夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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人生は文学にあらず
   2013/4/30 (火) 10:33 by Sakana No.20130430103354

04月30日

「第一編第三章 文学的内容の分類及びその
価値的等級 の原文は岩波文庫版でまだ約20
頁分が残っていますが、英訳は前々回までで
終了です」
「漱石のくどすぎる説明に訳者がうんざりし
たのかもしれないが、まあ大勢に影響ないだ
ろう」
「一応、原文の20頁分をおさらいしておきま
した。要するに、<吾人が文学に持つ要素は
理性にあらずして感情にあり>で、<喚起し
得る情緒の多少によってその文学的内容とし
ての位置を確定すべきものとす>です」
「(F+f)のf」
「ただし、人生は文学にあらず、という点を
頭に入れておいてください。<人生そのもの
は必ず情緒を主とするものにあらず。また、
これを主として送り得べきものにあらず。こ
こに気がつかぬは憂ふべきことなり>です」
「しかし、漱石は鏡子夫人に対してよく癇癪
を起こしたという」
「それは家庭の事情であって、文学ではあり
ません」


文学的内容の数量的変化
   2013/5/3 (金) 08:58 by Sakana No.20130503085846

05月03日

「第二編 文学的内容の数量的変化 にすす
みます」
「英訳は添付しないのか」
「著作権の問題もありますから、やめておき
ます」
「漱石の著書の著作権はきれているはずだ」
「飜訳にも著作権がありますから」
「それならきみは今まで著作権を侵害したこ
とになる」
「全体の五分一程度です。その程度なら単な
る提灯として許容されるでしょう」
「了解」
「ところで、文学の四種の材料は全量に於い
て増進するのか、減退するのか、それとも静
止の状態にあるのでしょうか」
「さあ。途方もない質問なので、答えようが
ない。そもそも文学的内容が数量的に変化す
るのだろうか」
「第二編で漱石は知識の分野における文学対
科学の状況の前提として数量的土台に文学的
経験を置こうと試みている(In Book 2 Soseki 
tries to place literary experience on a 
quantitative basis prefatory to the situation 
of literature vis-a-vis science in the field 
of knowledge.)と解説しています」
「文学的内容を文学的経験(literary experience)
というなら増減するかもしれない」
「私の文学的経験も増加しています」
「ボケの進行によって減少しているかもしれな
いぞ」

 「以上は文学の四種材料を分類しその各特
質を論じまたその相互の関係を説明したるも
のなり。これより少しく着目点を移してこの
四種の材料は数量的に如何なる原則の下に推
移しつつあるかを弁ぜんとす。即ちこれらの
材料は全量に於いて増進するものなりや。減
退するものなりや。将(は)たまた静止の状
態にあるべきかを検せんとす」



文学的内容と文学的材料
   2013/5/6 (月) 06:45 by Sakana No.20130506064537

05月06日

「文学的内容の何たるや、をここで今一度注
意して詮議したいと思います」
「文学的内容は英訳では、literary substance
──つまり、文学的実体となっている。substance
(実体)というと不増不減で、数量的変化はし
ないのではないか」
「ところが、<余は講義の始めに当り凡ての文
学的材料は(F+f)なる形式に改め得べきも
のなることを述べたり>とここには書いてあり
ます」
「文学的材料(literary material)なら増減す
るかもしれないが、漱石が講義の始めに述べた
のは<凡そ文学的内容の形式は(F+f)なる
ことを要す>だ」
「文学的内容の形式なら増減するはずがないと
思いますので、ここでは文学的材料と言い替え
たのだと思いますが」
「今頃になって、文学的材料という用語とすり
かえるとはけしからん」
「まあ、そんなこまかいことを詮議しなくても
よいでしょう」
「前回、きみは訳者の解説として、<漱石は知
識の分野における文学対科学の状況の前提とし
て数量的土台に文学的経験を置こうと試みてい
る(In Book 2 Soseki tries to place literary 
experience on a quantitative basis prefatory 
to the situation of literature vis-a-vis science 
in the field of knowledge.)を引用したが、
文学的経験(literary experience)なら個人にと
っても人類にとってもあきらかに増減している。
それが数量化できれば文学が科学に一歩近づける
かもしれないね」
「国民総文学的経験(Gross National Literary
Experience)を計算しましょう」

