夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
 ID


全969件 <更新> ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 90 91 92 93 94 95 96 97 終了]

PAGE 88 (871〜880)


余の文芸に関する所信の大要
   2014/7/7 (月) 06:55 by Sakana No.20140707065543

07月07日

「『文芸の哲学的基礎』は漱石先生の文芸に
関する所信の大要です」
「すると、あまり格調の高くない朝日新聞入
社の辞を補うものとみてよさそうだ」
「東京美術学校文学会の開会式で行った講演
の速記に基づいていますが、大幅に手が加え
られています」
「あらためて起草したる論文と見て差し支え
なかろうと漱石本人が言っている」
「余の文芸に関する所信の大要を述べて、余
の立脚地と抱負とを明かにするは、社員たる
余の天下公衆に対する義務だろうと信ずる」
「文学論の骨子をまとめたものといっていい
かもしれない」

  東京美術学校文学会の開会式に一場の講演を依頼された余
は、朝日新聞社員として、同紙に自説を発表すべしと云う条
件で引き受けた上、面倒ながらその速記を会長に依頼した。
会長は快よく承諾されて、四五日の後丁寧(ていねい)なる
口上を添えて、速記を余のもとに送付された。見ると腹案の
不充分であったためか、あるいは言い廻し方の不適当であっ
たためか、そのままではほとんど紙上に載せて読者の一覧を
煩(わずら)わすに堪(た)えぬくらい混雑している。そこ
でやむをえず全部を書き改める事にして、さて速記を前へ置
いてやり出して見ると、至る処に布衍(ふえん)の必要を生
じて、ついには原稿の約二倍くらい長いものにしてしまった。
 題目の性質としては一気に読み下さないと、思索の縁を時
々に切断せられて、理路の曲折、自然の興趣に伴わざるの憾
(うらみ)はあるが、新聞の紙面には固(もと)より限りの
ある事だから、不都合(ふつごう)を忍んで、これを一二欄
ずつ日ごとに分載するつもりである。
 この事情のもとに成れる左の長篇は、講演として速記の体
裁を具うるにも関わらず、実は講演者たる余が特に余が社の
ために新(あらた)に起草したる論文と見て差支(さしつか
え)なかろうと思う。これより朝日新聞社員として、筆を執
(と)って読者に見(まみ)えんとする余が入社の辞に次い
で、余の文芸に関する所信の大要を述べて、余の立脚地と抱
負とを明かにするは、社員たる余の天下公衆に対する義務だ
ろうと信ずる。


演説と講義
   2014/7/10 (木) 08:38 by Sakana No.20140710083857

07月10日

「漱石先生は講義は上手だが、演説はやった
ことがないといっていったんは断ったが、顔
さえ見せてくれてそれでいいと言われ、それ
くらいの事なら恐るるに及ばずと引き受けて
しまったそうです」
「枕の振りかたがうまい。演説も上手だろう」
「英語でいうと、講義はclassroom lecture、
演説はpublic speech、顔を見せるshow one's
faceです」
「柳原白蓮の顔なら見たいが、漱石の顔を見
たって仕方がない」
「不幸にしてあまり御覧に入れるほどな顔で
もないと先生もわかっておられます。そこで
講義風の演説をやることになりました」
「それで主催者への義理もたつ」
「講義となると、先生はあらかじめ内容を文
章にしておかなければなりません。今回はそ
れが間に合わなかったので、後で速記を大幅
に手を入れたのが『文芸の哲学的基礎』とい
うことになります」

 私はまだ演説ということをあまり――あまりではないほと
んどやった事のない男で、頼まれた事は今まで大分ありまし
たけれどもみんな断ってしまいました。どうも嫌(いや)な
んですな。それにできないのです。その代り講義の方はこの
間まで毎日やって来ましたから、おそらく上手だろうと思う
のですけれどもあいにく御頼みが演説でありますから定めて
拙(まず)いだろうと存じます。
 実はせんだって大村さんがわざわざおいでになって何か演
説を一つと云う御注文でありましたが、もともと拙いと知り
ながら御引受をするのも御気の毒の至りと心得てまずは御辞
退に及びました。ところがなかなか御承知になりません。是
非やれ、何でもいいからやれ、どうかやれ、としきりにやれ
やれと御勧(おすす)めになります。それでもと云って首を
捻(ひね)っていると、しまいには演説はやらんでもいいと
申されます。演説をやらんで何を致しますかと伺うと、ただ
出席してみんなに顔さえ見せれば勘弁すると云う恩命であり
ます。そこで私も大決心を起して、そのくらいの事なら恐る
るに及ばんと快く御受合を致しました。――今日(こんにち)
はそう云う条件の下にここに出現した訳であります。けれど
も不幸にしてあまり御覧に入れるほどな顔でもない。顔だけ
ではあまり軽少と思いますからついでに何か御話を致しまし
ょう。もとより演説と名のつく諸君よ諸君はとてもできませ
んから演説と云ってもその実は講義になるでしょう。講義に
なるとすると、私の講義は暗(そら)ではやらない、云う事
はことごとく文章にして、教場でそれをのべつに話す方針で
あります。ところが今日はそれほどの閑暇(ひま)もなし、
また考えも纏(まと)まっておりません。だから上手である
べき講義も今日に限って存外拙(まず)い訳であります。


市気匠気(いちきしょうき)
   2014/7/13 (日) 07:28 by Sakana No.20140713072847

07月13日

「市気匠気(いちきしょうき)という耳なれ
ない言葉が使われていますね」
「市気は、こびへつらい、相手に気に入られ
ようとする気持ち、匠気は、技術・技巧に趣
向をこらす気持ちだ」
「東京美術学校文学会の正木会長が演説で使
ったそうですが、美術学校の生徒は市気匠気
をもてというのでしょうか。それとも、市気
匠気を捨てろというのでしょうか」
「英訳ではどうなっている?」
「"show-offy spirit of the ordinary hacks"
です」
「三文文士のはったりのようなネガチブな意
味になる」
「ところが、漱石先生は、私の御話も出立地
こそぼうっとして何となく稀有(けう)の思
はあるが、落ち行く先はと云うと、これでも
会長といっしょに市気匠気まで行くつもりで
あります、と仰っています」
「つまり、高尚な文学論もけっきょくは、三
文文士のはったり、のようなものということ
だろう」
「それは、ご謙遜ですね」

 美術学校でこういう文学的の会を設立して、諸君の専
門技芸以外に、一般文学の知識と趣味を養成せられるの
は大変に面白い事と思います。ただいま正木校長の御話
のように文学と美術は大変関係の深いものでありますか
ら、その一方を代表なさる諸君が文学の方面にも一種の
興味をもたれて、われわれのような不調法(ぶちょうほ
う)ものの講話を御参考に供して下さるのは、この両者
の接触上から見て、諸君の前に卑見を開陳すべき第一の
機会を捕(とら)えた私は多大の名誉と感ずる次第であ
ります。できない演説を無理にやるのは全くこのためで、
やりつけないものを受け合ったからと云って、けっして
恩に着せる訳ではありません。全く大なる光栄と心得て
ここへ出て来たのである。が繰返(くりかえ)して云う
通り、演説はできず講義としては纏(まと)まらず、定
めて聞苦しい事もあるだろうと思います。その辺はあら
かじめ御容赦(ごようしゃ)を願います。
 まずこれからそろそろやり始めます。やり始めますよ
と断ると何だかえらそうに聞えるが、その実は何でもな
い。ここに三四頁(ページ)ばかり書いたノートがあり
ます。これから御話をする事はこの三四頁の内容に過ぎ
んのでありますからすらすらとやってしまうと十五分く
らいですぐすんでしまう。いくらついでにする演説でも
それではあまり情ない。からこの三四頁を口から出まか
せに敷衍(ふえん)して進行して行きます。敷衍しかた
をあらかじめ考えていないから、どこをどっちへ敷衍す
るか分らない。時によると飛んだ寄り道をして、出る所
へも出られず、帰る所へも帰れないかも知れないと云う
すこぶる心細い敷衍法を用います。のみならず冒頭(は
じめ)が何だか訳の分らない事から始まるかも知れない
から、けっして驚いてはいけません。いずれ結末には美
術とか文学とか御互に縁の深い方面へずり落ちて行く事
と安心して聴いていただきたい。――ただいま正木会長
の御演説中に市気匠気(いちきしょうき)と云う語があ
りましたが、私の御話も出立地こそぼうっとして何とな
く稀有(けう)の思はあるが、落ち行く先はと云うと、
これでも会長といっしょに市気匠気まで行くつもりであ
ります。



