夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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アベノミクス信者へ与うる頌
   2013/3/31 (日) 07:20 by Sakana No.20130331072026

03月31日

「ワーズワースの詩、Ode to Duty(義務へ
与うる頌)を何度も読んでいると、素晴らし
い詩だと思えてきた」
「でも、如何にその乾燥無味なるかを見よ、
と漱石先生の冷たい眼差しが気になります」
「漱石が『文学論』を書いていた頃は、まだ
未熟な青二才だった。年齢的には今のわしの
ほうが成熟している」
「しかし、義務が<神の声より生まれた厳し
い娘>とは私にはどうしても思えません」
「では、duty(義務)の語源を調べてみなさ
い」
「はい、語源辞典スペースアルクによれば、
L.debere(=owe). debit. 帳簿の借方 [語源] 
反対語 credit(=貸方). debt. 借りる.とな
っています」
「要するに、借りた金を期限内に返すという
のがDutyの意味だ」
「なんだ、そんなことですか」
「軽く考えてはいけない。これを<神の声よ
り生まれた厳しい娘>として受け入れ、ああ
その通りだと納得する感性が大事だ」
「感性というより常識だと思いますが」
「最近、アベノミクスとやらで不動産バブル
が再燃しそうになっているが、1980年代後半
のバブルは不心得者どもが銀行から借りた金
を期限内に返さず、銀行がそのつけを国民に
まわしたことが原因。あの過ちを繰り返さな
いような配慮が必要だ」
「そうですね。学校では君が代の代わりに、
ワーズワースの詩、Ode to Duty(義務へ与う
る頌)を生徒に歌わせたほうがよいかもしれ
ません」
「生徒よりも政治家と銀行員と不動産業者に
歌わせたほうがよい」


お菓子とビール
   2013/4/3 (水) 10:06 by Sakana No.20130403100650

04月03日

 「ワーズワースの詩Ode to Duty(義務へ
与うる頌)の全体を通じて最も詩的なるは、
 (花々はお前をまえにして花壇で笑い/
    芳香はお前が踏む足跡に迷う。/
    お前は星たちが迷わぬように守ってやり、
  最も老いた天でさえ、お前のおかげで颯爽として力強い)
の数行なるがその理由を思へば、ただ比較的
具体的なりといふが故のみと、漱石先生は
言っておられます」
「花が笑うというのは単なる比喩。星たち
が迷わぬように守ってやるというのも同様。
要するに擬人法を比較的具体的といっている
にすぎないが、<お前>とは誰だ?」
「Duty(義務)です」
「<お前>がいけないのだ。というより、
<お前>の翻訳語がいけない」
「そうでしょうか」
「たまたま、モームの"Cakes and Ale"(『お
菓子とビール』を読んでいると、次のような文
章があった。Dutyがイギリス人にとっては擬人
化し得る詩的言語だということを証明する一例
だと思う。
 "thus I see the dukes of Manchester writing a poem of
a didactic and moral character, the dukes of Westminster
composing stirring odes on Duty and Responsibilities of
Empire;"
  (マンチェスター公爵家の方たちは道徳的な教
訓詩を、ウェストミンスター公爵家は義務と帝国
の責務という題名で感動的な頌(オード)を・・・
それぞれ歌うがよい)「ワーズワースの詩Ode to Duty(義務へ
与うる頌)の全体を通じて最も詩的なるは、
 (花々はお前をまえにして花壇で笑い/
    芳香はお前が踏む足跡に迷う。/
    お前は星たちが迷わぬように守ってやり、
  最も老いた天でさえ、お前のおかげで颯爽として力強い)
の数行なるがその理由を思へば、ただ比較的
具体的なりといふが故のみと、漱石先生は
言っておられます」
「花が笑うというのは単なる比喩。星たち
が迷わぬように守ってやるというのも同様。
要するに擬人法を比較的具体的といっている
にすぎないが、<お前>とは誰だ?」
「Duty(義務)です」
「<お前>がいけないのだ。というより、
<お前>の翻訳語がいけない」
「そうでしょうか」
「たまたま、モームの"Cakes and Ale"(『お
菓子とビール』を読んでいると、次のような文
章があった。Dutyがイギリス人にとっては擬人
化し得る詩的用語だということを証明する一例
だと思う。
 "thus I see the dukes of Manchester writing a poem of
a didactic and moral character, the dukes of Westminster
composing stirring odes on Duty and Responsibilities of
Empire;"
  (マンチェスター公爵家の方たちは道徳的な教
訓詩を、ウェストミンスター公爵家は義務と帝国
の責務という題名で感動的な頌(オード)を・・・
それぞれ歌うがよい)


