夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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写実の泰斗
   2010/10/6 (水) 07:28 by Sakana No.20101006072827

10月06日

「写実の泰斗(最も権威のある作家)と称さ
れる人物は誰だと思いますか」
「正岡子規?」
「漱石先生によれば、ジェーン・オースティ
ンです。──余いふ、Austeinを賞翫する能
はざるものは遂に写実の妙味を解し能はざる
ものなりと」
「ミルトンの文章に比べればオースティンの
文章がわかりやすことはわかる」
「オースティンの描く所は単に平凡なる夫婦
の無意義な会話ではありません。この一節の
うちに夫婦の性格の躍然として飛動している
ことを味読するべきです」
「平凡な夫婦の性格なんて古今東西似たよう
なものだ。面白くもおかしくもない」
「オースティンの深さを知るものは平淡なる
写実中に潜伏し得る深さを知るべし」

 "My dear Mr. Benette," said his lady to him one day, "have you heard
that Netherfield Park is let at last?"
 Mr. Benette replied that he had not.
 "But it is," returned she; "for Mrs. Long has just been here, and she
told me all about it."
 Mr. Bennet made no answer.
 "Do not you want to know who has taken it ?" cried his wife impatiently.
 "You want to tell me, and I have no objection to hearing it."
 This was invitation enough.
 "Why, my dear, you must know. Mrs. Long says that Netherfield is taken by
a young man of large fortune from the north of England; that he came down
on Monday in a chaise and four to see the place, and was so much delighted
with it that he agreed with Mr. Morris immediately; that he is to take
possession before Michaelmas, and some of his servants are to be in the
house by the end of next week."
 "What is his name ?"
 "Bingley."
 "Is he married or single ?"
 "Oh, single, my dear, to be sure! A single man of large fortune, four or
five thousand a year. What a fine thing for our girls!"
 "How so ? how can it affect them ?"
"My dear Mr. Benette," replied his wife, "how can you be so tiresome ? You
must know that I am thinking of my marrying one of them."
 "Is that his design in settling here ?"
 "Design ? nonsense, how can you talk so! But it is very likely that he may
fall in love with one of them, and therefore you must visit him as soon as
he comes."
 "I see no occasion for that. You and the girls may go, or you may send them
by themselves, which perhaps will be still better, for you are as handsome as
any of them. Mr. Bingley might like you the best of the party."
 "My dear, you flatter me. I certainly have had my share of beauty, but I don't
pretend to be anything extraordinary now. When a woman has five grown-up 
daughters, she ought to give over thinking of her own beauty."
 "In such cases, a woman has not often much beatuy to think of."
 "But my dear, you must indeed go and see Mr. Bingley when he comes into the
neighbourhood."
 "It is more than I engage for; I assure you."
 "But consider your daughters. Only think what an establlishment it would be
for one of them. Sir William and Lady Lucas are determined to go merely on
that account; for in general, you know, they will visit no newcomers. Indeed
you must go for it; for it will be impossible for us to visit him if you do 
not."
 "You are over scrupulopus, I daresay Mr. Bingley will be very glad to see
you and I will send a few lines to assure him if my hearty consent to his
marrying whichever hechooses of the girls, though I must throw in a good
word for my little Lizzy."
 "I desire you will do no such thing. Lizzy is not a lot better than the
others; and I am sure she is not half handsome as Jane, nor so good-
humoured as Lydia. But you are always giving her the oreference."
 "They have none of them much to recomment them," replied he; "they are
all silly and ignorant like other girls; But Lizzy has something more of
quickness than her sisters."
 "Mr. Benette, how can you abuse your own children in such a way ? You take
delight in vexing me. You have no compassion on my poor nerves."
 "You mistake me, my dear. I have a high respect for your nerves. They are
my old friends. I have heard you mention them with consideration these
twenty years at least."
 "Ah, you do not know what I suffer."
 "But I hope you will get over it, and live to see many young men of
four thousand a year come into the neighbourhood."
 "It will be no use to us, if twenty such should come, since you will not
visit them."
 "Depend upon it, my dear, that when there are twenty, I will visit them
all."
---Austin. Pride and Prejudice. chap.1)

(「ねえ、あなた」とベネット夫人がある日、夫に言った。「お聞きになった?
ネザーフィールドのお屋敷にとうとう借り手がついたんですって」。
 ベネット氏は、いや聞いていない、と答えた。
「でも、そうなの」と彼女は言葉を返した。「ロングさんの奥様がいらして、す
っかり話してくださったわ」。
 ベネット氏は黙ったままだった。
「どなたが借りたか、お聞きになりたくないの?」と、じれったそうに夫人が叫
んだ。
「君が話したいのじゃないのかい。伺わせていただくことに異存はないよ」。
 これは十分に誘い水だった。
「ねえ、あなた、それがねえ、ロング奥様の話だと、ネザーフィールドの借り手
は北イングランドの若い方で、たいそうなお金持だそうよ。月曜に四頭立ての馬
車で見にいらして、気に入ったので、その場でモリスさんと話を決めておしまい
になったんですって。聖ミカエル祭の前にお移りになる予定で、来週の末までに
は召使が何人か住み込むようですわ」。
「何という人?」
「ビングリーさん」。
「結婚してるのかい。それとも独身?」
「あら、独身よ、もちろん! 独身で、お金持、年収四千か、五千ポンド。うち
の娘たちには素敵なお話ね!」
「どうして? 娘たちとどういう関係があるんだい?」
「まあ、あなたったら」と夫人は答えた。「何てじれったいのかしら? その方
が娘たちの誰かと結婚することにならないかしらって、考えて当然じゃないです
か」。
「その人がここに住むのは、そういう思惑なのかい?」
「思惑? つまらないことを。何ということをおっしゃるの? でも、娘の誰か
を好きにおなりになることは十分考えられますね。ですから、あの方がいらした
ら、すぐご挨拶にいらしてくださいね」。
「そんなことをする必要はないね。君と娘たちで行けばいい。それとも、娘たち
だけで行かせるか。そのほうがいいかもしれない。何しろ君は娘たちの誰にも負
けない美人だからな。ビングリーさんがいちばん気に入ったのが君だった、なん
てね」。
「いやだ。お上手なんかおっしゃって。たしかに、昔はこれでも美人のお裾分け
くらいになったこともあったわ。でも、今では多少とも目立つところがあるなん
て言う気もあるません。女が、一人前に育った娘の五人も持てば、自分の器量な
んぞにかまっていられませんもの。」
「それに、かなうだけの器量が残っていないこともよくあるからね」。
「でも、ほんとうに、あなた、ビングリーさんがご近所にいらしたら、会いにい
らしてくださいね」。
「それは、ちょっと請け合えないな」。
「だけど、娘たちのことも考えてくださいな。選ばれた娘(こ)には玉の輿って
もんですもの。サー・ウィリアムと奥様のルーカス夫人も伺うつもりですって。
そのためだけにね。だって、ふだん、あの方たち、あたらしく来られた方を訪ね
たりなんかなされないのよ。ほんとうに、いらしてくださらなくては困りますわ。
あなたがいらっしゃらなければ、私たちだって行くことができませんもの」。
「そりゃ、遠慮しすぎだよ。きっとビングリーさんは喜んで会ってくれるさ。な
んんあら一筆書いて、君に届けてもらおうか。──どの娘を結婚相手としてお選
びっくだされようとも心より同意申し上げます、とでも。ただしリジーには、ひ
とこといい文句を付け加えなきゃいかんと思うけどね」。
「そんなことなさらないで。リジーは、ほかの子にくらべて、ちっともいいとこ
ろがないじゃりませんか。ジェーンの半分も綺麗じゃないし、リディアほど気立
てが良くもないの。それなのに、いつもあの子に贔屓なさるので」。
「どの子もたいしてご推賞というわけにはいかないよ」と彼は答えた。「揃いも
揃って世間の娘たち同様、抜けたところがあるし、もの知らずだし。ただリジー
には姉妹たちよりちょっぴり機転がきくところがある」
「あなた、ご自分の娘たちに、よくそんなにひどいことをおっしゃるわね。私を
いじめて楽しんでいらっしゃるんだわ。私のかぼそい神経に、まるきり同情がな
いのね」。
「そりゃ、君、誤解だよ。君の神経はご尊敬申し上げている。昔馴染だものなあ。
少なくともこの二十年間、君の神経のことを、たいそうな思いやりをもって口に
するのを耳にし続けてきたよ」。
「ああ、あなたにはわかっていらっしゃらないんだわ。わたしがどんなに苦しん
でいるのか」。
「でも、君はそれに打ち勝って、長生きして、年収四千ポンドの青年たちが、こ
のあたり一帯に群れをなして押し寄せてくるのを見ることになるさ」。
「何にもなりませんわ。たとえ二十人やってこようと、あなたが訪ねてくださら
ないんですもの」。
「まかせておきたまえ。二十人もきたら、一人のこらず、訪ねてやるよ」。・・・
───『高慢と偏見』第一章)


病者の言語
   2010/10/9 (土) 09:25 by Sakana No.20101009092551

10月09日

「ジェーン・オースティン『分別と多感』か
ら病者の言語を直叙した例をご紹介します」
「病者の言語?」
「メアリアンという女の子が病気になり、発
熱した際、半ば無意識に口にする迷乱の語を
そのままに直叙したものです」
「つまり、うわごとだな」
「病者の言語は二通りに解釈することができ
ます。体熱昂上して精神昏昧の境に彷徨して
いるマリアンヌ──彼女の母に関する妄語の
如きは平生の我を失って平生以下の我になっ
ているとみなすか、それとも詩歌の空想郷に
立って、平生以上の我となっているとみなす
かです」
「常識的にみれば平生以下の我だ」
「それは写実派の見方です」
「平生以上の我とみなすのは?」
「浪漫派です。病者の言語に常人の解すべか
らざる玄妙の予言を道破し得たりと解するも
また高遠の趣きなきにあらず」

"The repose of the latter became more and more disturbed; and her sister,
who watched, with unremitting attention, her continual change of posture,
and heard the frequent but inarticulate sounds of complaint which passed
her lips, was almost wishing ti rouse her from so painful a slumber, when
Marianne, suddenly awakened by some accidental noise in the house, started
hastily up, and, with feverish wilderness, cried out---
"Is mamma coming ?"
"Not yet ?"replied the other, conceding her terror, and assisting Marianne
to lie down again; but she will be here, before it is long. It is a great
way, you know, from hence to Barton.
 But she must not go round by London," cried Marianne, in the same hurried
manner. I shall never see her, if she goes by London."
---Sense and Sensibility. chap.x1iii.

(後者(=メアリアン)の睡眠はますます落着きのないものになってきた。姉は
妹が絶えず寝返りをうつのを、休みなく見守っていたが、その唇から繰り返し洩
れる、はっきりしない訴えを耳にしていると、こんな苦しい微睡(まどろみ)な
ら、むしろ目醒めさせてやったほうがいいとさえ思うようになった。するとメア
リアンは、家のなかのふとした物音に不意に目を覚まし、いそいで起き上がると、
熱に浮かされて昂ぶった声で叫んだ。
「ママが来るの?」
「まだよ」と姉は答え、自分の恐怖をおし隠しながら、メアリアンがまた横にな
るのを手伝ってやった。「でも、いらっしゃると思うわ。間もなく。ここからバ
ートンまでは長い道のりですものね」。
「だけど、ママがロンドン回りの道をおとりになったら駄目だわ」とメアリアン
が、同じせかせかした調子で言った。「もしママがロンドンを回っていたら、わ
たしはもう会えないわ」。
───『分別と多感』第四十三章)


写実派対浪漫派
   2010/10/12 (火) 09:33 by Sakana No.20101012093330

10月12日

「写実派の代表はジェーン・オースティン、
浪漫派の代表はシャーロット・ブロンテとし
て、両者の手口を比較してみましょう」
「恋人のロチェスターが自分の名前を呼んで
いるとジェーンが思いこむのは、病気のマリ
アンヌが遠き母を想ってたわごとを口走るの
に似ている」
「引用した文例では両者とも二種の解釈が可
能ですが、写実派のオースティンはたわごと
をそのままを述べて、解釈は読者の判断にま
かせているのに対して、浪漫派のブロンテは
断固として玄秘主義をとります」
「玄秘主義とは?」
「要するに、女の聴けるのは空裏の幻音にあ
らず、男の受けたるは夢中の妄答にあらず、
離群百里にして、相思の念、霊界に呼応して、
肉団五官の諸縁に隔絶せるものなり」

 "I am coming!" I cried, "Wait for me! Oh, I will come!"
I flew to the door, and looked into the passage; it was dark.
I ran into the garden; it was void. 
 "Where are you ?" I exclaimed.
 The hills beyond Marsh Glen sent the answer faintly back.
"Where are you ?" I listened. The wind sighed low in the firs;
all was moorland loneliness and midnight hush.
---Jane Eyre. chap. xxxv.

(「今行きます!」とわたしは叫んだ。「待っていて! 行きますから!」
わたしはドアのところへ飛んで行き、廊下を見渡した。暗かった。庭に
走り出た。何も見てなかった。
 「どこにいるの?」わたしは叫んだ。
 マーシュ・グレンの彼方の山々がかすかにこだまを返してきた。「どこ
にいるの?」わたしは耳を澄ました。風が樅(もみ)の木立のあいだで低く
ため息をついた。あたりは一面、荒れ野の孤独と、夜半の静寂だった。
───『ジェーン・エア』第三十五章) 

 "As I exclaimed "Jane! Jane!" Jane!---I cannot tell whence the voice 
came, but I know whose voice it was---replied, "I am coming! wait for 
me!" and a moment after, when whispering on the wind, the words---"Where
are you ?..."Where are you ? seemed spoken amongst mountains; for I
heard a hill sent echo repeat the woods."
---Jane Eyre. chap. xxxvii.

(ぼくが「ジェーン! ジェーン! ジェーン!」と叫ぶと、声が答えた──
声はどこから聞こえてくるのかわからないが、誰のものかはわかっていた。──
「今行きます! 待っていて!」 一瞬ののち、風に乗ってささやくように言葉
が伝わってきた。──「どこにいるの?」・・・「どこにいるの?」という言葉
が山々のあいだで交わされたように思われた。山々がこだまして、その言葉を繰
り返しているのが聞こえたのだ。)
───『ジェーン・エア』第三十七章)


写実派対浪漫派(2)
   2010/10/15 (金) 07:03 by Sakana No.20101015070321

10月15日

「くどいようですが、写実派の手口を頭にた
たきこむために、オースティン『分別と多感』
から再度引用します」
「<彼女はもう前から十分狼狽していた>と
いうような描き方をするのが写実派の手口か」
「オースティンは小娘の霊とその母の神(し
ん)とを超自然的に感応させていません」
「空冥の奥に形而上の作用を喚起して、読者
の詩魂を翻弄する策を採ろうとしないんだな」
「メアリアンは尋常の小娘で、その母も尋常
な母です。私たちと同じような衣服を着て、
同じような食事をし、同じように行動する尋
常な人間です。したがって、私たちは彼らに
向かって一般の同胞に対するのと異ならない
同情を抱きます」
「写実というのは要するに平凡な手口だ」
「平凡を装って読者をあざむくは写実家の慣
用手段にして、オースティンはその最たるも
のなり」

"The shock of Colonel Brandon's errand at Barton had been much
softened to Mrs. Dashwood by her own previous alarm: for so great
was her uneasiness about Marianne that she had already determined
to set out for Cleveland on that very day without waiting for any
further intelligence, and had so far settled her journey before the
arrival, that the Carreys were then expected every moment to fetch
Margaret away, so her mother was unwilling to take her where there
might be infection."
---Sense and Sensibility. chap. xiv.

(ブランドン大佐がバートンに使いして与えた衝撃も、ダッシュウッド夫
人にはそれほどのものとならなかった。彼女はもう前から十分狼狽してい
たからである。夫人はメアリアンのことが心配でたまらず、これ以上の報
せを待つことなく、ちょうどその日に、クリーヴランドに向けて出発しよ
うとすでに決めていた。大佐の到着する前に旅行の準備はすっかりできて
おり、ケアリー家の人々がマーガレットを引き取りに来てくれるのを今か
ら待っているところだった。母親として、彼女を伝染の恐れのある場所に
連れていくに忍びなかったからである。
───『分別と多感』第四十五章)




文学的手段と文学的効果
   2010/10/18 (月) 08:12 by Sakana No.20101018081202

10月18日

  文学的手段      文学的効果   
第一種連想(投出法)    f + f'
第二種連想(投入法)       f + f'
第三種連想法(自己と隔離) f + f'
第四種連想法(滑稽的連想)    x
第五調和法                 f + f'
第六対置法                
 (a)強勢法                f + f'
 (b)緩和法                f - f'
 (c)附仮対法              f + f'
 (d)不対法・・・・・    x
第七写実法          f

「 文学的内容の相互関係(第四編)を表にま
とめてみました」
「表の左側は文学的手段、右側は文学的効果と
なっている」
「右側は左側の文学的手段によって顕著にせら
れた効果を公式に引き直したものです」
「f + f'が多い」
「fは与えられた材料Fに附着する情緒、f'は作
者の脳中より得来(きた)って、Fに配する新材
料F'より生じる情緒を示します」
「第四種連想法(滑稽的連想) と第六対置法(d)
不対法の文学的効果だけが xとなっているのは
何故だ?」
「f f'の関係上、公式に引き直すことができな
いからです。あとは第六対置法のうち緩和法が
f - f、第七写実法がfですが、それ以外の文学
的効果はすべてf + f'です。この大体の趨勢を
代表する(f + f')なる公式を尋常の言語に訳す
時、如何なる意義を現し来るかを知れば、私た
ちの問題は容易に解決されます」
「はて、そうかな?」


取材法と表現法
   2010/10/21 (木) 16:21 by Sakana No.20101021162112

10月21日

      取材法   表現法
浪漫派    120        120
              110        110
              100        100
               90         90
               80         80
               70         70
               60         60
写実派     50         50

「また怪しげな表を持ち出したが、何だ、
これは?」
「文学的内容の相互関係を取材と表現に分け
て、横軸にし、また、浪漫派と写実派を縦軸
において、読者の上に生じ得るf(情緒)の
分量を比例的に示したものです」
「取材、表現とも、写実派の数値が低い」
「それは写実派が材料を普通の事物にとるか
らです。普通の事物に非常なるfを生じるこ
とは少ないのです」
「fの数値が低いと、文学的価値も低いのか?」
「そうとはいいきれません。その自然に近い
点において、その無邪気なる点において、功
を求めざる点において、最後に平淡のうちに
意外の深さを寓し得るの点において、優に浪
漫派と対抗できます」
「しかし、平凡に陥り、無味に堕し、何らの
風格も持たないという難点がある」
「浪漫派にも不自然となり、嫌味となり、幼
稚となり、滑稽な覇気となり、滅裂なる突飛
となる弊があります」
「斬新さ、刺激の強さ、縹渺の韻、血肉の緊
張などは浪漫派の長所だ。結局、どちらを採
用すればよいのだ」
「私たちの嗜好がいずれかに傾くかは時勢に
より、年齢により、両性により、最後に天稟
の資質によります」
「天稟の資質は如何ともし難い」


取材法と表現法(2)
   2010/10/24 (日) 06:50 by Sakana No.20101024065044

10月24日

「文学的手段の大体の趨勢を代表する公式
(f + f')を尋常の言語に訳す時、如何なる
意義を現し来たるかを知れば、われわれの問
題は容易に解決せらるるものとす」
「それでは、写実法の公式(f)は大体の趨勢
を代表していないのか」
「fは既与性にして、また既与量なり」
「この既与性、既与量に満足するのが写実派、
満足しないでf'を付け加えるのが浪漫派(理
想派)と考えていいのだな」
「然り。浪漫派の作家はf'という新情緒を以
てして、尋常なるfを尋常以上に濃化醸酵せん
とするが如し」
「孫にも衣装、蟇にも厚化粧」
「換言すれば、与へられたる冷水にf'の熱を
加へて七十度もしくは八十度の感を生ぜしめ
んとするが如し」
「そもそも当初から冷水ではなく八十度のの
熱を含めた材料を既与性、既与量として写実
法にするという手もある」
「その効果よりいへば(少なくともその傾向
よりいへば)彼是相通ずるの特点を有すれば
なり」
「それで、結局、どういうことなんだ?」
「写実といひ、浪漫といひ理想というは皆二
種の意義を具ふるを見る。而して両者の結合
より種々なる変形の生ずるを見る。表現の写
実にして取材の浪漫なるものあり。取材の写
実にして表現の浪漫なるものあり。両者共に
浪漫なるものあり。これを表に示せば下記の
如し」
「???」

      取材法   表現法
浪漫派    120        120
              110        110
              100        100
               90         90
               80         80
               70         70
               60         60
写実派     50         50


間隔論
   2010/10/27 (水) 08:41 by Sakana No.20101027084120

10月27日

「第四編 文学的内容の相互関係で、最後の
第八章は間隔論です」
「間隔法ではないのか」
「間隔論は内容よりも形式の方面に属します
が、章と章、節と節の関係より起る効果を考
慮するのではなく、むしろ篇中の人物の読者
に対する位地の遠近を論じるものです」
「篇中の人物の読者に対する位地だと?」
「ただし、篇中の人物は読者に対してある位
地を保つだけでなく、篇中の事件や他の人物
に対してもある位地を保ちます」
「それはそうだろう」
「単に読者のみを眼中に置いて、読者の歓を
買いすぎると、篇中の事件や他の人物に対す
る位地が犠牲にされがちになります」
「バランスが必要ということか?」
「したがって、間隔論は、第七章の写実法ま
での諸法の如く普遍ならず、ということだけ
は、とりあえずご承知おきください」
「はいはい」


幻惑
   2010/10/30 (土) 09:19 by Sakana No.20101030091918

10月30日

「ところで、文学の大目的は那辺に存するで
しょうか?」
「宇宙に偏在しているが、尻尾は見えない」
「まあ、その議論は暫くおいて、文学の大目
的を生ずるに必要なる第二の目的は幻惑の二
字に帰着します」
「浪漫派が奇想天外な材料をとって鏡裏に怪
異を宿すのが幻惑だということはわかるが、
写実派はそうでもないだろう」
「写実派は卑俗な材料を選んで鏡裏に親交の
姿を現じて、その親交なるがために私たちが
眼を他に転じたくなる気持ちにしています。
これもまた幻惑の一種と称するべきでしょう」
「とすると、写実派にせよ、浪漫派にせよ、
文学は魔術か忍術のようなものだということ
になる」
「さらにまたいえば、表現、取材に浪漫、写
実の両端にわたって論じるのは、すべて内容
の消息です。もちろん、幻惑は内容性に因っ
て産出されるのを常としますが、その他に形
式による幻惑も考慮しなければなりません」
「文学的内容の形式(F + f)の幻惑か・・・
頭が痛くなってきた」


形式の幻惑
   2010/11/2 (火) 08:38 by Sakana No.20101102083829

11月02日

「文学の大目的を生ずるに必要なる第二の目
的は幻惑の二字に帰着します」
「文学的内容の幻惑はわかるが、文学的形式
の幻惑がわかりにくい」
「形式とは内容に関係なく、二個以上の文章
の結合する状態をいいます」
「たとえば?」
「Great is Dianna of the Ephesians is great.
(大いなるかなエペソ人のダイアナ・・・
「使徒行伝」第十九節二十八節)とDiana of
the Ephesians is great.(エペソ人のダイア
ナは大いなるかな)とを比較して、その幻惑
を生じる度合を定めるようなものです」
「それだけではよくわからん」
「スペンサー(Herbert Spencer)の『文体論』
(The Philosophy of Style 1882)と漱石先生
の『英文学形式論』を読んでください」
「そんなものを読むヒマはない」
「一句だけではなく、更に複雑の度を加えて、
一章、一篇の長きにわたって立論するとき、
形式論は遂に変じて結構論となります」
「結構論?──もう結構だ」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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