夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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浪漫派と古典派の興廃
   2011/7/9 (土) 06:03 by Sakana No.20110709060300

7月09日

「暗示の推移は漸次なりという原則が文学界
の潮流にもいえることを例証するために、英
文学史における浪漫典型二派の興廃について
ご説明したいと思います」
「浪漫派はわかるが、典型派というのは聞い
たことがない」
「漱石先生は典型派と言っておられますが、
一般的には古典派という名称が使われていま
す」
「浪漫派と古典派の興廃という意味ならわか
る」
「古典派は十七世紀半ばにWallerを得、Denham
を得て、漸く興り、ひいて十八世紀に入り、
Popeに至って大成しました」
「古典派が興る前は浪漫派の時代だった。そ
して古典派が厭きられたら、また浪漫派隆盛
の時代に戻る。要するに、動あれば反動あり
の繰り返しだな」
「まあ、そういうことですが、要するに漱石
先生の主張のポイントは、<暗示は漸次なら
ざるべからず>です」


詩意識の推移──ダヴナントの場合
   2011/7/12 (火) 06:46 by Sakana No.20110712064656

7月12日

「くどいようですが、<暗示は漸次ならざる
べからず>という原則を証明するためにかの
有名なる桂冠詩人ダヴナントの著述とこれに
対する評論を例にとってみましょう」
「ダヴナントなどという詩人は聞いたことが
ない」
「シェイクスピアの私生児だったという噂が
あります」
「そんな噂はあてにならない」
「それはともかくとして、ダヴナントは浪漫
派の詩人でしたが、ある時、飜然として悟る
ところがあり、<今より二十年にして天下の
大勢は必ずWallerやDenhamを謳歌することあ
らん>と宣言し、浪漫の衣冠を棄てて、古典
の塁に趣いたのです」
「要するに、浪漫派が古典派に転向したのだ
な」
「十二年かけて冥々の裡(うち)に暗示の幾
刺激を感受して、漸次に浪漫的の旧園を出で
去って、典型(古典)の新区に入ったのです。
浪漫派はこれをみて、次のように諷刺しまし
た」

I am old Davenant
With my fustian quill,
Though skill I have not, 
I must be writing still
On Gondibert
(わたしは大げさな筆づかいで/
名を知られた者ダヴナント。/
何の技倆もないけれど/
まだくだくだと書いている/
ゴンディバートの詩を・・・・・・)



詩人評価の推移──シェイクスピアの場合
   2011/7/15 (金) 07:54 by Sakana No.20110715075433

7月15日

「十八世紀は古典派の時代ですから、文豪シ
ェイクスピアといえども絶対的な敬意を払わ
れてはいません」
「何も知らないくせに、知ったかぶりをする
な」
「私は漱石先生の『文学論』に書かれている
ことをご紹介しているだけです」
「おまえさんは鸚鵡か九官鳥か」
「トーマス・ライマーやC.レノクスの如きは
沙翁を以て一読の価値なしと言っています」
「統計をとってみれば、シェイクスピアを一
読もせずに死んでいく日本人が多いことはた
しかだが」
「十八世紀の英国における古典派の沙翁評の
いくつかをメモしてきました。或はいふ、
(沙翁は)野蛮時代に生れて訓練を欠き、習
熟を欠くと、或はいふ、結構具はらずと、或
はいふ、喜劇と悲劇の区別なしと、或はいふ、
三統一を欠くと」
「しかし、沙翁が空前絶後の大詩人というこ
とは文学史の定説だ」
「それは十九世紀の初めに新浪漫派の時代に
なってからの評価。ただし、意識の推移はそ
の百年前から漸次にそこに到達したものです」
「漱石の評価もそんなものだろう」
「文学論は一日にしてならず、です」


詩人評価の推移──スペンサーの場合
   2011/7/19 (火) 07:26 by Sakana No.20110719072645

7月18日

「こんどは浪漫派の詩人スペンサーの評価の
推移をふりかえってみたいと思います」
「スペンサーという名前は時々耳にするが、
どんな詩人だ?」
「<吾人が仰いで以て浪漫派の明星となす
Spenser>と漱石先生は仰っています。おそら
くエドマンド・スペンサー(Edmund Spenser、
 1552年頃 - 1599年)でしょう。有名な作品
は『妖精の女王』、The Faerie Queene」
「それならペンギン版の背表紙を丸善で見た
ことがある」
「ペンギン版なら安いものです。こんど見た
ら買ってください。浪漫派の勃興を論じたBeers
曰く浪漫派のSpenserに負ふ所あるは、その沙
翁に負ふ所よりも多大なるに似たりと」
「酔っぱらいのたわごとに似たり」
「しかし、流石のスペンサーの評価も古典派が
跳梁した十八世紀ではたいしたことはありませ
ん。当代の大家、趣味の先覚者のアディソンは、
ミルトンを高く評価しましたが、スペンサーに
ついてはあきたりないものを感じていたことが、
漱石先生の引用した文章からわかります。スペ
ンサーが文界の照星になったのは十九世紀にな
ってからですが、もちろん、突然の暗示により
て一気に時代意識の焦点に耀いたのではありま
せん」」

"Old Spencer next, warm'd with poetic rage,
In ancient tales amus'd a barb'rous age;
An age that yet uncultivate and rude,
Where-e're the poet's fancy led, pursu'd
Thro' pthless fields, and unfrequented floods,
To dens of dragons, and enchanted woods.
But now the mystic tale, that pleas'd of yore,
Can charm an understanding age no more;
The long spun allegories fulsome grow,
While the dull moral lies too plain below."
---Addison. Accounts of the Greatest English Poets

(次に古(いにしえ)のスペンサーは、詩的情熱に駆られて/
古色蒼然たる話で野蛮な時代を楽しませた。/
未開で粗野な世の人は/
詩人の空想の趣くところにつき従い、/
道なき野っぱら、人通わぬ川を/
龍の住む淵、魔法の森を訪れた。/
しかし、むかし人を楽しませた神秘譚も/
いまはもう開明の時代を魅することがない。/
長く織りなされた寓意譚は胸にもたれ、/
退屈な教訓は底が見えすいている。
──アディソン「イギリス大詩人談」)


シェンストーン『四季』の評価の推移
   2011/7/21 (木) 07:52 by Sakana No.20110721075227

7月21日

「次はシェンストーンの『四季(The Seasons)』
の評価の推移についてです」
「シェンストーンとは何者?」
「無韻詩形で四季の自然風景をうたい、浪漫
派の先駆となった詩人です」
「そんな詩人、知らないね」
「漱石先生は『英国詩人の天地山川に対する
観念』という論文で、自然主義派(トムソン、
ゴールドスミス、クーパー、バーンズ、ワーズ
ワス)の先頭に位置する者としてこの詩人をと
りあげ、『四季』についても言葉をついやして
おられます」
「それなら『英国詩人の天地山川に対する観念』
を読めばよい」
「でも、せっかくですから、『四季』を例にと
って、<暗示は漸次ならざるべからず>という
原則の意義をいくつかまとめておきます」
「くどいね。しかしまあ、一応、聞き置くこと
にしよう」

(一)『季節』は人の知る如く春夏秋冬の季節
を分つて、四時の風光と景物とを順次に詠ぜる
が故に、吐属の主題は自然に存すといふも不可
なきに似たり。
(二)『季節』はまた多少の超自然的材料を含
む。
(三)『季節』は調において沈鬱なる所あり。
想において悲傷する所なきにあらず。
(四)『季節』はその傾向においてセンチメン
タルなる小話を挿む事多し。
(五)『季節』はかくの如く種々の暗示を後代
に与へたりと雖も、同時に同時代の趣味を帯べ
るは吾人が研究上尤も興致ある事実なり。



ゴシック復活
   2011/7/24 (日) 18:12 by Sakana No.20110724181216

7月24日

「さらに眼を転じて、浪漫的潮流のうち著しい
現象としてゴシック復活(Goethic Revival)
について、その発展の径路をおさえておきたい
と思います」
「建築の話ではないのか」
「元来は十八世紀中葉から十九世紀中葉にかけ
てのゴシック建築復活をさしますが、それは文
学における浪漫派の中世趣味につながっていき
ました」
「漱石は建築家を志望していたというが、文学
が建築の影響を受けている例もあるということ
か」
「ウォルポールが一七四七年テムズ河畔のスト
ロベリーにゴシック様式の館を建て、そこで自
作の恐怖小説『オトラントの城』を印刷したあ
たりを嚆矢(こうし)とします」
「『劣らんとの城』とは面白い」
「文学における浪漫派の復活はウォルポールに
始まって、スコットに至り、燦爛(さんらん)
として天下の趣味に一異彩を放ちました」
「スコットなら『アイバンホー』を読んだこと
がある」
「詳しく解説すると煩雑になるので省略します
が、要するに、ゴシック復活も、その暗示の因
って起るところは決して突然にあらず、という
ことです」
「そういえば、漱石の『倫敦塔』や『幻影の盾』
はゴシック復活の影響を受けている」
「その暗示の因って起るところも決して突然に
あらず」




詩人評価の推移──ポープの場合
   2011/7/27 (水) 07:59 by Sakana No.20110727075955

7月27日

「詩人評価の推移についてもう一例、ポープの
場合をおさらいしておきましょう」
「ポープが浪漫派に対抗する古典派の第一人者
ということは言われなくてもわかっている」
「古典派が優勢だった十八世紀の半ばにジョセ
フ・ウォートンが、大詩人ポープはを指さして
智才にして詩才にあらずと評したのです。世論
は沸騰し、ウォートンは四面からの攻撃に堪え
ず、意気阻喪してしまいました」
「だらしのない奴だ」
「十九世紀になると浪漫派が優勢になりました
が、こんどはかの有名なバイロンがポープを称
揚してやまなかったそうです」
「バイロンは浪漫的熱情にあふれる革命的な詩
人のはずだが」
「ところが、何を思ったのか、突然、古典派の
ポープをもちあげはじめたのです」
「しかし、耳をかたむける者は誰もいなかった」
「そうなんです。バイロンの詩才をもってして
もポープの評価は浮上しませんでした」
「暗示の因って起るところも決して突然に
あらず、というわけだな」
「ええ、要するに、集合的意識Fにさからって
ものを言っても直ちに天下の大勢をくつがえす
ことはできないという一例です」
「ところで、現実的な話題だが、原発反対の集
合的意識Fは今後どのように推移するだろう」