Kantの論文、Hegelの哲学講義
   2013/4/6 (土) 09:48 by Sakana No.20130406094828

04月06日

「文学的内容の基本成分としてのF(焦点的
意識、印象または観念)には感覚、人事、超
自然、知識の4種があり、そのうち具体的成
分が極端に少なくなって、極端に至った散文
は読者の感興を惹きおこす可能性が少なく、
もはや文学とはいえません。たとえば、Kant
の論文の如く、Hegelの哲学講義の如く、或は
Euclidの幾何学の如く」
「而して、漱石の『文学論』の如し」
「たとえ、哲学者、科学者の論文ではなく、
吾人が文学的内容として採用し得べき第四種
のもの(知的F)といえども、人世の重大事
件に触るることなき時はその興味著しく減退
して、読者の微笑を誘うだけです」
「すると、『文学論』は人世の重大事件に触
っていないのだろうか」
「そこが問題ですが、私としては人世の重大
事件に触っていると信じております」
「信じる者は幸いなれ」

「以上詩に就て述べしところのものは散文に
もまた適用すべきものなり。具体的成分減少
して極端に至ればKantの論文の如く、Hegelの
哲学講義の如く、或はEuclidの幾何学の如く、
(ごう)も吾人の感興を惹かざるに至るべし。
勿論これらのものはPlatoのいひし如く、「混
沌のうちより規律を立て、荒漠のうちより物体
を取り来り、境なきものに境を劃(かく)し、
形なきものに形を与へ、事物に観念を冠する」
点において吾人の情緒を動かすことなきにあら
ざれど、この際その内容そのものは情緒と全く
没交渉なるを忘るべからず。また仮令(たとい)
哲学者、科学者の専門の論文ならずして、吾人
が文学的内容として採用し得べき第四種のもの
といへども、人世の重大事件に触るることなき
時はその興味著しく減退すること、あたかも微
風が水面を払ふて瞬間の漣*(れんい)を生ず
るが如く、ただ僅に読者の微笑を買ふに過ぎざ
るべし」
"What has been said about poetry also applies
to prose. When you take the reduction of concrete
elements to the eextreme---as in Kant's critiques,
the philosophical lectures of Hegel, or Euclid's
geometry---you will find that there is no excitation
at all. Of course, insofaras these efforts, as Plato
put it, "raise order from chaos, recover objects from
the boudless waste, draw borders in the borderless,
give form to the formless, and represent the things
of the world in concepts," you are not likely to remain
unmoved, but the content of these discourses themselves
admits of no negotiation with emotion. Let's say for the
moment that we are not dealing with a philosophical or
scientific text circulated among specialists but a text
that partakes of literary substance of the fourth type 
(intellectual F). Unless it touches, to some degree, on 
an incident of some purport in human affairs, our interest
declines and ebbs, becoming like the ripples a light
breeze produces on the surface of the water, and it will 
elicit little more than a smile." (translated by JAM)


情のこもらぬ冷淡な愉快
   2013/4/9 (火) 08:02 by Sakana No.20130409080242

04月09日

「文学的内容が抽象的で、具体性にとぼしい
場合、その知識Fは読者の感興を惹きおこし
にくいのですが、その一例として、メレディ
スの文章を引用します」
「わかりにくい文章だが、じっくり読めば理
解できる。話者の主張は正論だよ」
「知育の高き人や世故に経験ある人は通読し
て面白味が心の底にふわりと浮かぶかもしれ
ません」
「そうか。わしは知育の高き人あるいは世故
に経験のある人なんだな」
「知育が高いかどうかは疑問ですが、世故に
たけた古狸であるとはいえるでしょう。でも、
この引用文から面白味を感じたとしても、そ
れは情のこもらぬ冷淡な面白味です」
「非人情の草枕的面白味のどこか悪い?」
「悪いとはいっていません。事実を指摘して
いるだけです。情熱の愉快にあらず、電光の
愉快にあらず、直下の愉快にあらず、これら
よりも落ち付きたるによって情のこもらぬ冷
淡なる愉快なり」」

"This was the shadowy sentiment that made 
the wall of division between them. There was
no other. Lord Ormont had struck to fragments
that barrier of the conventional oath and 
ceremonial union. He was unjust---he was Injustice.
The weak may be wedded, they cannot be married to 
Injustice. And if we have the world for the buttress of 
injustice, then is Nature the flaring rebel; there is 
no fixed order possible. Laws are necessary instruments
of the majority; but when they grind the sane human
being to dust for their maintenance, their enthronement 
is the rule of the savage's old deity, sniffing blood
sacrifice. There cannot be a based society upon such 
conditions. An immolation of the naturally constituted
individual arrests the general expansion to which we step,
decivilizes more, and is more impious to the God in man,
than temporary reveries of a license that Nature soon
checks."
---Meredith, Lord Orment and Aminta. chap. xxiv.
(これが彼らの間を隔てる塀となる暗い感情
だった。ほかには何もない。オーモント卿は、
因習的な誓いとか儀礼的な繋がりとかいった
障壁を粉砕してしまったのだ。彼は正しくな
かった──不埒者だった。弱者は不埒者と結
婚の儀式をあげることはできても、本当に結
ばれることはない。もしわれわれが不埒な行
為を守る障壁として世間を用いたなら、自然
は反抗の炎を上げるだろうし、不動の秩序な
ど不可能になってしまう。法は多数者が必要
とする道具である。しかし法を維持するため
に健全な人間を粉々につぶすようなことがあ
れば、法を玉座につけることは未開人の古め
かしい神にほかならなくなり、血の生贄の匂
いがする。本来の資質にめぐまれた人間を犠
牲に供することは、われわれが志向する全面
的な発展を阻み、非文明化を推進し、人間の
内部にある神を汚すものであり、それに比べ
れば、自然がすぐに歯止めを掛けてくれる一
時の放埒狼藉などまだましというものである。
──メレディス『オーモント卿と彼のアーミンタ』第二十四章)

 「面白からざるにあらず、知育の高き人、
もしくは世故に経験ある人が通読して心の底
にふわりと浮ぶ面白味に過ぎず。情熱の愉快
にあらず、電光の愉快にあらず、直下の愉快
にあらず、これらよりも落ち付きたるによっ
て情のこもらぬ冷淡なる愉快なり」
"It's not that this is uninteresting. A person
of some cultivation, or a person with some
experiece of the world, will read this through
and feel a slight sense of interest in his heart.
It will not, thought, be the pleasure of passion,
the electric experience, the joy of direct
impression. Rather, it will be the calm, cold
pleasure in reflection."
  (translated by JAM)


ありのままの真実
   2013/4/12 (金) 09:50 by Sakana No.20130412095031

04月12日

「文学的内容が抽象的で、読者の感興をよびお
こしそうもない知的Fの例として、メレディス
の小説『エゴイスト』からもう一例ご紹介しま
す。これはおそらく漱石先生ご自身が飜訳され
たものでしょう」
「"a rough truth"を<ありのままの真実>と訳
しているが、ニュアンスが違うのではないか。
天網恢恢疎にして漏らさずのような真実だと思う
が」
「それもちょっと違うような気がします。いずれ
にしても抽象的な議論です。<ありのままの真実
とは、ほんの一つまみの個人的事実を発射するた
めに、普遍的本質をしこたま装填することです>
なんて言ったって、読者は面白いとは思いません」
「しかし、こんな長い引用文をわざわざ筆写し、
おまけに飜訳までしたところをみると、漱石は面
白いと思ったにちがいない」
「先生の知的Fは例外です」
「そうかな、最初は面白くないと思ったが、筆写
しているうちに面白いと思いはじめたのではない
だろうか」
「<結局、戯画(カリカチュア)がありのままの
真実というわけですね>という発言が『吾輩は猫
である』に結びついた可能性はあると思います」

