夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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復興の連結
   2011/11/6 (日) 08:03 by Sakana No.20111106080330

11月06日

「暗示の種類を
  1)(現在)+(古)
  2)(現在)+(古+古)」
の二種にしぼり、1)は復興(リバイバル)
と申し上げましたが、2)は復興の連結で
す」
「なんだそれは?」
「用字の生硬なるは難あるべきも、ご寛恕願
いたし。要するに、古代の類を異にせる二個
以上の意識、あるいは二個以上の潮流が現在
のそれと合して、彼是融釈せる場合をいいま
す」
「1)の場合よりも複雑になっている」
「たとえば、ミルトンの詩がそうです。彼は
古学に精通するとともに、新旧両典に耽麺し
た結果、両者の精神合して、紙上に煥発して
います」
「ミルトンは今や古学。彼の"Paradise Lost"
(失楽園)と村上春樹の『ノルウェーの森』
を耽読して、両者の精神を融釈すればよい」
「彼は一神の子にして、かねて多神の子なり。
ギリシアとヘブライ、Ovidと聖書、常識を以
てすれば遂に調和し難きもの、而して時勢の
変は、彼をして忌憚なく両者を同時に復活せ
しめて、左右蓬源の自由あらしむ」


暗示の方向とその生命
   2011/11/9 (水) 09:42 by Sakana No.20111109094248

11月09日

「次は暗示の方向とその生命についてですが、
詳しく話しだすときりがないので、ただ一言、
その要を弁ずるのみだそうです」
「勝手に弁じてくれ」
「文学界である時期において新しい暗示を得
たときは、この暗示を発現する物語は続々発
刊されるのが常です」
「柳の下にはドジョウが百匹いる」
「これらの内容はみな同じ暗示に促されたも
のですから、類似性を帯びています。では、
それらの類似の作物のうちいずれがもっとも
後世に残るでしょうか」
「それはもっとも価値のある作物だろう」
「必ずしもそうではないのです。作物に対す
る善悪の標準は、私たちの趣味にすぎません。
そして、私たちの趣味は常に推移します。つ
まり、推移する前の趣味で、作物に対する善
悪の標準を決定しているのです。そんな標準
があてになるでしょうか」
「あてにはならんね」
「ですから、善い作物が残り、悪い作物が消
えると考えるのは幼稚な考えです。人間はそ
れほど具眼の動物ではなく、公平な見方をす
る動物でもありません。しかあるべしの世界
を夢見て、長(とこし)へに、しかあるの世
界に彷徨する愚かな動物なり」


時の前後
   2011/11/12 (土) 08:57 by Sakana No.20111112085709

11月12日

「作品の価値が必ずしも作品の生命を支配す
るものではありません」
「では、価値以外に作品の生命を支配する要
因としては何があるのか?」
「まず第一に<時の前後>があります。同一
の暗示を発現した作品が前後して発表された
場合には、暗示を第一に発現したもの(おそ
らくは暗示を第一に得たもの)、つまりその
著作を第一に公にしたものが、もっとも長命
です」
「早い者勝ちというわけか」
「最初の刺激は強烈ですからね。たとえば、
スモレットの悪漢小説(picaresque romance)
は同様の著作が十三、四種あります。なかに
はスモレットの小説よりも価値のあるものが
あるかもしれませんが、後世に残ったのはス
モレットだけです」
「現代の日本ではそのスモレットでさえほと
んど見向きもされない」
「では日露戦争の軍神廣瀬中佐の例を考えて
ください。旅順港閉塞の壮図を敢行した軍人
は幾人もいますが、軍神と称され、後世にも
その名を伝えられたのは廣瀬中佐だけです」」
「彼の最後がもっとも壮烈だったからだろう」
「それだけではなく、閉塞作戦の先鞭をつけ
たのが廣瀬中佐だったからです」


暗示の忘却
   2011/11/15 (火) 06:31 by Sakana No.20111115063120

11月15日

「同一の暗示を発現した作品が前後して数多
く公にされても、時がたてばみんな忘却され
てしまいます。そのうちのどれかを代表者に
選ばなければ、自己を後世に伝えることはで
きません」
「忘却とは忘れ去ることなり」
「そんな古いセリフ、よく覚えていますね」
「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
「未練は捨てください。漱石先生はここで、
作品を位牌にたとえておられます」
「縁起でもない」
「ではお聞きしますが、数十代にさかのぼっ
て、先祖の位牌をことごとく保存しておられ
ますか?」
「・・・・・・」
「十人二十人を合して一牌に代表させるしか
ないでしょう」
「いやだ。個性がなくなる」
「いやだといっても、俗名も作品もすべて忘
れられます。団体の各が後世に残るよりも、
各が後世に忘れらるるの機は甚だ多かるべし」
「校正おそるべし」
「後世おそるべし、です」


