夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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則神去私
   2012/6/3 (日) 08:43 by Sakana No.20120603084349

06月03日

「もっとも「則天去私」的な作品が『ウェイ
クフィールドの牧師』だというなら、漱石は
則神去私といってもよさそうなものだ」
「<則神>というわけにはいかないでしょう。
<彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であった。
又、頭脳の人として、神に信仰を置く事を喜
ばぬ性質(たち)であった>と『それから』
の代助は言っています」
「しかし、『行人』の一郎は、<死ぬか、気
が違うか、それでなければ、宗教に入るか>
という三つの選択肢を示した」
「その宗教はキリスト教ではないでしょう。
仏教かもしれないし、神道かもしれない」
「そうかな。『道草』には次のような記述が
ある。<「彼は斯うして老いた」/島田の一生
を煎じ詰めたやうな一句を眼の前に味わった
健三は、自分は果たして何うして老ゆるのだ
らうかと考へた。彼は神という言葉が嫌(き
らひ)だった。然し其時の彼の心にはたしか
に神といふ言葉が出た。さうして、若し、其
神が神の目で自分の一生を通して見るならば、
此強欲な老人の一生と対して変わりはないか
も知れないといふ気が強くした>。この神は
仏教や神道ではありえない」
「では、其神はどんな神なんでしょうね」
「其神の眼できみの一生を通して見たと仮定
して、それでも則神去私でいきたいといえる
かどうか考えてみるんだな」


則仏去私
   2012/6/6 (水) 08:24 by Sakana No.20120606082421

06月06日

「私の家は先祖代々、仏教の檀家ですから則
神去私よりも則仏去私のほうが抵抗を感じま
せん」
「ただひとすじに 阿弥陀ほとけのお袖におす
がりして来世の幸せを願っても空しい。幸せ
を願うという<私>を去っていないからだ」
「江藤淳は<我執>という言葉を使っています
ね。<漱石は我執と言うか、エゴイズム、ある
いはそれに由来する罪の問題を一貫したテーマ
に掲げて『それから』以後『こころ』までの作
品を書いてきた>」
「生きているかぎり我執を去ることは難しい。
悟っても悟っても我迷う」
「自己本位を捨てて、他力におまかせすること
ができればいいのですが、それでは『私の個人
主義』が納得できません」
「<十字架を取りて我に従わざる者は我に協
(かな)わざる者なり(マタイ伝十章)」
「(溜息)」
「要するに則天でも則神でも則仏でもよい。
問題は去私だ」


これが漱石だ
   2012/6/9 (土) 08:01 by Sakana No.20120609080105

06月09日

 「佐藤泰正『これが漱石だ』によれば、実
は則天去私という晩年の言葉は、漱石が少年
時代から胸に刻んだもので、その由来は<天
理に純にして人欲の私を去る>(王陽明『伝
習禄』だそうです」
「なるほど、<天理に純>ってことは、天に
則す、天の道理に即するということ、<人欲
の私を去る>は欲に満ちた私を去るという意
味で、つまり<則天去私>になる。漱石は二
松学舎を退学して英文学を学んだが、結局、
最後は儒学に回帰したといえるのかな」
「海洋に出て回遊したサケが死ぬために故郷
の川へ戻ってきたようなものでしょう」
「それなら素直にそう認めればよいのに、も
っとも「則天去私」的な作品は『ウェイクフ
ィールドの牧師』だなどと人心を惑わすよう
なことを言う」
「佐藤泰正は則天去私の由来が王陽明『伝習
禄』だということを二松学舎で学び、後に評
論家になり、キリスト教の牧師となり、二松
学舎の学長も務めたこともある佐古純一郎か
ら教えてもらったそうです」
「キリスト教の牧師が二松学舎の学長になっ
たとは面白い。佐古純一郎の著書も読む必要
がありそうだな」


佐古純一郎
   2012/6/12 (火) 08:25 by Sakana No.20120612082506

06月12日

「佐古純一郎『夏目漱石の文学』を読みまし
た。あまたある評論家の説のなかで、漱石先
生の則天去私についての解釈はこの人のも
のが核心をついていると思いました」
「名前は記憶にある。どんな経歴の人物だ?」
「大正8年(1919)、徳島県生れ。
昭和13年(1938)、二松学舎に入学し、山田準
(山田方谷の養子)から漢詩を学ぶ。
昭和15年(1940年)、亀井勝一郎に師事。
昭和18年(1943)、創元社に入社、編集会議で
 小林秀雄から殴られて二階から落ちた。
昭和19年(1944年)、海軍の召集を受け、対
 馬海軍警備隊の通信隊付の暗号兵に配属さ
 れた。
昭和23年(1948年)、日本基督教団中渋谷教
 会にて洗礼を受ける。
昭和32年(1957年)、朝日新聞に「文学はこ
 れでいいのか」を発表。
昭和38年(1963) 「人生はこれでいいか 勇気
 を燃やすために」を発表」
「なるほど。漱石との有縁はみとめられる」
「二松学舎で漢詩の作り方を教わった山田準
は、熊本の五高で、漱石先生と机を並べてい
たそうです」
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に<神
のような人」と言われた会津藩士・秋月禎次
郎 が五高で漢文の教師をしていた頃、漱石の
同僚だったと聞いたことがあるが、山田準も机
を並べていたとは知らなかった」


二松学舎
   2012/6/15 (金) 08:03 by Sakana No.20120615080343

06月15日

「漱石のいう則天去私について、佐古純一郎
の解釈がもっとも信頼がおけるときみが考え
る理由は何か?」
「第一に、佐古純一郎が漱石先生の若いとき
と同様、二松学舎で漢詩のつくり方を学んで
いることです」
「たしかに、晩年の漱石は『明暗』の執筆と
平行して漢詩をつくっている。午前中は『明
暗』の執筆で<俗了>し、午後は漢詩つくり
で精神のバランスをとったといわれているが」
「佐古純一郎によれば、『明暗』執筆中につ
くられた漢詩は七十七だ首だそうです。これ
は驚異的な数。しかも、漱石先生の漢詩で一
番思想的、内容的にも深みがあるのは、『明
暗』と並行してつくられた漢詩だと佐古は言
っています」
「漢詩の解釈なら吉川幸次郎『漱石詩註』が
信頼できるのではないか」
「漢詩の解釈だけなら吉川幸次郎も信頼でき
ますが、佐古純一郎は実際に二松学舎で学ん
だだけあって、当時の学習システムや漱石先
生の心理をより深く理解できる立場にありま
した」
「学習システム?」
「当時の二松学舎では、一ヶ月に三回、五の
つく日に題が出ます。漢文を一つと漢詩三首
の題が必須で出て、それを三島中州先生など
が丁寧に添削してくれていたのです。頭の柔
らかい若いうちにそういう訓練をした人でな
いと、漱石先生のような漢詩はつくれないの
ではないでしょうか」


漱石 芥川 太宰
   2012/6/18 (月) 06:44 by Sakana No.20120618064429

06月18日

「こんどは『漱石 芥川 太宰』(1991)を読み
ました。佐古純一郎と佐藤泰正の対談です」
「佐藤泰正は吉本隆明とも対談している」
「それは『漱石的主題』(2004)ですね」
「三人の関係を調べてくれ」
「ほぼ同世代といってよいと思います。吉本
さんをのぞく他の二人はかなりの高齢者です
が、ご健在です。
  佐藤泰正(1917-)
  佐古純一郎(1919-)
  吉本隆明(1924-2012)」
「漱石が逝去したのは1916年、三人とも漱石
の死後に誕生しているが、もうすぐ<百年は
もう来ていたんだな>になる」
「その百年の間に芥川龍之介と太宰治が漱石
的主題の文学作品をいくつか発表した末に自
殺していますが、その漱石的主題の流れに着
目して意見を交換しあったのが佐古純一郎と
佐藤泰正の対談です」
「漱石 芥川 太宰の三人の生き方で共通する
ものはなにか?」
「<非耶非佛非儒 窮巷売文聊自娯>ですが、
売文作品の主題に宗教的志向性がみとめられ
るという点に佐古純一郎と佐藤泰正の関心が
あるようです」
「宗教的志向性はあっても、所詮は非耶非佛
非儒の売文の徒にすぎない。佐古純一郎のよ
うな牧師とは違う」
「浄土真宗の寺で生まれ、二松学舎名誉教授、
日本キリスト教団中渋谷教会名誉牧師という
経歴です」
「佐古純一郎の人格に耶佛儒がどのように統
合されているのだろう?」
「それを知るには著書を読むしかありません」
「佐藤泰正の経歴は?」
「早稲田の国文科卒で、下関市の梅光女学院
大学長。キリスト教徒の文学者だった遠藤周
作の話を聞いた『人生の同伴者』などキリス
ト教文学に関する著書があります」


絶望は希望になり得るか
   2012/6/21 (木) 07:04 by Sakana No.20120621070400

06月21日

「佐古純一郎はプロテスタントの牧師だとい
うが、破滅型の太宰治に関心を抱くとは不思
議だね」
「若い頃は、佐古も太宰も似たようなものだ
ったのではないでしょうか」
「そうかな」
「佐古純一郎が中渋谷教会で洗礼を受けたの
は昭和二十三年五月。太宰が玉川に入水して
死ぬ三週間前です」
「きわどいところで生死がわかれたね」
「その十年前、佐古が二松学舎に入ってから
は太宰が希望だったそうです。<太宰の絶望
が私たち太宰の世代の希望だった。吉本隆明
だってそうですよ>と言っています」
「ふーん。吉本もそうだったのか。絶望が希
望とはわけがわからん」
「<二松学舎時代、いろいろいきさつがあっ
て、私はもう死のうと思い、友達に下宿へ来
てもらって送別会をしてもらったんです>と
も書いています」
「それなら、ほとんど太宰の『晩年』に近い」
「年齢をみると、
 太宰治(1909-1948)
  佐古純一郎(1919-)
  吉本隆明(1924-2012)」
ですから、まあ同じ世代といえるかもしれま
せん」
「佐古が自殺を思いとどまった理由は?」
「死ぬ前に一度だけ、おばあちゃんの顔を見て
死にたいと思った。前触れもなく故郷へ帰った
ので、びっくりしていたが、そのときおばあち
ゃんが微笑してくれた。漱石が『硝子戸の中』
で書いているおふくろの微笑と同じ。それで死
ねなくなっちゃったそうです」



大愚難至志難成 
   2012/6/24 (日) 07:48 by Sakana No.20120624074831

06月24日

 大愚難至志難成  大愚至り難く 志成り難し
 五十春秋瞬息程  五十の春秋 瞬息の程

「これは大正五年十一月十九日の作です」
「この漢詩からは晩年になっても、漱石は則天
去私の境地に至っていないことがわかる」
「則天去私は、漱石においてはついにあこがれ
の世界だったと思いますと、佐古純一郎は言っ
ています」
「漢詩はともかく、小説には則天去私の考えが
がどのように反映されているのか」
「『明暗』なんぞはそんな(則天去私の)態
度で書いていると先生本人が言っておられるの
で間違いありません」
「具体的にどういうことだ?」
「主人公の自分を他人と同じ目で見るというこ
とでしょう。『道草』の健三や『明暗』の津田
はそのような目で描かれています」
「しかし、漱石は『道草』や『明暗』で自分を他
人と同じ目で見ることができるようになったが、
それでもまだ則天去私の境地に悟達してはいなか
ったのかな」
「大愚難至志難成」


雑誌『文学』の特集=漱石『文学論』をひらく
   2012/6/27 (水) 08:32 by Sakana No.20120627083239

06月27日

「岩波書店の雑誌『文学』5,6月号の「特集=
漱石『文学論』をひらく」。昨年12月22日
にシンポジウムもあったと、親切な方から教え
て頂きました。ありがとうございます」
「『文学』などという雑誌があるのか」
「私の若い頃からあったと記憶しておりますが、
私にとっては排他的経済水域に見えたので、敬
遠していました」
「読んだって罰金はとられないだろう」
「敷居が高かったのです。でも、『文学』が夏
目漱石没後百年過ぎて、『文学論』を特集する
のは当然のこと。漱石先生の想定の範囲内のこ
とですので、早速、取り寄せました」
「内容はどうだ?」
「夏目漱石『文学論』シンポジウム総合討論な
どもあり、なかなか読みごたえがあります」
「討論の参加者は?」
「ジョセフ・マーフィ氏(フロリダ大学)、上
田敏子氏(プリンストン大学)、マイケル・ボ
ーダッシュ氏(シカゴ大学)、斉藤秀史氏(東
京大学)、小森陽一氏(東京大学)、野淵摩利
子氏(東京大学)の六人です」
「では、じっくり読んで、内容をわかりやすく
報告してくれ」


事件としての『文学論』再発見
   2012/6/30 (土) 08:50 by Sakana No.20120630085035

06月30日

「『文学』5,6月号の「特集=漱石『文学論』
をひらく」のなかでまず、林少陽『「事件とし
ての『文学論』再発見』という論文を読みまし
た」
「『文学論』再発見は事件だったのか?」
「論者によれば、夏目漱石の『文学論』は、明
治四十年に出版されて以来、百年以上経ったに
もかかわらず、その解読史を見てみれば、孤独
なものであると言っても過言ではない、そうで
す」
「ほとんど誰にも理解されなかったということ
かな。漱石の用語を使うと、集合的Fになりそ
こねた」
「ところが、一九八○年頃から、『文学論』再
発見の動きが出てきた。まず、柄谷行人の『日
本近代文学の起源』(初版一九八○年)です」
「それからもう三十年以上たっている」
「続いて、前田愛が『文学テクスト入門』(一
九八八年)の第一章で読書理論の視点から『文
学論』「fに伴う幻惑」を解読しようとしまし
た」
「前田愛といえば、女優がいるね」
「江戸・明治文学史の専門家です。愛は<よし
み>とよみます。1931年生まれで、吉本隆明よ
りも若いのに、1987年にお亡くなりになりまし
た」
「江藤淳(1932-1999年)とほぼ同世代だ」
「一九九○年以後の『文学論』読解の代表とし
て注目されるのは、小森陽一『漱石を読み直す』
『出来事として読む』。理論家としての漱石と
小説家としての漱石との関連を見つけようとし
ています」
「それは面白そうだ」
「吉本隆明、佐古純一郎、佐藤泰正らの『文学
論』への言及も一九九○年代からとみてよいで
しょう。ついてに補足していえば、二○○四年
五月二十二日にはNHK教育テレビで「祖父 
漱石──夏目房之介がたどる『猫』誕生百年─
─」という番組が放映されました。『文学論』
第五編「集合的F」の草稿(漱石の講義を筆写
した中川芳太郎のメモ)が発見されてからはじ
まるドキュメンタリー番組です。そして、絶版
となっていた岩波文庫『文学論』が二○○七年
二月に復刊され、その復刊本を入手して私も読
みはじめたという経緯です」
「社会学的にみると、孤独だった漱石の『文学
論』が集合的Fになりつつある気配がかすかに
感じとれる」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe