夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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生命は意識の連続
   2014/8/6 (水) 08:27 by Sakana No.20140806082730

08月06日

「生命は意識の連続であります」
「修善寺での漱石の生命は三十分の死で意識
の不連続があった」
「その不連続は漱石先生の生命が望んだこと
ではありません。生命は意識の連続を切断す
ることを欲しない。つまり、死ぬ事を希望し
ないのです」
「往生際が悪い。三十分を永遠に延長すれば
よかった」
「その場合は、『こころ』も『明暗』も生ま
れないのですよ。それでいいですか」
「漱石の作品は『こころ』の謎を解明してい
ないし、『明暗』は完結していない。エント
ロピーの法則で無秩序が増大しただけだ」
「それが生命なのです。執着の多い、思い切り
のわるい連中がこうしてぴんぴんしているの
です」
「そういえば、『こころ』も『明暗』もいま
だにぴんぴんしているようだ」

 どうして、こんな矛盾が起るかと云う問題に対して、
ただ一口に説明してしまえば訳はない。前に申す通り吾
々(われわれ)の生命は――吾々と云うと自他を樹立す
る語弊はあるがしばらく便宜のために使用します――吾
々の生命は意識の連続であります。そうしてどういうも
のかこの連続を切断する事を欲しないのであります。他
の言葉で云うと死ぬ事を希望しないのであります。もう
一つ他の言葉で云うとこの連続をつづけて行く事が大好
きなのであります。なぜ好むかとなると説明はできない。
誰が出て来ても説明はできない。ただそれが事実である
と認めるよりほかに道はない。もちろん進化論者に云わ
せるとこの願望も長い間に馴致(じゅんち)発展し来っ
たのだと幾分かその発展の順序を示す事ができるかも知
れない。と云うものはそんな傾向をもっておらないよう
なもの、その傾向に応じて世の中に処して来なかったも
のは皆死んでしまったので、今残っているやつは命の欲
しい欲張りばかりになったのだと論ずる事もできるから
であります。御互のように命については極(きわ)めて
執着の多い、奇麗(きれい)でない、思い切りのわるい
連中が、こうしてぴんぴんしているような訳かも知れま
せん。これでも多少の説明にはなります。


生欲の盲動的意志
   2014/8/9 (土) 11:09 by Sakana No.20140809110923

08月09日

「今、地球上に残っているやつは命の欲しい
欲張りばかりです。なぜ、こんな執着の多い、
思い切りのわるい連中が、こうしてぴんぴん
しているのでしょう」
「その傾向の大原因は生欲の盲動的意志だと
ショーペンハウワーは云っている」
「しかし、意識の連続以外に何もないと漱石
先生は主張されたので、生欲の盲動的意志な
どという変てこなものを借用するわけにはい
きません」
「漱石とショーペンハウワーか。どっちもど
っちだ」
「では、生欲の盲動的意志という傾向は意識
の内容を構成している一部分すなわち属性と
見做(みな)してしまいましょう」
「それではショーペンハウワーが怒るよ」
「ショーペンハウワーの生欲の盲動的意志が
消えたのは1860年(万延元年)ですから、漱
石先生の講演内容に対して怒ることはできま
せん」

 しかしもっと進んでこの傾向の大原因を極めようとす
ると駄目であります。万法一に帰す、一いずれの所にか
帰すというような禅学の公案工夫に似たものを指定しな
ければならんようになります。ショペンハウワーと云う
人は生欲の盲動的意志と云う語でこの傾向をあらわして
おります。まことに重宝な文句であります。私もちょっ
と拝借しようと思うのですが、前に述べた意識の連続以
外にこんな変挺(へんてこ)なものを建立(こんりゅう)
すると、意識の連続以外に何(なん)にもないと申した
言質に対して申訳が立ちませんから、残念ながらやめに
致して、この傾向は意識の内容を構成している一部分す
なわち属性と見做(みな)してしまいます。そうして
「この傾向」と云うような概念は抽象の結果、よほど発
達した後に「この傾向」として放出したものと認めるの
であります。それは、ともかくも「吾人は意識の連続を
求める」と云う事だけを事実として受けとらねばならぬ
のであります。もっと明暸(めいりょう)に云うと「意
識には連続的傾向がある」と云い切ってこれを事実とし
て受けとるのであります。