集合意識Fの頂点
   2011/11/19 (土) 07:59 by Sakana No.20111119075948

11月18日

「同一の暗示を発現した作品が前後して数十
篇刊行された場合、最初の作品が必ずしも後
世に残るとは限りません」
「早い者勝ちでない場合もあるだろうが、だ
からといって、最後に刊行されたのではタイ
ミングが遅すぎる」
「つまり、後世に残るのは中間の時期に発表
された作品という場合があるのです」
「どんな場合だろう?」
「その心理を解剖すると次のようになります。
──当初は暗示のあまりに珍奇なるため、読
者を辟易(へきえき)させたり、あるいはそ
の陳腐なるために読者の興味をひかないので
すが、やがて、何らかの事情により、その暗
示が勢いを得て、ついに一定の時期に達し、
一般意識の頂点に上る頃、タイミングよく刊
行された作品が世間から歓迎されることがあ
るのです」
「どんな暗示が集合意識Fの頂点に上りそう
かをみきわめる能力が大事ということになる」
「そのタイミングを逸して、後に刊行された
作品は一般読者の嗜好に合わず、顧みられま
せん」


小児の教育
   2011/11/21 (月) 08:20 by Sakana No.20111121082017

11月21日

「小児に書を教ふる時、始めはこれを厭ふ。
漸くにしてその趣味を悟る。また漸くにして
趣味その極に達す。この極度に趣味を涵養せ
るときに読破せるの書は、修養期に習得し得
たるの書よりも、深く、長く、彼の脳裏に印
せらるべし」
「幼児教育の話か?」
「文学教育の話です」
「凡人には小児期に文学の趣味を涵養せると
きがあるとは思えないが」
「漱石先生の小児期にはそんなときがあり、
その極度に趣味を涵養せるときに読破した書
があったはずです」
「どんな書だろう?」
「おそらく左国史漢でしょう」
「漱石だって左国史漢は小児期ではなく、修
養期に読破したのではないか。常識的に考え
て、小児期は三歳から八歳頃まで、修養期は
八歳から十五歳頃までと考えられる」
「では、どうして『文学論』にこんな風に書
いてあるのでしょう。この記述は動かぬ証拠
です」
「うーん。やはり漱石の場合は、小児期に読
んで、深く、長く、脳裏に印せられた書があ
ったのかな」
「そうとしか考えられません」
「ところで、なぜそんな小児教育の話が突然、
『文学論』の最後に出てきたのだろう?漱石
は暗示の方向とその生命について論じていた
はずだが」
「換言すれば小児の脳裏に書物の寿命を永く
せんがために、修養期に教へられたる書物は
効能ありといふも可ならん。作物の興廃また
これに似たるものあり」
「論理が飛躍しすぎているのでわかりにくい
が、まあ、漱石が言わんとしていることはお
ぼろげながらわかったことにしよう」
「これで、『文学論』講義のおさらいは終了
です。長い間、おつきあい頂き、ありがとう
ございました」


続文学論
   2011/11/24 (木) 08:16 by Sakana No.20111124081602

11月24日

「文学論のあとがきはないのか」
「補遺の補遺として次のように記しておられ
ます」
「文学論として論ずべき事項は以上五篇にて
悉(つ)くせるにあらず。漸くに論じ得たる
以上五篇もまたその布置、繁簡、段落、推論、
の諸点において余が意に満たざるをもの頗る
多し。かつ忙中に閑を愉(ぬす)んで随書随
刷僅かに業を卒(おわ)るを得たるを以て、
思索推敲の暇(いとま)なきよりして、罪を
大方に得る事多からん。読者これを諒とせよ」
「諒としたくないね」
「どうせよというのですか」
「意に満たざるものを意に満つようにせよ」
「では、ご希望に添えるかどうかわかりませ
んが、私なりの着眼点から続文学論に挑戦し
たいと思います」
「その着眼点とは?」
「以前にも申し上げたことがありますが、漱
石先生の小説はすべて文学論の応用篇です。
小説の中で文学論が展開されています。です
から、文学論を念頭において、それぞれの作
品を読み直すことにしましょう。今回はまず
『草枕』に挑戦します」


文学論入門
   2011/11/27 (日) 08:56 by Sakana No.20111127085610

11月27日

「4年半もかけてやっと一回通読しただけの
分際で『続文学論』に挑戦するというのはお
こがましいのではないかい?」
「それでは『文学論入門』にしましょう。私
は『文学論』の全体像は鳥瞰できましたが、
内容を十分に把握したとはいえません。それ
で、具体的に文学論が小説にどのように応用
されているかを、まず『草枕』からみていき
たいと思います」
「『草枕』の内容は理解できたのか」
「難しい漢語が多用されていて、そう簡単に
は理解できません。とりあえず、今回はさっ
と読み流して、特に目についたところだけを
とりあげることにします」
「では、はじめてくれ」
「採菊東籬下 悠然見南山
(菊を採る東籬の下、悠然として南山を見る)」
「陶淵明の詩だ」
「<うれしい事に東洋の詩歌はそこを超越し
たのがある>という前書があります」
「<そこ>とは何だ?」
「銭勘定です」
「銭がなければ暮らしていけない」
「そこを超越しなければ陶淵明のような詩人の
境地に達することはできません」
「どうすればよいのだ?」
「煩悩を解脱して、非人情の立場、つまり余裕
のある第三者の地位に立つのです」
「それでは坪内逍遙の『小説神髄』でいう<小
説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人
情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは
人間の情慾にて、所謂百八煩悩是れなり>とは
正反対の立場だ」
「それは西洋の文学観を鵜呑みにした坪内逍遙
の考えに過ぎません。草枕の余(画工)は<苦
しんだり、怒ったり、泣いたりは人の世につき
ものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々
した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激
を繰り返しては大変だ>と言っています」
「感情移入を否定している」
「肝心なことは煩悩を解脱して、非人情の立場、
つまり余裕のある第三者の地位に立つことです」
「坪内逍遙の説が正しいか、それとも『草枕』
の画工が言うのが正しいか」
「日本の文学史では一応、逍遙の考えが主流と
いうことになっていますが、草枕の画工の考え
は違います。『文学論』の序にある<余は少時
好んで漢籍を学びたり。之を学ぶ事短かきにも
関らず、文学は斯くの如き者なりとの定義を漠
然と冥々裏に左国史漢より得たり>という東洋
の文学観に拠っていると思います


草枕の非人情
   2011/11/30 (水) 07:43 by Sakana No.20111130074351

11月30日

「『草枕』の余(画工)は<苦しんだり、怒
ったり、泣いたりは人の世につきものだ。余
も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽
き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り
返しては大変だ>と言って、非人情の立場を
となえます」
「笑うことも人の世につきものだが、何故、
画工は<笑ったり>をぬかしたのだろう」
「それは単なる筆のすさび、言葉のあやとい
うものでしょう」
「そんなはずはない。『吾輩は猫である』と
『坊っちゃん』で読者を笑わせて、名声を博
した漱石のことだ。ここで<笑ったり>をふ
くめるのはまずいと判断して、意識的に省略
したのではないだろうか」
「意識的だったかどうか、今となってはなんと
もいえません」
「人間は非人情に徹することはできない。画
工のいうことは論理的に矛盾している」
「画工だって人間ですから、非人情が長続き
しないことはわかっています。<しかし、よ
し全く人情を離れる事が出来んでも、せめて
御能拝見の時位は淡い心持ちにはなれそうな
ものだ>と言っていますから」
「淡い心持ちというのも人情だ。非人情では
ない」
「<能は情三分、芸七分で見せるわざだ。我
等が能から受ける難有味は下界の人情をよく
そのままに写すその手際から出てくるのでは
ない。そのままの上へ芸術という着物を何枚
も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞い
をするからである>」
「それを幽玄と称するのはまやかしだ」
「では、妥協して、人情三分、非人情(=芸)
七分の呼吸ということにしましょう」
「すると、漱石の非人情にも三分の理という
よりも、逍遙の『小説神髄』にも三分の理と
いうことになって、文学史の定説が狂ってし
まう」


野分
   2011/12/3 (土) 07:47 by Sakana No.20111203074722

12月03日

「『草枕』の次は『野分』です」
「あっさりと『草枕』を通りすぎるんだね」
「非人情でいきましょう。『野分』は『吾輩
は猫である』『坊っちゃん』に続いて、「ホ
トトギス」に掲載されました。『坊っちゃん』
の続篇として読めば面白いと思います」
「坊っちゃんは数学の先生だが、『野分』の白
井道也は文学者だ。続篇と考えるのはちと無理
がある」
「<親譲りの無鉄砲で小供の時から. 損ばかり
している>のは同じ。坊っちゃんの八年後、妻
帯した中年男が白井道也です。<八年前大学を
卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩い
た末、去年の春飄然と東京へ戻って来た>」
「二三箇所とは具体的には何処だ?」
「越後、九州、中国辺の田舎です」
「松山、熊本、ロンドンと考えれば、漱石自身
の経歴と重なる」
「ロンドンは田舎ではないでしょう」
「漱石にとっては江戸以外はみんな田舎だよ」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe