夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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陸にあがった鮒
   2014/4/8 (火) 09:29 by Sakana No.20140408092932

04月08日

「また焦点波動説に戻って、FがF’に推移
する際に暗示の法則が働いている現象に注目
しましょう」
「やれやれ、また出発点に戻るのか」
「私たちがFを焦点に意識する時、これに応
ずる脳の状態はC(Cerebrum)に在りと仮定し
ます。そしてFのF’に推移するとき、Cも
またこれに応じてC’に推移するは疑いよう
がありません。そして、CがC’に推移する
には幾多のS(刺激=Stimulus)が働くので
す」」
「脳の状態Cとか刺激Sとかになると、大脳
生理学の縄張りだ。英文学の先生が口を出す
ような分野ではない」
「陸にあがった鮒のような門外漢だと漱石先
生も自認しておられますが、全章の主意に関
係するので、あえて卑見を述べると断るとい
うのは、奥ゆかしい謙虚な態度です」
「意識は区分して微塵(みじん)の細に至る
とも、遂に脳裏の物質的状態に変ずる能はざ
るは勿論なりとは、文学と科学の境界を心得
ていたようには見える」
「意識Fと脳の状態Cとの関係は、如何なる
精密の変化をも相応作用にて、互に説明しつ
つありとするは当然といはんとするよりは必
然の仮定です」
「必然という言葉を安易に使ってほしくない」

 以上は暗示の方法によつて想像世界に事実
を創造せしむる特別の場合に過ぎずと雖も、
吾人をして暗示の意義を少しく布衍するを得
さしむれば、日常の場合における日常人もま
た不断に暗示を受けて、その意識を変化しつ
つありといふを妨げざるに似たり。
 これを説明するに吾人は再び焦点波動の弁
に帰つてFのF’に推移するの状を考へざる
べからず。専門家ならざる余の、かかる問題
に入るは、好んで水際を離れ轍下(てつか)
に?隅(げんぎょう)するの鮒魚(ふぎょ)
に似たりと雖も、全章の主意に関係あるを以
て、門外漢の理論として、卑見を述ぶるの必
要を認む。吾人がFを焦点に意識する時、こ
れに応ずる脳の状態はC*に在りと仮定し得
べし。而してFのF’に推移するとき、Cも
またこれに応じてC’に推移するは疑ふべか
らず。意識は区分して微塵(みじん)の細に
至るとも、遂に脳裏の物質的状態に変ずる能
はざるは勿論なりと雖ども、両者の関係は、
如何なる精密の変化をも相応作用にて、互に
説明しつつありとするは当然といはんよりは
必然の仮定なればなり。果たして然らばCは
C’を生ずる一の条件にして、而してC’は
F’に相応する脳の状態なるが故に、Cはま
たF’を生ずる一の条件なり。而してCは何
らの刺激(内、外)なくしてC’に移るの理
由なきが故に、F’を生ずる必要条件はCと
S*(刺激)とに帰着すべし。(刺激といふ
が不穏当ならば他の語を代用するを妨げず)。
このSの性質は未定なれども、これを一に限
るの不合理なるを以て、種々なりと推定す。
強弱の度において、性質の差において一様な
らざるSがCを冒すときは、いずれの場合に
おいてもCは一様なる難易の度を以てSに反
動するの理なし。あるSに応ずる事は速かに
かつ強く、あるSに応ずる事は遅くかつ鈍き
事あるべし。ここにおいてかCを以てそれ自
身において断然たる特殊の傾向を有するもの
と見倣すは已(やむ)を得ざるの結論なり。
断然たる特殊の傾向を有するCにして二個以
上のSに選択の自由を有するときは、第一に
尤もその傾向に都合よきSを迎へて、これと
抱合してC’を構成し、C’を構成したる結
果としてF’を意識するに至るべきは必然の
理なり。而して吾人がこの現象世界に住して、
身体臓器の活動を支持する以上は、このSは
外部より内部より種々なる形を以て刻々にC
を冒さんとするは明かなるを以て、CがC’
に推移するまでには幾多のSを却下せざるべ
からず。、幾多のSが却下せられたるとき、
尤もCの傾向に適したる幸福なるSはCを抱
いてC’を生ず。この過程を意識に関したる
語に飜訳すれば、FのF’に推移する場合に
は普通Sの競争を経ざるべからずといふ意義
となる。而してこのSさへも意識的内容を有
する方面より見るを得るが故に、上の命題は
FのF’に推移する場合には普通幾多のF*
の競争を経ざるべからずと変ずるを得。F*
とは焦点に存在するものの意味を有せず、識
末もしくは識域下にあるものをかね称す。か
くの如くFのF’に移るには幾多のF*より
申込みを得て、そのうち尤も優勢なるものも
しくはFの傾向に適したるものを採用するが
故に、この意味において吾人の意識焦点の推
移は暗示法に支配せらるるといひ得べきに似
たり。如何ともなればF’は突然としてFを
追ふて、焦点に上るものにあらず、吾人が明
瞭にこれを意識する前既に暗示せらるるが故
なり。



「鳥が鳴く」→「東の空」
   2014/4/11 (金) 09:11 by Sakana No.20140411091105

04月11日

「有力なるS(刺激)を加へざるときは、F
は自己の有する自然の傾向に随ってF’に移
ります」
「自然の傾向とは?」
「たとえば、一輌の人力車がわたしたちのF
(焦点)に上るとき、わたしたちは習慣の結
果として次には車夫をF(焦点)に置きます」
「人力車? どこにある? 車夫? どこに
そんなものがいる?」
「明治時代にはいたんですよ。平成の現代な
ら一台のタクシーがわたしたちのF(焦点)
に上るとき、わたしたちの習慣の結果として
次には運転手をF(焦点)に置くと考えれば
よいでしょう」
「なるほど、明治と平成とでは集合意識が違
ってきている」
「<鳥が鳴く>の後には必ず<東の空>を思
ひ浮べざるべからず」
「鳥は西の空でも鳴くだろう」
「そう考えるのは、伝統的な和歌の素養がな
いからです。和歌の素養がないのは、車夫馬
丁の類」
「そんな差別用語を使ってはいけない」
「議論が妙な方向に脱線してしまいますが、
問題は暗示です。有力なるS(刺激)を加へ
ざるときは、Fは自己の有する自然の傾向に
随ってF’に移る──これが一般的な暗示の
働きということだけを頭に入れておきましょ
う」

 吾人はCの傾向を仮定し、またSの強弱を
仮定したり、またSの性質に差異あるべきを
仮定したり。Cの傾向を仮定すると同時にF
の傾向をも仮定せざるを得ず。Sの性質の差
異と強弱の程度を仮定すると同時にF’に就
いても同様の仮定を下さざるべからず。これ
らの仮定より出立して吾人は二、三の演繹を
得べく、而してその演繹する所はただに日常
の経験に徴しても事実なるのみならず、その
範囲を狭く文字に限ってその応用を検すると
きは頗る興味ある結論を得るが如し。
 (い)有力なるSを加へざるときは、Fは
自己の有する自然の傾向に随ってF’に移る。
而して自然の傾向とは経験の度を尤も多く重
ねて自己に追陪せるF’に移るといふに過ぎ
ず。換言すれば吾人の意識推移は習慣の結果
によつて連結せられたる内容を、習慣の結果
によつて得たる秩序に排列しつつ進行して、
これを繰り返すを常とするものなり。例へば
一輌の人力車が吾人の焦点に上るとき、吾人
は習慣の結果として次には車夫を焦点に置く
が如し。而して普通人民の意識は常態におい
て特別なるSを受くる事なきが故に、大抵は
この自然の傾向に従つて推移するに過ぎず。
この点において彼らの意識は模擬的に出立し
て約束的に進歩するものといふべし。模擬的
意識と約束的意識とはその内容と順序におい
て一致する事多きが故に一を以て他に代用す
るを妨げざるに似たり。これを文学に応用し
て説明するときその例証は挙げて数ふべから
ず。「鳥が鳴く」の後には必ず「東の空」を
思ひ浮べざるべからずと思惟するものあり。
「この日や」といふとき必ず「天気晴朗」を
随伴するが如し。後段に至つて再びこの問題
に触るる事あるべし。


Fの推移は突飛なるべからず
   2014/4/15 (火) 08:55 by Sakana No.20140415085509

04月14日

「焦点波動説によれば、焦点的印象または観
念FがF’に推移する際に暗示の法則が働き
ますが、その場合、有力なるS(刺激)を加
へざるときは、Fは自己の有する自然の傾向
に随ってF’に移ります」
「そこまではわかった」
「次にFが自己の傾向に従つて尤も容易にF’
に至る場合は尤も抵抗力少なきF’を択んで
これに移るを常とします。つまり、自己の傾
向を害する度の激しくないF’を選ぶのです」
「ごくあたりまえのことをこねくりまわして
難しく説明しているようだ」
「Fの推移は突飛なるべからず。次第なるを
便利とす──というのが結論です」
「しかし、四種の聯想法のうち、1)投出語
法 Projection、2)投入語法 Introjection、
3)自己と隔離せる連想 Dissociationについ
ては、突飛なるべからず、次第なるを便利とす、
で説明がつくが、4)滑稽的連想 Comic 
Associationは、むしろ突飛な連想というべき
ではないか。『吾輩は猫である』のような作品
をどう考えるのか」
「単に推移の便(ある意味に於て)よりいへば
これを例外とする必要なしとす。また、四種の
聯想法においていひ得べき事は調和法にも仮対
法にも、多少の変更を以て、応用し得べきが故
に略す、だそうです」
「論敵を強引にねじふせるような議論だ」
「漱石先生の『文学論』に勇ましく立ち向かう
ような論敵は日本文学史には出現していないの
ではないでしょうか」

(ろ)Fが自己の傾向に従つて尤も容易にF’
に至る場合は(い)なりと雖も、然らざる場
合に在つては尤も抵抗力少なきF’を択んで
これに移るを常とす。即ち多き暗示のうち、
自己の傾向を害する度の激しからざるF’を
択んでこれに焦点を譲るとの意なり。自己の
傾向を害する度の激しからざるものは、その
性質のある部分において、自己と接触するも
のなるべしとは当然の推論なるが故に、Fの
移るべきF’は何らかの点においてFと類似
せるものなるべしと予想するの誤りならざる
を知る。(かの能才的意識と模擬的意識の関
係は(い)と(ろ)の関係に似たるは読者の
認むる所なるべし)。FとF’が類似するの
推移に便なるを知るとき、吾人の先に述べた
る文学的手段と号するものの、何が眞に必要
にして、何が故に作家の脳裏に浮び、何が故
に読者に快感を与ふるかの問題は自から解釈
せらるるを見るべし。吾人は文学的手段とし
て首(はじめ)に四種の連想法を述べたり。
而してその特性を検するに一種のF’を籍(か)
り来つて既与性のFを説明するに過ぎず。説
明とは如何なるFの部分を説明するやを知ら
ずと雖ども、これを説明し得る以上はF’な
る材料の、ある意味においてFに類似せるは
疑ふべからず。類似する以上はFの傾向に対
して抵抗力の少なくして、Fの尤も推移し易
き状態の一ならざるべからず。ここにおいて
か吾人がこれらの手段に訴ふるの意義は単に
FにF’を加へてその効果を大ならしむるの
みにとどまらずして、推移に便なるが故にこ
れを順次に排列せりともいひ得べきなり。
(第四種の聯想法は音便に因つて排列せらる
るのみなるを以て、その効果は性質において
前三者と大に趣を異にするは先に述べたるが
如しと雖ども、単に推移の便(ある意味に於
て)よりいへばこれを例外とする必要なしと
す)。四種の聯想法においていひ得べき事は
調和法にも仮対法にも、多少の変更を以て、
応用し得べきが故に略す。吾人はここにおい
て一の結論に達す。結論に曰くFの推移は突
飛なるべからず。次第なるを便利とす。この
結論の如何に時勢の消長を支配するか