意識の分化と統一
   2014/8/13 (水) 08:52 by Sakana No.20140813085223

08月12日

「意識と云い、連続と云い、連続的傾向と云
うとそのうちに意識の分化と云う事と統一と
云う事は自然と含まっております」
「わけのわからんことばかり言うから、意識
が混濁してきた。統一とはほど遠い。何とか
してくれ」
「室内熱中症ですか。困りましたね。念仏が
わりに、英訳を読んでみましょう。
When we speak about conciousness, about
continuity, and about a tendency for continuity,
we inevitably imply both the unity of consciousness
and its internal differentiaiton.」
「英訳もよくわからんが、要するに、意識の
統一をthe unity of consciousness、意識の
分化をits internal differentiaitonという
ことだけはわかった」
「すでに連続とある以上は甲と乙と連続した
と云う事実を意識せねばならぬ、すなわち甲
と乙と差別がつくほどに両意識が明暸でなけ
ればなりません。Insofar as it is continuous,
our consciousness must be continuous between 
A and B. That is to say, we must be able to 
distinguish cleary between two instances of 
consciousness, A and B.」
「あやめも分かぬ闇(やみ)だ」
「差別がつくと云うのは、同時に同じ意識もし
くは類似の意識を統一し得ると云う意味と同じ
事になります。Moreover, to say that we can
distinguish between them is also to mean that
we can unify consciousness or similar instances
of consciousness.」
「今日はそこまでにしておこう」

 意識と云い、連続と云い、連続的傾向と云うとそのう
ちに意識の分化と云う事と統一と云う事は自然と含まっ
ております。すでに連続とある以上は甲と乙と連続した
と云う事実を意識せねばならぬ、すなわち甲と乙と差別
がつくほどに両意識が明暸でなければなりません。差別
がつくと云うのは、同時に同じ意識もしくは類似の意識
を統一し得ると云う意味と同じ事になります。


意識そのものの根本的傾向
   2014/8/15 (金) 07:57 by Sakana No.20140815075745

08月15日

「意識の連続と云う以上は、――連続の意義
が明暸(めいりょう)になる以上は、――連
続を形ちづくる意識の内容が明暸でなければ
ならぬはずであります」
「何を言っているのかわからん」
「But insofar as we can speak of the continuity
of consciousness---and insofar as the meaning of
this continuity is clear---then the contents
of this continuous stream of consciousness must
be clear.」 
「意識もうろうとしていたのが、すこしクリ
アになってきたようだ」
「明暸でない意識は連続しているか、連続し
ていないか判然しない。つまり吾人の根本的
傾向に反する。否(いな)意識そのものの根
本的傾向に反するのであります。
If the contents of consciousness were unclear,
then we could never be sure if it was continuous
or not. This would go against our fundamental
tendency.Nay, it would go against the fundamental
tendency of consciousness itself.」
「意識そのものの根本的傾向?」
「意識の分化と統一とはこの根本的傾向から自
然と発展して参ります
Moreover, the processes of internal differentiation
and unification of consciousness naturally develop
as a result of this fundamental tendency.」
「ははあ、すると、人間は意識が連続している
か、連続していないかもわからなくなり、意識
の分化と統一がなくなってしまったら、もうろ
くしたと自覚しなければならない」
「それが自覚できるうちは大丈夫です」

例(たと)えてみれば視覚となづける意識は、分化の結
果、触覚や味覚と差別がつくと、同時にあらゆる視覚的
意識を統一する事ができて始めてできる言語であります。
意識にこれだけの分化作用ができて、その分化した意識
と、眼球(めだま)と云う器械を結びつけて、この種の
意識は眼球が司(つかさ)どるのだと思いつく。しばら
く視覚の意識と眼球の作用を混同して云うと、昔し分化
作用の行われぬうちは視力は必ずしも眼球に集中してお
らなかったろう。私も遠い昔では、からだ全体で物を見
ていたかも知れぬ、あるいは背中で物を舐(な)めてい
たかも知れぬ。眼(め)耳(みみ)鼻(はな)舌(した)
と分業が行われ出したのは、つい近頃の事であると思い
ます。こう分業が行われだすと融通が利(き)かなくな
ります。ちょっと舌癌(ぜつがん)にかかったからと云
うて踵(かかと)で飯を食う訳には行かず、不幸にして
痳疾(りんしつ)を患(うれ)いたからと申して臍(へ
そ)で用を弁ずる事ができなくなりました。はなはだ不
都合(ふつごう)であります。しかし意識の連続と云う
以上は、――連続の意義が明暸(めいりょう)になる以
上は、――連続を形ちづくる意識の内容が明暸でなけれ
ばならぬはずであります。明暸でない意識は連続してい
るか、連続していないか判然しない。つまり吾人の根本
的傾向に反する。否(いな)意識そのものの根本的傾向
に反するのであります。意識の分化と統一とはこの根本
的傾向から自然と発展して参ります。向後どこまで分化
と統一が行われるかほとんど想像がつかない。しかして
これに応ずる官能もどのくらい複雑になるか分りません。
今日では目に見えぬもの、手に触れる事のできぬもの、
あるいは五感以上に超然たるものがしだいに意識の舞台
に上る事であろうと思いますから、まず気を長くして待
っていたらよかろうと思います。


文学者の理想
   2014/8/18 (月) 10:25 by Sakana No.20140818102527

08月18日

「意識の連続から理想が生まれます」
「えっ?」
「いかなる内容の意識をいかなる順序に連続
させるか(the problem of what contents of
consciousness are continuous in what sequences)
──この問題の裏面には選択と云う事が含ま
れております(this question also necessarily
includes the possibility of choice.)」
「つまり、選択の余地があると?」。
「ある程度の自由がない以上は、また幾分か
選択の余裕がないならばこの問題の出ようは
ずがない(This question would never arise
if there were not some measure of freedom,
some margin for making choices.)」
「自由があり、選択の余地があるとはありがた
い」
「この問題が出るのはこの問題が一通り以上に
解決され得るからである。この解決の標準を理
想というのであります(The very appearance of
this question implies that it can be answered
in more than one way. The forms by means of
which this question is resolved are given the
name of ideals.)」
「<解決の標準>が"the forms by means of which 
this question is resolved"と訳されているが、
標準とは形式という意味なのだろうか」
「これを纏(まと)めて一口に云うと吾人は生き
たいと云う傾向をもっている。(意識には連続的
傾向があると云う方が明確かも知れぬが)この傾
向からして選択が出る。この選択から理想が出る。
すると今まではただ生きればいいと云う傾向が発
展して、ある特別の意義を有する命が欲しくなる。
すなわちいかなる順序に意識を連続させようか、
またいかなる意識の内容を選ぼうか、理想はこの
二つになって漸々(ぜんぜん)と発展する。後に
御話をする文学者の理想もここから出て参るので
あります(To sum up, we possess a tendency to want
to live (or, more precisely, consciousness tends 
toward continuousness). From this tendency there 
arise choices. As a result of these choices,
there arise ideals. In this way a tendency that
originally aimed only at simple survival undergoes
development, and we start to desire a specific kind
of life, one that possess a certain kind of significance.
In other words, our ideals grqadually evolve as we
make choices concerning what sort of sequences we 
want our continuous consciousness to follow and what
sort of contents we want to include in it. The ideals
of literary writers, which I will discuss a bit later,
also arises in this manner.)」
「坪内逍遙と森鴎外との間で没理想論争がたたかわ
れたことがあるが、そもそも文学者は理想を持つべ
きなのだろうか」
「この説明によれば、文学者の意識は当然、理想を
持っています」

 もう一遍繰返(くりかえ)して「意識の連続」と申します。この句
を割って見ると意識と云う字と連続と云う字になります。こうして意
識の内容のいかんと、この連続の順序のいかんと二つに分れて問題は
提起される訳であります。これを合すれば、いかなる内容の意識をい
かなる順序に連続させるかの問題に帰着します。吾人がこの問題に逢
着(ほうちゃく)したとき――吾人は必ずこの問題に逢着するに相違
ない。意識及その連続を事実と認める裏にはすでにこの問題が含まれ
ております。そうしてこの問題の裏面には選択(せんたく)と云う事
が含まれております。ある程度の自由がない以上は、また幾分か選択
の余裕がないならばこの問題の出ようはずがない。この問題が出るの
はこの問題が一通り以上に解決され得るからである。この解決の標準
を理想というのであります。これを纏(まと)めて一口に云うと吾人
は生きたいと云う傾向をもっている。(意識には連続的傾向があると
云う方が明確かも知れぬが)この傾向からして選択が出る。この選択
から理想が出る。すると今まではただ生きればいいと云う傾向が発展
して、ある特別の意義を有する命が欲しくなる。すなわちいかなる順
序に意識を連続させようか、またいかなる意識の内容を選ぼうか、理
想はこの二つになって漸々(ぜんぜん)と発展する。後に御話をする
文学者の理想もここから出て参るのであります。



甲が去って乙が来る
   2014/8/21 (木) 09:07 by Sakana No.20140821090705

08月21日

「連続しつつある意識は、新陳代謝すると見
ると、甲が去って乙が来ると(A recedes as 
B emerges)云う順序がなければならぬはずで
あります」
「無理が通れば道理引っ込む(Where might is 
master, justice is servant) 」
「順序があるからには甲乙が共に意識せられ
るのではない。甲が去った後で、乙を意識す
るのであるから、乙を意識しているときはす
でに甲は意識しておらん訳です(Saying that
there is a sequnece here means that A and
B cannot occupy consciousness simultaneoully。
We are conscious of B after A recedes, so
that when we are conscious of B we are no
longer conscious of A.)
「うむ、なんだかここで漱石が重要な指摘をし
ているような気がする」
「それにもかかわらず甲と乙とを区別する事が
できるならば、明暸なる乙の意識の下には、比
較的不明暸かは知らぬが、やはり甲の意識が存
在していると見做(みな)さなければなりませ
ん。俗にこの不明暸な意識を称して記憶と云う
のであります(Nonetheless, if we can distinguish
B from A, this means that beneath our clear
consciousness of B some consciousness of A
must also present---even if it is relativly
indistinct. We ordinarily call this indistinct
form of consciousness "memory".)
「うーむ。俗にこの不明瞭なる意識を記憶とい
うか」
「だからして記憶の最高度はもっとも明暸なる
上層の意識で、その最低度はもっとも不明暸な
る下層の意識に過ぎんのであります(The strongest
degree of memory is located in the upper strata of
consciouness---the clearest strata---while 
the weakest degree is located in the lowest
strata of consciousness---the least clear strata.)
「次のように整理してみよう。
 意識の波の頂点にある明瞭な意識
 記憶A:不明瞭な上層の意識
 記憶B:不明瞭な下層の意識
このうちの記憶Aは、唯識論でいう末那識(まな
しき)と呼ばれる潜在意識、記憶Bは阿頼耶識
(あらやしき)ではなかろうか」
「はあ?」

 次に連続と云う字義をもう一遍吟味(ぎんみ)してみますと、前
にも申す通り、ははあ連続している哩(わい)と相互の区別ができ
るくらいに、連続しつつある意識は明暸(めいりょう)でなければ
ならぬはずであります。そうして、かように区別し得る程度におい
て明暸なる意識が、新陳代謝すると見ると、甲が去って乙が来ると
云う順序がなければならぬはずであります。順序があるからには甲
乙が共に意識せられるのではない。甲が去った後で、乙を意識する
のであるから、乙を意識しているときはすでに甲は意識しておらん
訳です。それにもかかわらず甲と乙とを区別する事ができるならば、
明暸なる乙の意識の下には、比較的不明暸かは知らぬが、やはり甲
の意識が存在していると見做(みな)さなければなりません。俗に
この不明暸な意識を称して記憶と云うのであります。だからして記
憶の最高度はもっとも明暸なる上層の意識で、その最低度はもっと
も不明暸なる下層の意識に過ぎんのであります」


記憶は時間を含んでいる
   2014/8/24 (日) 08:06 by Sakana No.20140824080630

08月24日

「意識の連続は是非共記憶を含んでおられな
ばならず、記憶というと是非共時間を含んで
来なければならなことになります」
「つまり、時間は独立して世の中に存在する
ものではない」
「そうです。時間は意識と意識の間に存する
一種の関係であって、意識があってこそこの
関係が出るのです。だから意識を離れてこの
関係のみを独立させると云う事は便宜上の抽
象としてさしつかえないが、それ自身に存在
するものと見る訳にはいきません」
「時は春、
 日は朝(あした)、
 朝(あした)は七時、
 片岡(かたをか)に露みちて、
 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
 蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、
 神、そらに知ろしめす。
 すべて世は事も無し」
「その時間は詩人ブラウニングの意識と意識
の間に存する一種の関係です」
「この世では時間と云うものが流れていて、
その永劫(えいごう)の流れの中に事件が発
展推移するように見える」
「それは前に申した分化統一の力が、ここま
で進んだ結果時間と云うものを抽象して便宜
上(べんぎじょう)これに存在を許したとの
意味にほかなりません」
「そうだろうか」
「まあ話半分に聞きおくといったところでよ
いでしょう。御信じにならん方がよいかも知
れませんが、――しかしあまり信じなくって
もいけません」

 すると意識の連続は是非共記憶を含んでおらねばならず、記憶と
いうと是非共時間を含んで来なければならなくなります。からして
時間と云うものは内容のある意識の連続を待って始めて云うべき事
で、これと関係なく時間が独立して世の中に存在するものではない。
換言すれば意識と意識の間に存する一種の関係であって、意識があ
ってこそこの関係が出るのであります。だから意識を離れてこの関
係のみを独立させると云う事は便宜上の抽象として差支(さしつか
え)ないが、それ自身に存在するものと見る訳には参りません。ち
ょうどここにある水指(みずさし)のなかから白い色だけをとって、
そうして物質を離れて白い色が存在すると主張するようなものであ
ります。ちょっと考えると時間と云うものが流れていて、その永劫
(えいごう)の流れのなかに事件が発展推移するように見えますが、
それは前に申した分化統一の力が、ここまで進んだ結果時間と云う
ものを抽象して便宜上(べんぎじょう)これに存在を許したとの意
味にほかならんのであります。薔薇(ばら)の中から香水を取って、
香水のうちに薔薇があると云ったような論鋒(ろんぽう)と思いま
す。私の考えでは薔薇のなかに香水があると云った方が適当と思い
ます。もっともこの時間及びあとから御話をする空間と云うのは大
分むずかしい問題で、哲学者に云わせると大変やかましいものであ
りますから、私のような粗末な考えを好い加減に云う時は、あまり
御信じにならん方がよいかも知れませんが、――しかしあまり信じ
なくってもいけません。まず演説の終るまで信じておって、御宅へ
御帰りになる頃に信じなくなるのがちょうどいい加減であろうと思
います。


空間的関係
   2014/8/27 (水) 07:52 by Sakana No.20140827075216

08月27日

「まず甲を意識して、それから乙を意識する。
今度はその順を逆にして、乙を意識してから
甲に移る。そうしてこの両(ふた)つのもの
を意識する時間を延しても縮めても、両意識
の関係は変らない──こういう場合もありま
すね」
「その関係は時間と独立した関係であって、
しかもある一定の関係である」
「私たちは、これを時間の関係に帰着させる
ことができませんので、空間的関係の名を与
えることになります」
「それも両意識の間に存する一種の関係であ
って、意識そのものを離れて空間なるものが
存在しているはずはない」
「つまり、意識を離れて時間は存在しないし、
空間も存在しないのです」
「唯識論に近づいてくるね」
「あまり御信じにならん方がよいかも知れま
せんが、――しかしあまり信じなくってもい
けません。You had best not give too much
credence. Then again, If you give no credence
whatsoever, we won't get very far either.」

 次に今云う意識の連続――すなわち甲が去って乙がくるときに、
こう云う場合がある。まず甲を意識して、それから乙を意識する。
今度はその順を逆にして、乙を意識してから甲に移る。そうして
この両(ふた)つのものを意識する時間を延しても縮めても、両
意識の関係が変らない。するとこの関係は比較的時間と独立した
関係であって、しかもある一定の関係であるという事がわかる。
その時に吾人はこれを時間の関係に帰着せしむる事ができない事
を悟って、これに空間的関係の名を与えるのであります。だから
してこれも両意識の間に存する一種の関係であって、意識そのも
のを離れて空間なるものが存在しているはずがない。空間自存の
概念が起るのはやはり発達した抽象を認めて実在と見做(みな)
した結果にほかならぬ。


ニュートンの空間論 
   2014/8/30 (土) 09:21 by Sakana No.20140830092118

08月30日

「空間は客観的に存在しているとニュートン
は主張したそうです。(Newton asserted space
 exists objectively.)」
「万有引力の法則を発見したニュートンが言
うことなら間違いない」
「カントは(空間の存在が)直覚だと云った
そです。(Kant said it was something known
intuitively.)」
「大哲学者カントが言う事なら間違いない」
「ところが、漱石先生は意識を離れて空間は存
在しないと考えておられます」
「鏡子夫人が証言しているように、やはり漱石
の頭はおかしい」
「私の云う事は、あまり当(あて)にはなりま
せんとご本人も認めておられます。しかし、自
分だけで、そう思っていればすむ事を、申し上
げるのは、演説を御頼みになった因果でやむを
えず申し上げるので、もしこれを申し上げない
と、いつまでたっても文学談に移ることは出来
ないそうです」
「やれやれ、文学論という厄介なものに関わり
あってしまった身を因果とあきらめるしかない」

文法と云うものは言葉の排列上における相互の関係を法則にまと
めたものであるが、小児は文法があって、それから文章があるよ
うに考えている。文法は文章があって、言葉があって、その言葉
の関係を示すものに過ぎんのだからして、文法こそ文章のうちに
含まれていると云ってしかるべきであるごとく空間の概念も具体
的なる両意識のうちに含まれていると云ってもよろしいと思う。
それを便宜(べんぎ)のために抽象して離してしまって広い空間
を勝手次第に抛(ほう)り出すと、無辺際のうちにぽつりぽつり
と物が散点しているような心持ちになります。もっともこの空間
論も大分難物のようで、ニュートンと云う人は空間は客観的に存
在していると主張したそうですし、カントは直覚だとか云ったそ
うですから、私の云う事は、あまり当(あて)にはなりません。
あなた方が当になさらんでも、私はたしかにそう思ってるんだか
ら毫(ごう)も差支(さしつかえ)はありません。ただ自分だけ
で、そう思っていればすむ事を、かように何のかのと申し上げる
のは、演説を御頼みになった因果(いんが)でやむをえず申し上
げるので、もしこれを申し上げないと、いつまでたっても文学談
に移る事はできないのであります。



   2014/9/2 (火) 07:48 by Sakana No.20140902074828

09月02日

「ニュートンが何と言おうが、時間と空間は客
観的には存在しません」
「存在するよ」
「あえて抽象の結果として、時間と空間に客観
的存在を与えるとなると、これを有意義ならし
むるために数(すう)というものを製造して、
この両つのものを測(はか)る便宜法を講ずる
のであります」
「数?英語でいうnumber(ナンバー)か?」
「So, as a result of a process of abstraction,
we bestow objective existence on time and
space. In order to render these meanigful, 
we further fabricate something called numbers
so as to have a convenient method for measuring
them.」
「すると、人生80年という場合の命数も抽象的
に測る便宜法なんだろうね」
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の
如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべき
か」

 さて抽象の結果として、時間と空間に客観的存在を与えると、
これを有意義ならしむるために数(すう)というものを製造し
て、この両つのものを測(はか)る便宜法を講ずるのであります。
世の中に単に数というような間(ま)の抜けた実質のないものは
かつて存在した試しがない。今でもありません。数と云うのは意
識の内容に関係なく、ただその連続的関係を前後に左右にもっと
も簡単に測(はか)る符牒(ふちょう)で、こんな正体


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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