 この問題に立ち入るに先(さきだ)ち、少
しく遡(さかのぼ)りて文学邸内容の何たる
やを今一度注意して詮議するの必要を認む。
余は講義の始めに当り凡ての文学的材料は
(F+f)なる形式に改め得べきものなるこ
とを述べたり。而して今文学の材料の増減如
何を論ずるに当りては勢ひ(F+f)一分子
たるFの増減如何を究めざるべからず。もし
このFにして増減性を具有するものなりとせ
ば、次に論ずべきはこの増減的Fに伴ふてf
は如何に移り行くものなりやを考へざるべか
らず。かくの如くこの二者の性質を明瞭に決
定し得たる後、吾人は始めて文学的材料の数
量的変化につき云々することを得るものとす。


Fの変化
   2013/5/9 (木) 08:20 by Sakana No.20130509082019

05月09日

「数量的にFは如何に変化するか」
「一個人の生涯で赤ん坊と成人を比較してみる
と、成人は第一に識別力(the capacity for 
distinction)が増加しており、第二に識別すべ
き事物(the objects to be distinguished)が
あきらかに増加しております。人類の歴史で未
開人と現代人を比較しても同じことがいえます」
「時間の経過とともにFが変化することはわか
った。だが、そのFは材料(material)あるいは
経験(experience)であって、実体(substance)
ではないだろう」
「と、おっしゃいますと?」
「実体は<多様に変化してゆくものの根底にあ
る持続的、自己同一的なもの>のはずだ。それ
なら時間が経過しても数量変化しない」
「そんなことをいわれても困ります」
「文学的内容をliterary substanceと訳すと、
その疑問が出てくる」
「文学的内容は時には文学的材料(literary 
material)あるいは文学的経験(literary experience)
と考えればよいでしょう」
「なんだか、いい加減だな」
「融通無碍といってください」

 Fは如何に変化するか。今一個人の生涯を通
じて観察する時は、吾人の赤子たりし頃より幼
年、少年、青年時代を通じて吾人の認識力の変
化は二様の特性につづめ得べし。第一は識別力
の発達にして、第二は識別すべき事物の増加な
りとす。人類発達の長歴史もまた如斯(かくの
ごと)き影響を蒙るものなりと信ず。所謂識別
力の発達とは個人の幼時または人文未開の世に
ありては同一のFなりと考へられたるものが漸
次時期を経過し経験を積むに従ひて二個以上の
Fなることを発見し来る意にして、即ち一個の
Fなるものを識別力の発達に伴ひてF’F’’
F’’’様の如くに分岐し得るに至ることなり。
この点よりしてFは時と共に増加するものなる
こと疑いなきが如し。また所謂識別すべき事物
の増加といふ意は、人間は一日一時にても余計
に生きながらふれば、それだけ新しい事態に接
触するかまたは少なくとも間接になりともこれ
を見聞する機多かるべきをいふものなり。幼年
時代の見聞と不逢の年に達しての見聞とは到底
比較し難かるべく、また草昧時代の生民のFと
開明の今日の人民のFとの間にその数量上著し
き相違あることも疑ふ余地あらざるべし。




感覚的材料の変化
   2013/5/12 (日) 08:19 by Sakana No.20130512081949

05月12日

「四種類の文学的材料のうち、まず感覚的材
料が如何にして数量変化するかを検証しまし
ょう」
「人間の感覚の識別力は一生を通じてそれほ
ど変化するとも思えないし、古代人と現代人
の識別力もそれほど変化しているとは思えな
い」
「では夏草の緑と常磐木の緑との区別がつき
ますか」
「どちらも緑だ。たいした違いはない」
「その間に非常の差あるべし。個人の一生に
おいても、幾十世紀の経験を重ね来たる人類
の感覚的材料の量においても」
「そんなことは画家や美術評論家以外の普通
人にとってはどうでもよいことだ」
「しかし、現代人はテレビの画面を通じてア
フリカの砂漠やアメリカの森林やヒマラヤ連
山などを見聞しています。古代人に比べて識
別すべき事物が増加していることはまちがい
ありません」
「それがどうした。人間の幸福はそんなこと
とは関係がない」
「議論しているのは幸福論ではありません。
文学論です」

