夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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ロンドン塔
   2010/9/6 (月) 08:12 by Sakana No.20100906081210

9月06日

「もう一例、エインズワース『ロンドン塔』
からの引用もご紹介しておきます」
「ずいぶん長い引用だな」
「漱石先生がわざわざノートに筆者されたの
です。あだやおろそかにはできません」
「漱石には『倫敦塔』という作品があるが、
エインズワース作の換骨奪胎かな」
「『倫敦塔』で首斬役がうたう小歌の文句と
比較してみてください。<切れぬはずだよ女
の頸(くび)は恋の恨(うら)みで刃が折れ
る>。<生える白髪(しらが)を浮気(うわ
き)が染める、骨を斬られりゃ血が染める>」
「換骨奪胎でも、こんなにこなれた日本語で
表現されると読者はだまされる」
「読者は、首斬役がしきりに斧をとぎ、高声
俗謡を放歌して憚らない様をみて、両者の対
置が調和の功を奏していることを読み取らな
ければいけません」

 "Take care of yourselves, masters." observed Mauger.
 "Never mind us." laughed Wolfytt, observing the executioner take up 
an axe and after examining its edge, begin to sharpen it. "Grind away."
 "This is for Lord Guilford Dudley." remarked Manager, as he turned the
wheel with his foot. "I shall need two axes tomorrow."
 "Sharp work." observed Wolfytt, with a detestable grin.
 "You would think so were I to try one on you," retorted Manager. "Ay,
now it will do," he added , laying aside the implement and taking up 
another. "This is my favorite axe. I can make sure work with it. I always
keep it for queens or dames of high degree---ho! ho! This notch, which I
can never grind away, was made by the old Countess of Salisbury, that I told
you about. It was a terrible sight to see her white hair dabbled with blood.
Poor Lady Jane won't give you much trouble. I'll be sworn. She'll die like a
lamb. 
 "Ay, ay," muttered Sorrocold. "God send her a speedy death!
 "She's sure of it with me," returned Manager. "so you may rest easy on that
score," And as he turned the grindstone quickly round, drawning sparks from
the street, he canted as hoarsely as a raven, the follwing ditty;
      The axe was sharp, and heavy as lead,
      As it touched the neck, off went the head.
                     Whir---whir---whir---whir!
And the screaming of the grindstone formed an appropriate accompaniment to the
mel. 
      Queen Anne laid her white throat upon the block.
      Quickly waiting the fatal shock;
      The axe it severed it right in twain,
      And so quick---so true---that she felt no pain!
                     Whir---whir---whir---whir!
---Ainsworth. The Tower of London. chapt. xi.

(「あんた方勝手にやっていてくれ」とモウガーが言った。「おれには仕事がある」。
「おれたちのことは気にしないでいい」とウォルフィットは、首切役が斧をとりあげ
て刃を検(あらた)めてから研ぎはじめると、笑って言った。「ちゃんと研ぐんだぜ」。「これはギルフォード・ダドレー卿のためのだ」とモウガーは、と足で研ぎ車をまわ
しながら言った。「明日は斧が二挺、要るんだ」。
「切れ味よさそうだな」とウォルフィットが嫌らしい笑いを浮かべて言った。
「そうとも、なんならあんたに一つ試してみようか」とモウガーが言い返した。「よ
し、これでいい」と彼は付け加えて、その斧を置くと、もう一挺を取り上げた。
「これは俺さま愛用の斧なんだ。これさえあれば、きちんとした仕事ができる。お妃
さまだの、身分のある奥方用にとってあるんだ──ヘっヘ。この疵はいくら研いでも
消せないんだが、あのソールズベリー伯爵夫人の時にできたんだ。話したと思うんだ
がな。すごいもんだったぜ。あの人の白髪が血に漬かったところは。可哀想にレディ・
ジェーンは、そう面倒をかけまいよ。小羊のように死んでくだろうぜ」。
「そうとも、そうとも」とソロコールドが呟いた。「神さま、あの方が素早く死ねま
すように!」
「俺がやるんだから間違いない」とモウガーが答えた。「その点は安心していいぜ。
そして研ぎ車をくるくる回し、綱から火花を散らせながら、大鴉のような嗄れ声でつ
ぎの歌をうたった。
   斧は上々、鉛の重さ。/首にちゃいと触れ、ポンと飛ぶ頭。/
      しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅっ。
すると研ぎ車の甲高い音が歌にもってこいの伴奏になった。
   白い喉を台にのせ、アン女王は静かに待った。/最後の一撃が落ちるのを。/
      斧は一振り──見事なもんさ──何の痛みもなかったとさ!
   しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅっ。
───エインズワース『ロンドン塔』第四十章)


不対法
   2010/9/9 (木) 07:08 by Sakana No.20100909070841

9月09日

「対置法は緩勢法、強勢法、不対法の三種に
分類できますが、すでに緩勢法と強勢法につ
いては説明しました」
「残るは不対法だが、不対法は仮対法にあら
ず──というところまでは拝聴している」
「不対法の作例はたとえば、フィールディン
グ(1707-54)の『トム・ジョーンズ』にみられ
ます」
「捨て子のトムが人なつこい純真さと美貌と
でいろいろな冒険を重ねていく筋で、みずみ
ずしい人間性が発揮され、『青春の叙事詩』
などともいわれている」
「引用文は市井の日常の出来事を詩神がホメ
ーロス調で荘重に述べています」
「それが不対法か?」
「腹掛けと陣羽織です」
「なんだ、それは?」
「腹掛けは職人などがはっぴの下に着るもの、
陣羽織は侍の大将が鎧・具足の上に着るもの。
つまり、両者は対立していませんが、而も、一
切の習慣を無視し、天下の嘲笑を事ともせずに
対立しています」
「わからん」
「対立するがために強勢のfを形づくらず、ま
た緩和のfを産せず。或は両者を加へて新たな
る一新fをも生まず。彼らは相冒す事なく、相
応ずる事なく、個々として対立し、支離に対立
し、滅裂に対立す。腹掛けと陣羽織と対立する
が如し」

"Ye, Muses, then, whoever ye arem who love to sing battles, and
principally thou who whilom didst recount the slaughter in those
filelds, where Hudibras and Trulla fought, if thou wert not starved
with thy friend Butler, assist me on this great occasion. All things
are not in the power of all."
---Tom Jones. Bk. IV. chap. viii

(されば、御身ら詩神(ミューズ)よ。何の神であろうとも、戦いの歌を
愛し、とりわけかつてヒューディブラスとトララとの戦いの野の殺戮を語
りし御身よ。もし御身、汝が友バトラーとともに飢え死にしたるにあらず
んば、この未曾有の難局にある我を助けよ。人はひとりにてすべてのこと
をなす能(あた)わざればなり。
───『トム・ジョーンズ』第四巻第八章)



源平盛衰記
   2010/9/12 (日) 15:37 by Sakana No.20100912153719

9月12日

「不対法の名作として有名なフィールディン
グ『トム・ジョーンズ』の引用を続けます」
「不対法の名作なんて聞いたことがない」
「ホメロスの荘重な文体を借りて、乞食の子
どもの喚声を叙するのが不対法です」
「阿呆らしい」
「源平盛衰記の文体の口調をもって、土方の
争闘を叙しているのです」
「いっそのこと、やあやあ遠からん者は音に
み聞け、近くにあれば目にも見よ、とやれば
よい」

"As a vast herd of cows in a rich farmer's yard, if, while they are milked,
they hear their calves at a distance, lamenting the robbery which is then 
commiting, roar and bellow; so roared with the Somersetshire mob on hallalon, 
made up of almost as many squalls, screams, and other different sounds as there 
were persons, or indeed passions among them; some were inspired by rage, others
alarmed by fear, and others had nothing in their heads but the love of fun; 
but chiefly Envy, the sister of Satan, and his constant companion, rushed
among the crowd, and blew up the fury of the women; who no sooner came up to
Molly than they pelted her with dirt and rubbish."
---Ibid

(富裕なる農家の庭のおびただしき牝牛の群れ、乳搾らるる時、遠くにて仔牛らの奪い
去られとして嘆く声を聞き、怒号し、咆哮するがごとく、まさにそのごとく、サマセッ
トシャーなる群衆、すさまじき喚声を発したり。悲鳴、金切り声、その他入り混じり、
おびただしきこと居合わせたる人々の数、いな人々の抱ける激情の数に異ならず。ある
は怒りに駆られ、あるは恐怖におののき、またあるはただ可笑しきものを見んとの願い
にうながされてたる激情なり。されど他にまさりたるは、悪魔の妹にして、その変わり
なき朋友たる「嫉妬」にして、こやつめ、人の群れに飛び込みて、女どもの怒りを燃え
上がらせぬ。かくて女ども、モリーに近づくや否や、汚泥、塵芥を浴びせかけたり。
───同)

"Molly, having endeavoured in vain to make a handsome retreat, faced about; and
laying hold of ragged Bess, who advanced in the front of the enemy, she at one
blow felled her to the ground. The whole army of the enemy (though near a 
hundred in number), seeing the fate of their general, gave back many paces, and
retired behind a new-dug grave; for the churchyard was the field of battle, 
where there was to be a funeral that very evening. Molly pursued her victory, 
and catching up a skull which lay on the side of the grave, discharged it with
such fury, that having hit a tailor on the head, two skulls sent equally forth
a hollow sound at at their meeting, and the tailor took presently measure of
his length on the ground, where the skulls lay side by side, and it was 
doubtful which was the more valuable of the two. Molly then taking a thigh-
bone in her hand, fell in among the flying ranks, and dealing her blows with
great  liberality on either side, overthrew the carcass of many a mighty hero
and heroine."
---Ibid

(モリーは格好つけて退かんとせしも甲斐なくて、向き直りぬ。弊衣に包まれしベス。
敵の先陣を承って進み来るを、えいとばかりに引っつかみ、一撃にして地に倒したり。
敵の軍勢、合わせて百を数うれど、大将の運つたなしと見るや、算を乱して、堀りし
ばかりの墓穴のうしろへと退く。いま戦場となりしは教会の墓地にて、まさにこの夕
べ、葬儀とり行わるる手筈なりき。モリーは勝利を追い求め、墓穴のかたわらに置か
れし髑髏(されこうべ)をつかみて、はっしとばかりに投げつくれば、髑髏は仕立屋
の頭に当たり、生けると死せるの頭(こうべ)二つ、相会して、ひとしく虚ろなる音
を発したり、仕立屋はその場で倒れ、地面にて我が寸法を計り、二つの頭は相並びて
横たわれども、いずれが値高きやは知らず。次いでモリーは腿骨を手にとり、逃げ惑
う敵軍に飛び込みて、右に左に滅多やたらと振りまわせば、勇ましき男女の屍、累々
と山を築きぬ。
───同)


トリストラム・シャンディー
   2010/9/15 (水) 07:35 by Sakana No.20100915073558

9月15日

「最後はローレンス・スターンの未完の小説
『トリストラム・シャンディーの生活と意見』
からの文例で不対法の講義をしめくくりたい
と思います」
「馬鹿馬鹿しい話をみみずがのたくったよう
な長々と書き散らしただけの文章のような印
象を受ける」
「フュータトリアスは厳粛なるべき学者です。
思想、思考力、注意力、想像力、判断力、決
断力、熟考力、推理力、記憶力、空想力だけ
でなく、動物精気にも恵まれています。その
立派な学者の股間にこともあろうに焼き栗が
転がり落ちたのですから、これはもう不対法
というほかはありません」
「低俗な読者からのウケを狙った単なるお笑
いの文にすぎない」
「焼き栗という平淡の材料を用いたが故に感
慨が深くなることをご理解ください。焼き栗
に代えて毒蛇にしたら、滑稽の趣は索然とし
たものになるはずです」

"Now, it was physically impossible. with a half dozen hands all thrust
into the napkin at one time,---but that some one chestnut, of more life
and rotundity than the rest, must be put in motion,---it so fell out, however,
that one was actually sent rolling off the table; and as Phutatorius sat
straddling under,---it fell perpendicularly into that particular aperture
of Phutatorius's breeches, for which, to the shame and indelicacy of our
language be it spoke, there is no chaste word throughout all Johnson's
Dictionary;---let it suffice to say,---it was that particular aperture which,
in all good societies, the lawas of decorum do strictly require, like the
temple of Janus (in peace at least), to be universally shut up...
 The genial warmth which the chestnut imparted, was not undelectable for
the first twenty or five-and-twenty seconds; and did no more than gently
solicit Phutatorius's attention toward the part;---but the heat gradually
increasing, and, in a few seconds more, getting beyond the point of all
sober pleasure, and then advancing with all speed into the regions of
pain, the soul of Phutatorius, together with all his ideas, his thoughts,
his attention, his imagination, judgment, resolution, deliberation, and
rationation, memory, fancy, with ten battalions of animal spirits, all
tumultuously crowded down, through different defiles and circuits, to the
place in danger, leaving all the upper regions, as you may imagine, as empty
as my purse."
---The Life and Opinions of Tristram Shandy. Vol. IV. chap. xxvii.

(さて、半ダースもの手が一度にナプキンに突っ込まれた場合、ほかの栗よりも
行動力や丸みにおいてまさる栗は運動を開始せずにはいられぬということが、物
理学的に見てあり得ないかどうかはさて置き──ともかく一つの栗が実際テーブ
ルからころころ転がり落ちたのです。ところが、フュータトリアスは股を大きく
開いて腰掛けていましたので、──栗は垂直にフュータトリアスのズボンのあの
特別の穴の中へと落ちたのです。この穴を指す名称として、わが国の言語の恥で
あり、無神経さを示すものですが、ジョンソンの辞書を全部ひっくり返しても、
お上品な言葉がありません。それゆえ、かく言うだけでお赦しいただきたいので
す。──なべての良き社会では、良風美俗の法則が(平時には閉ざされ、戦時に
のみ開かれるという)あのヤーヌスの神殿の(少なくとも平時の)扉よろしく、
きちんと閉ざされていることを厳しく求める、あの特別の穴に落ちたのでした。
・・・・・
 栗が伝播する穏やかな温かみは、最初の二十秒から二十五秒くらいまでは不快
なものではなく、──フュータトリアスの注意をやさしくその部分に向けさせる
程度の働きしかありませんでした。──しかし、熱は次第に高まり、二、三秒も
たつと穏和な快さの程度をこえ、さらに全速力で苦痛の領域へと進んだものです
から、フュータトリアスの魂は、思想、思考力、注意力、想像力、判断力、決断
力、熟考力、推理力、記憶力、空想力のすべてを引き連れ、動物精気の十個連隊
とも協力し、体の上の方の部分はわたしの財布同様からっぽにしたまま、さまざ
まな隘路だの迂回路だのを通って、問題の場所へとなだれを打って押し寄せたの
はご想像の通りです。
──『トリストラム・シャンディーの生活と意見』第四巻第二十七章)



文学的手段六種
   2010/9/18 (土) 07:01 by Sakana No.20100918070108

9月18日

「次は写実法ですが、その前に、これまで論
じてきた我等の用いる文学的手段と名づくべ
きもの六種を思いだしてください」
「文学的手段と名づくべきものとは、第四編
文学的内容の相互関係、のことか」
「ええ、四種の連想法(投出語法、投入語法、
自己と隔離せる連想法、滑稽的連想法)と調
和法、対置法です」
「それに写実法が加わるわけだな」
「はい、およそ文学の材料となり得べきもの
は(F+f)の公式に引き直すことができま
すが、上記文学的手段六種とはこの材料が単
に(F+f)となって孤立せず、これに加え
て(F'+f')という新材料をもってきて、
両者の結合によって生じる変化の題目を比較
的に組織だった方法により調査したものです」
「して、その特色は?」
「これら文学的手段六種の特色は一材料を表
現するのに他の材料を雇うことにあります。
少なくとも二個以上の材料がないときは、こ
の文学的手段は成立しません」


余が述べんとする写実法
   2010/9/21 (火) 07:58 by Sakana No.20100921075802

9月21日

「文学的手段のなかには、我々があるFより
受ける情緒の変化を欲してこれにF’を加え
るとき消除、減低の方向に動くものが一種あ
ります」
「それは、連結された二材が相克して、我々
のFに対する情緒を普通の程度以下に低くし
てしまう場合だから、対置法のうちの緩和法
かな」
「次に、FやF’の固有なる情緒に関係なく、
卒然としてまったく新しき情緒を得るものが
二種あります」
「調和法と対置法のうちの不対法の二種。連
想法のうちの滑稽的連想法を含めれば三種に
なるが」
「漱石先生は二種と言っておられます」
「二種か三種かまぎらわしい。説明不足だ」
「まあ、そんな細部にこだわっていたら、講
義は前に進みません。要するに、文学的手段
のうちいちばん多いのは六種──我々がある
Fより受ける情緒の変化を欲してこれにF’
を加えるとき、強烈もしくは濃厚の方向に動
く六種です」
「連想法のうち投出語法、投入語法、自己と
隔離せる連想法の三種と対置法のうち強勢法
だけなら四種だ。計算が合わないが、どうな
っているんだ」
「そんな細部にこだわっていたら、講義は前
に進みません。要するに、<今余が述べんと
する写実法は実にこれ尤(もっと)も多き方
法に対して起こるものなり。故に余の所謂写
実法とはその意義において世間の予期する所
のものと異なるやも知るべからず。余が前段
に説叙せる文学的手段は、茲(ここ)に呈出
せられたる材料ありて、この材料を如何に表
現せば尤もよく詩化せらるべきやまた美化せ
らるべきや(或は滑稽化せられるべきや)の
問題を解釈せるに過ぎず>と漱石先生は言っ
ておられます」
「よくわからん。漱石の講義を真面目に聴い
ていると神経衰弱になりそうだ」



不対法と仮対法
   2010/9/24 (金) 08:33 by Sakana No.20100924083308

9月24日

「FやF’の固有なる情緒に関係なく、卒然と
してまったく新しき情緒を得るものが二種あり
ますが、その二種とは何でしょう」
「調和法と対置法のうちの不対法の二種と、前
回、答えたはずだ」
「その答はペケ。正解は調和法と対置法のうち
の不対法ではなく、仮対法です。仮対法と不対
法を混同しないでください。いいですか、対置
法には強勢法と緩勢法と仮対法と不対法の四種
があります」
「三種といったり、四種といったり、まぎらわ
しくて頭が混乱する」
「仮対法は対置法に似て、対置法ではない──
いわば対置法もどきです。これを除外するとす
れば三種ですが、やはり対置法もどきも含める
ことにすれば、四種です」
「いったいどっちなのだ。はっきりさせてくれ」
「要するに、仮対法は対置法もどきですが、不
対法は対置法もどきですらなく、まったく対置
法に属さないものです」
「もういい。先へ進もう」


詩的語と日常語
   2010/9/27 (月) 07:52 by Sakana No.20100927075254

9月27日

「写実法は詩的語を用いません。日常語を用
います。日常生活において自然に我々の耳に
入る表現法です」
「日常語は詩的でない。平凡だ」
「それはミルトンの<戦いの真鍮の喉は咆哮
をやめた>のような詩的表現、つまり連想法
のうちの投出語法と比べれば平凡な表現にな
るでしょう」
「写実法なら、<戦いは終わった>──それ
だけ。どちらの表現がすぐれているのだろう」
「吾人は詩人の建立せる蓬莱に入り、画家の
創造せる桃源に遊んで陶然たる幻惑を受くる
を辞せざると共に、わが親しく見聞せる日常
生活の局部が眼前にそのまま揺曳して写実的
幻惑中に吾人を担ひ去るを快とするものなり」


"The brazen throat of war had ceased to roar."
---Milton. Paradise Lost. Bk. XI, 1,713.

(戦いの真鍮の喉は咆哮をやめた。)
──ミルトン『失楽園』第十一巻、七一三行)


写実の表現
   2010/9/30 (木) 07:48 by Sakana No.20100930074837

9月30日

「ワーズワスが述べているように、日常生活か
ら事件と場面を選び出して、人々が実際に使っ
ている言語で記述し、描写するのが写実法です」
「例をあげてくれ」
「<鎌の如き月>といえば詩的表現、<三日月>
といえば写実法です」
「ふむ」
「<雲を霞と逃げ去る>といえば比較的複雑な
表現ですが、<遠くへ逃げ去る>といえば写実
の表現です」
「シェイクスピアやミルトンのような詩的表現
を好む読者は多い」
「詩的表現はキザだとか嫌味だとかいって嫌う
読者もいます」
「詩的表現は嫌味にならない。嫌味なのは詩的
表現もどきや似非詩的表現だ」
「泰西文学の翻訳調の表現はどうでしょう」
「翻訳調に幻惑されて詩的だと思う読者もいる
し、嫌味に感じる読者もいる」

"The principal subject, then, proposed in these Poems was to choose
incidents and situations from common life, and to relate or describe
them, throughout, as far as possible, in a selection of language really
used by men---."
---Wordworth. Lylycal Ballads.

(したがって、これらの詩で意図された主な目的は、事件と場面とを日常の
生活から選び出し、全篇を通して、できうるかぎり、人々が実際に使ってい
る言語を選んで記述し描写することであった。)
───ワーズワス『リリカル・バラッド』二版の序



写実的な材料の選択
   2010/10/3 (日) 07:19 by Sakana No.20101003071940

10月03日

「写実派の作家は、浪漫派や古典派や理想派
に反して、表現はもちろん材料そのものの取
捨でも写実を心がけます」
「日常生活で身辺を見まわしても、英雄はい
ない」
「写実派の描く人物は英雄ではありません。
平凡な人物です」
「平凡な人物は魅力にとぼしい」
「英雄ではない人物がわれわれの同情をひく
のは、その人物が偉大だからではありません。
われわれと同じく平凡だからです」
「平凡なるが故にわれに近し、われに近きが
故に同情多し、か」
「写実派は平凡なところ、奇をもとめないと
ころに興味を感じるのです」

[Farm Servants at Meal.]

"To Farmer Moses, in Langar Vale, came down
His only daughter, from her school in town;
A tender, timid maid! who knew not how
To pass a pig-sty, or to face a cow;
Smiling she came, with petty talents graced,
A fair complexion, and  a slender waist.
  Used to spare meals, disposed in manner pure,
Her father's kitchen she could ill endure;
Where by the steaming beef he hungry sat,
And laid at once a pound upon his plate;
Hot from the field, her eageer brother seized
An equal part, and hunger's rage appeased;
The air, surcharged with moisture, flagg'd around,
And the offended damsel sigh'd and frown'd;
The swelling fat in lumps conglemerate laid,
And fancy's sickness seized the loathing maid.
But when the men beside their station took,
The maidens with them, and with these the cook;
When one huge wooden bowl before them stood,
Fill'd with huge balls of farinaceous food;
With bacon, mass saline, where never lean
Beneath the brown and bristly rind was seen;
When from a single horn the party drew
Their copious draughts of heavy ale and new;
When the coarse cloth she saw with many a stain.
Solid by rude hinds who cut and came again---
She could not breathe; but with a heavy sigh,
Rein'd the fair neck, and shut th'offended eye;
She minced the sanguine flesh in frustums fine,
And wonder'd much to see the creatures dine."
---The Widow's Tale. II. l 30.

{(食事中の農場使用人)/ランガー谷の農場主モスのもとへ/
一人娘が町の学校から帰ってきた。/
やさしい、内気な娘! 豚小屋の前を通ったり、/
牛と顔を合わせたりするのも苦手な子で、/
にこにこ顔で帰ってきた。ささやかながら芸事を身につけ、/
色白で、ほっそりした腰つきだった。/
彼女は品よく出された、少量の食事に馴れていたので、/
父の食堂が堪えられなかった。/
湯気の立つ牛肉のそばに、父は空腹をかかえて座り、/
すぐさま、一ポンドもある塊を自分の皿に載せた。/
野良から帰ったばかりの兄もがつがつと/
同じ量の肉を取って、猛烈な空腹を鎮めた。/
空気は湿気がこもってよどみ、/
気分の悪くなった娘は、溜息をつき、眉をひそめた。/
脂身の盛り上がった塊がどさっと置いてあるのは、/
思っただけでもぞっとし、胸がむかついた。/
けれども、作男たちがそばに腰掛け、/
女たちがいっしょになり、料理人も加わると、/
大きな澱粉の団子を山盛りにした/
大きな木の鉢が目の前に置かれた。/
ベーコンも添えられているのだが、/
まるで塩の塊で、/
ごわごわした褐色の皮の下に、赤身はまったく見えない。/
たった一つの角杯から満座の人たちが、/
搾りたての強いビールをがぶがぶと飲むのを見、/
何度も肉を切りに来る粗野な作男たちに/
粗布のテーブル掛けが染みだらけにされるのを見ると、/
娘は息もできず、重い溜息をついては/
色白の首をこわばらせ、不快になって目を閉じる。/
彼女は血色の肉を薄く細かく切りながら、/
この連中の食べっぷりに、ただ呆れるだけだった。
───『寡婦の話』一ー三十行]



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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