読者の便宜
   2014/4/17 (木) 08:24 by Sakana No.20140417082430

04月17日

「こんどは(は)ですが、<余は(ろ)の場
合を説明するに四種の聯想法及び調和法を用
ゐたり。今(は)の場合を解釈するに、同じ
く、余の所謂文学的手段のあるものを挙げて
これを例するは、両者の関係を知るの点にお
いて読者の便宜なるを信ず>と、漱石先生は
言っておられます」
「読者の便宜を考えてくれるのは有難いが、
親切な説明とはいえない。こんな難解な講義
を聞いて理解できた学生が当時の東京帝国大
学英文学科の学生にはいたのだろうか」
「さあ、鈴木三重吉や森田草平にはムリでし
ょうが、中川芳太郎は理解していたかもしれ
ません。講義を出版する話がきまったとき、
漱石は中川芳太郎に、講義草稿など<一切の
整理>をゆだねています。でも、中川原稿は
気に入らず、最後の三分の二(第四編第六章
のなかば)以降は、漱石先生自身が全面的に
書き直したそうです」
「全面的に書き直したために、かえってわか
りにくくなったのではないか。『文学論』は
中川原稿に基づいた最初の三分の二のほうが
わかりやすい」
「『文学論』は読み進むに従つて読みやすく
なると亀井俊介先生は解説で述べておられま
すよ」
「頭が痛くなった。今回の引用箇所が読みや
すいという読者はよほどの能才か天才だ」
「あきらめないで、理解につとめてください」

 (は)Fに一定の傾向あるとき、全然この
傾向に従つて(い)の発展なす能わず、また
は幾分かこの傾向を満足せしめて(ろ)の発
展をなす能はずして、無関係なる、もしくは
性質において反対なるF’に推移する事あり
とせんに、このF’はFの傾向を無視するの
点において、しかく強烈ならざるべからず。
然らずんばFの発展逓次に巡行してその勢の
自ら消耗するを待たざるべからず。(一)の
場合を想像するに常住坐臥の際、談笑歓楽の
時、試みにわが意識の連続せる波動をとつて
検すれば、朝を夕をその例は得るに難からず。
その(い)もしくは(ろ)に比していずれが
多きかに至つては固より個人の資性に待つ事
大なりと雖ども、心身の活動に富めるものは
老巧退嬰の人に比して比較的この種の推移を
敢てするが如し。而してこの推移の前後を構
成するFおよびF’に即していふとき、その
一般に共通にして何人をも支配すべきはFと
F’とがある意味において対照せる場合とす。
他の点を同じと見るときF’F’’F’’’
・・・FN中に在つて尤も強烈なる刺激を与
ふるものはFと対照を構成するF’ならざる
べからざる故なり。(ろ)に在つては類似の
性質を帯ぶるがためFの傾向に逆ふ事なくし
て焦点に上れるもの、この場合に在つては全
くその趣を異にして、これと対照の性質を帯
ぶるがため・・・その刺激の尤も著しきがた
め・・・Fを不意に襲ふて、その根拠を領し
F’となるに至る。一代時運の推移における
この種の消長は暫らくいはず、しばらく文学
中において卑近の例を挙げてこれを証するは
余の責任なり。余は(ろ)の場合を説明する
に四種の聯想法及び調和法を用ゐたり。今
(は)の場合を解釈するに、同じく、余の所
謂文学的手段のあるものを挙げてこれを例す
るは、両者の関係を知るの点において読者の
便宜なるを信ず。余は文学的手段の第六にし
て対置法を説き、対置法を分つて強勢法、緩
和法、仮対法、不対法の四種を区別せり。仮
対法は(ろ)に属するを以てここに論ずるの
必要なしと雖ども、強勢法及び不対法(殊に
強勢法)に至つては、全くこの推移法に基き
たる手段に外ならずといふも不可なきが如し。
強勢法の主意はFの後にF’を置いて、対照
によりて後者の価値を大ならしむるを目的と
すと雖ども、その価値を大ならしむる所以の
ものはその刺激の強きがためにあらずんばあ
らず。而してその強きがF’のFを圧倒する
源因なりといはざるべからず。不対法に至つ
ては多少その趣を異にすと雖ども大体におい
て同様の論旨を以て評釈し得べきが故に煩を
避けて贅せず。


意識推移の原則──整理
   2014/4/20 (日) 08:54 by Sakana No.20140420085440

04月20日

「第二章 意識推移の原則 の説明は論旨が
ごちゃごちゃしてわかりにくい」
「それは頭がわるいからです」
「漱石だって頭がわるくなったことがあると、
鏡子夫人が証言しているが、第二章は(一)と
(二)、そして、(い)(ろ)(は)の構成が
支離滅裂だ。論理的な構成になっていないので
はないか」
「でも、英訳されているのですから、もちろん
論理的な文章です。少なくとも訳者には理解で
きたのですから。原文が理解できないときは、
英訳を参考にしましょう」
「英語も難しい。わるい頭の学生にもわかるよう
に要点を整理した上で、説明してくれ」
「おおまかにいって、こんなところではないかと
私は思います。
 意識推移の原則
  (一)暗示の法則
  (二)仮定より得た演繹──興味ある結論
    (い)自然の傾向 FとF’
    (ろ)類似性   FとF’
    (は)対照性   FとF’」
「仮定より得た演繹とはどういう意味だ」
「面倒見きれないな。原文と英訳をじっくり読め
ばわかりますよ」