 今前に述べたる文学的材料の一々につきて
Fの如何に増加するかを検せんに、
(一)感覚的材料。(a)初は夏草の緑も常磐
木の緑も、緑に二種あらずと思ふ人も少しく
注意を鋭くすればその間に非常の差あるを知
るべし。酒の如き、煙草の如き、或は香水の
如き沈香の如き皆しかり。これを個人の一生
に適用すれば幼時は識別力を欠き漸(ようや)
く経験を積むに従ひてこの能力次第に発達し、
かくして感覚的材料著しく増加するものなり
とす。この理(ことわり)を推して、文化の
進まざる古代の民よりも幾十世紀の経験を重
ね来たる今日の人類がその感覚的材料の量に
おいて勝(すぐ)れたること無論なりとす。
(b) 見聞の事項が増加するおとにつきては多
言を要せざるべし。阿弗利加の砂漠、亜米利
加森林の有様、Himalaya連山の荘厳、黄河の
氾濫等、昔時にありては極めて狭隘なる一地
方の天地自然に接触せるものが二十世紀の今
日に至れば地球上あらゆる隅々に単純なる事
実として手にとる如く受けとらるるに至る。


人事的材料の変化
   2013/5/15 (水) 09:18 by Sakana No.20130515091817

05月15日

「次は人事的材料ですが、たとえば昔の人は
すべの怒憤が<怒>の一字で表現されていた
のが、現代人の怒憤は悲恨、義憤、激怒など
種々の文字が用いられます。現代人は古代人
に比べて怒憤の識別力が増加しているといえ
るでしょう」
「笑は?」
「哄笑、大笑、微笑、苦笑、憫笑、嘲笑、薄
笑、忍笑、含笑など」
「薄笑、忍笑、含笑とはなんだ」
「薄笑い、忍び笑い、含み笑い──現代人は
いろいろと使い分けて笑っていますね」
「それで識別力が増加したいってうぬぼれて
いる。阿呆らしい」
「いずれにしても人事的Fは数量が増加して
います。超自然的F、知的Fも同様です」

(二)人事的材料。(a)昔時は凡ての怒憤も
「怒」の一字にて遺憾なく弁じたるべし。さ
れど今日は怒に幾通の階級あり。これらを表
出するがため種々の文字を用ゐるに至りしも
全く識別力の増進の結果といひ得べし。曰く
悲恨、義憤、激怒等その数甚だ多し。(b)
吾人は識別力の発達により解剖的手段をとり、
かつては同じと信じられし人事人情に多様の
差異を認るに至ることとし上述の如くなれど、
一方においては上代が経験し得ざりし事項人
事を今代に至って知覚すること多し。或は地
球の或る部分が感じ能はざるものを時を同じ
くして生存する他の一部が雑作なく知覚する
こと多し。例へば野蛮の国民は自然界に対し
て簡単なる恐怖の情を起すにとどまるべきも
開明の民は複雑なる崇高感想を以てこれに臨
むべし。而してこの崇高なるものは人間の能
力の漸進につれ新しく附加せられたるものに
外ならず。
 三四もまた同じ上述の二様に発展するもの
とす。


fの変化
   2013/5/18 (土) 08:40 by Sakana No.20130518084030

05月18日

「私たちのF(焦点的印象または観念)は識
別力と識別すべき事物が絶えず増加しており
ますが、これに伴って、情緒的要素のfも増
加します」
「それはもうわかった」
「では、fの増加のついて、漱石先生のご見
解を紹介します」
「よきにはからえ」
「余案ずるにfの増加は三つの法則に支配せら
るものの如し。即ち(一)感情転置法、(二)
感情の拡大、(三)感情の固執これなり」
「漱石はなんでも分類したがる男だ」
「先生は文学者であり、科学者です」
「科学者というより心理学者だろう」
「心理学は科学ではないのですか」
「広義の科学には含まれるが、狭義の科学には
含まれない」
「では、漱石先生は文学者であり、狭義の科学
者です」
「文学博士は辞退したから、広義の文学者とは
いえない」
「わかりました。漱石先生は狭義の文学者であ
り、かつ狭義の科学者です」

 さて吾人の知覚力はその識別力の点におい
てまたその増加の範囲において如此(かくの
ごとく)絶えずFを増加しつつある間に、こ
れに伴ふべきfは如何にといふにこれまた一
種の意義において増加しつつあること疑なし。
今暫くその増加につき論ずるところあるべし。
余案ずるにfの増加は三つの法則に支配せら
るものの如し。即ち(一)感情転置法、(二)
感情の拡大、(三)感情の固執これなり。


感情転置法
   2013/5/21 (火) 08:30 by Sakana No.20130521083033

05月21日

「F(焦点的印象または観念)の増加に伴う
f(情緒的要素)の増加は三つの法則に支配
されていますが、そのうち先ず第一の感情転
置法についての説明です」
「<情緒の転置>なる現象は心理学にありて
最も趣味ある事実の一つだというが、はたし
てどうだろう」
「雛鶏が毛虫を見て、つつき、驚いて逃げた
としましょう。次に雛鶏が毛虫を見たとき、
こんどは毛虫を見るだけで、逃げてしまう。
この場合、不快という感情が毛虫を啄んだと
いう触覚から視覚に転置したことになります」
「なるほど。パブロフがベルを鳴らしてから
犬にエサを与えるようにしたら、そのうち犬
は、ベルを鳴らしただけで唾液を出すように
なった。これは聴覚から味覚への転置だ」

 (一)先ず第一の感情転置法より説明すべ
し。心理学にありて最も趣味ある事実の一つ
は、かの「情緒の転置」なる現象とす。こは
一物AなるFにつきてあるfを起こす時、あ
る原因よりこのfは他物BなるFにも附着し
来る現象を指すものなり。即ちFとfとの間
に起る一種の連想なり。卑近の例を挙ぐれば
雛鶏が毛虫を見てつつき驚き逃ぐることあり
とせよ。その後この雛は同様の場合に遭ふ時
決して同様の経路をふくことなくして、しか
も同一の終点に達するものなり。即ち、
 視ること・・・
 啄むこと・・・   逃走
 不快  ・・・
なる経路は変じて
 視ること・・・   逃走
 不快  ・・・
となるべし。かくて雛は啄みと不快とを連絡
せしむるのみならず、視ることと不快とをも
完全に連絡せしむるに至る。これ即ち不快な
る感情を啄みより視覚に転置せるものとす。


感情転置の例
   2013/5/24 (金) 08:04 by Sakana No.20130524080420

05月24日

「感情fが転置する例が他にもいくつかあげ
られています」
「雛鶏が毛虫を見ただけで逃げるという例だ
けでは満足しないのか」
「人間は欲望を充たしてこそ満足するはずな
のに、とりあえず金を得たでけで満足します」
「地獄の沙汰も金次第」
「cockney というロンドンの下層人民に対し
て嫌悪を抱いている人は、cockneyの言語を聞
いただけで、不快を感じます」
「十九世紀の話だろう。cockney出身のビート
ルズの音楽がヒットして以来、cockneyの言語
を聞いて快感を覚える人が増えた」、
「そうでしょうか。私は快感を覚えませんが。
一方、亡き母の指輪──これを見るたびにやさ
しかった母を思い出すという感情転置の心情は
理解できます」

 また人間は欲情を充し得て始めて満足の念
を生ず。然るにこの満足の念を充欲より転置
して金銭に及ぼし、金を得れば直ちに満足の
念を生ず、これ明(あきらか)に転置法の一
例なり。また、cockney、とは倫敦市の下層
人民の使用する言語を名づけたるものなるが、
由来この cockney そのものに上等下等の感じ
が伴ふ理(ことわり)なし、ただ吾人は下層
人民に対して生ずる嫌悪の念を彼らの言語に
転置して遂に cockney その物を耳にして不快
の念を生ずるに外ならず。世に亡き母の遺物、
結婚の指輪等皆この原則に基ける情緒を有す
るものなりとす。その物自身の貴きにあらず
してその主に対する情緒を転置したるがため
のみ。



