夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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吉本隆明の憶測
   2012/5/3 (木) 06:47 by Sakana No.20120503064759

05月04日

「ついでに『明暗』の結末についての吉本隆
明の憶測もご紹介しておきます。<抽象的な
言い方で二つしかいえないだろうとおもいま
す>だそうです」
「快刀乱麻で断定しないで、二通りの結末を
示すとは吉本隆明らしくない」
「『夏目漱石を読む』は2002年刊、人柄がま
るくなった晩年の著ですから、言論界の天下
をとろうとしていた『美にとって言語とはな
にか』の頃とはちがいます」
「ではその二通りの憶測を紹介してくれ」
「破局説と平穏説のどちらかです」
「そう言っておけば、どちらかになるから、
はずれっこない」
「破局説は吉川夫人と小林という二人の悪魔
的な、あるいはたいへん強烈な意志力が、大
きな役割で出てくるとすれば、たぶん津田と
お延の運命は、相当破局的なところへ行くと
いうものです」
「平穏無事説は?
「反対に、吉川夫人と小林の意志力とか、登
場人物に及ぼす影響を漱石が縮めて、吉川夫
人や小林を罰して、というふうに作者が考え
たとすれば、この役割はだんだん小さくして
いくだろう。そうなれば、たぶん、紆余曲折
はあっても、津田とお延は、またのどかで、
平凡で、楽しげな生活に戻っていくみたいな
結末になるだろうというのです」
「すると、漱石がどんなつもりで吉川夫人と
小林を『明暗』に登場させたか、その魂胆が
カギということになる」
「漱石先生はどんなつもりだったのでしょう
ね」
「雑司ヶ谷墓地に墓参りして聞いてきなさい」


十三人のやさしい知識人
   2012/5/6 (日) 09:05 by Sakana No.20120506090543

05月07日

「次の十三人は日本の知識人です。共通点は何
でしょう。

  正宗白鳥 (1879-1962)
  谷崎潤一郎(1886-1965)
  小宮豊隆(1884-1966)  
  内田百閨i1889-1971)
  松岡譲(1891-1969)
  岡潔(1901-1978)
  小津安二郎(1903-1963)
  大岡昇平 (1909-1988)
  吉本隆明 (1924-2012)
  丸谷才一 (1925-)
  山田風太郎1922-2001)
  江藤淳   (1932-1999)」
  水村美苗(1951-)

「漱石作品についての意見や感想を発表して
いる。みんな漱石の熱心な読者だった」
「二十歳になるまでに漱石先生の作品をほと
んど読んでいるようですね」
「それが知識人の条件だ。高齢者になってか
ら全作品を読了したからといって偉そうな顔
をしてはいけない」
「それにしても不思議なのは、『明暗』の評
価や『明暗』の結末の憶測に関してはそれぞ
れに違う結論を出していることです。なぜ知
識人の間で差異が生じるのでしょう?」
「知識人の言論はDNAや環境によって違っ
てくる。百鬼夜行──それが人間の面白いと
ころ、まさに『明暗』の世界だ」
「そういえば、小宮豊隆は<『明暗』は[私]
の塊りの角突き合いとして、百鬼夜行のよう
な人生の姿を、克明に浮彫にして見せようと
るものであった>と書いています。




則天去私の文学
   2012/5/10 (木) 07:39 by Sakana No.20120510073912

05月10日

「『明暗』なんぞはそんな(則天去私の)態
度で書いている。近いうちにこういう態度で
もって、新しい本当の文学論を大学あたりで
講じてみたい・・と漱石先生は言われたこと
については、何人かの研究者が論文を発表し
ているようですが、帯に短し、襷に長しで、
決定的に説得力のある説はなさそうです」
「『明暗』のほかに、則天去私的な作品には
何があるのだろう」
「松岡譲によれば、ジェイン・オーステンの
『高慢と偏見』やゴールド・スミスの『ウェ
イクフィールドの牧師』を漱石先生はをあげ
ておられたそうです」
「わけがわからん」
「江藤淳は、その事実をあげて、小宮豊隆の
則天去私神話を批判しています。『高慢と偏
見』や『ウェークフィールドの牧師』から
則天去私の悟達を導き出すのはまず無理なこ
とでしょうから」
「うん。『高慢と偏見』が則天去私の文学な
ら、谷崎潤一郎の『細雪』などもその資格が
があると思う。女ばかり五姉妹のベネット家
は四姉妹の蒔岡家に似ている」
「谷崎潤一郎は『明暗』を高く評価していな
いところをみると、則天去私の文学として認
めていなかったのではないでしょうか」
「すると、『明暗』は則天去私の文学ではな
いが、『細雪』は『高慢と偏見』などととも
に則天去私の文学だというマズイことになる」
「困りましたね」


ウェイクフィールドの牧師
   2012/5/13 (日) 07:28 by Sakana No.20120513072819

05月13日

「ゴールドスミス『ウェイクフィールドの牧
師』(小野寺健訳)を読みはじめました」
「ジェーン・オーステン『高慢と偏見』とと
もに則天去私の文学とされている。今ごろ読
むのは遅すぎる」
「十八世紀の英国の小説です(1766年刊)。急
いで読むこともないでしょう」
「そもそも小説は急いで読む必要がない不要
不急ものではあるが」
「ーむだばなしーという副題がついています
ね。そして、作者のことばとして、<この作
品には百の欠陥がある>と断っています。
<そこで百のことばを費やして、その欠陥が
長所であることを証明するということも考え
られなくはないが、それはむだである。本と
いうものには、無数の欠点があるにもかかわ
らずおもしろい場合もあれば、一つもあやま
ちがないのに退屈きわまるという場合もある
のだ>」
「なるほど、則天去私だ」
「則天去私のむだばなしです。百の欠陥があ
ります。それにもかかわらずおもしろい小説
かもしれません」
「そんな十八世紀の英国の小説を二十一世紀
の日本人が文庫本で読める環境というのも則
天去私の賜物といえそうだ」


ハッピーエンド
   2012/5/16 (水) 06:58 by Sakana No.20120516065810

05月16日

「ゴールドスミス『ウェイクフィールドの牧
師』を読了し、結末がハッピーエンドになっ
いるのに驚きました」
「驚くことはない」
「漱石先生がもっとも「則天去私」的な作品
とされた『ウェイクフィールドの牧師』がハ
ッピーエンドとは意外です」
「ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』
だってハッピーエンドだ」
「江藤淳は『高慢と偏見』や『ウェイクフィ
ールドの牧師』から「則天去私」の悟達を導
き出すことに疑問を抱き、小宮豊隆の「則天
去私」神話を批判しました。しかし、私が読
んだ印象を申し上げますと、この牧師の生き
方は広い意味で「則天去私」的だと思います」
「キリスト教の牧師の生き方に「則天去私」
という用語をあてはめるのはおかしい」
「天=神、と考えれば、おかしくありません。
少なくとも、牧師は私を去り、神への信仰に
基づいた正しい行動をしています」
「漱石はキリスト教徒ではなかった。天=神、
だとは言っていない」
「だから広い意味での「則天去私」です」
「牧師の行動を具体的に説明せよ」
「妻と六人の子供(息子が四人、娘が二人)
がいます。全財産を委託していた商人が破産
したため、長男の結婚がご破算になり、長男
は自立の道を求めて、家を出る。長女は地主
にだまされて、棄てられる。家は火事で焼け
る。地主は滞納していた地代を払えと牧師に
迫り、払えないというと投獄してしまう。長
男も投獄され、次女は誘拐される──という
悲惨な目にあいますが、牧師の信仰はゆるぎ
ません」
「どんな風に?」
「たとえば、牧師は次のように言います。
<たいていの人は人生を旅にたとえて、自分
は旅人だと考えるように教えられている」
「芭蕉曰く、月日は百代の過客にして行かふ
年も又旅人也」
「この喩(たと)についての牧師の解釈は芭
蕉とは違います。<つまり、善人はわが家を
めざしていく旅人のように明るく朗らかだが、
悪人は世界から追放された旅人のように、ご
くたまに幸せになれるに過ぎない>」
「なんだ、勧善懲悪の思想か?」
「ええ、その通り、『ウェイクフィールドの
牧師』の物語はハッピーエンドで終わります」
「漱石の『明暗』もそんな終わりかたをする
のかな?。津田をはじめ『明暗』の登場人物
はすべて、牧師のような宗教心を持っていな
いが」





現代日本の開化
   2012/5/19 (土) 07:43 by Sakana No.20120519074312

05月19日

「漱石先生が明治44年に和歌山で講演した
『現代日本の開化』の内容を則天去私の観点
から考えてみたいと思います」
「現代日本の開化は内発的なものではなく、
黒船来航以来の外部の圧迫による外発的なも
のだと漱石は指摘した。それが則天去私とど
ういう関係があるのか」
「日本と違って、イギリスの開化は内発的な
ものです。その開化の土台にはゴールドスミ
スの『ウェイクフィールドの牧師』のような
則天去私の文学があります」
「キリシタンおそるべしか。しかし、漱石は
内村鑑三のように基督信徒にはなろうとしな
かった」
「漱石先生には左国史漢の土台があり、禅に
も惹かれています。それが漱石先生の内発的
な則天去私の悟達に導いたのです」
「だが、漱石は日本の将来というものについ
て悲観している。彼のような知識人がマイナ
ス思考では困る。どうすればよいのか」
「出来るだけ神経衰弱にかからない程度にお
いて、内発的に変化して行くが好かろうとい
うような体裁の好いことを言うより外に仕方
がないと、言っておられます」
「もしかすると、漱石は神経衰弱の隠れキリ
シタンだったのではないか」


越後の僧
   2012/5/22 (火) 09:50 by Sakana No.20120522095012

05月22日

「ウェイクフィールドの牧師に対比できる則
天去私的な日本人のイメージは誰でしょう」
「さあ、越後の僧かな」
「良寛ですね。ウェイクフィールドの牧師と
ほぼ同世代の人です。漢詩、和歌、書にみら
れる良寛の生き方や考え方はまさに則天去私
的といえます」
「漱石は良寛を慕う漢詩をつくっており、良
寛の書を入手して感激した。修善寺の大患後、
良寛に影響されて則天去私の悟達を得たとい
えば、誰もが納得するはずだが、なぜ則天去
私的な文学が良寛ではなく、ウェイクフィール
の牧師だなどと言って、後世の人々を悩ませ
たのだろう?」
「もしかしたら、妻子の存在かもしれません
ね」
「なるほど、貞心尼とのロマンスはあるが、
良寛は生涯独身だった」
「ウェイクフィールドの牧師には七人の子供
がいます」
「そういえば、漱石の子供も七人だ」


有髪の僧
   2012/5/25 (金) 07:10 by Sakana No.20120525071048

05月25日

「漱石先生は参禅した経験があり、有髪の僧
という自覚があったのではないでしょうか」
「尼寺に有髪の僧を尋ね来よ、という俳句を
詠んだことがある」
「明治27年、小石川表町73番地 法蔵院で書い
た正岡子規宛の手紙にある句ですね。<午後
は大抵閑居す必用なければ何処へも出ず隣房に
尼数人あり少しも殊勝ならず女は何時までもう
るさき動物なり>とも書かれています」
「しかし、大正5年10月6日につくった漢詩には、
<非耶非佛非儒 窮巷売文聊自娯>とある」
「ウェイクフィールドの牧師のように耶蘇では
ないし、良寛のような僧でもないし、王陽明の
ような儒者でもない。一介の売文業者としてさ
さやかな自己満足を得ている──という意味で
すか」
「一応、へりくだった神妙な姿勢だが、その漢
詩は最後に<打殺神人亡影処 虚空歴歴現賢愚>
でしめている」
「神人を打殺して影亡き処、虚空歴々として賢
愚を現ず──よくわかりませんが、凄い気魄を
感じますね」
「一介の売文の徒ではあるが、維新の志士のご
とき烈しい精神で文学をやってみたいと洋文学
の隊長を志した男の詩だ。わかったか、津田」


老荘思想
   2012/5/28 (月) 08:43 by Sakana No.20120528084348

05月28日

「<非耶非佛非儒 窮巷売文聊自娯>とか
<打殺神人亡影処 虚空歴歴現賢愚>とかの
詩句からは老荘思想を連想します」
「漱石はたしか『老子の哲学』という論文を書
いているはずだ」
「明治二十五年六月十一日稿、文科大学東洋哲
学論文としてまとめたものです」
「老子がよしとする無為自然は則天去私に通じ
るものがある」
「しかし、漱石先生の生涯は無為自然どころで
はありません」
「どちらかといえば、おまえさんの生涯のほう
が無為自然に近いかな」
「大道廃れて仁義あり、
 智慧出でて大偽あり
 六親和せずして孝慈あり、
 国家乱れて貞信あり。」


柄谷行人
   2012/5/31 (木) 08:36 by Sakana No.20120531083631

05月31日

「こんどは柄谷行人『漱石論集成』を読みま
した」
「行人というペンネームは漱石の小説『行人』
の由来しているのか?」
「柄谷行人は『行人』の一郎のような狂人で
はありません。それどころか、則天去私とい
う神話ができあがったのは、彼(漱石)が実
際の肉体的衰弱をそれの克服ととりちがえた
ときだという勇ましい説をとなえています」
「たしかに、漱石は修善寺の大患で肉体が衰
弱し、死にかけたことが心の転機となったこ
とは間違いない」
「でも、肉体的衰弱をそれの克服ととりちが
えて、則天去私神話をつくったのは漱石先生
ではありません。小宮豊隆などの弟子たちで
す」
「則天去私神話と称して、弟子たちを批判し
たのは江藤淳だが、弟子たちには神話をひろ
めているという意識はなかった」
「柄谷行人も神話と称しています。<この神
話は一九五○年代に、江藤淳によって破壊さ
れた。だが、やがて圧倒的にふくれあがった
新中産階級によって、新たな神話が形成され
たのである>」
「きみもその神話を形成した新中産階級の一
か?」
「私も神話を形成したつもりはありませんが、
則天去私という思想には親和感を抱いていま
す」
「それはきみが肉体的衰弱をしているからだ」
「江藤淳や柄谷行人が則天去私神話を批判し
たのは若いときですね」
「きみだってその頃は若かった」
「でも今は則天去私の藁をもつかみたい心境
です」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe