夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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漱石と鴎外
   2012/3/5 (月) 08:03 by Sakana No.20120305080305

03月05日

<性格なんてものはないものだと考えている>
<本当のことが小説家などに書けるものじゃな
い>と坑夫は言っていますが、性格なんてもの
はないことはないと私は思います」
「何故?」
「漱石と鴎外を比較すると、あきらかに性格の
違いがみとめられるからです」
「どう違うのだ?」
「そうあらたまって聞かれると、困りますが、
違うものは違うのです。読者層をみると、漱石
好きと鴎外好きにはっきり分かれると思います」
「人気投票をすれば、漱石好きのほうが多いだ
ろう」
「永井荷風や森茉莉のように鴎外好きもいます」
「荷風は鴎外から慶応の教授に推薦された恩が
あり、茉莉は鴎外のDNAをもらったという縁があ
るからにすぎない」
「一般読者にも多数います」
「要するに、金之助が好きか、林太郎が好きか
という趣味の問題だ」
「私は二人とも好きなのですが、性格が好きな
のか生き方が好きなのか、それとも文体が好き
なのか、どうもよくわかりません」
「There's no accounting for taste.蓼食う虫
も好き」


夏目漱石を読む
   2012/3/8 (木) 08:51 by Sakana No.20120308085116

03月08日

「参考書として、吉本隆明『夏目漱石を読む』
という本を入手しました」
「60年安保の頃、わけのわからん難解な文章
を書き散らしていた男だ」
「それは昔の話。わかりやすい文章で書かれて
います」
「信じられない」
「日本の言論界を長年リードし、<戦後最大の
思想家>と呼ばれています。60年安保の頃か
ら半世紀にわたり、ずっと言論界の第一線を走
っていたのですから、すごい人です」
「半世紀も言論界でメシを食えたのは主張に一
貫性がなく、言うことをコロコロ変えてきたか
らではないのか」
「よくわかりませんが、むしろ精神の柔軟性を
みとめるべきだと思います」
「代表作は?」
「『共同幻想論』ですが、よしもとばなな、を
あげる人もいます」
「夏目房之助、森茉莉、よしもとばなな──彼
等の作品の文学的内容の形式はすべて(F+f)
にはちがいない」
「<わたしは、漱石の作品に執着が強く、十代
の半ばすぎから幾度か作品を繰り返し読んでき
た。隅々までぬかりなく読んだ>そうです。も
ちろん『文学論』も読んでいますから、期待で
きます」
「わかった。ご高説を拝聴しよう」


漱石的主題
   2012/3/11 (日) 09:13 by Sakana No.20120311091300

03月11日

「吉本隆明には『漱石的主題』という著書もあ
ります。こちらは佐藤泰正との共著です」
「漱石的主題とは何だ?」
「もちろん<文学とは何か>です」
「要するに『文学論』のテーマだな」
「<吉本さんがかつて、漱石にはいろんな作品
があるけれども、たぶん『文学論』というもの
に漱石のいろんな問題がぜんぶぶち込まれてい
るんだ。ところが、いわゆる研究者とか批評家
が、やっかいなこともあるけれども、『文学論』
をまともに読みくだいていない、ということを
おっしゃいましたね>、と佐藤泰正が言ってい
ます」
「それはまさに、きみの問題だった」
「ええ、私にとってはいまだに未解決の問題で
す。なんとか一度だけは通読しましたが、まと
もに読みくだいたとはいえません」
「吉本隆明がその指摘をしたのは何時のことだ?」
「対談のかたちで最初に語られたのは雑誌『国
文学』昭和54年9月号ですから1979年ですね。春
秋社から『漱石的主題』が刊行されたのは1986年、
新装版の刊行は2004年です」
「すると、それ以来すでに30年もたっている。
その間に吉本発言に触発されて『文学論』をまと
もに読みくだこうと試み、論文を書いた漱石の研
究者や批評家もいるはずだ。どうせ彼等はヒマに
恵まれた高等遊民なんだから」
「いるかもしれませんね。参考になりそうなもの
が見つかったらご報告します」


言語にとって美とはなにか
   2012/3/14 (水) 08:37 by Sakana No.20120314083730

03月14日

「吉本隆明が安保闘争の挫折や情況の混迷解体
のなかから『言語にとって美とはなにか』を書
いたことが、漱石がロンドン留学のなかで神経
衰弱になりながら、大きな壁にぶつかって『文
学論』の構想をはじめたということが、それぞ
れの文学の営みとして共通性があると佐藤泰正
が『漱石的主題』で指摘しています」
「『言語にとって美とはなにか』はたしか大脳
生理学者の時実利彦から批判されたという記憶
がある」
「大脳生理学者から注目されるような論文なら
たいしたものです。漱石の『文学論』もロンド
ン留学中に同じ下宿にいた化学者の池田菊苗に
影響されたといわれています。文学の論文は科
学を視野に入れたものでなければなりません」
「非科学的人間のくせに、そんなことを言って
気はたしかか?」
「根本的な問いは、文学のなかでなにが大切な
んだ、です。<美>が大切なのか。<倫理>が
大切なのか。<善悪>が大切なのか。<真理>
が大切なのか。それを言葉から出発して、言葉
の表現ということで、納得がいくまでトコトン
つきつめていこうとしたのが吉本隆明です」
「<美というものは、そうだ、何と云ったらい
いか、虫歯のようなものなんだ>と三島由紀夫
が『金閣寺』で作中人物に言わせている。言語
にとって美とはその程度のものだ」
「私はやはり文学のなかで大切なのは善悪だと
思います」
「では、文学の第二の大目的だと漱石がいう幻
惑は善なのか、それとも悪か?」


吉本隆明
   2012/3/17 (土) 08:10 by Sakana No.20120317081025

03月17日

「吉本隆明先生がお亡くなりになったそうです。
87歳。せっかく『言語にとって美とはなにか』
を読みはじめたところだったのに」
「1965年に安保挫折世代の間で話題になった
本を今頃になって読むのか」
「夏目漱石『文学論』の縁で、やっと機が熟
したのです」
「それにしても遅すぎる」
「<文学は言語でつくった芸術だ>と吉本隆
明は定義していますが、その通りではないで
しょうか」
「漱石はそのように定義してはいないだろう」
「漱石先生はいくつかの定義を紹介しておら
れますが、ご自身の定義は示しておられませ
ん」
「文学的内容の形式が(F+f)であるとか、
文学の第二の大目的が幻惑であるとかは称し
ているが、肝心なことはぼかしている」
「それは、学生が自分の頭で考えなさいとい
うことなのです。ですから、吉本隆明は考え
て<文学は言語でつくった芸術だ>と定義し
たのです」
「では、言語とはなにか、芸術とはなにか」
「そこまで考えると、頭が混乱しますから、
とりあえず吉本隆明の定義を採用することに
しましょう。この定義によれば、文学は音楽
や映画とは別物の芸術だということが明白に
なり、私にとっては好都合です」


言語論から文学論へ
   2012/3/22 (木) 13:06 by Sakana No.20120322130607

03月20日

「吉本隆明『言語にとって美とは何か』は
言語論の切り口から文学論を展開しているよ
うに思われます」
「言語論から文学論へ──いいね」
「漱石先生が、根本的に文学とは如何なるも
のぞという疑問から出発したのに対して、吉
本隆明は、根本的に言語とは如何なるものぞ
という問題から論じています」
「なるほど。そこで、<文学は言語でつくっ
た芸術だ>と吉本は定義した」
「原始人の叫びごえが特定の律動をもち、意
識の自己表出をもつようになって、言語の条
件が完成するそうです」
「意識の自己表出?」
「それは吉本論文のキーワードですが、ここ
で説明していると頭が混乱するので先へ進み
ましょう」
「何処へ?」
「漱石先生の『明暗』(大正五年)です。
<『明暗』で漱石は、文学体と話体とのある
高次な段階での融和をしめした。・・・・・・
『明暗』で漱石にやってきたこの人間認識の
相対性は、表現としてみれば話体との融合を
みちびき入れた。『明暗』は『道草』の文学
体をさらに高みにひっぱりながら話体を融和
させた作品であった。漱石にとって絶筆とな
ったというだけではなくて、おそらく明治以
後の表出史のある集大成がここにあらわれた
のだ>。どうです、吉本は『明暗』を絶賛し
ているでしょう」
「明治以後の表出史などといっても聞いたこ
とがない。文学体とか話体という用語にもな
じみがない」
「なあに、そのうちなじんできます。『言語
にとって美とは何か』も芸者と似たようなも
のです」



自己表出
   2012/3/23 (金) 08:09 by Sakana No.20120323080945

03月23日

自己表出

「文学の作品や、そのほかの言葉で表現され
た文章や音声による語りは、一口にいえば指
示表出(ヨコ糸)と自己表出(タテ糸)で織
り出された織物だと言っていいと、吉本隆明
は『言語にとって美とはなにか』のまえがき
で述べています。つまり、表現された言葉は
指示表出と自己表出の織物です」
「織物にたとえるのは言語の美につながるか
もしれないが、自己表出というのはどういう
意味だ?」
「自己表現に近いでしょうか」
「違うよ。自己批判せよ」
「私は連合赤軍の残党ではありません」
「では、自己表出という概念の総括をしろ」
「よくわかりませんが、表出のほうが上位概
念のようです。書くという行為で文学に固定
すると、表出の概念は表出と表現に分裂する
と説明されていますから」
「表出=表出と表出=非表出(表現)に分裂
すると言われると弱い頭は混乱する」
「音声による意識の表出と文字に書かれた意
識の表現との違いなのでしょうか」
「後者が文学か?」
「語りも文学だとすれば前者も文学です。一
方、駄文は文字に書かれた意識の表現でも文
学とはいえません」
「言語表現を文学とみなす条件は?」
「構成です。構成を扱わなければ、反復、昂
揚、低下、表現のはじまりとおわりが意味す
るものを知ることができません」
「わかったようなわからないような説明だが、
まあいい。深入りしないことにしよう。いず
れにせよ、自己表出とか指示表出とかいって
も、巷の生活者には何のことかわからない。
わかりやすい用語を使ってくれなくては困る」
「サルトルは、即自、対自のような特殊な用
語をつくりました。新しいキータームをつく
るのも偉大な思想家の仕事です」
「<あるところのものであり、あらぬところ
のもの>である即自存在に対して<あるとこ
ろのものでなく、あらぬところのもの>であ
るのが対自──そういえば、一昔前、サルト
ルにかぶれて、場末の飲み屋でそんなオダを
あげて、自己露出していた奴がいたな」


指示表出
   2012/3/26 (月) 08:01 by Sakana No.20120326080122

03月26日

「おはようございます。頭の体操の時間です。
今朝は指示表出について考えてみましょう」
「また吉本隆明か。死せる隆明生ける魚を奔
らす」
「自己の意識が音や文字など言語として自己
の外側に表出するのを自己表出と呼ぶ──こ
れは私にもよくわかります。しかし、私の頭
が鈍いせいか、指示表出がどうもよくわかり
ません。指示表出だって、自己の意識が言語
として出てくれば、やはり自己表出ではない
でしょうか」
「たとえば、感動詞<ああ>のような指示性
の弱い言語を発する場合は自己表出、<松島>
のような指示性の強い名詞を発する場合は指
示表出と考えればよい」
「それなら、弱指示性自己表出と強指示性自
己表出です。どちらも強弱の差はあっても指
示性を帯びた自己表出ですから、一方だけを
指示表出と呼ぶことはできません」
「キータームは短いほうがよい。吉本隆明が
そう決めたのなら、それまでのこと。読者が
それに従うか、無視するかは自由だ」
「言語が意識の自己表出である──それが出
発点であることは納得です。では、次にその
ように自己表出した言語が文学になる条件は
何でしょう」
「言語表現を文学とみなす条件は構成だとき
みは言ったじゃないか」
「そうでしたね。松島やああ松島や松島や。
これは、松島という指示性の強い名詞、ああ
という指示性の弱い感嘆詞、それに切れ字の
やを組み合わせるという構成の言葉の織物で
す」
「季語がない」
「五七五の音数律があれば俳句という見方も
あります。なんといっても指示性の根源の韻
律をそなえているのが俳句の強みです」
「句一つではその作者の地位を決定すること
が困難であるなどの理由から桑原武夫は俳句
を第二芸術とよぶほかはないと言った」
「指示性の根源である韻律が日本語では音数
律にみちびかれることが、なにを意味し、な
にをあたえるかの本質的な理解を桑原武夫は
見落としていたと吉本隆明は批判しています」
「桑原武夫『文学入門』はきみも若い頃、読
んだはずだが」
「あれは入門書です。『文学論』ではないの
で、文学とはなにか、言語とはなにかという
問題について根本から考えてはいません。言
語が意識の自己表出であるという認識を出発
点とする吉本論文のほうが参考になります」



