夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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組み合わせ
   2013/8/28 (水) 05:16 by Sakana No.20130828051644

08月28日

「文芸上の眞にして科学上の真にそむく例の
第三は組み合わせです」
「何と何の組み合わせだ」
「いろいろですが、要するに詩人や画家の想
像的創作物──現実の世から集めた材料を組
み合わせて、この世に存在しないものを描出
する手際です」
「想像力による虚構の存在か」
「ええ、ミルトンの悪魔とかスウィフトの
ヤフーとか」
「鬼とかお化けとか河童とか」

(三)組み合わせ

 詩人画家等の想像的創作物をいふ。即ち彼
らが現実の世より蒐(あつ)め得たる材料を
綜合してこの世に存在せざるものを描出する
手際を称したるなり。MiltonのSatan、Swift
のYahoo或は沙翁のA Midsummer Night's Dream
中のOberon、Titania、TempestのCaliban等、
凡てこれらはこの世において求めて得べきも
のにあらざれば科学的見地より検して不合理な
るは無論のことなれど、吾人がこれらより受
くる感情、感覚は生命を有し偽りなきを以て
これらは完全なる文芸上の眞を具有するもの
なるを知る。



ターナーの晩年の作
   2013/9/1 (日) 07:31 by Sakana No.20130901073107

08月31日

「ターナーの晩年の作はご覧になりましたか」
「はて、どんな画だっけ?」
「燦爛として絵具箱を覆えしたような海の画
や雨中に瞑蒙として色彩ある水上を行く汽車
の画です」
「そんな海や陸は自然界において見出すこと
はできない」
「しかし、充分に文芸上の眞を具有し、自然
に対する要求以上の要求を充たしています」
「そうだろうか」
「彼の画は科学上の真ならざれども文芸上に
醇乎として眞なるものといふを得るなり」

 由来文芸の要素は感じを以て最もとするも
のなるが故に、この感じを読者に伝へんとし
て伝へ得たる時吾人はこれに文芸上の眞を附
与するを躊躇せず。かのTurnerの晩年の作を
見よ。彼が画きし海は燦爛として絵具箱を覆
したる海の如し。彼の雨中を進行する汽車を
描くや瞑蒙として色彩ある水上を行く汽車の
如し。この海、この陸は共に自然界にありて
見出し能はざる底のものにして、しかも充分
に文芸上の眞を具有し、自然に対する要求以
上の要求を充たし得るが故に、換言すれば吾
人はここに確乎たる生命を認むるが故に、彼
の画は科学上の真ならざれども文芸上に醇乎
として眞なるものといふを得るなり。



「眞」なるものの標準
   2013/9/3 (火) 07:40 by Sakana No.20130903074002

09月03日

「文芸上の真は時と共に推移するものである
ことを忘れてはいけません」
「不易流行──時と共に推移するものは流行
であって、不易の眞ではない」
「文学の作品にして今日は真なりと賞せられ、
明日は急に眞ならずと非難を受くるもの多き
は吾人の日常目撃するところにあらずや」
「文学作品の評価なんてそんなものだ」
「これ凡て「眞」なるものの標準刻々に変じ
つつあるに拠るものとす」
「それは「眞」なるものの標準というよりも
単なる人気、つまり、読者の好き嫌いの標準
に拠るものではなかろうか。

  されどこの所謂(いわゆる)文芸上の真は
時と共に推移するものなるを忘るべからず。
文学の作品にして今日は真なりと賞せられ、
明日は急に眞ならずと非難を受くるもの多き
は吾人の日常目撃するところにあらずや。こ
れ凡て「眞」なるものの標準刻々に変じつつ
あるに拠るものとす。


見解の相違
   2013/9/6 (金) 05:41 by Sakana No.20130906054144

09月06日

「第三編 文学的内容の特質 第二章 文芸
上の真と科学上の真 の英訳は以上の通りで
す」
「省略はないのか」
「岩波文庫版『文学論』で約2ページが省略
されていますが、たいしたことはありません」
「その省略された2ページに何が書いてある?」
「要するに、私たちが文芸上の真なりとして
許容するところのものを、科学上の真ではな
いとして斥ける論者が世の中にはいるという
ことです」
「見解の相違というわけか」
「ええ、この点に関して見解の相違があると
いうことだけを頭の隅においておけばよいで
しょう」


