夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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六種の類別とその傾向
   2013/9/27 (金) 09:21 by Sakana No.20130927092143

09月27日

「文芸上の真を伝える手段として<観念の聯
想>を利用した方法、即ち、
  1)投出語法 Projection          
  2)投入語法 Introjection                
  3)自己と隔離せる連想 Dissociation      
  4)滑稽的連想 Comic Association         
  5)調和法 Harmonization Technique       
  6)対置法 Counterposition」
の六種を類別して、その傾向についてもう少
し説明しておきたいと思います」
「もういいよ。<観念の聯想>を利用した方
法──そんなものを作家は意識しているのだ
ろうか」
「他の作家のことはわかりませんが、少なく
とも漱石先生は意識しておられました」
「わかるものか」
「二つの材料が連結され、同じ場所で活動し
た場合、読者の情緒は次の四通りが考えられ
ます。
 1)Fに対する情緒が高められる
 2)Fに対する情緒が低下する
 3)FにもF'にも情緒がかたよらない
 4)何等の渾和せる一情緒を起す事がない」
「4番目は何らの情緒も引き起こさないとい
うなら、文芸上の真を伝える上で失敗してい
るのではないか」
「それは4)滑稽的聯想と対置法中の不対法
(method of nonopposition) の場合です。
『吾輩は猫である』に応用して、成功してい
ると思いませんか」

 更に六種を類別してその傾向を論ぜんに、
(一)に連結せられたる二材が同所に活動し
て、吾人のFに対する情緒を普通の程度以上
に高むる場合多きを忘るべからず。四種の聯
想法中第一、第二、第三聯想法対置法中の強
勢法とはこれに属す。(二)に連結せられた
る二材が相克して、吾人のFに対する情緒を
普通の程度以下に低ふする場合あるを忘るべ
からず。対置法中の緩和法はこれに属す。
(三)に二材相合してFに偏せずまたF'に偏
せず、両者相待って、FにもF'にも偏せざる
一種の(纏まりたる)情緒を生ずる二個の場合
あるを忘るべからず。調和法と仮対法これな
り。(四)に聯想法中の第四と対置法中の不対
法とは二対の連結するに関はらず、この結合よ
りして何等の渾和せる一情緒を起す事なきを忘
るべからず。


余の所謂写実法
   2013/9/30 (月) 10:06 by Sakana No.20130930100616

09月30日

「漱石先生の写実法は、一般に使われている
意味の写実法とは異なるかもしれません」
「どこが異なっているのだ」
「材料を如何に表現すれば、もっともよく詩
化されるか、美化されるか、滑稽化されるか
という文章表現の方法論にすぎないからです」
「材料そのもの取捨は含まれない」
「ええ、与へられた材料を如何に表現すれば
写実法の効果が果たしてあがるかを問題にす
るのです」

 約言すれば吾人があるFより受くる情緒の
変化を欲してこれにF'を加ふるとき、強烈も
しくは濃厚の方向に動くもの六種を数へ、消
除、減低の方向に走るもの一種を得、FF'
の固有なる情緒に関係なく、卒然として全く
新しき情緒を得るもの二種を挙ぐ。最後にこ
れをつづむれば、上来の文学的手段はFに加
ふるにF'を以てしてこれを強烈にしまた濃厚
にするを目的にするもの多きに居る。今余が
述べんとする写実法は実にこれ尤も多き方法
に対して起るものなり。故に余の所謂写実法
とはその意義において世間の予想する所のも
のと異なるやも知るべからず。余が前段に説
叙せる文学的手段は、茲に呈出せられたる材
料ありて、この材料を如何に表現せば尤もよ
く詩化せらるるべきやまたまた美化せらるる
べきや(或はまた滑稽化せらるべきや)の問
題を解釈するに過ぎず。もしそれ材料そのも
のの取捨如何に至っては上説の手段中に含ま
るる事なきを以て、問題に接触せずとしてこ
れを論議の外に置けり。写実法はこの際文学
的手段の一つとして、前段の連続せるものに
外ならざるを以て、同じくこの型中にその意
義を限らざるべからず。即ち与へられたる材
料を如何に表現せば写実法にしてその効果は
果たして如何との問題を解決するを以て一章
の主眼とす。材料そのものの写実的なるや否
やに至っては後段のてん(ぎょうにんべん+
汀)義を待って始めて問題となるを忘るべか
らず。


詩的語を犠牲に供する
   2013/10/3 (木) 07:55 by Sakana No.20131003075511

10月03日

「写実法は詩的語を犠牲に供して、日常的に
自然に耳に入る表現を用います」
「つまり、<戦いの真鍮の喉は咆哮をやめた>
というミルトンの詩のような表現はしない」
「<戦いの真鍮の喉>は投入語法で、苦心の
作ですが、写実法では没にしましょう」
「なんだか無味乾燥な感じがする。文学には
やはり詩がほしい」
「リアリズムの文学は事実そのままの描写の
中に詩があるはずです。<戦いの真鍮の喉)
のような技巧をこらしてつくった詩的語より
も、写実法の表現のほうが読者に反感をもた
れないと思います」

"The brazen throat of war had ceased to roar."
    ---Milton. Paradise Lost. Bk. XI. 1,713.
(戦いの真鍮の喉は咆哮をやめた。
 ──ミルトン『失楽園』第十一巻 713行)

 これ大胆なる詩的の語なり。詩的といふの
曖昧なるを厭ひて余一家の述語を用ゆれば聯
想法中の投出語なり。投出語の効果は前に詳
説せるを以て茲に贅する必要なしと雖ども、
その効果の如何に拘わらず、一の争ふべから
ざる事実を証明するは明なり。日本人は勿論、
欧州人は勿論、英国人と雖ども、仮令(たと
い)Miltonと同時代に生れたる英国人と雖ど
も、日常談話の際かかる言語を使用せずとの
事実は如何に抗弁するも遂に否定し能はざる
べし。既に日常人の会話にあらざるよりはこ
の種の言語によりて日常人を想見し難きは論
を待たず。詩家紙に向ひ思を構へて如何なる
形容語を以て戦を表現すべきかをねん(てへ
ん+占)定して、定めてこの会得あり。従っ
てこの会得は詩人の専賀に属す。庸人のあづ
かり知る所にあらず。かく戦を形容して千軍
万馬の声を一打数字のうちに集注するの技巧
は詩人を待って始めてよくするを得るが故に、
詩人の詩人たる所以は全くこの構想の正否に
因って決すべきほどの大事なるやも知るべか
らず。然れども詩的の語は遂に詩的の語なり。
一定の思索的努力を経て始めて成るの点にお
いて、これを自然の語といふべからず。(蛮
人中に存外詩的語多きはこの問題に関係なし)。
従って戦を髣髴せしむるの点に得る所あると
同時に、吾人が日常の表現法を離れたるの点
において不自然の弊に陥れりといふを憚から
ず。故にかかる語法を用ゐて与へられたる材
料を表現するとき、与へられたる材料は腐草
化して蛍となるの観を呈すべきも、醇化の度
愈(いよいよ)高くして、実世界の表現を離
るる事愈遠きに至る。もし一人あって現実社
会の表現を眼前に活動せしめんとせば、勢こ
れらの語法より得る便宜を犠牲に供して、自
然に吾人の耳に入る表現法(平凡なるにも関
せず)を用ゐざる可からず。これを写実法と
いふ。


写実的幻惑
   2013/10/6 (日) 08:11 by Sakana No.20131006081143

10月06日

「文学の大目的の那辺に存するかは暫く措
く。その大目的を生ずるに必要なる第二の目
的は幻惑の二字に帰着す──というわけで、
<観念の聯想>を利用した六種の方法を検討
しましたが、写実法はそれら六種の方法とは
異なります」
「具体的に例をあげて説明してくれ」
「詩人の描く碧眼金毛の美人とその辺で見か
ける十人並の美人を比較してください」
「やはり十人並の美人のほうかな」
「そうでしょう。窈窕の度はいたく劣るにも
関せず、わが同情は常に後者の上に落つるを
見るべし──これが写実的幻惑です」
「幻惑なら、写実法といえども、事実そのま
まの科学上の真ではない」

  この故に前段に述べたる文学的方法の多く
のものと写実法とは全くその目的を異にす。
例へば美人を描くが如し。(美人を与へられ
たる材料に比す)。前段の諸法の志す所はこ
の美人の服装を如何にせば、この美人の毛髪
を如何にせば、この美人の背景を如何にせば、
またこれを如何なる醜婦の傍に立たしめば、
天性の麗質を愈(いよいよ)発揮すべきかを
研究するにあり。かく人工を待って始めて出
現せる美人は蝉研(せんけん)の態において
遙かに途上の美人を凌ぐに足るものあらんも、
これを凌げば凌ぐに従つて吾人とその撰を異
にするがため、一方よりいへば吾人の同情を
失ふものとす。途上の美人は必ずしも詩人の
考案になる服装と、雲髪と、背景と、配合と
を負ふて途上を行かざるが故なり。吾人はか
かる条件を具備せる詩国の美人と画裡の美人
とを好まざるにあらずと雖も、相逢ふてこれ
吾同胞なりと感じ得んがため、吾血を以て成
れる美人に邂逅せん事を要す。天外異方の佳
人にして碧眼金毛なるものと、吾親戚中に寄
寓する一嬢子とを比較するとき、窈窕の度は
いたく劣るにも関せず、わが同情は常に後者
の上に落つるを見るべし。後者の人類として
吾に親しきが故、人類として(美醜を度外に
して)その利害を憂ふる事切なればなり。一
例は以て全班をつくすに足るべし。ここにお
いてか知る。──吾人は詩人の建立する蓬莱
に入り、画家の想像せる桃源に遊んで陶然た
る幻惑を受くるを辞せざると共に、わが親し
く見聞せる日常生活の局部がそのまま眼前に
揺曳して写実的幻惑中に吾人を担ひ去るを快
とするなるものを。


詩的幻惑と写実的幻惑
   2013/10/9 (水) 18:12 by Sakana No.20131009181252

10月09日

「詩的幻惑と写実的幻惑の違いは先に引用し
た俊ェの口説をみればあきらかです」
「俊ェ?」
「鬼界ヶ島に独り取り残されたときの嘆きで
す。<この程は三人一所に有りつるだに、さ
も怖ろしく、すさまじき、有磯島にただひと
り、離れて海士のすて草の浪のもくづのよる
べもなくてあられんものか浅ましや、嘆くに
かひも渚の衢(ちまた)、泣くばかりなる有
様かな云々>」
「そんな引用があったかな?」
「第五章 調和法 のところに引用がありま
すが、英訳では省略されています」
「謡曲か」
「俊ェのこのような言語表現は詩的幻惑を生
ずる上ではすぐれていますが、写実的幻惑の
点では写実法の表現に劣ります」

  先に引用せる俊ェの口説(くぜつ)に徴す
るも這裏(しゃり)の消息は審(つまびら)
かなるを得べし。俊ェの言語は謡曲に全通す
る一瞬の工夫を用ゐて詩化せられたるものな
り。(巧拙は論ぜず)。この工夫あるがため
に彼の言語はその中に含有するFの情緒的価
値を高めたりと雖ども、これがために吾人が
俊ェをわが朋友視するの念は愈(いよいよ)
消滅するを免れず。吾人の朋友中にかかる思
想を表現するにかかる手段を取るものは一人
も有らざるべければなり。従って俊ェの言語
は詩的幻惑を生ずるに他を抜く一歩なると同
時に、写実的幻惑を生ずるに他に後るる事一
歩なりといはざるべからず。単に俊ェのみな
らず沙翁の劇中に活動する人物は悉(ことご
と)くこの種の言語を弄して憚からざるもの
なり。この故に沙翁の描ける人物は写実法よ
り見て尤(もっと)も不自然なる言語を使用
するものなり。(心理作用の自然、表現せら
れたる情緒の自然等はこの問題に関係なきも
のとす)。下って十八世紀に至ってこの種の
言語遂に弊をなして遂に発展の余地なきに至
る。彼らの月なるFを表現するにCynthia's
horn(シンシアの角笛)の二字を使用せるを
見て、如何にその累をなせるかを見るべし。


ワーズワース
   2013/10/12 (土) 08:35 by Sakana No.20131012083505

10月12日

「ワーズワースは『抒情民謡集(Lyrical Ballads)』
の序で、<これらの詩で意図された主な目的は、
事件と場面とを日常の生活から選び出し、全篇を
通して、できうるかぎり、人々が実際に使ってい
る言葉を選んで記述し描写することであった>と
述べておりますが、漱石先生はこれが写実法だと
言っておられます」
「写実法というと自然主義文学の方法だと思うが、
ワーズワースはロマン派の詩人とされている」
「自然主義文学はモーパッサンやゾラなどフラン
スの文学者が提唱し、日本でも島崎藤村、田山花
袋らが活躍していますが、イギリスには自然主義
の文学者と呼ばれる文人はいません」
「文学後進国だな」
「そういう偏った見方に対して、写実法ならワー
ズワースがちゃんと採用していますよと漱石先生
は指摘されたのです」
「ワーズワースだけではしょうがない」
「ディッケンズの小説も写実法が採用されていま
すよ。そもそも浪漫主義と自然主義ないし写実主
義とを対立して考えるのが間違いの元です」