c. When F has a certain tendency but is unable to develop in accordance with
this tendency in the manner of (a) and and also unable to develop in a way
that satisfies some but not all of its inherent tendencies in the manner of 
(b), it may transform into an F' that is either unrelated to or in opposition
to its own nature.Given that this new F' has completely ignored the tendency
of F, it must be very forceful indeed. If it is not so powerful, it must wait
until the development of F gradually loses momentum of its own accord. We can
easily find examples of (1) by examining any section of the continuous waves
of consciousness of our daily lives, whether we are laughing and enjoying 
ourselves, be it during the day or during the night, Whether associations in
the manner of (a) or of (b) are more or less numerous, will depend on the
particular disposition of the individual, but it seems that people whose
physical and mental activity is vigorous are comparatively more prone to (c)
than those who are old and infirm. The F and the F' that form the initial
and final phases of this type of transformation are contrasted, in a certain
sense, with the F and F' that one finds in the general populace. If all other
points are the same in the transformation from D to F', F'', F''', and onto Fn,
it is the contrast between F and F' that will provide the great stimulus to
change. In the case of (b) F' comes to consciousness because it is similar to F
and provides kittle resistance. But in the present case things are very 
different since F' contrasts highly with F and exercises a powerful
stimulus; it attacks F by surprise and occupies its place to become F'. I will
for the moment leave aside the question of how this works on the level of
history and set it as my task to provide a couple of familiar examples from
literature. In my explanation of (b) above, I mentioned as examples the four
types of literary association and harmony. I hope it will be helpful to the
reader to understand the relation between the two if I follow the same method
here and draw examples of literary techniques to explain what is going on
in the case of (c). "Counterposition" (taichihou) was the sixth literary 
technique I listed above, which I further divided into emphasis, softening,
contrast, and incongruity. Because contrast [katsuiho] properly belongs to
(b) in our current discussion, I will not consider it here. But emphasis
and incongruity [futsuiho](particularly emphasis) are based in precisely
this kind of association. The main point of emphasis is to place an F' after
F and to magnify the value of the former through contrast. however, because
it it is the strength of the stimulus that must thus magnify the value, the
force of the stimulus must be the cause of of overwhelming F. In other words,
the force of the stimulus facilitates the transition from F to F'. The same can
be said, with a few minor differences, about incongruity, and so I will
spare the reader any further analysis here.    


頓悟
   2014/4/23 (水) 08:54 by Sakana No.20140423085422

04月23日

「FからF’への意識推移の原則で、(二)
仮定より得た演繹(?)の場合、Fの発展逓
次に進行してその勢力の自ら消耗するを待つ
べしとの仮定なれば、厳密に論ずるとき問題
にならざるが如し」
「またわけのわからんことを言う。自分で何
を言っているかわかっているのか」
「禅に頓悟なるものあり。自ら悟りに近づき
つつ、自ら知らず、多年修養の功、一朝機縁
の熟するに逢ふて、俄然として乾坤を新たに
すと」
「豚が悟りをひらくことを豚悟という」
「この種のFからF’への意識の推移は、表
面は突然の反動のように見えますが、内実は
徐々の推移です。反動は突然なるものにあら
ずして次第ならざるべからざるものなり」
「もういい。わかった」
「いいえ、そう簡単にはわかりません。
先に文学的手段として述べた対置法中の緩和
法は略(ほぼ)この種の推移をあらはすもの
ですから、もう一度、緩和法を復習しておい
てください」
「頓悟。豚悟。了解」

(二)の場合は厳密に論ずるとき問題になら
ざるが如し。如何となれば無関係なるもしく
は反対なるF’の、Fに代わらんとするとき、
Fの発展逓次に進行してその勢力の自ら消耗
するを待つべしとの仮定なればなり。Fの発
展逓次に進行すとはFのAたりBたるを意味
するが故に、FのF’に推移する中間には幾
多のA、B、・・・の横たはるありて両者を
直接の推移と見なし難ければなり。然れども
少しく観察点を変じて、これを他方より解す
るとき、事実としてこの場合は吾人の思考に
値するものとす。Fが自己を消耗すると仮定
する以上はFの推移を意味するに似たりと雖
も、Fは依然として焦点を動かざるに、F’
は徐々(ゆるゆる)と識域下より識末に出で、
識末より漸次に焦点に向つて上りつつあると
仮定すれば、両者の関係は結果より見て同一
なりといふを得べし。禅に頓悟なるものあり。
その説をきくに自ら悟りに近づきつつ、自ら
知らず、多年修養の功、一朝機縁の熟するに
逢ふて、俄然として乾坤を新たにすと。この
種の現象は禅に限るにあらず。吾人の日常生
活において多く遭遇し得るの状態ならざるべ
からず。(吾人はとくに禅においてこの特別
の権利を附与するの理由を認めざるが故に)、
ただ変化の至るまで内に昂揚しつつある新意
識を自覚する能はざるが故にこの種の推移に
逢へばこれを突然といふ。表面は突然なり。
されども内実は次第なり。徐々の推移なり。
一代の時勢に即(つ)てこの種の推移を名づ
けて反動といふ。この解釈に従へば反動は突
然なるものにあらずして次第ならざるべから
ざるものなり。時勢として見たるFの推移は
今詳論するの要なし。先例に従つて文界の一
局部にあらはるる現象を以てこれを例せんに、
先に文学的手段として述べたる対置法中の緩
和法は略(ほぼ)この種の推移をあらはすも
のなり。緩和法はFにF’を加えて前者の勢
を削ぐに外ならず。勢を削ぐはFの過重なる
を示す(Fの動かざるとき)もしくはFの極
度なるを示す(Fの動くとき)。Fの過重な
るときはこれに対照するF’は急速度を以て
次第に焦点にせまり、Fの極度なるときはこ
れに対照せるF’はその度に応じて次第に焦
点にせまるが故に、Fの自己を消耗するの結
果に至つては同一なりとす。ここにおいて緩
和法は単に緩和の効果を有するのみならず、
Fの推移上尤も便利なる組織の一となる。



聯想か写実か
   2014/4/26 (土) 08:48 by Sakana No.20140426084808

04月26日

「第二章 意識推移の原則 は解読に難渋し
ましたが、そろそろ、まとめたいと思います」
「そもそも、集合意識の推移を究めんと欲し
た余とは何者ぞ」
「くどいようですが、もう一度、おさらいし
ます。すでに説明した文学的手段(文芸上の
真を伝える手段)のうち、
 1)投出語法
 2)投入語法、
 3)自己と隔離せる聯想
 4)滑稽的聯想
 5)調和法
 6)対置法
   a)緩勢法
   b)強勢法
       [附」仮対法
   c)不対法
を応用すればFからF’への聯想により意識
の推移は表現できます。ただし、7)写実法
は違います。Fを説明するににF’を以てす
ることはできません」
「すると、文学的手段は大きく分けて、聯想
か写実か、と理解してよいか?」
「さあ、それでよいと私は思いますが、漱石
先生は何とおっしゃるでしょう」

 余は集合意識の推移を究めんと欲して、先
ずその基礎たるべき波動の原則に帰ってその
推移の法則を明らめ、かつこれを証するに余
が所謂文学的手段を以てしたり。而して余の
挙げたる表現法は悉くこれをここに応用し得
るを発見せり。ただし最後の写実法に至つて
はFを説明するにF’を以てする──両材料
を合して成る──方法にあらざるを以て、遂
にこれを利用するの機なかりき。推移とは少
なくともFとF’の二状態を得ざれば論ずる
能はざる題目なるが故なり。
 この章において吾人の得たる推移の法則を
一括すれば左の如し。
(一)吾人意識の推移は暗示法に因つて支配
   せらる。
(二)吾人意識の推移は普通の場合において
   数多の<F>の競争を経。(ある時は
   FとF’の両者間にも競争あるべし)。
(三)この競争は自然なり。また必要なり。
   この競争的暗示なき時は
(四)吾人は習慣的にまた約束的に意識の内
   容と順序を繰り返すに過ぎず。
(五)推移は順次にして急劇ならざるを便宜
   とす。(反動は表面上急劇にして実は
   順次なるものなり)。
(六)推移の急劇なる場合は前後両状態の間
   に対照あるを可とす。(対照以外にこ
   れと同等なるまたは同等以上の刺激あ
   るときはこの限りにあらず。


天命の二字
   2014/4/29 (火) 08:22 by Sakana No.20140429082232

04月29日

「焦点波動の説は私たちの意識の一分時につ
いてだけでなく、個人の生涯についてもいえ
る。時を同じくする個人と個人の相互意識に
ついてもいえる。さらに、この時を同じくす
る相互意識が集合した大意識は時の流れを沿
って推移しつつ、永劫の因果を発展する──
実に気宇壮大な説ですね」
「いくら気宇壮大でも今のところは(百年が
推移した今も)仮定にすぎない。小保方晴子
博士が万能細胞(スタップ細胞)は実在しま
すというようなものだ」
「でも、この仮定の非なる時──事実の証明
がこの仮定を現実世界に否定する時、余の理
論は根本より覆ると漱石先生は謙虚にみとめ
ておられます」
「それなら、盤上更に一子を下すの余地ある
なし」
「しかし、わが仮定の事実を去る事遠からず
を知るや、本章の原則は浩蕩たる過去の歴史
に応用して憚らざらん、です」
「事実を去る事遠からずをどう証明してくれ
るのか」
「過去の歴史は所謂天命の二字を蔵していま
す」
「ははあ、なるほど。そこで則天去私に結び
つけようとする焦点的意識Fの働きが見えて
くる」


 焦点波動の説は吾人意識の一分時に就てい
ふを得べく、一分時に就ていふを得べきもの
は、一時一日に就ていふを得べく、一時一日
に就ていふを得べきものは一歳にわたり、十
年にわたり、個人の生涯を通じていひ得べし
とは吾人の仮定なり。個人の生涯を縦貫せる
推移に就ていひ得べきは、時を同うせる個人
と個人を横貫して相互意識の推移に就てもい
ひ得べしとはまた吾人の仮定なり。最後に時
を同うせる相互意識の集合せる大意識がこう
養たる時の流れを沿ふて百年を下りて推移し
つつ永劫の因果を発展するもまたこの理に悖
(もと)らずとは吾人の既に巻首において、
扁額において仮定せる所なり。この仮定の非
なる時──事実の証明がこの仮定を現実世界
に否定する時、余の理論は根本より覆るが故
に、盤上更に一子を下すの余地あるなし。た
だ刻々これを方寸の霊台に検し、或は年々に
して自他の経路を顧み、或は進んで一代の精
神に察し、更に眼孔を大にして、過去の歴史
を繙いて、時運消長の跡を尋ね、而してわが
仮定の事実を去る事遠からざるを知るや、余
は前段において得たる原則を、わが一生に応
用し、遂に一代を重ねて不可思議に運行する
浩蕩たる過去の歴史──幾億の群衆が、各自
に活動すると共に一段に推移して、恐るべく、
抗しがたき勢の渦中に所謂天命の二字を説明
する過去の歴史──に応用して憚からざらん
とす。


原則の応用(一)
   2014/5/2 (金) 08:54 by Sakana No.20140502085434

05月02日

「では第三章 原則の応用(一)に進みます。
意識推移の原則についてはこれまでに説明し
ましたが、この原則の一つを事実に応用して、
集合意識の推移を例証しましょう」
「原則の一つではなく、二、三を事実に応用
してと漱石は書いている」
「英訳されているのは一つだけですから、そ
れでいいことにしましょう。あとは自習して
ください」
「原則の応用は文学という局部に限ると理解
していいんだな」
「『文学論』だから、一応はそうですが、時
に人間活力のあらゆる発展に及ぶことになり
ます」
「この意識推移原則の応用範囲が人間活力の
あらゆる発展に及ぶとしたら、文学の応用範
囲も人間活力のあらゆる発展に及ぶのだろう
か」
「それは、及ぶでしょうね」
「人間活力の減退した後期高齢者にも及ぶだ
ろうか」
「そんな高齢化社会の問題は四十九歳でお亡
くなりになられた漱石先生に聞いてもわかり
ません」

