夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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十八世紀の英文学
   2007/10/22 (月) 07:43 by Sakana No.20071022074359

10月22日

「漱石先生の文学評論は十八世紀の英文学で
す」
「なぜ十九世紀でなかったのだろう」
「そういわれてみると、漱石先生がイギリス
の留学時期は世紀末から二十世紀にかけてで
すから直近の世紀は十九世紀ですね」
「現在、二十一世紀初頭に生きているわれわ
れが日本文学の評論をすると仮定した場合、
漱石のやり方を参考にするとすれば、二十世
紀ではなく、十九世紀の日本文学を対象にし
なければならない」
「漱石以前の一世紀の日本文学となると、鮮
度がかなり古いですね」
「漱石が十九世紀ではなく、あえて十八世紀
の英文学を研究対象としたのはそれなりの理
由があるはずだ」
「その理由については『文学評論』のなかで
は特に言及されていません」
「言及されていなくても推察せよ」


文学と科学
   2007/10/25 (木) 07:35 by Sakana No.20071025073529

10月25日

「十八世紀というと百年間のことですね」
「さよう、元禄十四年(1701)から寛政十二
年(1800)までの百年間だ」
「ということは、十八世紀の文学といえば歴
史ですね」
「さよう、文学史の一部だ」
「歴史は文学でしょうか、それとも科学でし
ょうか」
「それは歴史の解釈次第で、文学ともいえる
し、科学ともいえる」
「漱石先生は科学であろうと仰っておられま
す」
「漢学の家に生まれた者にとっては歴史は文
学のはず。しかし、官費でイギリスに留学さ
せてもらったという弱みがあるから、無理を
して歴史は科学だと考えようとしたのだろう」


HowとWhy
   2007/10/28 (日) 07:32 by Sakana No.20071028073212

10月28日

「科学は<如何にして>ということ、即ち、
Howということを研究するもので、<何故とい
うこと>、即ちWhyということの質問には応じ
かねるそうです」
「具体的な例で説明してくれ」
「花が落ちて、実を結ぶという現象を例にと
ってみましょう。如何なるプロセス(過程)
で花が落ち、また、如何なるプロセスで実を
結ぶかという手続を一々記述するのが科学で
す」
「何故花は落ちて、実を結ぶのか」
「それは科学の問題ではありません」
「何故だ」
「科学の領域を越えているからです」
「科学の領域とは?」
「原因結果で説明できる範囲内です」
「原因結果は如何にして探るのか?」
「一つの現象の原因を分解して、結果を出し
ます。さらにまた、他の現象の原因を分解し
て結果を出します。そして、沢山の事実を集
めて比較します」
「比較してどうする」
「綜合します」
「綜合とは?」
「同じような事実が、<如何にして>という
点において一致すれば、法則ができます」
「一致しなければ?」
「分類するのです」
「面倒な手続だ」
「仕方がありません。漱石先生が『文学評論』
でそのように解説しておられるのですから」




文学評論の目次
   2007/10/31 (水) 07:40 by Sakana No.20071031074021

10月31日

「漱石先生は十八世紀の英文学を科学的に研
究されました」
「どんな風に?」
「まず背景として、十八世紀の英国の状況一
般、哲学、芸術、珈琲店、酒肆、倶楽部、倫
敦、倫敦の住民、娯楽、文学者の地位につい
て紹介した上で、

 (1)アヂソン及びスチールと常識文学
 (2)スイフトと厭世文学
 (3)アレキサンダー・ポープと所謂人口
    派の詩
 (4)ダニエル・デフォーと小説の組立

について論じておられます」
「アヂソンやスチールは聞いたことのない名
前だ」
「常識文学の代表としてあげたのです」
「二十一世紀のイギリスでも読者の多いジェ
ーン・オースティンの名前がない」
「紙面の都合で割愛したのでしょう」
「文学者の地位について論じていながら、女
性の地位を無視しているのは科学的な研究と
はいえない」
「文学評論ですよ。女性評論ではありません」


十九世紀の日本文学
   2007/11/3 (土) 07:02 by Sakana No.20071103070229

11月3日

「漱石先生にならって、百年以上前に賞味期
限のきれた十九世紀の日本文学を科学的に研
究できたらなあと思いました」
「勝手に研究すればいいだろう」
「日本の歴史は1968年の明治維新で一変して
いますから難しいですね」
「前後にわけて論じればすむことだ」
「それでは、研究テーマの候補をあげてみま
す。

 (1)頼山陽と『日本外史』
 (2)滝澤馬琴の勧善懲悪小説
 (3)二葉亭四迷の言文一致小説
 (4)正岡子規の俳句革新

「読んだことがあるのか」
「それはこれからボツボツと・・・」
「女流作家を論じなければ、科学的な研究と
はいえない」
「では正岡子規に代えて樋口一葉でもかまい
ません」
「それはともかくとして、これだけ毛色の変
わった四人の文学の科学的研究がきみにでき
るとは思えない」
「私も自信がありません」
「自信がないのになぜ研究テーマの候補をあ
げた」
「漱石先生の『文学評論』の構想がどんなも
のかを想像するためにリストアップしてみた
のですが、あらためて先生の研究が気宇壮大
なものであることがわかります」


十八世紀の日本文学
   2007/11/6 (火) 08:14 by Sakana No.20071106081454

11月6日

「ついでに十八世紀の日本文学を研究とする
として、代表的作家をあげてみます」

 (1)松尾芭蕉の俳諧
  (2)井原西鶴の浮世草子
 (3)近松門左衛門の人形浄瑠璃
 (4)上田秋成の物語

こんなところで如何でしょう」
「芭蕉と西鶴は十七世紀の人だ。芭蕉は元禄
7年(1694)、西鶴は元禄6年(16939に死んでい
る」
「惜しいですね。西鶴はあきらめるとしても
芭蕉は残してください。蕉風の俳諧は十八世
紀にひろまっていますから」
「与謝蕪村にしたら?」
「芭蕉あっての蕪村です。そういう訳にはい
きません」
「当時、俳諧は文学とはみなされていない」
「それをいったら、誰もいなくなってしまい
ます」
「荻生祖来、山崎闇齊、室鳩巣、新井白石な
どの儒者がいる。彼等こそ当時の文学者だっ
た」
「では、妥協して新井白石を研究することに
しましょう。

 (1)松尾芭蕉の俳諧
 (2)近松門左衛門の人形浄瑠璃
 (3)上田秋成の物語
 (4)新井白石の文学

こうしてみると、日本文学もなかなかのもの
です。漱石先生が選んだ十八世紀英文学の、

 (1)アヂソン及びスチールと常識文学
 (2)スイフトと厭世文学
 (3)アレキサンダー・ポープと所謂人口
    派の詩
 (4)ダニエル・デフォーと小説の組立

にけっしてひけをとりません」
「大航海時代の余波のようなロビンソン・ク
ルーソーガリヴァーに匹敵する作品がない」
「それはないものねだりです。当時の日本は
鎖国をしいていたのですからやむをえません」





文学評論の態度
   2007/11/9 (金) 08:37 by Sakana No.20071109083728

11月9日

「いよいよ十八世紀の英文学についての評論
にとりかかりますが、その前に作品に対する
態度を反省しておきましょう」
「反省?そんなものは必要ない。作品の評価
は要するに好みできまる。面白いか、つまら
ないか、好きか嫌いかだ」
「それは鑑賞的(appreciative)態度です。そ
れに対して非鑑賞的(non-appreciative)また
は批評的(critical)な態度があります」
「そちらの態度のほうが科学的だというのか」
「好き嫌いとはかかわりなく、作品の構造、
組織、形状などを知ろうとする冷静な態度で
す。たとえば、詩の韻が何で、行がいくつか
あるかというようなことに目をつけます」
「好き嫌いという感情は無視するのか」
「第三の態度は両者をふくみます。これが批
評的鑑賞(critico-appreciative)の態度です」
「漱石がすすめるのはそれか」
「そのようですが、批評は科学的にするよう
心がけるとして、好き嫌い(趣味)の原因は
科学的に分解できるでしょうか」



作家と評論家
   2007/11/12 (月) 08:28 by Sakana No.20071112082848

11月12日

「面白いか、つまらないかという好き嫌いの
感情だけで評価する態度を鑑賞的(appreciative)
といいます」
「たかが戯作の評価ならそれで十分だ」
「作家はそれで十分です。直覚的に面白いと
思ったことをどんどん書いていけばそれでよ
いでしょう。しかし、評論家は鑑賞的態度だ
けでは通用しません。批評的態度や批評的鑑
賞の態度が要求されます」
「いずれにしても請売りの評論では意味がな
い」
「批評鑑賞的な態度をとれば、請売りになり
ません」
「なぜだ」
「批評感傷的な態度では好き嫌いが根本にあ
り、それから出立して科学的に好き嫌いの説
明をします。好き嫌いを判断するのは自己、
しかも現在の自己です」
「なるほどね。しかし、評論家は自己を偽る
ことがある。打算や虚栄やあるいは権威への
盲従など動機はいろいろあるが」
「自己に誠実な評論なら大丈夫です」
「評論家は自己に誠実な人種なのだろうか」
「他の評論家はわかりませんが、少なくとも
漱石先生は自己に誠実な方です」
「その見方も誰かの請け売りではないか」


文学評論の請売り
   2007/11/15 (木) 07:24 by Sakana No.20071115072411

11月15日

「文学評論は誰かの説の請売りが多いのでし
ょうか」
「そもそもきみが目指しているのが漱石の請
売りだ」
「きちんと理解した上で、正しい請売りがで
きればいいのですが」
「99パーセントは請売りでも、せめて1パーセ
ントのオリジナリチー(独創的な意見)がほ
しい」
「私にオリジナリチーが期待できるでしょう
か」
「誰も期待していないよ」
「・・・」
「此の道や行く人なしに秋の暮」
「暦の上では冬に入りました」



言葉の壁
   2007/11/18 (日) 09:49 by Sakana No.20071118094928

11月18日

「英文学など外国文学には言葉の壁がありま
す」
「あたりまえだ」
「英語でいうとdelicate shade of meaning
(意味の微妙)があって、ふつうの日本人はよ
ほど勉強しなければわかりません」
「きみのように勉強してもわからない者もい
る」
「英国人の評論家の説を読むと、その説が正
しいと思いこんでしまうのです」
「自分のフィーリングはどうなる?」
「英語の微妙なニュアンスを理解するのは難
しい──自信がありません」
「そこで、英国人の説の請売りをするという
わけか」
「ええ、それが外国文学を学んで陥りやすい
ところだと漱石先生は指摘しておられます」
「どうすればよいのか」
「二通りの方法があります。一つは言語の障
害に頓着せず、自分が感じた通りを遠慮なく
分析してかかる。もう一つは、英国人のフィ
ーリングや分析を収集して参考にする方法で
す」
「最初の方法はひとりよがりになり、後の方
法は請売りにつながるのではないのか」
「ですから、両方のいいところどりをして批
評鑑賞的(critico-appreciative)な態度を採
用するのです」
「両方の悪いところどりをしたらどうなる?」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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