 挙世この工夫に心酔してまた他を顧みるに
暇なきに当ってWordsworthは忽然として詩壇
の刷新家として出現せり。有名なるLyrical
Balladsの二版の序に曰く。
 "The principal object then, proposed 
in these Poems was to choose incidents
and situations from common life, and to
relate or describe them, throughout, as
far as oossible, in a selection of language
really used by men."
(したがって、これらの詩で意図された主な
目的は、事件と場面とを日常の生活から選び
出し、全篇を通して、できうるかぎり、人々
が実際に使っている言葉を選んで記述し描写
することであった)
incidentsといひ situationsといふは今余の
論議せんと欲する所にあらず。ただ普通人の
実際に用ゐる言葉を以て詩を行(や)るが目
的なりといふに至っては、余がこの章に叙説
せる写実法によりて句を運ぶといふと一般な
るが如し。(彼の主張の必ずしも然らざるは
如を通読して知るべし)。ただこの一事実は
余が必要を認めたる写実法の存在を益(ます
ます)強固ならしむのみならず、その方向の
前段述説の諸法と趨勢を異にして殆ど反馳す
るの傾あるを以て、挙世一の弊を受けて、そ
の翼に耐へざらんとするとき、必ず他に赴い
てこれを救はんとするに至るべきを例証せる
ものなり。(故にWordsworthの詩を読むもの
は何人も余が写実法の効果として述べたる条
件を具足せるを発見すべし)。



活世界と交渉遠し
   2013/10/15 (火) 10:06 by Sakana No.20131015100625

10月15日

"The brazen throat of war had ceased to roar."
    ---Milton. Paradise Lost. Bk. XI. 1,713.
(戦いの真鍮の喉は咆哮をやめた。
 ──ミルトン『失楽園』第十一巻 713行)

「<戦いの真鍮の喉は咆哮をやめた>という
ような詩的表現は、活世界と交渉遠しだ」
「では、写実法で表現してください」
「<戦いは終わった>」
「印象が弱いですね。もっと鮮明に吾人の眸底
(ぼうてい)に印せらるような表現はないです
か」
「そんな活世界と交渉遠い表現はミルトンにま
かせておけばよい」
「写実法ではやはりものたりないと思います」
「そんなことはない。終戦→敗戦→無条件
降伏→焼け跡闇市→一億総懺悔、と連想がひろ
がってくる」
「そんな連想をする日本人はもう活世界と交渉
が遠くなっていますよ」

 写実法は実世界の表現法をそのままに踏襲
するが故に実世界の断片を紙上に縮写するの
便ありと述べたるは事実なり。然れども茲に
実世界の断片とは写実法によりて叙述せらる
べき材料より組織せられたる断片の謂(いい)
にあらず。先に引用せるMiltonの一句に就い
ていはんに、もしこれ詩的の言語に代ふるに
写実法に戻(もと)らざる活世間の表現法を
用ゐるときは、表現の内容たる「戦」が、現
世界の戦として鮮明に吾人の眸底(ぼうてい)
に印せらるべしといふにあらず、もし印象よ
りすればMilton以上の表現法は何人と雖も発
見し難きやも知るべからず。ただこの句の詩
的感興を惹く事多きが故に、工夫の鎔炉に鍛
錬の幾時を経過して、そう(金+将)然と紙
上に落下せるものたるべきを覚る時、断じて
街頭寒喧(かんけん)の辞と同じからずとし
て、活世界と交渉遠しとなすに過ぎず。故に
活世界と交渉遠しといふは「戦」を表現すべ
き人に即していふべくして、表現せられたる
「戦」が活世間を離れたりとの意にあらざる
は無論なり。上来述べ来りたる写実法の弁護
は多くこの点より彼是(かれこれ)を比較し
て云々せるものとす。この故に他の文学的手
段の巧拙に至つてはこれを問題外に放棄せり。


写実法は拙なる表現
   2013/10/18 (金) 06:55 by Sakana No.20131018065550

10月18日

「写実法は技巧をこらさず、あるがままを表
現します」
「あるがままとは?」
「馬を指して馬といい、牛を呼んで牛という
──それだけのことです」
「<雲を霞と逃げ去る>というのは詩的で、
乙な表現ではないか」
「キザで、嫌味な表現です。写実法なら<遠
く逃げる>となります」
「漱石の『虞美人草』の文体なんか写実法
とはいえない」
「漱石先生は『文学論』を応用して、写実
法も非写実法も試みておられます」

  然れども、一度問題外に放棄せる巧拙をも
打算して写実法と対比するとき、その弁護は
単に実社会の人物を活躍せしむるの功徳にと
どまらず、与へられたる材料その物の表現的
価値に即してもまた同様の議論をなすを得べ
し。前段の文学的諸法は悉(ことごと)く積
極的技巧なるを以て完全に成功する時は天来
の妙趣を一句の裏(うち)に淋漓たらしむる
を得るが如しと雖も、一たび正鵠(せいこく)
を失して斧錯(ふさく)の痕(こん)を縦横
に印するとき、天巧は人功に陥り、人功は拙
功に堕し、意を用ゐる事愈(いよいよ)深く
して、醜を露(あら)はす事愈多きに至る。
ここにおいてか彫啄を加へて面目漸く下り、
俗語に所謂キザと云ひ嫌味と呼ぶものを満紙
に塗布して顧みざるに至る。これ表現に技を
弄して拙を暴露するのみならず。却って拙以
下に低落せるものなり。翻って写実法を案ず
るに、写実法はその自然の言語なる故に──、
尤も意を経ざる表現なるが故に、──造次?
(てん)沛の科白なるが故に、技巧として尤
も拙なるものなり。否巧拙を云々すべき技巧
なきにちかきものなり。馬を指して馬といひ、
牛を呼んで牛といふ。何らの奇なきに似たり。
純乎として無芸の表現なり。ただそれかくの
如く無芸にして他奇なきが故に、光彩の陸離
として人を射るなきも、淡粧濃抹の度を失し
て、粉飾の俗気観者の肝を寒からしめて、机
上に点々の粟(ぞく)をつらぬるに勝るや遠
し。写実法は拙なる表現なり。拙を蔽はざる
表現なり。故に粗にして野なり。真卒にして
質直なり。簡易にして無雑作なる表現なり。
単なる表現法とするも写実の価値また没すべ
からざるに似たり。「雲を霞と逃げさる」と
いふ。比較的複雑なる表現なり。「遠く逃る」
といふ。写実の表現なり。而して前者の文飾
を厭ふものは必ず後者の直截を愛せん。月を
叙してCynthia's hornと云ふ。これ聯想より
来る表現法なり。或はその事実の月に遠きを
忌むものあらん。「鎌の如き月」といふ。ま
た聯想法に過ぎず。然れども切実の度におい
て数歩を抜くが如し。最後に「三日月」とい
ふ。天下これより簡単なる表現法なし。これ
より質直なる表現法なし。而してあるものは、
ある場合において必ず後者に与(くみ)す。



写実法の材料
   2013/10/21 (月) 08:38 by Sakana No.20131021083825

10月21日

「次に写実法でとりあげる材料ですが、これ
は日常世界でみかける平凡な事柄です」
「それでは面白くも何ともない」
「平凡なるが故にわれわれに近し、われに近
き故に同情多し、です」
「英雄、天才、絶世の美人へのあこがれをみ
たしてくれないのか」
「写実家の描く人物は英雄ならず。英雄なら
ずして吾人の同情をひくは、その人物の偉大
なるがためにあらず、吾人とと同じく平凡な
ればなり」
「そんな小説は読んでもつまらない」
「技巧をこらした文章を味わってください」
「瑣末に流れすぎている。技巧をこらしただ
けではダメだ」

 与へられた材料を如何に処理すべきかの問
題に関して写実法の効果を説ける事上の如し。
もしそれ一歩を進めて材料そのものの取捨に
就いて写実法の好悪する所を説かんか論議す
るべきもの固(もと)より少なからず。然れ
ども表現的な写実法の長所は取材的写実法の
長所と異なる所なく、両者活世界の尋常世界
を方寸に劃して、これを吾人の面前に躍らし
め、以て吾人が比隣の同胞に対する如き興味
と同情を喚起するにあり。吾人の比隣に英雄
なし。故に写実家の描く人物は英雄ならず。
英雄ならずして吾人の同情をひくは、その人
物の偉大なるがためにあらず、吾人とと同じ
く平凡なればなり。(平凡なるが故にわれわ
れに近し、われに近き故に同情多し。この種
の同情を拒むものは日夕(につせき)に往来
する親友の写真に同情せざるが如し)。吾人
の比隣には珍事なし。故に写実家の叙する事
件は多く平淡なり。特に瑣末に流るる事さへ
あり。平淡の事件に吾人の興味あるは猶平凡
の人物に同情あるが如し。吾人の日常世界に
推移する事件は小説的に発展し、また小説的
に綜合する事少なし。故に写実家の作る結構
は、(結構は材料にあらざるも序(ついで)
なればいふ)結構として価値少なし。(結構
が結構として価値あるは普通以上なればなり。
普通以上なれば常住実世界に存在する事なし。
故に結構の結構として推賞すべきはその自然
以上に纏まりたる点において自然を欠くるも
のなり。たとへ技巧として完全に近きも写実
的幻惑は却ってこれがために損ぜられるるを
免れず)。写実家の描く景物は新奇なるを要
せず、日常眼前に横はるがため、吾に親切の
感多きものを捕ふれば足る。その理由に至っ
ては前者と一様なれば繰り返すの必要なし。



異常の事件
   2013/10/24 (木) 07:56 by Sakana No.20131024075650

10月24日

「写実家は平凡なる日常を記述するだけです。
奇を求めたりはしません」
「それでは沙翁の劇のような面白いドラマにな
らない」
「それでは、わが父をわが叔父が殺し、わが母
に通じるものがわが母、しかも、殺された父が
亡霊になってわが前に再三あらわれるという経
験をしたことがありますか」
「そんな経験はないが、ありえないことではな
い」
「このような異常の人、異常の事件は百年を通
じて吾人の身辺に偶発する機会はまずないので
すから、われわれとは別乾坤と写実家は考えま
す」
「東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争、帝銀事件、
下山事件、松川事件、ベトナム戦争、浅闔R荘
事件、地下鉄サリン事件、阪神淡路大地震、東
日本大震災、台風26号襲来──みんなこの百
年のうちに偶発したことだ」
「写実法も一つの方法、と理解しておけばよい
でしょう。もちろん、長所も欠点もあります」


 写実家はしかく平凡なるものなり。否奇を求
むる事を欲せざるものなり。而して吾人はその
平凡なる所、奇を求めざる所に向つて興味を感
ずるに過ぎず。かの沙翁の劇を検するに常に異
常の人を捕へて異常の事件を写すを以て、劇の
本領をなすものの如し。わが父を殺すものはわ
が叔父にして、わが母に通ずるものもわが叔父
なるのみか、殺されたる父の亡霊に会する事一
再にしてとどまらざるHamletの如きは余の未だ
嘗て遭遇せざる人物なり。可憐の身を挺して法
服に男装するのみならず、一字の法規を暗(そ
ら)んずるなくして、法庭に執拗なる猶太人を
説服するPortiaの如きも余の夢にだも見る能は
ざる女流なり。残忍不幸なるLearの二女の如き
も、陰険かんけつIagoの如きもまたわが知人中
に発見する能はざる非常識の徒なり。これらの
異常の人物が異常の事件に遭遇して行為する心
理作用の自然なるか将(は)た不自然なるかは
余の関知する所にあらず。ただこれ異常の人、
異常の事件は百年を通じて吾人の身辺に偶発す
るの機少なきを以て、吾人と別乾坤なるやの疑
を免れざる点において写実家の敢てせざる所の
ものなり。この意義において写実家は浪漫派に
反す。同じき意義のおいて写実家は理想家に反
し、また古典派に反す。余は敢て両者を軒ち
(優劣をつける)の意なし。ただその長短を比
較して両者各々の主張あるを明かにして、世の
文学を愛するものをして、作によって着眼を異
にすべきを知らしめんとするのみ。(この章は
特に写実を題目とするが故にこれを説く事詳
(つまびらか)にして深く他を解説するの余地
なし。他日を俟つ)。


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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