"'Oh, you may shake your head, but I would rather hear a rough
truth than the most complimentary evasion.'
 'How would you define a rough truth, Dr. Middleton?' said Mrs.
Mounstuart.
 Like the trained warrior who is ready at all hours for the trumpet
to arms, Dr. Middleton wakened up for judicial allocution in a trice.
 'A rough truth, madam. I should define to be that description of truth
which is not imparted to mankind without a powerful impregnation of the
rooughness of the teller.'
 'It is a rough truth, ma'am, that the world is composed of fools, and
that the exceptions are knaves.' Professor Crooklyn furnished the example
avoided by the Rev. Doctor 
 'Not to precitipate myself into the laws of the first definition, which
strikes me as being as happy as Jonah's whale, that could carry probably 
the most learned man of the time inside without the necessity of digesting
him,' said De Craye, 'a rough truth is a rather strong charge of universal
nature for the firing off a modicum of a personal fact.'
 'It is a rough truth that Plato is Moses atticizing," said Vernon to Dr.
Middleton to keep the diversion alive.
 'And that Aristotle had the globe under the cranium,' said rejoined the Rev.
Doctor.
 'And that the Moderns live on the Ancients.'
 'And that not one in ten thousand can refer to the particular treasury he
filches.'
 'The Art of our days is a revel of rough truth,' remarked Professor Crooklyn.
 'And the literature has laboriously mastered the adjective wherever it may
be in relation to the noun,' Dr. Middleton added.
 'Orson's first appearance at Court was in the figure of a rough truth, causing
the Maids of Honour, accoustomed to Tapestry Adams, astonishment and terror," 
said De Craye.
 That he might not be left out of the sprightly play, Sir Willoughby levelled
a lance at the quintain, smiling on Laetitia. 'In fine, caricature is rough truth.'
 She said, 'In one end of it, and realistic directness is the other.'
 He bowed, 'The palm is yours.'---Meredith, The Egoist. chap. xxxvi.
(「まあ、あなたは首をお振りになるかもしれませんが、私はお世辞たっぷり
の逃げ口上より、ありのままの真実を伺いたいのですわ」
「ミドルトン博士、ありのままの真実というのをどう定義なさいますか?」と
マウントスチュアート夫人は言った。
 戦闘開始のラッパがいつ鳴っても対応できる練達の戦士のように、ミドルト
ン博士はただちに公平な宣言をしようと身構えた。
 「ありのままの真実とは、ですね。奥さん、わたしの定義では、それを語る
人物の粗野さをたっぷり含まないでは、とても人類に告げられぬ種類の真実で
しょうね」
 「ありのままの真実とはね、奥さん、この世の中は愚か者で出来ていて、そ
れに当てはまらないのは悪党だけといったことですよ」とクルックリン教授が
博士の避けた実例を提供した。
 「最初の定義の大口の中に飛び込もうというわけじゃありませんが──あの
定義は、ヨナの鯨同様にたいしたものだと思えますよ。現代最高の学者を、消
化することになろうが、なるまいが、腹の中に呑み込んでしまいそうでしたか
らね」とド・クレーが言った。「ありのままの真実とは、ほんの一つまみの個
人的事実を発射するために、普遍的本質をしこたま装填することです」
 「これもありのままの真実ですね──プラトンはアテネ風にされたモーゼだ
というのも」とヴァーノンが、冗談話を途切らせないようにしようと、ミドル
トン博士に言った。
 「アリストテレスが地球を頭蓋骨の中に詰め込んでいたことも」と博士が答
えた。
 「それに、近代人が古代人を食いものにして生きていることも」。
 「そして、自分がくすねている宝物が何であるかを言える者が一万人に一人
もいないこともね」。
 「現代芸術はありのままの真実のてんやわんやの饗宴といったところだね」
とクルックリン教授が言った。
 「そして、文学は形容詞を自由に使えるようになるために苦心惨憺してきた
のさ、名詞との関係でそれがどこにおかれようとね」とミドルトン博士が言い
添えた。
 「オルソン(熊に育てられた野生児)がはじめて宮廷に登場した時も、あり
のままの真実の姿だったが、壁掛のアダムを見馴れていた侍女たちも、おのの
いたそうです」とド・クレーが言った。
 この陽気な遊びから仲間外れにされないように、サー・ウイロビーは的に向
けて槍を投げた。レテシアに微笑みかけたのだ。「結局、戯画(カリカチュア)
がありのままの真実というわけですね」。
 彼女は言った。「それが、一方の側にあり、もう一方の側に本物の率直さが
あるのでしょうね」。
 彼は頭を下げた。「あなたの勝ちだ」。
──メレディス『エゴイスト』(第二十六巻)


遊戯三昧の閑文字
   2013/4/15 (月) 07:38 by Sakana No.20130415073822

04月15日

「前回、引用したメレディス『エゴイスト』
の一節についての漱石先生のご高評です」
「六、七人の男女の会話の内容がわざとらし
く、不自然だというが、西洋のサロンでは、
こんな会話を聞いてもそれほど不自然には感
じないのではないか」
「日本語に翻訳すると、やはり不自然に聞こ
えますね」
「要するに、ああでもない、こうでもないと
いふ「でもない」連の駄弁に過ぎず。遊戯三
昧の閑文字──というと、『吾輩は猫である』
の泰平の逸民たちの駄弁のようだ」
「そういえば、そうですね。でも、苦沙弥、
迷亭、寒月たちの会話はそれほど不自然な気
がしませんでした」
「トチメンボーとか、首縊りの力学とかの話
題は不自然だよ」
「そんな話題でも読者が不自然に思わないよ
うに文字を捕らえ、粋を振り撒いた作者の手
際は『文学論』研究の成果だと思います。遊
戯三昧の閑文字をあなどってはいけません」

 「吾人がこの一節を読みて感ずるところを
いへば、その余りにわざとらしきことなり。
ここに集まれる六、七人の男女は何れも揃ひ
も揃ふて怜悧にして、如才なく皆一種の知的
修養と頓才を具(そな)ふ。凡(およ)そ吾
人が日常交際する人物においても百人に一人、
千人に二人、かくの如き人物なきに非ざれど
も、偶然一堂に会したるものが悉(ことごと)
くこの型にはまり、各得意の才弁を弄するに
至りては、如何に知育の盛んなる西洋にあり
ても少しく不自然の跡なき能はず。さればこ
れらの男女が、よくこれほど凝(こ)ったる
言語を操り得るものなりといふ感は自然に消
えて、ただその著者その人が1個の"rough truth"
なる文字を捕へ、粋を振り撒ける手際を感心
するものなり。然れどもこの感心はただそれ
だけに止まるものにして一般の情緒としては
何ものもあることなし。要するに、ああでも
ない、こうでもないといふ「でもない」連の
駄弁に過ぎず。遊戯三昧の閑文字にして、第
三流の通人が芸妓もしくは茶屋女を相手に舌
戦を試みて得意がると一般にして、傍(かた
わ)らにあるものは唖然として手持無沙汰に
苦しむのみ。かくの如く吾人の主要感情或は
処世問題に関係するところ甚だ浅きを以て、
この一節の中心Fに伴ふfは極めて薄弱なり
とす」
"What you all likely feel on first reading this passage is its labored
quality. The six or seven people gathered here all compete in cleverness
and tact, demonstrating a kind of adroitness and intellectual cultivation.
You may well find one in a hundred, or two in a thousand, of this type
among the people you daily interact with, but for six or seven to meet
accidentally like this, and then for each to demonstrate this kind of
clever volubility, is bound to appear a bit unnatural---even if we are
talking about the sophisticated West. Hence the feeling that these men
and women are the type that regularly displays this type of polished
language fades, and you are occupied instead with admiring the technique
of the author himself, who, having grasped a "rough truth," unfurls it
carelessly and with great style. However, this stops at the point of
admiration and does not rise to the level of a general emotion. In other
wordsm it's like the "neither.., nor" in it's neither this nor that, 
neither here nor there," just chatter. It is the literary equivalent of
fun and games, like a third-rate dandy showing off by trading quips with
a courtisan or a teahouse girl, leaving the others in the room yawning with
boredom. In this way the connection with the principal emotions and problems
in the course of life is very tenuous, and the f accompanying the central F
in this passage correspondingly thin." (translated by JAM)


知的Fが激烈な情緒を伴う例
   2013/4/18 (木) 09:49 by Sakana No.20130418094942

04月18日

「知的Fは情緒(f)を激烈な情緒を呼び起こ
す力が弱いのですが、例外もあります。興味深
い例外をご紹介しましょう」
「パリで貧しい学究生活を続けたあげくセーヌ
河で溺死し、多年の研究成果は空しく消えて、
後世に残らなかった──。こんな話をわざわざ
書き抜いて、引用文とした漱石の情緒(f)や
如何?」
「このハンガリア人学者の運命は他人事ではな
いと思いながら、テームズ河畔を歩いた先生の
姿がしのばれます」
「生活費をきりつめ、一日に20時間読書して、
神経衰弱になった。足下に気をつけなければ、
あぶなく土左衛門になるところだった」
「unfortunately を<如何なる廻り合わせにや>
としたのはうまい訳ですね」
「空しく消えるはずだった『文学論』が百年後
の読者に読まれるのは如何なる廻り合わせにや」

「元来知的Fが文学的内容として余りに適切
ならざることは以上諸例にて明かなるべし。
但し専門科学者が斯道の書に対し激烈なる感
情を生ずることは特に意外なることあること
あるが如し。
"It should be clear from the examples above
that the intellectual F is from the start not
well suited as literary substance. However,
one can be taken aback at times by the fierce
emotions reported by scientists in response to
works in their field of specialization:
    (translated by JAM)

「Descuretはその著『熱情の療法』にMentelli
とよぶ匈牙人(ハンガリー人)の略伝を挿入した
り。この人は言語学者にして、また数学者を兼ね、
別に定まれる目的もなく、ただ学問の楽(たのし
み)を求め、その知的欲望を充さんがためその一
生を学業に献じたりといふ。巴里市の下等街に居
を置きしが、これとても慈善的に貸し与へらりし
ものなりといふ。彼は絶対的に必要なるものの外
全ての支出を廃してその経費を節約したり。され
ば書籍を購ふ費用をのぞきては、彼の生活費は一
日7スーに過ぎず、その内3スーは食費にして四
スーは燃料なりき。彼は日に二十時間連続的に読
書し、一週に一日数学の教授をなし、これにてそ
の少額の生活費を弁じ得たり。彼の要するところ
は水、馬鈴薯(これはランプの上にて料理せる由)、
及び油と粗末なる褐色のパンの四品のみなりき。
彼は大型の荷物箱を室内に置き、昼はこの内に、
毛布或は藁にて包みし足を入れ夜はこれを寝台に
用ゐたり。古びたる肘掛椅子、食卓、瓶、錫壷及
び無雑作に凸型に曲げたる錫の片──彼の燈器と
なることもあり──の外、彼は何らの道具を有せ
ざりき。また洗濯代を節約せんがため彼れは一切
シャツを着けず、兵営より購ひ来し兵士の着古し、
南京木綿製の股引、毛皮の帽、巨大の木靴は彼の
衣類の全部なりき。一八一四年、連合軍の砲弾そ
の宿所のあたりに墜落したれど、遂に彼を動かす
ことあらざりき。巴里にコレラ病初めて流行した
る時、彼の不潔なる室に清潔法を行はんとて、暫
時その読書を中止せんことを申入れしが、到底命
を用ゐる様子あらざるを以て遂に武力をかりてこ
れを断行したりと伝ふ。如此(かくのごとく)一
意先進、恨むることもなく、至福なる三十年を一
日の病もなく生存したるが、一八○六年十二月二
十二日、例によってSeineの河に水くみに出で行
き、如何なる廻り合わせにや、足場を失ひ、折悪
しく水かさ増したる河中に落ち、遂に無惨の溺死
をとげたりき。Mentelliは著書を公にすることあ
らざりしかばその多年の研鑽の結果は彼と共に全
く消え果てたり」
(Letourneau.『感情の生理』 二三頁)