反動の現象
   2011/7/30 (土) 08:23 by Sakana No.20110730082322

7月30日

「推移の漸次ならざるべからざるの原則につ
いてはほぼその例証をつくすことができまし
たが、推移の漸次を説くにあたってなおざり
にできないことが一つあります」
「なんだ、それは?」
「反動の現象です」
「保守反動?」
「反動の現象の特徴を四通りにわけてご説明
します。まず、いわゆる反動なるものは、実
は漸次の推移に過ぎません」
「反動が突然、天下を取り戻すこともある」
「それは錯覚です。推移の過程順序をつくす
時間が違うだけで、推移の過程順序が異なる
わけではありません」
「時間?」
「この時間的差異を来すものは当下意識の強
度によります。焦点的意識Fをなるべく早く
推移させるためには、Fは猛烈にならざるを
えません。猛烈の圧迫を受けるとき、私たち
は比較的短期間に焦点的意識Fを推移させま
す」
「浪漫派Fの反動として古典派Fが突然、優
勢になり、古典派Fの反動として浪漫Fが突
然優勢となる」
「流行の度が優勢になれば優勢になるほど、
流行の転換は速くなります。つまり、速やか
なる推移を好んで反動と称するのは、推移の
速やかなることに心を奪われて、前後両意識
の波動推移のうちもっとも顕著なる二焦点を
捕らえて相対するためです。この二焦点を相
対するため、二者の中間に横たわってその特
質のあまり明らかでないものはことごとく捨
て去られます。故意に捨て去るのではありま
せん。自覚せざるが故に閑却するのです」
「漱石は自覚していたのか」
「漱石先生は『文学論』を書くことによって
自覚されたのです」
「『文学論』を読んでも自覚しない者もいる。
人生いろいろ」


反動の現象(2)
   2011/8/2 (火) 07:34 by Sakana No.20110802073420

8月02日

「反動の現象の二番目の特徴として、意識が
まだ漸次推移しつくしていない段階で、外部
より強烈なる刺激を受けるときは、この刺激
が他を圧倒して意識の焦点Fに上ることがあ
るというものです」
「マグニチュード9の強烈な刺激」
「この刺激は、当下の意識と対照的性質を帯
びていたほうが便利です」
「対照的性質を帯びているものが意識の焦点
Fに上ると反動になる」
「純然たる反動に他ならず、です」
「わかりきったことだ」
「たとへば優婉なる恋愛小説の一般に行われ
て、世間の好尚は未だこれに対して倦厭(け
んえん)の情を醸さざるに、彼らをして未練
なくこの好尚を遺棄せしめんがためには、こ
れを遺棄せしむる丈に強烈なる刺激を以て彼
らの波動頂点を攻撃せざるべからずして、こ
の強烈なる刺激を与へ得るものは(他の点を
等しとせば)当下の意識に反対なる剛健雄偉
の趣味か、もしくは滑稽諧謔の作物ならざる
べからざるが如し。この推移は厳密の意味に
おいて反動と名づけ得べきものなるを以て、
推移は漸次ならざるべからずとの原則に入り
がたきものなり」
「例外のない原則はないというが、そもそも
そんなものは原則といえないのではないか」
「この点より見れば別に章を設けて実例を証
(あかし)に詳説するの価値あるが如しと雖
ども浅学にして材料乏しきを以て他日を期す」
「とうとう浅学を理由に放り出してしまった。
無責任な奴だ」


反動の現象(3)
   2011/8/6 (土) 09:16 by Sakana No.20110806091634

8月05日

「意識の推移は漸次なりという原則は動きま
せんが、意識を外界に実現するにあたって、
反動作用と目せられるものがあります」
「その場合は、内と外の推移が並行しない」
「内面的進行がF'よりF''に、F''よりF'''
となっても、これを身外に実現して他の注意
を引くに足る行為と変ずるときは単にF'と
F'''のみに限られ、しかもこのF'とF'''が
対照的性質を帯びるとき、推移は反動にみえ
てしまうのです」
「中間のF''が省略されるので、そうみえる
ことになる」
「たとえば、男女の愛を考えてください。初
日は、情の少し衰ふるを覚え、二日目は相手
を叱り、三日目は相手の頭をぶん殴り、四日
目は眼玉をくりぬき、五日目はその生命を奪
わんと誓って遂にこれを実現するようなもの
です」
「ずいぶん、物騒な愛の例だね」
「推移はかくの如く次第あり、順序あるにも
関せず、外部にあらわれたる動作のみよりこ
れを論じれば、金襴の愛を一朝に変じて千古
の恨となすの観あり。この観あるの点におい
てこの推移は正しく反動なり。さらに例を歴
史に求むれば仏国革命の如し。それ仏国革命
は・・・・・・」
「わかった。わかった。仏国革命の例はもう
いい」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe