「情
を理想とする」とは、こんなものだと小(こま)かく割って御話し
をしなければなるまいと思います。


物の関係を味わう
   2014/10/26 (日) 07:46 by Sakana No.20141026074644

10月26日

「情を働かす人は物の関係を味わいます」
「物の関係を味わうとは、どういうことだ?」
「People who live primarily through their
emotions savor their relationships to objects.」
「わからん」
「物の関係を味わう人は、物の関係を明らめ
なくてはならず、場合によってはこの関係を
改造しなくては味が出て来ません」
「?」
「But in order for people to savor their
relationships to objects, it is sometimes
necessary to clarify those relationships
and at other times to alter them.」
「情を働かす人がはたして物の関係を明らめ
たり、物の関係を改造するような面倒なこと
をするだろうか」
「情の人はかねて、知意の人でなくてはなり
ません。文学者は同時に哲学者で同時に実行
の人(創作家)なのです」
「万能細胞の頭脳の持主でない限り不可能だ」
「断っておきますが、文学者にとっても物の
関係を明らかにする必要はありますが、これ
を明らかにするのは従前よりよくこの関係を
味わい得るために明らかにするのであって、
それ以上の必要はありません」
「ふむ」
「松のかたわらに石を添えるのはいいが、松
を切って湯屋に売り払ってはいけません。そ
んなことをすれば情を働かす余地がなくって
しまいます」
「今どき松を買う湯屋なんかいないよ」

 情を働かす人は物の関係を味わうんだと申しました。物の関係を
味わう人は、物の関係を明(あきら)めなくてはならず、また場合
によってはこの関係を改造しなくては味が出て来ないからして、情
の人はかねて、知意の人でなくてはならず、文芸家は同時に哲学者
で同時に実行的の人(創作家)であるのは無論であります。しかし
関係を明める方を専(もっぱ)らにする人は、明めやすくするため
に、味わう事のできない程度までにこの関係を抽象してしまうかも
知れません。林檎(りんご)が三つあると、三と云う関係を明かに
さえすればよいと云うので、肝心(かんじん)の林檎は忘れて、た
だ三の数(すう)だけに重きをおくようになります。文芸家にとっ
ても関係を明かにする必要はあるが、これを明かにするのは従前よ
りよくこの関係を味わい得るために、明かにするのだからして、い
くら明かになるからと云うて、この関係を味わい得ぬ程度までに明
かにしては何にもならんのであります。だから三と云う関係を知る
のは結構だが林檎(りんご)と云う果物を忘るる事はとうてい文芸
家にはできんのであります。文芸家の意志を働かす場合もその通り
であります。物の関係を改造するのが目的ではない、よりよく情を
働かし得るために改造するのである。からして情の活動に反する程
度までにこの関係を新(あらた)にしてしまうのは、文芸家の断じ
てやらぬ事であります。松の傍(かたわら)に石を添える事はある
でしょうが、松を切って湯屋に売払う事はよほど貧乏しないとでき
にくい。せっかくの松を一片の煙としてしまうともう、情を働かす
余地がなくなるからであります。


具体的
   2014/10/29 (水) 07:22 by Sakana No.20141029072223

10月29日

「文芸家は情を働かす人であり、物の関係を
味わいます」
「情を働かす人がどうして物の関係を味わう
ことになるのだ」
「物の関係を味わい得んがためには、その物
がどこまでも具体的でなくてはならぬ。知や
意の働きで、具体的なものを打ち壊していけ
ません」
「我思う、ゆえに我あり」
「それは知の働きです」
「精神一到何事か成らざらん」
「それは意の働きです」
「とかくに人の世は住みにくい」
「人の世という物の関係を味わう表現です。
土石流、火山灰、核兵器、放射性廃棄物、消
費税引き上げ、キュウリの価格高騰、ああ住
みにくい、住みにくい──具体的ですね」
「といいながら、ノホホンと生きているでは
ないか」
「どこまでも具体的のものに即して、情を働
かせる、具体の性質を破壊せぬ範囲内におい
て知、意を働かせる。――まずこうなります」

して見ると文芸家は「物の関係を味わうものだ」と云う
句の意味がいささか明暸(めいりょう)になったようで
あります。すなわち物の関係を味わい得んがためには、
その物がどこまでも具体的でなくてはならぬ、知意の働
きで、具体的のものを打ち壊してしまうや否や、文芸家
はこの関係を味わう事ができなくなる。したがってどこ
までも具体的のものに即して、情を働かせる、具体の性
質を破壊せぬ範囲内において知、意を働かせる。――ま
ずこうなります。


感覚的
   2014/11/1 (土) 07:15 by Sakana No.20141101071532

11月01日

「文芸家の理想は感覚的なものを離れては成
立しません。感覚的なる或物を通じて一種の
情をあらわすのが理想だと云ってもよろしい
かと思います」
「そうかな?民主主義や共産主義を理想とす
る文学を考えてみたまえ。民主主義や共産主
義は感覚的なものを離れている」
「労働者が仲良く手を結んで、明るい未来の
歌を歌っているイメージが感覚として浮かん
できませんか」
「そんな明るい歌を歌っている派遣労働者の
群は想像できない」
「では旧約全書の神様や希臘(ギリシャ)の
神様を想像してください。みんな声とか形と
かあるいはその他の感覚的な力を有していま
す」
「そんな神様の存在は信じられない」
「信じられなくても、何か感覚的なものを借
りてくると、想像はできます。それを文章に
すれば文学になるのです」
「感覚を偽った文章は、まやかしの文学だよ」

 すると文芸家の理想はとうてい感覚的なものを離れて
は成立せんと云う事になります。(この事を詳(くわ)
しく論ずるといろいろの疑問が起って来ますが、今は時
間がありませんから述べません。まず大体の上において
この命題は確然たる根拠(こんきょ)のあるものと御考
えになっても差支(さしつかえ)はなかろうと思います)
早い話しが無臭無形の神の事でもかこうとすると何か感
覚的なものを借りて来ないと文章にも絵にもなりません。
だから旧約全書の神様や希臘(ギリシャ)の神様はみん
な声とか形とかあるいはその他の感覚的な力を有してい
ます。それだから吾人文芸家の理想は感覚的なる或物を
通じて一種の情をあらわすと云うても宜(よろ)しかろ
うと存じます。



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe