夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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社会進化の一時期におけるF
   2012/12/31 (月) 08:40 by Sakana No.20121231084005

12月31日

「最後に(三)社会進化の一時期におけるF、
F within a span of time of a society's evolution、
です」
「漱石はロンドンである婆さんから<evolution
と云う字を御承知ですか>と言われたことが
あるそうだが、先刻御承知だったらしい」
「『倫敦消息』──まさに老婆心の好例ですね。
猿みたいな顔をした小柄の日本人がまさか『文
学論』を書くような学者だとは、そのお婆さん
は知らなかったのでしょう」

「一世一代のFは通語の所謂時代思潮(Zeitgeist)
と称するものにして更に東洋の風の語を以てせば勢
これなり。古来勢は何ぞやと問へば曰く天なりと答
へ命なりと呼ぶ。けだしxを以てyを解くと類を同じ
くするものなりと雖もこの一語は余が述べるところ
の広義のFをよく表言して遺憾なし。凡そ古今の歴
史とはかかる時代的Fの不断の変遷をたどるものに
過ぎず」
"Case (3), F for a generation or an age is called
in popular terms the spirit of the times, or
zeitergeist, but if we were to find a word closer
in the Eastern tradition we might choose the word
ikioi, "the force of time." Ikioi from times past
has been identified as heaven and as life. 
Though some might say that in bringing up ikioi
we're simply substituting X as an explanation for
Y, this single word nicely grasps the broad sense
of F I'm trying to convey, so I have no hesitation
in using this word. It's possible that what we call
the history of past and present is nothing more 
than the ceaseless transformation of this period
level F." (translated by JAM)


時代思潮(Zeitgeist)
   2013/1/3 (木) 07:02 by Sakana No.20130103070245

2013年01月03日

「(三)社会進化の一時期におけるF、
F within a span of time of a society's 
evolution、の説明が続きます」
「四十余年前維新のFとして攘夷、佐幕、勤
王をあげているが、英訳すると、ニュアンス
が違ってくる」
「攘夷は"expel the barbarian"。ところが、
明治維新になると、ざんぎり頭をたたいてみ
れば、文明開化の音がする──ということは
日本人のほうがバーバリアン(野蛮人)だっ
たことになりますね」
「佐幕を"support the government"というと、
時の政府与党を支持するという意味になって、
徳川幕府を支持するという意味ではなくなっ
てしまう」
「勤王の"duty to the Emperor"という英訳は
問題ないでしょう」
「時代思潮(Zeitgeist)という点でいえば、
勤王は四十余年前維新のFだっただけでなく、
漱石が『文学論』を執筆した明治時代から昭
和二十年八月まで続いた。いや、昨日の一般
参賀をテレビでみていると、今も続いている
のかもしれない」
「そんな時代思潮の中にあっては漱石先生の
『文学論』は日本人の集合的Fになりそうも
ないですね」
「沙翁だけではなく、マシュー・アーノルド
の"Sweetness and Light"にも及ばないが、時
の意識これを許さざればなりというのだから
仕方がない」

「近く例を我邦にとりていへば攘夷、佐幕、
勤王の三観念は四十余年前維新のFにして即
ち当代意識の焦点なりしなり。されば仮に沙
翁を凌ぐ名人その世にありとするも時代のF
は到底これを容るる余裕あらざりしなるべく、
もしくは第二のM ArnoldありてSweetness and 
Light(文芸教育を鼓吹する有名な論文)の理
をとくも恐(おそら)くは、かくの如き世に
何人の視聴をも動かし得ざりしならん。時の
意識これを許さざればなりなり。かの賢人、
異人も勢いには抗すべからずとはこの理を示
したるものに過ぎず」
"To take an example at hand from our own
country, the focus of contemporary conscius-
ness during the time of Retoration forty-odd
years ago consisted of the three concepts
of "expel the barbarian" (joi), "support 
the government" (sabaku), and "duty to the
Emperor" (kinno). Let's say hypothetically 
that there was a man in that period who
surpassed Shakespeare in expressive power;
still this period-level F would have no room
to accomodate such a person. Even if a second
Mattew Arnold were to appear to elucidate the
principles of "Sweetness and Light" (a famous
essay advocating literature in education), he
would probably be unable to move any of his
listners." (translated by JAM)