物我対立
   2014/7/16 (水) 07:43 by Sakana No.20140716074346

07月16日

「私はここに立っております。そうしてあな
た方(がた)はそこに坐(すわ)っておられ
る」
「君たちがいて僕がいる。三谷幸喜がいて渡
辺謙がいる」
「これは事実であります。むずかしい表現法
を用いると、物我対立という事実であります」
「自分にとって存在していると確信できるの
は自分の精神だけであり、それ以外のあらゆ
るものの存在やそれに関する知識・認識は信
用できない」
「それは独我論で、事実とはいえません。私
が、こうやってここに立っており、あなた方
が、そうして、そこに坐ってござると、その
間に距離というものがある。そして、広がり
というものがある。この広がりを空間と申し
ます」
「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空
たり間たり天然居士、噫」

 まず――私はここに立っております。そうしてあなた
方(がた)はそこに坐(すわ)っておられる。私は低い
所に立っている、あなた方は高い所に坐っておられる、
かように私が立っているという事と、あなた方が坐って
おらるると云う事が――事実であります。この事実と云
うのを他の言葉で現して見ようならば、私は我と云うも
の、あなた方は私に対して私以外のものと云う意味であ
ります。もっとむずかしい表現法を用いると物我対立と
云う事実であります。すなわち世界は我と物との相待の
関係で成立していると云う事になる。あなた方も定めて
そう思われるでありましょう、私もそう思うております。
誰しもそう心得ているのである。それから私が、こうや
ってここに立っており、あなた方が、そうして、そこに
坐ってござると、その間に距離というものがある。一間
の距離とか、二間の距離とかあるいは十間二十間――こ
の講堂の大きさはどのくらいありますか――とにかく幾
坪かの広がりがあって、その中に私が立っており、その
中にあなた方が坐っていることになる。この広がりを空
間と申します。(申さなくっても御承知である)つまり
はスペースと云うものがあって、万物はその中に、各
(おのおの)、ある席を占めている。


空間、時間、因果の法則
   2014/7/19 (土) 08:56 by Sakana No.20140719085639

07月19日

「この世界には私と云うものがあり、あなた
と云うものがある。そうして広い空間の中に
いてお互いに芝居をしております」
「芝居か?これは?」
「この芝居が時間の経過で推移して、この推
移が因果の法則で纏(まと)められているの
です」
「なんの因果で、因果の法則なんかみとめな
ければならないのだ」
「この世界では原因があって結果がある──
これが因果の法則です」
「キリストの生誕のように、時には原因がな
くても結果がある」
「その原因は人間の浅知恵では推しはかれま
せん」
「因果の法則は英語ではなんというのか?」
「the law of cause and effectです。それか
らご存じとは思いますが、空間はspace、時間
はtimeです。念のため」

 次に今日の演説は一時から始まります。そうしていつ終るか分り
ませんが、まあいつか終るでしょう。大概は日が暮れる前に終る事
と思います。私がこうやって好加減(いいかげん)な事をしゃべっ
て、それが済むとあとから、上田さんが代ってまた面白い講話があ
る。それから散会となる。私の講話も、上田さんの演説も皆経過す
る事件でありまして、この経過は時間と云うものがなければ、どう
しても起る訳に参りません。これも明暸(めいりょう)な事で別段
改めて申上げる必要はない。最後に、なぜ私がここにこうやって出
て来て、しきりに口を動かしているかと云えば、これは酔狂(すい
きょう)や物数奇(ものずき)で飛出して来たと思われては少し迷
惑であります。そこにはそれ相当な因縁(いんねん)、すなわち先
刻申上げた大村君の鄭重(ていちょう)なる御依頼とか、私の安受
合とか、受合ったあとの義務心とか、いろいろの因縁(いんねん)
が和合したその結果かくのごとくフロックコートを着て参りました。
この関係を(人事、自然に通じて)因果(いんが)の法則と称(と
な)えております。
 すると、こうですな。この世界には私と云うものがありまして、
あなた方(がた)と云うものがありまして、そうして広い空間の中
におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が
時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏(まと)められ
ている。と云うのでしょう。そこでそれにはまず私と云うものがあ
ると見なければならぬ、あなた方があると見なければならぬ。空間
というものがあると見なければならぬ。時間と云うものがあると見
なければならぬ。また因果の法則と云うものがあって、吾人(ごじ
ん)を支配していると見なければならん。これは誰も疑うものはあ
るまい。私もそう思う。