バジリコの鉢
   2013/5/28 (火) 07:57 by Sakana No.20130528075708

05月27日

「感情転置法が使われている文学の例として
ボッカチオ『十日物語』の一節をご紹介しま
す」
「『十日物語』?」
「『デカメロン』です。その第三日目に、メ
バウキの鉢の話があります」
「メバウキ?」
「メボウキです。英語ではBasil、イタリア語
ではバジリコ」
「バジリコなら知っている」
「恋人を失ったイザベラは、バジリコの鉢に
悲しみの感情を転置します。ラファエル前派
の画家ホルマン・ハントの画にこの可憐のIsabella
が鉢によりかかる様を描けるものありと注記
されていますから、おそらく漱石先生はロン
ドンで画を観ておられると思います」。

 文学の講義なれば文学の例、二、三を挙ぐ
べし。かのBoccacioの『十日物語』第三日五
の物語。Isabellaの悲劇の如きは、よくこの
法則を説明したるものなり。Keatsは後年これ
を詩にあらためThe Pot of Basilと題しぬ。
Isabellaといふ美人とその薄命の恋人Lorenzo
との物語なり。Isabellaはもともと名ある家
に生れ、二人の兄弟と楽しく月日を送りしが、
この乙女にLorenzoといふ恋人あり。相思の両
人は一日も早く居を共にせんと願ふ。男はそ
の日を待ちて、
 "Tomorrow will I bow to my delight,
   Tomorrow will I ask my lady's boon."
                ---St. iv
(明日はわが喜びの人にひざまずこう/明日は
わが思う人の恵みをもとめよう。──第四連)
と心のうちに思ふ。女もまた、
 "Until sweet Isabella's untouched cheek
   Fell sick within the rose's just domain."---Dt. v
(やがて美しいイザベラの汚れない頬は/手入れ
よき薔薇の園にありながら病み衰えた。──第五連)
とまで焦(こが)れ居たりしにIsabellaの兄弟、
腹黒き男にてLorenzo風情に妹を嫁(めと)らす
は不承知なりとて百方離間の策を案ずれども、
到底尋常一様にては二人の愛情を揉み消すこと
難きを知り、遂に男を林中に誘ひ人知れずこれ
を殺して、女にはその男外国に渡りたりと偽る。
然るに不思議にも殺されしLorenzoがIsabellaの
枕辺に立ちて夢に
  "I am a shadow now, alas! alas!"---St. xxxix
(わたしはいまや影になってしまった。ああ、ああ!
               ──第三十九連)
と告ぐ。ここにおいてIsabellaは己が兄に欺か
れたるをさとり、翌朝年たけし乳母と共に夢にう
つりし林に分け入り恋人の埋められしところを探
りあてて堀り返し、その死骸の首をきってわが家
に携へ帰り、さてその髪を黄金の櫛にて梳(くしけず)
り、そを香高き布に包みて植木鉢に埋めて上にメ
バウキの樹を植ゑたりと。
 "And she forgot the stars, the moon, and sun,
    And she forgot the blue above the trees.
   And she forgot the dells where water run,
    And she forgot the chilly autumn breeze;
   She had no knowledge when the day was done.
    And the new morn she saw not; but in peace
   Hung over her sweet Basil evermore
    And moistene'd it with tears unto the core."---St. liii
 (乙女は忘れた、星も月も太陽も。/そして木々のうえ
の青空も。/そして忘れた、小川の流れる谷間も。/そして
冷ややかな秋の風も。/乙女は気づかなかった。いつ日が
暮れたかを。/目にしなかった、新しい朝も。ただひっそ
りと/いつまでも愛しいメボウキの上にうなだれ、/
その茎の芯まで涙で塗らした。──第五十三連)
(序(ついで)ながら、かの英国Pre-Raphaelite派の画家
Holman Huntの画にこの可憐のIsabellaが鉢によりかかる様
を描けるものあり)。


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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