夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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好き嫌いの原因
   2007/11/21 (水) 07:50 by Sakana No.20071121075028

11月21日

「漱石先生のすすめにしたがって、文学作品
に対しては批評鑑賞的態度でのぞみたいと思
います」
「言うは易く行うは難し」
「なるべく科学的な批評を心がけますが、鑑
賞、つまり、個人的な趣味や好き嫌いも重視
します。好き嫌いの原因は科学的に分解でき
るでしょうか」
「さあ、あばたもえくぼ、蓼食う虫も好きず
き(There's no accounting for taste)という
からな。惚れたはれたの説明は難しい」
「私の趣味を考えてみますと、先祖から受け
ついだ遺伝子DNAと私自身の人生経験によ
って私の個人的趣味が形成されていると思い
ます」
「では、きみの遺伝子DNAと人生経験を分
解すればよい」
「しかし、そんな特殊なものを分解すること
に意味があるのでしょうか」
「請売りではない、独創的な文学評論を目指
すとすれば、そうするしかない」
「それではひとりよがりのものになるおそれ
があるのではないでしょうか」
「科学的批評によってひとりよがりと人類の
普遍的趣味との差異を認識し、綜合するのだ」
「そもそも人類の普遍的趣味というものが存
在するのでしょうか」


普遍的趣味
   2007/11/24 (土) 08:19 by Sakana No.20071124081914

11月24日

「人類の普遍的趣味というものが存在するで
しょうか」
「さあどうかな」
「鳥の囀ずる声を聴けば大抵の人は一種の趣
味を感じます」
「おれは鴉の声を聴くとむかつく」
「虫の鳴く声を聴けば大抵の人はもののあわ
れを感じます」
「西洋人には雑音にひびくらしい」
「親が子を愛するのをみれば誰だってさもあ
るべしと思うでしょう」
「子を愛さない親もいる」
「男女が一緒に暮らすという習慣は古今東西
一致しています」
「ゲイは男同士、レスビアンは女同士が暮ら
す」
「子を産むのは女だけです」
「子を産むことは趣味とはいえない」
「では普遍的趣味は存在しないのですか」
「存在しないともいえない。たとえば、ミロ
のビーナスの像を見ろ」
「見ました」
「何も感じないか」
「美しいと思います」
「きみでさえ美しいと思うなら人類の普遍的
趣味は存在する」


地方的趣味
   2007/11/27 (火) 08:24 by Sakana No.20071127082448

11月27日

「普遍的な趣味に対して地方的な趣味(ロー
カル・テースト)があります」
「きみの趣味はすべて地方的な趣味にすぎな
い」
「私の趣味は今、ここでは論議しなくてもよ
いでしょう。それよりも問題は十八世紀の英
文学です」
「漱石の文学評論のテーマだ」
「漱石先生は十八世紀の英国の状況一般とし
て、哲学、芸術、珈琲店、酒肆、倶楽部、倫
敦、倫敦の住民、娯楽、文学者の地位につい
て論じておられますが、その目的は十八世紀
のイギリス人の地方的な趣味を大筋で理解す
るためなのです」
「それを理解しておかなければ、『ロビンソ
ン・クルーソー漂流記』や『ガリヴァー旅行
記』のような小説が読めないというのか」
「いや、ロビンソンやガリヴァーには日本人
の小学生にも通じる普遍的な趣味があります
が、十八世紀の英国の状況一般を知って、イ
ギリス人の地方的な趣味をのみこんでおけば、
小説がもっと深く理解できると漱石先生は言
っておられると思います」
「よほどのヒマ人でなければ地方的な趣味に
はつきあいきれないな」
「そういわないで、まず十八世紀のイギリス
の哲学からつきあってください」


十八世紀英国の哲学者
   2007/11/30 (金) 07:53 by Sakana No.20071130075347

11月30日

「十八世紀英国の哲学者として漱石先生が紹
介してくださったのはロック、バークレー、
ヒュームの三人です」
「ロック(1632-1704)は十八世紀というより
十七世紀の人だろう」
「しかし、十八世紀の英国におけるロックの
影響は十八世紀の日本における芭蕉の影響と
は比較にならないほど大きいのです。バーク
レー(1685-1753)の説はロックから出立し、ヒ
ューム(1711-1777)の説はバークレーから出立
したのですから」
「バークレーとかヒュームとかいっても日本
人にはただのガイジンの名前にすぎない」
「認識不足です。漱石先生の講義を拝聴しま
しょう」
「何のために?」
「十八世紀の英文学を理解するためです。こ
の三人の哲学者の考えは『ロビンソン・クル
ーソー漂流記』や『ガリヴァー旅行記』など
の小説に反映されているかもしれません」