五十年の輿論あるいは勢
   2013/1/6 (日) 08:37 by Sakana No.20130106083748

01月06日

「(三)社会進化の一時期におけるF、
F within a span of time of a society's 
evolution、の説明のまとめです。岩波文庫
版38頁の図を参考にしてください」
「この横列のFは大概或る点において一致す
べく吾人はその点を称してその五十年の輿論
(よろん)とし、Zeitgeistと名(なづ)け或
は時にこれを勢と呼ぶ」と漱石は言っている
が、具体的に現在からさかのぼる五十年間の
輿論、時代思潮、勢とはどんなものだろう」
「2013年から五十年さかのぼると1964年、昭
和39年ですね。オリンピックでしょうか。実
際に東京オリンピックが行われているし、
2020年の開催地としても名乗りをあげていま
す」
「2020年の東京オリンピック開催は決まった
わけではない。勢は違うと思うが」
「オリンピックの精神は友情、連帯、フェア
プレー、そして平和です。東京オリンピック
開催がどうなろうと、オリンピックの精神を
支持するこころは五十年間の集合意識だと思
います」

「如此(かくのごとく)意識波形の説並びに
Fの観念は微妙なる意識単位より出立して広
く一代を貫く集合意識に適用すべきものなる
こと明にして図を以てその大略を示せば左
(右頁)の如し。
 即ち竪(たて)なる小室は個人意識の一刻
より百年に至るFの次序変化を示すものなれ
ども、FよりF1に、F1よりF2に変化す
るの意味にはあらず、一刻の焦点的意識をF、
一時間の焦点的意識をF1にて表したるに過
ぎず。尚ほ熾烈なるは時代を同じくする民衆
の集合意識にして例へば五十年の部を列(つ
ら)ぬれば一代の五十年間におけるFを集合
したるものと認め得。而してこの横列のFは
大概或る点において一致すべく吾人はその点
を称してその五十年の輿論(よろん)とし、
Zeitgeistと名(なづ)け或は時にこれを勢
と呼ぶ」
"If we were to illustrate the adaptation
of this waveform of consciousness and 
concept of F, ranging from instantaneous
units of consciousness to a wider sense
of the collective consciousness of a age,
it would look like the diagram below.
 The little chambers arranged vertically
represent the successive transitions of F
---from an instant of time in an individual
consciousness to one hundred years---and
are not meant to imply that F begets F1,
F1 begets F2, and so on. F stands for the
focal point of an hour's consciousness, and
so on. The horizontal rows, then, are the
collective consciousness of the people who
share a certain era, such that if you link
together the fifty-year row you can understand
this to be a collection of F of a generation
over a fifty-year period. However, one would
generally expect this horizontal row of F
to coalesce across a ceratin point, and the
point is what we call the general opinion,
the zetergeist, or, alternatively, the ikioi 
of that fifty-year period."
    (translated by JAM)


現象的意識と非現象的意識
   2013/1/9 (水) 08:11 by Sakana No.20130109081148

01月09日

「以上で第一章 文学的内容の形式 の講義
は終わりです。ご理解いただけたでしょうか」
「Fを意識の焦点的印象もしくは観念なりと
いって、集合的Fにまで大風呂敷をひろげる
のは面白いが、肝心の意識とは何ぞやという
問題から逃げている」
「それは心理学上容易ならざる問題です。避
けたほうが賢明です」
「しかし、百合が咲いて百年たつ間に心理学
も進歩しているはず。きみだって、現象的意
識( Phenomenal consciousness)などという
用語を使っていた。漱石のFは現象的意識な
のか」
「意識の波が現れれては消えるといっている
のですから、現れた状態の意識はとうぜん、
現象的意識でしょう」
「それに対しては非現象的意識というものが
あるのか」
「私は最近の心理学をあまり勉強していない
ので、よくわかりません」
「いわゆる無意識は非現象的意識だろう」
「さあ、たぶんそうだと思いますが」
「では、現象的意識と非現象的意識の違いに
ついてわかりやすく説明してくれ」
「それは容易ならざる問題です。宿題にして
おいてください」