文学的内容の相互関係
   2013/9/9 (月) 08:52 by Sakana No.20130909085225

09月09日

「本日から『文学論』(下)にうつり、まず
第四編 文学的内容の相互関係、を研究しま
す」
「英訳では Interrelations Between Literary
Substances」
「文学論のなかでもおそらく、これまでもっ
とも評価されていない論点だと訳者のマーフ
ィーは指摘しています」
「不対法とか仮対法とか、意味不明の用語を
使っているから理解されにくく、したがって
評価が低いのだ」
「英訳が理解の促進に役立ちます。不対法は
method of nonopposition、仮対法はpseudo-
opposition」
「英訳はわかっても、意味はわけがわからん」
「わかりますよ。英訳を参考にしながら、漱
石先生の理論を学びましょう。まず、宿題と
して、次の項目の英訳を考えておいてくださ
い。
  1)投出語法
  2)投入語法
  3)自己と隔離せる連想
  4)滑稽的連想
    口合
    頓才
  5)調和法
  6)対置法
    緩勢法
    強勢法
   (附)仮対法
    不対法
  7)写実法
  8)間隔論


修辞的表現法
   2013/9/12 (木) 08:46 by Sakana No.20130912084644

09月12日

「文芸上の真を発揮する手段としてあげられ
ている8項目の英訳は次の通りです」
「8項目が3通りに細分されている」
「ええ、Similarities(類似)、Contrast
(対比)、Contiguity(近接性)の3通り
です。こうすると、頭に入りやすいでしょう」
「Figures of Speechとはどういう意味だ」
「修辞的表現法です。直喩(simile)、隠喩
(metaphor)など」
「写実法(Realism)が対比に分類されている
のはなぜだろう。どうもよくわからん」
「英訳はもっぱら写実法(Realism)に力を入
れています。じっくり攻めましょう」

A. Similarities(類似)                     Corresponding Figures of Speech
  1)投出語法 Projection          Personification or prosopopeia
  2)投入語法 Introjection                Metaphor, simile
  3)自己と隔離せる連想 Dissociation      Metaphor, simile, allusion
  4)滑稽的連想 Comic Association         Pun, Wit      
    口合、頓才                                
  5)調和法 Harmonization Technique       None
B. Contrast(対比)
  6)対置法 Counterposition
    緩勢法      a) methods of emphasis           Litotes
    強勢法      b) methods of attenuation        Antithesis
   (附)仮対法  [pseudo-opposition]              Antithesis and climax
    不対法      c) method of nonopposition       Burlesque
  7)写実法      Technique of realism (shajituho) None
C. Contiguity(近接性)
  8)間隔論      Distance                 Temporal (vision)
                                             Spatial (expansion of vision)


理非の境の脱却
   2013/9/15 (日) 07:42 by Sakana No.20130915074215

09月15日

「文学者は慈母の取計らひの如く理非の境を
脱却して、知らぬ間に吾人の心を動かし来
(きた)る」
「理は理、非は非だ」
「そう思うなら科学者になってください」
「黒白をあきらかにせよ」
「法律家になってください」
「きみはどうするつもりだ」
「余は文学者たらんとし、生命の源泉たる感
情の死命を制してこれを擒(とりこ)にせん
とす」
「情に棹させば流される」

 余は前篇の所論により文学者の覚悟をやや
分明ならしめ得たりと信ず。約言すれば科学
者が理性に訴へて黒白を争はんとするに引き
かへて、文学者は生命の源泉たる感情の死命
を制してこれを擒(とりこ)にせんとす。科
学者は法庭の裁判を司どるが如く、冷静なる
宣告を与ふ。文学者は慈母の取計らひの如く
理非の境を脱却して、知らぬ間に吾人の心を
動かし来(きた)る。その方法は表向きなら
ず、公沙汰ならずしてその取捌(とりさばき)
は裏面の消息と内部の生活なり。
 これら内部の機密は種々特別の手段により
て表出せられるものにして、これらの手段を
善用してその目的を達したる時、吾人は一種
の幻惑を喚起してそこに文芸上の真を発揮し
得たりと称す。


観念の連想
   2013/9/18 (水) 07:08 by Sakana No.20130918070847

09月18日

「文芸上の真を伝える手段を講じる学問とし
ては修辞学があります」
「レトリック(rhetoric)」
「世の中で行われている修辞学は専断的な分
類に力を入れすぎる傾向があるので、勉強し
てもあまり効果がありません。それよりも漱
石先生の説を学びましょう」
「ここまでつきあったのだから毒食わば皿ま
でだ」
「文芸上の真を発揮する幾多の手段の大部分
は一種の<観念の連想>を利用したものに過
ぎません。次の方法は全くこの主眼を本とし
て組み立てた結果に外なりません。
  1)投出語法 Projection          
  2)投入語法 Introjection                
  3)自己と隔離せる連想 Dissociation      
  4)滑稽的連想 Comic Association         
  5)調和法 Harmonization Technique       
  6)対置法 Counterposition」

 既に文芸上の真を論じたる余は勢いこの真
を伝ふる手段を説かざるべからず。由来この
手段を講ずるに所謂修辞学なるものあり。さ
れども坊間に行はるる通俗の修辞学は徒(い
たずら)に専断的の分類に力を用ゐ、その根
本の主意を等閑視する傾向あればその効果著
(いちじるし)からず。余の説を以てすれば、
凡そ文芸上の真を発揮する幾多の手段の大部
分は一種の「観念の連想」を利用したるもの
に過ぎず。以下説くところの(第一、二、三、
四、五、六)の如き全くこの主眼を本として
組み立てたる結果に外ならず。





写実法(Techniques of Realism)
   2013/9/21 (土) 07:28 by Sakana No.20130921072836

09月21日

「英訳ではいきなり7番目の写実法の講義にと
んでいます」
「文芸上の真を伝える手段として<観念の聯
想>を利用した方法、即ち、
  1)投出語法 Projection          
  2)投入語法 Introjection                
  3)自己と隔離せる連想 Dissociation      
  4)滑稽的連想 Comic Association         
  5)調和法 Harmonization Technique       
  6)対置法 Counterposition」
はどうしてくれるんだ」
「それは岩波文庫版『文学論』(下)のp14から
p152までを熟読し、しっかり頭に入れておいて
ください」
「写実法は、<観念の聯想>を利用せず、自然
ありのままを描写する方法だ」
「『文学論』が発表された頃の日本は自然主義
が文壇の主流でした」
「それは文芸上の真を伝える一つの方法にすぎ
ない。他にもたとえば、滑稽的聯想による方法
もあるよといって、漱石は『吾輩は猫である』
を書いた」
「ええ、ですが、写実法を無視しているわけで
はありません。英訳者は写実法を重視しており
ます」

 余は前段において吾人の用ゐる文学的手段
と名(なづ)くべきもの六種を挙げてこれを
叙述せり。首(はじめ)に四種の聯想法を説
き次に調和、対置の二法に論及したるが故に
更に章を改めて写実の一法を論ぜんと欲す。


文学の材料は孤立せず
   2013/9/24 (火) 07:38 by Sakana No.20130924073814

09月24日

「凡そ文学の材料となり得べきものは(F+f)
の公式に引き直すことができますが、文芸上
の眞を伝える手段として<観念の聯想>を利
用した六種の手段ではこの材料が(F+f)
として孤立していません」
「(F+f)は孤立せずか」
「新しい材料の(F'+f)とを結合させます。
その結合より生ずる変化の類目について漱石
先生が比較的に組織立ちたる方法で調査した
結果はこれまでに述べた通りです」
「述べていないよ」
「そうでした。英訳では省略されているので」
「どうしてくれるんだ」
「岩波文庫版『文学論』のp14からp152までを
読んでください。この六種に共有なる特色は一
材料を表現するに他の材料を雇ふにあり。少な
くとも二個以上の材料材料なきときこの手段は
成立せざるにあり」

 凡そ文学の材料となり得べきものは(F+f)
の公式に引き直すを得べしとは、本論の冒頭
において説けるが如し。而して上来点検し来
れる六種の手段とはこの材料が単に(F+f)
となって孤立せず、これに加ふるに(F'+f)
なる新材料を以てして両者の結合より生ずる変
化の類目を、比較的に組織立ちたる方法により
て調査したるに過ぎず。故にこの六種に共有な
る特色は一材料を表現するに他の材料を雇ふに
あり。少なくとも二個以上の材料材料なきとき
この手段は成立せざるにあり。


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