 Descuret introduces an Italian named Mentelli in his book Care of the 
Passions. Menteli was a linguist and a mathematician, who, without
any particular practical goal in mind dedicated his life to pursuit of
the pleasures of scholarship and satisfying his intellectual desires. He
lived in a low-class lodging house in Paris, however even this was let to 
him out of charity. He economized in every facet of his life and all expendi-
tures except what was absolutely necessary. Consequently. with the exception
of expenditures for books, he was able to limit his living expenses to 7 sous
per day, with 3 sous to going to food, and 4 sous to fuel. With this arrange-
ment he was able to devote 20 hours out of each day to the continuous study of
books, and gained his living expenses by teaching mathematics one day per
week. What he needed consisted of water, potatoes (which he cooked over his 
lamp), oil and brown bread, only these four things. He had a large trunk which
he kept in the room, and in the day he would set it up as a desk and keep his
legs under wrapped in a blanket or a straw, and at night he would sleep inside.
Aside from an old beaten armchair, a small table, a vase and a tin pot a small
concave in fragment (which he used as a lamp), he had no other accessories.
Further, to conserve on laundry fees he never wore underswear, and aside from
a millitary surplus jacket bought second-hand, pants made from Nanking cotton,
a fur cap and wooden shoes, owned no other clothes. In 1814 artillery shells 
from the federated army landed near the lodging house, but he couldn't be
bothered to move. When cholera first broke out in Paris, it was said he was
ordered to put down his books so his filthy room could be sterilized, but he
refused and finally they had to intervene by force. In this way he passed 30
years in intense concentration, without regret or a single sy of ill health,
but on December 22, 1816, as he approached the Seine to collect some water,
he lost his footing and unfortunately fell into the rising water and drowned
in the most piteous circumstances. Mentelli published no books in his lifetime,
and the results of his many years of study vanished with him.
   (Letourneau, Physiologie des Passions. p. 23)


例にならざる例
   2013/4/21 (日) 07:30 by Sakana No.20130421073051

04月21日

「前回、引用した無名のまま死んで、忘れ去
られたハンガリア人の学者の挿話は、強大な
情緒を附随する知的Fの例にならざる例です」
「しかし、ロンドン留学で貧窮していた漱石
の情緒は例にならざる例に強く反応した」
「漱石先生は例外的存在です」
「メレディスの『エゴイスト』の登場人物た
ちの会話を<遊戯三昧の閑文字>といいなが
ら、『吾輩は猫である』では太平の逸民たち
に似たような会話をさせている。やはり、知
的Fに感興を抱いたにちがいない」
「今どきメレディスの小説なんか読む日本人
は例外的存在でしょうね」
「漱石の小説を読む日本人は例外的存在では
ない」
「ということは?」
「漱石の小説の根っこには、無名のまま死ん
だハンガリア人学者にシンパシーを感じ、メ
レディスの<遊戯三昧の閑文字>を面白いと
思う情緒(f)があった。それは例にならざ
る例とはいっても、21世紀の日本人読者の
情緒(f)に伝わるのではなかろうか」
「つまり、知的Fにも情緒(f)がともなう
とお考えなんですね」

「かくの如き例は例にならざる例なり。即ち
例外なり。普通の学者はMiltonが<完全なる
人格においても最も免れ難き弱点>と称した
る名誉を対象として、これに一種の情緒を添
へて研究を進めゆくものなるが如きも、この
例に出でたる好漢に至りては然らず、全く研
究その物に趣味を有せしなり」
 とにもかくにも、これらの例外に関係なく、
第四種の文学的内容は概して強大の情緒を判
随し得ざるものなること明かなり」
"This example is actually no example at all.
That is to say, it is an exception. Most
scholars choose as their object the fame that
Milton called "that last infirmity of Noble
Mind" and pursue their research with a sort
of associated emotion, whereas this fellow's
lure, by contrast, was in the research itself.
 In any case, setting aside these exceptions,
it is clear that in general literary content
of the fourth type will not be strong emotions."
 (translated by JAM)


日本人は宗教に冷淡か
   2013/4/24 (水) 09:09 by Sakana No.20130424090926

04月24日

「第三種の超自然的Fに関して、これに伴う
宗教的情緒fの強烈なることは古今東西を通
じて見られる現象だが、日本人は宗教に冷淡
で、神の何たるものたるやを解すことがで
きないと、漱石先生は指摘しておられます」
「日本人でも内村鑑三や新島襄はキリスト教
の神を信仰していた」
「例外的な存在でしょう」
「国木田独歩や島崎藤村も植村正久の教会で
洗礼を受けたことがある」
「晩年には教会から遠のいています。文学者
になると、宗教的fが減退するのではないで
しょうか」
「芥川龍之介や太宰治も聖書をよく読んでい
た」
「あの二人は聖書読みの聖書しらず。遂に神
の何たるものたるやを解することができず、
自殺してしまいました」
「遠藤周作と三浦綾子がいる」
「例外的存在でしょう」

「第三種の内容、即ち超自然界の物体が文学
的材料として用ゐらるる場合、この種のもの
は特に第四種以上の抽象的物体をとり、これ
をFとしてfを附着すること尚ほ第四種の場
合と同一なりと雖(いえど)も、その新fの
強度は遠く第四種の内容の上に出づるものな
り。凡そ宗教的情緒の強烈なることは古今東
西に通じて争ふべからざる事実にして、読者
もし其一般を窺(うかが)はんとせば宜しく
宗教史或は高僧伝を繙(ひもと)くべし。宗
教に冷淡にして、神の何たるものたるやを解
し得ざる日本人にありては到底その猛烈の度
合を夢想だに入るること能はざるべし。然ら
ば何故(なにゆえ)同じく抽象的の性質を帯
びるFが場合によりてこれに伴ふfにかくの
如き強烈の差異を生ずるかは趣味ある宿題な
るを以て後段に詳述するところあるべし」
(参考書として、Lombrosoの The Man of
Genius: James の Religious Experience;
Lives of Saints 等適当なるべし)。

"The third type of substance occurs when a 
metaphysical object is taken as the material
for literature. At times this type of substance
can assume an even more abstract form than the
fourth type, and while one can say that f attaches
to this F in the same way, this new f appears in
a much stronger form than in the fourth type. Ancient
and modern, East and West, the ferocity of religious
emotions is a common trait. If you would like to look
further into this, simply consult a religious history
or conpendium of lives of the saints. For Japanese,
who are rather indifferent to religion and unable to
discern the nature of God, that ferocity can be difficult
to imagine. As to why an F characterized by such a similar 
degree of abstraction should excite such widely different
f's, that is a topic of considerable interest that we will
need to examine for ourselves later in the course.
 (For further reference see Lombroso's Men of Genius (1864:
Eng. trans. 1891), William James's Varieties of Religious 
Experience {1992] and Lives of Saints.) 
  (translated by JAM)


『虞美人草』のF
   2013/4/27 (土) 08:15 by Sakana No.20130427081557

04月27日

「知的Fのサンプルとして引用されていたメ
レディスの『エゴイスト』という小説は読ん
だことがありませんが、『虞美人草』にも引
用があることに気がついたので、ご紹介して
おきます」
「なるほど。小野さんは朋友のお節介によっ
て藤尾との約束の期を誤り、そのおかげで仕
合わせになったというわけか。理におちてい
る」
「『虞美人草』は『文学論』を応用した知的F
の小説ですから仕方がありません」
「しかし、美文調で感覚Fの要素もある」
「知的Fだけでは読者を惹きつけることが難
しいので、絢爛たる美文により読者を幻惑し
たのです」

 メレジスの小説(『エゴイスト』)にこん
な話がある。──ある男とある女が諜(しめ)
し合せて、停車場(ステーション)で落ち合
う手筈をする。手筈が順に行って、汽笛がひ
ゅうと鳴れば二人の名誉はそれぎりになる。
二人の運命がいざという間際まで逼(せま)
った時女は遂に停車場へ来なかった。男は待
ちぼけの顔を箱馬車の中に入れて、空しく帰
ってきた。あとで聞くと朋友の誰彼が、女を
抑留して、わざと約束の期を誤らしめたため
だと云う。──藤尾との約束をした小野さん
は、こんな風に約束を破る事が出来たら、却
(かえ)って仕合わせかもしれぬと思いつつ
煙草の烟を眺めている。
        (夏目漱石『虞美人草』)




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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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