私の正体
   2014/7/22 (火) 08:34 by Sakana No.20140722083455

07月22日

「フロックコートを着て高襟(ハイカラ)を
つけて、髭(ひげ)を生(は)やして厳然と
存在し、『文芸の哲学的基礎』という題名の
講演をしようとしている漱石先生は、私の正
体ははなはだあやしいものだと言って、聴衆
をおどろかせました」
「漱石の正体は妙な顔色をした一寸法師だよ。
『倫敦消息』に<向うから妙な顔色をした一
寸法師が来たなと思うと、これすなわち乃公
(だいこう)自身の影が姿見に写ったのであ
る。やむをえず苦笑いをすると向うでも苦笑
いをする、と書いている」
「それも違います。フロックコートを着て、
高襟(ハイカラ)をつけて、髭を生やしてい
るのが正体ではなく、一寸法師として見える
私も私の正体ではありません。実は、痛いと
か痒いとかいう意識現象の連続が私の正体で
す」
「では、私と称しているものは客観的に目に
見えるものとしては世の中に実在していない
のか」
「ええ、意識の連続して行くものに便宜上、
私と云う名を与えただけですから」
「写真にうつっている私が私ではないとした
ら、たいへんだ。アイデンティティが混乱す
る」
「気(意識現象)をたしかに。しっかりして
ください」

 ところがよくよく考えて見ると、それがはなはだ怪しい。よほど
怪しい。通俗には誰もそう考えている。私も通俗にそう考えている。
しかし退(しりぞ)いて不通俗に考えて見るとそれがすこぶるおか
しい。どうもそうでないらしい。なぜかと云うと元来(がんらい)
この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟(ハイカラ)
をつけて、髭(ひげ)を生(は)やして厳然と存在しているかのご
とくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フ
ロックも高襟も目に見える、手に触れると云うまでで自分でないに
はきまっている。この手、この足、痒(かゆ)いときには掻(か)
き、痛いときには撫(な)でるこの身体(からだ)が私かと云うと、
そうも行かない。痒い痛いと申す感じはある。撫でる掻くと云う心
持ちはある。しかしそれより以外に何にもない。あるものは手でも
ない足でもない。便宜(べんぎ)のために手と名づけ足と名づける
意識現象と、痛い痒いと云う意識現象であります。要するに意識は
ある。また意識すると云う働きはある。これだけはたしかでありま
す、これ以上は証明する事はできないが、これだけは証明する必要
もないくらいに炳乎(へいこ)として争うべからざる事実でありま
す。して見ると普通に私と称しているのは客観的に世の中に実在し
ているものではなくして、ただ意識の連続して行くものに便宜上
(べんぎじょう)私と云う名を与えたのであります。何が故(ゆえ)
に平地に風波を起して、余計な私と云うものを建立(こんりゅう)
するのが便宜かと申すと、「私」と、一たび建立するとその裏には、
「あなた方」と、私以外のものも建立する訳になりますから、物
我の区別がこれでつきます。そこがいらざる葛藤(かっとう)で、
また必要な便宜なのであります。


真にあるものは、ただ意識ばかり
   2014/7/25 (金) 08:35 by Sakana No.20140725083506

07月25日

「あなた方は私を離れて客観的に存在しては
おられません」
「おまえさんの駄文をネットで読んでいる私
は客観的に存在している」
「駄文を綴っている私でさえいわゆる私とし
ては存在していないのですから、いわんやあ
なた方においておやであります」
「私はここにいるぞ」
「あなたはそこにござる。ござると思ってご
ざる。でも証拠がないのです」
「証拠の個人情報はすでに流出している。ほ
しければ、名簿業者から金で買える」
「そんなものはただの紙切れです。あなたの
存在を証明するものではありません」
「それでは名簿業者が困る」
「煎じつめたところが、私もなければ、あな
た方もない。あるものは、真にあるものは、
ただ意識ばかりです」
「唯識論か、それとも唯心論かな」

 こう云うと、私は自分(普通に云う自分)の存在を否定するのみ
ならず、かねてあなた方(がた)の存在をも否定する訳になって、
かように大勢傍聴しておられるにもかかわらず、有れども無きがご
とくではなはだ御気の毒の至りであります。御腹も御立ちになるで
しょうが、根本的の議論なのだから、まず議論として御聴きを願い
たい。根本的に云うと失礼な申条だがあなた方は私を離れて客観的
に存在してはおられません。――私を離れてと申したが、その私さ
えいわゆる私としては存在しないのだから、いわんやあなた方にお
いてをやであります。いくら怒られても駄目(だめ)であります。
あなた方はそこにござる。ござると思ってござる。私もまあちょっ
とそう思っています。います事は、いますがただかりにそう思って
差し上げるまでの事であります。と云うものは、いくらそれ以上に
思って上げたくてもそれだけの証拠(しょうこ)がないのだから仕
方がありません。普通に物の存在を確(たしか)めるにはまず眼で
見ますかね。眼で見た上で手で触れて見る。手で触れたあとで、嗅
(か)いでみる、あるいは舐(な)めてみる。――あなた方の存在
を確めるにはそれほど手数はかからぬかも知れぬが。けれども前に
も申した通り眼で見ようが、耳できこうが、根本的に云えば、ただ
視覚と聴覚を意識するまでで、この意識が変じて独立した物とも、
人ともなりよう訳がない。見るときに触るるときに、黒い制服を着
た、金釦(きんボタン)の学生の、姿を、私の意識中に現象として
あらわし来(きた)ると云うまでに過ぎないのであります。これを
外(ほか)にしてあなた方の存在と云う事実を認めることができよ
うはずがない。すると煎(せん)じ詰めたところが私もなければ、
あなた方もない。あるものは、真にあるものは、ただ意識ばかりで
ある。金釦が眼に映ずる、金釦を意識する。講堂の天井(てんじょ
う)が黒くなっている、その黒い所を意識する。――これは悪口で
はありません。美術学校の天井が黒いと云うのではない、ただ黒い
と意識するので、客観的存在は認めておらん悪口だから構わないで
しょう。


意識の連続を称して俗に命(いのち)と云う
   2014/7/28 (月) 08:43 by Sakana No.20140728084334

07月28日

「意識の連続を称して俗に命(いのち)と云
います」
「意識の連続には血がかよっているとは思え
ないが、命には血がかよっているぞ。熱い血
潮だ」
「意識は推移して行きます。推移と云う意味
がある以上は、問題はよほど込み入ってきて、
いろいろと考えることが出てきます。
(一)意識に単位がなければならぬ。
(二)この単位が互いに消長する。
(三)消長が分明であるくらいに単位意識が
   明瞭でなくければならぬ。
(四)意識の推移がある法則に支配せらるる
   や否や。」
「そんな面倒なことは考えたくもない」
「ここではこれ以上お話する場合ではありま
せんから、皆さまのご研究に一任することに
します。ただし、これら四カ条のうち、(四)
の意識推移の原則については、『文学論』の
第五編 集合的Fに不完全ながら漱石先生の
考えが述べてありますので、参考にしてくだ
さい」

 まずこれだけの話であります。すると通俗の考えを離れて物我の
世界を見たところでは、物が自分から独立して現存していると云う
事も云えず、自分が物を離れて生存していると云う事も申されない。
換言して見ると己(おのれ)を離れて物はない、また物を離れて己
はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致(け
いごういっち)しなければならん訳になります。物我の二字を用い
るのはすでに分りやすいためにするのみで、根本義から云うと、実
はこの両面を区別しようがない、区別する事ができぬものに一致な
どと云う言語も必要ではないのであります。だからただ明かに存在
しているのは意識であります。そうしてこの意識の連続を称して俗
に命(いのち)と云うのであります。
 連続と云う字を使用する以上は意識が推移して行くと云う意味を
含んでおって、推移と云う意味がある以上は(一)意識に単位がな
ければならぬと云う事と(二)この単位が互に消長すると云う事と
(三)は消長が分明であるくらいに単位意識が明暸(めいりょう)
でなければならぬと云う事と(四)意識の推移がある法則に支配せ
らるる やと云う事になりますから、問題がよほど込入って来ますが、
今はそんな面倒な事を御話する場合でないから、諸君の御研究に一
任する事として講話を進めます。もっとも今申した四カ条のうち、
意識推移の原則については私の「文学論」の第五篇に不完全ながら
自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願いたいと思い
ます。ついでに「文学論」も一部ずつ御求めを願いたいと思います。
――とにかく意識がある。物もない、我もないかも知れないが意識
だけはたしかにある。そうしてこの意識が連続する。なぜ連続する
かは哲学的にまたは進化的に説明がつくにしても、つかぬにしても
連続するのはたしかであるから、これを事実として歩を進めて行く。



