夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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倶楽部
   2008/1/20 (日) 08:00 by Sakana No.20080120080004

1月20日

「倶楽部は珈琲店、酒肆と三点セットになっ
ております」
「漱石が三点セットなどというわけがない」
「此の三つの者は大同小異であって何(いず)
れも十八世紀英国の社会的生活に離すべから
ざる因縁関係を有して居ると、言っておられ
ます」
「十八世紀日本には頼母子講や無尽講があっ
た」
「倶楽部はそんな相互扶助団体のようなもの
とは性格が違います。悪鬼会(Pandemonium
Club)とかビフテキ荘厳会(Sublime Society 
of Beef Steaks)のようなもので、会員たち
は珈琲店や料理店に時を期して集まっていま
した」
「悪鬼会というと江戸の街を騒がせた旗本奴
や町奴の群のようだ」
「スヰフトやポープが立てたスクリブリラス
倶楽部やレノルヅ、ジョンソン、パーク、ゴ
ールドスミスなどの文学倶楽部もありました」
「十八世紀の日本でも文人墨客たちは全国的
にゆるやかなネットワークをもっていた。俳
諧の座のようなものもある」
「ジョンソンは<ある条件の下に会合する善
良なる伴侶の集会>と倶楽部を定義していま
す」


コーヒー・ハウス
   2008/1/23 (水) 10:12 by Sakana No.20080123101229

1月23日

「参考資料として小林章夫『コーヒー・ハウ
ス』(講談社学術文庫)を読みました。──
18世紀ロンドン、都市の生活史──という副
題がついております」
「そんなテーマで一冊の本を書くとはヒマな
人もいるものだ」
「作者は十八世紀英文学の研究者です。漱石
先生の『文学評論』を読んでおられることは
いうまでもありません」
「そんな愚にもつかないようなことを研究す
る学者がいるところをみると日本もまだ捨て
たものではない」
「『コーヒー・ハウス』を読んで新たに判明
した事実があります」
「なんだ」
「十八世紀英国で珈琲店では男性以外の客は
立ち入りを許さなかったそうです」
「差別だな。そのことについて漱石は何かコ
メントしているのか」
「Nothing at all.です」
「気がつかなかったのか、それともわざと言
わなかったのかな」
「コーヒー・ハウス通いで家に居つかない夫
に腹を立てた女房たちが、<コーヒー反対の
請願>を出したこともありますから、知らな
かったはずはないでしょう」



サロン
   2008/1/26 (土) 10:11 by Sakana No.20080126101111

1月26日

「十八世紀英文学の温床がコーヒー・ハウス
だったのに対して、十八世紀仏文学の温床は
サロンです」
「コーヒー・ハウスは女性の立ち入りが禁止
されていたというが、サロンは男性が立ち入
り禁止か」
「とんでもない。家柄か容貌か才能か要望か
がすぐれている男性は歓迎されました。文人
はサロンに出入りして有力な女性の庇護を受
けることによって世に出るチャンスをつかむ
こともできたのです」
「たとえば?」
「ジョフラン夫人のサロンにはディドロ、グ
リム、ヴォルテール、ダランベールなどの文
学者や哲学者が集まり、イギリス人の哲学者
ヒュームや政治家ウォルポールまでわざわざ
やってきています」
「ディドロは『百科全書』を編集・刊行した。
フランスの十八世紀は百科全書派の思想家た
ちに代表される啓蒙主義の世紀だ」
「ジョフラン夫人は精神的な励ましだけでな
く、出版資金も提供しています」
「スタール夫人のサロンは?」
「フランス大革命の後です。反ナポレオン派
の集会場となり、スタール夫人は1803年にパ
リの一六○キロ以内から追放されました」」


倫敦
   2008/1/29 (火) 07:18 by Sakana No.20080129071837

1月29日

「十八世紀の倫敦は暗くて、夜歩くと物騒な
街でした」
「街灯もついていないだろうな」
「ファラデーが生まれたのは1791年、エジソ
ンは1847年ですから十八世紀の人々は電気文
明の恩恵には浴しておりません」
「ランプは?」
「軒先へランプを立てたりはしていたようで
す。ブリキの壺へ鯨の油を入れて是に綿の心
(しん)を入れたものです」
「鯨を殺して油をとることに反対する者はい
なかったのだな」
「薄暗く照らすランプだけでは心細いので、
夜、出かけるときは提灯持ちを連れて歩いた
そうです」
「提灯はあったのか」
「リンクといって日本の松明(たいまつ)に
似たものです。提灯持ちは車夫や駕籠屋のよ
うに雇い入れるのですが、時には提灯持ちが
盗賊などと示しあわせて、いざという場合に
火を消して姿をくらますことも珍しくなかっ
たそうです」
「それでは夜間は倫敦の街を安心して歩けな
い」
「ジョンソンの『倫敦』という詩には、<夜
中の外出は死ぬ覚悟でなくては出来ない。だ
から外で晩飯でも食はうと云ふ前には屹度
(きっと)遺言状を認(したたむ)べき事で
ある>とあります」


倫敦の住民
   2008/2/1 (金) 08:55 by Sakana No.20080201085537

2月1日

「十八世紀の倫敦の住民は上層と下層とに二
極分化しておりました」
「それは二十一世紀でもあまり変わっていな
いだろう」
「二十一世紀の現在は社会福祉制度で亀裂が
表面化しないようなんとかボロをつくろって
いますが、十八世紀は階層分化が露骨にあら
われ、社会がギスギスしていたようです」
「人間の社会は常にギスギスしている」
「程度の差はあるでしょうが、十八世紀の倫
敦では上層の住民は開化して富裕、下層の住
民は野蛮、殺伐、俗悪──つまり品格の点で
上下の区別が甚だしくありました」
「国家の品格は?」
「プラスマイナスゼロでしょう」
「十八世紀日本の品格は?」
「やはりプラスマイナスゼロです」
「それは漱石の評価か?」
「私の公平無私かつ客観的な評価であります」


一般住民の特性
   2008/2/4 (月) 08:09 by Sakana No.20080204080923

2月4日

「十八世紀倫敦の一般住民の特性をあげると、
(1)野卑、(2)酩酊、(3)賭博、(4)
決闘、(5)不自然な服装などです」
「悪いところだらけだ」
「野卑(coarse)は乱暴粗野というだけでなく、
卑猥にわたる言動も意味しています。現在な
ら口をはばかるような猥褻なことでも平気で
述べるとか。丁度徳川時代の風俗に似ている
そうです」
「とすると、倫敦の住民は十八世紀の当時と
比べると、開化(civiliezed)して、上品にな
っているのか」
「十九世紀の半ばになると、日本人もイギリ
ス人の影響で、開化したといわれています」
「ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の
音がする、か。表明だけ開化して、上品にみ
せかけるのは偽善者だ」
「でも、漱石先生は、偽善者でも何でもよい。
表面を作るということは内部を改良する一種
の方法であると言っておられます」
「それは、すでに二千年以上前に孔子がひろ
めた礼の思想だ。中国人はすでにその当時か
ら開化していたし、少し遅れて、日本人も開
化したはずだ」
「では、どうして野卑(coarse)なことが徳川
時代の風俗に似ていると漱石先生は云ってお
られるのでしょう」
「野卑はもともと人間の特性──徳川時代は
上層階級が礼の思想で開化しすぎたために、
庶民は野卑にガス抜きをもとめたのだ」


一般住民の娯楽
   2008/2/7 (木) 08:47 by Sakana No.20080207084710

2月7日

「こんどは十八世紀倫敦の住民の娯楽を紹介
します」
「芝居見物とか俳諧とか?」
「俳諧をたのしむ住民はいませんでしたが、
たとえば、ドルリー・レーン座で『リチャー
ド三世』などの芝居を見物していました」
「同じ芝居見物でも、シェクスピア劇の観客
は歌舞伎や人形浄瑠璃の観客よりも上品とい
う印象を受ける」
「十八世紀の観客は似たようなもので、むし
ろ倫敦のほうがひどかったともいえます。幕
の間々に物売り人がリンゴやミカンを売りに
くるし、観客はワイワイ言って役者を冷やか
し、自分が買ったリンゴやミカンを投げつけ
たりしたそうですから」
「今日の劇場でも飲食はできないはずだ」
「そうですね。飲食しようと思うと席を立た
なければなりません。<劇場は礼儀作法の中
心として尊敬を払わなければならない>とい
う考えるようになってきたのです」
「芝居見物のほかの娯楽は?」
「喫茶園、仮面会、倫敦縁日、鶏合せ、懸賞
闘技、熊いぢめ&及び牛いぢめ、クリケット
とふートボール、保養場などです」
「喫茶園とはどんなものだろう」
「公園の中に興行物や茶店があって、音楽も
聞ければ、ぶらぶら歩きもできるというもの
ですが、十九世紀には廃れました」
「熊いぢめ&及び牛いぢめはひどい」
「当時は動物愛護の精神が発達していなかっ
たのです」


文学者の地位
   2008/2/10 (日) 09:54 by Sakana No.20080210095451

2月10日

「英国における文学者の地位は、十八世紀の
初め、アン女王の治世(1702-1714)の頃は意外
と高かったようです」
「原稿料が高かったはずはない」
「文学者として名をあらはした者は官職を得
るなど相当な地位を得て裕福な暮らしをする
ことができたのです」
「たとえば誰だ?」
「アヂソンは伯爵夫人と結婚して国務大臣に
なり、スウィフトはセント・パトリックスの
副監督牧師になったそうです」
「デフォーは1702年にお尋ね者として人相書
をまわされ、あげくの果て、ニューゲートの
獄舎につながれている」
「でも、ウイリアム三世やアン女王の恩顧を
受けて、官辺の用事で外国などへ内密に派遣
されたりしています」
「文学者にとってはありがたい時代だな」
「日本でも江戸時代には文学者が幕閣や諸藩
の要職にとりたてられていました」
「当時の日本では、文学者は儒学者にかぎら
れていた。戯作者などは文学者にふくまれて
いない」


不遇の文学者
   2008/2/13 (水) 09:06 by Sakana No.20080213090630

2月13日

「アン女王が逝去し、ジョージ一世(在位:
1714〜27年)の時代になると、文才さえあれ
ば官職に恵まれるという黄金時代は去り、文
学者が不遇をかこつようになりました」
「ウォルポールが首相をしていた時代だ(在
任:1721年 - 1742年)」
「ウォルポールは実際家で、文学気や芝居気
がまったくない男、そのため文士はまったく
かえりみられなかったそうです」
「そんな男が首相では文学者が官職につくチ
ャンスはない。金を払って本を購入する読者
もまだほとんどいない時代に文士はどうやっ
て暮らしをたてていたのか」
「犬のように頭をさげて貴族の金持ちで多少
文学好きの保護者(パトロン)を見つけて、
自分の出版する本の予約者になってください
と懇願したのです」
「貴族の門に叩頭して憐れみを乞うたという
わけか」
「漱石先生もそう言っておられますが、要す
るに営業努力が必要だということで、それは
現代の日本においても事情は変わりません」
「小渕内閣の頃、俳人有馬朗人が文部大臣・
科学技術庁長官に就任したことがある(1999
年10月に退任)。きみも次の文部大臣を狙っ
たらどうだ」
「福田氏も小沢氏も実際家ですから、どちら
が政権をとっても私を大臣にはしてくれない
でしょう」


倫敦以外地方の状況
   2008/2/16 (土) 09:26 by Sakana No.20080216092613

2月16日

「倫敦以外の地方の状況についても一瞥して
おきたいと思います」
「十八世紀の田舎は開けていないだろう」
「汽車もなく、電信もなく、それに街道が泥
濘膝を没し、河ときたら流れているだけで、
橋も何もかかっていない有様です」
「それでも文学者なら芭蕉が、奥の細道の旅
で<笠島はいづこさ月のぬかり道>と詠んで
いるように、一句ものにすることができる」
「芭蕉の場合は俳諧の指導をあおごうとする
俳人が全国にちらばっていたので、どこへ行
っても一宿一飯にあずかることができたので
す」
「イギリスの田舎でも文士を尊敬する気風は
あっただろう」
「文士が田舎へ行ったら妙な奴が来たといっ
て犬をけしかけられるのがオチです」
「日本のみちのくのほうがまだましかもしれ
ない」
「でも、十九世紀半ばの明治維新の頃には、
なぜか日本の田舎のほうが開けていないとい
うことになってしまったのです」



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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