 前章において得たる原則の二、三を事実に
応用して、集合意識の推移を例証するはこの
章の目的なり。例証はこれを個人に取り、ま
た一代に取る。論ずる所文学にあるを以て、
これをこの局部に限る事多しと雖も、時に人
間活力のあらゆる発展に及ぶ事あり。敢えて
混雑を憚らざるにあらず。彼此相通ずるは応
用の範囲独りここに止まらざるを示すの意あ
り。


批評家の義務
   2014/5/5 (月) 07:33 by Sakana No.20140505073342

05月05日

「漢詩を取つて西詩に比するとき何人もその風
韻の差を認めざるはあらず」
「風韻の差? 漢詩と西洋の詩が違うことは
わかるが、どちらがすぐれているかわからん。
漱石はやたらに漢詩をつくっているが、漢詩
のほうが風韻が上だと思っていたのだろうか」
「優劣を問うているのではありません。漢詩
と西詩の違いがわからない人はいないはずと
いう意味だと思います」
「違いのわからない馬鹿もいるよ」
「もし万一の人あつて両者の差を認めずとい
はばこれ詩を評する人にあらず。かねて詩を
読む人にあらず──批評家の資格がありませ
ん。批評家の第一義務をご存じですか」
「考えたこともない」
「この場合、漢詩と西詩の特色を明瞭に意識
することが批評家の第一義務です」
「批評家の特色は無責任だ。義務なんか負わ
されてたまるか」
「義務を負わなければ、言論の自由を失いま
すよ。この特色を明瞭に意識したる後、これ
を一期前の特色に比し、これを一期後の特色
に比し、始めてこの特色の位地と、この特色
のある意味においての価値と、特色の推移に
就て一部分の実則とを知るを得。これを批評
家の第二義務とす]

 暗示は自然なりまた必要なり。一般の歴史
を読むとき吾人はある一代の活力発展に異様
の特色あるを認むべし。単に一般の歴史のみ
ならず、文学史においても此の現象の顕著な
るは疑ふべからずの事実なり。(個人として
の文学者を見るまた如是観を失はず)。ある
時期(もしくはある作家)は比較的感覚材料
に富んで、作家自然の美を発揚するを以て文
学の性命となす事あり。或は人事的材料の優
勢にして、黄巻青帙悉く忠孝の譚ならざるは
なきほどに他を圧倒し去る事あり。或は超自
然の流行に心を奪はれて、神異怪奇の趣なき
ものは、目して文芸と認められざるに至る事
あり。或は一縷の哲理を彼是の交渉に託して、
機微の眞を断蓬の変に寓せざれば作品にあら
ずと思惟する事あり。これらは固より粗枝大
葉の別に過ぎず。もしそれ複雑にして賭易
(たや)すからず、陸離として捕へ難きもの
に至つては、読者評家ただその特色を認識す
るのみにして、これを口にする能はず、これ
を口にして徹底なるなる能はず、徹底にして
簡明なる事能はず、徒にてんちゅん願望して
遂に胡乱の言辞をなすに至る。然れどもこれ
評家読者の罪にして、時代に特色なきの故に
あらず。特色は明かならざるに拘はらず、彼
らの脳裏に自覚されるが故なり。水に浸した
る地図に対して山村水かくを髣髴するが如く
模糊として眸中に落つるが故なり。漢詩を取
つて西詩に比するとき何人もその風韻の差を
認めざるはあらず。ただ汝が認めたるものを
出してこれを汝が掌上に指せと命ぜられたる
時ししょして(立ち止まり)じょうじゅ(口
をもぐもぐ)するに過ぎず。もし万一の人あ
つて両者の差を認めずといはばこれ詩を評す
る人にあらず。かねて詩を読む人にあらず。
彼らの不具は色盲の度を超えて失明の境に入
ればなり。故に曰くこの種の特色は明暗一な
らず、繁簡差なきにあらず、難易同じからず
と雖ども、必ず存在せざる事なしと。(この
特色を明瞭に意識するは批評家の第一義務な
り。この特色を明瞭に意識したる後、これを
一期前の特色に比し、これを一期後の特色に
比し、始めてこの特色の位地と、この特色の
ある意味においての価値と、特色の推移に就
て一部分の実則とを知るを得。これを批評家
の第二義務とす。


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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