豹変・矛盾
   2014/7/31 (木) 08:33 by Sakana No.20140731083302

07月31日

「通俗的に考えると、私というものがあって、
あなた方もたしかにおいでになる」
「うむ」
「そうして、お互いに空間という怪しげなも
のの中に入り込んで、時間というわけのわか
らないものの流れに棹さして、因果の法則と
いう恐ろしいものに束縛されて、ぐうぐう云
っております」
「ぐうぐう」
「ところが、不通俗に考えた結果によると、
物我といなどと云う関門は最初からない。天
地すなわち自己というえらい事になりました。
いつの間にこう豹変(ひょうへん)したのか
分らないが、全く矛盾してしまいました」
「漱石はやはり頭がおかしい。誇大妄想狂だ」
「それはあなたが通俗的にしか考えられない
からです。空間、時間、因果律もやはりこの
豹変のうちに含んでいることが、今にだんだ
んわかります」
「誇大妄想の仲間入りはお断りだよ」

 そこでちょっと留まって、この講話の冒頭を顧(かえ
り)みると少々妙であります。最初には私と云うものが
あると申しました。あなた方(がた)もたしかにおいで
になると申しました。そうして、御互に空間と云う怪し
いものの中に這入(はい)り込んで、時間と云う分らぬ
ものの流れに棹(さお)さして、因果(いんが)の法則
と云う恐ろしいものに束縛せられて、ぐうぐう云ってい
ると申しました。ところが不通俗に考えた結果によると
まるで反対になってしまいました。物我などと云う関門
は最初からない事になりました。天地すなわち自己と云
うえらい事になりました。いつの間にこう豹変(ひょう
へん)したのか分らないが、全く矛盾してしまいました。
(空間、時間、因果律もやはりこの豹変のうちに含んで
います。それは講話の都合で後廻しにしましたから、今
にだんだんわかります)


三十分の死
   2014/8/2 (土) 07:06 by Sakana No.20140802070622

08月03日

「なぜこんな矛盾が起こったのでしょうか」
「こんな矛盾とは?」
「よく考えると何もないのに、通俗では森羅
万象が掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充
満しているのです」
「それは命(いのち)、つまり意識の連続が
あったからだ。その講演はたしか漱石が修善
寺で経験したという<三十分の死>の前だね」
「ええ、約三年前ですが」
「修善寺の大患では、強いて寝返りを打とう
とした余と、枕元の金盥に鮮血を染めた余と
は、一分も隙もなく連続しているとのみ信じ
ていたと漱石はいう(『思ひ出す事など』)。
ところが、鏡子夫人によれば、<左様(そう)
じゃありません。あの時三十分計(ばかり)
は死んで入らしったのです>」
「そうでしたね。<其間に入りこんだ三十分
の死は、時間から云っても、空間から云って
も経験の記憶として全く余に取って存在しな
かったと一般である。妻の説明を聞いた時余
は死とは夫(そ)れ程果敢(はか)ないもの
かと思った。そうして余の頭上にしかく卒然
と閃いた生死の対照の、如何にも急激で且没
交渉なのに深く感じた>と書いておられます」
「要するに、死んだら意識の連続はないのだ」
「でも、漱石先生がお亡くなりになってから
百年以上たった今、私たちはその意識の連続
について議論している──ということは、漱
石先生の意識は私たちを媒介して、今なお連
続しているということになりませんか」
「それは真夏の夜の夢だ。室内熱中症に気を
つけよう」

 なぜこんな矛盾が起ったのだろうか。よく考えると何にもないの
に、通俗では森羅万象(しんらばんしょう)いろいろなものが掃蕩
(そうとう)しても掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充(じゅう
じん)している。戸張君ではないが天地前にあり、竹風ここにあり
と云いたくなるくらいであります。――なぜこんな矛盾が起ったの
であろうか。これはすこぶる大問題である。面倒にむずかしく論じ
て来たら大分暇がかかりましょう。私は必要上、ごく粗末なところ
を、はなはだ短い時間内に御話するのであるから、無論豪(えら)
い哲学者などが聞いておられたら、不完全だと云って攻撃せられる
だろうと思います。しかしこの短い時間内に、こんな大袈裟(おお
げさ)な問題を片づけるのだから、無論完全な事を云うはずがない、
不完全は無論不完全だが、あの度胸が感心だと賞(ほ)めていただ
きたい。もっとも時間は幾らでも与えるから、もっと立派に言えと
注文されても私の手際(てぎわ)では覚束(おぼつか)ないかも知
れない。まあちょうどよいのです。


ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 90 91 92 93 94 95 96 97 終了] <照会>
 
「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe