夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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天才的F
   2011/2/3 (木) 05:57 by Sakana No.20110203055740

2月3日

「人間の一代における集合的F三種類はすで
にご紹介した模擬的Fと能才的F、そしてこ
れからご紹介する天才的Fです」
「自分が天才だという意識の持主は鼻持ちの
ならない輩にきまっている」
「天才は誤解されやすいのです。能才は社会
に歓迎されて成功の桂冠を飾ることが多いの
ですが」
「豚に真珠というのか」
「模擬的意識がFに留まっているとき、能才
の脳裏には次に来たるべきF’を胚胎してい
ることはすでに述べた通りです。ところが天
才の脳裏にはF'どころかF''に進んでいま
す」
「それでは理解されないのは無理もない」
「F''はFの早晩達すべき駅路なるは言ふを
待たずといえども、現在のFを有する多数よ
り判断すれば、その間隔のあまりに遠きが故
に、その現在意識の周囲を四顧してF''の影
を認むること能はざるを以て、これを評価す
る能はざるをのみならず、かつこれを排斥せ
んとす。同類は相あつまって得意なり。同類
中にあってもっとも縁故の遠きものより疎外
し駆逐せんとの賦性を有すればなり」
「漱石は模擬的ではない。能才か天才か。そ
れが問題だ」


凡人と天才との差異
   2011/2/6 (日) 08:17 by Sakana No.20110206081730

2月6日

「凡人と天才との差異はFを意識するの遅速
によって決まります」
「Fは誰だっていつも意識している。凡人と
天才との差異はない」
「凡人がFを意識しているとき、天才はF''
を意識しています。その距離の間隔は長く、
ほとんど無限です」
「そんなことはない。凡人の意識もいずれは
F''に到達する。早いか遅いかの違いだけだ」
「つまり、凡人と天才との差異はその意識す
る内容の質ではなく、その先後です」
「意識する内容の先後は意識する内容の質と
関係がないとはいえない」
「厳密に言えば、意識の内容は波動を生じる
時の影響によって起こります」
「時の影響?」
「例へば、一人の幼時と壮時との差異の如し。
一人に就(つ)いていふが故に両者は同物な
り。然(しか)れども一定の時を経ざれば幼
年は壮年に達する能はざるが故に、両者は、
時の支配を受くる点より見て、異物なり。而
して少年に示すに、その少年が二十年の後必
ず到着すべき体軀容姿の写真を以てするも、
その距離のあまりに遠きが故に、自己を見て、
自己を認識せざるのみならず、却ってこれを
憎まんとするが、凡人の天才に対する態度な
り」
「それは不当な解釈だ」
「吾人はこの解釈を以て不当なりと信ぜず。
然れどもこれを以て唯一の解釈なりと主張す
る能はざるなり」


一種の核
   2011/2/9 (水) 08:46 by Sakana No.20110209084620

2月9日

「凡人と天才との差異はFを意識することの
遅速から解釈できますが、それは唯一の解釈
ではありません。他に二通りの解釈がありま
す」
「複雑なんだな。一筋縄ではいかない」
「第二の解釈は、天才の意識焦点中に他人が
見出すことのできない一種の核が存在すると
いうものです」
「きみの意識焦点中にもそのような核が存在
するのか」
「さあ、私のことはわかりませんが、フォル
スタッフには滑稽の核、ドン・キホーテには
騎士の核、ダーウィンには進化の核、蕪村に
は俳句の核があります」
「そんな核は誰にでもあるものではない」
「彼らの意識はFからF’、そしてF’から
F''に移っていくという点では常人と変わり
ませんが、ただ一個の核の存在のために、い
ずれの焦点においても常人と異なる奇観を呈
します」
「凡人はそれを見て怒るか、嘲笑する。ある
いは天才を神経病者にしてしまうかもしれな
い」
「そういえば、漱石先生も神経衰弱の噂がた
ったことがありますね」
「それは漱石に文学の核があったからだ。き
みも気をつけたまえ」


意識の焦点Fの立体的分岐
   2011/2/12 (土) 09:56 by Sakana No.20110212095649

2月12日

「凡人と天才の意識の差異については、もう
一つの解釈があります」
「その第三の解釈とは?」
「凡人の意識の焦点がFからF’へ、F’か
らF''へと平面的な波動の移行を示すのに対
して、天才の意識の焦点はFからAへ、Aか
らBへのようにとんでもない方向へ立体的に
分岐するという解釈です」
「凡人には理解し難い理屈だが、なぜ天才の
意識の波動は凡人と違ってくるのだろう」
「凡人の意識はFに執着しないため、外界の
機縁に応じて散漫になるのを厭いません。外
部に向かって波動を延長するだけです。それ
に対して天才の立体的意識はFに執着するが
故にFの内面に新焦点を発見し、その新焦点
内にまた新焦点を発見して、Fの波動を深く
掘り下げるのです」
「すると、天才は凡人よりもむしろ意識の流
れが遅く、鈍いタイプともいえる」
「深く掘り下げるのですから、鈍いとはいえ
ません」
「はためにには鈍いように見える」
「しかし、玄人(プロ)とみなさられる芸術
家や専門学者にはこのタイプの変わり者が多
いようです」


専修の功
   2011/2/15 (火) 11:28 by Sakana No.20110215112850

2月15日

「ルネッサン期のイタリアの画家ティティア
ン(1490-1576)はふつうの人が一色を認める
ところで百色を鑑別したそうです」
「天才とはそんなものだ」
「これを専修の功といって、もっとも栄誉の
ある例ですが、一方では社会に害毒をもたら
す天才もいます」
「偸盗の天才あり、瞞着の天才あり、権力を
濫用して貧弱を迫害せんと欲する天才あり」
「そんな有害無益な天才は、これを撲殺して
狂犬の如く坑内に投ずるは全社会の責任なり
と漱石先生は仰っています」
「それは過激な言いかたが過ぎる。むしろ、
自分が狂犬とみなされ、坑内に投げ入れられ
ないように言動をつつしんだほうがよい」


意識の三大区劃
   2011/2/18 (金) 08:38 by Sakana No.20110218083812

2月18日

「模擬の意識と、能才の意識と、天才の意識
とは、一代における各階級に通じて行われる
べき三大区劃です」
「了解」
「ただし、この区劃は便宜的にもうけたもの
にすぎません。実際には模擬と能才との中間
には両者の雑種とみなすべき一族がおります。
また、能才と天才との中間にも両者の混血児
をあげることができます」
「人間の一生は、あるときは模擬、あるとき
は能才、あるときは天才の意識を抱いてじた
ばたする不連続の連続かもしれない」
「この三種の意識は明確なる段落を構成する
事なく、分明に異同を弁ずるの必要なく、甲
は流れて乙に入り、乙は融けて丙に和するに
至る。而(しか)して文学者は社会階級の一
として数ふるを得るが故に、彼らもまたこの
意識を享有して、各三種の間に一点の地歩を
占めて介在するは明かなり」


三種の意識の総括的評論
   2011/2/21 (月) 08:36 by Sakana No.20110221083614

2月21日

「最後に三種の意識の総括的評論を下してお
きます」
「まず第一に模擬の意識」
「模擬の意識は数においてもっとも優勢。し
たがって、利害の関係上はもっとも安全です。
しかし、独創的価値はまったくありません」
「第二は能力の意識」
「能才の意識は数においては劣りますが、模
擬の意識の持主の到着地を予想して一波動の
先駆者として社会の寵児となる可能性があり
ます。ただし、その特色は独創性というより
むしろ機敏と評するべきです」
「第三は天才の意識」
「天才の意識は突飛なる点が特色で、危険の
おそれが多い。多くの場合において、成熟に
達する前に俗物に蹂躙(じゅうりん)されて
しまいます」
「俗物にもいろんな奴がいる」
「まぎらわしいのは天才を自称する俗物です、
何が故に今世に天才は出現せざるやなどとわ
めきちらしながら、幾多の天才を踏みつぶし
て悔いることがありません」
「天才は世にあらわれるのが難しそうだね」
「ところが、天才は頑愚なるもので、自己の
強烈な意識に左右されており、結果がどうな
ろうと意識の実現にむかおうとします


意識推移の原則
   2011/2/24 (木) 07:02 by Sakana No.20110224070208

2月24日

「一代における三種の集合的Fについての説
明は第一章でご紹介した通りです」
「模擬的、能才的、天才的の三種の意識があ
ることはわかった」
「続いて第二章の意識推移の原則では、一時
代の集合意識が如何なる方向に変化して、如
何なる法則に支配されるかを論じます」
「今現在、日本における集合意識は何だろう」
「それはまず、暗示の法則によって支配され
ています」
「きみは暗示に弱いからなあ」
「暗示とは感覚といわず、観念といわず、意
志といわず、進んで複雑な情操をかもしだし、
甲の乙に伝播してこれを踏襲せしめる一種の
方法です」
「要するに、暗示にかけるか、かかることだ
な」
「パスカル曰く、吾人他を呼んで愚人なりと
いふ事しばしばなれば、単にしばしばなるだ
けにて、他をして自己を愚人なりと思はしむ
るに足る。他をして吾は愚人なりと告げしむ
るだけにて、自己を愚人なりと信ぜしむるに
足る」
「一国の総理大臣もバカだ、バカだとマスコ
ミなどで言われ続けていると、自分でもバカ
だと思うようになる」


脳の状態はCに在り
   2011/2/27 (日) 14:59 by Sakana No.20110227145939

2月27日

「日常の場合における日常人もまた不断に暗
示を受けて、その意識を変化しつつあります」
「きみのような暗示にかかりやすい日常人の
場合はそうだ」
「われわれがFを焦点に意識するとき、これ
に応じる脳の状態はCに在りと仮定すること
ができます」
「Cとは何だ?」
「Cerebrum(脳)の頭文字でしょう」
「漱石は大脳生理学にも通じていたのだろう
か」
「而してFのF'に推移するとき、Cもこれに
応じてC'に推移するは疑ふべからず」
「疑わしいね。脳は脳だ。CやC'の区別があ
ってたまるものか」
「意識は区分して微塵の細に至るとも、遂に
脳裏の物質的状態に変ずる能はざるは勿論な
りと雖(いえ)ども、両者の関係は、如何な
る精密の変化をも相応作用にて、互いに説明
しつつありとするは当然といはんよりは必然
の仮定なり」
「そんな必然の仮定にはついていかないよ」
「果たして然(しか)らばCはC'を生ずる一
の条件にして、而してC'はF'に相応する脳
の状態なるが故に、CはまたF'を生ずる一の
条件なり」
「?」


C(脳)とS(刺激)
   2011/3/2 (水) 06:44 by Sakana No.20110302064426

3月02日

「C(脳)は何らかのS(刺激)がなければ
C'に移ることはありません」
「そもそもCがC'に移るというリクツが理解
できない」
「天才の意識の波動が常人に理解できないのは
無理のないところです」
「それをいっちゃあおしめいよ」
「まあまあ。落ち着いて聞いてください。Cは
何らかのS(刺激)がなければC'に移ること
はないので、F'を生じる必要条件はCとSに
帰着します」
「・・・・・・(無言)」
「このSの性質は未定なれども、これを一に限
るの不合理なるを以て、種々なりと推定す。強
弱の度において、性質の差において一様ならざ
るSがCを冒すときは、いずれの場合において
もCは一様なる難易の度を以てSに反動するの
理なし。あるSに応ずる事は速やかにかつ強く、
あるSに応ずる事は遅くかつ鈍き事あるべし。
ここにおいてかCを以てそれ自身において断然
たる特殊の傾向を有するものと見なすは已(や
む)を得ざるの結論なり。断然たる特殊の傾向
を有するCにして二個以上のSに選択の自由を
有するときは、第一に尤もその傾向に都合よき
Sを迎へて、これを抱合してC'を構成し、C'
を構成したるの結果としてF'を意識するに至る
べきは必然の理なり」
「・・・・・・。ははあ、左様ですか」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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