考える人
   2007/12/3 (月) 07:25 by Sakana No.20071203072529

12月3日

「哲学者というのは考える人なんですね」
「人間は誰だって考える葦だ」
「哲学者は特によく考える人です」
「何のために?」
「よりよく生きるためです」
「哲学者になったって金儲けに役立つとは
おもえない」
「お金があっても、それだけではよりよく
生きることにはつながりません。問題はク
オリティ・オブ・ライフ(生活の質)です」
「ロックやバークレーやヒュームはよりよ
く生きることができた人物なのか」
「漱石先生の口ぶりから推察すると、たぶ
んそうでしょう」
「では、なぜ二十一世紀の日本人はロック
やバークレーやヒュームのように考えない
のか」
「それは多くの日本人がよりよく生きたい
と思っていないからでしょうが、なかには
ロックやバークレーやヒュームのようによ
く考えている日本人もいるはずです」
「そんな日本人にはお目にかかったことが
ない」
「それは認識不足です」
「経験不足ではないのか」
「そういえば、三人とも観念より経験を主
張する哲学者でしたね」
「三人とも経験論者ではあるが、それぞれ
が異説をとなえている」
「三人のうち誰の説が正しいのでしょう」
「誰の説の請売りをしようと悩んでいるよ
うではよく考える人とはいえない」

クオリティ・オブ・ライフ、生活の質◆日
常生活における精神的・身体的・社会的・
文化的・知的な満足度


神学者ロック
   2007/12/6 (木) 08:43 by Sakana No.20071206084323

12月6日

「ジョン・ロックが神学者で、神の存在を信
じていたとは意外です」
「西洋哲学は神学論争をたたかわせながら発
展したようなところがある。意外ではない」
「しかし、ロックは経験論者です。経験論者
が神の存在を信じるのは矛盾していませんか」
「神が存在するという認識は人間の理性にそ
なわっているとロックは考えたのだ」
「それは十七世紀のフランス人デカルトの考
えのようです」
「デカルトは人間には天賦観念(生得観念、
innate idea)があると考えた」
「天賦観念は経験とは独立して存在する観念
でしょう」
「デカルトはいろいろと推理した末、三つの
実在があると考えた。即ち、神(God)、心(soul)、
物(matter)──そのうち、ロックが天賦観念
ではないと否定したのは心(soul)だ」
「そうですね。ロックの考えによれば、すべ
ての観念は必ず感覚(sensation)と反省
(reflection)の二つを経験することによって
はじめて得られるものだそうです」
「つまり、人間に生まれつきそなわっている
ものではない」
「だとしたら、神が存在するという認識だけ
がどうして先天的に人間の理性にそなわって
いるのでしょうか」
「きみは神の存在を経験したことはないのか」
「存在するかもしれないと思ったことはあり
ますが、経験はしていません。神の存在は、
理性で追求するものではなく、信仰で直感的
につかむものだと思います」
「詳しいことは、ロックの『人間の悟性に関
する論文』(Essay Concerning Human 
Undrstanding, 1690)に、たぶん書いてあるだ
ろう」
「たぶん?そんなあやふやな答では困ります」





僧正バークレー
   2007/12/9 (日) 07:28 by Sakana No.20071209072856

12月9日

「ジョージ・バークレーも神学者です。1734
年からアイルランドでクロイヌの僧正をつと
めました」
「坊主なら神の実在は否定しないだろう」
「神ではなく、物の実在を否定しました」
「ここに一個のリンゴがある。このリンゴの
実在は否定できない」
「いいえ、実在しているのはリンゴの観念で
す。<存在と称するものは観念が一定の方法
で倶発し、もしくは連続するの謂にほかなら
ぬ。そしてこの方法の原因となるのは神>だ
そうです」
「きみはリンゴを美味そうに食っているので
はないか」
「リンゴという物を食べているのではありま
せん。リンゴという観念を食べているのです」
「そのリンゴの観念が胃の中に入ると空腹で
なくなるのはなぜだ」
「神が原因だからです」
「絵に描いた餅の観念を食べたらどうだろう」
「その餅は神ではなく、画家が描いたものだ
から腹のたしにはなりません」
「わけがわからん。この世界はなぜそういう
しくみなっているのかを説明できるか」
「アダムとイブが禁断のリンゴの観念を食べ
てしまったからだと思います」


