夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
 ID


全969件 <更新> ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 終了]

PAGE 49 (481〜490)


推移の自然と必要
   2011/4/4 (月) 08:47 by Sakana No.20110404084735

4月04日

「集合意識Fの原則の二、三を事実に応用し
て、集合意識Fの推移を例証したいと思いま
す」
「好きなようにやってくれ」
「例証はこれを個人にとり、また一代にとり
ます」
「時に人間活力のあらゆる発現に及ぶことも
ある」
「歴史、特に文学史を読めば、ある一代の活
力発現に異様の特色があることがわかります。
そのような異様の特色は暗示によるところが
大きいと思われます」
「そうかな」
「ある時期(もしくはある作家)は比較的感
覚材料に富んで、作家自然の美を発揚するを
以て文学の性命となることがあります。ある
いは人事的材料が優勢になることもあれば、
超自然的材料が優勢になることもあります」
「そんなことでは困る。知的材料を優先させ、
一縷(いちる)の哲理を彼是(かれこれ)の
交渉に託して、機微の眞を断蓬(だんぽう)
の変に寓せざれば作品にあらずと思惟するべ
きだ」
「そんなことを言っても、現在の集合意識F
の特色は動きません。そのような特色の存在
は明かであるとともに、特色の推移もまた事
実です」


批評家の義務
   2011/4/7 (木) 06:20 by Sakana No.20110407062039

4月07日

「批評家は胡乱(うろん)の言辞を弄しては
いけません」
「それは自戒の言辞か」
「批評家の第一義務は特色を明瞭に意識する
ことです」
「具体的な例をあげて説明してくれ」
「漢詩と英詩を比較してみてください」
「どちらも差はない」
「それでは詩を評する人にあらず、詩を読む
人にあらず、です」
「なんとでも言え」
「この種の特色は明暗一ならず、繁簡差なき
にあらず、難易同じからずといえども、必ず
存在せざる事なし」
「それで、特色を明瞭に意識することが批評
家の第一義務というわけか」
「その特色を明瞭に意識した後、これを一期
前の特色に比し、これを一期後の特色に比し、
始めてこの特色の位地と、この特色のある意
味においての価値と、特色の推移について一
部分の実則とを知ることができます。これが
批評家の第二義務です」


倦厭
   2011/4/10 (日) 06:49 by Sakana No.20110410064937

4月10日

「特色の存在は明かですが、それとともに特
色の推移も明かです。このことは明々白々な
る事実として争えません」
「特色が推移してしまえば、もはや特色では
なくなるのでは?」
「推移の源因は個人意識の一部分と、個人意
識の全部と、集合意識とを通じて、すこぶる
簡明です」
「すこぶる簡明と言われても、ちっとも簡明
でない」
「わかりやすいように俗語を用いれば、倦厭
の二字で解釈できます」
「倦厭とは倦きて厭になることか」
「たとえば、快感と苦感との区別は時間に関
係があります。これは両感の性質が異なるか
らではありません。ある快感を延長して、一
定の期間を経過すれば、快感はしだいに苦感
に変化します」
「俳人は倦厭を知らない。毎日飽きもせず十
七音の俳句を詠んでいる」
「はたからみると、俳人がやっていることは
単調ですが、実は単調のうちにあって変化を
求めつつ進行しています。かくして文学上の
趣味もまた一所にとどまること能はず、必ず
発展して推移せざるを得ず」


推移は必ずしも進歩にあらず
   2011/4/13 (水) 07:34 by Sakana No.20110413073413

4月13日

「特色は推移せざるべからず。而してその源
因は倦厭の二字を出ずること能わず」
「わかったよ」
「倦厭はあまりに平凡なれども、人間はこの
平凡なる特性に支配せらるるが故にこれを奈
何(いかん)ともする能はざるなり」
「奈何ともする能はざるは遺憾なことなり」
「かくして文学上の趣味もまた一所にとどま
る事能はず。必ず発展して推移せざるを得ず」
「万物は流転する。文学上の趣味も流転する」
「推移は倦厭に支配せらるるが故に必ずしも
卑しきを去って高きに就くの意味を有せず。
ただ推移せざるべからずといふ。而して推移
は事実において眞なり」
「つまり、推移は必ずしも進歩にあらず。革
命、維新、革新、変革、チェンジ──すべて
必ずしも進歩にあらずということだ。だまさ
れてはいけない」


人生の眞
   2011/4/16 (土) 09:00 by Sakana No.20110416090027

4月16日

「人生に関する一種の眞を発揮することをも
って小説の理想となす考え方があります」
「それは自然主義だ」
「しかし、人生の眞とは趣味より見た標準の
一つにすぎません」
「?」
「漱石先生は文学的材料を四種に区別しまし
たが、人生の眞とはそのうちの一つである知
的材料に対する理想(しかも知的材料の理想
の一つ)にすぎません」
「その他の三種の文学的材料とは、感覚的、
人事的、超自然的だったな」
「この理想を表現するものを、この理想によ
りて批判するは可なり。他の理想を表現する
を目的とするものをも猶(なお)この理想に
よりて批判するは侵入罪なり。故意の侵入罪
にあらず。境界の存在を認め得ざる昏迷の侵
入罪なり」
「作家や批評家はどうすればよいのだ?」
「臨時随所に多様の圓を焦点に置くの自由を
有する人を広き作家といひ、また広き批評家
といふ。広き作家と広き批評家は推移の自由
と推移の範囲とを有す。推移の自由は天賦に
よる。推移の範囲は多読、多索、多聞、多見
に帰す」


予期の弊害
   2011/4/19 (火) 08:13 by Sakana No.20110419081324

4月19日

「犬も歩けば、といえば?」
「棒にあたる」
「それは暗示によって先入観でそう思い
こんでいるからです。現実には犬は石に
つまずくかもしれないし、マグロの頭に
あたるかもしれません。それなのに、犬
も歩けば棒にあたる、というのはおかし
いと思いませんか」
「たしかに、リクツには合わないね」
「そんな例はいくらでもあります。たと
えば、西洋の新しい思想を輸入するとき、
これを日本語にあらわそうとすると、新
しい熟語を使用しなければなりません。
すると必ず、それは熟語の体(てい)を
なしていないと、批判されるでしょう」
「philosophyを哲学と訳したとき、当時
の日本人は、なんだ、それはと抵抗を感
じたにちがいない」
「それは記憶の予期に支配されているか
らです」
「しかし、カタカナの外来語には抵抗を
感じるね」
「想定外のことが起きたとき、呆然とし
てはいけません。予期の弊害をしっかり
認識してください」


因果の大法
   2011/4/22 (金) 08:21 by Sakana No.20110422082151

4月22日

「予期の弊は沈滞に陥るにあり。固陋に
流るるにあり。新生命を容れざるにあり。
千篇一律なるにあり。オウムの呼応する
にあり。屋上に屋を架するにあり。徴兵
検査の態度にあり」
「徴兵検査の態度を予期の弊にふくめる
とはけしからん。漱石は非国民だ」
「彼らは因果の大法に支配せられて、こ
れ以上の趣味を解する能わず。これ以下
の趣味を解する能わず」
「因果の大法に支配され、それでよしと
するのが則天去私だと思うがね」
「彼らがこの趣味を解脱し得んがために
は、波動の上に新暗示を得て、別乾坤に
向つて、推移の線を曳かざるべからず。
新暗示を得んがためには強烈なる刺激を
持つか、或は循環的推移の自づから勢力
を消耗して、外側的推移に発展するを期
せざるべからず。外側的推移の片影を意
識の上に認めたるとき彼らの趣味はこの
片影を容るるだけの度においてその地歩
を失へるものといはざるべからず。その
地歩を失へるだけの度において彼らの趣
味は正当の資格を失へるものといふを得
べし」


社会は個人のために必要なり
   2011/4/25 (月) 07:23 by Sakana No.20110425072348

4月25日

「社会は個人のために必要です」
「必要かどうかわからない。気がついた
とき、社会はそこにあり、個人は社会を
構成する一分子になっているだけだ」
「個人は社会的本能を持つ集合動物です」
「反社会的本能を持つ反抗的な個人動物
もいる」
「社会の制度は変化し、秩序も変化しま
すが、社会そのものに反抗して破壊する
ことはできません。社会は壊(こぼ)つ
べからず」
「社会党はこわれてしまった」
「問題は党ではなく、社会そのものです。
社会を鞏固ならしむるの願は社会的本能
より出立した私たち個人の共有性です」
「社会の鞏固といったって、茫漠として
いる」
「然れどもこの茫漠たる一語をとってこ
れを心的状態に翻訳すれば、社会を組織
する個人意識の一致といふも不可なきな
り」
「個人意識は特殊なものだ。一致するは
ずがない」
「もし個人意識の極端を想像するとき、
個人と個人が意識のあらゆる点において
合致せざる時、社会は成立せず。況や文
芸をや」
「天上天下唯我独尊」
「甲の作れる小説は甲一人の外に読者な
く、乙の作れる新体詩は乙自ら誦するの
外遂(つい)に一人の呼応者を生ずる事
能わず」


閉講
   2011/4/28 (木) 07:39 by Sakana No.20110428073912

4月28日

「漱石先生の文学論講義のおさらいは本日を
もってまる四年です」
「もうそんなになるか」
「スタートしたのが2007年5月1日ですから」
「一年分の講義を四年かけておさらいをする
とは悠長な話だが、なんとかドロップアウト
せず、閉講まで出席を続けたことだけは評価
できる」
「閉講といっても中締めのようなもので、実
はまだ終わっていません。第五編 集合的F、
第四章 原則の応用(二)まではこなしまし
たが、第五章 原則の応用(三)、第六章原
則の応用(四)第七章 補遺 が未読のまま残
っています」
「尻切れトンボ──どうするつもりだ?」
「しばらくは補講でつなぎ、なんとか完走し
たいと思います」
「ただ完走しただけでは意味がない。卒論は
提出しないのか?」
「卒論なんて、そんな大げさなものはムリで
すが、感想文のようなものなら何か考えます」
「まあ、それでもいいだろう」
「では、ゴールデンウィークはお休みさせて
いただくことにして、補講は5月7日(土)
からにしましょう」


学理的閑文字
   2011/5/7 (土) 08:30 by Sakana No.20110507083055

5月7日

「一応、読了した記念のために『文学論』の
感想文を書きたいとは思いますが、気になる
のは、『文学論』は学理的閑文字だと漱石先
生が言っておられることです」
「気にすることはない。文芸評論家が書いて
いるのはほとんどすべて学理的閑文字だ」
「でも学理的といえば、英語ではアカデミッ
クでしょう。私にはアカデミックな文章は書
けそうもありません」
「アカデミック・ジャーゴン(academic jargon)
の類をネットに書き散らすことなど遠慮はいら
ない」
「もう一つ気になるのは、『文学論』は<立派
に建設されないうちに地震で倒された未成市街
の廃墟>(『私の個人主義』)とも漱石先生が
言っておられることです」
「学理的閑文字の廃墟ならガレキをとりのぞい
てやればいい」
「なるほど。私に今、やれることは、ボランテ
ィアでガレキを少しでもとりのぞくことだと思
えばいいのですね」
「ガレキをとりのぞく行為が新たなるガレキを
つくることにもなりかねないと自覚する必要は
ある」


ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 終了] <照会>
 
「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe