夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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十八世紀英国の政治
   2007/12/21 (金) 08:39 by Sakana No.20071221083954

12月21日

「十八世紀英国の政治をふりかえってみまし
ょう」
「イギリス人じゃあるまいし。われわれ日本
人が十八世紀をふりかえってみても、徳川氏
の幕藩体制による政治しかみえてこない」
「イギリスの十八世紀は政党の世です。王党
(トーリー)と民党(ホイッグス)という二
大政党がお互いに政権を握ろうとして対立し
ていたのです」
「醜い争いを続けていたというわけか。徳川
氏の一党独裁体制と比べて、どちらがすぐれ
た政治のシステムなのだろう」
「その議論は他のところでやっていただくと
して、二大政党についてごくおおまかな紹介
をしておきます。王党(Tories)は国王の権力
を支持する地主や国教会派、民党(Whigs)は
商・工業者や非国教会派です」
「国王は誰だっけ?」
「スチュアート王朝のアン女王(在位期間:
1702-1714)、ハノーバー王朝のジョージ一世
(1714-1727)、ジョージ二世(1727-1760)、
ジョージ三世(1760-1820)です」
「万世一系の天皇家と違って、イギリスでは
王朝の交替がある」
「もうひとつ重要な違いは、名誉革命と権利
の章典(1689)によって、イギリス国王は<君
臨すれども統治せず>の原則に従う立憲君主
だったことです」
「日本の天皇だって、十八世紀は<君臨すれ
ども統治せず>だった」
「あれで君臨していたといえるでしょうか。
実質的には徳川氏が君臨も統治も兼ねていま
した。もちろん、政党のようなものは存在し
ていません」


十八世紀英国の政治家
   2007/12/24 (月) 12:01 by Sakana No.20071224120144

12月24日

「十八世紀英国を代表する政治家としてはま
ず、ロバート・ウォルポール(Robert Walpole, 
167 - 1745)。民党(ホイッグ党)の総帥で、
イギリス(グレートブリテン王国)の初代首
相(在任:1721年 - 1742年)でした」
「21年の長期政権担当者だが、漱石の評価は
?」
「ウォルポールが議員をご馳走したとき、議
員が席についてナプキンをとってみると、各
自のナプキンの下に五百ポンドの手形があっ
たという話を紹介しています」
「そんなことだけを紹介すれば田沼意次のよ
うに腐敗政治家の烙印をおされてしまうが、
功績もあるだろう」
「政治家の評価は、どの角度からみるかによ
って違いますね」
「漱石の見方は『ガリバー旅行記』の作者ス
ウィフトのウォルポール批判に影響されてい
ると思う」
「ウォルポール政権の政治腐敗や消費税拡大
を激しく批判した政治家は王党(トーリー)
のウィリアム・ピット(William Pitt:首相
在任:1766年-1768年)。通称大ピットです」
「第ピットは<白河の清きに魚のすみかねて
もとの濁りの田沼こひしき>とうたわれた松
平定信のような存在ではないか」
「鎖国体制下の日本と違って、イギリスは戦
争もしなければなりません。大ピットはいわ
ゆる海洋派で、制海権を重視する姿勢をとり
ました」
「対仏大同盟を組織したのもピットだ」
「それは小ピット(首相在位期間1783-1801;
1804-1806)のほうです」


国教会派と非国教会派
   2007/12/27 (木) 07:56 by Sakana No.20071227075630

12月27日

「王党(Tories)の支持層は国王の権力を支
持する地主や国教会派、民党(Whigs)は商・
工業者や非国教会派だそうですが、国教会派
と非国教会派の違いがいまひとつピンときま
せん」
「不信心者のきみにはわからないだろうが、
宗教団体は有力な政治勢力だ。選挙では強力
な集票マシーンとなる」
「そんなことはわかっています。キリスト教
にはカトリック(旧教)とプロテスタント
(新教)の違いがあることもわかっています。
しかし、国教会派と非国教会派の違いとなる
とわかりません」
「国教会派はイングランド国教会(Church of
England)またはイギリス国教会、英国国教会、
アングリカン・チャーチ、聖公会に属するキ
リスト教の信者だ」
「カトリックかプロテスタントか。どちらな
のでしょう」
「一応プロテスタントに分類されているが、
カトリックのようなところもある」
「もともとはカトリックだったようですね」
「テューダ王朝のヘンリー八世(1491-1547)
が王妃との離婚を教皇クレメンス7世に認め
られなかった。そのため、ヘンリー八世はロ
ーマ・カトリック教会から離脱し、教皇クレ
メンスから破門された」
「生臭い話ですね。宗教の本質からはかけ離
れているように思います」
「宗教が世俗的、政治的な権力と結びつきや
すいことは歴史が示している通りだ」
「非国教会派とはどんな勢力ですか」
「国教徒でない者で、Nonconformistあるいは
dissenterという」
「イギリス(グレートブリテン王国)の初代
首相ウォルポール(在任:1721年 - 1742年)
ひきいる民党(Whigs)の支持層だったそうで
すから侮れない勢力です」
「ピューリタン、ジャコバイト、バプテスト
教会、長老派教会、メソジスト、クエーカー、
救世軍なども非国教会派だ」 
「1620年、メイフラワー号で新天地アメリカ
に向かった船客の多くは非国教会派だったそ
うです」


政治的感情の文学への反響
   2007/12/30 (日) 08:23 by Sakana No.20071230082305

12月30日

「十八世紀英国の王党(Tories)と民党(Whigs)
の党派争奪を紹介し、<当時は随分乱雑な世
の中だったに相違ない。また道徳もあまり進歩
していなかったに相違ない。人を罵詈する事な
どは平気でいたに相違ない>と漱石先生は言っ
ておられます」
「二十一世紀の日本の政治だって同じようなも
のだ」
「それは十八世紀の英国や二十世紀の米国の政
治の悪いところを輸入したからでしょう」
「浜の真砂は尽きるとも世に罵詈雑言の種は尽
きまじ。十八世紀以前の中国の政治を輸入した
制度もそれほどすぐれたものとはいえない」
「堯舜の政治はすぐれていました」
「それは伝説だ。全人類を満足させる政治はあ
り得ない」
「話を十八世紀英国の文学に戻しましょう。こ
のような政治的感情の一般はやはり文学上に反
響してはいまいか、というのが漱石先生の問い
かけです」
「たとえば、どんな作品に反響が認められるの
だろう」
「彼らの道徳はフィールヂング、スモレットの
小説に出てはおらぬか。また、反対の声として
アヂソン、スチール、下ってゴールドスミスの
著書などにあらわれてはおらぬか、と漱石先生
は言っておられます」
「よほどの物好きでないかぎり、そんな作家た
ちの作品を読む日本人は今どきいないだろう」
「また、他を罵言するという一代の気風は、文
学上にSatireなる一種の産物となって現れてお
らぬか、とも」
「Satireなら『吾輩は猫である』に反響が認め
られるかもしれない」


ハンデルの声音的叙述
   2008/1/2 (水) 07:13 by Sakana No.20080102071324

2008年1月2日

「年がかわり、2008年になりました。早速です
が、十八世紀の英国の芸術の代表としてまず音
楽について漱石先生に紹介してもらいましょう」
「漱石は音楽通なのか」
「音楽については不案内だから何も話すことは
ないといいながら、ハンデル(1985-1759)を紹介
しておられます」
「ハンデル?ヘンデルと呼ばないのはヘンデは
ないか」
「ドイツ人なのですが、英人は自国に関係深い
という点に重きを置いて、この音楽家を英国人
とみなし、ハンデルと呼んでいるそうです」
「国籍などどうでもよい。シェクスピアがドイ
ツ人だという説もある」
「ハンデルは在来の人の夢想することも出来な
かった声音的叙述(tone-painting)を楽界に輸入
したそうです」
「なんだ、それは?」
「鳥の鳴く声や、川の流れる音や、その他自然
の声を表現することにつとめたそうです」
「そんなことなら一寸練習すればできそうだ」
「太陽の一所に止まって動かざる様子やら、奇
蹟のために紅海の巨浪が裂ける状態やらを声音
で暗示することは?」
「・・・」


ホーガースの風俗画
   2008/1/5 (土) 09:00 by Sakana No.20080105090041

1月5日

「十八世紀英国の画家としてはレノルヅ、ゲ
ーンズボロー、ホーガース、ウイルソン、タ
ーナーなどが有名です」
「十八世紀英国では有名でも二十世紀日本で
はほとんど無名に近い」
「たまには美術館へ足を向けてください。ホ
ーガースは一種の天才で、当時の風俗画家と
して優に同時代の人を圧倒するのみならず、
古今独歩の作家かも知れないそうです」
「風俗画家なら歌麿や北斎の類だろう」
「浮世絵ではありません」
「ホーガースは何を描いたのだ」
「むさくるしい貧乏町や俗塵の充満している
市街、そしてそこで活動している人々です」
「浮世の風俗を描いたものなら浮世絵だ」
「西洋画は写実的です。浮世絵のような派手
な色遣いをしません」
「浮世絵は西洋の印象派の画家たちに影響を
与えたのは事実だ」
「それは十九世紀半ば以後の話です。ホーガ
ースの風俗画とは何のかかわりもありません」
「十八世紀の英文学とはかかわりがあるのか」
「フィールヂィングの小説、『トム・ジョー
ンズ』『シャメラ』『ジョゼフ・アンドリュ
ース』などを読むと、その滑稽的なる点にお
いて、その無遠慮なる点において、その風刺
的なる点において、しかもその倫理的なる点
においてよく類似しているそうです」
「そんなことをいっても、二十一世紀日本の
学生の耳には東風の吹く音のようなものだ」



レノルヅの肖像画
   2008/1/8 (火) 08:05 by Sakana No.20080108080544

1月8日

「十八世紀英国では肖像画が流行しました。
肖像画を開拓し、師として仰がれた画家がレ
ノルヅです」
「肖像画なら十八世紀日本のものがいくらで
もある」
「江戸時代の百姓の肖像画は少ないでしょう。
漱石先生によれば、十八世紀英国は百姓の黄
金時代で、懐の暖かくなった連中がレノルヅ
の画室に詰めかけて肖像画を描いてもらった
そうです」
「江戸時代の水呑百姓には無理だが、庄屋階
級なら山水画をもとめていた。肖像画よりも
山水画のほうが趣味がよい」
「漱石先生は肖像画が文学に相当するものは
何かと自問しておられます」
「写実小説か」
「写実小説はホーガースの風俗画に相当しま
す」
「歴史的浪漫小説は?」
「それは歴史画でしょう。漱石先生の考えで
は肖像画は性格描写(Character sketches)
に匹敵するそうです」
「すると、十八世紀英国においては肖像画が
流行するとともに、文学においては性格描写
が流行したというのか。個人主義の発達とか
かわりがあるかもしれないな」
「その点に関しては十八世紀の日本文学とは
若干の差異がみとめられるようです」


ウイルソンの風景画
   2008/1/11 (金) 09:04 by Sakana No.20080111090445

1月11日

「ウイルソンは英国風景画の元祖です」
「日本では風景画も浮世絵だ。北斎の<富岳
三十六景>とか広重の<東海道五十三次>と
か」
「浮世絵の影響は受けていません。イタリア
とフランスに遊んで、大陸諸家の影響を受け
たそうです」
「大陸諸家とは誰?」
「プーサンやサルヴァトルです」
「熊のプーサンなら知っているが」
「風景画家ですよ」
「画家ならサルバドール・ダリを知っている」
「ダリは二十世紀スペインの画家、シュルレ
アリスムの代表的な作家です」
「それで、漱石はウイルソンという風景画家
のどこに関心を抱いたのだ」
「十八世紀英国の詩人の詩中にあらわれた天
然とウイルソンやゲーンズボロの画いた自然
を比較して見たらば、やはり両方とも一様な
臭味に支配されている事はなかろうかと思う
と言っておられます」
「臭味とはひどい。何を言いたいのだろう」
「余の如き浅薄な絵画の知識では到底充分な
御話は出来ないからこれ位にしてやめて置く
そうです」
「最初からやめて置けばいいのに」


珈琲店
   2008/1/14 (月) 08:12 by Sakana No.20080114081221

1月14日

「気分転換にロンドンの珈琲店をのぞいてみ
ましょう」
「十八世紀の昔でも流行っていたのか」
「十八世紀に入って二十年もたたないうちに
ロンドンだけで珈琲店の数が二千という数に
達しています」
「さすがは大英帝国といいたいが、花のお江
戸では浮世風呂や浮世床が繁盛していた」
「珈琲店には上下貴賤ともに出入りして、政
治談義をかわしたり、カルタ遊びをしたりし
ていました」
「浮世風呂でも政談はできた。将棋を指した
り、碁を打ったりすることもできたし、子供
は双六やカルタを楽しんでいたよ」
「珈琲店は坊主の行く店、町人の出入りする
店、法律家の贔屓する店、文人の集まる店な
ど顧客層によって特化していました」
「文士の集まる珈琲店というのは面白そうだ」
「ジョン軒、チャイルド軒、バットン軒、ウ
イル軒などがあったそうです」
「文士がそんな場所でヒマをつぶす気になる
だろうか」
「新聞を読んだり、手紙を書いたり事務所が
わりにつかえたのです。アヂソンなどはバッ
トンという珈琲店に信書函を備えつけて、
『ガーヂアン』紙への読者の投稿文をこの信
書函に送らせていました」
「珈琲店では酒が飲めない」
「酒が飲みたくなれば酒肆へ行けばいいので
す」


酒肆
   2008/1/17 (木) 06:05 by Sakana No.20080117060528

1月17日

「次に酒肆へご案内しましょう」
「パブ(pub)という居酒屋のことか」
「英語ではpubではなく、tavernとなっていま
す」
「どちらも同じようなものだろう」
「酒が飲める場所という点では同じです。ただ
し、pubがつまみもろくにない庶民向けの安い居
酒屋であるのに対し、tavernでは料理も食べら
れるそうです」
「tavernだって安っぽい酒場のような語感のこ
とばだ」
「しかし、『酒肆の腰掛は人間の幸福の王冠な
り』とサミュエル・ジョンソン博士が言ってい
ます。十八世紀の酒肆は博士のような文士が贔
屓にする高級な社交場だったのではないでしょ
うか」
「ジョンソンは偏屈者で、"Patriotism is the 
last refuge of a scoundrel."(愛国心は悪党
が最後に逃げ込む場所だ)などといっている。 
国を愛する心を持たない奴の行きつけの店がは
たして高級だろうか」
「その判定は愛国心の定義によってかわってき
ます」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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