不可知論者ヒューム
   2007/12/12 (水) 07:55 by Sakana No.20071212075516

12月12日

「デヴィッド・ヒュームは不可知論者です」
「不可知論(agnosticism)なら神は存在しな
いのかな」
「存在するかもしれないが、存在するかどう
かが経験によってはわからないという立場で
す」
「その点ではロックやバークレーの説よりも
控えめな主張だ」
「庶民の立場からすると、存在するのかしな
いのか、シロかクロかはっきりさせてもらい
たいところです」
「心は存在するのか」
「ヒュームによれば、心はそれ自身に一個の
実体として存在するものではありません」
「我思う、ゆえに我ありとデカルトは言った」
「私たちが<我(エゴ)>と名づけている実
体はまるで幻影のようなもので、決して実在
するものではないそうです」
「では、今、きみが経験している意識の流れ
の実体はなんだ」
「これは印象と観念の連続にすぎません。た
だし、<この印象と観念の同種類が何遍とな
く起こってくるので、修練の結果として、こ
れらの諸雑紛糾するものをまとめ得るために、
遂に渾成統一の境界に達する>のだそうです」
「わかった。バークレーによれば物は存在し
ない。ロックによれば心の天賦観念は存在し
ない。ヒュームによれば心は一個の実体とし
ては存在しないし、神は存在するかどうかわ
からない。・・・とすると、何が残るのだ?」
「空です。お釈迦様の仰る通り」


経験主義の不可知論
   2007/12/15 (土) 08:33 by Sakana No.20071215083325

12月15日

「ロック、バークレー、ヒュームと三人の哲
学者の考えを表面的にさっとひとなでしまし
た」
「著書を精読して、理解を深めようとはしな
いのか」
「時間がありません。漱石先生の『文学評論』
を道しるべにさせていただきました」
「それで、きみが理解したことをまとめると
どうなる?」
「ロック、バークレー、ヒューム、三人の哲
学を取捨選択して団子にまるめると、経験主
義(empericism)の不可知論(agnosticism)にな
ります」
「それは漱石の紹介ではなく、きみの勝手解
釈だが、まあいいだろう」
「ロックが言うように、人間は生まれたとき
はタブラ・ラサ(白紙)であり、すべての知
識は経験の結果です。そして、ヒュームによ
れば、<我(エゴ)>はまるで幻影のような
もので、決して実在するものではなく、心は
それ自身に一個の実体として存在するもので
はありません。また、バークレーによれば、
物は実在しません」
「心も物も実在しないとなると、残るのは何
か」
「後は神が実在するかどうかです。ロックと
バークレーは神が実在すると考えていますが、
ヒュームは実在するかもしれないが、わから
ないと言っています」
「きみ自身の考えはどうか?」
「三人の哲学を折衷、綜合して考えると、神
だけでなく、心と物も本当に実在しているか
どうかはわかりません」
「つまり、もしかしたらきみは実在していな
い・・・」
「そうですね、私がこれまでに経験したこと
はいったい何だったのでしょう?」


理神論(自然神教)
   2007/12/18 (火) 08:47 by Sakana No.20071218084741

12月18日

「漱石先生はもう一つおまけに自然神教(deism)
を紹介しておられます」
「それは理神論(deism)のこと。一般に創
造者としての神は認めるが、神を人格的存在
とは認めず啓示を否定する哲学・神学説だ」
「原文の小説でお目にかかったことのある単
語ですが、よく理解できませんでした。流石
に漱石先生はこまかいところにも目くばりを
しておられます」
「こまかいところではない。deismを理解せず
して英文学は語れない」
「十八世紀のイギリスではdeismに関する論争
が盛んに行われています。その論争がイギリ
ス人の一種の気風をあらわし、しかもその気
風が文学にもあらわれているのです」
「日本でいえば原始的な神道のようなもので
はないか」
「自然神教といっても万物に個別の神が宿る
というアニミズムとは違うようです」
「それほど違わないよ。要するに神道と仏教
がわかっていれば、自然神教も経験主義の哲
学も理解できる」
「そんなに簡単に割り切っていいのでしょう
か」
「複雑に考えたって耶蘇教の神学が理解でき
るわけがない」
「まあ、十八世紀の文学を理解するための予
備知識ですから、十八世紀のイギリス哲学に
ついてはこの程度の理解でいいでしょう」



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 Copyright © 2014 Sakana Hasebe