夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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波動の曲線
   2014/2/7 (金) 08:19 by Sakana No.20140207081917

02月07日

「私たちの意識は朦朧たる識末に始まって、
明晰なる頂点に達し、それからまた茫漠の
度を増して、識末から識域に到達する──
この波動の繰り返しです」
「それはもう何度も聞いた。わかっている」
「無→朦朧→明晰→茫漠→無、です」
「つかのまの、はかない明晰のFよ」
「aとbとcという少なくとも三個のFが
想像できますが、そのうちaは朦朧、cは
茫漠、したがって、明晰なのはとりあえず、
bだけということになります」
「次の瞬間には、aが明晰となり、bは茫
漠となる。行く波の流れは絶えずして、し
かももとの波にあらず。諸行無常。ゴーン。
誰がために鐘は鳴る」
「イングリッド・バーグマンのために」
「そんな女優の名前、もう誰も知らないだ
ろう」

 吾人の意識の特色は一分と、一時と、一年
とに論なく朦朧たる識末に始まって明晰なる
頂点に達し、漸次にまた茫漠の度を増して識
末より識域に降下す。かくして一波動の曲線
を完ふせる時、また以上の過程を繰り返して
再度の一波動を描く。波動は生命の続く限り、
社会の存する限り曲線を描いて停止する所な
し。この故にFは必ず推移を示す。(活動な
きFを想像するとき、吾人は記憶の観念を離
れざるを得ず。ただ一Fにとどまつて左右を
顧み前後を連結する能はざるを以て、吾人と
Fとは合して一となる。而してその一たる事
をすら認識する能はず)。推移すべくFを相
するとき、吾人は少なくとも連続せる三個の
Fの状態としてaとbとcとを想像せざるを
得ず。今一時代の集合的意識(模擬的)を以
てbにありとせば、これに先立てるaは識域
の近傍にほのかに幽かなる影を存するに過ぎ
ざるべし。同時に次に来るべきcの状態は識
域下より起つて漸次にこの頂点を奪ふべく、
冥々のうちに準備を整へつつありと仮定する
を得べし。換言すればbは今意識の頂点を専
領すれども、驕る平家の久しからざるに似て、
早晩cに天位を譲るべき運命を有して頂点を
下らざるが如し。この故にbの傾向は漸次に
cに変化しつつ意識の内容を形づくつて進行
す。この時に当つて天下大衆のFは大抵同方
向に動くが故に、一歩早く動けるものは一歩
早く大衆の到着地cに達するを得。二歩早く
動けるものは二歩早く大衆の到着地cに到着
す。



欠伸を意識する能才
   2014/2/10 (月) 09:20 by Sakana No.20140210092028

02月10日

「文学論の講義は退屈ですね」
「はじまってからすでに八年目だ。倦厭の情
を催すのも無理はない」
「飽きないように、遊び半分でやっているの
ですが、八年もたってまだ卒業できないよう
では、能才とはとてもいえませんね」
「機縁未だ熟せず。欠伸の悟りを開く能はざ
れば碌々として最終の嘲を受けざるを得ざる
が如し」
「どうせ私のFは模擬的Fです」
「いや、今ごろになって、欠伸(あくび)を
するのは大人物かもしれない」
「もしかしたら天才的F?」
「天才のはずはない。第四の珍才的Fか」

 能才的Fは大衆に先だつ事十歩二十歩にし
て、大衆の到着すべき次回の焦点に達し、顧
みて大衆を*(さしまね)くを常とす。後
(おく)れたる大衆は後れたるを忌んで、半
途に踵(かかと)を回(めぐ)らして他の焦
点に方向を転じずる能はず。bの傾向として
遅速を論ぜずcに推移せざるべからざる運命
を有すればなり。譬(たと)へば品川に至る
に電車と徒歩とを以てするが如し。品川に至
らざるべからざるは条件なり。電車に及ばざ
るが故に品川に至らずと主張せば当初の条件
を無視するのみ。この故に能才の意識的波動
は一波動づつ天下の公衆に先んずるを例とす。
この波動の不並行は時によりて自覚的に苦慮
計画の余より出づる事なきにあらずと雖も、
多くの場合において心身の因果に束縛せられ
たるの意義に過ぎず。例へば講堂に講義を聴
くに際し、講義の題目、講述の巧拙、堂外の
天候、室内の空気は一様に学生を影響して、
彼らをして倦厭の情を催ふさしむる事あるべ
し。この際において倦厭は一般聴講者の到着
すべき必然の運命なれども、到着の遅速に至
つては予(あらかじ)め計り知るべからず。
最初に欠伸(あくび)を意識する能才も、能
才を欠伸の上に発揮せんがために他の聴講者
に先んじて、倦厭の波動を一順繰り越して、
欠伸の意識を明かに焦点に安置するの理由な
きなり。これと同じく最後に欠伸の番に中
(あた)るものまた必ずしも凡材を以て甘ん
ずるにあらず。欠伸の模擬さへ人後に立つを
恥ずるやも知るべからずと雖も、如何せん機
縁未だ熟せず、欠伸の悟りを開く能はざれば
碌々として最終の嘲を受けざるを得ざるが如
し。



機を見るに敏なるの士
   2014/2/13 (木) 07:48 by Sakana No.20140213074820

02月13日

「能才的Fの持主は機を見るに敏なる士です」
「日露戦争のとき戦後工業の勃興を予知して
多大の株を買って成金になるような人物──
というと、『吾輩は猫である』の金田のよう
なタイプを連想する」
「でも、金田は寒月さんを婿にする計画では
失敗しました。金儲けでは機を見るに敏であ
っても趣味の上に立つ文学では成功しません。
人情の機微に通じている必要がありますから」
「文学で成功した能才的Fの例がバイロンと
キップリングとは意外な組み合わせだ。バイ
ロンは天才詩人ではないのか」
「一朝酔眼を摩して臥床に、わが知名の士な
るを発見せり、というと天才のような印象を
受けますね。一方、印度の小話で名を得たと
いうキップリングは能才的Fといってよいで
しょう」
「かの有名なるColleliという人物もいる」
「<かの有名なる>は漱石先生の皮肉です。
Colleliは模擬的Fの代表で、ちっとも有名
ではありません」

 能才的Fは模擬的Fの必ず到着すべき点に、
模擬的Fより先に到着するが故に、数におい
て後者に及ばざる事遠しと雖も、漸次にこれ
をわれに吸収するの点において、却つて後者
に勝る勢力を有するものとす。世俗この種の
人物を評して、機を見るに敏なるの士となし、
或は時勢を達観するの才といふ。蓋し世評の
ちには偶然に先だてるものと、有意に進める
ものとを区別せざるが如し。而して前者の比
較的多きは猶更想到せざるが如し。日露戦争
のとき戦後工業の勃興を予知して多大の株を
買収して千万円の富を致せるものあり。これ
明かに、この種のFを有するものなり。ただ
商売上の事は、考慮計営の余に成るのみなら
ず、多くの危険を賭せざるべからざるが故に、
詩人の詩を作り、文人の文を草するとは大に
趣を異にするものあり。創作の士は趣味の上
に立つ。趣味は思索にあらず。時好と流行と
自己と相接触して、一尊の芳醇自から胸裏に
熟するとき、機に応じて馥郁を吐くのみ。而
して自ら知らざる事多し。もし内に酵醸する
所なくんば、知を用ゐる事周到、計をめぐら
す事綿密、企画悉く有理にして、以て天下の
好尚に先んぜんと欲するも、知の命ずる所に
向つて筆を走らし、計の定むる辺にあたつて
句を着する事難きが故に遂に失敗に終るは明
かなり。能才的Fにして文壇に成功せらるも
の古来挙げて数ふべからず。Byronは一朝酔眼
を摩して臥床に、わが知名の士なるを発見せ
り。Kiplingの印度の小話によつて名を得たる
もこの類なり。(かの有名なるColleliの文界
に勢力あるが如きは大にこれと趣を異にす。
その勢力あるは一般の集合F、即ち模擬的意
識を有するものを読者として多数の歓迎を受
くるに過ぎず。この故に読者愈(いよいよ)
多くしてその作愈庸俗なり)。


