夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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余白と間隔論
   2012/2/4 (土) 08:45 by Sakana No.20120204084501

02月04日

「小津安二郎監督の映画『麦秋』の空白は漱石
先生の間隔論を応用したものではないかという
気がしてきました」
「小津は『明暗』を読んだと日記に書いてい
るが、『文学論』は読んでいないときみは言
ったではないか」
「小津安二郎の現存する日記には『文学論』
への言及はありませんが、小津の日記は火事
で消失したものがあり、その中に『文学論』
を読んだという記述があった可能性はありま
す」
「それよりも映画撮影の現場で自ら体得した
ものだろう」
「たしかに時間短縮法や空間短縮法は映画の
技法でもありますね。私は文学と映画は別物
だと思っていましたが、共通する要素もある
ようです」
「文学的内容の形式は(F+f)である。
 映画的内容の形式も(F+f)である。 
 映画的内容の形式(F+f)は文学的内容
の形式(F+f)と一致する」
「ははぁ、三段論法でいえば、映画は文学で
ある、ということになりますか」


漫画的内容の形式
   2012/2/7 (火) 08:08 by Sakana No.20120207080859

02月07日

「文学的内容の形式は(F+f)である。映
画的内容の形式も(F+f)である。したが
って、映画は文学であるという三段論法が成
立するという考察をしましたが、同じことは
漫画についてもいえると思います」
「漫画的内容の形式は(F+f)である?」
「ええ、夏目房之介『孫が読む漱石』を読ん
で、そう思いました」
「夏目房之介は漫画評論家と聞いているが、
漫画も文学であるというと、頭のかたい文学
の読者は怒るのではないか」
「しかし、夏目房之介は漱石の孫です。父親
の純一はバイオリン奏者で高等遊民の純一、
叔父は随筆家の伸六。そのような遺伝子の持
主が漫画評論家なのですから、漫画が文学で
あるという主張には反論しにくいでしょう」
「うーん。『文学論』が間違っているのかな」
「ところが、房之介はちゃんと『文学論』を
読んで、次のように述べています。<漱石の
作家活動は『文学論』の構想と不即不離の関
係でおこなわれきたようだ><『文学論』は
漱石のいちばん根本的な何かを解き明かす重
い扉であること、そして多分そこに今の僕で
も利用できるものがありそうだ>」
「孫を追放しないと、文学は亡びる」
「それは誤った偏狭な考えです。映画や漫画
と共存する方向にこそ文学の未来は拓けてく
ると私は考えます」


則天去私
   2012/2/10 (金) 07:30 by Sakana No.20120210073057

02月10日

「私は漱石先生にならって死ぬ前に則天去私
の境地に入りたいと思っています」
「そう思うのは勝手だが、則天去私とは具体
的にどういう境地だ?」
「いわゆる小我を去って、もっと大きいいわ
ば普遍的な大我の命ずるままに自分をまかせ
ることです」
「自我(エゴ)はこころだ。『こころ』の先
生が云うように、こころがつながっていると
したら、小我と大我に区別することはできな
い。small egoとかlarge egoとか、英語に翻
訳できないだろう」
「『明暗』は則天去私の態度で書かれている
のです。さらに、則天去私の態度で新しい本
当の文学論を講じてみたいと漱石先生は云っ
ておられます」
「その発言は大正五年十一月の木曜会で漱石
がしたと松岡譲が記しているだけで、漱石自
身が書きのこしたものではない。その翌月、
十二月九日に漱石は死んでいる」

 芥川龍之介と久米正雄と松岡譲、それに大
学生一人の会話。大正五年十一月。
  (松岡譲「漱石先生」)

 たとえば娘が突然眼がつぶれてしまったと
する。しかしそれを平静に眺めていられる」
という漱石に、若い門弟たちは「それは残酷
じゃないか」と反論する。以下、問答は核心
に入る。

「およそ真理というものはみんな残酷なもの
だよ。一体人間というものは、相当修行をつ
めば、精神的にその辺まで到達することはど
うやら出来るが、しかし肉体の法則がなかな
か精神的の悟りの全部を容易に実現してくれ
ない。頭の中では死を克服できたと信じてい
ても、やっぱりその場になったら死ぬのはい
やだろうよ。それは人間の本能の力なんだね」
──すると悟りというのは、その本能の力を
打ち負かすことですか。
「そうではあるまい。それを自在にコントロ
ールすることだろうな。そこにつまり修行が
いるんだね。そういう事というものは一見逃
避的に見えるものだが、
その実、人生における一番高い態度だろうと
思う。
──先生はその態度を自分で体得されました
か。
「ようやく自分もこの頃一つのそういった境
地に出た。『則天去私』と自分ではよんでい
るが、他の人がもっと外の言葉で言い表して
もいるだろう。いわゆる小我を去って、もっ
と大きないわば普遍的な大我の命ずるままに
自分をまかせるといったようなことなんだが、
そんな言葉でいってしまったんでは尽くせな
い気がする。その前に出ると、普通えらそう
に見える一つの主張とか理想とか主義とかい
うものも結局ちっぽけなもので、そうかとい
って普通つまらないと見られているものでも、
それはそれとしての存在が与えられる。つま
り観る方からいえば、一視同仁だ。差別無差
別というような事になるんだろうね。今度の
「明暗」なんぞはそういう態度で書いている
のだが、自分は近いうちにこういう態度でも
って、新しい本当の文学論を大学あたりで講
じてみたい。・・」


死ぬと困る
   2012/2/13 (月) 09:37 by Sakana No.20120213093700

02月13日

「漱石先生の最期の言葉は、寝間着の胸をはだ
けながら叫んだ<ここにみずをかけてくれ、死
ぬと困るから>だったそうです」
「則天去私の境地に達した人の言葉とは思えな
い」
「執筆中の『明暗』を完成させなければばらな
いし、新しい文学論の講義もしなければなりま
せん。ここで死なれたのは日本文学にとっても
痛恨の極みでした」
「織田信長も天下統一を目前にして死んだ。人
間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如く
なり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の 有るべき
か」
「仙崖和尚は87歳の高齢で<死にとうない>と
言い残して死にました。それに比べて漱石先生
はまだ49歳──若すぎます」
「49歳も87歳もたいして変わらない。何歳で死
んでも則天去私だよ」
「私もその覚悟はしているのですが、いざとな
ったら動揺しそうで不安になります」
「なさけない奴だ」
「頭の中では死を克服できたと信じていても、
やっぱりその場になったら死ぬのはいやだろう
よと、漱石先生も死の一ヶ月前に言っておられ
ます。理性(則天去私の悟りと本能(死にたく
ない)が矛盾するのが、むしろ人間らしいので
はないでしょうか」


登場人物
   2012/2/16 (木) 09:30 by Sakana No.20120216093053

02月16日

「漱石先生の主な作品を読了したところで、
主人公と副主人公の名前を並べてみました」
「おはじきを並べて遊んでいるようなものだ」
「リストを眺めていると、文学論を解読する
カギが転がっているのが見えてきませんか」
「男がいて、女がいるというパターンならみ
える」
「それだけですか?」
「男も女も大きく二つのタイプに分けられそ
うだ」
「そんな簡単に分けられるものではないと坑
夫がいうかもしれません」
「ではいったい何の意味があるのだ?」
「まあ、とりあえずは深く詮索せず、眺めて
おくだけにしておきましょう」

           ♂      ♀
吾輩は猫である  珍野苦沙弥   細君
坊っちゃん    坊っちゃん   マドンナ
草枕       予(画工)   那美
野分       白井道也    妻君
虞美人草     甲野欽吾    藤尾 小夜子 糸子
坑夫              自分      艶子 澄江
夢十夜      自分      百合の女
三四郎      小川三四郎   里見美禰子
それから     長井代助    平岡三千代(旧姓:菅沼)
門        野中宗助    御米
彼岸過迄     須永市藏    田口千代子
行人       長野一郎    お直
こころ      先生      静
道草       健三      お住
明暗       津田由雄    延子  清子


恋の情緒の濃淡
   2012/2/19 (日) 06:59 by Sakana No.20120219065940

02月19日

「『文学論』によれば、古今の文学、ことに
西洋の文学の90パーセントは恋の情緒をふく
んでいます。特に小説、戯曲の類は恋の分子
なしに存在することはほとんど不可能です」
「『吾輩は猫である』には恋の分子はみとめ
られない」
「吾輩は二絃琴の師匠に可愛がられている三
毛に恋をしています。それに寒月さんと金田
冨子との恋」
「では『野分』や『道草』は?」
「所帯やつれした妻君と主人公との恋の名残
が微弱ながら感じとれます」
「濃淡の差はあるが、漱石が恋の情緒をすべ
ての作品にとりいれていることはわかった。
90パーセントという高率に着目し、戦略的に
そうしたのだろう」
「濃淡の度合を区別するために○△Xをつけ
てみました」

吾輩は猫である X  珍野苦沙弥   細君
坊っちゃん   △  坊っちゃん   マドンナ
草枕      △  予(画工)   那美
野分      X  白井道也    妻君
虞美人草    ○  甲野欽吾    藤尾 小夜子 糸子
坑夫           △    自分      艶子 澄江
夢十夜     ○  自分      百合の女
三四郎     ○  小川三四郎   里見美禰子
それから    ○  長井代助    平岡三千代(旧姓:菅沼)
門       △  野中宗助    御米
彼岸過迄    ○  須永市藏    田口千代子
行人      ○  長野一郎    お直
こころ     △  先生      静
道草      X  健三      お住
明暗      ○  津田由雄    延子  清子



戦中派不戦日記
   2012/2/23 (木) 06:57 by Sakana No.20120223065757

02月22日

「山田風太郎『戦中派不戦日記』によれば、
昭和二十年六月三十日に<漱石の『明暗』を
読む>とあります。驚きました」
「何も驚くことはない。『明暗』は日本近代
文学の最高傑作だ。医学生とはいえ、当事23
歳の文学青年なら当然、読むだろう」
「しかし、山田風太郎は五月二十五日の空襲
で焼け出され、眠らない夜も数日、猛火の中
を馳駆したのも一夜ならず、はては北の方
(かた)羽前の国から、西の方但馬の国流離
漂泊の旅を続けた後、長野県飯田市に疎開し
ていた頃です。食糧不足で腹を空かせていた
はずなのに・・・・・・。『明暗』なんか読
んでも腹の足しにはなりません」
「精神の糧にはなる」
「どういう読み方をすれば、『明暗』が精神
の糧になるのでしょうか」
「風太郎の感想は?」
「残念ながらありません。七月六日には<森
鴎外『灰燼』を読む>とあり、<『雁』の岡
田、『青年』の小泉、本編における山口節藏、
ことごとく共通せる、鴎外好みのすなわち鴎
外の性格の縮図ないし片影的人物なれど、こ
の節藏最も凄味あり>という感想を述べてい
ます」
「風太郎にとっては漱石よりも鴎外の性格の
ほうに強い関心があったのだろう」
「そういえば、『灰燼』には相原という半陰
陽の男が登場しています。津田のような半明
暗の男と相原のような半陰陽の男との比較に
なりますね」
「たしか風太郎の忍者小説には半陰陽的存在
が登場している」




断腸亭日乗
   2012/2/25 (土) 08:12 by Sakana No.20120225081221

02月25日

「もしかしたら永井荷風も『明暗』を読んだ
と日記に書いているのではないかと思って、
『断腸亭日乗』を探しているのですが、形跡
がありません」
「荷風の先生は漱石ではない。森鴎外だ」
「そういえば、大正十二年(1923)七月十日に
<伊澤蘭軒伝を熟読す>とあります。『明暗』
よりも『伊澤蘭軒』のほうが面白いのでしょ
うか?」
「おまえさんも熟読すれば面白味がわかるよ」
「『明暗』にかぎらず、漱石先生の作品を読
んだという記述も荷風の日記にはみあたらな
いのですが、鏡子夫人述松岡譲筆録『漱石の
思ひ出』だけは読んでいて、痛烈な批判を加
えています」
「<夫の名にかゝはることは、妻の身として
は命にかヘても包み隠すべきが女の道ならず
や>か、なるほど」
「紅灯の巷で散々女遊びをした荷風に女の道
を要求する資格があるのでしょうか」
「『明暗』のお延に聞かせてやりたいね」

「九月廿二日 終日雨霏々たり、無聊の余近日
発行せし改造十月号を開き見るに、漱石翁に
関する夏目未亡人の談話を其女婿松岡某なる
者の筆記したる一章あり、漱石翁は追蹤狂と
やら称する精神病の患者なりしといふ、又翁
が壮時の失恋に関する逸事を録したり、余此
の文をよみて不快の念に堪へざるものあり、
縦へ其事は真実なるにもせよ、其人亡き後十
余年、幸にも世人の知らざりし良人の秘密を
ば、未亡人の身として今更之を公表するとは
何たる心得違ひぞや、見す見す知れたる事に
ても夫の名にかゝはることは、妻の身として
は命にかヘても包み隠すべきが女の道ならず
や、然るに真実なれば誰彼の用捨なく何事に
係らず之を?きて差閊へなしと思へるは、実
に心得ちがひの甚しきものなり、女婿松岡某
の未亡人と事を共になせるが如きに至っては
是亦言語道断の至りなり、余漱石先生のこと
につきては多く知る所なし、明治四十二年の
秋余は朝日新聞掲載小説のことにつき、早稲
田南町なる邸宅を訪ひ二時間あまりも談話し
たることありき、是余の先生を見たりし始め
にして、同時に又最後にてありしなり、先生
は世の新聞雑誌等にそが身辺及一家の事なぞ
兎や角と噂せらるゝことを甚しく厭はれたる
が如し、然るに死後に及んで其の夫人たりし
もの良人が生前最好まざりし所のものを敢て
して憚る所なし、噫何等の大罪、何等の不貞
ぞや、余は家に一人の妻妾なきを慶賀せずん
ばあらざるなり、是夜大雨暁に至るまで少時
も歇む間なし、新寒肌を侵して堪えかだき故
就眠の時掻巻の上に羽根布団を重ねたり、彼
岸の頃かゝる寒さ怪しむ可きことなり、」



百鬼園日記帖
   2012/2/28 (火) 08:46 by Sakana No.20120228084602

02月28日

「内田百閧フ『百鬼園日記帖』にもネタがこ
ろがっていそうです」
「百閧ヘ漱石の弟子で、木曜会にも顔を出し
ていた。日記帖には当然、何か書いているだ
ろう」
「『明暗』についての言及は今のところ見つ
かりませんが、『虞美人草』については生意
気なことを書いています。弟子のくせに」
「漱石が生意気だというのはわかるが、おま
えさんの分際で、百鬼園先生のことを生意気
だとはいえない」
「しかし、弟子が先生の作品を批評するのは
師弟の道にそむくのではないでしょうか」
「師のマチガイは遠慮せずに指摘するのがほ
んとうの師弟の道だ」
「<虞美人草を書いた折はまだ先生も甲野を
ああいふ風に見る程度の人であった。十年の
中に先生の人生観が変わった>というと、
『虞美人草』以前の『吾輩は猫である』や
『草枕』を書いた当事の漱石先生の人生観も
たいしたものではなかったということになり
ます。百閧イときがそんな偉そうなことを云
うのはけしからんと思います」
「おまえさんごときが、百鬼園先生に対して
そんなことをいうのはけしからん」

大正六年十一月

 虞美人草の原冊を全集の原稿にする為にま
とめている。
 昔新聞で読んだ時、始めて本になって出た
時、読んだのとは大分違った心持がする。春
陽堂から単行の縮刷になって出る時には校正
をしたけれども、ただ昔読んだ折程面白くな
かった丈で別な気持は起きなかった。今度は
大分滑稽な価値顚倒を考へてゐる。
 第一、篇中で一番優待せられてゐる甲野が
非常に浅薄できざな人格だといふ事。いやに
むっちりして思はせ振りな哲学者気取りが鼻
につく。云ふ事もアフェクテーションが多い。
門前で小野に会った時の態度及び其の言葉は
殆ど不都合である。十三章で宗近のるすに糸
子と話しをして庭の隅の小さな花を見て「憐
れな花だ」と口の中で云ひ、「昨夜の女の様
な女だ」と重ねて小夜子をたとへたりするの
はお話にならない。金のある為に陰気な浮上
調子になってゐる。不真面目な性格である。
 宗近もいけない。あんな人格は小野さんで
なくても軽蔑する。いやみのなさそうないや
味だらけだ。
 先生が善玉として描いた二人ともが今の心
で読めばまるで贋物であるには驚く。
 小野丈が真面目な人格に、書く時の先生の
予期を裏切って、人間らしく描かれてゐる。
小野のすることと云ふこと考えることは、大
凡真面目で全人格的であるところが甲野より
も数等上の人格に見える。生れつき気が弱い。
打算する性質なのは仕方がない。その自分の
性質に対する彼の態度はちっとも軽薄ではな
い。私は今度、小野に同情し其性格を理解し
た。
 昔よんだ時は小野は嘲笑すべき人格と極め
てしまってゐた。甲野にかぶれる位同情した。
虞美人草は晩年先生が非常にきらってゐたの
を、ただぼんやり其文章技巧の点からだと思
つてゐたけれど、漸く先生の心持がわかった。
虞美人草を書いた折はまだ先生も甲野をああ
いふ風に見る程度の人であった。十年の中に
先生の人生観が変わった後を、これから原稿
整理であとづける事の出来るのは有難い。
  (『百鬼園日記帖』大正六年十一月一日)



作者の性格
   2012/3/2 (金) 08:32 by Sakana No.20120302083208

03月02日

「小説の主人公の性格には作者の性格が反映
されると思いますが、如何でしょう」
「読者は主人公を作者と同一視したがる傾向
がある」
「『吾輩は猫である』の苦沙弥先生と『草枕』
の予(画工)は漱石先生その人だと思います」
「『道草』は自伝的小説だから、主人公の健
三も漱石だ」
「苦沙弥先生は冗談をよくいいますが、健三
は冗談をあまりいわないですね」
「同一の性格でも表と裏、躁と鬱があって、
冗談をいう気分になるときとそんな気分でな
いときがある」
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりし
ている坊っちゃんも漱石の性格でしょう」
「坊っちゃんは数学の先生だが、『野分』の
白井道也は文学者だから、道也のほうが漱石
に近い」
「『虞美人草』の甲野欽吾の性格は如何でし
ょう。<浅薄できざな性格><いやにむっち
りして思はせ振りな哲学者気取りが鼻につく>
<金のある為に陰気な浮上調子になってゐる。
不真面目な性格である>と内田百閧ェ散々け
なしていますが」
「ハハ、まるで赤シャツだな。しかし、百
も最初に読んだときは『虞美人草』を面白い
と思った。ということは甲野欽吾の性格や行
動に感情移入していたことを意味する。むし
ろ問題なのは百閧フ性格だ。本人は成長して、
偉くなったつもりでも、実は堕落していたと
いうことは十分にあり得る」
「前期三部作の三四郎、代助、宗助、後期三
部作の市藏、一郎、先生には多かれ少なかれ
漱石先生の性格が反映されていると思います
が、わからないのは『明暗』の津田由雄です。
津田の性格は漱石先生からいちばん遠くかけ
離れているのではないでしょうか」
「<性格なんてものはないものだと考えてい
る><本当のことが小説家などに書けるもの
じゃない>と坑夫が言っている」    
「しかし、これらの作品の主人公をぜんぶ団
子にまるめてみると、そこに漱石の性格とい
うか人格というかパーソナリティのようなも
のが見えてくるような気もします」

吾輩は猫である   珍野苦沙弥   
坊っちゃん     坊っちゃん   
草枕        予(画工)   
野分        白井道也    
虞美人草      甲野欽吾    
坑夫               自分      
夢十夜       自分      
三四郎       小川三四郎   
それから      長井代助    
門         野中宗助    
彼岸過迄      須永市藏    
行人        長野一郎    
こころ       先生      
道草        健三      
明暗        津田由雄    



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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