文学的内容の基本成分
   2013/1/12 (土) 09:04 by Sakana No.20130112090441

01月12日

「それでは、第二章 文学的内容の基本成分
にうつります」
「大豆の基本成分ならたんぱく質、ビタミンB、
ビタミンE、カルシウム、鉄分、カリウム、
食物繊維などだが、文学的内容の基本成分は
なんだ?」
「触覚、温度、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、恐
怖、怒り、争闘、同感、意気、忍耐、両性的
本能、複雑情緒、嫉妬、忠義、抽象的観念、
超自然的事物、概括的心理、格言などです」
「手抜きしたな」
「Viola、Griseldaなども入っていますが、
やってられませんよ」
「まあ、そんなところでいいことにしよう。
英訳では一つ疑問がある」
「なんでしょうか」
「<文学に道徳の分子なしなどと唱ふる一派
の人々>をJAMは"while others see it as a
channnel for conveying morality"と英訳し
ている。それだと<文学は道徳の分子を伝ふ
る手段なりと唱ふる一派>という逆の意味に
なるのではないか」
「どちらでも同じようなものです」
「文学に道徳の分子があるか、ないかは同じ
ではない」
「少なくとも漱石先生は文学に道徳の分子が
あると考えておられた。それでいいじゃない
ですか」

 「余は前章において文学的内容の(F+f)
なるべきを説きしが、更にここには聊(いさ
さ)かその内容の分類を試み、往々文学をも
って単に高尚な知的遊戯の具と目し、或は文
学に道徳の分子なしなど唱ふる一派の人々に
文学の範囲はしか偏狭ならざるを示さんとす」
"In the last chapter I argued that literary
substance is best expressed in the form
(F+f). Here I would like to break that 
down a bit. There are various positions
on literature; some are literature as a
tool for some high class form of intellectual
entertainment, while others see it as a
channnel for conveying morality, and so
forth. I would like to show these as
providing an unnecessarily narrow view
of the domain of literature."
   (translated by JAM)





子供は大人の父
   2013/1/15 (火) 07:36 by Sakana No.20130115073602

01月15日

「第二章 文学的内容の基本成分(The
Constituent Elements of Literature)の冒頭
部分の続きです。先ず、感覚的要素から説き
起こしておられます」
「<大人とは年寄りの子供なり>という諺は
聞いたことがない」
「雀百まで踊り忘れず、三つ子の魂百まで、
という意味でしょう」
「それなら、ワーズワースの詩で有名な<子
供は父親の父( The child is father of the 
man>をなぜ使わなかったのだろう」
「老いても踊り忘れず──いいですね」

    空に虹を見るとき
   わが心は躍る。 
   人生の始まりし時然り、
   大人の今も然り、
   老いても然あらんことを、
   さもなくば死こそ望まし。
   子供は大人の父親なり。
     願わくはわが日々が 
    自然への畏敬にて培われんことを。

「研究の第一者として先ずその基礎らるべき
簡単なる感覚的要素より説き起こすべし。こ
れを説き起こすに当つてはかのGoos氏が『人
の戯』中に配列したる小児娯楽の題目の類を
追ふて例証せんとす。さすれば如何なる程度
まで本能的傾向が種々の形式の下に超然たる
文学中に潜みつつあるかを窺ひ得る理(こと
わり)にして、従つて世にいふ<大人とは年
寄りの子供なり>との諺も自ら確め得べし。
但し複雑なる内容に至りては勿論Goos氏にお
いて照応すべきものなきを以てこの限(かぎ
り)にあらずと知るべし」
"The first order of business in this research
is to stand up from the simple perceptual
elements that form the basis. We can begin
to assemble evidence following the taxonomy
of children's play found in Goos's Spicle
der Menschen (1899). This provides a principle
by which we can see the degree to which
innate tendencies make their way, under the
guise of various forms, into the putatively
pure realm of literature and confirm for
ourselves the truth of the old saying, 
"Adults are just children advanced in years."
However, when we arrive at content of sufficient
complexity and find elements that do not correspond
to Goos, there we will find the limits of this
approach." (translated by JAM)



触覚
   2013/1/18 (金) 08:22 by Sakana No.20130118082252

01月18日

「(一)触覚。(Groos氏は先ず触覚を挙げて
小兄の好む遊戯中この感覚に基づくものを記載
せり。余は同氏の分類の順を追ふて文学の方面
における例証を引用すべし。」
"Touch. Groos first takes up touch and records 
a number of examples from children's favorite
forms of play based in this sense. Following 
his categorization, I will begin by quoting
some examples from the domain of literature."
                    (translated by JAM)

「感覚的要素についてはGroos氏の分類にした
がうことになっていますが、私はご芳名をGoos
氏と誤記していることに気がつきました。謹ん
で訂正します」
「Goo氏は生きているが、Groos氏はとっくの昔
にお亡くなりになった」
「触覚については、2008/11/18の講義ノートが残
っていました。シェイクスピアの『オセロー』
とテニスンの詩からの引用もありますので、そ
のまま、コピペしておきます」
「また、手抜きだな」
「もう一度、キーボードでおさらいして、触覚
を味わってください」

 2008/11/18 (火) 08:38 by Sakana No.20081118083836
11月18日

「文学的内容の基本成分としてまず感覚的要
素をとりあげましょう」
「感覚とは何ぞや?」
「特定の物理的エネルギーに応答し脳内にお
けるシグナルが受容・解釈される決められた
部分に一致する、感覚細胞の型(またはそのグ
ループ)を含む一つのシステムです」
「そんな説明ではFがあってfがない」
「何ごとも要素に分解してしまえば知的要素
だけになりますが、作者はそれに情的要素を
加えて文学的内容の形式、つまり(F+f)
にしあげるのです」
「ふむ」
「触覚のサンプルとしてシェイクスピアの
『オセロー』とテニソンの詩を引用します」
 
"Yet I"ll not shed her blood
Nor scar that whiter skin of hers than snow
And smooth as monumental alabaster."
     ---Othello, Act V. sc.ii. ll 3-5
(だが、彼女(あれ)の血は流すまい/また
あの雪よりも白い肌を傷つけはしまい/記念
碑の雪花石膏(アラバスター)のように滑ら
かなあの肌をも。
 ──『オセロー』第五幕第二場、三─五行

"But O for the touch of a vanish'd hand
And the sound of a voice that is still."
     ---Tennyyson, Break, break, break
(ああ、消え去った手のぬくもり/沈黙してし
まった声の響きさえ戻ってくるなら。
──テニソン「砕けよ、砕けよ、砕けよ」

「漱石の講義ノートを丸写しするだけでは芸
がない。日本人が理解しやすいように俳句の
サンプルも紹介してくれ」
「行く春や重たき琵琶の抱きごころ 蕪村」


温度
   2013/1/21 (月) 07:50 by Sakana No.20130121075009

01月21日

「(一)触覚(Touch)の次は(二)温度
(Temperature)です」
「英訳の最後の方は、<温度が文学的内容と
して存在しはじめるのは疑いもない>という
意味になっている」
「それがなにか?」
「漱石の原文は<疑もなく温度が文学的内容
として存し得るの一例と認むべきなり>だ」
「だいたい同じような意味でしょう」
「そうかな? 昨日は大寒だった。大寒は俳
句の季語だろう」
「そうですね。大寒や埃の如く人死ぬる 虚子
──立派な文学的基本成分です」
「季語なら文学的内容にきまっている。<存
在しはじめる>というのはおかしい」
「そんな重箱の隅をつつくようなこまかいこ
とを問題にするのはやめましょう。ここは温
度が文学的内容の基本成文の一つだというこ
とだけが頭に入ればそれでいいと思います」

"St. Agnes' Eve---Ah, bitter chill it was!
The owl for all his feathers was a-cold;
The hare limp'd trembling through the frozen grass.
And silent was the flock in wooly fold?
---Keats, The Eve of St. Agnes

(聖アグネスの宵祭──ああ、肌刺す寒さ!/
梟(ふくろう)は羽毛(はね)にくるまれて
いても凍え/野兎は凍(い)てついた草原をふ
るえながらとぼとぼ歩み、/そして羊の群は暖
い毛だらけの囲いの中で静まり返る。
  ──キーツ「聖アグネスの宵祭)

「これ固(もと)より複雑なる景物を捕らへて
寒さを形容したるものなれば単に寒冷が直ちに
(F+f)となって入り込むにはあらざれども、
その感覚を喚起せんがために特にこれら諸種の
句を陳列せるは疑もなく温度が文学的内容とし
て存し得るの一例と認むべきなり」
"If this were simply a case of supplementing
complex scenery by adding information about
the temperature this sense of cold wouldn't
immediately translate into (F+f), but when
these various pharases are arrayed in this
manner to excite the sense of cold, there is
no question temperature begins to exist as
literary substance."
    (translated by JAM)


味覚
   2013/1/24 (木) 07:14 by Sakana No.20130124071416

01月24日

「次は味覚です。文学は高尚で、食気(くい
け)、食欲は下等感覚だけれども、食欲も文
学的内容の基本成分として認めざるをえませ
ん」
「文学が高尚だと庶民が信じていたのは漱石
の時代までで、二十一世紀の現在では信じて
いる人は少ない」
「そうでしょうか」
「最近のテレビでは食欲が人気番組になって
いる。食欲を下等感覚だとは誰も思っていな
い」
「世も末です」
「劣等感覚に基づく快楽の分子優勢なりとい
うキーツの詩とはどんな内容だろう」
「『聖アグネスの宵祭』。聖アグネスはロー
マの殉教者で処女の守護聖者ですが、その祭
の前夜、正しい儀式を行った乙女は夢に未来
の夫の幻を見るという伝説をもとにしたキー
ツの長詩です。第三十節では、そのようにし
て眠る姫の幻の恋人が、彼女の脇に並べる珍
しいご馳走のかずかずを六行にわたってうた
っているそうです」

「味覚。食気(くいけ)の如き下等感覚が所
謂高尚なる文学に混入し得ざるべしとの想像
は左の例にて打破せらるべし」
"If one imagines that the baser senses, such as
appetite, should not intrude on putatively sublime
pleasures of literature, I would offer the folowing;

"The board was spread with fruits and wine;
With grapes of gold like those that shine
On Casbin's hills---pomegranates full
 of melting sweetness, and the pears,
And sunniest apples that Caubul
In all its thousand gardens bears;---
Plantains, the golden and the green,
Malaya's nectard mangosteen;
Prunes of Bokara, and sweet nuts
From the far groves of Samarcand,
And Basra dates, and apricots,
Seed of the Sun, from Iran's land:---
With rich conserve of Visna cherries,
Of orange flowers, and of those berries
That, wild and fresh, the young gazelles
Feed on in Erac's rocky dells."
  ---Moore, Lalla Rookh, The Light of the Heaven

(食卓せましとひろげられた果実と葡萄酒/
カスビンの丘に輝く房にも似た/黄金(こがね)
の葡萄──とろける甘さの石榴(ざくろ)、
そして梨/コーブルの幾多の園が生む/
陽の光の充ちあふれた林檎/金色にまた緑にか
がやくバナナ/マラヤの神酒なるマンゴスティ
ン/ボカラの李(すもも)、はるかサマルカン
ドの森から届いた/甘い木の実/そしてバスラの
棗椰子(なつめやし)、イランの地から運ばれ
た/太陽の種子を思わせる杏(あんず)の実─
─/ヴィスナ育ちの桜桃(さくらんぼ)や/オレ
ンジの花や、エラクのごつごつした岩の谷間で/
若い羚羊(かもしか)が野生のままに食べる苺
の実の/味わい豊かな砂糖漬。
 ──ムアー『ララ・ルーク』『ハレムの光』

「その他Keatsの"The Eve of St. Agnes (xxx.)
の如き<一連の詩として遇すべきには余りに劣等
感覚に基く快楽の分子優勢なり>とWinchester氏
をしていはしめるほどなり」

"Verse 30 of Keat's Eve of St. Agnes moved
Winchester to remark, "It relies on pleasurable
elements based in the inferior senses a bit
too much to be regarded as a first-rank poem."
           (translated by JAM)


嗅覚
   2013/1/27 (日) 19:02 by Sakana No.20130127190226

01月27日

「次は嗅覚ですが、日本の伝統文学では<花
の香>は雅語とみなされておりますから、文
学的内容の基本成分であることはいうまでも
ありません」
「用例は?」
「梅が香にのつと日の出る山路かな 芭蕉
 菊の香や 奈良には古き仏達      子規
 くちなしの花の 花のかおりが. 
  旅路のはてまで ついてくる   水木かおる」
「わかった、わかった、歌わなくてもよい」
 
「(四)嗅覚。香の文学上に散見するは元よ
り枚挙に遑(いとま)あらず。本邦において
は<花の香>なる一定の語法あるを以てもそ
の一般を推知し得べし」
"Smell. There would not be space here to enumerate the many
instances in which scent figures throughout the history of
literature. That in our own country hanano kaori ("the flower's
fragrance") appears as a fixed rhetorical technique testifies 
to the generality of this principle."
  (translated by JAM)

"It was a chosen plott of fertile land,
Emongst wide waves sett, like a little nest,
As if it had by Natures cunning hand
Bene choycely picked out from all the rest,
And laid forth for ensamble of the best;
No daintie flowre or herbe that growes on growned,
No arborett with painted blossomes drest
And smelling sweet, but there it might be fownd
To bud out faire and throwe her sweete smels al arownd."
---Spenser, The Farie Queene, Bk. II. can. vi. st. 12
(それは、広い荒海のなかに設けられた小さな
休息所のような/特別の豊かな土地で/さながら
自然の巧みな手によって/他のすべての土地から
選ばれ/この上のないものの見本として差し出さ
れているかのようだった。/地上に生(お)い立
ついかなる優雅な花も草も、/また色鮮やかな花
に装われ/甘く香る灌木も、ここで美しく莟(つ
ぼみ)を開き、/あたり一面に心地よい香りを放
っていないものはなかった。
──エドマンド・スペンサー「妖精の女王」第二
巻第六章十二節

「尚嗅覚につきては沙翁のMacbeth(夜行病)に
適例あり。詳しくはNew Variorum Shakespeare中
のMacbeth(p.257)にあるVerplanckの説を参照せよ。
日静重簾透 風清一縷長
 <日静かにして重簾(ちょうれん)に透り
  風清くして一縷(る)長し>
  ──吉川幸次郎訳 出典不明
由来支那の詩に香の烟のしばしば材料として用
ゐらるるは何人も心附くところなるべし。
"An excellent example also appeares in Shakespeare's
Macbeth. For details please refer to Verplank's commentary
in New Variorum Shakespeare, p257.

The frequent use of the smoke of incense in Chinese poetry
has been frequently remarked."
    (translated by JAM)

"The morn is up again, the dewy morn
With breath all incenses, and with cheek all bloom,
Laughing the clouds away with playful scorn,
And living as if earth contain'd no tomb---
And glowing into day."
    ---Byron. (Childe Harold. Can. iii ll. 914-8
(朝はふたたび目覚める。露にぬれた朝は/かぐ
わしい息、花満開の頬をして/悪戯(いたずら)
っぽく笑って/雲を追い払い、/この世に墓地な
どないかのように/生き生きと輝きつつ真昼へと
向う。
──バイロン(『公子ハロルドの巡歴』第三巻二節、九一四-九一八行)
 こは擬人法なれども香しゅ(火+主)の匂心地
よければこそ、かく、"with breath all incense"
といへるなり」
"This, of course, is personification. However, it is precisely
to the degree that incense carries a pleasurable association
that one can say "with breath all incense."
     (translated by JAM)


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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