第三の意識
   2014/2/16 (日) 12:01 by Sakana No.20140216120107

02月16日

「第三の意識を天才的Fと名づけます」
「映画で第三の男を演じたのはオーソン・ウ
ェルズ、三文作家を演じたのはジョセフ・コ
ットン、原作はグレアム・グリーン、監督は
キャロル・リード」
「映画について論じているのではありません。
文学です」
「三文作家のジョセフ・コットンがウィーン
で講演を依頼されて、<意識の流れ(stream 
of consciousness)について質問され、"Stream
of what?"と聞き返すところが面白い」
「それは原作者のグレアム・グリーンが意識
の流れの高級な文学をからかったのです」
「ではグレアム・グリーンは天才なのだろう
か」
「天才ではなく、能才でしょう」
「なぜだ?」
「私見によれば、天才は夭折しなければいけ
ませんが、グリーンは87歳まで生きました」
「すると、漱石も天才ではないということに
なる」
「享年49、微妙なところですね」

 (三)第三の意識を名(なず)けて天才的
Fといふ。もし実質に就いて天才のFと能才
のFを区別せよと命ぜられたる時、何人もこ
れを明瞭に定め得るものなかるべし。ただ余
は以下の形質を帯ぶるものを一括してこれに
名づくるに天才的Fの称を以てしたるのみ。
(読者能才Fと天才Fの用語に拘泥して無用
の葛藤を胸裏に描くなくんば可なり)。
 能才的Fの社会に歓迎せられて成功の桂冠
にその頭を飾るに反して天才的Fは声誉を俗
流に擅(ほしいまま)にする能はざるのみな
らず、時としては一代の好尚と相反馳して、
互に容るる事能はざるの不幸に会す。大声は
俚耳に入らずといひ、豚児に真珠を抛(なげう)
つといひ、馬耳に東風といふ。皆天才的Fの
庸衆と<はる>かにその撰を異にせるを示す
ものなり。吾人は再び焦点意識の波動説に従
つて、この種のFの他と並馳せざる所以を究
めざるべからず。


天才的Fの失敗
   2014/2/20 (木) 07:27 by Sakana No.20140220072713

02月19日

「天才的Fの意識は先に進みすぎて大衆がつ
いてきません」
「理解されず、不遇のままに終わるおそれは
ある」
「その理由は、人間には同類が群れたがる傾
向があり、同類中にあって、もっとも縁故の
遠いものを排除しようとするからです」
「とすると、天才はあらかじめ天才的Fへの
圧迫を緩和し、失敗を回避する手段を講じて
おかなければならない」
「漱石先生はそのように考えられたはずです」
「天才が失敗しないような対策を講じていた
とはずるい。天才の風上にもおけない」
「実生活で失敗するのはただの天才にすぎま
せん。漱石先生は意識波動の原理を文学論に
応用した超天才です」

 模擬的意識のFに留まつて咫尺(しせき)
の先を闇黒に控へたる時に当つて、能才の脳
裏には、Fの将に推移すべき次期のF’を胚
胎しつつあるは前節に述べたるが如し。今能
才がF’を予想しつつあるに当つて、既にF’
を焦点に意識するものありとせばこの人は能
才よりも一歩の早きに時勢を覚知するものな
り。ただにF’を意識するのみならず、次期
のF’’を予想し、予想するのみならずこれ
を意識し、更に進んでF’’’に及び、──
F’’’に安んぜずしてF’’’’に至り、
遂FNに行き得るものありとせば、この人は多
数の民衆がFに固定せる間に、少数の能才が
F’を予想しつつある間に、既に幾多の波動
を乗り超えてFNに馳け抜けたるものなり。
FNはFの早晩達すべき駅路なるはいふも待た
ずと雖ども、現在のFを有する多数より判断
すれば、その間隔の余りに遠きがために、そ
の現在意識の周囲を四顧してFNの影を認むる
事能はざるを以て、これを評価する能はざる
のみならず、かつこれを排斥せんとす。同類
は相衆(あつま)つて得意なり。同類中にあ
つて尤も縁故の遠きものより疎外し駆逐せん
との賦性を有すればなり。天才的Fの失敗と
圧迫とを事実として、これを焦点的意識の理
論によりて解せんとする時、この説明を以て
説明の一方法とするも可なるに似たり。


凡人と天才の差異
   2014/2/22 (土) 07:47 by Sakana No.20140222074713

02月22日

「凡人と天才との差異を決定するものは何で
しょうか」
「それは才能(talent)だ。凡人には才能が
ない」
「違います。凡人と天才との差異はその意識
する内容の質ではなく、Fを認識する遅速で
す。先後です」
「Fを誰よりも速く、誰よりも先に認識する
のは才能だ」
「少年が七十年後の自分の写真を見ることが
できたとすれば、あまりにも自分と違う異物
なので、自己を認識せず、その異物を憎むで
しょう」
「それは平凡な少年だ。天才少年は七十年後
の自分を認識できるので、そんな自分を避け
るために夭折を選ぶ」

 この説明によつて吾人の得たる凡人と天才
との差異は下の如し。凡人と天才とはFを意
識するの遅速によつて決す。──凡人と天才
との距離は、FとFNとの間隔なり。Fは自然
の流に沿ふて自らFNに至るべき傾向を有する
が故に、その質において両者の差異を定むる
事能はず。この故に凡人と天才との差異はそ
の意識する内容の質にあらずしてその先後な
り。但し先後は質に関係なきにあらざるが故
に、もし厳密なる言語を以てこれを正せば、
波動を生ずる時の影響より起る、(而して他
の源因より起るにあらざる)意識の内容の差
異なり。例へば、一人の幼時と壮時との差異
の如し。一人に就ていふが故に両者は同物な
り。然れども一定の時を経過せざれば幼年は
壮年に達する事能はざるが故に、両者は時の
支配を受くる点より見て、異物なり。而して
少年に示すに、その少年が二十年の後必ず到
着すべき体躯容姿の写真を以てするも、その
距離のあまりに遠きが故に、自己を見て、自
己を認識せざるのみならず、却つてこれを憎
まんとするが、凡人の天才にたいする態度な
り。(この解釈より見たる)


焦点意識中の一種の核
   2014/2/25 (火) 07:55 by Sakana No.20140225075551

02月25日

「凡人と天才との差異を決定するものは、
その意識する内容の質ではなく、Fを認識す
る遅速であり、先後であると申し上げました
が、実はそれだけではありません」
「肝心なことを後出しにするのはけしからん」
「天才の意識焦点中には他人に見出し能はざ
る一種の核となづくべきものがあって、この
焦点たるFの主脳となっています」
「天才の核。その存在を科学的に証明できる
のか」
「それは吾人の論ずる所にあらず。要するに、
天才の核が存在するのです」
「疑わしいね」
「私の顔をみて、ネガチブな意見を出さない
ください。世の中には天才がいます。そして、
天才の意識焦点中には一種の核があります」
「そうだろうか?」
「数学でいう項数(constant)のようなもので、
天才の意識焦点中には常に存在しているはずで
す」

 吾人はこの解釈を以て不当なりと信ぜず。
然れどもこれを以て唯一の解釈なりと主張す
る能はざるなり。凡人と天才の差は焦点意識
の原理より論じて、猶二様の解釈を容るるの
余地あるが如し。前節の解釈を以てするとき
は、天才の意識波動は、一般の推移とただそ
のstageを異にするのみにして、推移の過程と
順序に至つては毫も矛盾せざるのみか、よく
合致して戻らざるものなり。然れども吾人は
この解釈を許すと共に、またかく想像するの
自由をなるを信ず。
 (い)天才の意識焦点中には他人に見出し
能はざる一種の核となづくべきものありて、
この焦点たるFの主脳となる。この主脳の如
何にして発現しまた如何にして現在の状態に
あるかは吾人の論ずる所にあらず。ただ吾人
のいはんと欲する所はこの核の存在なり。核
の存在を仮定したる後、吾人は再びいふ。天
才のFも常人の如く推移して不断の波動を構
成す。ただこの波動の起伏を一曲折の短きに
切断して、その焦点を検するとき吾人は常に
特殊の現象に際会す。特殊の現象とは、いづ
れの焦点中にもこの核の織素としてその位地
を保持するをいふなり。ここにおいてFのF'
に移り、F'のF''に変ずるの点において常人
と異なる所のなき焦点は、ただ一個の核の存
在のために、いづれの焦点においても常人と
異なるの奇観を呈するに至る。而してこの核
は数学に所謂項数(constant)にして、その量
と質において、終始一貫して数多の焦点を影
響し去るを以て、他と同じかるべき焦点は、
この一核のために随時随処に他と同じからざ
るの結果を生ずるのみならず、雑駁にして


神経病者
   2014/2/28 (金) 09:17 by Sakana No.20140228091732

02月28日

「天才は自己に特有な一種の核を有し、意識
は常にその核を離れることはないという説は
どう思いますか」
「天才でないわが身にはわからんが、凡才の
自己の意識にも一種の核のようなものがある
という気はする」
「その核にとことんこだわりますか」
「智に働けば角が立つ。人間関係を考慮し、
能ある鷹は爪を隠すよ」
「天才はとことん自己の核にこだわります。
そのために流俗の怒を招き、嘲笑を買ったり
します。あるいは、神経病者と混同されるこ
ともあります」
「漱石も神経病者と言われていた。というこ
とは、やはり自分が天才だという意識もあっ
たようだ」
「もちろん天才ですよ。百年後の流俗はそれ
を認めています」
「流俗は漱石が神経病者だったといって、面
白がっているよ」

 前項に述べたる天才の、千里に遠きを視、
千里の外を聴くがために凡人と異なるに反し
て、この種の解釈に従へば、天才はいづれの
場合、いづれの時にも会釈遠慮なくして、こ
の自己に特有なる核を以て見、核を以て聞く
がために、凡人と異なるに至る。而してこの
核は恒数なるを以て造次てん沛の際にも彼の
意識を離るる能はざるが故に、常見と反し、
常識と戻(もと)る場合にも、その反戻(は
んれい)を顧慮する遑(いとま)なきうちに、
核の影響は既に一般Fを変化して自家特有の
Fを生ず。しかもこれを以て普通に共通なら
ざるべからざるFを思惟する事往々なり。こ
こにおいてか彼らは特に流俗の怒を招きまた
その嘲笑を買ふ。或はその特色の一種の神経
病者と似たるを以て、しばしば彼此(ひし)
混同の厄に逢ふ。古(いにしえ)より偉大な
る系統は常に零砕の事実をあつめて成る。常
人の意識は煩瑣なる現実のひん紛として去来
するに任せて、朝三暮四の活計に耳目の生命
を託す。この故に色相に駆役せられ、物華に
浮沈して旋回流転し了るに過ぎず。日々に逢
ふ所千緒万端なるに任せて雑然として明滅す。
かの絡えきたるものは遂にこれ鏡裏に車馬行
人を写すと異なるなし。ただこの一個の核を
ねん定して金輪際に動かざるものは、この核
の形に応じ、この核の質に従って、かの浮遊
限りなき塵埃をあつめて、あるいは一元の会
をなし、あるひは二元の会をなし、あるひは
万有皆神の会をなし、或は物質不滅の会をな
し、或は楽天の会をなし、或は悲観の会をな
す。この会をなして天地を貫くとき、人生を
断ずるとき、耳目に触るる所は常人と異なる
なくして、しかもその意識する所はけい然と
して常人と趣を異にす。


漱石の核
   2014/3/3 (月) 17:18 by Sakana No.20140303171807

03月03日

「角を以て核となすものあり」
「かくをもってかくとなす──あたりまえの
ことだ」
「天才が有している一種の核がたまたま角だ
という例にあげているだけです。この天才は
舛も盆も月も日も円も角の変体とみなします。
天下はことごとく角より成立せざるものなし」
「変人だね」
「同じように、孝子にとっては親が核であり、
乞食にとって銭が核です」
「孝子や乞食は天才ではない」
「ダーウィンは進化の核、蕪村は俳句の核を
有しています。その内容は凡人と変わらない
ように見えますが、天才の意識には常にその
核の影響を受けて、一種の特色が生じていま
す」
「なるほど、すると、漱石の場合は、文学が
核だといえる」
「文学論を講義している頃の核は文学でしょ
うが、晩年の核は必ずしもそうとはいえない
と思います」
「では晩年の漱石の核は何だ」
「禅宗の僧へ宛てた手紙などによれば、道が
核になっているのではないでしょうか」
「そんな意見は江藤淳の核が認めないよ」

 角(かく)を以て核となすものあり。舛
(ます)を以て角となし、硯を以て角となす
のみにあらず、盆を以て角となし、月を以て
角となし、日を以て角となさずんば已まず。
彼らの解釈は悉(ことごと)く角なる核に支
配せらるるが故なり。彼らは事毎に角より出
立すればなり。彼らは円を以て角の変体とな
すが故なり。三角を以て四角の一辺を失へる
ものと観ずればなり。菱形を以て角度の狂へ
る角と思惟するが故なり。かくの如くにして
天下は悉く角より成立せざるものなし。三を
以て核となすものあり。彼らのいふ所を聞け
ば天地は人と合して三体をなす。現在は過去、
未来を併せて三世をなす。日は夜を余し、歳
は冬を余し、時は雨を余して三余となす。単
にこれのみならず、一は三より二を減じたる
ものなり。四は三に一を加へたるものなり。
かくの如くにして宇宙は三を以て成立せざる
ものなし。孝子は飴を見て親を養はんと欲す。
これその核の親に存するが故なり。かい児は
飴を得て銭を釣らんと欲す。これその核の銭
に在ればなり。Falstaffは滑稽の核を有して
天地を横断するものなり。Don Quixoteは騎士
の核を有して一生を縦貫するものなり。Darwin
は進化の核を有して鳥獣を見、妻子を見、か
ねて天子を見るものなり。蕪村は俳句の核を
有して、日月を見、星辰を見、奴卑を見、ま
た王侯を見るものなり。彼らは意識毎にこの
核を以て主脳とす。この故に意識は一波に起
り一波に減して、しかもその内容は凡人と異
なるなきにも関はらず、常にこの核の影響を
受けて一種の特色を生ず。この特色あるがた
めに、常人の威厳を感ずる所に於てきゃく笑
を感じ、常人の尊敬を払ふ所において侮蔑を
払ひ、常人の不思議とする所において可思議
と断ず。この故に天才に世俗と相容れざるの
意識あるはこの核の存在に起因すと仮定する
も不可なきが如し。


『こころ』は本当に名作か
   2014/3/6 (木) 07:57 by Sakana No.20140306075749

03月06日

「タイトルにひかれて、小谷野敦『「こころ」
は本当に名作か』を読みました」
「週刊誌のゴシップ記事のようなタイトルだ」
「岩波書店から自費出版されてから百年後に
こんな本が出版され、タイトルにひかれて買
う読者がいるというのは、Fを認識する遅速
の観点から漱石が天才であるという証拠では
ないでしょうか」
「しかし、小谷野は『こころ』が名作である
ことを疑問視している。小谷野だけではない。
谷崎潤一郎と武田泰淳も対談で『こころ』を
けなしたことがある。小林秀雄も漱石を好ま
なかったという」
「『こころ』は発表当初は失敗作と見なされ
ていて、戦後に至るまで、あまり論じる人は
いなかったと小谷野は書いていますね」
「鬼畜米英とか、撃ちてしやまんとか言って
いる時期に、『こころ』を論じる人なんかい
るはずがない」
「ところが、昭和二十年代になって、亀井勝
一郎などが、友情と恋愛の葛藤を描いた青春
小説として紹介したあたりから妙に読まれる
ようになり、さらに高校の教科書に採用され
て広まったそうです」
「漱石のFは日本が戦争に負けて、亡んでか
ら『こころ』が妙に読まれるようになること
を予期していたのかもしれない」
「そういえば、『三四郎』の広田先生は日本
が亡びるねと言っていました」



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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