漱石の自己表出
   2012/3/29 (木) 08:26 by Sakana No.20120329082617

03月29日

「吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』
で次のように書いています。
  漱石の『それから』は、自然主義運動に
 よってなされた地ならしと、『煤煙』の直
 接の影響によって近代表出史にある意味を
 もって登場した。・・・・・・『吾輩は猫
 である』、『坊っちゃん』、『草枕』など
 にはじまり、『三四郎』などにいたる遊び
 の文学をかいていた漱石が、なぜ、『それ
 から』で、突然に表出をかえたのだろうか。
 これは『煤煙』なしにはかんがえられない
 とおもう」
「近代表出史というのは耳慣れない用語だが、
文学史とは違うのか」
「違うようですね。漱石作品のうち近代表出
史で重要なのは『それから』以後ということ
になります」
「『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』、
『草枕』などにはじまり、『三四郎』などに
いたる遊びの文学だというが、漱石はこれら
の前期作品でも自己表出をしているではない
か」
「『それから』で表出のスタイルを変えたの
です」
「それなら、『吾輩は猫である』、『坊っち
ゃん』、『草枕』なども近代表出史である意
味をもって登場したといえるのではないか」
「理屈ではそうなりますが、吉本さんの主張
には深い意味があったと思います」
「では聞くが、吉本が後年、発表した『漱石
的主題』や『夏目漱石を読む』に自己表出と
か指示表出という用語が使われているのか」
「見あたりません」
「文学界でも流通していない用語──死語、
廃語の類だよ」
「でも、指示表出はともかく、自己表出は使
えると私は思います。言語は意識の自己表出
です。そして、漱石先生の自己表出は文学な
のです」
「わかった。だが、『それから』以前の作品
も近代表出史から切り捨てないでほしい」


内容と形式
   2012/4/2 (月) 08:24 by Sakana No.20120402082459

04月01日

「吉本隆明『言語にとって美とはなにか』
の第IV章 内容と形式 を読みました」
「それは漱石の『文学論』では躓きの石だ」
「そうですね。文学的内容の形式は(F+f)
にはずいぶん悩まされたものです」
「それで、吉本論文を読んで少しは理解が深
まったのか」
「さあ、あまり自信はありませんが、内容と
形式についての議論には次のような展開があ
ったようです
 1)ヘーゲルの『美学』による要約
 2)マルクス主義の文学論の定義
 3)横光利一と蔵原惟人との論争
 4)吉本隆明による定義」
「かいつまんで説明してくれ」
「まず、ヘーゲルの『美学』による要約は
<二、三の言葉または命題にまとめて提示で
きるとかんがえられているものが、ヘーゲル
による内容の本性で、細部の仕上げ、具体的
な形成としているものが形式の本性としてか
んがえられているもの>です」
「わかったような、わからないような説明だ」
「わかってください。次にマルクス主義の文
学論の定義は<形式が内容によって決定せら
れる>というものです」
「漱石が聞いたら、腰をぬかすかもしれない」
「横光利一と蔵原惟人の論争は昭和二年。唯
物論は元来、客観あって主観が発動すると云
う規則を持っているはずだが、<主観が客観
を決定する>と蔵原が断定したと横光が批判
しました。それに対する蔵原の反論は・・・
・・・」
「もういい。頭が痛くなった」
「では最後に吉本隆明の定義をご紹介してお
きます。<文学(作品)を言語の自己表出の
展開(ひろがり)としてみたときそれを形式
といい、言語の自己表出の指示的展開として
みるときそれを内容という」
「・・・・・・」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe